「ニコニコ超会議2017」へ行ってきた

 2日目に行ってきました。

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 会場内です。

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 「進撃の巨人」の巨大イベントも行われていました。

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 自衛隊ブースには、「御岳山」噴火時にも出動した「89式装甲戦闘車」が展示されていました。

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 レゴで「初音ミク」が造られていました。

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 数年前からイベントに出ている「自宅警備隊」がいました。ついにブースまで構えだしました。

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 「笑点」のブースでは座布団積み選手権が開かれ、そこに「小林幸子」、「林家木久扇」、「山田隆夫」が来場していました。

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 段ボールで作品を造る人も来ていました。ニコ動ではかなり有名な方です。戦車はラジコン式で動きます。輸送がかなり大変そうです。

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 アニメ関連のポスター発表もありました。よくここまで分析するなあと思います。顔分析は緻密すぎて細かくわからないです。
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動画のうpについて、現在の心境

 鉄道をネタにした動画を初うpしてから6年、定期的なうpをし始めてから4年がたとうとしていますが、最初の頃はまさかここまでうpし続けるとは金輪際考えていませんでした。

 鉄道のネタ解説動画は、ニコニコ動画に数千は投稿され、ほかの動画とネタが被らない+自分が興味ある(=うpしたい)都合のいいネタは、ほとんどないだろうと考えていたからです。

ただ、探してみたら意外にもまだ(恐らく)開拓されていないであろうネタがかなりあり、気が付いたら結構な数をうpできました。扱っているネタが鉄道の中でも比較的マイナーなせいでもありますが。
 現在は『新幹線を間借りした鉄道シリーズ』と『鉄道登山学シリーズ』を続けていますが、今の作成状況や心境を一言で表せば以下のようになります。

ネタはあるが、いつまで続けられるかわからない

理由1:動画作成は結構手間なため
 動画の内容自体はこのブログの記事10本以上、作成の手間はブログ1記事の50~100倍以上はかかっている気分です。家にいる時間にテレビを見ながら、ほかの人で例えたらだらだら晩酌やテレビゲームをする気分で造っているためでもありますが、1本につき1~3か月はかかります。
 余計なネタの詰込みをやめたり、画像や解説構成の質を落とせばペースは2~3倍速くなりそうですが、いまさら引っ込みがつかなくなりました。
 今の生活スタイルや状況が変わって、のんびりだらだら造る余地がこれからいつまで続くかわからない、あるいはある日突然造る気がなくなる可能性もあります。現に何らかの事情で投稿が途絶えたうp主はたくさんいますからね…。

理由2:『鉄道登山学シリーズ』の構想動画数が多すぎ
 『鉄道登山学シリーズ』は、最初は3本でサクサクやろうなどと考えていましたが、色々よくばった結果、すでに11本目に入りました。設計変更の極端さと計画性のなさに驚いています。鉄道と勾配ネタはあまりにも数が多いため、事例を絞って作成しても、あと20本以上は投稿したくなります。時がたつにつれ1つのネタを扱うにおいて、作成動画数や動画の時間が長くなる癖があるので、もっと増えるかもです。
 今のペースでやり遂げるとしても、あと3~5年はかかります。果たしてそこまで続けているか全くわかりません。

取りあえずの予定
『新幹線を間借りした鉄道シリーズ』は、後2本ほどで完結させる予定です。これは残りあと2本の原稿がそこそこ書きあがり(修正は色々あるが)ゴールが見えているので、よほどのことがなければうpするようやっていきます。

それが終わったら次に、『鉄道登山学シリーズ』の続きに取り掛かるつもりです。こちらも新幹線編があと2~3本で終わりそうなので、せめてそこまで行ければ今は御の字です。

それ以後の続きは全く見えません。今のところは、この2シリーズを上述のところまで行けたらなあという気持ちで、今後のことは、その時になってから考えたいと思います。

飛行機から撮影

最近飛行機に乗る機会が何度かあったので、とりあえず取れた写真をうpします。


 雲海上を飛んでいたら、積乱雲が見えました。微妙に竜の巣に似ていなくもない気がしました。
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 便は佐賀→羽田で、上空1万m付近を巡行しました。下の雲海はおそらく3~5㎞くらいの位置と思われますが、それもはるか下方に見下ろしていました。下はおそらく「四国」です。

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 「四国」~「紀伊半島」と思われる位置に積乱雲が多発していました。

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 見る角度によっては(恐らく写真右側から見ていたら)竜の巣っぽいです。飛行機搭乗経験の多い人はより竜の巣っぽい雲に出くわしているでしょうが、かなり印象に残りました。

「富士山」~「伊豆大島」
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 西日本方面から「羽田空港」へ着陸する便は、「駿河湾」沖を東進して「伊豆大島」付近で「房総半島」方面、もしくは「東京湾」へ旋回します。そのため、「太平洋」沖から「富士山」~「伊豆大島」を眺められます。

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 少し「伊豆半島」を拡大して撮影。「伊豆半島」独特の海岸線や「天城山」、奥には「駿河湾」や「三保半島」も見え、その奥に「富士山」が雲海上にそびえたっています。

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 「富士山」を拡大。撮影は7月末のため、雪はありません。飛行機から「富士山」までの距離は約100㎞ですが、こんなに離れていても形からすぐわかる山だと改めて思いました。いつか、至近距離から雪のかぶった「富士山」を撮影してみたいです。

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 「伊豆大島」を拡大。飛行機はちょうどこの一で左に旋回するため、ドンピシャの角度で「伊豆大島」を眺め降ろすことができます。
 噴火してそこそこ年月が経って微妙に侵食された地形と、30年前の噴火で新たに形成されたほとんど侵食していない地形の違いがよくわかります。

飛行機の交差

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 「名古屋」付近(確か「知多半島」あたりだったかと)で同じANAの便と交差しました。最初は右斜め下から交差飛行機が接近してきていました。

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 そして交差しました。高低差は数百mほどでしょうか?

10万km突破

 今月の2日に、「コロニーな生活」の移動距離が10万kmを突破しました。始めてから1255日目となりました。生活の都合上移動距離が多く、1日平均で79.82kmの有様です。

平成21年
9月:5km(26日より開始)
10月:57km
11月:1674km
12月:598km

平成22年
1月:623km
2月:72km
3月:1171km
4月:2616km
5月:3000km
6月:2181km
7月:1463km
8月:1760km
9月:2105km
10月:1388km
11月:1846km
12月:4020km

平成23年
1月:2153km
2月:2129km
3月:2589km
4月:1366km
5月:6411km
6月:2917km
7月:3058km
8月:4750km
9月:3827km
10月:3464km
11月:3368km
12月:3041km


平成24年
1月:2499km
2月:3135km
3月:3038km
4月:2791km
5月:4540km
6月:2660km
7月:2501km
8月:3252km
9月:960km
10月:554km
11月:1606km
12月:2627km

平成25年
1月:1232km
2月:1873km
3月:2756km
4月:1879km(4月7日時点)


んで、肝心のコロニーの方は…第3コロニー人口100人程度で停滞しています。最近は移動距離稼ぎとスタンプ押しだけに専念しているようで。コロニーを発展させるにはオーバークロック6を使えば手っ取り早いですが、どうも隕石でコロニーが全滅したトラウマがあり、手をつけておりませんでした。第4コロニーまで行く道は長いです。

埒があかないので、一昨日、第1、第3コロニーにオーバークロック6を置いてみました。

「中山隧道」:「日本」最長の手掘り道路トンネル

 「新潟県」の「長岡市」(旧「山古志村」)と「魚沼市」(旧「広神村」)の境には、「日本」最長の手彫り道路トンネルがあります。名前は「中山隧道」で、れっきとした国道(291号線)のトンネルです。長さは開通当初が922m、崩落の影響で現在が875mもある一方、高さ2.5m・幅2mと断面が非常にせまいのが特徴です(貫通当初は高さ1.8m・幅1.2m)。現在の新しいトンネルが掘られるまでの50年もの間、国道道路トンネルとしての役割を担ったのです。当時は、車がこのトンネルをイライラ棒のようにすり抜けていきました。そういえば、懐かしの番組「特ホウ王国」でもこのトンネルが紹介されていました。

 「中山隧道」をまたぐ旧「山古志村」と旧「広神村」は、冬季は数mの積雪に阻まれ非常に危険で大変な山越えを強いられてきた豪雪地帯です。そこで、冬でも安全に通行できるトンネルの建設計画が持ち上がり、紆余曲折を経て掘られることになりました。昭和8年(1933年)のことです。当時は重機もなく村の人々自らがツルハシを使って掘り進めていきました。しかも、村の有志で行っている事業のため、報奨もありません。途中、戦争の影響で4年間建設が中止され、昭和24年(1949年)に貫通しました。実に16年もの歳月をかけて掘られた、本当の汗と涙の結晶ともいえるトンネルなのです。

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 旧「山古志村」方面より撮影。写真右側が手掘りの「中山隧道」、左側が平成10年(1998年)にできた新しい「中山トンネル」です。

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 この辺りには、「中山隧道」以外にも手掘りの隧道がいくつかあります。残念ながら、「新潟県中越地震」で崩落したものありますが、「中山隧道」は何とか生き延びました。

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 坑口です。一時期は廃棄も考えられましたが、将来に語るべき土木遺産として整備されました。それにしても、かつてこの狭い隧道を車が普通に走っていたとは、驚きです。

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 こちらが簡単な経歴です。

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 中はこのように、素掘りの部分もあります。この状態で875mも暗がりが続きます。この長大隧道を土木の専門家でもない村人がツルハシだけで掘るなんてすごすぎます。よほどのトンネル貫通に対する思いがあったのでしょう。

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 金網越しに、地山に触れます。何岩でしょうかねえ?

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 ツルハシの跡です。工事が始まってから78年もの歳月がたっていますが、くっきり残っています。村人の熱意がそのまま刻み込まれているようです。

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 異常出水が発生した場所です。ツルハシで掘っていて出水とは、想像を絶します。

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 待避所もあります。おそらく車と人のすれ違いのために、後に拡幅されたのでしょうか?間違っても車同士はすれ違えません。車でこの隧道に入るときに前方に車がいたら、ダイナミック譲り合いが繰り広げられます(「特ホウ王国」でもやってました)。

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 貫通点です。貫通した時の村人の達成感はどのくらいのものだったのだろうか?

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 所々、天井が崩落してこのようないびつな断面になっているところもあります。隧道というより洞窟みたいです。このように崩落防止のために金網を張ったり、モルタル(地質学的に砂質泥岩っぽいもの)を吹き付けたり、鉄骨で補強を施したりしています。

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 上の2枚の写真は、同じ場所でそれぞれ反対方向を撮影したものです(上の写真が旧「広神村」方面、下の写真が旧「山古志村」方面)。つまり、それだけこの隧道が長いということです。断面が小さい分、出入り口も小さく見えるのでその分さらに遠く見えます。

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 所々、このような横穴がありました。工事の時の資材置き場だったのでしょうか?

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 旧「広神村」の坑口です。こちら側は水が溜まっていて通行止めです。つまり、もと来た道を引き返さなければいけません。全長が875mということで、通り抜けるだけでも15分、全力疾走すれば(したら方向感覚を失って壁にぶつかるでしょう)3分かかります。

パソコン買ってきた(3代目)

 2代目パソコンの動作が限界になってきたので、4年ぶりにパソコン買いました。スペックはだいたい以下のかんじです。

機種:Windows7HomePredium 64ビット LIFEBOOK AH77/H
値段:98400円
CPU:CORE i7 2.30GHz
コア数:4コア/8スレッド
メインメモリ:8GB
容量:約1TB


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 外見です。黒いです。淵が丸っこいです。

「喫茶マウンテン」

 せっかく「名古屋」にいるので、友達と後輩に会って6年ぶりに「喫茶マウンテン」へ行ってきました。
「喫茶マウンテン」はとても珍しい飲食店です。普通のものから、明らかに罰ゲームや記念や怖いもの食いたさで食べるメニューまでそろっています。今回は試しに「メロンスパゲッティ」と「大人のお子様ランチ」を食べてみました。

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 見た目はごく普通の喫茶店です。「マウンテン」自体はすでに全国的に有名で、休日は混み合います。そういえば、以前「ノブナガ」でも紹介されていました。

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 見た目はごく普通のメニュー表です。しかし、どこか単語の組み合わせや意味が普通と違っていますね。

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 「メロンスパゲッティ」です。単なる色付けではありません、本当にメロンの味がします。パスタにメロンの味と成分が存分にしみ込み、完全な暖かいメロン味を醸し出しています。パスタの上にはこれまた暖かくしたメロンと大量の生クリームが載せてあります。この店にはほかにも、キーウィ、イチゴ、抹茶あんこバージョンのパスタもあります。

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 味はテラ甘すです。飴に砂糖をまぶして食べるような感じです。時間がたつにつれてパスタの熱で生クリームが溶けてきました。味の新鮮さと空腹満たしで順調に食べられたのはここまでです。あとは己の満腹中枢が口にATフィールドを発動しだしました。このパスタ、5口で十分です。大食らいの人はどれくらいで完食するのでしょうか?

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 「大人のお子様ランチ」です。名前からしてこちらも風変わりなものかと思っていましたが、こっちは普通のピラフでした。むしろそれで救われました。「メロンスパゲッティ」をどうにか食べきった後のいい口直しになりました。逆の順番で食べていたら、完食するのに+30~40分はかかっていたでしょう。店員もそういう予想をしていたから「メロンスパゲッティ」を先に出したのでしょうか?

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 連れが注文した「カレー風味噌煮込みうどん」と「コーンスープスパゲッティ」です。こちらのほうは普通の味でした。フルーツ系のスパゲッティはテンションの高い時のみがお勧めということですね。ちなみにこの店ではかき氷も出していますが、高さが40cmもあるので、みんなで小分けにして食べたほうがいいです。

「喫茶マウンテン」のメニューは、こちらに詳しく載っています。↓
名古屋が世界に誇る
喫茶マウンテンの入り口

正月帰省 その3 「京急蒲田駅」の現在

 せっかく「東京」に来たので、コミケ3日目に行く前に「逗子」にある三線軌条を見に行きました。その帰り途中で「京急蒲田駅」をみてみました。3年前は上下線とも地上駅で高架部の建設中でしたが、現在は上り線(2階部分)が高架化されていました。3階部分の下り線(高さ24m)は建設中です。完成したら3階建ての上下線2段構造の2面6線駅になります。プラットホームは切り吹き式で全長が389m(「京急」の車両18両分に相当)になります。

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 上り線の現在の様子です。この上(3階部分)が下り線で現在は建設中です。今の下り線は真下の1階にあります。

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 プラットホームの下に使われていない分岐器があります。将来はこの部分のプラットホームが取り払われて切り吹き式の1面3線となり、分岐器はその切り吹きホーム部分の待避線へつながります。

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 直進すると「横浜」方面、左側が「羽田空港」方面です。

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 1階部分(下り線)も2階部分(上り線)と同じ配線です。「箱根駅伝」第10区で定番となっている「京急」の踏切は左側すぐにあります。高架化されるまでもう少し定番は続きます。

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 3階に繋がるエスカレーターです。ステップがまだとりつけられていませんね。

 このあとはコミケ3日目に行き妹と落ち合って「静岡」に帰って寝正月を過ごしました。「太平洋」側のあまりに青い空にカルチャーショックを受けた次第です。正月休み明けは、そのまま会社の車で「名古屋」のほうへ向かいました。どうやら1~2か月ほどは「愛知県」にいそうです。なんか、冬の晴天で天候平和ボケはしそうです。

帰省 その2 コミケ会場に若本お兄様が来ていた

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 この連休で、コミケ81の2日目と3日目に行ってきました。2日目は毎度のことながら「あきら」に会うことと鉄道系の品を見に行くこと、3日目は頼まれ物を探しつつぶらぶらすることを目的に動きました。競争率が激しい人気サークルを完全なる目的で動いているわけでないので、両日とも昼入場というテラゆとりの動きでした。
 はっきり言って、冬コミは夏コミと比べてとてつもない天国でした。男共暖房はうっとおしいですが、参加者がペンギンの群れみたいに集まるのでそれなりに熱がこもり、太平洋側の神々しい青空と日光で「東京」は暖かかったです。今考えれば夏は地獄でしたね。

 先日の長距離ドライブ+夜更かしで寝みいです。それでも昼までに「東京」入りし、会場へ向かいました。まずは「あきら」と会ってきて、それから鉄道系のものを見に行きました。鉄道系はいつも3日目にやっていますが、会場入りする直前に、今回は2日目にやっていることを知り、あわてました。今回は鉄道の前面展望のDVDや高速道路のジャンクションの本をGETしました。

 その後はぶらぶらしつつ企業ブースを見に行こうとした途中に、あの有名な「若本規夫」(アナゴさんやセルを演じている声優)のトーク会を偶然見つけました(「癒されBar若本~風のワンダラー~ in コミックマーケットスーパーステージ」 )。そして即行きました。このトーク会は数年前から定期的に行われているようで、今回は「清水香里」(「らき☆すた」の「田村ひより」を演じた声優)との座談でした。60代半ばになっても若本ボイスは健全で、最後はしっかり「ぶるああああああ!」で締められました。

 夜は「池袋」のカプセルホテルに泊まりましたが、サウナや浴場の設備がよかった半面カプセル内にコンセントが無かったため、ネットサーフィンをせずに早寝を実現しました。

 次の日は「横浜」方面に線路の監察へ行ったあとでコミケ会場に戻り妹とぶらぶら過ごして行きました。早い段階で目的は達成したため、大半はぶらぶら探索ですが、やはりコミケは事前の予習をしっかりこなして目当てのサークルやジャンルを把握しないと、しんどいです。歩くだけでも思考が奪われますからね。そんなこんなで大みそかの夜に再び「静岡」に戻りました。

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 「東京ビックサイト」から見た「東京スカイツリー」です。開業まであと5カ月、すでに建物は完成しています。

正月帰省 その1 500kmの6時間半ドライブ

 正月明けから東海地方へ数カ月ほど?、「秘密のケンミンSHOW」連続転勤ドラマ的な感じで行くことになりました。てな訳で、今回の帰省は会社の車で「新潟」から直接「静岡」に行く形です。年末年始の連休が始まるということで調子に乗って、例によって遅寝遅起きをしでかし、部屋の突貫掃除を行って「新潟」を出発したのは15:00でした。「長岡」~「六日町」の山間部は雪がふぶいていました。もはや直線区間で70km/h、曲線では50km/hが精いっぱいです。「関越トンネル」を抜けたら一面はよい天気で路面も万全でしたが、どんどん車が増えてきました。途中「赤城」で休憩しましたが、その30分の間に車が1.5倍くらいに増えていました。

 朝見た道路情報ではその日の夕方から「東名」で25㎞の渋滞が起きると言われたので、「群馬」から「静岡」までノンストップで走りました(興味本位で通った「首都高」の「山手トンネル」で渋滞に引っかかってそれが休憩の変わりにはなりましたが)。ただでさえ混雑して満足に休めないパーキングエリアで時間を食っている間に渋滞が始まるのでは?という恐怖感と早く帰りたい欲求が自分の体を動かした感じです。こうして500kmの距離を6時間半で走りましたが、幸い渋滞には巻き込まれずに21:30に「静岡」に着きました。

 しかし、連休というものは長時間ぐっすり眠りたい欲求と夜更かししたい欲求がぶつかり合うもので、その日は後者を選んで2:30まで起きやがりました。次の日はコミケ2日目に行く態度では決してありません。

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 「静岡」の空です。

「新潟駅」に「E5系」が入線

 11月6日の正午に、「新潟駅」に最新型車両の1つである「E5系」が入線しました。「JR東日本」主催の「E5系」撮影イベントです。「E5系」は現在「東北新幹線」の最速列車「はやぶさ」として活躍しています。通常、「上越新幹線」内を走ることはありませんが、今回は初めて「新潟駅」にその姿を現しました。

 「E5系」ならば、「東北新幹線」で見られるじゃないか、とも思えますが、こういうイベントでは、

① 「E5系」を「上越新幹線」で見るという貴重な体験ができる
② 気兼ねなく(一般客にあまり気を使わず)車両の撮影ができる

という利点があります。

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 「E5系」は、11:34に11番線へ入線しました。「新潟駅」の新幹線ホームは11~14番線の2面4線で11番線は一番端っこにあたります。真ん中の12か13番線に入線させれば両方のホームから撮影できるので参加者にとっては便利ですが、敢えて端っこの11番線に入線させたのは、撮影者を1つのホームに集中させるためなのでしょう。そうすればもう1つのホームはがら空きで一般客が困らないうえに、「E5系」が入線したホームとは別のホームから夢中で身を乗り出した参加者が他の列車と接触する危険性が減りますからね。うーん、なぜか社会人になるとこういう段取りを空想してしまいます。

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 「E5系」の停まっているホーム(写真奥)は、このとおりです。

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 この記事で最も重要な写真です。何故かと言いますと、「新潟駅」の駅名板と「E5系」が一緒に写っているので。

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 先頭車両の全体を満足に撮影できた写真はこれだけです。人が多くて優雅に撮れないのは撮影イベントの宿命ですね。

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 「E5系」もまた、先頭車両が長いので、近くで撮るとはみ出ます。

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 車内のイスには、枕っぽいものがついてますねえ。

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 車両間には、「N700系」でも話題になった全周ホロがついています。「E5系」のホロは真っ黒で、「N700系」の白いのよりは、汚れが目立ちにくそうです。「E5系」は車体の色が「初音ミク」の服装や髪の色と同じと話題になりましたが(銀色、エメラルド色、桃色)、それに加えてこの黒色のホロは「初音ミク」の服やヘッドホンに当てはまりますね。

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 パンタグラフは「E2系」と同じく赤いです。最近の新幹線車両のパンタグラフの色は、赤がお決まりなのでしょうか?

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 「はやぶさ」のエンブレム、優雅です。

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 10号車は「グランクラス」です。なんと、新幹線では珍しい、イスが3列の配置です(普通は5列、グリーン車が4列、MAXの普通車2階席は6列)。また、1量当たりの座席数もたったの18席です(普通は80~100席超)。


「E5系」について。
 「E5系」は「FASTECH 360」を基に製造された「東北新幹線」を走る最速列車の「はやぶさ」専用の車両です。
 車体の色がボーカロイド「初音ミク」に似ていることがネット上で話題になり、「日本鬼子」萌えキャラ化運動のように、車両名称を「はつね」にするための運動が繰り広げられました。

お盆休み その4 ちょい寄り道

 次の日からまた平日となるので8月17日の朝に「静岡」を発ち、「新潟」へ向かいました。しかし、ただ向かうだけでは面白くないので、「東京」の「江戸東京博物館」で今開かれている「東京の交通100年博」へ行ってきました。

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 館内で唯一撮影可能な「ヨヘロ」(1形)車両です。主に大正時代の都電で活躍していました。

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 都電の代表格でもある「6000形」です。30年ほど前まで「都電荒川線」で活躍していました。

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 雪の季節によく新聞に出ている「ササラ電車」です。現在は「北海道」の路面電車路線で活躍しています。この車両は、かつて東京の路面電車で活躍していた「ヨヘロ形」を除雪車として改造したもので、今回の展示で76年ぶりに「東京」へ里帰りしました。

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 近くに「三丁目の夕日」のセットがありました。

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 有志がつくったジオラマが複数展示してありました。これらのジオラマの凄いところは、「東京」の鉄道の特徴をよく再現している点です。鉄道路線同士の立体交差やそこを走る車両が忠実に表わされています。

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 「王子駅」とその周辺のジオラマです。「荒川線」やら「東北新幹線」の線路やらが忠実に立体交差しています。さらに、地下鉄「南北線」がジオラマの床の下を通っていました。再限度パネエです。

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 「東京駅」で2つの「E2系」が並んでいました。右側が「東北新幹線」を走る「はやて」、左側が「北陸新幹線」を走る「あさま」です。外見で見分けるコツは色です。ピンク帯が「はやて」(「E2系1000番台」)、紅帯が「あさま」(「E2系」)です。

 そんなこんなでおやつの時間帯に「新潟」へ戻りましたが、寝みいです。まったくもって疲れが取れてないです。

お盆休み その3 連休とは精神を休めて肉体を酷使するもの

 休日は平日にためた疲れを取り除くためにあるものですが、調子に乗って夜更かししたりどこか外出したりで結局予定通りに完全除去しづらいものです。そして盆休みもまさしくそうでした。

 コミケ最終日を過ごした後妹と別れて「静岡」に戻りましたが、「静岡」も無風状態のとんでもない暑さです。これだけでも体力はそぎ落とされます。実家に帰ると元気に過ごす家族と再会して急激に気が抜けてゆきます。そして、連休なのをいいことに最近サボっていた自作動画の「卒業研究でありがちなこと」の作成を始めて夜更かし三昧でした(完成したらまた公開しますよ)。

 翌日は家族総出で墓参りに行きました。お盆休みの正統派行動パターンであります。その日は昼食夕食、食いまくって余計に胃に負担がかかって眠くなりました。それにもかかわらず、動画作成+グダグダネットサーフィンで3:00頃まで置き続けました。

 その翌日は祖父母と飯を食べに行き、夕方は同僚と飲みに行きました。「沖縄」に勤務している彼と色々と近況報告をしあいましたが、それぞれなんとかやっているようですね。

 その夜は、以下同文。

 そんなこんなで2日ほど実家でグダグダ過ごし、その翌日の朝に発ちました。今までの間隔から、実家に3~4日いるのが一番グダグダせずにかつそれなりにゆっくり過ごせるのでそうしたかったのですが、「東京」滞在に2日割いたので仕方ありませんね。なんだか、休みの限られる社会人のジレンマです。

お盆休み その2 暑さで心が折れかけたコミケ3日目

 カプセルホテルで一夜を過ごした次の日は、妹とコミケに行ってきました。この日はコミケ最終日で、来場者は20万人と史上最大規模になりました。「東北地方太平洋沖地震」の影響などで来場者は去年より若干減りましたが、それでも3日で52万人を記録したとのことです。そして、夏込みの海上(特に東館)は漫画やアニメで描写されているとおりの地獄でした。僕らはのんびりと11:00頃に会場入りする、無理のない(つもりの)行動をとりましたが、それでも打ちのめされました。

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 会場最寄り駅である「国際展示場」の隣の駅です。さすが「りんかい線」!駅名の付け方にもこだわりがありますねえ。

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 近くのコンビニの中にこんな張り紙が。この暑さで冷たいものを飲んだらガチでカイジのセリフを発します。コーナーもスポーツドリンクやCMで浜田が飲んでるゼリーなどが大多数を占める、「コミケシフト」になっていました。ちなみに、会場とその付近でゼリーやらリポピタンDやらアクエリアスやらを計5本飲みました。

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 11:00頃の入口の様子です。外のほうはこれでも空いています。この空き具合に騙されて中に入ると大変ですよ。

 とりあえず、中に入ってみましたが、部屋の気温に天窓から降り注ぐ太陽熱や来場者の体温により会場内、特に東館はとんでもない暑さになっていました。マジでムサいです。ときどきすれ違う男達の汗で湿った腕やびしょぬれの服にあたります。ヤバいです、こんなお触りは嫌です。暑さと混み具合で進むのが精いっぱいで、思考力が奪われます。目的意識を持って本能で行動しないと、「つかさ」のように流されるままです。

 そんなこんなで「ミク」のコスプレをしていた「あきら」のサークルをたずねました。今回はかなりあるレベルが高くなっておりましたwww。その後は鉄道走行風景のDVDを買いに行ったりコスプレ広場を見に行ったりしました。外国人が「セーラージュピター」のコスプレをしていましたが、とても似合っていました。

 16:00頃に会場を後にしましたが、シャツはほぼ全部が汗でぬれていました。ポリエステル製のTシャツ出なければどうなっていたか…想像もしたくないです。妹はとある事情でお盆に帰省できないので都内で別れて僕はそのまま実家へ帰りましたが、お盆休み2日目にあたってすでに心が折れかけています。それだけ太平洋側の暑さは過酷であるともいえます。

お盆休み その1 「東京」は暑かった

 やっとのことでお盆休みが始まったので、いつも通り実家へ帰省しました。連休は普段の疲れを取るためにあるはずですが、ついつい夜更かしをして完全なる寝不足で1日目の朝に「新潟」を出発しました。そして、連休を満喫しようと希望に満ちた僕を待っていたのは、悪夢のような暑さでした。

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 「東京」へは、8:59「新潟」発10:39「東京」着の、ノンストップ最速の「とき」で行きました。最速の列車にあの200系が使われています。

 「東京」をはじめとする太平洋側はとんでもない暑さでした。気温だけではなく、湿度が高く無風状態という、非常にねっとりした暑さでした。予定よりも時間ができたことから、最初のころはコミケ2日目に行こうかとも思っていましたが、この暑さと寝不足では確実にぶっ倒れるだろうと判断して「陸上自衛隊広報センター」と「遊就館」へ行ってきました。

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 「陸上自衛隊広報センター」は、「朝霞基地」内にある一般人立ち入り自由の博物館です。レンホー主催の事業仕訳けで入場料が設定されそうになりましたが、今も無料で自由に入場できます。

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 攻撃型対戦車ヘリAH-ISコブラの実物です。黒ずくめの組織が「東都タワー」を銃撃したヘリとなにかにていますね(あれはAH-64)。

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 屋外にもさまざまな車両や武器が展示してありました。各名前は忘れてしまったので興味があればググってください。一番下の写真の車両は「74式戦車」と「74式自走105mmりゅう弾砲」です。触ったり乗ったりはできませんが、できたらめちゃくちゃ込み合いそうです。

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 近年、「日本」で主力の戦車である「90式戦車」です。最新型の「10式戦車」が登場し始めた今も現役で活躍しています。

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 戦闘服です。軽量化はされていると思いますが、それでも重そうです。夏に着たらすごそうです。

 その後は、「靖国神社」境内にある「遊就館」に行ってきました。ここは、学校では教えてもらえなかった「日本」の歴史を勉強するのに最もふさわしい歴史博物館でしょう。

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 館内は基本撮影禁止ですが、玄関の撮影可能域で零戦を撮れました。


 基本、涼しい室内にいましたが、あまりのねっとりした暑さに打ちのめされて、しばらくぶらついた後でカプセルホテルで一夜を過ごしました。明らかにコミケに連日通う人々も宿泊していました。

超巨大地震が起きた日

 あの3月11日14:46のことでした。その時僕は「新潟」の会社の建物の中にいましたが、そのとき震度4の揺れが2分にわたって続きました。この程度の揺れにしては異常に長かったため、もしかしたらどこか遠くで大地震が起きているのでは?と薄々思いました。さらに、一瞬「まさか、東海地震じゃ?」とも思いました。速報で発表された最大震度は7と、7年前に起きた「新潟県中越地震」以来で、マグニチュードも7.9と、88年前に起きた「関東地震(関東大震災)」と同じです(←マグニチュードは修正前の計算です)。

 これだけでもすごい地震が起きたと思いました。しかし、その後テレビ中継で大津波が「太平洋」沿岸を襲う様子を見ていてこの地震が以下に凄まじいものかと思い知らされました。津波情報では6~10mの波が予想され、「三陸海岸」沿いの街並みや「仙台」の平野などが次々に黒ずんで大量のがれきを巻き込み、所々炎を上げた(流れた油に引火した)津波に飲み込まれる様子を見て唖然としました。津波については小学校のころから学校で教えられ、7年前の「スマトラ島沖地震」の津波でその恐ろしさを知ったつもりでした。しかし、今回の津波は自分の住んでいる同じ国の中、普段見慣れている景色や街並み、昔訪れた事があるような場所が次々になぎ倒されていったのです。しかも、流されていく建物の中には考えたくはないけど人もまだいたでしょうし、津波から逃げようとしている車が次々に巻き込まれていく様子も鮮明に写っていました。まさに地獄絵図です。

 さらに、「首都圏」でも製油所が炎上したり建物が損壊したりして交通は完全麻痺、帰宅難民であふれかえりました。話によると、震度5強の揺れが5分近く続いたとか。

 一方、「福島第一原子力発電所」の原子炉を覆う建屋も水蒸気爆発により次々吹き飛んだり炎上したりして今も予断を許さない状況が続いています。一部の人では「アメリカ」の「スリーマイル島」での事故に匹敵する、といわれているほどです。

 しかも、この大地震、はじめはマグニチュード7.9とされていましたが、⇒8.4⇒8.8と修正が繰り返され、最終的には9.0と、世界で観測された地震で4番目に巨大な物になりました。400~500kmにわたりプレート同士が20m近くずれたそうです。マグニチュード9.0は単純計算で「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」(マグニチュード7.3)の約360倍、「関東地震(関東大震災)」(マグニチュード7.9)の約38倍です。

 そしてその後もマグニチュード6以上、震度5以上の大きな余震が「東北」地方全域、さらには「甲信越」や「静岡」方面にも14回起きています(3月16日までの5日間)。
 

3月11日
14:46 三陸沖 M9.0 最大深度7
15:06 三陸沖 M7.0 最大深度5弱
15:15 茨城県沖 M7.4 最大深度6弱
16:29 三陸沖 M6.6 最大深度5強
17:01 福島県沖 M5.8 最大深度5強
20:37 岩手県沖 M6.4 最大深度5弱

3月12日
3:15 新潟県中越 M6.6 最大深度6強
4:32 新潟県中越 M5.8 最大深度6弱
5:42 新潟県中越 M5.3 最大深度6弱
22:15 福島県沖 M6.0 最大深度5弱
23:35 新潟県中越 M4.4 最大深度5弱

3月13日
8:25 宮城県沖 M6.2 最大震度5弱

3月14日
10:02 茨城県沖 M6.2 最大震度5弱

3月15日
22:31 静岡県東部 M6.4 最大震度6強

3月16日
22:31 千葉県東方沖 M6.0 最大震度5弱


 詳しいことはまだ分かりませんが、「東北」沿岸で想定の範囲をはるかに上回る震源域で一気にずれが生じ、そのエネルギーで「甲信越」や「静岡」の地震をも誘発したようにも見えます(根拠は無いけど)。「日本」は今、とんでもない事態に巻き込まれています。

 この数日は、友人や知り合いの無事の確認に携帯やらmixiを使いまくる毎日でした。とりあえず、一通りの関係者の無事が確認でき、それが僕個人の救いになりました。

ライブ参戦

 2月下旬の週末に、大学の後輩の「がっきーぞみお」のお誘いで、「さいたまスーパーアリーナ」で開かれたライブの参戦に行ってきました(ちなみに、人生初のライブ参戦です)。バンドグループは、ここ1~2年の間で10~20代の世代を中心に広まっている「放課後ティータイム」をはじめとする「桜高軽音部」の方々で、ライブ名は「けいおん!! ライブイベント 〜Come with Me!!〜」です。

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 いつもの習慣で朝に起きましたが、昼までグータラしていたい眠さでした。ライブは力任せにはしゃぐことになるでしょう。

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 ライブライトをはじめとするライブ関連のグッズの並び具合です。ある意味コミケより順番待ちがハードです(コミケは早並びしなければ、昼ごろに順番待ちせずに会場入りできるので)。ポケットに収まる文庫本などが非常に重宝されます。

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 会場内にはこんな造花が。デジカメ持ち込み禁止のため、携帯電話で撮影しました(携帯で撮影しても問題ない場所です)。

 ライブですが、16:00~19:30の3時間半にわたって行われました。観客動員数は37000人で、見た感じ8割が男、年代はほとんどが10代半ば~20代後半でした。女子トイレに比べて男子トイレに圧倒的に長蛇の列が出来ている事態です。そして、とにかく盛り上がりっぷりやはしゃぎっぷりがガチです。カラオケで熱唱したりワーワー叫んだりするのとはレベルが違います。各OP・EDをはじめとして挿入歌やキャラソンのオンパレードで、合間にティータイムなどがきちんと設けられました(はしゃぎっぱなしでは疲れるので、いいタイミングで休憩できます)。また、特別ゲストとして監督の「山田尚子」が登場しました。監督が登場人物の中で一番輝いていたのに驚きました。そんなこんなで3時間半が経過し、アンコールを3回(計6曲)も行いこのライブは終わりました。声は枯れて汗だくになり、次の日は筋肉痛になりそうです。解散後はすぐに新幹線に乗って直接「新潟」に戻りました。次の日は仕事ですが、めっちゃ昼出勤したい疲れに襲われました。

本年初すべり

 二月の半ばに、同僚と近くのスキー場へスノボーをしに行ってきました。僕にとっては1年ぶりのすべりということで、仕事で外に出ているものの最近ハードな運動をしていないので次の日からは筋肉痛になることを想定しました。

 場所は「新潟」市内から車で1時間の場所にある二王子山スキー場(二王子スノーパークninox)です。「新潟市」からは恐らく最も身近で大規模なスキー場で、「新発田駅」からは無料シャトルバスもでている、車が無い人にも便利なところです。標高は一番下が317m、頂上が936mで、落差は619mあります。ここの特徴は、麓の初心者コースと上の中~上級者コースの落差が激しいことです。コースの長さは麓の初心者コースが約1km、上の中・上級者コースが約2kmと1:2の比ですが、落差は約100m:約520mの比で、単純計算で角度が1:2.5の比になります(上のコースは2.5倍急)。はっきり言ってスキー用のコースでスノボーにはきついです。もはやこけながら滑るのみ、アイスバーンなどがあったらトラウマしか残りません。

 しかし、先日の雪でコースはふかふか、そしてめちゃくちゃ空いていたので滑り放題でした。最初は初心者コースでならそうとしましたが、その場のテンションでいきなり山頂まで行って1日で上のコースを9往復くらいしました。スベッタ距離は20kmを越えてますね。で、滑り具合ですが、急な場所はこけるしかないです。スノボーは緩斜面じゃなけりゃあこけてなんぼです。そのうち新雪の溜まっているコース外に飛び込んで遊びましたが、たまに45度以上の急斜面の淵が近くにあったりで、あまり調子に乗らないほうがよさそうです。時折天気が悪くなりましたが、全体的にはいい天気で町にも近く、絶好の穴場スキー場でした。

 次の日、転びまくった影響で首が少々筋肉痛であとは何ともなかったのですが、捻挫しました。どうやらこけて仰向けで滑走しているときに雪面に接触していたボードが、柔らかい新雪の中に隠れたアイスバーンにひっかかって足首に変な力がかかったようです(こけたときはボードを宙に浮かせるべきだが、このときはこけた勢いが小さく、雪が軟らかくて油断した)。ブーツがいつの間にやら緩んでいたのも原因でしょう。会社では「帰還した戦場カメラマンwww」と言われましたとさ。

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 麓は非常に緩やかなので、家族連れも非常に多いです。スノボーでもスイスイ滑走でき、コナンのBGMが脳内で再生されます。上のコースでは、再生されてもすぐに停まります。

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 頂上へ行くリフトから撮影。このスキー場は海に近く、上からは「日本海」が一望できます(写真上の少し青っぽいところ)。麓の初心者コースが物凄くまっ平らに見えます。

新潟市新津鉄道資料館

 天気予報で報じられたように週末は雪と風がひどく、スキーも含めて外に出る活動を控えるべきなのだろうけど、それでも比較的雪風が穏やかと言える平野部で何か休日を味わえる場所にふさわしい室内施設を考えて、「新津」(現在は「新潟市秋庭区」の管轄)にある「新潟市新津鉄道資料館」に行ってきました。

 「新潟市新津鉄道資料館」は鉄道、特に新潟とその近辺の鉄道に関する資料、寄贈された鉄道関連の物が展示してある場所で、もとは旧国鉄職員の養成学校の建物でした。この資料館は鉄道分野を深く掘り下げている、いわゆるマニアのための施設でもあります。たとえば、「大宮」にある日本で一番大規模な鉄道博物館には鉄道に関する膨大な展示品が陳列されています。一方で「新潟市新津鉄道資料館」は相対的に非常に規模の小さい施設ですが、展示品が非常にマニア的です。そしてここを受け持つ職員さんも元国鉄の人で、マニアにはマニア向けの説明を非常に事細かく分かりやすく丁寧に説明してくれます。マニュアル通りではなく、全て“本人の言葉”で時間さえ許せば全ての展示品を1日がかりで説明してくれるほどの方でした。おかげで自分の欠けていた知識を会得出来ちゃいました。このことから、この資料館には毎年8000人のマニアが関東圏やら関西圏からもわざわざやってくるそうです。

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 場所は、「新津駅」を降りて東に約1.5kmの所です。「新津」自体も鉄道の町と呼ばれるほど鉄道に縁がある街です。「新津駅」は「信越線」、「羽越線」、「磐越西線」の3路線が接続する要駅でもあり、近くには車両工場(「JR東日本新津車両製作所」)、車庫、鉄道関連の事務所が集中し、古くから鉄道産業に従事する人がたくさん住んでいました。

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 「新津駅」構内でラッセル車発見。太平洋側ではなかなか見かけないので、僕にとっては新鮮な感覚があります。

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 資料館の外には「200系」などの大型模型も展示してありました。中の展示物は複写権などでネットに挙げられないため、興味のある方は、実際の物は現地で見てくださいね。

帰省 その4 昼寝の多い正月

 何やら年末ギリギリまでアタフタしていましたが、元旦と2日は真逆になりました。普段の普通寝早起き生活から一転、予想通り堕落しました。夜はついつい夜更かしをしてしまい、それでも朝は9:00頃と、案外早起きは出来ましたが、昼寝の欲求がひどいです。

 1日は初めてお年玉を渡す行為を行いました。そして初詣と親戚あいさつを行いまわりました。皆さんお元気で何よりです。昼過ぎには親戚の家で宴会が行われ、久しぶりに族談議で盛り上がりました。そして、僕はビールを缶3分の1ほど飲んだだけで居眠りしちゃいました(普段の3倍以上の弱さです)。生活習慣がガラリと変わったのか?実家に帰って何かが緩んだのか?溜まっていたブツが一気にはじけたのか?とにかく寝ちゃいました。

 次の日2日はお墓参りで外出しました。僕が車の運転を能動的に行いましたが、人を乗せると慎重になりますね。帰った後は、気絶するように夕飯まで爆睡しました。自分でも非常に珍しいぶっ倒れ具合で、目が覚めても1時間弱体が使い物になっていませんでした。夕飯は両親に焼き肉をごちそうになり、当然ながら調子に乗って食べましたが、腹が膨れて体重計に乗ったら半月前より3kg増えておりました。

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 「静岡」の護国神社です。

「弥彦山」登山 その4 天気が下山を促した

 その日は素晴らしい天気でしたが、夕方になって雲行きが怪しくなってきました。これは山でよくある天候の変化ですが、「新潟」自体、冬は朝晴れてもその後急に曇る傾向だそうです。急いで「弥彦山」の山頂へ行って(展望台から少し離れている)、ロープウェイで下山しました。雨が降っていたのであの軽装備ではきついですし。

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 「弥彦山」山頂には、「弥彦神社」の奥社が建っています。「弥彦山」は「新潟県」のかなり広範囲から見ることが出来る山で、古くから信仰がありました。ふもとには「弥彦神社」の本殿があります。

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 つい1時間ほど前は晴天でしたが、いつの間にか雲が出てきて雨も降りだしました。朝窓は美しいのですが。

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 帰りはロープウェイでおりました。落差がかなりあり、一番上のロープの傾斜角は40度くらいありました。

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 「弥彦神社」です。「弥彦山」全体がこの神社の神域で、山頂の神社もこれにあたります。

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 この橋はどういうことに使うのでしょうか?

「弥彦山」登山 その3 絶景

 予想よりも順調に歩め、1時間弱で登り切りました。山頂とその周辺には展望台をはじめとする色々な施設があったので、しばらくうろちょろしておりました。

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 「弥彦駅」側とは反対側は「日本海」がすぐそばまで迫っています。山は道路も整備されて車で行こうと思えば簡単に行けます。

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 紅葉もそろそろ終盤です。海の向こうに見える島は「佐渡島」です。

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 「越後平野」は本当に田んぼがすごいですね。下の写真の左下辺りが「弥彦駅」です。

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 「弥彦山」からちょっと離れたところには「多宝山」があり、そこには天文台が建っています。

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 近くには一等三角点がありました。展望台と「多宝山」の間は1kmちょい離れているので互いの地点で「コロニーな生活」の位置登録を行いましたが、43km移動したことになっていました。しかも、「新潟」近辺なのにそのサイト内では「佐渡島」に行ったことになりました。山は電波の状況がカオスです。

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 展望台の下には回転昇降展望塔の「パノラマタワー」があります。高さは100mもあり「八景島シーパラダイス」にある「日本」最高落差のフリーフォールである「ブルーフォール」(高さ107m)とほぼ同じで、フリーフォールみたいに展望室自体が回転しながら昇っていきます。落ちるときはゆっくりですがね。また、この「パノラマタワー」の入り口と上の展望台(回転しない普通のほう)は落差があるので簡易なケーブルカー(「クライミングカー」)が通ってます。

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 「パノラマタワー」最上部からの景色です。構造上展望室が出っ張っているので窓から下を見ると迫力があります。下の写真は「新潟市」内を撮影していますが、ここからでも「朱鷺メッセ」(ちょっと出っ張っている建物)が見えます。

「弥彦山」登山 その2 テンションは標高に比例する

 あの状態で登って行きましたが、1年以上ぶりに山を歩くのは、やはりギャップがありました。卒論の調査を今いきなりやったらばてますね。ただ、疲れているときにある程度体を動かすと疲労が新陳代謝により分散されるらしく?登るにつれてだんだんと体が軽やかになって行きました。

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 途中で既にこんな景色が見られます。「越後平野」広いです。

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 途中で湧水がありました。持ってきたお茶を節約できて助かります。

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 「弥彦山」は砂岩や頁岩、シルト岩をはじめとする堆積岩と玄武岩や安山岩から構成されます。特に海側は玄武岩によって山肌がかなりごつごつしています。これらの地層自体はうにょーん、と広大な範囲にわたって褶曲しています。「越後平野」の地下自体がこの褶曲構造からなり、断面を見るとクネクネしています。この褶曲はプレートが圧縮された際にできたもので、過去に起きた「新潟県」内の大地震(新潟県中越地震もそのひとつ)の原因を示す痕跡ともっています。

「弥彦山」登山 その1 無計画で場当たり的な行動

 「新潟県」には「弥彦山」という、「るろうに剣心」の「弥彦」の名前の基ともなった山があります。「弥彦山」は標高が634mと、現在建設中の「東京スカイツリー」と完全に同じ高さで、標高があまりなかった故に日本100名山の選考から漏れてしまった山です。「新潟」では結構有名な観光地で、ふもとには「弥彦神社」をはじめとする温泉街があり、ふもとと山頂はロープウェイで結ばれています。

 んで、この記事の題名の説明ですが、11月末の金曜の夜、次の日の土曜日が休みであることを初めて知ったのでどっか行こうか?と考えていたら次の日は天気がいいということで「そうだ、京都行こう」的なノリで次の日「弥彦山」に登ることにしました。そうは思ったものの休日前夜はどうしても夜更かしをしてしまうもので、4時まで起きやがりました。飯の用意もなかったので朝昼兼用は飲むヨーグルトとコーヒーとチョコレートという、ダイエット食事を行い、そのまま電車で山のふもとへ向かいました。

 出発が昼直前だったので最初はロープウェイで登ろうと考えていました。そのためふつーのスニーカーに町を歩く服装でリュックには500mlのお茶だけという公園でのピクニック装備でした。そして腹が減って寝みいです。しかし、「弥彦駅」についた時にあまりの天気の良さに歩いて登りたい衝動に駆られてそのまんま登ることにしました。

 まあ、大学時代の6年ほどで、自分の体験も含めて以下のような事例を見聞きしたので、今回ならば天気とテンションがよければ何とかなるでしょ、と道徳的?によろしくは無い言い聞かせを自分にしました。

・地質調査の実習で3週間ずっと同じスニーカーを履いて道のない藪をかき分けたり川の中を歩いた
・サンダルのまんまでチャートで形成された「金華山」を登った
・「立山連邦」において、ランニングシャツで岩だらけの尾根を歩いた、革ジャン姿で登った、雨具を忘れたのでTシャツで暴風雨の「室堂平」を歩いた、リュックではなく旅行カバンを担いで歩いた

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 「吉田駅」です。この駅は「越後線」と「弥彦線」が平面交差している線路量の多い駅です。

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 「弥彦線」の電車です。「新潟圏」におけるJR線では珍しい黄色っぽい色をしていますね。

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 「弥彦駅」の駅舎です。「二条駅」みたいに凝っていますね。

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 「弥彦山」ふもとにて。今年最後になるかもしれない完璧な青空です。

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 よく考えたらスニーカーでは登らない方がいいのだが、最早手遅れ…。それを考えると小学生のころの山登りってかなり大雑把だったと実感します。すれ違う方はみんな完全装備をしていました。

「のと鉄道」に乗ってきた その2 「和倉温泉街」

 帰りは「和倉温泉駅」で次の列車の出発まで時間があったので、和倉温泉街をちょっとぶらついてきました。

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 途中の公園に入浴自由な足湯がありました。足湯からはきれいな「七尾湾」の景色が見られます。

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 温泉街の一角に温泉水をくみ取る施設がありました。この場所は公園になっていて、温泉に関する施設を自由に閲覧できます。この建物は、数本の温泉水を取水するポンプからくみ取った温泉水を一時的にためて各旅館に配送する施設です。

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 概要はこんな感じです。

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 温泉水の取水量は毎秒11ℓ、最大可能取水量は毎秒23ℓと1日に50mプール1杯分におよびます。。温度は90度にもおよび、温泉卵の制作が可能です。成分はナトリウム・カルシウム・塩化物が卓越し、苦いもう一杯的な味がします。

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 はい、地質断面図。地下100m以深に安山岩を主成分とする溶岩や凝灰岩が産し、そのすぐ上に堆積岩が不整合で覆っています。これらの地層は所々断層でずれています。

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 こちらが取水井戸です。掘削場所は100mを超え、不整合面より下の安山岩類の層に達していますね。

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 「能登島大橋」です。「和倉温泉地区」と「能登島」を結ぶ全長1050mの、「石川県」で最も長い橋です。今から28年前にできた橋ですが、かなり新しく見える気がします。

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橋の高さは最大24mにおよび、とても景色がいいです。一番下の写真は「和倉温泉街」です。

「のと鉄道」に乗ってきた その1 「のと鉄道」

 「金沢」から「新潟」に映る1週間前の11月半ばに、「のと鉄道」に乗りに行きました。

 「のと鉄道」は、「七尾」を起点に現在は「穴水」までの33.1kmを、かつては「能登半島」の先端に迫る「蛸島」と「輪島」まで線路が延びていました。最盛期は総延長が114.5kmにおよぶ大規模な地方ローカル線でした。残念ながら乗客の減少と「能登空港」への投資優先による行政補助の縮小で平成13年(2001年)3月1日に「のと鉄道尾線」の「穴水」~「輪島」間(20.4km)が、平成17年(2005年)4月1日に「のと鉄道能登線」の「穴水~「蛸島」間(61.0km)が廃止されました。ちなみに「穴水」~「輪島」間には49個のトンネルがあり、南側から「い・ろ・は~」の順番に愛称がついています。

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 「和倉温泉駅」には、地元の祭りの山車の車輪が展示してありました。

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 現役の気動車(NT200形)です。「穴水駅」には、昔使われていた「NT100形」が停めてあります。

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 車窓はこんな感じです。ローカルですね。

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 「能登中島駅」には、国鉄時代の郵便車が停めてありました。

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 「穴水駅」です。かつては「能登線」と「七尾線」の分岐駅、現在は終着駅となっています。

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 「NT100形」です。

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 「穴水駅」越線橋より、「輪島・蛸島」方面を撮影。5年前までは車止めの先にも線路が延びていました。

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 次の列車が出発するまでの間、「穴水駅」付近の廃線跡を見てみました。これは、橋梁の跡です。この付近で「能登線」と「七尾線」が分岐しているはずです。

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 踏切跡です。廃線跡を横断する、新たに敷かれたアスファルト(恐らく線路を通す溝を埋めるため)と標識が目安ですね。

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 廃線跡には線路から出たサビ汁で茶色く染まっているバラスト(鉄道路線に敷く砂利)がきちんと残っています。

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 かつて線路だった場所は、今はバラストにススキが生えている状態です。

「金沢城」

 「北陸」に住みついて6年半が経過して、初めて「金沢城」に入城しました「金沢城」は近年、一部の建物が復元されてにぎやかになっているそうです。

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 「いもり堀」と石垣です。江戸時代は幅が40m、深さが10m以上あったそうです。明治に埋め立てられましたが、近年一部が復元されました。

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 「鯉喉檜台」跡です。角の石は互いが精密にきっちり組み合わさっています。

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 「金沢城」は「石垣の博物館」と呼ばれるほど多種類の石垣が見られるそうです。増改築の繰り返しや特殊技術の応用を多く取り入れた結果だそうです。こちらは「野面積み」という、ほとんど加工を施していない自然石を積み上げたもので、高さが21mもあります(日本の城ではかなり高い方)。

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 石垣の石は戸室石(とむろ石)と呼ばれる安山岩(半深性岩)を主に使用しています。赤っぽいものと青っぽいものがあるそうです。

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 ただいま、「石川門」は修復工事中です。あと3年くらいで終わるそうです。

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 上2枚は、今年に復元された「河北門」、一番下は9年前に復元された「五十間長屋」・「菱櫓」・「橋爪門続櫓」です。この近年になって復元されたこれら建物の建つ広場には、「金沢大学」の建物が立っていました(昭和24年(1949年)~平成7年(1995年)の間)。

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 「五十間長屋」内部です。その名の通り、長さが五十間(約90m)あります。普段は武器や物資を蓄える倉庫として使われますが、有事では戦闘にも使用されるため、それ相応に頑丈に造られています。こんな長屋がかつてはいくつもありました。

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 石落としです。とても高いところにあります。

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 「菱櫓」です。普通の櫓は真上から見たときの断面が長方形(各壁が直角)ですが、この「菱櫓」は菱形です。正確には、100°の頂点と80°の頂点からできています。これは、櫓から重要な門の方向を見る際に視野が広い状態にするために菱形になったそうです(鈍角な100°の頂点を介した2面からの監視は死角が少なくなる)。

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 「菱櫓」の柱の組み合わせです。互いの部材がしっかり組み合わさるようにとても複雑な構造になっています。このように斜めに部材を組み合わせて菱形断面の建物を造るのは、当時はべらぼうに高度な技術だったそうです。

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 「橋爪門続櫓」です。内部は1階と2階が吹き抜けになっています。大型物資を「五十間長屋」の2階に運ぶためにこうなったそうです。ちなみに、写真右端に映っている現代っぽいものはエレベーターです。吹き抜けのおかげで余計な改造をせずい設置出来たのです。

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 本丸の方には「三十間長屋」が残っていました。

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 本丸の高いところ(標高60mくらい?)から「金沢市」内を眺めます。

「金沢」から再び「新潟」へ

 最初は半月?ほどの滞在予定だったかもしれない「金沢」滞在も5ヶ月半が経過し(対して「新潟」滞在は1カ月未満)、ついに「新潟」に戻る時がいました。一応11月中に異動することはフラグが立ちまくりでしたが、前の週に異動日が決まり、この週末に会社の車を運転してプチ引越しをしました。前日は、今までお世話になった(色々と迷惑をかけてしまった)上司・先輩方が送別会にて送り出しをしてくれました。滞在期間中はいろんな面でお世話になりましたので、とても名残惜しいです。またしばらく「金沢」に戻りたい気持ちも持っております。

 引越し自体は荷物が少ないので問題なく、土曜日は予定通り「金沢」の友達と寿司を食べて「富山」で一泊していきました。もう、卒論やら修論やらが迫っている時期もあって、後輩も忙しそうでした。日曜日は午前中に出発して一気に「新潟」へ踏み入れました。うーん、もちっと「新潟」でのんびりしたい欲が出てきましたなあ。あまり早寝をするのも惜しいが月曜日は元気でいかないといけんので、次の日に備えて早めに寝ておきましょう。「新潟」滞在はいつまでかはわかりませんが、少なくとも今年中は続きそうですね。

OB会の続き

 先週末は、先ヶ週末のOB会に集まれなかった同期の面子で飲んできました。いわゆる、OB会後半戦って感じです。僕はと言えば、奇数の土曜日だったので日中はお仕事(なのか?)で夕方に特急列車を介して「富山」入りしました(OB会とまったく同じパターンでした)。そして到着してすぐにみなさんと再会しました。あれもこれも学生時代とほとんど変っちゃいませんでしたね、だがそれがいいのです。最近出会わない人も多いですしね。
 一次会では早々僕は眠気に襲われました。夜更かし確定の日はやっぱり日中に昼寝をしたいですね。それでもテンションでおき続け?ました。互いの情報交換をこの場ではしていきましたが、みなさん大変だけど元気でなによりでした。
 一次会お開きの後は残りの面子で「tomoyan」宅へ向かいました。そして、こうなりました。

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 ここで初めてふんどしの着用方法を知りました。ふんどしって、案外簡単な原理で着脱できたのです。

 そんなこんなで次の日の3:00まで粘ってその後は爆睡して果てました。次の日と言えば寝ようと思えばいつでも寝られるテンションでしぶしぶ起きて、昼に駅前でラーメンを食べて、解散となりました。1年に何回かはこういう集まりでいつものそれぞれの日常と違うことが出来るといいです。今回は残念ながらこれなかった人もいますが、年末までに可能な限り会おうと思います。

OB会 3年目

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 今年は社会人として初めての部活のOB会にでました。6月から何故やら「金沢」に滞在い続けているため、当日(土曜日)が仕事でも特急を使って早めの時間に「富山」入りすることが出来ました。今回はいつも「富山」を訪れるときに会う、同期と先生方と後輩たちが集まりました。一次会は先生方も参加されて色々と人生の説法を受けて過ごしました。そして二次会以降は普段の部活の飲み会と化しました。後輩たちもとても元気そうで色んな味を持った人たちであふれておりました。子の後輩たちとなら、別の機会でも飲んでみたいです。その後カラオケ店で主に?アニソン三昧で過ごしました。流石みなさん、よくわかってらっしゃいます。1カ月ぶりに歌いたいジャンルで熱唱をして盛り上がりましたが、仕事直後の夜更かしは相当徹夜をしづらく、僕は次の日の3:00~4:00は軽い気持ちで無く切実な経緯で爆睡していました。やっぱ徹夜飲み会がある日は前の昼にしっかり英気を養いたいですねzzz。そして、来週の同期での集まりがある意味OB会後半戦になりそうです
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