「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その2 変えられた「東京駅」の配線

 今回は、このシーンのために変更された「東京駅」の配線についてのお話です。

 「シン・ゴジラ」では、「東京駅」とその周辺は極力忠実に再現されています(未着工のビルはあるが)。ただし、「東海道新幹線」の分岐器が2か所変更されていました。



「無人新幹線爆弾」は、16,18番線に突撃した
 これは、劇中の描写を見ればすぐにわかります。両列車とも、推定速度240㎞の高速で分岐器の直線部を通り16,18番線に突入していますが、ここに実際と違う部分があります。

実際の「東京駅」の配線では、高速突撃は、16,17番線でないとできない

「シン・ゴジラ」では18番線突撃ができるように配線変更をした


シンゴジラと東京駅
 この図は、現在の「東京駅」の配線(上)と、「シン・ゴジラ」の「東京駅」の配線(下)を比較したものです。
赤色線は「無人新幹線爆弾」が通った部分です。16番線突入は、実際に分岐器のまっすぐな部分を通るため高速突入ができますが(※ここでは構内の急カーブは無視します)、実際に18番線へ突入するためには、制限速度60~70km/hとなっている分岐器の曲線部を2度通らなくてはいけません。とてもじゃないですが、200km/hを超える高速通過は不可能です。
 そこで図の下のように、18番線へ入る線路の分岐器は2か所ともまっすぐ方向を向くように変えられています。
 実際の配線よりも少し歪なものになりました。

何故17番線ではなく18番線突入にしたのか?
 以下の2つの理由が考えられます。


① 爆発の威力を「ゴジラ」に伝えやすいため?
シンゴジラと東京駅2
 上図は、劇中で18番線に突入した場合(左)と、実際の配線に従い17番線に突入した場合(右)の比較です。
 2つの列車の距離を、ホームを介しているとはいえ、隣の線路よりもさらに1本分(4.2m)離した方が、爆発の威力を「ゴジラ」の広い範囲に与えられるかもしれません。それなら19番線に突入させてもいいかもしれませんが、これでは逆に離れすぎてダメージを与えにくくなるのか?あるいは、②で話す演出の問題か?どちらでしょうか?


② 演出の問題(こっちが本命?)
シンゴジラと東京駅3

 こちらも、劇中の18番線突入(左)と、実際の配線で想定される17番線突入を比較した図です。この図では、水色部が新幹線車両、それぞれの突入シーンの視野を黄色扇枠で示します。

 図を見れば、一目瞭然です。18番線突入の方が、劇中で車両の横から眺めた景色の見栄えがいいです。

 18番線からは、隣の線路が見えて目の前の視界が広がり、左のホームを介して隣の車両を遠目で眺めることができ、走行シーンの迫力が増します。

 逆に17番線突入では、カメラのすぐ鼻先にほーむドアが迫り、景色の下半分以上が遮られます。カメラを少し上にやればよくはなりますが、すぐ下にプラットホームばかりが見えて隣の車両とも距離が近く、高速走行をしている迫力が減ってしまいます。

 「ヤシオリ作戦」でのビル爆破シーンを充実させるために、まだ建っていない超高層ビル(390m)を造るくらいですから、「無人新幹線爆弾」突撃シーンをよくするために分岐器の方向を2つ変えることくらい造作もないということでしょう。こんなことを気にする人はそんなにいないはずですからね。

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「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その1 突撃速度について

 現在、どうにか動画化しようと画策中のネタをあげます。

 「無人新幹線爆弾」は、「東京駅」にたたずむ「ゴジラ」を起こすために投入された爆薬満載の「N700系」2編成です。

 劇中では「品川」・「大井車両基地」方面から「N700系」(無人)2編成が「東京駅」に高速で突入しました。
そしてこの作戦が実際出来るのかどうか、どうにかこうにか考えていきます。

「ゴジラ」への突撃速度は約240km/h
 この速度は、以下のデータから計算して得ました。

① 「東京駅」前の分岐器~プラットホーム間の距離:172m
(空中写真と「東京駅」ホーム長より計算)

② 2地点間の走行時間:2.6秒

より172m÷2.6秒×60秒×60分÷1000≒238.15km/h


「N700系」の推定速度変化(※あの車両のみで自走している場合)
 「N700系」の加速能力から、高校物理で習った計算式から、大雑把に速度変化を試算してみました。

速度変化グラフ(推定)・薄赤色はカーブ
新幹線爆弾
 水色線は、普段の新幹線車両の速度変化(http://www.nicovideo.jp/watch/sm9086831よりグラフ化)。
 赤い路線は、推定される「新幹線爆弾」の速度変化です。「新幹線爆弾」は、「大井車両基地」を発進して、「品川」~「田町」間で本線に合流するものと仮定しました。「新幹線爆弾」が240km/hで「東京駅」の「ゴジラ」へ突撃するためには、6.8㎞以上手前から発進、130~140km/hで本線に合流、190km/hで「浜松町」、215km/hで「新橋」を通過します。


実際にこうやって走ったら、途中で脱線する
各地点での速度(地図バージョン)

新幹線爆弾ルート
 緑色に、現実的な注釈を入れています。

本線への合流
「大井車両基地」方面から本線に合流するには、70km/h?制限の分岐器があります。計算上「新幹線」爆弾はそこを130~140km/hで通過するため、安全率を考慮してもここで脱線します。(恐らく大丈夫な)80km/hで通過すれば、「ゴジラ」へは220km/hで突っ込みます。まあ、これは多少の誤差範囲内です。

途中の急カーブ
 本線に合流した後は加速あるのみです。しかし本線は、最少半径400mの急カーブが多発し、実際の車両は100~110km/hほどで走行します。カーブのカントを新幹線最大の200mmにしたとしても、150km/hほどで遠心力により脱線するでしょう。また、実際のカントはそんなに速度を出さないこの区間では200mm未満になっているでしょう。

突撃させるとしたら、130km/h前後がいいとこ?
 現実的にはこの速度でしょう。ただし、長さが400mもの16両編成「新幹線爆弾」は本当なら高速で突撃させたほうが後方の爆薬を「ゴジラ」にぶつけられます。先頭車両から時間差をつけて順番に爆発させて(爆発の勢いを「ゴジラ」側に集中する方向で)、後ろの勢いを減らさないようにでもすればいいのでしょうか?
 ちなみに、「東京駅」のカーブはカントがかなり低いため、100km/hで通れるかもわからないです。

240km/hで突撃させるには

・カントを上げる(※作中ではその描写はない)
・遠心力に耐えられるよう線路と路盤を強化する
・緩和曲線を長くする
・(無茶だが)カーブの半径を緩くする


などの方法が考えられます。一言でいえば、非常にめんどくさいです。

「タモリ倶楽部」で踏切大賞に選ばれた踏切

無題
 その踏切は、「西武池袋線」の「池袋」付近にあります(赤丸の部分)。

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 この踏切は、道が二股に分かれ始めたところにあるため、互いが隣り合っています。もともと碁盤の目になっている街に斜めに横切るように線路を敷いたため、こうなりました。

 近くにもこのような横切りがありますが、他は道がふさがれたり、踏切を1本に絞っています。
 撮影はパノラマ機能付きのカメラで行った方がいいです。

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 隣から踏切を眺めるとこうなります。どちらも線路に対して約45°交差し、反対側の方では互いの踏切が常識的に離れています。

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 反対側からも眺めてみました。

 踏切は閑静な住宅街にあるので、見たり撮ったりするのは怪しまれないように気を付けましょう。

「熊本電気鉄道」に地下鉄「銀座線」の車両が来た背景

今年の3月12日に「銀座線」から引退した「01系」は、「熊本電気鉄道」で再利用されています。しかし、地上を走る普通鉄道に地下鉄「銀座線」の車両を乗り入れ指すのは、普通の中古車両を再利用するよりも大変なことです。

↓「銀座線」の「熊本」入り
http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-1467.html
http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-1468.html



「銀座線」車両の改造はかなり面倒

① 軌間の違い

「銀座線」:1435mm
「熊本電気鉄道」:1067mm

② 集電装置の違い
「銀座線」:第三軌条方式・下の集電用レールに車両の集電靴を接触させる
「熊本電気鉄道」:架空電車線方式・架線にパンタグラフを接触させる


 このように、軌間と集電という、大きな要素が全く異なるため、台車の軌間改造や集電装置の改造まで施さなければいけません。
 一言でいえば、再利用するのがかなりめんどくさい車両です。地方鉄道は経費節減のために都会の路線の中古車両を安く仕入れるため、はたから見たら効率が悪く見えます

それでも「銀座線」車両を入手した理由⇒近年は適切な中古車両を手に入れにくい
 
① 都心部の路線は、混雑対策のために車両を大型化していった
 乗車率を少しでも緩和し通勤地獄を減らすためには、車両の大型化が効果あります。ほかにも運転本数を増やす方法がありますが、線路容量の関係ですでに限界です。
 そして時は流れ、大型化した新車も古くなり、中古車両に大型の車両が増えてきました。ただし、中・小型車両に合わせた設備を保有する地方鉄道と規格が簡単に合わず、いつも通りに大都市の車両を手に入れることが難しくなりました。大型車両を入手して、それが走れるように路線を改造する手間が非常に大きいためです(そんなことするくらいなら新しい中・小型車を導入した方がいい)。

②「銀座線」の車両は昔も今もこれからも中・小型
 今から82~90年前に造られた「銀座線」はトンネル自体が昔の規格で造られているためかなり断面が小さいです。したがって、車両もそれに合わせて小さいままです。車両を大型化するには、トンネルを拡幅する必要がありますが、今後それをやる可能性は低いでしょう。

 そんな理由から、改造の手間は出ても「銀座線」車両は地方鉄道のサイズに合った貴重な中古車になりました。

飛行機からの景色(「熊本」~「羽田」) その2 「名古屋」~「羽田」

 「熊本」~「羽田」航路の続きです。

「伊勢湾」と「中部国際空港」
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 「中部国際空港」は、滑走路1本の空港島としては独特な形です。恐らく海岸線の地形と、滑走路をなるべく陸地から話した影響でしょう。
 「伊勢湾」の奥が「名古屋」です。写真中央ちょい左側の河口は、右側から「木曽川」、「長良川」、「揖斐川」です。つまり、社会の教科書で習った河川より低い土地である輪中の街、「海津市」です。

「知多半島」
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 「伊勢湾」三大半島の一つです。肉眼でも「中部国際空港」がよく見えます。

「豊橋」
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 「豊橋」上空。このあたりは水深が浅いため、埋め立てが盛んです。

「浜名湖」
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 水深や塩分濃度?などの関係で、色が場所によって変わっています。そして、手の形です。聞いた話では、「ダイダラボッチ」が
「琵琶湖」で穴掘りをしてその土砂で「富士山」を造るという意味不明なことをしていた時に転んで手をついた後が「浜名湖」らしいです。

左から(各文字の真下に相当)
「飛騨山脈」、「木曽山脈」、「赤石山脈」、      「富士山」

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 「富士山」と「日本」三大アルプスが1目で見られました。

「富士山」(「御前崎」付近より)
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 「遠州灘」の上空より。「富士山」がだんだん見えてきました。左側の「赤石山脈」はまだまだ白いです(3月)。「赤石山脈」から流れる「大井川」がめちゃくちゃ蛇行しているのもよくわかります。

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 写真中央少し右下に「富士山静岡空港」があります。その名前の元の「富士山」はそこから80kmほど離れています。こうして「駿河湾」の海岸沿いに「富士山」を見られるのも新鮮です。

「富士山静岡空港」
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 他の地域でもそうですが、開港までに紆余曲折ありまくりの空港です。「牧之原」大地の一尾根を見事にぶち抜いています。

「富士山」と「静岡平野」(「駿河湾」より)
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 雪の積もっている山は右から「富士山」、「赤石山脈」、「木曽山脈」です。

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 「駿河湾」より、「静岡平野」、「富士山全体」、更にはその奥の「甲府盆地」まで見渡せます。改めてみると、「富士山」だけ地形が特殊です。

「静岡平野」
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 「静岡平野」全域を俯瞰。「三保半島」~「静岡県」北端の「赤石山脈」までがよく見えます。「静岡平野」を縦断する「賎機山」を境に、東西の高低差の気配がわかります。
 どれだけ知名度があるかわかりませんが、「静岡平野」の右半分の「清水」こそが、「ちびまる子ちゃん」の舞台町であることを書いておきます。

「富士山」拡大(「駿河湾」より)
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 飛行機は、「駿河湾」沖合を飛びます。そこから、海面よりそびえたつ、「東海道新幹線」から見るアングルの「富士山」を眺めることができます。飛行機は着陸態勢に入りはじめ、若干高度を下げています(「富士山」よりはだいぶ高い)

「伊豆半島」の「弓ヶ浜海岸」と「下田」
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 「伊豆半島」の奥座敷である「下田」です。下の写真が「下田市」市街地、上の写真が「下田」の南側の「弓ヶ浜海岸」です。遠浅の海と砂浜が非常にきれいな、おススメ海岸です。

「天城峠」
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 「天城越え」で有名な「天城峠」(写真左側)と「天城山地」が見えます。右側には風力発電所が並んでいます。よーく目を凝らしてみると、写真を4等分した区域の中心に、「河津七滝ループ橋」(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Kawazu_roopbridge01.JPG)が見えます。

「富士山」(「伊豆半島」南端より)
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 「富士山」を「伊豆半島」越しに俯瞰。「富士山」東側の「御殿場」は他より雪がたっぷり積もっています。

「房総半島」
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 「房総半島」の南端に差し掛かりました。東側へ向かう国内線は、「東海地方」南側の沖合を進み、「房総半島」を反時計回りに回り込んで「羽田空港」に着陸します。こうしてみると、半島が長いです。そして、かなり高度が下がっています。

「東京湾アクアライン」
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 「シンゴジラ」登場場所となった「アクアライン」が、写真中央右側に見えます。

「外房」の海岸
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 海が非常に澄み切っています。ここも深さごとに色が変わっているのがよくわかります。

「千葉」の工場群
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 工場マニアの人にとっては萌え画像です。マニアではありませんが、すごい設備群です。

「東京湾」
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 上空から見ると、湾内の船舶の数が異様に多いのがわかります。

「鶴見つばさ橋」
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 写真真ん中少し上にあります。

「川崎浮島ジャンクション」
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 「羽田空港」到着直前に、「タモリ倶楽部」の「首都高」造りかけ大賞でも紹介された「川崎浮島ジャンクション」を通過。このジャンクションは、「首都高湾岸線」と「東京湾アクアライン」の交点で、計画倒れになったパーキングエリアなどの未成用地があります。写真を横切っている白い高架が右側で途切れていますが、これが造りかけの部分です。パーキングエリア予定地は現在、太陽光発電所になっています。

飛行機からの景色(「熊本」~「羽田」) その1 「九州」~「紀伊半島」

 「熊本」~「羽田」間を飛行機で移動したので、その1時間半ほどの間に150枚くらい写真を撮ってみました。

 わりかしきれいに映った景色をうpしていきます。

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 ちなみに、「熊本空港」では馬刺しなどが食えます。
 
 それでは、景色をうpしていきます。
「九州」
「熊本平野」と「熊本空港」

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 飛行機は「熊本空港」から西側に離陸し、「熊本平野」上空を180°旋回して東に向きを変えます。
これは、旋回を始めた様子で、「熊琴平野」上空から「熊本空港」と「阿蘇山」を眺めています。

「阿蘇山」(南西から)
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 「熊本平野」の南寄りから撮影。なだらかな平野の上に、「阿蘇山」の険しいカルデラ地形がよく見えます。

「中央構造線」の地形
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 「九州」にも「中央構造線」が横断し、上空からはその地形がよく見えます。写真右下から左上にかけて、「中央構造線」による筋状の谷地形がまっすぐに延びています。


「阿蘇山」と「熊本空港」(南側から)
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 写真中央左側が「熊本空港」、右側が「阿蘇山」です。

「熊本平野」(南側から)
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 少し視点を左(西側)に移すと、「阿蘇山」の火山灰などで形成されたなだらかな「熊本平野」が見下ろせます。

「阿蘇山」全体(南側から)
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 「阿蘇山」のカルデラ全景を俯瞰。上空から見ると、巨大なカルデラ地形、外輪山の様子がよく見えます。こうしてみると、この火山の巨大さがよくわかります。こういう火山地形の中に町を造っていることがなんだかすごいです。

「大分市」
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 「九州」を横断し、「大分」上空を通過。「大分県」の特徴でもある「国東半島」が見えます。


丸っこい「国東半島」(上側)ととんがっている「佐賀関半島」(下側)
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 「大分県」の2つの半島はこんなにも形が違います。「佐田岬半島」は「中央構造線」によりこの形にとんがりました。

「九州」の「国東半島」(左側)と「四国」の「佐田岬半島」(右側)
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 「中央構造線」によって引き伸ばしちけいとなった2つの半島を同時に見れました。

「四国」~「淡路島」
「来島海峡第一~三大橋」

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 「愛媛県」上空を通過。写真中央に3連続吊り橋として有名な「来島海峡第一、二、三大橋」が見えます。

三高速の分岐点(「川之江」、「川之江東」ジャンクション)
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 「愛媛自動車道」、「高知自動車道」、「徳島自動車道」の3高速道路が2つの三叉ジャンクションによって繋がる「四国」の交通要所です。

「瀬戸大橋」
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 「瀬戸大橋」です。飛行機の高度は約12kmとかなり高空なため、全長が9km以上もある「瀬戸大橋」も一斉に見渡せます。「四国」側の平野は、「讃岐富士」などの硬質な岩相で回りと比べて削れ残った小山がよく見えます。

「大鳴門橋」
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 「大鳴門橋」を急角度でなんとか見られました。

「淡路島」
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 「淡路島」も大部分が形がわかるほど見渡せました。高空を通る便は視野が広いです。

「明石海峡大橋」
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 「淡路島」北端にある橋が辛うじて見えました。飛行機は、「淡路島」南端(もしくはさらに南の海上)を通っています。「本州四国」の三大連絡橋を制覇です。

「大阪」~「三重」
「大阪湾」
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 左下に「関西国際空港」、その上に「淡路島」の北端、真ん中上側に「神戸空港」、「ポートアイランド」、「六甲アイランド」、「神戸」の街並み、右側に「大阪平野」が見渡せます。「六甲山地」から北側は雲に覆われています。写真下の「大阪平野」南部には、古墳(小さい緑色の丘)が多く見えます。

「大阪平野」
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 少し右(東側)に視点を移すと、「大阪平野」全体が見渡せます。街並感が半端ないです。

「関西国際空港」(コナン映画視点)
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 確かこんなアングルだったと思います。

「大仙古墳」
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 写真中央に、教科書でも見たことのある、「大仙古墳」(面積が世界最大の墓)が見えました。

「奈良盆地」
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 「奈良盆地」を、その南端部から俯瞰。見事に山に囲まれています。写真左は「生駒山地」と「大阪平野」です。

「三重県」「松坂市」
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 「紀伊半島」を横断して「三重県」「松阪市」を通過。上空からは、水深の違いも川や海の色からよくわかります。

「鼻ぐり井手」(全自動除灰システム)

 「日本」全国に無数にある用水路の中で、「熊本」だけにしかない超貴重な形式の水路が「鼻ぐり井手」です。自分は、「ブラタモリ」で知りました。

 「鼻ぐり井手」は、「加藤清正」の時代の400年前に造られ、言い換えれば「全自動除灰システムつき用水路」で、水路の水に含まれる土砂(「阿蘇山」の火山灰)が水底にたまらないようにする形をしています。

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現地の説明書にはこう書いてあります。要約すると

「鼻ぐり井手」
場所:「熊本県菊陽町」(「阿蘇熊本空港」から数㎞北側)

建造時期:1608年

水路の概要:「阿蘇山」山麓~「熊本平野」の水田へ水を供給する全長12kmの水路

特徴:うちこの区間400mは岩山で、深さ20mもの溝を掘りぬいて水路が造られた。
→普通の溝ではなく、2~5m間隔で厚さ1m、高さ4mの仕切り壁を残し、そこ下部に2mほどの半円穴掘って水路にした

この形のいいところ:
①この壁と穴の形で流れる水に渦を発生させることで、水に含まれる「阿蘇山」の火山灰が巻き上げられ、底jに堆積せずに流れ去る
=深さ20mの谷から定期的に土砂を取らなくてもよくなる
②掘削量を減らせる



水路の様子(渇水期)
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 見てきた時期は2月ですが、この時期は渇水期で水がほとんど流れていないため、水路の底までがしっかり見渡せます。もとは川でも谷でもない、岩山だったのですが、水路のために、これだけの深さの岩盤を400年前に掘りぬきました。

 造られて400年たちますが、現在も25か所が残り、現役バリバリで全自動除灰作業を行っています。

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 少し拡大。現在も、定期的に水路の除灰を人の手でする必要は全くありません。

 ちなみに、現在は28基が残っていますが、建造当時は80基ありました。江戸時代に52基が破壊されましたが、それはこの水路の機能を知らない(引継ぎができていない)役人が(恐らく)「仕切りを取ってもっと水を流そうぜ」とでも考えていたようです。それでも現在に至るまで十分に除灰機能は健全です。

「熊本」の鉄道 その2 「熊本電気鉄道」の路面区間

「熊本電気鉄道藤崎線」の「藤崎宮前」~「黒髪町」間には、100数十mにわたり道路を通る、いわゆる路面区間があります。

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 路面区間の全景です。幅2車線ほどの道路に、単線の線路が曲がりくねって入ってきています。線路両側に塗られているオレンジ線が車両の限界線です。周囲は、普通の住宅街です。

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 「藤崎宮前」方面を撮影。曲がりくねって道路にやってきています。このくねり具合がかなりローカルっぽいです。

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 線路は道路の左端に寄っています。線路の隣は、普通の住宅建屋です。普通に家の門や駐車場が線路の隣にあります。

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 カーブがかなり急なため、線路両側に脱線防止ガードが設けられています。

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 線路左側に道路延長には、「藤崎宮」?の鳥居が見えます。

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 路面区間では、線路と家がこんな感じに見えます。ここの住人たちは、家の出入りや車の入出庫のために、普通に線路を渡ります。

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 「黒髪町」方面から全体を撮影。線路以外は、どこにでもある光景です。

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 「黒髪町」方面では、「都電荒川線」みたいに道路とガードレールを隔てて分かれていきます。

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 踏切手前から路面区間全体を撮影。

前世に戻った地下鉄車両
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 地下鉄「銀座線」の中古車両「01形」(01系)が路面区間を走っています。元都会の車両がローカル路線を走る光景はよくありますが、これはなかなか新線です。
 交通歴史では、地下鉄は路面電車の生まれ変わり(路面電車廃止して地下鉄に置き換えた事例が多い)でもあるため、この光景は現在の地下鉄車両が前世に戻ったともいえます。

踏切と元「銀座線」車両
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 地下鉄車両が踏切を渡るという、かなり珍しい画像。ですが、元の路線である「銀座線」にも「上野」の車庫に出入りする区間に踏切があるため、光景を継承しています。

【動画】『新幹線を間借りした鉄道 その8(終) -「えちぜん鉄道」の間借り【後編】-』

 新幹線を間借りした鉄道シリーズの最終回をようやくうpしました。最近サボり気味だったので3か月ぶりの投稿です。




 内容は、「えちぜん鉄道」の間借りの様子を空中写真や地表踏査で解説していくものです。ほぼ以前の調査(「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借りを参照)を動画化したものです。


原作
『「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借り その1 全体を俯瞰』
『「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借り その2 「福井駅」』
『「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借り その3 「福井」~「新福井」』
『「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借り その4 「新福井」~「福井口」(線路上)』
『「えちぜん鉄道」の「北陸新幹線」間借り その5 「新福井」~「福井口」(線路下)』

次回予定
『鉄道登山学 その12 「九州新幹線」の35‰』

 約1年ぶりの登山学シリーズです。今から原稿を書いていくので、うpは結構遅れそうです。現行の長さ次第では前編後編に分かれるかもしれません。

「熊本」の鉄道 その1 車両

 「熊本」市内にはJR路線のほかに路面電車や「熊本電気鉄道」の路線が通っています。市内を巡って撮影した写真をうpしていきます。

「熊本市電」
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 「熊本」市内には、2系統の路面電車が通っています。軌間は新幹線と同じ1435mmでかなり広く、場所によっては運行密度が4分に1本とかなり高いのが特徴です。ほかの都市と同じく、最近では近代車両の進出が著しいため新旧の車両が入り混じっています。

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 また、路盤が芝生化されている場所もあります。

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 「熊本駅」前では、線路が歩道橋の橋脚を避けるように曲がりくねっています。

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 「富山」や「広島」などでも見られましたが、ここにも2両編成の近代車両が走っています。

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 「上熊本駅前」には車両基地が併設されています。そこにシーサスポイントがありました。軌間が広いため、交差部分が線路間とかなり近づいています。

「あんたがったどこさ」の場所
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 「日本人」の大半が知っているはずの有名な地名です。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
 「ブラタモリ」でやっていましたが、「船場山」は現在はありません。かつてあったこの橋を通る川の土塁が「船場山」らしいです。

「上熊本駅」
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 「上熊本」駅は平成27年(2015年)3月14日に改築されたため、かなり新しいです。ホームとホーム屋根はあの「水戸岡鋭治」がデザインをしています。床や屋根に木材がふんだんに使われています。

「熊本電気鉄道」
 この路線は、(特に「東京」の)中古車両の宝庫です。

「01形」(元「東京メトロ銀座線」の「01系」)
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 今年の3月12日に「銀座線」から引退する「銀座線」車両が、平成27年(2015年)2月21日からここで活躍しています。「銀座線」の軌間は1435mmで「熊本電気鉄道」の軌間は1067mmのため、台車をはじめとする改造はかなりの手間がかかっています。地方鉄道は経営状況によって価格の安い中古車両の導入が盛んですが、近年では大都市の鉄道車両の大型化で地方鉄道間での中古´中型車両´の争奪戦が激しくなっています。そこで、地下鉄の中古車両の導入にも至っています。

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 ホームと車両の隙間を埋めるために、「銀座線」時代にはなかったステップが取り付けられています。

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 車両の内装は、「銀座線」時代とほとんど変わっていません。

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 運転台もほとんど変わっていません。こういう中古車両は改造点を最小限に抑えていることが多いです。

「6000形」(元「都営三田線」の「6000形」)
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 かつて都営三田線」で活躍していた「6000形」です。5編成を譲り受け、製造されてから46~49年経過したかなりのベテラン車両です。

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 内装、運転席もどこか昭和の香りがします。

「北熊本駅」
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 「東京」現役時代はおろか、博物館でさえも決してみることのできない、「銀座線」車両と「三田線」車両のツーショットです(両社は経営会社が違うので、博物館同時展示はほぼあり得ない)。

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 構内の車両基地には、他の路線の中古車両(現役引退もある)がずらりと並んでいます。
左から元「南海電気鉄道」の「22000系」(「22000形」)、「青ガエル」と呼ばれた元「東京急行電鉄」の「5000系」(「5000形」)、更に歴史の長い「モハ71形」です。

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 「5000形」は、昭和60年(1985年)に「東急」から譲り受け、平成28年(2016年)2月14日の引退まで31年間も活躍していました。一時期は、「ケロロ軍曹」ラッピングがされるという、ネット上で盛り上がる規格が実行されました(作者の「吉崎観音」が「熊本」出身だから)。

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 「モハ71形」は、今から64年も前の昭和53年(1953年)に廃車となりその1~4年後に「熊本電気鉄道」に譲渡された歴史ある車両です。現在も「5000形」と同じく動態保存され、工場内での車両入れ替え役として活躍しています。

現在の「熊本城」

 「熊本」へ行ってきたので、現在の「熊本城」の様子を見てきました。
 テレビや新聞ネットで何度も報じられている、「熊本地震」の被害を受けた「熊本城」ですが、現地で見てみると、その被害の大きさがより実感できます。

 大きめの地震では、城の損傷は大規模なものが2~3か所あるというイメージですが、「熊本城」の場合はその大規模な損傷・崩壊が見えただけで数十か所(実際はもっと多いはず)あるということです。「天守閣」の復興は最優先工事で3年、城郭全体の復旧に20年以上、600億円以上かかるのがうなずけます。
 地震から9か月が経過していますが、見た目では、復旧工事のスタートラインに立っている状態です。

「熊本城」被災の特徴印象
① 大規模崩落が外から見えただけで数十個所ある
② (当たり前だが)町やライフラインの復興がまだまだこれからも優先
③ 城郭修復の専門業者が少ない


 現在の「熊本城」は、「二の丸広場」などの外側から様子を見ることができます。内堀より内側、「天守閣」などは今も立ち入り禁止です。

「馬具櫓」
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 石垣が崩れて内側の中詰め石ごと崩落し、上部の櫓が沈下しています。このような形の被害が、他にも多く見受けられました。

「二の丸広場」からみた城内
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 ここから先、「天守閣」側は立ち入り禁止です。

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 奥には崩落した石垣が今も散乱しています。

「二の丸広場」
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 立ち入り禁止の柵が、いたるところに張り巡らされています。柵の内側は崩落で危険な個所であったり、写真のように復旧工事の基地にもなっています。

「二の丸駐車場」
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 こうした観光用に使われるであろう建物前にも、工事に使うカラーコーン類が山高く積まれています。

「未申櫓」
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 櫓のとなりの石垣が完全に崩落しています。ここの復旧、崩落対策工事だけでも数年はかかりそうです。

「西出丸」の長壁
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 長壁も全体が潰れています。

「西大手門」
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 約100m遠方から撮影(門手前の広場は前面が立ち入り禁止)。建屋の下が完全に崩れ去っています。角の算木積をしている部分は基本強度が高いため、かろうじて残っています。そこで上のひずんでいる建屋をどうにか支えています。


「戌亥櫓」と石垣
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 こちらの石垣も全体が崩落しています。

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 石垣の崩壊は、間近ではこう見えます。

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 櫓の土台部も中抜け崩壊しています。ここも角の石垣で建屋を支えています。上の櫓には、土台崩落による歪が見られます。

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「宇土櫓」
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 櫓となりの長壁が崩落しています。遠目から見て櫓やその下の石垣は大きく損傷していないようです。

「加藤神社」への通路
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 一般人が通れる通路は、大型土嚢で補強してあります。

「不開門」付近
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 石垣だけでなく、中の地山の崩落も激しいです。かなり深い場所までえぐれています。一部は吹き付けモルタルで補強されています。

「天守閣」
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 ニュースでよく映された「天守閣」です。ここからは「天守閣」や櫓がきれいに並んでいるのが見えますが、崩落が痛々しいです。

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 「大天守」と「小天守」です。「小天守」の下の石垣が崩落して建屋と隙間ができています。石垣自体の崩落がまだ他と比べて少ないのは、「天守閣」が大きく重いため、石垣が地震動でばらけるのをそこそこ抑止されたからでしょうか?ただ、外目ではわからない反対側は一部が崩落しています。
 いずれにしても復旧には相当な手間がかかるのは明らかです。

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 「天守閣」の屋根瓦も、当時の報道のまま、剥がれ落ちていました。建屋の方は無事なのでしょうか?
 報道では城郭全体の中で一番優先して3年で復旧させる見込みです。

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 地元の小学生たちが作成したペットボトルによる「天守閣」です。

新幹線車両が全力を出した時の最高速度

 乗り物には、「設計最高速度」という、全力運転をした時に出せる理論上の最高速度があります。単純に言えば(厳密に言えば微妙に違うが)、鉄道の場合は、水平なところでの全力最高速度(均衡速度ともいう)です。そして、実際の営業運転では、そこまでのスピードを出した運転をしません。これは。最高180km/hとかで走れる車が本当に一般道を180km/hで走ると色々な意味でやばいのと同じです。
 新幹線では各路線、各車両で最高速度が定められていますが、これらが全力を出したらどうなるのか、比較してみます。

 ここでいう全力とは、水平時の均衡速度だったり、設計最高速度だったりと、車両によって定義は違います。あくまで適当に調べたので。

0系 「東海道・山陽新幹線」
実際:220km/h 全力:235km/h

100系 「東海道・山陽新幹線」
実際:230km/h 全力:276~289km/h

200系 「東北・上越・北陸新幹線」
実際:240km/h 全力:250km/h、下り坂利用で275km/h

300系 「東海道・山陽新幹線」
実際:270km/h 全力:296~325km/h

500系 「東海道・山陽新幹線」
実際:300km/h 水平全力:365km/h

700系 「東海道・山陽新幹線」
実際:285km/h 全力:340km/h

N700系 「東海道・山陽新幹線」
実際:300km/h 全力:少なくとも330m/hは可能

E2系 「東北・上越・北陸新幹線」
実際:260~275km/h 全力:315km/h

E5系 「東北・上越新幹線」
実際:320km/h 3‰上り全力:360km/h


 こうしてみると、「100系」は全力を出せば、今の「東海道新幹線」の「のぞみ」並みに出せるようです。

 「200系」は、歴代車両の中で、もっともスペック以上の運転をできた列車でしょう。

 逆に「500系」は、「E5系」が320㎞/m運転をする15年近くも前に320km/m営業運転を目指し、かなり現実的になりましたが、「兵庫県南部地震」後の安全基準変化や騒音問題で実現しませんでした。

 現在最速の「E5系」は、やろうと思えば夢の360km/h運転をできるようです。ただし、その運転ができる区間は、どこまであるのでしょうか?

 各車両が全力運転をしたらどこまで時間を短縮できるのか、考えるのも楽しそうです。

かつて世界で一番ホームが離れていた「新三郷駅」

「武蔵野線」の「新三郷駅」は、かつて世界で一番ホームが離れていた駅としてギネスブックに登録されていたことがありました。

「新三郷駅」:昭和60年(1985年)3月14日開業
かつての上下線ホーム間距離:360m
ギネス記録期間:昭和60年(1985年)3月14日~平成11年(1999年)3月20日


Aerophotograph_Shinmisato_Sta_Musashino_Yard_1989_cap.jpg
(Wikipediaより)
 ホーム間が離れていた時代の空中写真です。上下線間には「武蔵野操車場」の跡地があり、本線はそれを挟むように上下線分かれていたため、このような形になりました。平成11年(1997年)3月20日に、両線が下り線側に統合され、このギネス記録は終わりました。

こうなっていた理由
①「武蔵野線」はもともと貨物専用線だったため
 今では通勤路線と化している「武蔵野線」ですが、どちらかといえば貨物列車のために造られた貨物専用路線でした。造った目的は、貨物列車の都心部迂回です。その後沿線人口の増加で旅客列車が増発されていきましたが、今でも貨物列車は通ります。
 そして「新三郷駅」の場所には操車場とよばれる、広大な貨車置き場がありました。
 「武蔵野操車場」は、操車場としては最新式でかつ、「日本」最大の規模でした(全長5.2㎞、幅350m)。しかし、国鉄の経営悪化による貨物運用方針の変更で、僅か10年でその役目を終えました。

②「新三郷駅」はあとから造られた新駅だった
 「武蔵野線」が全線開業したのは昭和53年(1978年)ですが、「新三郷駅」が開業したのはその7年後の昭和60年(1985年)です。ちょうど「武蔵野操車場」にあたる場所に完全に後付でつくられたため、こんな構造になりました。


 現在ではその操車場跡地で再開発が行われ、「新三郷駅」も、どこにでもあるような普通の駅になっています。

「ニューヨーク」の地下鉄には地下ジャンクションが多い

 前回大雑把に紹介した「ニューヨーク」の地下鉄の地下部分配線を詳しくだらだら語っていきます。

 路線名や駅名まで語るのは面倒なので、とにかく配線のみです。

「マンハッタン島」南部
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 4複線区間です。複々線が2段構造となり、4複線(8線)の巨大駅になっています。しかも、路線同士が短絡線でつながっています。

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 真ん中の複々線路線が、3方向に分かれ、そのうち1本は別路線と繋がっています。

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 駅の端に、列車を折り返させるための半ループ線がつけられています。しかも、ループ線上にも独自のプラットホームがあります。

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 2路線共有の折り返し半ループ線もあります。折り返し線は複線になり、しかも互いの路線を行き来できるよう短絡線がつけられています。

「マンハッタン島」北部
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 3線区間で、内側の線路と外側の線路がわざわざ立体交差で入れ替わっています。

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 複々線と3線が2段式で重なり、駅を介して合流しています。ものすごく複雑な配線です。しかも、複々線の方は近くまで複線2段式のため、立体図にすると相当カオスでしょう。

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 右側の路線は、複線2段式でホームも2段式になっています。各駅停車と急行の並走が見られるであろう路線です。
 左側の路線は、3線と複線が合流して複々線になっています。

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 前の図の2段式区間では、留置線も同じ位置に2段式となっています。その後、平面複々線に戻ります。

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 複線2段式の複々線区間ですが、なにやら線路の位置が入れ替わったりして非常にカオスになっています。どこかに説明書があるといいのですが。

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 複線が2つの複線に分かれ、複々線が複線と3線に分かれ、それが互いに短絡線で結ばれています。

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 ここでもそれぞれの複々線が2段式になっています。途中駅で片線が行き止まりとなり複線になっています。

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 もはや、どこから語ってよいやらわからないカオスです。
 左側の複々線の青路線が2方向から空ぞれ別の路線に分岐、連絡しています。連絡しているオレンジ線も3方向に分かれて青色路線に繋がっています。真ん中の黄色路線の分岐や複々線駅の立体交差が見劣りするのがすごいです。

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 右の緑色路線と赤色路線に真ん中の茶色路線が繋がっていますが、互いにはつながっていないようです。

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 幅約4㎞の「マンハッタン島」内に、5本の複々線、計20本もの線路が並走しています。平均複々線間隔は1km以下ということです。この辺りは急行の停まる主要駅が多いためか?両渡り線や留置線が多発し、平面配線もカオスになっています。

「ブルックリン区」
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 真ん中の黄色路線は、複々線と複線が合流して3複線駅になっています。更に短絡線が設けられ立体的にもカオスです。その左側では、互いの線路の位置が入れ替わるために立体交差をしています。
 下側の緑色・赤色路線の複々線をまたぐように大規模な両渡り線がつけられています。
 その下側では、三角線が3種の路線を結び、さらに別の路線が合流して右側では3複線になっています。

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 こちらにも3複線区間があります。しかも、駅のプラットホーム位置が路線によって異なり、赤色路線のホームが内側の複々線をまたいでいます。
 その左では、赤色路線と緑色路線が分岐し、その後で複線2段式の複々線と複線に分かれています。

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  複々線のため、車庫につながる分岐線も一層豪華になっています。

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 複々線のうち急行線がショートカットをしています。下側の駅では留置線が設置されていますが、複々線なぶん、通常の2倍の数です。


「クイーンズ区」
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 ここもどう説明していいやらわからなくなるカオス地帯です。右上の青色・黄色路線が合流して、途中でオレンジ色路線が分岐し、その次の駅で3方向の複線に分かれています。黄色路線は別の路線に合流する短絡線と化しています。

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 ここにも、ショートカットをしている急行線がありました。

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 車庫につながる短絡線が2方向から通っているため、地下の立体三角線となっています。車庫の左側の区間は1つ手前の駅から短絡戦が分岐するため、3複線区間となっています。右下では青色路線が別の路線と二段式関係になっています。

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 車庫多発地帯です。特に左側では、灰色路線と茶色路線が短絡線で結ばれ、近くの車庫にも茶色路線が2方向から立体で分岐し、近くに青色路線が複々線で接近しているため、わけがわからなくなっています。

「ニューヨーク」の地下鉄には地下複々線が多い

 大都会の地下を走る地下鉄は、そのほとんどが複線です。
 とくに「東京」や「大阪」などの地下鉄路線が多い場所、地方大都市の地下鉄路線分岐点ではごく一部が複々線となっているのが普通です。
 それは、地上のように複々線や3複線以上の設備を地下に入れるのは莫大な手間がかかり、既存の地下構造物を避けづらくなるためで、「日本」のみならず世界中の大都市の地下鉄が複線(もしくは単線)主体です。

 そんな中で異彩を放っているのが「ニューヨーク」の地下鉄です。

 「ニューヨーク」の地下鉄は、特に中心部の「マンハッタン島」を通る路線はその大部分が複々線以上となっています。

ニューヨークの地下鉄 線数

 Wikipediaに載っていた「ニューヨーク」の地下鉄路線図です。
 この図では、各路線の線路数を色分けしています。右側の図は、地下部分のみを抜粋したものです。(図中の番号は、以下の拡大配線図です)
 図を見ると、赤色線で示す複々線区間が「マンハッタン島」内部では多くを占めているのがわかります。
 おまけに、「マンハッタン島」ではほとんどが地下区間です。
 さらには、3複線、4複線区間もごく一部に見られます。


「ニューヨーク」の地下鉄配線図(地下部のみ抜粋)
http://www.nycsubway.org/wiki/New_York_City_Subway_Track_Mapsより)

 英語サイト(上述参照)ですが、「ニューヨーク」の地下鉄の全線配線図を挙げたサイトから、詳細な配線を見ることができます。

①「マンハッタン島」南側
①

②「マンハッタン島」北側
②

③「ブルックリン区」
③

④「クイーンズ区」
④

 細かい説明は次回に回すので略します。これ全部、地下の配線図です。

  「東京」の地下鉄でいう、「銀座線」と「半蔵門線」の「赤坂見附・永田町」~「表参道」、「有楽町線」と「副都心線」と「西部」が合流する「小竹向原」などの、カオス配線が「ニューヨーク」の地下鉄ではそこら中にあるということです。

複々線や3線が多いのは、急行運転をするため
 「ニューヨーク」の地下鉄で複々線が多いのは、急行運転をするためです。「日本」で例えれば「京阪」や「中央本線」の複々線区間のようで、鈍行列車と速達列車を線路別にしています。配線図でいう中央に近いところを急行が走行します。
 3線区間では、ラッシュ時に利用者の多い方向へ急行が運転されています。
 無論、それだけ運転本数を増やす必要からも、複々線を採用しています。

「大佐渡」巡り

 「佐渡島」は北側に「大佐渡」と呼ばれる山地、南側に「小佐渡」と呼ばれる山地が中央の平野(海抜30m以下で東西の海岸を繋いでいる)を介して分布します。
 「大佐渡」は海抜1172mの「金北山」をはじめとする1000m級の山々からなる大規模な山地で結構いろいろな景色を見ることができます。

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 平野部からみた「大佐渡」です。「佐渡島」はよく小さい島という偏見を持たれていますが、面積は「日本」にある島6000以上のうち8位で「沖縄本島」に次ぐ広さ(854k㎥)で、海岸線の長さは267㎞と、「上越新幹線」に匹敵します。

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 山腹から「佐渡金山」方面を俯瞰。真ん中に「佐渡金山」のシンボルである「道遊の割戸」が見えます。改めてみると、異様な地形です。

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 湾越しに「小佐渡」や「小木」方面が見渡せます。写真奥の先まですべて「佐渡島」です。こうしてみると、大きな島です。

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 「大佐渡」は標高1000m級の高い山でその北側には遮るものが何もなく「日本海」に面しているため、戦後から航空自衛隊や米軍のレーダーサイトが山頂付近に建てられました。かつては「金北山」(1172m)、現在は最新クラスのものが隣の「妙見山」(1042m)に建てられています。北側の監視をするのには絶好の場所です。平野からもよく見えます。

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 かなり高い場所から「日本海」を俯瞰。雲で先がよく見えませんが、ここから大陸まで大海原です。

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 紅葉が進んできました。

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 「金北山」のレーダーサイト?です。これは、前代の設備でしょうか?

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 こちらは最新クラスの「J/FPS-5」です。「中国」、「朝鮮半島」、「ロシア」に面する場所のため、かなり大掛かりなものが採用されています。建物全体が回転し、向けたい方向へレーダー全体を向けることができます。その姿から、「ガメラレーダー」と呼ばれています。

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 2つのレーダーはこのような位置関係です。

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 展望台から平野を俯瞰。

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 「佐渡空港」が見えます。滑走路の長さは800mで、使える航空機は限られています。

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 「両津湾」とそこに位置する「両津港」です。「新潟」と行き来するフェリーの拠点港です。

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  「加茂湖」です。「日本」の離島で最大の湖(面積4.85km2)。「浜名湖」と同じく汽水湖です。

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 レーダーに通じる道は封鎖され、監視カメラもちゃんとついています。

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 標高500m付近の山腹には、航空自衛隊の基地がありました。

【動画】『新幹線を間借りした鉄道 その7 -「えちぜん鉄道」の間借り【前編】-』

 新幹線を間借りした鉄道シリーズの最後に、建設中の「北陸新幹線」の高架橋を間借りしている「えちぜん鉄道」を紹介します。前編後編の2動画を予定し、今回の前編では間借りに至った経緯を紹介します。

 今までの間借りと比べて「福井県」の新幹線にかけるたくらみがかなり絡んでいる場所となっています。


 

間借りシリーズを始めた時、このネタをあげるとは考えてもいませんでした。
不覚にも現役バリバリである、この「えちぜん鉄道」の間借りを知らなかったからです。

この間借りを知ったのは、間借りシリーズ第1作目をうpした直後(今からちょうど1年前)で、当時は補足として5~6分でちょこっと紹介するだけの予定でしたが、結局前編後編で25分近くになりそうです。それほどネタに満ちた間借りでもあります。


次回
『新幹線を間借りした鉄道 その8(終) -「えちぜん鉄道」の間借り【後編】-』

 次回は、空中写真と現地調査を紹介します。以前ブログで挙げたネタ通りに進めていきます。

日帰り「佐渡金山」の旅 その10 「大切山抗」見学【後編】

 「大切山坑」へ潜入です。

 「大切山坑」は、観光用坑道とは一線を画す探検坑道で、照明や柵などはほぼ整備されないありのままの坑道を見られるマニアックな坑です。おまけに照明設備もないため、真の暗闇も体感できます。

 坑道はほぼ素掘りのトンネル状になっていますが、「佐渡島」自体が非常に頑丈な火山性の岩石から構成されるため、坑道周辺の岩盤も非常に堅く、鉱山でよく言われる落盤事故はほとんど起きないためです。

 「佐渡金山」の観光用坑道は(特に「宗太夫坑」)、木の枠組みがかなり組まれていますが、あれは念には念を入れた安全設備+観光用の見せかけだそうです。

「大切山抗」は、「兵庫県」にある「明延鉱山」の見学ツアーのミニバージョンともいえるでしょう。

↓「明延鉱山」についてはこちらを参照
「明延鉱山」 その1 当時のままの坑道
「明延鉱山」 その2 当時のままの設備・機械
「明延鉱山」 その3 外の展示物


本題に入ります。
 「大切山坑」最大の特徴は、2本の坑道が数m間隔で並行していることです。

 これは、互いの坑道を切羽付近で繋げて空気を自然循環させるという、昔ながらの知恵から生まれたものです。

 現在では、ダイナマイトや機械による=破壊力のある掘削をしているため、坑道間には10m以上のスペースを設けねばならず、この2本の並行坑道は現代の鉱山では決してみられない貴重なものです。


 近代に入り、このうち1本の坑道がトロッコ列車や機械を通すために断面を拡幅されているため、洞内では江戸時代の狭い坑道と近代の広くて水平な坑道を2本同時に見ることができます。

坑道
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 入り口付近は、役人が馬に乗ったまま通れるよう、広めになっています。

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 少し進むと、人がぎりぎり立って歩ける高さに下がります。この状態で数百m進みます。

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 坑道内には、コンプレッサーから先端の機械に送られる、圧縮空気を輸送する鉄管が転がっています。

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 坑道内の床は若干かまぼこ上に凸凹です。これは、トロッコ列車用に敷いた枕木の跡です。排水路はなぜか進行方向左側に造るルールがあるそうです。

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 鉱脈が見つかったところはこのように脈に沿って細長く掘られています。脈は右斜め上に急傾斜していたのでしょう。この脈はおそらく小規模でしたが、人間の欲望通りに根こそぎ掘りつくされている感があります。

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 坑道内には蝙蝠も生息しています。蝙蝠は、逆さにぶら下がって昼は爆睡しています。このように触っても起きません。少し触れるくらいでは、しっかり踏ん張っています。ときどき超迷惑そうに身を縮こまらせるところが、人間と同じ動物らしいです。

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 石英脈が走っています。金銀は石英脈の真ん中に見える黒い縞状の層に含まれています。この脈はおそらく小規模で品位が低いものでしょう。ガイドさんいわく、高品位で採算の合う脈は、雲母のように光り輝いています。


壁の特徴
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 江戸時代の掘削の跡です。人の手でたがねやノミを使って掘っているため、細かく凸凹です。

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 近代に掘られた行動の壁は、比較的平滑で削岩機の跡がついています。


隣を繋ぐ横穴
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 隣の坑道と繋がっている換気用横穴です。この換気用孔は、切羽付近に造られ、掘削が進んだら埋め戻されてまた次の切羽に新しく横穴が掘られます。横穴は常に切羽付近のみに空くようにしています。これは、空気に循環を切羽前方にまで行きわたらせるためです。

奥のシュリンケージ
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 このコースで一番奥にあるシュリンケージです。入口から250mあたりで、鉱山全体から見ればまだまだ序の口です。シュリンケージは、脈に沿って掘られた大規模な空洞です。この辺りは、明治時代以降の近代技術で大規模に採掘されています。もしかしたら、下のズリの中に金銀が含まれている石が残っているかもしれませんが、こういう鉱山ではそれらの残り物も根こそぎ取りつくすそうです。

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 こちらの設備は、上の穴から鉱石を落として回収するものです。上の穴で採った石をトロッコ列車が通る坑道に回収する仕組みです。

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 金銀が含まれていそうな脈がありました。これも品位が悪い層で、回収されずに残っています。

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 この大量の木のがれきは、トロッコです。下に錆びた車輪が見えます。

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 シュリンケージ付近には、線路もちゃんと残っていました。線路は坑道廃棄の際に撤去されるのが普通ですが、奥の方は面倒でそのままなのでしょうか。

並行坑道がよくわかる場所
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 並行している2本の坑道が極端に近づいて繋がっている場所です。2枚の写真は同じ場所からそれぞれ反対側を撮ったものです。
狭い坑道が江戸時代に掘られたもの
広めの坑道が明治以降に拡幅されたものです。

 近づき具合が半端ないです。この状態で200m以上も続いています。


坑道クロス地点
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 写真は同じ場所から両側を撮影しています。互いの坑道の右左が入れ替わっているのがわかります。 
 この場所は、江戸時代断面の坑道と明治時代断面の坑道がクロスして位置が入れ替わっている場所です。
 この坑道が掘られた江戸時代には、2本とも交わらず並行していましたが、トロッコを通すために拡幅したら、掘りやすかったためか?この位置でクロスすることになりました。

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 どこで見ても、江戸時代の狸彫りの狭さは半端ないです。

案内ガイドと「タモリ」
 少し前に「ブラタモリ」の撮影で「タモリ」が「佐渡金山」に来ていましたが、ガイドも「タモリ」と握手したそうです。ガイド自身は『「タモリ」には、この「大切山坑」や「南沢疎水坑」のようなマニアックで深い場所も見てほしかった』と言われていました。
 確かに、メインの観光坑道よりも、こういうところの方が「タモリ」に向いていそうです。


「佐渡金山」の世界遺産化について…
最後に、「佐渡金山」は世界遺産登録を目指しています。世界遺産になると知名度が飛躍的に上がり、観光客も増大して地域の活性化に役立ちますが、世界遺産になるが故の残念な点もあります。

それは

世界遺産登録後は「大切山坑」のようなマニアックな坑道が見学できなくなる可能性が高い。

 このマニアックな坑道の探検は、安全関連の法律上から厳格に考えると、どうしても若干グレーになります。言葉は悪いですが、地方だからこそできるツアーでもあります。
 数年前は「南沢疎水坑」という、「日本」トップクラスの江戸時代に掘られた排水路がガイドツアーで見学できましたが、現役稼働中の排水路のため、法律面やお役所上の手続きが面倒になり、誠に残念ながら現在はやっていません。やってたら間違いなくいきました。

 世界遺産登録がされると「ユネスコ」関係者からこれらのマニアックな坑道探検ツアーの安全対策やら法律やら、増大する観光客への対応やらの細かいご指摘が良くも悪くも貫入してくるため、登録=一般者の立ち入り禁止がなされる方向になりそうです。
 ガイドの方も進言していましたが、世界遺産に登録される前のすいているこの時が、これらの坑道を見る最後のチャンスになりそうです。




参照
日帰り「佐渡金山」の旅 その1 丑三つ時の出発
日帰り「佐渡金山」の旅 その2 とりあえず歩いた
日帰り「佐渡金山」の旅 その3 「宗太夫坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その5 「道遊の割戸」
日帰り「佐渡金山」の旅 その6 様々な展示物
日帰り「佐渡金山」の旅 その7 金山をあとに
日帰り「佐渡金山」の旅 その8 「ジェットフォイル」
日帰り「佐渡金山」の旅 その9 「大切山抗」見学【前編】



日帰り「佐渡金山」の旅 その9 「大切山抗」見学【前編】

 6年ぶりに「佐渡金山」へ行ってきました。一応日帰りで行っているので、6年前のシリーズと同じ題名で続きとします。

 現在、「佐渡金山」では、ヘルメットと長靴懐中電灯をもってガイドの案内により「大切山坑」を見学できます。今回は、そのツアーの報告です。

「大切山坑」
概要
 江戸時代初期に山師・味方与次右衛門が、「この先に必ずや金脈があるはずだ!」との信念で地上から400mもの距離を1633年ころから14年かけて掘り進んだ坑道。そのかいあって1647年に大鉱脈を発見。

特徴
 2本の坑道が数m並行している。目的は2本の坑道を先端で繋げて換気をするため。現在では江戸時代の小さい坑道と近代の大きい坑道が並行している。コンプレッサーによる換気とダイナマイトによる掘削がおこなわれる現代では決してみられない非常に貴重な坑道。

 「大切山坑」を見る前に、近くの景色を紹介します。

山側からの「道遊の割戸」

 「佐渡金山」のシンボルであり、「ブラタモリ」で「タモリ」が「人間の欲望は凄い」と唸っていた、「道遊の割戸」を、普段の観光本で写されている海側と逆から見てみます。
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 山側から見ると、山を掘った感が広々とみることができます。こちらの方は遮蔽物が少なく近くからも見られ、手前の掘削跡が崖状態になっているため、スケールが大きいです。

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 拡大すると、山肌に坑道の跡(恐らく江戸時代)や、割戸の崖感じがよく見えます。


トキの森公園
 割戸の下、手前には土砂が大量に堆積しています。おそらく割戸沿いに掘り進んだ時にでたズリでしょう。

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 そして山肌。坑道孔がそこら中に見られます。山上の方は江戸時代に掘られた坑です。割戸横にも欲望のままに詮索を続けたのでしょう。

「大立堅坑」
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 「大立竪坑」は、明治8(1875)年に開削された日本初の西洋式立坑(垂直坑道)です。ここは、「佐渡金山」の鉱脈群(東西約3km、南北約600m)のほぼ中央に位置し、平成元(1989)年の採掘中止の時まで大動脈として使用され続けました。最終深度は352mと、「東京タワー」を上回ります。

DSCN0972.jpg
 この鉄製やぐらは、昭和13(1938)年の金の大増産期に建設されました。

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 やぐらを間近で見られる場所です。これ以上は立ち入り禁止で近づけませんでした。すぐ隣に封鎖されている坑道が見えます。
 
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 近くにも封鎖されている入口がちらほらとあります。

「無名異坑」(平成29年春から見学可能)
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 江戸時代の採掘状態を見学できる「宗太夫坑」の近くにある坑道です。佐渡特産の「無名異焼」の原料となる赤い岩石の採掘が行われ、明治以降金鉱脈を発見し昭和中期あたりまで試削が続けられました。この坑道は、30分かけてガイドの案内により懐中電灯を使って探検するようです。

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 中をのぞいてみると、江戸時代の形であろう狭く曲がりくねっている坑道が続いています。もし開いていたらこのツアーにも間違いなく行っていただけに惜しいです。

大佐渡 (1)
 近くに「宗太夫坑」のルート上にある人形が展示してありました。

「大切山抗」入口
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 今回の見学坑道の入り口です。周りにある封鎖坑道と見た目は同じ=普通の観光坑道よりもリアルなありのままの坑道跡ということです。

 次回はその内部を紹介します。

あと、江戸時代と近代の坑道の特徴をさらっと。

江戸時代の坑道
・狭い(人が通れればそれでよい)
・曲がりくねっている(人が通れればそれでよい)
・傾斜が急(人力で最短距離を行き来するため)
・坑口が山の中腹にボコボコ見える(傾斜が急なため)


近代の坑道
・広い(トロッコ列車や銃器を通すため)
・直線が多い(トロッコ列車や重機を通すため)
・水平緩やか(トロッコ列車や重機を通すため)
・坑口が山の麓に多い(坑道が水平で鉱石を通洞に落とすため)
・でっかい竪坑が多い(より深いところに効率よく行き来するため)

 

参照
日帰り「佐渡金山」の旅 その1 丑三つ時の出発

日帰り「佐渡金山」の旅 その2 とりあえず歩いた
日帰り「佐渡金山」の旅 その3 「宗太夫坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その5 「道遊の割戸」
日帰り「佐渡金山」の旅 その6 様々な展示物
日帰り「佐渡金山」の旅 その7 金山をあとに
日帰り「佐渡金山」の旅 その8 「ジェットフォイル」

トキの森公園

 再び「佐渡島」へ行ってきたため、寄ったところをこれから挙げていきます。まずは「トキの森公園」です。
 「トキの森公園」は、トキの資料館や飼育関連の施設(佐渡トキ保護センターとは別)があり、トキを間近で見ることができます。

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 こちらは、10年以上前にニュースでよく取り上げられていた「ミドリ」と「キン」のはく製です。トキは間近で見ると、目が無表情で鳩みたいです。イラストでは目に表情が出ているため本物が無機質っぽいです。
 イラストのトキは「アンパンマン」で、本物のトキは「アンパンマン号」といったところでしょうか。

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 こちらは「ミドリ」と「キン」の骨格です。

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 トキの羽です。トキの羽の内側は「トキ色」と呼ばれる淡いピンクがかった色をしています。

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 トキには赤色頭だけでなく黒色頭や全身が黒い種など、派生がいくつかあります。こちらは外国でよく見られるそうです。

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20m離れた場所から飼育小屋を見ることができます。トキは警戒心が強いため、離れた音の聞こえにくい場所からの閲覧になります。

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 敷地内にはトキふれあいプラザがあり、より近い場所から防音ガラス越しにトキを見ることができます。

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 運が良ければ飼育域内のトキをガラス越しに本当に目の前に拝むことができます。
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