「京阪京津線」の山岳区間

 宿泊先の近くに「京阪京津線」の山岳区間があったので、沿線を歩いてみました。

61‰区間
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 61‰区間を上側から眺めてみました。「京津線」の線路は左側の国道をくぐっていきます。国道の奥は、ほぼ水平です。「京津線」の勾配は、高速道路やバイパスのインターチェンジランプ並みの勾配で道路下に潜り込んでいます。

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 少し視線を下げると、勾配の急さがよくわかります。水平な奥の道路が上り坂に見えてしまいます。

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 反対側の景色はこうです。ちなみにこちら側は61‰よりも緩い41.1‰勾配です。

↓車内からの61‰
『「京津線」の61‰勾配』


半径45mの急カーブ(「逢坂山トンネル」坑口)
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 「京津線」は勾配だけでなくカーブもめちゃくちゃ急です。最少曲線半径は40mです。「逢坂山トンネル」坑口上からは、路線内で3番目に急な半径45mのカーブをよく見ることができます。カーブはほぼ90°方向転換し、通過車両1両で20°近くも折れ曲がっています。

普通鉄道国内最急勾配の駅(「大谷駅」の40‰)
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 以前も紹介した「大谷駅」を俯瞰してみました。駅の急勾配具合は、ホーム上からの方がわかりやすいです。

↓「大谷駅」構内についてはこちら
『40‰上の駅』
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色黒探偵の爆走寺

 「鞍馬寺」といえば、「京都」の北山にある寺で、「奈良時代」に「鑑真」の弟子が毘沙門天を安置したのが始まりと言われています。

 そして「劇場版名探偵コナン 迷宮の十字路」で「服部平治」が「コナン」とともに、『「義経」になりたかったんや!』犯人をバイクで追跡した舞台です。

 「鞍馬寺」は「京都」を代表する観光地の一つですが、「叡山電鉄鞍馬線」の「鞍馬駅」(海抜約230m)から寺院(海抜約400m)まで170m近くも石段や坂道を登り、さらに「奥の院」につながる道では100mも高度を上げます。つまり、結構疲れます。

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 寺院へ通じる道は、「金比羅山」のようにひたすら登ります。

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 途中にある「大杉」です。樹齢約800年、高さ約53mもあります。

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 標高400mの寺院からは、「鞍馬駅」周囲の谷筋が何とか俯瞰できます。

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 「源義経」が修行時代に利用していた湧き水らしいです。きっと犯人もあやかっていたことでしょう。

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 「木の根道」です。この辺りはすぐ下が硬い岩盤のため木の根が地中深くでなく、土壌面を這うように広がっている珍しい形態をなしています。

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 周囲は北山杉が多く生えています。よく整備されているためか?スギ花粉の時期は多少過ぎてはいるものの、花粉症の気配はしませんでした。

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 「鞍馬駅」です。駅舎は「京阪鴨東線」が「出町柳」まで開通した平成元年(1989年)に寺院風に改築されました。

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 「鞍馬駅」の改札口です。
 映画ではこの改札口を『「義経」になりたかったんや!』犯人と、「大阪府警」本部長の息子と「コナン」がバイクのまま突破しました。
 「そんなに急がなくても…」駅員は、劇中よりも若かったです。

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 劇中で彼らはそのまま「鞍馬線」の線路を爆走していきました。あのあと「コナン」の予想通り免停になったのでしょうか?

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 「鞍馬線」名物の「紅葉のトンネル」を見やすいよう窓が大きくなっている「900系」です。「鞍馬線」は、50‰勾配を所有する「‰の会」にも認定されている登山鉄道でもあります。

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 「鞍馬駅」には、「京都電燈デナ21形電車」が屋外展示されています。この車両は昭和4年(1929年)の「叡山線」黎明期あたりから生産されました。

「電車でGo!」の原点鉄道

 題名の由来を知っている人は少ないかもしれませんが、「京都」観光では非常に有名な「嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線」です。この路線は「山陰本線」の「馬堀」~「嵯峨嵐山」間における旧路線で、平成元年(1989年)に「山陰本線」のこの区間の新線への切り替えに伴い廃止となりましたが、平成3年(1991年)に観光鉄道としてトロッコを走らせることで復活しました。

 当時は「年間乗降数23万人で数年のブームが最初にあったのちにまたローカルになる」と予想されていましたが、初年度でその3倍の69万人、現在では100万人もの利用者が押し寄せる超成功した路線となりました。これを考えた人の発想がすごいです。

 そして、あの「電車でGo!」では初級コースとして登場しました。「電車でGo!」が発売された平成9年(1997年)にはとっくに観光鉄道化されていましたが、ゲーム内ではあえて「山陰本線」現役時代として登場していました。

この路線は人気が非常に高く、特に下流→上流コースが中々乗れないため、上流→下流コースで行きました。

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 「トロッコ馬堀駅」です。右の複線+トンネルが「山陰本線」(新線)、左の単線が「嵯峨野観光線」(旧線)です。

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 上の写真と同じ場所から反対側を見ると、この路線が「山陰本線」に合流しそうなのがよくわかります。

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 客車は「国鉄トキ25000形貨車」を改造したものを使っています。人を乗せるための車両でなく、荷物用の貨車そのものです。なので、車体の振動を直に感じることのできる楽しい人には楽しい車両です。

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 貨車専用の車両たちはしっかり自動連結器です(最近の乗客用は密着式連結器が主流)。

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 車両によっては窓ガラスなしの開放的なものになっています。チケットはすべて指定席ですが、椅子は赤の他人と相席になる上通路側だと人が邪魔なため、立ち席にしたほうがよいです。

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 ちなみに、「馬堀駅」近辺は、「明智光秀」が「本能寺」に向けて進軍した場所でもあります。それとは想像つかないゆるキャラになっていますが。

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 「馬堀」では馬車もみかけます。

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 「保津峡」です。車内は混んでいるため、景色を見る負担がかかります。「保津峡」の地質はメランジュが主らしく、チャートなどの険しい峡谷を造る原因となる硬い岩もあるそうです。

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 途中で3回「山陰本線」(新線)と交差します。「山陰本線」の列車と立体交差ができたらいいですが、今回は見られませんでした。

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 車窓からは、川下りをしている舟やボートをしょっちゅう見かけます。

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 「トロッコ嵐山駅」にて。ここで右の「山陰本線」(新線)と合流します。トロッコ列車は「トロッコ嵐山」~「トロッコ嵯峨」間の約1kmは、上下線とも「山陰本線」の下り線を走ります。つまり、上り列車は逆走運転をします。

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 「トロッコ嵯峨駅」にて。先頭の機関車は、「国鉄DE10形ディーゼル機関車」で、この形式は昭和44年~48年(1969~1973年)に製造された機関車です。現在もかくJRの車両所などで活躍しています。

「嵯峨嵐山駅」の無料博物館

 「山陰本線」の「嵯峨嵐山駅」の隣には、歴代の蒸気機関車を展示している「19世紀ホール」があります。
 主に、トロッコを待つ間や小休止の合間に気軽に本物の蒸気機関車を見ることができます。

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 広場には、「日本」の蒸気機関車ではおそらくもっとも有名な「D51」が展示されていました。

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 屋内には、歴代の「D51」、「C56」、「C58」が並んでいました。

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 その中の「D51」は、半分が真っ二つになり断面を見ることができる、非常に珍しい思い切った展示形態をしていました。外から見れば筒ですが、なかはボイラーからの熱を効率よく伝えられるように細かい管がこれでもかと貫いています。

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「国鉄ア4形蒸気機関車」です。「日本」では3両しか走らなかった大変珍しく個性のある形をした機関車です。一通り活躍した後、あの「島秀雄」主体で練習用機関車に改造されたそうです。

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 かつては、人力鉄道も「日本」全国に走っていました。人力車とどっちが楽なのでしょうか?

飛行機からの景色(「熊本」~「羽田」) その2 「名古屋」~「羽田」

 「熊本」~「羽田」航路の続きです。

「伊勢湾」と「中部国際空港」
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 「中部国際空港」は、滑走路1本の空港島としては独特な形です。恐らく海岸線の地形と、滑走路をなるべく陸地から話した影響でしょう。
 「伊勢湾」の奥が「名古屋」です。写真中央ちょい左側の河口は、右側から「木曽川」、「長良川」、「揖斐川」です。つまり、社会の教科書で習った河川より低い土地である輪中の街、「海津市」です。

「知多半島」
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 「伊勢湾」三大半島の一つです。肉眼でも「中部国際空港」がよく見えます。

「豊橋」
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 「豊橋」上空。このあたりは水深が浅いため、埋め立てが盛んです。

「浜名湖」
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 水深や塩分濃度?などの関係で、色が場所によって変わっています。そして、手の形です。聞いた話では、「ダイダラボッチ」が
「琵琶湖」で穴掘りをしてその土砂で「富士山」を造るという意味不明なことをしていた時に転んで手をついた後が「浜名湖」らしいです。

左から(各文字の真下に相当)
「飛騨山脈」、「木曽山脈」、「赤石山脈」、      「富士山」

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 「富士山」と「日本」三大アルプスが1目で見られました。

「富士山」(「御前崎」付近より)
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 「遠州灘」の上空より。「富士山」がだんだん見えてきました。左側の「赤石山脈」はまだまだ白いです(3月)。「赤石山脈」から流れる「大井川」がめちゃくちゃ蛇行しているのもよくわかります。

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 写真中央少し右下に「富士山静岡空港」があります。その名前の元の「富士山」はそこから80kmほど離れています。こうして「駿河湾」の海岸沿いに「富士山」を見られるのも新鮮です。

「富士山静岡空港」
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 他の地域でもそうですが、開港までに紆余曲折ありまくりの空港です。「牧之原」大地の一尾根を見事にぶち抜いています。

「富士山」と「静岡平野」(「駿河湾」より)
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 雪の積もっている山は右から「富士山」、「赤石山脈」、「木曽山脈」です。

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 「駿河湾」より、「静岡平野」、「富士山全体」、更にはその奥の「甲府盆地」まで見渡せます。改めてみると、「富士山」だけ地形が特殊です。

「静岡平野」
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 「静岡平野」全域を俯瞰。「三保半島」~「静岡県」北端の「赤石山脈」までがよく見えます。「静岡平野」を縦断する「賎機山」を境に、東西の高低差の気配がわかります。
 どれだけ知名度があるかわかりませんが、「静岡平野」の右半分の「清水」こそが、「ちびまる子ちゃん」の舞台町であることを書いておきます。

「富士山」拡大(「駿河湾」より)
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 飛行機は、「駿河湾」沖合を飛びます。そこから、海面よりそびえたつ、「東海道新幹線」から見るアングルの「富士山」を眺めることができます。飛行機は着陸態勢に入りはじめ、若干高度を下げています(「富士山」よりはだいぶ高い)

「伊豆半島」の「弓ヶ浜海岸」と「下田」
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 「伊豆半島」の奥座敷である「下田」です。下の写真が「下田市」市街地、上の写真が「下田」の南側の「弓ヶ浜海岸」です。遠浅の海と砂浜が非常にきれいな、おススメ海岸です。

「天城峠」
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 「天城越え」で有名な「天城峠」(写真左側)と「天城山地」が見えます。右側には風力発電所が並んでいます。よーく目を凝らしてみると、写真を4等分した区域の中心に、「河津七滝ループ橋」(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Kawazu_roopbridge01.JPG)が見えます。

「富士山」(「伊豆半島」南端より)
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 「富士山」を「伊豆半島」越しに俯瞰。「富士山」東側の「御殿場」は他より雪がたっぷり積もっています。

「房総半島」
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 「房総半島」の南端に差し掛かりました。東側へ向かう国内線は、「東海地方」南側の沖合を進み、「房総半島」を反時計回りに回り込んで「羽田空港」に着陸します。こうしてみると、半島が長いです。そして、かなり高度が下がっています。

「東京湾アクアライン」
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 「シンゴジラ」登場場所となった「アクアライン」が、写真中央右側に見えます。

「外房」の海岸
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 海が非常に澄み切っています。ここも深さごとに色が変わっているのがよくわかります。

「千葉」の工場群
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 工場マニアの人にとっては萌え画像です。マニアではありませんが、すごい設備群です。

「東京湾」
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 上空から見ると、湾内の船舶の数が異様に多いのがわかります。

「鶴見つばさ橋」
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 写真真ん中少し上にあります。

「川崎浮島ジャンクション」
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 「羽田空港」到着直前に、「タモリ倶楽部」の「首都高」造りかけ大賞でも紹介された「川崎浮島ジャンクション」を通過。このジャンクションは、「首都高湾岸線」と「東京湾アクアライン」の交点で、計画倒れになったパーキングエリアなどの未成用地があります。写真を横切っている白い高架が右側で途切れていますが、これが造りかけの部分です。パーキングエリア予定地は現在、太陽光発電所になっています。

飛行機からの景色(「熊本」~「羽田」) その1 「九州」~「紀伊半島」

 「熊本」~「羽田」間を飛行機で移動したので、その1時間半ほどの間に150枚くらい写真を撮ってみました。

 わりかしきれいに映った景色をうpしていきます。

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 ちなみに、「熊本空港」では馬刺しなどが食えます。
 
 それでは、景色をうpしていきます。
「九州」
「熊本平野」と「熊本空港」

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 飛行機は「熊本空港」から西側に離陸し、「熊本平野」上空を180°旋回して東に向きを変えます。
これは、旋回を始めた様子で、「熊琴平野」上空から「熊本空港」と「阿蘇山」を眺めています。

「阿蘇山」(南西から)
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 「熊本平野」の南寄りから撮影。なだらかな平野の上に、「阿蘇山」の険しいカルデラ地形がよく見えます。

「中央構造線」の地形
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 「九州」にも「中央構造線」が横断し、上空からはその地形がよく見えます。写真右下から左上にかけて、「中央構造線」による筋状の谷地形がまっすぐに延びています。


「阿蘇山」と「熊本空港」(南側から)
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 写真中央左側が「熊本空港」、右側が「阿蘇山」です。

「熊本平野」(南側から)
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 少し視点を左(西側)に移すと、「阿蘇山」の火山灰などで形成されたなだらかな「熊本平野」が見下ろせます。

「阿蘇山」全体(南側から)
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 「阿蘇山」のカルデラ全景を俯瞰。上空から見ると、巨大なカルデラ地形、外輪山の様子がよく見えます。こうしてみると、この火山の巨大さがよくわかります。こういう火山地形の中に町を造っていることがなんだかすごいです。

「大分市」
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 「九州」を横断し、「大分」上空を通過。「大分県」の特徴でもある「国東半島」が見えます。


丸っこい「国東半島」(上側)ととんがっている「佐賀関半島」(下側)
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 「大分県」の2つの半島はこんなにも形が違います。「佐田岬半島」は「中央構造線」によりこの形にとんがりました。

「九州」の「国東半島」(左側)と「四国」の「佐田岬半島」(右側)
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 「中央構造線」によって引き伸ばしちけいとなった2つの半島を同時に見れました。

「四国」~「淡路島」
「来島海峡第一~三大橋」

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 「愛媛県」上空を通過。写真中央に3連続吊り橋として有名な「来島海峡第一、二、三大橋」が見えます。

三高速の分岐点(「川之江」、「川之江東」ジャンクション)
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 「愛媛自動車道」、「高知自動車道」、「徳島自動車道」の3高速道路が2つの三叉ジャンクションによって繋がる「四国」の交通要所です。

「瀬戸大橋」
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 「瀬戸大橋」です。飛行機の高度は約12kmとかなり高空なため、全長が9km以上もある「瀬戸大橋」も一斉に見渡せます。「四国」側の平野は、「讃岐富士」などの硬質な岩相で回りと比べて削れ残った小山がよく見えます。

「大鳴門橋」
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 「大鳴門橋」を急角度でなんとか見られました。

「淡路島」
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 「淡路島」も大部分が形がわかるほど見渡せました。高空を通る便は視野が広いです。

「明石海峡大橋」
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 「淡路島」北端にある橋が辛うじて見えました。飛行機は、「淡路島」南端(もしくはさらに南の海上)を通っています。「本州四国」の三大連絡橋を制覇です。

「大阪」~「三重」
「大阪湾」
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 左下に「関西国際空港」、その上に「淡路島」の北端、真ん中上側に「神戸空港」、「ポートアイランド」、「六甲アイランド」、「神戸」の街並み、右側に「大阪平野」が見渡せます。「六甲山地」から北側は雲に覆われています。写真下の「大阪平野」南部には、古墳(小さい緑色の丘)が多く見えます。

「大阪平野」
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 少し右(東側)に視点を移すと、「大阪平野」全体が見渡せます。街並感が半端ないです。

「関西国際空港」(コナン映画視点)
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 確かこんなアングルだったと思います。

「大仙古墳」
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 写真中央に、教科書でも見たことのある、「大仙古墳」(面積が世界最大の墓)が見えました。

「奈良盆地」
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 「奈良盆地」を、その南端部から俯瞰。見事に山に囲まれています。写真左は「生駒山地」と「大阪平野」です。

「三重県」「松坂市」
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 「紀伊半島」を横断して「三重県」「松阪市」を通過。上空からは、水深の違いも川や海の色からよくわかります。

「鼻ぐり井手」(全自動除灰システム)

 「日本」全国に無数にある用水路の中で、「熊本」だけにしかない超貴重な形式の水路が「鼻ぐり井手」です。自分は、「ブラタモリ」で知りました。

 「鼻ぐり井手」は、「加藤清正」の時代の400年前に造られ、言い換えれば「全自動除灰システムつき用水路」で、水路の水に含まれる土砂(「阿蘇山」の火山灰)が水底にたまらないようにする形をしています。

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現地の説明書にはこう書いてあります。要約すると

「鼻ぐり井手」
場所:「熊本県菊陽町」(「阿蘇熊本空港」から数㎞北側)

建造時期:1608年

水路の概要:「阿蘇山」山麓~「熊本平野」の水田へ水を供給する全長12kmの水路

特徴:うちこの区間400mは岩山で、深さ20mもの溝を掘りぬいて水路が造られた。
→普通の溝ではなく、2~5m間隔で厚さ1m、高さ4mの仕切り壁を残し、そこ下部に2mほどの半円穴掘って水路にした

この形のいいところ:
①この壁と穴の形で流れる水に渦を発生させることで、水に含まれる「阿蘇山」の火山灰が巻き上げられ、底jに堆積せずに流れ去る
=深さ20mの谷から定期的に土砂を取らなくてもよくなる
②掘削量を減らせる



水路の様子(渇水期)
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 見てきた時期は2月ですが、この時期は渇水期で水がほとんど流れていないため、水路の底までがしっかり見渡せます。もとは川でも谷でもない、岩山だったのですが、水路のために、これだけの深さの岩盤を400年前に掘りぬきました。

 造られて400年たちますが、現在も25か所が残り、現役バリバリで全自動除灰作業を行っています。

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 少し拡大。現在も、定期的に水路の除灰を人の手でする必要は全くありません。

 ちなみに、現在は28基が残っていますが、建造当時は80基ありました。江戸時代に52基が破壊されましたが、それはこの水路の機能を知らない(引継ぎができていない)役人が(恐らく)「仕切りを取ってもっと水を流そうぜ」とでも考えていたようです。それでも現在に至るまで十分に除灰機能は健全です。

「熊本」の鉄道 その2 「熊本電気鉄道」の路面区間

「熊本電気鉄道藤崎線」の「藤崎宮前」~「黒髪町」間には、100数十mにわたり道路を通る、いわゆる路面区間があります。

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 路面区間の全景です。幅2車線ほどの道路に、単線の線路が曲がりくねって入ってきています。線路両側に塗られているオレンジ線が車両の限界線です。周囲は、普通の住宅街です。

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 「藤崎宮前」方面を撮影。曲がりくねって道路にやってきています。このくねり具合がかなりローカルっぽいです。

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 線路は道路の左端に寄っています。線路の隣は、普通の住宅建屋です。普通に家の門や駐車場が線路の隣にあります。

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 カーブがかなり急なため、線路両側に脱線防止ガードが設けられています。

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 線路左側に道路延長には、「藤崎宮」?の鳥居が見えます。

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 路面区間では、線路と家がこんな感じに見えます。ここの住人たちは、家の出入りや車の入出庫のために、普通に線路を渡ります。

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 「黒髪町」方面から全体を撮影。線路以外は、どこにでもある光景です。

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 「黒髪町」方面では、「都電荒川線」みたいに道路とガードレールを隔てて分かれていきます。

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 踏切手前から路面区間全体を撮影。

前世に戻った地下鉄車両
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 地下鉄「銀座線」の中古車両「01形」(01系)が路面区間を走っています。元都会の車両がローカル路線を走る光景はよくありますが、これはなかなか新線です。
 交通歴史では、地下鉄は路面電車の生まれ変わり(路面電車廃止して地下鉄に置き換えた事例が多い)でもあるため、この光景は現在の地下鉄車両が前世に戻ったともいえます。

踏切と元「銀座線」車両
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 地下鉄車両が踏切を渡るという、かなり珍しい画像。ですが、元の路線である「銀座線」にも「上野」の車庫に出入りする区間に踏切があるため、光景を継承しています。

「熊本」の鉄道 その1 車両

 「熊本」市内にはJR路線のほかに路面電車や「熊本電気鉄道」の路線が通っています。市内を巡って撮影した写真をうpしていきます。

「熊本市電」
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 「熊本」市内には、2系統の路面電車が通っています。軌間は新幹線と同じ1435mmでかなり広く、場所によっては運行密度が4分に1本とかなり高いのが特徴です。ほかの都市と同じく、最近では近代車両の進出が著しいため新旧の車両が入り混じっています。

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 また、路盤が芝生化されている場所もあります。

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 「熊本駅」前では、線路が歩道橋の橋脚を避けるように曲がりくねっています。

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 「富山」や「広島」などでも見られましたが、ここにも2両編成の近代車両が走っています。

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 「上熊本駅前」には車両基地が併設されています。そこにシーサスポイントがありました。軌間が広いため、交差部分が線路間とかなり近づいています。

「あんたがったどこさ」の場所
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 「日本人」の大半が知っているはずの有名な地名です。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
 「ブラタモリ」でやっていましたが、「船場山」は現在はありません。かつてあったこの橋を通る川の土塁が「船場山」らしいです。

「上熊本駅」
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 「上熊本」駅は平成27年(2015年)3月14日に改築されたため、かなり新しいです。ホームとホーム屋根はあの「水戸岡鋭治」がデザインをしています。床や屋根に木材がふんだんに使われています。

「熊本電気鉄道」
 この路線は、(特に「東京」の)中古車両の宝庫です。

「01形」(元「東京メトロ銀座線」の「01系」)
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 今年の3月12日に「銀座線」から引退する「銀座線」車両が、平成27年(2015年)2月21日からここで活躍しています。「銀座線」の軌間は1435mmで「熊本電気鉄道」の軌間は1067mmのため、台車をはじめとする改造はかなりの手間がかかっています。地方鉄道は経営状況によって価格の安い中古車両の導入が盛んですが、近年では大都市の鉄道車両の大型化で地方鉄道間での中古´中型車両´の争奪戦が激しくなっています。そこで、地下鉄の中古車両の導入にも至っています。

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 ホームと車両の隙間を埋めるために、「銀座線」時代にはなかったステップが取り付けられています。

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 車両の内装は、「銀座線」時代とほとんど変わっていません。

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 運転台もほとんど変わっていません。こういう中古車両は改造点を最小限に抑えていることが多いです。

「6000形」(元「都営三田線」の「6000形」)
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 かつて都営三田線」で活躍していた「6000形」です。5編成を譲り受け、製造されてから46~49年経過したかなりのベテラン車両です。

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 内装、運転席もどこか昭和の香りがします。

「北熊本駅」
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 「東京」現役時代はおろか、博物館でさえも決してみることのできない、「銀座線」車両と「三田線」車両のツーショットです(両社は経営会社が違うので、博物館同時展示はほぼあり得ない)。

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 構内の車両基地には、他の路線の中古車両(現役引退もある)がずらりと並んでいます。
左から元「南海電気鉄道」の「22000系」(「22000形」)、「青ガエル」と呼ばれた元「東京急行電鉄」の「5000系」(「5000形」)、更に歴史の長い「モハ71形」です。

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 「5000形」は、昭和60年(1985年)に「東急」から譲り受け、平成28年(2016年)2月14日の引退まで31年間も活躍していました。一時期は、「ケロロ軍曹」ラッピングがされるという、ネット上で盛り上がる規格が実行されました(作者の「吉崎観音」が「熊本」出身だから)。

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 「モハ71形」は、今から64年も前の昭和53年(1953年)に廃車となりその1~4年後に「熊本電気鉄道」に譲渡された歴史ある車両です。現在も「5000形」と同じく動態保存され、工場内での車両入れ替え役として活躍しています。

現在の「熊本城」

 「熊本」へ行ってきたので、現在の「熊本城」の様子を見てきました。
 テレビや新聞ネットで何度も報じられている、「熊本地震」の被害を受けた「熊本城」ですが、現地で見てみると、その被害の大きさがより実感できます。

 大きめの地震では、城の損傷は大規模なものが2~3か所あるというイメージですが、「熊本城」の場合はその大規模な損傷・崩壊が見えただけで数十か所(実際はもっと多いはず)あるということです。「天守閣」の復興は最優先工事で3年、城郭全体の復旧に20年以上、600億円以上かかるのがうなずけます。
 地震から9か月が経過していますが、見た目では、復旧工事のスタートラインに立っている状態です。

「熊本城」被災の特徴印象
① 大規模崩落が外から見えただけで数十個所ある
② (当たり前だが)町やライフラインの復興がまだまだこれからも優先
③ 城郭修復の専門業者が少ない


 現在の「熊本城」は、「二の丸広場」などの外側から様子を見ることができます。内堀より内側、「天守閣」などは今も立ち入り禁止です。

「馬具櫓」
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 石垣が崩れて内側の中詰め石ごと崩落し、上部の櫓が沈下しています。このような形の被害が、他にも多く見受けられました。

「二の丸広場」からみた城内
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 ここから先、「天守閣」側は立ち入り禁止です。

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 奥には崩落した石垣が今も散乱しています。

「二の丸広場」
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 立ち入り禁止の柵が、いたるところに張り巡らされています。柵の内側は崩落で危険な個所であったり、写真のように復旧工事の基地にもなっています。

「二の丸駐車場」
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 こうした観光用に使われるであろう建物前にも、工事に使うカラーコーン類が山高く積まれています。

「未申櫓」
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 櫓のとなりの石垣が完全に崩落しています。ここの復旧、崩落対策工事だけでも数年はかかりそうです。

「西出丸」の長壁
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 長壁も全体が潰れています。

「西大手門」
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 約100m遠方から撮影(門手前の広場は前面が立ち入り禁止)。建屋の下が完全に崩れ去っています。角の算木積をしている部分は基本強度が高いため、かろうじて残っています。そこで上のひずんでいる建屋をどうにか支えています。


「戌亥櫓」と石垣
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 こちらの石垣も全体が崩落しています。

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 石垣の崩壊は、間近ではこう見えます。

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 櫓の土台部も中抜け崩壊しています。ここも角の石垣で建屋を支えています。上の櫓には、土台崩落による歪が見られます。

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「宇土櫓」
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 櫓となりの長壁が崩落しています。遠目から見て櫓やその下の石垣は大きく損傷していないようです。

「加藤神社」への通路
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 一般人が通れる通路は、大型土嚢で補強してあります。

「不開門」付近
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 石垣だけでなく、中の地山の崩落も激しいです。かなり深い場所までえぐれています。一部は吹き付けモルタルで補強されています。

「天守閣」
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 ニュースでよく映された「天守閣」です。ここからは「天守閣」や櫓がきれいに並んでいるのが見えますが、崩落が痛々しいです。

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 「大天守」と「小天守」です。「小天守」の下の石垣が崩落して建屋と隙間ができています。石垣自体の崩落がまだ他と比べて少ないのは、「天守閣」が大きく重いため、石垣が地震動でばらけるのをそこそこ抑止されたからでしょうか?ただ、外目ではわからない反対側は一部が崩落しています。
 いずれにしても復旧には相当な手間がかかるのは明らかです。

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 「天守閣」の屋根瓦も、当時の報道のまま、剥がれ落ちていました。建屋の方は無事なのでしょうか?
 報道では城郭全体の中で一番優先して3年で復旧させる見込みです。

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 地元の小学生たちが作成したペットボトルによる「天守閣」です。

「大佐渡」巡り

 「佐渡島」は北側に「大佐渡」と呼ばれる山地、南側に「小佐渡」と呼ばれる山地が中央の平野(海抜30m以下で東西の海岸を繋いでいる)を介して分布します。
 「大佐渡」は海抜1172mの「金北山」をはじめとする1000m級の山々からなる大規模な山地で結構いろいろな景色を見ることができます。

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 平野部からみた「大佐渡」です。「佐渡島」はよく小さい島という偏見を持たれていますが、面積は「日本」にある島6000以上のうち8位で「沖縄本島」に次ぐ広さ(854k㎥)で、海岸線の長さは267㎞と、「上越新幹線」に匹敵します。

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 山腹から「佐渡金山」方面を俯瞰。真ん中に「佐渡金山」のシンボルである「道遊の割戸」が見えます。改めてみると、異様な地形です。

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 湾越しに「小佐渡」や「小木」方面が見渡せます。写真奥の先まですべて「佐渡島」です。こうしてみると、大きな島です。

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 「大佐渡」は標高1000m級の高い山でその北側には遮るものが何もなく「日本海」に面しているため、戦後から航空自衛隊や米軍のレーダーサイトが山頂付近に建てられました。かつては「金北山」(1172m)、現在は最新クラスのものが隣の「妙見山」(1042m)に建てられています。北側の監視をするのには絶好の場所です。平野からもよく見えます。

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 かなり高い場所から「日本海」を俯瞰。雲で先がよく見えませんが、ここから大陸まで大海原です。

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 紅葉が進んできました。

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 「金北山」のレーダーサイト?です。これは、前代の設備でしょうか?

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 こちらは最新クラスの「J/FPS-5」です。「中国」、「朝鮮半島」、「ロシア」に面する場所のため、かなり大掛かりなものが採用されています。建物全体が回転し、向けたい方向へレーダー全体を向けることができます。その姿から、「ガメラレーダー」と呼ばれています。

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 2つのレーダーはこのような位置関係です。

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 展望台から平野を俯瞰。

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 「佐渡空港」が見えます。滑走路の長さは800mで、使える航空機は限られています。

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 「両津湾」とそこに位置する「両津港」です。「新潟」と行き来するフェリーの拠点港です。

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  「加茂湖」です。「日本」の離島で最大の湖(面積4.85km2)。「浜名湖」と同じく汽水湖です。

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 レーダーに通じる道は封鎖され、監視カメラもちゃんとついています。

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 標高500m付近の山腹には、航空自衛隊の基地がありました。

日帰り「佐渡金山」の旅 その10 「大切山抗」見学【後編】

 「大切山坑」へ潜入です。

 「大切山坑」は、観光用坑道とは一線を画す探検坑道で、照明や柵などはほぼ整備されないありのままの坑道を見られるマニアックな坑です。おまけに照明設備もないため、真の暗闇も体感できます。

 坑道はほぼ素掘りのトンネル状になっていますが、「佐渡島」自体が非常に頑丈な火山性の岩石から構成されるため、坑道周辺の岩盤も非常に堅く、鉱山でよく言われる落盤事故はほとんど起きないためです。

 「佐渡金山」の観光用坑道は(特に「宗太夫坑」)、木の枠組みがかなり組まれていますが、あれは念には念を入れた安全設備+観光用の見せかけだそうです。

「大切山抗」は、「兵庫県」にある「明延鉱山」の見学ツアーのミニバージョンともいえるでしょう。

↓「明延鉱山」についてはこちらを参照
「明延鉱山」 その1 当時のままの坑道
「明延鉱山」 その2 当時のままの設備・機械
「明延鉱山」 その3 外の展示物


本題に入ります。
 「大切山坑」最大の特徴は、2本の坑道が数m間隔で並行していることです。

 これは、互いの坑道を切羽付近で繋げて空気を自然循環させるという、昔ながらの知恵から生まれたものです。

 現在では、ダイナマイトや機械による=破壊力のある掘削をしているため、坑道間には10m以上のスペースを設けねばならず、この2本の並行坑道は現代の鉱山では決してみられない貴重なものです。


 近代に入り、このうち1本の坑道がトロッコ列車や機械を通すために断面を拡幅されているため、洞内では江戸時代の狭い坑道と近代の広くて水平な坑道を2本同時に見ることができます。

坑道
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 入り口付近は、役人が馬に乗ったまま通れるよう、広めになっています。

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 少し進むと、人がぎりぎり立って歩ける高さに下がります。この状態で数百m進みます。

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 坑道内には、コンプレッサーから先端の機械に送られる、圧縮空気を輸送する鉄管が転がっています。

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 坑道内の床は若干かまぼこ上に凸凹です。これは、トロッコ列車用に敷いた枕木の跡です。排水路はなぜか進行方向左側に造るルールがあるそうです。

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 鉱脈が見つかったところはこのように脈に沿って細長く掘られています。脈は右斜め上に急傾斜していたのでしょう。この脈はおそらく小規模でしたが、人間の欲望通りに根こそぎ掘りつくされている感があります。

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 坑道内には蝙蝠も生息しています。蝙蝠は、逆さにぶら下がって昼は爆睡しています。このように触っても起きません。少し触れるくらいでは、しっかり踏ん張っています。ときどき超迷惑そうに身を縮こまらせるところが、人間と同じ動物らしいです。

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 石英脈が走っています。金銀は石英脈の真ん中に見える黒い縞状の層に含まれています。この脈はおそらく小規模で品位が低いものでしょう。ガイドさんいわく、高品位で採算の合う脈は、雲母のように光り輝いています。


壁の特徴
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 江戸時代の掘削の跡です。人の手でたがねやノミを使って掘っているため、細かく凸凹です。

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 近代に掘られた行動の壁は、比較的平滑で削岩機の跡がついています。


隣を繋ぐ横穴
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 隣の坑道と繋がっている換気用横穴です。この換気用孔は、切羽付近に造られ、掘削が進んだら埋め戻されてまた次の切羽に新しく横穴が掘られます。横穴は常に切羽付近のみに空くようにしています。これは、空気に循環を切羽前方にまで行きわたらせるためです。

奥のシュリンケージ
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 このコースで一番奥にあるシュリンケージです。入口から250mあたりで、鉱山全体から見ればまだまだ序の口です。シュリンケージは、脈に沿って掘られた大規模な空洞です。この辺りは、明治時代以降の近代技術で大規模に採掘されています。もしかしたら、下のズリの中に金銀が含まれている石が残っているかもしれませんが、こういう鉱山ではそれらの残り物も根こそぎ取りつくすそうです。

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 こちらの設備は、上の穴から鉱石を落として回収するものです。上の穴で採った石をトロッコ列車が通る坑道に回収する仕組みです。

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 金銀が含まれていそうな脈がありました。これも品位が悪い層で、回収されずに残っています。

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 この大量の木のがれきは、トロッコです。下に錆びた車輪が見えます。

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 シュリンケージ付近には、線路もちゃんと残っていました。線路は坑道廃棄の際に撤去されるのが普通ですが、奥の方は面倒でそのままなのでしょうか。

並行坑道がよくわかる場所
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 並行している2本の坑道が極端に近づいて繋がっている場所です。2枚の写真は同じ場所からそれぞれ反対側を撮ったものです。
狭い坑道が江戸時代に掘られたもの
広めの坑道が明治以降に拡幅されたものです。

 近づき具合が半端ないです。この状態で200m以上も続いています。


坑道クロス地点
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 写真は同じ場所から両側を撮影しています。互いの坑道の右左が入れ替わっているのがわかります。 
 この場所は、江戸時代断面の坑道と明治時代断面の坑道がクロスして位置が入れ替わっている場所です。
 この坑道が掘られた江戸時代には、2本とも交わらず並行していましたが、トロッコを通すために拡幅したら、掘りやすかったためか?この位置でクロスすることになりました。

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 どこで見ても、江戸時代の狸彫りの狭さは半端ないです。

案内ガイドと「タモリ」
 少し前に「ブラタモリ」の撮影で「タモリ」が「佐渡金山」に来ていましたが、ガイドも「タモリ」と握手したそうです。ガイド自身は『「タモリ」には、この「大切山坑」や「南沢疎水坑」のようなマニアックで深い場所も見てほしかった』と言われていました。
 確かに、メインの観光坑道よりも、こういうところの方が「タモリ」に向いていそうです。


「佐渡金山」の世界遺産化について…
最後に、「佐渡金山」は世界遺産登録を目指しています。世界遺産になると知名度が飛躍的に上がり、観光客も増大して地域の活性化に役立ちますが、世界遺産になるが故の残念な点もあります。

それは

世界遺産登録後は「大切山坑」のようなマニアックな坑道が見学できなくなる可能性が高い。

 このマニアックな坑道の探検は、安全関連の法律上から厳格に考えると、どうしても若干グレーになります。言葉は悪いですが、地方だからこそできるツアーでもあります。
 数年前は「南沢疎水坑」という、「日本」トップクラスの江戸時代に掘られた排水路がガイドツアーで見学できましたが、現役稼働中の排水路のため、法律面やお役所上の手続きが面倒になり、誠に残念ながら現在はやっていません。やってたら間違いなくいきました。

 世界遺産登録がされると「ユネスコ」関係者からこれらのマニアックな坑道探検ツアーの安全対策やら法律やら、増大する観光客への対応やらの細かいご指摘が良くも悪くも貫入してくるため、登録=一般者の立ち入り禁止がなされる方向になりそうです。
 ガイドの方も進言していましたが、世界遺産に登録される前のすいているこの時が、これらの坑道を見る最後のチャンスになりそうです。




参照
日帰り「佐渡金山」の旅 その1 丑三つ時の出発
日帰り「佐渡金山」の旅 その2 とりあえず歩いた
日帰り「佐渡金山」の旅 その3 「宗太夫坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その5 「道遊の割戸」
日帰り「佐渡金山」の旅 その6 様々な展示物
日帰り「佐渡金山」の旅 その7 金山をあとに
日帰り「佐渡金山」の旅 その8 「ジェットフォイル」
日帰り「佐渡金山」の旅 その9 「大切山抗」見学【前編】



日帰り「佐渡金山」の旅 その9 「大切山抗」見学【前編】

 6年ぶりに「佐渡金山」へ行ってきました。一応日帰りで行っているので、6年前のシリーズと同じ題名で続きとします。

 現在、「佐渡金山」では、ヘルメットと長靴懐中電灯をもってガイドの案内により「大切山坑」を見学できます。今回は、そのツアーの報告です。

「大切山坑」
概要
 江戸時代初期に山師・味方与次右衛門が、「この先に必ずや金脈があるはずだ!」との信念で地上から400mもの距離を1633年ころから14年かけて掘り進んだ坑道。そのかいあって1647年に大鉱脈を発見。

特徴
 2本の坑道が数m並行している。目的は2本の坑道を先端で繋げて換気をするため。現在では江戸時代の小さい坑道と近代の大きい坑道が並行している。コンプレッサーによる換気とダイナマイトによる掘削がおこなわれる現代では決してみられない非常に貴重な坑道。

 「大切山坑」を見る前に、近くの景色を紹介します。

山側からの「道遊の割戸」

 「佐渡金山」のシンボルであり、「ブラタモリ」で「タモリ」が「人間の欲望は凄い」と唸っていた、「道遊の割戸」を、普段の観光本で写されている海側と逆から見てみます。
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 山側から見ると、山を掘った感が広々とみることができます。こちらの方は遮蔽物が少なく近くからも見られ、手前の掘削跡が崖状態になっているため、スケールが大きいです。

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 拡大すると、山肌に坑道の跡(恐らく江戸時代)や、割戸の崖感じがよく見えます。


トキの森公園
 割戸の下、手前には土砂が大量に堆積しています。おそらく割戸沿いに掘り進んだ時にでたズリでしょう。

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 そして山肌。坑道孔がそこら中に見られます。山上の方は江戸時代に掘られた坑です。割戸横にも欲望のままに詮索を続けたのでしょう。

「大立堅坑」
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 「大立竪坑」は、明治8(1875)年に開削された日本初の西洋式立坑(垂直坑道)です。ここは、「佐渡金山」の鉱脈群(東西約3km、南北約600m)のほぼ中央に位置し、平成元(1989)年の採掘中止の時まで大動脈として使用され続けました。最終深度は352mと、「東京タワー」を上回ります。

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 この鉄製やぐらは、昭和13(1938)年の金の大増産期に建設されました。

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 やぐらを間近で見られる場所です。これ以上は立ち入り禁止で近づけませんでした。すぐ隣に封鎖されている坑道が見えます。
 
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 近くにも封鎖されている入口がちらほらとあります。

「無名異坑」(平成29年春から見学可能)
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 江戸時代の採掘状態を見学できる「宗太夫坑」の近くにある坑道です。佐渡特産の「無名異焼」の原料となる赤い岩石の採掘が行われ、明治以降金鉱脈を発見し昭和中期あたりまで試削が続けられました。この坑道は、30分かけてガイドの案内により懐中電灯を使って探検するようです。

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 中をのぞいてみると、江戸時代の形であろう狭く曲がりくねっている坑道が続いています。もし開いていたらこのツアーにも間違いなく行っていただけに惜しいです。

大佐渡 (1)
 近くに「宗太夫坑」のルート上にある人形が展示してありました。

「大切山抗」入口
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 今回の見学坑道の入り口です。周りにある封鎖坑道と見た目は同じ=普通の観光坑道よりもリアルなありのままの坑道跡ということです。

 次回はその内部を紹介します。

あと、江戸時代と近代の坑道の特徴をさらっと。

江戸時代の坑道
・狭い(人が通れればそれでよい)
・曲がりくねっている(人が通れればそれでよい)
・傾斜が急(人力で最短距離を行き来するため)
・坑口が山の中腹にボコボコ見える(傾斜が急なため)


近代の坑道
・広い(トロッコ列車や銃器を通すため)
・直線が多い(トロッコ列車や重機を通すため)
・水平緩やか(トロッコ列車や重機を通すため)
・坑口が山の麓に多い(坑道が水平で鉱石を通洞に落とすため)
・でっかい竪坑が多い(より深いところに効率よく行き来するため)

 

参照
日帰り「佐渡金山」の旅 その1 丑三つ時の出発

日帰り「佐渡金山」の旅 その2 とりあえず歩いた
日帰り「佐渡金山」の旅 その3 「宗太夫坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」
日帰り「佐渡金山」の旅 その5 「道遊の割戸」
日帰り「佐渡金山」の旅 その6 様々な展示物
日帰り「佐渡金山」の旅 その7 金山をあとに
日帰り「佐渡金山」の旅 その8 「ジェットフォイル」

トキの森公園

 再び「佐渡島」へ行ってきたため、寄ったところをこれから挙げていきます。まずは「トキの森公園」です。
 「トキの森公園」は、トキの資料館や飼育関連の施設(佐渡トキ保護センターとは別)があり、トキを間近で見ることができます。

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 こちらは、10年以上前にニュースでよく取り上げられていた「ミドリ」と「キン」のはく製です。トキは間近で見ると、目が無表情で鳩みたいです。イラストでは目に表情が出ているため本物が無機質っぽいです。
 イラストのトキは「アンパンマン」で、本物のトキは「アンパンマン号」といったところでしょうか。

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 こちらは「ミドリ」と「キン」の骨格です。

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 トキの羽です。トキの羽の内側は「トキ色」と呼ばれる淡いピンクがかった色をしています。

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 トキには赤色頭だけでなく黒色頭や全身が黒い種など、派生がいくつかあります。こちらは外国でよく見られるそうです。

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20m離れた場所から飼育小屋を見ることができます。トキは警戒心が強いため、離れた音の聞こえにくい場所からの閲覧になります。

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 敷地内にはトキふれあいプラザがあり、より近い場所から防音ガラス越しにトキを見ることができます。

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 運が良ければ飼育域内のトキをガラス越しに本当に目の前に拝むことができます。

「京津線」の61‰勾配

 普通鉄道では35‰が相当な急勾配とされ、これを上回る勾配は特例とされています。「京阪電鉄京津線」には、その中で61‰という「日本」で4番目の急勾配区間があります。

「日本」の普通鉄道の勾配順位(※現役のみ)
1位:「大井川鉄道井川線」・90‰
2位:「箱根登山鉄道鉄道線」・80‰
3位:「都電荒川線」ほか・66.7‰(ほかの路面電車にもありそう)
4位:「京阪京津線」・61‰


「大谷駅」(30‰上り)
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 以前紹介した「大谷駅」を運転席からも見ました。こうしてみても、傾きがよくわかります。

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 「京津線」の最少曲線半径は40m(恐らく「浜大津」付近)、このカーブの半径はわかりませんが、相当急です。100mあるかないかでしょうか?

40‰上り→0‰
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 40‰分の勾配変化がわかります。水平でも下っているように見えます。

0‰→41.1‰下り
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 山越えをしてから、40~61‰クラスの下り勾配が「琵琶湖」方面へ連続しています。

41.1‰下り→61‰下り
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 隣接道路の下をくぐっていく手前に61‰勾配があります。

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 写真左下に61‰勾配標記があります。奥の道路が水平に近いであろうことを考えると、この線路がいかに急なのかがわかります。ちなみに、61‰は、高速道路やバイパスのインターチェンジランプの勾配に匹敵します。

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 急勾配を下った直後に急カーブがあるため、列車はかなり徐行しています。

「蹴上インクライン」

 「琵琶湖疎水」の名所の一つである「蹴上インクライン」を見てきたのでうpします。

「琵琶湖疎水」は海抜85mの「琵琶湖」と海抜40m台の「京都盆地」を、自然高低差を利用した水路で明治18~23年(1885~1890年)に建設されました。「琵琶湖疎水」は「京都盆地」への水供給のほかに舟による水運として利用されていることから、大部分が1/2000~1/3000という緩勾配で結ぶため、直線距離で9kmしか離れていない両地点の40m以上の高低差をこの勾配で結びきれませんでした(すべてこの勾配で結んだら全長は少なくとも80㎞になる)。水路自体はこの高低差でも問題はありませんが、舟を確実に輸送するためにはこの高低差をどこかで解消する必要があります。そこで造られたのが「蹴上インクライン」です。

 「蹴上インクライン」は、言い換えれば船のケーブルカーで、全長582m、36m分の高低差を1/15(66.7‰)勾配で一気に結びます。ここでは斜面上に超広軌な線路が敷かれ、水運用の舟を専用台車に乗せてウインチで上下させます。

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「琵琶湖疎水」の概要

「琵琶湖」(水面標高約85m)

1/3000~1/2000勾配(0.33~0.5‰)で「京都」へ

「蹴上インクライン」上部(標高約82m、地形図から推定)

1/15勾配(66.7‰)のインクラインで36m降下

「蹴上インクライン」下部(標高約46m、高低差を引き算して推定)


 これから、上から下へ移動します。

インクライン上部
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 インクラインの上部です。写真奥は「琵琶湖方面」で、山を貫くトンネルがすぐ近くに見えます。

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 水路とインクラインの境です。インクライン用の線路は水路にある程度沈み、水中に潜り込んだ台車に直接舟が乗り上げ、インクライン輸送に移ります。

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 反対方向から見ます。展示用に当時の舟が展示されています。

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 横から見ると、一風変わった貨物列車みたいです。

インクライン上
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 これからインクラインを歩きます。少し離れたところから見ると、勾配が変わっているのがよくわかります。

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 インクライン上部から下を眺めます。かなりの急勾配で景色がいいです。高低差は、一般的なジェットコースター並みです。ここから列車を自由走行させたらどこまでスピードが出るのでしょうか?

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 インクラインは当時のまま保存されています。バラスト軌道で少々歩きづらいですが、一部に石畳が置かれています。

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 線路はかなりの年季が入り、奥までしっかりさびている感じです。

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 木性枕木は、下方向に大きく座屈しています。この勾配では重力の約1/15倍もの力が斜面下方にかかり続けます。それに加えてインクラインの役目上線路幅がかなり広くその分枕木が長く重いため、一般的な鉄道路線と比べて座屈が大きくなりやすいのでしょう。

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 インクラインの勾配を真横から撮影。かなりの傾きです。この1/15勾配は、鉄道でいう66.7‰勾配。この勾配は、かつての「信越本線」「横川~「軽井沢」間、そしてこのインクラインの隣にかつて走っていた「京津線」に採用されていました。

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 インクライン中腹から上と下を撮影。隣に見える道路には、かつて「京津線」が走っていました。

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 途中に台車と舟が展示されていました。

インクライン下部
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 インクラインの下部です。ここにてようやく「京都盆地」の標高になりました。現在ここは公園の池と噴水になっています。ここでジェットコースター兼ウォータースライダーをやったら面白そうです。

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 下部から上を見てみます。

横の道路より
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 インクラインは途中で周囲の土地より高くなるため、レンガ造りの高架橋が造られました。

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 レンガアーチの内部構造に注目。レンガが斜めに積み上げられ、レンガは内部でらせんを描いています。これは「ねじり間歩」と呼ばれる組み方で、大量の荷物を積んだ船の重量と、斜めに交差する線路がのしかかることで生じる歪な力に耐えるために採用されました。

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 最後に、インクラインの隣の道路を撮影。ここじはかつて「京阪京津線」が66.7‰勾配で通っていました。今は地下鉄「東山線」に乗り入れてこの地下を走っています。

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 反対の「大津」方面を撮影。かなりの勾配です。

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 断面から見てもすさまじいです。ここを数十t以上の列車が走っていたのが驚きです。

「青函トンネル」見学 その4 体験坑道へ降下

 ようやく「体験坑道」(かつての「竜飛海底駅」今でいう「竜飛定点」の近く)に入ります。
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 この「体験坑道」は、かつての「竜飛海底駅」につながる地下通路で、海面下140m近くまで専用のケーブルカーで降りていきます。ちょうど1年ほど前に、列車火災事故で初めて避難設備としてフル活用されました。上の写真はこの周囲の坑道地図ですが、「青函トンネル」本体だけでなく、周囲も建設のための坑道が網の目のように張り巡らされているのがよくわかります。「体験坑道」(緑色部分)までのコースは、ほんのごくわずかです。

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 海底下へ降りていくケーブルカー(「青函トンネル竜飛斜坑線」)です。
全長(一般公開されている部分)は778m、高低差約170m、最大傾斜250‰(約14°)、軌間は914mmです。

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 真横から見るとこんな傾斜です。

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 海底下へ降りる線路は普段は門で閉ざされていますが、通行時にこのように開きます。

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 前方から見るとこんな景色です。「立山黒部アルペンルート」の途中にある「黒部地下ケーブル」みたいです。

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 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の「第10の使途」侵攻時に、「ミサト」がネルフに下るケーブルカーで通話しているシーンがこんな感じでした。

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 終着場所の位置です。

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 斜坑とケーブルカーは、この先も続き、海面下約240mの先進導坑の基地まで続きます。以前は、体験観光でそこまで歩けたらしいですが、行ってみたいです。

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 降りた先にはこんな光景が広がっていきます。通路をこのまま進めば「青函トンネル」本坑につくでしょう。それにしてもみなさんよく写真をゆっくり撮らずにそそくさ進むものです。

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 おそらく「青函トンネル」建設時に資材運搬などのために使用されていた線路が残っています。写真右奥のトンネルは、ケーブルカーの斜坑につながっています。

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 拡大するとこうなります。線路がジェットコースターみたいに曲がりくねってケーブルカーの線路につながっています。奥に見える灯り部分がケーブルカーの斜坑です。使用当時はどのように使われていたのでしょうか?

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 広場みたいな空間には、何らかの資材が置かれています。

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 ところどころ照明に凝っています。

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 おそらくこの奥が「青函トンネル」本坑です。今は立ち入り禁止です。

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 色々分岐点があって初心者は迷いそうです。

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 「竜飛海底駅」であった時代は、快速「海峡」で途中下車してこの辺りを歩いたのでしょうか?

「青函トンネル」見学 その3 「竜飛斜坑口」

 今回は、最近も発煙事故で活用された元「竜飛海底駅」への入口の風景を紹介します。

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 近くには、巷では有名な階段国道がありました。

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 「竜飛定点」の入り口周囲です。この辺は今は殺風景な空き地のようになっていますが、「青函トンネル」建設時代はここが建設基地としてめちゃくちゃ繁栄していました。

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 かつては工事関係で掘られた穴も必要に応じて封鎖されています。

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 中には地震計設置場として有効活用もされています。

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 何かの喚起や排水ポンプ施設の一つでしょうか?おそらく建設時代からずっと使われているのでしょう。

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 「青函トンネル記念館」です。海底下135mの「竜飛定点」への入り口でもあります。写真右側に、「竜飛定点」へ降りるケーブルカーの巻き上げ装置が見えます。


「青函トンネル記念館」の周りには、「青函トンネル」やその建設工事に関係するものが屋外展示してありました。「青函トンネル」が開通して27年近く野ざらしにされていたのか?結構風化していました。

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 「青函トンネル」の軌道です。ちゃんと新幹線用と在来線用の三線軌条になっています。

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 掘削用のカッタービッドです。

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 作業員運搬用のトロッコです。観光用に走っているものとそっくりです。

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 斜坑用のケーブルカーです。

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 生コンクリート運搬車です。生コンプラントから作業場までが非常に長いため、ミキサー車の鉄道型を使用したのです。

「青函トンネル」見学 その2 「竜飛岬」

 そのまま「青函トンネル」見学のために、そのまま「竜飛岬」へ向かいました。

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 奥に見えるのが「竜飛岬」、さらに海の向こう側が「北海道」です。

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 この周囲はいつもの「日本」の風景と何か違います。どこか「北海道」っぽさや高山っぽさがあります。

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 「竜飛岬」からみた「津軽海峡」です。「太平洋」と「日本海」を結ぶ狭い海域のため、潮の流れがかなり速いです。

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 「竜飛岬」先端より「北海道」方面を鑑賞。ちょうど写真中央に沿って、海底下100mに「青函トンネル」が通っています。

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 「竜飛岬」より南側。この下の広場は、かつて「青函トンネル」の工事現場基地でした。基地の跡が広々としています。

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 帰り際ですが、シジミ定食を堪能しました。

「青函トンネル」見学 その1 「青森」側坑口

 「奥津軽いまべつ駅」を後にして、そのまま「青函トンネル」へ向かいました。

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 「青森」の道路は、どことなく「日本」っぽくない感じがします。なんか「北海道」に近いです。

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「青函トンネル」の「青森」側坑口です。奥の2名も写真を撮る目的で「奥津軽いまべつ駅」でも撮影をされていました。被写体を追う動きが機敏で無駄がないため、とても参考になります。

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 「北海道新幹線」が開業する前の写真です。まああまり見た目に変わりはありませんが。貨物列車や特急列車など結構いろいろ通ります。近くには列車の通過予定表が掲示され、撮影用のためなのか?展望台もありました。

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 展望台からの景色です。奥には海が見えます。海抜は20~30mほどです。「青函トンネル」では線路が海底下100mへ向けて20~25km連続12‰勾配で下ります。すでにこの辺りで勾配がついています。

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 撮影したのは「北海道新幹線」が開業する10ヶ月前ですが、新幹線用の線路はすでに敷かれて試験走行などが行われています。

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 このまま「竜飛岬」へ向かいました。

5月旅行 4日目 その1 「北陸新幹線」乗り込み(「金沢」~「富山」)

 「福井」を後にしてから「金沢」に泊まり、次の日は「北陸新幹線」に乗って「富山」と「長野」によりつつ、帰りました。まずは、開通後2か月しかたっていない、「北陸新幹線」の新規開通区間に乗ってきました。


5年前の「金沢駅」(平成22年(2010年))
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 「北陸新幹線」のこの区間が開業する14年も前に造られた高架橋のみで、線路や駅舎がまだありません。

現在の「金沢駅」(平成27年(2015年))
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 そしてこちらが開通後の「北陸新幹線」です。5年前の写真もこの写真も、近くの立体駐車場から撮りました。

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 おそらく、写真を撮る人が結構いるのでしょう。立体駐車場屋上には、このような注意書きがありました。

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 「金沢駅」構内です。駅の高架橋自体は13~14年前に完成していたため、若干風雨にさらされた感があります。

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 新型車両の「E・W7系」です。今までの新幹線車両とは違った色合いとカッコ良さがあります。

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 室内もどこか木製質です。どちらかというと、「九州新幹線」の「800系」よりな感じです。

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 すべての座席にコンセントがついています。コンセントが多い=配線が多い=その分重量が増すため、座席の重さまでg単位でこだわる「東海道新幹線」では果たして実現するのでしょうか?

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 「神通川」上流を撮影。手前に「富山北大橋」、そのさらに奥には「新富山大橋」が見えます。

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 「富山駅」から「金沢」側を撮影。線路が結構直線なので、「神通川橋梁」も移せます。「北陸地方」は豪雪地域のため、分岐器のある所には、雪覆いがつけられています。

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 「富山駅」でも「E・W7系」を撮影。

※現在の「富山駅」
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 一言でいえば、駅が昭和から平成に代わりました。

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 コンコースもこの通り。「金沢駅」よりも広々しています。

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 最大の見せ場といえば、自動改札において他はありません。ついに「北陸」の駅に自動改札がやってきました。思わず撮影しました。

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 在来線(第3セクター)のほうは手動改札なのでご安心ください。

5月旅行 3日目 ヱヴァンゲリヲンと日本刀展(「福井」)

やっと、ニアミスを繰り返していけなかった「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展(「福井」)」へ行ってきました。「中国地方」へ行き、その帰りに日本刀展へ行き、そのまま開通したての「北陸新幹線」へ乗って「関東」へ帰るというコースの一部に組み込みました。

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「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展(「福井」)」は、知っている人は良く知っているイベントですが、「日本」中の刀鍛冶によりヱヴァ仕様に造られた刀剣類を展示するという、日本刀とヱヴァのコラボです。しかし安易にイメージするコラボとは一線を画するものです。世の中にある展覧会の中でもガチで見に行くべきと断言できる展覧会です。


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 遠目では常設に日本刀の展覧会に見えますが、ここに並ぶものはすべて、ヱヴァ仕様で造られたものです。


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 ヱヴァンゲリヲンのフィギュアを使った、決闘ジオラマです。「碇指令」がいい味を出しています。


ここから、各作品を解説していきます。本来なら製作者の解説も交えて詳しく紹介したいところですが、量が多くなるので割愛します。これらの作品は、ヱヴァを人間サイズにしたときに合わせた大きさで造っています。
 
マゴロクソード
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 ヱヴァのスピンオフ作品である、「ヱヴァンゲリヲンANIMA」に登場した武器です。江戸時代の大業物である「孫六」からとって名付けました。


カウンターソード
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 刀身が55㎝もある、大型の脇差仕様です。制作者自身、ヱヴァ好きという理想コラボで造られています。

ビゼンオサフネ
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  この作品名は、現存する名刀の半数という、「日本」一の日本刀生産量を誇った「備前長船」からとっています。全長144.2㎝、刀長112.8㎝、刃の重さが1770gという巨大なものです。製作者いわく、4尺にできなかったのが心残りとか。

ビゼンオサフネ豆太刀
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 豆太刀とは、お雛様や五月人形につけられているようなミニ太刀です。小さい分、刃を造るのが難しいそうです。

弐号機仕様短刀(式波・プラグスーツ)
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 「アスカ」が乗る「弐号機」をイメージに作り上げた短刀です。特筆すべきは、刀身部分に「アスカ」の全身が透かし彫りされているところです。つまり、刀身を造った後緻密に彫り上げたもので、歴史上観音様を掘ることが稀にありましたが、アニメキャラでやるのは間違いなく初めてでしょう。

弐号機F型用ATF曲刀
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 「筑紫薙刀」と呼ばれる刀をもとに製作されました。室町・戦国時代に使われたものの、現存するものが少ない貴重な形です。
 
初号機使用脇差<序・破・急>
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 刀身部分に、「序」・「破」・「急」の文字が彫り込まれています。色は「初号機」をイメージしています。

零号機仕様脇差<龍と槍>
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 「綾波レイ」の乗る「零号機」をイメージした脇差です。新劇場版の色をしています。刀身には、龍とロンギヌスの槍が掘られています。


真希波・マリ・イラストリアスプラグスーツ仕様短刀
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 刀身を細くまっすぐにしています。これらのデザインは、日本刀職人だけでなく、現代デザイナーなどの案もふんだんに盛り込まれています。

セカンドインパクト短刀
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 セカンドインパンクとをイメージした短刀です。鎌倉時代の刃紋を表現することで、セカンドインパクトによる災害のうねりを表しています。さらに、ぜーれの紋様も刻まれています。

ヱヴァンゲリヲン初号機型兜
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 「破」のラストで覚醒した初号機を、鉄製の兜で表現しています。遠目は戦国時代の兜にも見えてしまいます。実はヱヴァはよく似ているんですね。

覚醒烈勢面
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 「破」のラストで覚醒した初号機を、赤銅1枚板で表現しています。昔のお面とエヴァが融合しています。

プログレッシブナイフ剣型(丸)
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プログレッシブナイフ剣型(角)
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 弐号機に使われているプログレッシブナイフです。日本刀には刃紋がでるため、このように両刃で造る場合は、刃紋が左右対称になるように研ぐのが大変で、研ぐ量も2倍になります。左右対称に見せる必要があるのは、表裏両方であるため、4回の研ぎ作業にすべて気を使います。

隕鉄から鍛えた脇差
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 隕鉄は、ロンギヌスの槍にも使用されたといわれ、ヱヴァの世界とつながっています。そういえば、セカンドインパクトも大質量の物体(隕石とか隕鉄?)の衝突とされていたので、これともつながりがありそうです。鋼がギラッとし、刃紋がぼやっとするのが特徴です。

手銛<プログレッシブナイフより>
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 手銛は「東大寺正倉院」に5振りだけ現存する古代の武器で、プログレッシブナイフ仕様にしました。この複雑な形から製作、特に研ぎ作業は難しいと予想されましたが、予想以上に簡単に研ぐことができ、当時の人たちの複雑なものを効率的に仕上げきる技術が立証されました。

渚カヲル仕様刀
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 全体的に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版のQ」のテーマである「希望は残っている」というテーマで、水面をイメージして作り上げました。

綾波レイ仕様太刀
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 「綾波レイ」をイメージして作った刀です。赤い宝玉はレイの赤目を表し、柄はセントラルドグマのリリスを示しています。

ヱヴァンゲリヲン刀子 零号機・初号機・弐号機・Mark.06・8号機仕様
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 刀子は、「正倉院」の時代にも実在していた身だしなみ用品としての小刀です。これらの刀子を、各ヱヴァンゲリヲン、パイロットスーツのデザインから作り上げています。

刀野薙(NATAYANAGI)
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 作品中にも登場していない、この展覧会のためだけに製作された日本刀と「ヱヴァンゲリヲン」を完全にコラボさせた作品です。

プログレッシブナイフ・ナイフ型
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 「シンジ」が「ミサト」の退避命令を無視して使途に切りかかったときに使ったナイフです。このジグザグした部分すべてに刃が造られていますが、研ぐのがかなり大変だったそうです。

ロンギヌスの槍
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 「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」を代表する、「ロンギヌスの槍」です。全長332㎝、総重量22.2㎏、複数種の金属を重ねたダマスカス鋼で木目のような地肌を出しました。この作品は、全日本刀匠会会長やその弟子たちという、日本刀会の最高峰の人々で造られました。ちなみに、制作で一番苦労したのは法律面で、武器ではなく美術品として作るのに試行錯誤があったそうです。

5月旅行 2日目 「六甲山」

次の日は、「六甲山」に登ってきました。

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 その日は、霧雨状態で視界はほとんどありません。帰りは晴れていましたが、撮った写真がどっかへ行ったので公開できません…

「六甲オルゴールミュージアム」

 「六甲山」は、絶景を眺めるべき山ですが、この日は天気が悪かったので、「六甲オルゴールミュージアム」へ行ってきました。
 ここには、ありとあらゆるオルゴールが、展示してあります。



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 こちらは、円盤型のオルゴールです。円盤に穴をあけたときにできる突起を爪としています。ドラム型と比べて生産が容易で安価です。

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 円盤型オルゴールの円盤の拡大です。穴の裏が爪状態に飛び出ていて、裏の鍵盤に引っかかって曲を奏でます。

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 パイプオルガンと化している、大規模なものまであり、定時的にコンサートが開かれています。どんな仕組みになっているのか、非常に気になります。

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 ドラム型オルゴールの拡大です。よく見ると、鍵盤の間に、爪が数列並んでいます。これは、ドラムを微妙にスライドさせることで、別の曲を奏でる、つまり1つのドラムで数曲を取り入れている仕組みです。たとえでいうなら、自転車の変速機みたいなものですね。

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 このように、普通のオルゴールと打楽器が連動したものもあります。

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 このように、バイオリンを組み合わせたものまでありました。

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 こちらは、アコーディオンを組み合わせています。

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 こちらは、オルゴールの威力で鍵盤も動きます。

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 こちらは、打楽器とオルゴールがこじんまりと整っています。

「六甲高山植物園」

次に、霧雨の中を掻い潜って、「六甲高山植物園」へ行きました。この植物園は、「日本」の植物学の第一人者である、「牧野富太郎」博士の指導を受けて昭和8年(1933年)6月24日に開園した、歴史ある植物園です。園は海抜865mに位置し、年平均気温は北海道並なため、この気候を利用して世界の高山植物、寒冷地の植物など約1,500種の植物を栽培されています。

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 周囲はめちゃくちゃな霧で、真っ白で何もわかりませんでした。

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 春の七草のひとつの仲間?である、「ハコベ」です。食べられるでしょうか?

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 「ワサビ」がありました。すれば普通に食べられそうです。

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 このような、山イチゴのような植物も見られました。

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 植物には詳しくないのですが、とにかくいろいろありました。とりあえず、「フウロ」やら、「シロナ」やら、「カミツレ」などのポケモンがらみを探して過ごしました。

この後は、霧だらけの展望台へ行き、「ヒバリ」と解散して、「北陸」方面へ向かいました。

5月旅行 1日目 その2 「有馬温泉」

「姫路城」探索の後は、「有馬温泉」へ行ってきました。

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 「有馬温泉」へは、「神戸」方面からでは、「北神急行電鉄」と、「神戸電鉄」を乗り継いでいくのが王道です。

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 「神戸電鉄」は、通勤電車でありながら、このような50‰勾配が断続する、登山鉄道でもあります。50‰は、道路でいう5%、高速道路の最高クラスの勾配になります。

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 「有馬口駅」です。2年半前にも訪れましたが、分岐器が、SSS(シングルスリップスイッチ)から、普通のダイヤモンドクロッシングタイプに代わっていました。まあ、このタイプのほうが、シンプルでメンテナンスが楽なのでしょう。

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 「有馬」の露頭は、温泉成分の一つである鉄分を含んでいるためか?雨水や湧水で、茶色く染まっています。

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 温泉街をいろいろ探索して、「有馬稲荷神社」まで行きました。

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 境内は、予想外の山道でした。

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 このタイプの灯篭は、何なんでしょうか?

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 温泉櫓です。温泉街には、こういう温泉関連の設備などがちらほら観光として見れます。この後、「太閤の湯」に2時間近く入浴してきました。

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 「有馬温泉」を後にしてからは、「神戸」市街に戻りました。これは、最近はやりのリニアモーター式地下鉄の「海岸線」です。線路に草が生えていました。

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 「神戸港」へ行きました。写真撮影・構成提案は、「ヒバリ」です。僕も、このような構図をパパッと考えつきたいです。

5月旅行 1日目 天守閣頂上まで3時間

ゴールデンウィークに、新装開店した「姫路城」天守閣へ行ってきました。大修理を終えた初ゴールデンウィークということもあり、混雑が予想されたため、会場よりも1時間早めに現地入りしましたが、この時点で、本日約4000枚目の整理券が配布されました。すでに行列は、城郭のふもとまで達し、実際には、並んでから天守閣に入るまで2時間半、天守閣へ入って最上階へ行くまで40分以上、片道3時間台の壮大な休日浪費をしました。

本記事で扱っていない「姫路城」ネタは、5年前の記事に載せています。
『「岡山」旅行 その3 「姫路城」への入城 前編』
『「岡山」旅行 その4 「姫路城」への入場 後編』


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 天守閣内部です。1~2列分の幅しかなく、バリアフリーガン無視の傾斜45~60°の階段+最上階の人待ちです。城でこんなに並んだのは、初めてです。

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 昭和の大修理の際に、制作された天守閣の模型です。えらい複雑ですね。

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 釘隠しです。こういうところまでしっかりこだわっています。

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 天守閣を支える2本の大柱です。すごくぶっといです。

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 大天守と小天守を結ぶ、二重扉です。いまでいう、シャッターと非常扉の組み合わせのようです。

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 筋交い部分です。

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 大天守と小天守を結ぶ通路です。天守閣群の通路だけでも、これだけの長さがあります。

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 柱と梁を接合する部分も、形にこだわっています。


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 今回の目玉である、屋根の漆喰です。上が数年たってカビが生えてきたもの、下が修理したてのきれいな漆喰です。報道では2~3年の輝きです。ということは、完全にきれいにみられるのは、今年中でしょうか?

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 天守閣からの光景です。時間は正午近く、未だに一番のふもとまで行列ができています。果たして、全員が入れるのはいつごろでしょうか?

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 5年ぶりにすべてを拝めました。

「いずも型護衛艦」「いずも」

 「横須賀」の乗り物フェスタへ行ってきました。その会場である、「横須賀基地」では、今年は海上自衛隊最大の護衛艦である、「いずも型護衛艦」「いずも」に乗ることができました。

 話によれば、今年は、公開艦艇が前日まで公表されず、当日行って初めて「いずも」だとわかったそうです。護衛艦の中で最新(就役してからまだ3ヶ月弱!)、最大という、話題目白押しの船のため、事前に公表したら、去年のカレーグランプリのように人が大量に押し寄せて、大変なことになるから、今回は隠していたのかもしれません。色々ニュースやネットで話題の大きい艦ですが、Wikiからの引用で、下に「いずも」のスペックをコピペしておきます。


艦級概観
艦種 ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
艦名 旧国名
建造期間 2012年 -
就役期間 2015年 -
前級 DDH:ひゅうが型護衛艦
次級 最新

性能諸元
排水量 基準:19,500トン(計画)
満載:27,000トン(計画)[1]
全長 248.0m
全幅 38.0m
深さ 23.5m
吃水 7.3m[2]
機関 COGAG方式
LM2500IEC型
ガスタービンエンジン
(28,000ps) 4基
推進器 2軸
速力 30ノット
航続距離
乗員 約470名[3]
(約970名:便乗者等含む[4])

兵装
高性能20mm機関砲(CIWS) 2基
SeaRAM 近SAMシステム 2基
艦載機 SH-60K哨戒ヘリコプター 7機
MCH-101輸送・救難ヘリコプター 2機
最大積載機数 14機
C4I 洋上ターミナル(MTA)
OYQ-12戦術情報処理装置
レーダー OPS-50 3次元式 1基
OPS-28 対水上捜索用 1基
OPS-20 航海用 1基
ソナー OQQ-23 艦首装備式 1基
電子戦・
対抗手段 NOLQ-3D-1 電波探知妨害装置
Mk.137 デコイ発射機 6基
OLQ-1 魚雷防御装置
(MOD+FAJ) 一式


 特徴は、ヘリ空母であることですね。よくある護衛艦(駆逐艦)のような、ミサイルや艦砲はなく、最小限の銃火器のみ搭載し、本体は潜水艦探索・攻撃用のヘリを最大14機積む、洋上基地(=ヘリ専用空母)、司令塔、備蓄船の役割を担っている艦です。

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 「いずも」の外観です。とにかくでかいです。これを命名上、駆逐艦呼ばわりすること自体がすごいです。

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 出入り口です。通常の護衛艦は、タラップから直接甲板に乗りますが、「いずも」は「ひゅうが」と同じく、甲板全体が高い位置にあるため、船体の中腹に、入口がぽっかり空いています。要は、フェリーの車出し入れみたいな感じです。

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 艦全体が一様な高さなので、遠くからでないと、全体を撮れません。
 
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 護衛艦で初めて採用された、サイドエレベーターです。「ひゅうが型」には無いもので、エレベーターを船体からせり出させることで、格納庫のスペースをより確保でき、エレベーターよりもかさばる・大きいサイズのヘリなどを、昇降させられます。こんなエレベーター自体、空母くらいにしか、使われなさそうです。

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 すぐ近くにも、色々な護衛艦が停泊していました。
左(110)は、以前「タモリ倶楽部」で面白く放送されていた、「たかなみ型護衛艦」「たかなみ」、右(174)は、ミサイル防衛システム実験で大活躍した、イージス艦の「みらい」、「いぞかぜ」、「ほたか」、「ウェラガルフ」、「デース!」、「ぱんぱかぱーん!」
もとい「こんごう型護衛艦」「きりしま」です。

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 自衛隊マスコットの「ピクルス王子」と「パセリ」(中の人は、ちゃんと女性みたいですね)、もやってきていました。ただ、熱そうです。


「いずも」の中

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 中の、格納庫です。全長は、200m前後はあるでしょう。この中に14機のヘリ、30台以上の自衛隊専用車両、その他災害時の救援物資などを大量に積むのに使われます。

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 サイドエレベーターを中から見ると、こうなります。非使用時は、ちゃんと扉を閉めます。

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 様々な作業用の重機も積まれていました。ただ、まだ就役仕立てのためか?運用関係からか?要のヘリは、「いずも」には1機しかみられませんでした。まあ、イベントですからね。

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 サイドエレベーターとは別の、エレベーターで、上の甲板に上がれます。このエレベーターは、「ひゅうが」と同じく、自衛隊全てのヘリを扱えます。「オスプレイ」、昇降可能です。

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 ネットの掲示板で話題になっていた、馬が、エレベーターシャフトの中程にいました。なんか、ハイポーション作者の馬みたいです。船体によくみられる「痩せ馬」とかけているのか?はたまた純粋なお遊びなのか?とりあえず、ウケはよかったです。


「いずも」の甲板

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 エレベーターで昇ると、甲板にたどり着きます。

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 とにかく広いです。それ以外言うことありません。床は、陸上競技場のゴムを固く、粗くしたようなものでした。「ひゅうが」のように、「オスプレイ」を離着陸させるために、耐熱処置をしているという噂が。「F35」のような、垂直離陸戦闘機は、果たして扱うのでしょうか?

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 甲板が広すぎるため、普通のサイズ?の艦橋が小さく見えました。「いずも」は、銃火器の装備が非常に少ない艦ですが、ソフトキル機能は、相当高いらしいです。

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 護衛艦では定番の、「メカ沢君」、「R2D2」、「ジャスタウェイ」、もとい、「高性能20mm機関砲(CIWS)」です。

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 こちらは、海上自衛隊で初めて採用された、「SeaRAM」です。1つ上の写真の20mm機関砲をちょい拡大したバージョンで、20mm機関砲よりも大きく破壊力があり、射程距離もそこそこ長い、小型ミサイルを連続発射し、機関砲と同じく、飛来する飛翔物を打ち落とすものです。

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 サイドエレベーターには、ヘリが置かれていました。

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 護衛艦では、かなり大型な部類になる「きりしま」も、見下ろす高さです。

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 対岸には、「おやしお型」潜水艦が停泊していました。

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 時折、自衛官たちが「ヒャッハー」してきます。

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 でっかい露頭ですね。

「秩父」旅行 その3 「三波川変性帯」露頭

 最後は、「長瀞」に戻って、岩畳、基、「三波川変性帯」の大露頭を見てきました。

「三波川帯」の特徴
・恐竜時代(1億ちょい~6000万年前)に、強い力を受けてキンキンペラペラになった
・黒色泥岩や緑色泥岩などの、堆積岩が元である
・北側に傾き、北側(相対的に上側)の地層が、新しい


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 露頭の一部の風景です。約600mにわたり、一枚岩であることが確認されている、大露頭です。地質観察では、うれしくもうんざりもする規模です。

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 何枚も撮影していますが、これは「荒川」の上流です。下流の面影など、微塵もありません。

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 綺麗な露頭ですが、天然記念物なので、採取したら、すべて炎上するでしょう。

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 川底を転がる石や砂で削られた、穴です。中にはボウフラがたっぷりいました。先が思いやられます。

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 この露頭の中核を担う、片岩(堆積岩が変形させられ、ペラッペラになった石です。黒色が多く、その中に、緑色が混じっているのがよく見られます。

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 黒色片岩(黒色泥岩)の下に、白っぽい片岩もありました。恐らく、凝灰岩質なものでしょう。凝灰岩を見分けるには、石を舐めて舌がくっつけば凝灰岩とは、よく聞きますが(凝灰岩は、粒子が角張って、唾液の表面張力で)舌と石がひっつくため)、そんなんができるのは、人気がない、年代の若い石だけです(古い石は、圧密とかで表面が平になり、凝灰岩であっても舌がくっつかないため)。

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 最後に、「鴻巣」の新名物である、「川幅うどん」を食べました。これは、「荒川」の、「鴻巣」付近が、「日本」で一番川幅が広いということから、平成21年(2009年)に地元が開発、翌年には一躍有名になりました。
うどんの幅は5cm以上もあり、まるで八つ橋や餃子の皮を食べているようです。うどん自体はコシが強くて美味しく、かなり腹に貯まりました。

「秩父」旅行 その2 「橋立鍾乳洞」

 「秩父」でメジャーなものといえば、川下りレジャーや、花畑ですが、「橋立鍾乳洞」という、マイナーながらも面白い観光場所があります。

 「秩父」は、「秩父累帯」と呼ばれる、恐竜時代に形成された地質体も分布し、「日本」で自給率100%を達成している、数少ない鉱物である、石灰岩を大量に産出する地域です。そんな場所にあるものといえば、鍾乳洞です。


この、「橋立鍾乳洞」は、石灰岩が雨水や地下水で溶けてできた、よくありがちな鍾乳洞で、石灰岩を産しながら、「埼玉県」で唯一の観光鍾乳洞です(Wikiによれば、「埼玉県」唯一の鍾乳洞らしい)。観光ルートの全長も140mと、かなり短いですが、入口と出口の高低差は33m、ルートの3分の2が竪穴という、大変珍しい携帯の鍾乳洞で、洞内は、完全なる立体迷路と化しています。全体はこじんまりとしながらも、その立体的入り組み具合がたまらない場所で、マイナーに見えるのが惜しい、もしくはかえってそれでもいい場所とも言えます。

 残念ながら、洞内は写真撮影禁止なので、中は、直接行ってみるしかないです。写真はすべて、外から撮影しました。

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 「橋立鍾乳洞」は、「秩父三十四箇所28番石龍山橋立堂」に隣接します。境内の裏山は、石灰岩(大理石?)の大露頭がそびえ立ちます。

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 お堂の基礎石には、赤色チャートなどが使用されていました。作る人もわかっていますね。

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 鍾乳洞の立体絵地図です。この立体感は、誇張ではありません。ガチで、これだけ登ります。

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 鍾乳洞周辺の露頭は、こんな感じです。 石灰岩ばかりです。雨水などで、表面がツルツルに溶かされ、鍾乳洞の根源となる小さな穴がいたるところに空いています。

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 鍾乳洞の入口です。鍾乳洞自体は、地下水が流れておらず、既に地下水によって大半が侵食され尽くした(地下水が下まで流れていってしまった?)、いわゆる古いタイプの印象を受けました。入口には、これまでの石灰岩露頭とは別に、レキが堆積して固まった、河川堆積物らしき地層が見えました。地下河川の痕跡でしょうか?

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 出口です。入口のほぼ、30m真上にあります。洞内は、バリアフリーとは完全無縁な、登り坂、屈んでやっと通れる狭い道、マジで迷いそうな迷路状態です。140mコースなのに、1時間弱居座りました。

「橋立鍾乳洞」は、個人的には、「秩父」観光ではかなりオススメしたい穴場です(人にもよるが)。

「秩父」旅行 その1 「長瀞ライン」

 日帰りで、「秩父」へ行ってきました。まずは、有名な、「長瀞ライン」に乗りました。

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 昼は、「わらじカツ丼」を食べておきました。

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 「長瀞ライン」は、「日本」最大幅の区間を持つ川である、「荒川」上流で行われる、川下りで、全長6km(前半後半3kmに分かれる)を、30~40分で、船で下る観光交通です。このあたりは、「三波川変性帯」と呼ばれる、黒緑色泥岩を主とする、変成岩で構成された渓谷です。多少の急流はあるものの、川の流量が少ない日の乗り心地は、「武蔵野線・湘南新宿ライン・上野東京ライン」などよりも、快適です。

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 「秩父鉄道」の、橋梁です。残念ながら、休日に走るSLには、巡り会えませんでした。

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 橋のたもとには、こんな石が積まれていました。

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 川を下る速度は、平均約9~12km/h、急流部では、20 km/hほどですが、わりかし穏やかな揺れです。

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 川の両岸には、「三波川変性帯」の露頭が、いたるところに出ています。ちゃんと、北側に中角度で傾斜しています。岩質は、黒色泥岩や、緑色泥岩で、時折凝灰岩らしきものも混じっています。川原には、赤色チャートや、赤色泥岩の欠片もありました。

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 下流に下り終わった舟は、専用の玉掛け用具を使い、ユニックで釣り上げて、舟を4艘、お椀のように重ねて上流へ運びます。船頭は、帰りのシャトルバスに同乗して、上流へ戻ります。

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 「長瀞ライン」の駐車場には、使用済みの線路が、車止めとして再利用されていました。固定さえすれば、高さや長さがほどよかったのでしょうか。

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 「秩父鉄道」主要車両の1つである、「7000系」です。「東急」の「8090系」の中古です。他にも「秩父鉄道」では、都営地下鉄「三田線」や、「西武新宿線」などからも、中古車料をゆずり受けています。

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 石灰石運搬用の貨物列車です。コンテナ車が大半を占める、現代において、こういう鉱石運搬車両は、珍しいです。

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 「長瀞」名物の、かき氷です。高さは約20cm、ご丁寧に、下の部分もシロップがきっちり入っていました。

「伊勢」旅行 2日目 その2 「美樹本真珠島」

 「鳥羽水族館」のあとは、近くの「御木本真珠島」へ行ってきました。「御木本真珠島」は、世界で初めて真珠の人工養殖を成功・実用化させた、「御木本幸吉」の記念館として、島ごと真珠の博物館として観光地化された施設です。

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 島は、現在の海岸線からすぐ近くのところにあります。

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 島へは歩道橋を渡っていけます。

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 こちらは、天然真珠です。真珠が養殖で作られる前は、半球状の天然真珠から、真珠を生産していました。「御木本幸吉」は、人工養殖という、当時としては予想斜め上をはるかに行く発想と探究心で、半球だけでなく、真球の真珠を大量に作り出すという偉業を成し遂げ、人工真珠のブランド化、世界への広めを生涯かけて行いました。

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 真珠のカースト図です。宝石として扱える本当に綺麗な真珠は、全体の5%ほどしか取れないそうです。

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 混じる成分、形状によっても真珠には様々な価値や用途、種類があります。

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 糸通しも、色々な技があるそうです。

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 上4枚の写真は、真珠をふんだんに使った作品です。


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 島の周囲では、海女の素潜り実習があります。シンクロみたいに、無駄のない動きで、水深5~10mの海底まで潜り、アワビなどの貝類を採取しています。
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