「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その2 変えられた「東京駅」の配線

 今回は、このシーンのために変更された「東京駅」の配線についてのお話です。

 「シン・ゴジラ」では、「東京駅」とその周辺は極力忠実に再現されています(未着工のビルはあるが)。ただし、「東海道新幹線」の分岐器が2か所変更されていました。



「無人新幹線爆弾」は、16,18番線に突撃した
 これは、劇中の描写を見ればすぐにわかります。両列車とも、推定速度240㎞の高速で分岐器の直線部を通り16,18番線に突入していますが、ここに実際と違う部分があります。

実際の「東京駅」の配線では、高速突撃は、16,17番線でないとできない

「シン・ゴジラ」では18番線突撃ができるように配線変更をした


シンゴジラと東京駅
 この図は、現在の「東京駅」の配線(上)と、「シン・ゴジラ」の「東京駅」の配線(下)を比較したものです。
赤色線は「無人新幹線爆弾」が通った部分です。16番線突入は、実際に分岐器のまっすぐな部分を通るため高速突入ができますが(※ここでは構内の急カーブは無視します)、実際に18番線へ突入するためには、制限速度60~70km/hとなっている分岐器の曲線部を2度通らなくてはいけません。とてもじゃないですが、200km/hを超える高速通過は不可能です。
 そこで図の下のように、18番線へ入る線路の分岐器は2か所ともまっすぐ方向を向くように変えられています。
 実際の配線よりも少し歪なものになりました。

何故17番線ではなく18番線突入にしたのか?
 以下の2つの理由が考えられます。


① 爆発の威力を「ゴジラ」に伝えやすいため?
シンゴジラと東京駅2
 上図は、劇中で18番線に突入した場合(左)と、実際の配線に従い17番線に突入した場合(右)の比較です。
 2つの列車の距離を、ホームを介しているとはいえ、隣の線路よりもさらに1本分(4.2m)離した方が、爆発の威力を「ゴジラ」の広い範囲に与えられるかもしれません。それなら19番線に突入させてもいいかもしれませんが、これでは逆に離れすぎてダメージを与えにくくなるのか?あるいは、②で話す演出の問題か?どちらでしょうか?


② 演出の問題(こっちが本命?)
シンゴジラと東京駅3

 こちらも、劇中の18番線突入(左)と、実際の配線で想定される17番線突入を比較した図です。この図では、水色部が新幹線車両、それぞれの突入シーンの視野を黄色扇枠で示します。

 図を見れば、一目瞭然です。18番線突入の方が、劇中で車両の横から眺めた景色の見栄えがいいです。

 18番線からは、隣の線路が見えて目の前の視界が広がり、左のホームを介して隣の車両を遠目で眺めることができ、走行シーンの迫力が増します。

 逆に17番線突入では、カメラのすぐ鼻先にほーむドアが迫り、景色の下半分以上が遮られます。カメラを少し上にやればよくはなりますが、すぐ下にプラットホームばかりが見えて隣の車両とも距離が近く、高速走行をしている迫力が減ってしまいます。

 「ヤシオリ作戦」でのビル爆破シーンを充実させるために、まだ建っていない超高層ビル(390m)を造るくらいですから、「無人新幹線爆弾」突撃シーンをよくするために分岐器の方向を2つ変えることくらい造作もないということでしょう。こんなことを気にする人はそんなにいないはずですからね。

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「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その1 突撃速度について

 現在、どうにか動画化しようと画策中のネタをあげます。

 「無人新幹線爆弾」は、「東京駅」にたたずむ「ゴジラ」を起こすために投入された爆薬満載の「N700系」2編成です。

 劇中では「品川」・「大井車両基地」方面から「N700系」(無人)2編成が「東京駅」に高速で突入しました。
そしてこの作戦が実際出来るのかどうか、どうにかこうにか考えていきます。

「ゴジラ」への突撃速度は約240km/h
 この速度は、以下のデータから計算して得ました。

① 「東京駅」前の分岐器~プラットホーム間の距離:172m
(空中写真と「東京駅」ホーム長より計算)

② 2地点間の走行時間:2.6秒

より172m÷2.6秒×60秒×60分÷1000≒238.15km/h


「N700系」の推定速度変化(※あの車両のみで自走している場合)
 「N700系」の加速能力から、高校物理で習った計算式から、大雑把に速度変化を試算してみました。

速度変化グラフ(推定)・薄赤色はカーブ
新幹線爆弾
 水色線は、普段の新幹線車両の速度変化(http://www.nicovideo.jp/watch/sm9086831よりグラフ化)。
 赤い路線は、推定される「新幹線爆弾」の速度変化です。「新幹線爆弾」は、「大井車両基地」を発進して、「品川」~「田町」間で本線に合流するものと仮定しました。「新幹線爆弾」が240km/hで「東京駅」の「ゴジラ」へ突撃するためには、6.8㎞以上手前から発進、130~140km/hで本線に合流、190km/hで「浜松町」、215km/hで「新橋」を通過します。


実際にこうやって走ったら、途中で脱線する
各地点での速度(地図バージョン)

新幹線爆弾ルート
 緑色に、現実的な注釈を入れています。

本線への合流
「大井車両基地」方面から本線に合流するには、70km/h?制限の分岐器があります。計算上「新幹線」爆弾はそこを130~140km/hで通過するため、安全率を考慮してもここで脱線します。(恐らく大丈夫な)80km/hで通過すれば、「ゴジラ」へは220km/hで突っ込みます。まあ、これは多少の誤差範囲内です。

途中の急カーブ
 本線に合流した後は加速あるのみです。しかし本線は、最少半径400mの急カーブが多発し、実際の車両は100~110km/hほどで走行します。カーブのカントを新幹線最大の200mmにしたとしても、150km/hほどで遠心力により脱線するでしょう。また、実際のカントはそんなに速度を出さないこの区間では200mm未満になっているでしょう。

突撃させるとしたら、130km/h前後がいいとこ?
 現実的にはこの速度でしょう。ただし、長さが400mもの16両編成「新幹線爆弾」は本当なら高速で突撃させたほうが後方の爆薬を「ゴジラ」にぶつけられます。先頭車両から時間差をつけて順番に爆発させて(爆発の勢いを「ゴジラ」側に集中する方向で)、後ろの勢いを減らさないようにでもすればいいのでしょうか?
 ちなみに、「東京駅」のカーブはカントがかなり低いため、100km/hで通れるかもわからないです。

240km/hで突撃させるには

・カントを上げる(※作中ではその描写はない)
・遠心力に耐えられるよう線路と路盤を強化する
・緩和曲線を長くする
・(無茶だが)カーブの半径を緩くする


などの方法が考えられます。一言でいえば、非常にめんどくさいです。

新幹線(弾丸列車)のために造られたトンネル

 「東海道新幹線」のトンネルのうち「丹那トンネル」、「日本坂トンネル」、「新東山トンネル」は、新幹線の元祖である弾丸列車計画の一冠で戦前に建設されました。「日本坂トンネル」は昭和19年(1944年)に完成してその後18年間は「東海道本線」が間借りしました。
 「丹那トンネル」も途中まで掘られて戦後の「東海道新幹線」建設の建設に貢献しました。

 そして「東山トンネル」もそんな戦前建設トンネルの一つです。そしてこのトンネルは、「東海道本線」の線路としてのちに利用されました。

東山トンネル
 「東山トンネル」は地図の赤線で示す場所にあり、「京都駅」の東側に位置します。現在は「東海道本線」のトンネルで、「東海道新幹線」は南側に「新東山トンネル」として掘削されています。

 「東海道本線」の「東山トンネル」は現在複々線で、単線断面のトンネルが4本掘られていますが、「弾丸列車」計画時は複線でした。この区間に並行して「弾丸列車」を走らせる計画が挙がり、「新東山トンネル」は昭和16年(1941年)8月に着工。トンネル自体は単線ですが、新幹線に転用できるように設計変更をしたらしく、当分は「東海道本線」の増設扱いで、現在の下り線内側にあたります。目的は戦時中の列車本数増加で増えた補助機関車の回送を円滑にすることで、昭和19年(1944年)12月1日に完成し上り2線、下り1線の3線となりました(「膳所」~「京都」間)。ちょうど「日本坂トンネル」での間借りが始まった時期でもあります。

 この区間は昭和31年(1956年)11月19日に電化に伴い機関車の回送がほぼなくなったことから複線に戻されましたが(どのトンネルを放棄したかは不明)、14年後の昭和45年(1970年)2月23日に、複々線化されました。増設された線路は一番南側で、ちょうど「東海道新幹線」と接します。

「東山トンネル」西側坑口を俯瞰
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 「東山トンネル」西側坑口はすぐ近くの跨線橋からよく見ることができます。このように、4本のトンネル(右端は洞門になっている)が並んでいます。かつては左側2本の複線でしたが、右側が1本ずつ建設されて複々線となりました。
 そして、新幹線(弾丸列車)として掘られたといわれているトンネルが右から2番目の黄色○で囲ってあるものです。他のトンネルと比べて若干大きく広く見えます。

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 このトンネルを拡大してみます。通常の馬蹄形型トンネルと比べて下側が幅広になっています。普通の鉄道車両よりも大きめの弾丸列車を通すために断面を大きくしているのでは?と言われています。

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 現在の列車と比較しても下側がかなり幅広です。一方で、高さは普通のようです。

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 ほかのトンネルは馬蹄形やU字型で、明らかに形が違います。従来の在来線トンネルは写真のように通過列車と下側の壁がもうちょい迫っています。

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 左側(北側)の2本のトンネルを拡大します。この2本は大正10年(1921年)と、蒸気機関車時代に掘られているため、坑口横には排煙用の横穴が空いています。

「東山トンネル」東側
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 一方、このトンネルの東側坑口は、通常の在来線の断面です。ちゃんと下側が狭まっています。

「東山トンネル」西側出口
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 再び西側坑口を中から見てみました。ちゃんとした側が広がっています。トンネル内のどこかで断面が変わったのでしょうが、運転席後ろから1回見ただけではよくわかりませんでした。この断面変化は、弾丸列車計画の中止や、「東海道本線」への転用などの方針変更から変わったのでしょうか?(詳しい資料がないのでよくわかりません)


 西側跨線橋について
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 この跨線橋は歩行者専用のいわゆる歩道橋のようなもので手すりが低く簡易なため渡るとかなりの迫力があり、思う存分「東海道本線」の複々線を堪能できます。

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 そしてこの跨線橋の柱には古いレールが使われています。

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 周囲の柵にもレールが使われています。後で知りましたが、近くには双頭レールもあります。このことはレイルエンヂニアリングにも記載されています(http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-266.html)。

新幹線車両の海側の窓から富士山が見られる唯一の場所 追記:証拠写真追加

 東海道新幹線は、東京~新大阪間をほぼ東西に結びます。途中富士山の近くを通りますが、相対的に北側、すなわち内陸側に位置します。当然内陸側(おおよそ北側)の窓からは富士山を大いに一望できますが、反対の海側(おおよそ南側)の窓からはほとんど見られないと想像できます。しかし、東海道新幹線内でただ1か所で、海側の窓から富士山を見ることができます。

逆さ富士
 青色の線が東海道新幹線です。海側から富士山の見られる場所は、「静岡」より3kmほど西側の区間です。赤色の□で囲ってあるところです。

逆さ富士 角大
 上図の拡大図です。この場所では新幹線の線路がほぼ南北を向きます(青色棒の区間)。そして富士山は北北東~北東の間(正確にはN35°E)の方向に見えます。つまりこの区間では東側を向いている“海側”の窓から富士山を眺めることができます。方角から見て理論的に富士山を見られる区間は約2.5km、線路がほぼ南北を向き確実に見られる(写真を撮れる)区間は約1kmです。「静岡」を通過する列車は、この区間を時速230km/hで通過します。計算すると、理論的に見られる時間は約40秒、確実に見られる(写真を撮れる)時間は約16秒です。「静岡」に停まる列車でも、理論的に1~1分30秒ほど、確実には20~30秒ほどしかチャンスが無いでしょう。それだけ貴重な瞬間なのです。

 何故東海道新幹線ではこの場所だけなのか?東海道新幹線は基本、東西方向に路線が走ります。その分南北を向く機会は少ないです。これは、在来線と比べて高速で通過する必要性からカーブが緩やかなこと、一度のカーブで90°以上方向転換することがほとんどないことに起因します。路線がほぼ南北を向いているいくつかのか所のうち、距離や地形から富士山を眺められるのがここだけなのです。

追記
証拠となる写真を撮ってきました。

海側富士
 撮影場所は、地図で示した「用宗駅」の近くの小高いところです。ちょうど新幹線のトンネルの真上になります。図の赤色と黄色の二重線で示している範囲は、新幹線車両からばっちり「富士山」が見られなおかつ写真を一番取りやすい範囲です。それ以外の赤色や黄色線は一部が見えたり、かろうじて見えたりする範囲です。

DSCN0084.jpg
 こちらが写真です。写真右側が海側で、写真奥(「東名高速道路」と「国道150号線」の高架橋よりも奥)では車両の海側の窓に「富士山」が見えるのが一目瞭然です。

待避線が異様に長い新幹線駅 その2 「掛川駅」の場合

 待避線の長い新幹線駅はカーブ上にあり、線路が傾いている場所を避けて分岐器を置くため、その分待避線が長くなります。つまり、上下線とも同じ場所から待避線が始まり、互の長さはほぼ等しいです。しかし、「掛川駅」の待避線は、下図のように、奇妙な形をしています。何故こうなったか?理由は2つあります。


①一部のカーブ上に分岐器を置けるようになった

掛川駅のたいひせん
 図で表すとこんな感じです。「掛川駅」のプラットホームも他の駅と同様、長さが400mちょいです。しかし、待避線が入線する側のほうへ上り線で約1200m、下り線で約700mも余計に延びています。

 「掛川駅」の待避線がこんなに長くなっているのも、他の駅と同様、カーブ上に分岐器を置くのを避けるためです。しかし、「掛川駅」の場合は、出発側の方は普通の長さです。これは、カーブの向きが深く関わっています。

 「掛川駅」周辺の線形を見ると、入線側の分岐器をカーブ上に置くと、待避線に分岐する線路のカーブが本線の線路と逆になります。これを「外方分岐器」といいますが、互が逆方向を向くと、線路の傾きも逆になり、列車のバランスが崩れやすく、速度制限が厳しくなります。歪やバランスにシビアな新幹線では、「外方分岐器」を置けないため、「掛川駅」では「外方分岐器」になるのを避けるために、入線側の待避線を、直線区間から始めたのです。

 逆に出発側は本線も待避線に分岐する線路も、カーブ方向が同じです。これを「内方分岐器」といい、線路の傾き方向が同じなため、「外方分岐器」よりは、列車への制約が緩いです。「掛川駅」が開通した時代は、緩和曲線状に置ける「内方分岐器」が開発されおり、早速当駅に採用され、待避線の長大化を半減させたのです。


②列車の待避、追い越しを円滑にするためについでにあえて長くした。


普通駅と掛川駅 - コピー
 普通の新幹線駅と「掛川駅」での、停車列車と通過列車の位置関係を上の図に示します。
 走行中の新幹線車両は、互いの間隔が詰まると自動的に減速されます。つまり、お互いが高速運転を保つには一定の距離・時間差を設けて走らなければいけません(新幹線車両がお互いに高速(270km/h)で走れる最小の時間間隔は約3分、距離にして約13.5km)。しかし、前の列車が駅に停まるために減速し、後ろの車両が通過列車の場合は互いの間隔がどんどん詰まっていきます。特に、後ろの車両がその駅で停車列車を追い越す場合は深刻です。下手すれば通過列車は間隔が詰まり過ぎて、速度を落とす羽目になります。それが嫌なら予め、前の停車列車との間隔を十分にあけるしかありませんが、そうするとダイヤ設定の自由度が減ります。そこで、「掛川駅」では試験的にこの配線が採用されました。上図のように待避線の入り口側を長くすれば、その分停車する列車が早めに待避線に入れます。つまり、通過列車側からすれば早い段階で互いの間隔の詰まりを回避でき、その分互いの列車間隔をより詰めたダイヤを造れます。

 この原理を道路でたとえれば、普通の駅は直進用車線と左折用車線が重複するT字路、「掛川駅」は専用の減速車線がついているバイパスや高速道路のICです。直進と左折のレーンが重複している場所では、左折する車(新幹線でいう待避線にはいる列車)が速度を落とすため、後ろにいる直進する車(新幹線でいう通過列車)が車間をあまり詰められません。速度もかなり落とす必要があり道路がつっかえます。一方、減速車線があれば、早い段階でICを降りる車が走行車線を離れるため、降りない車に支障がでません。

 「掛川駅」が開業したのは昭和63年(1988年)、ちょうど「東海道新幹線」のダイヤが過密になり、駅での追い越し・待避がネックになっていた時です。当時の国鉄か「JR東海」が、「せっかく新駅を造るのだから、上のような配線を試験的にやってみよう!」とでも考えたのでしょう。


 で、その効果は…あまりなかったようです。停車列車と通過列車の間隔は15秒ほど詰められましたが、今のダイヤを考えればまだ足りないようです。また、ATC(自動列車制御装置)技術の進歩により各列車を効率的に停車、車間隔の調整ができるようになったため、この配線の効果はさらに薄れました。入線側の分岐器を緩やかなものにして進入速度を上げれば効果はちょいあがりますが、そこまでの手間をかけてちょいの効果を狙うのも手間でしょう。
 この配線の効果を絶大にするには、待避線の長さを新幹線の制動距離とほぼ同じ10km近くまで伸ばし(もちろん入線側のほうのみ)、待避線への分岐器は、曲がるほうの通過速度を最高速度、つまり270㎞/h(平成27年から285km/h)にできるものにしなければいけません。当然莫大な手間と金がかかります。実現すれば、列車間隔を互いが同じ速度で走っている約3分まで縮められますが。

 ところで、ここでこの待避線の建設費がどこから出されたのか気になります。「掛川駅」は「東海道新幹線」が開通した後に作られた新駅で、駅の建設費は地元の「掛川市」が全額負担しました。長い待避線を造る分建設費が割り増しになりましたが、その分は「JR東海」が負担したのか?それとも「掛川市」についでに負担させたのか?どちらでしょう?「品川駅」のようにダイヤ上必要として造られた駅は「JR」が負担するので前者のような気もしますが、真実はどっち?

新幹線の大事故未遂 その1 「大井川」河口付近の地震

 新幹線といえば、開業から50年を経た現在でも、車内の乗客の、脱線や衝突による事故で死亡者数が0という、とてつもない安全記録を持っています(ただし、線路に転落した乗客の死亡事故(「三島駅転落事故」)や、保線作業員が回送車両に惹かれて死亡する事故は発生しているため、完璧な0ではない)。

 しかし、この安全神話が目白押しな新幹線も、一歩間違えていたら大事故にいたり、数百~千数百人の死傷者を出す大惨事になっていたという、大事故未遂事件がいくつか起きていました。このシリーズでは、その事例を紹介していきます。

昭和40年(1965年)4月20日 「東海道新幹線」 「大井川」河口付近の地震

 「東海道新幹線」が開通してまだ半年のこの日に、「静岡県」の「大井川」河口付近を震源とするM6.1の中規模地震が発生しました。この地震発生直後、全ての列車が緊急停止し、脱線などの大きな被害を被ることなく終わりました。しかし、震源付近の、線路を支える盛土が一部陥没し、そこの線路が歪みました。先日の雨で、開業後間もない、まだ十分に締固められていないであろう盛土が、地震の振動で崩落したそうです(実際、「東海道新幹線」開業後は、路盤(盛土)の耐久に不安があったため、徐行運転が多かった。当時の列車の運行本数は30分に1本と、現在の6~7分の1の運行密度で、確率的にも運良くそこを通過する便はありませんでした。しかし、万が一この陥没部分を列車が高速で通過していたら、間違いなく脱線していたそうです。「東海道新幹線」は盛土区間が多く、高架橋で建設されている他の路線と比べて雨や地震による崩落などで線路が歪みやすいです。実は、現在も盛土の歪みによる脱線事故が専門家に懸念されています。

少し遅くなった「のぞみ」 その1 「東海道新幹線」の場合

 「東海道新幹線」の開業以来、ダイヤ改正のたびに速達列車の、「東京」~「新大阪」間の所要時間は短縮されてきました。最近?の事例では平成4年(1992年)に「のぞみ」の270km/h運転により2時間30分、15年後の平成19年(2007年)には「N700系」の登場により2時間25分になっています。しかし、時刻表を見ると多くの「のぞみ」の「東京」~「新大阪」間(←以下、この区間の所要時間について語ります)の所要時間は2時間33分とか36分と、ちょい遅めです。


「東京」~「新大阪」間における最速列車の所要時間の推移
これまでの最速「ひかり」:2時間49分(最高220km/h)

「のぞみ」登場
平成4年(1992年)3月14日:2時間30分(最高270km/h、半径2500mの曲線部では255km/h)

平成19年(2007年)7月1日:2時間25分(最高270km/h、半径2500mの曲線部でも270km/h)


 「のぞみ」の最速列車は上の通り、時代を追うごとに早くはなっています。ただし、最速列車が運転されるのは早朝か夜遅くで、日中の大半の「のぞみ」の所要時間は2時間33~36分です。「のぞみ」が登場した時代は大半の所要時間が2時間30分、「新横浜」に停車する場合でも2時間34分でした。つまり、ちょい遅くなったのです。

過密ダイヤによる抑制運転
 「のぞみ」がちょい遅くなったのは、遅い車両で走っているからではありません。「東海道新幹線」のダイヤがあまりに過密なため、フルスピードで走り続けられないのです。

 これは高速道路でいえば、渋滞はしていないけど周りに車が多くて80~90km/hで走るのが精いっぱい、1台でもスピードが落ちれば渋滞発生という状態なのです。

 もし各列車がフルスピードで走ると、各車両の性能に若干の差があるため、互いの距離が詰まって後ろの速い列車が自動ブレーキで減速してしまいます。特に、停車駅で追い越される列車は駅到着前に速度を落とす分後ろの通過列車との距離が縮まりるため、通過列車が速度を落とされる危険は高まります。

 これも高速道路に例えれば、100+αkm/hで快調に飛ばしていたときに目の前に遅い車がいて(←特にトラックの追い越し車線への進入とか)、しぶしぶ速度を落とすようなものです。

 最速列車の所要時間は確実に短縮していきましたが、「のぞみ」全体の所要時間は延びています。ただし、列車編成自体が「ひかり」から「のぞみ」へ移って行ったので「東海道新幹線」内の速達列車全体の所要時間は短縮されていると言えます。

 今年のダイヤ改正では、「のぞみ」の半分ほどの所要時間を2時間33分に縮めるそうです。
 ちなみに、「ひかり」の所要時間もかつては2時間49分が最速でしたが、今は3時間越えになっています。これは、停車駅の少ない列車を「ひかり」から「のぞみ」に置き換え、「ひかり」は地方都市の中間駅にも停まるようになったためです。

参照↓
『「ひかり号」と「のぞみ号」の定義について』

「東海道新幹線」では「こだま」が1時間に5~6本走っていたことがある

 現在、「東海道新幹線」には1時間当たり「こだま」は2本走っています(「ひかり」は2本、「のぞみ」は9~10本)。しかし、昭和時代には1時間あたり5~6本走っていたことがありました。

 昭和39年(1964年)に「東海道新幹線」が開業した時は1時間あたり「ひかり」と「こだま」が1本ずつの運転でしたが、順調に本数を伸ばし、昭和51~60年(1976~1985年)には「ひかり」と「こだま」がそれぞれ最大5本ずつ運転されました。さらに、「東京」~「三島」間に限定すれば、昭和44~47年(1969~1972年)には「こだま」が1時間当たり6本運転されていました(「ひかり」は3本で、唯一「こだま」の本数が「ひかり」の本数を上回っていた時期でもある)。

 昭和60年(1985年)を境に「こだま」の本数は減らされていきました。大都市間の輸送において安くなってきた飛行機に対抗するために「ひかり」や「のぞみ」などの速達列車を増発したこと、高速道路の発達と車の利用者増大により「こだま」の利用者が減ったことが主な原因です。


とばっちりを受けた地方都市の中間駅
 「こだま」削減のとばっちりを受けたのが、「ひかり」や「のぞみ」があまり(もしくは全く)停まらない「静岡駅」のような地方都市の中間駅です。「こだま」全盛期の30年前には「静岡駅」のは1時間当たり最大5本の「こだま」が停まり(朝夕ラッシュは数えない)、「ひかり」はほとんど停まりませんでした。現在では1時間当たり「ひかり」1本、「こだま」が2本停まります。要するに、「静岡駅」に速達列車が停まるようになった反面、停まる列車全体の本数は半減したのです。さらに、「静岡駅」に停まる列車の割合は、「こだま」全盛期が約50%、現在が約21~23%と、こちらも半減しました(←パターンダイヤで示されている「静岡駅」に停まる1時間あたりの列車数を「東海道新幹線」内で運転される1時間当たりの全列車数から割った)。「JR東海」がいかに、大都市輸送ばっかに情熱を注いでいるかが窺い知れます。

 ちなみに、「こだま」は「ひかり」とかに比べて速さでは劣りますが、利用すれば快適な面はあります。例えば

① みんなが「ひかり」に乗りたがる分、空いているから座りやすい、座席を後ろに倒しやすい、ひじ掛けを占有しやすい。
② 所要時間が長いから、のんびり行きたい人向け
③ 「新富士」に停まるから、じっくりと「富士山」を眺めることができる


などです。

停車駅が多くても少なくても所要時間が変わらない「東海道新幹線」の「ひかり」

 鉄道は基本、停車駅が少ないほど走る区間の所要時間が短くなります(多ければその逆)。しかし、停車駅数が変わっても所要時間が変わらないことがあります。ここでは、「静岡」に停車する「東海道新幹線」の「ひかり」を例に挙げます。

 現在、「静岡」に停車する「ひかり」は、早朝と夜を除いた日中は上下線ともぴったり1時間の周期で運転されています。「東京」~「静岡」間では

「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ →  レ  → レ → レ →「静岡」
「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ →「熱海」→ レ → レ →「静岡」
「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ → レ →「三島」→ レ →「静岡」
(上り列車は矢印の向きが逆)


と、「新横浜」~「静岡」間の駅には全く停車しない場合、もしくは「三島」か「熱海」のいずれか1駅に停まる場合があります。新幹線の場合、1駅停車すると停車しない場合と比べて全体の所要時間が4~5分延びます(停車時間が1分の場合)。しかし、現在のダイヤでは上述の場合、いずれも「東京」~「静岡」間の所要時間は、上り列車が64分、下り列車が63分に統一されています。

 この「ひかり」は、「静岡」~「新大阪」間では現在は停車駅の数が統一されているため、所要時間も全ての便で同じです。しかし、かつては「静岡」~「名古屋」間でも

「静岡」 → レ →  レ  → レ → レ →「名古屋」
「静岡」 → レ →「浜松」→ レ → レ →「名古屋」
「静岡」 → レ → レ →「豊橋」→ レ →「名古屋」
(上り列車は矢印の向きが逆)


と、3種類の停車パターンがあり、そこでも「静岡」~「名古屋」間の所要時間は統一されていました。

 この所要時間統一の試みは、「静岡」に1時間ごとに「ひかり」を停めるようになった平成元年(1989年)ごろから始まり?、「のぞみ」が登場して「静岡」停車の「ひかり」が「静岡」で「のぞみ」を待避するようになった平成5年(1993年)に定着して、現在に至っています。停車駅が少ない列車に関してはその分所要時間を短くすればいいように見えますが、それをしなかったのは、ダイヤを完全に統一するためなのです

 「静岡」などの中規模都市の駅に「ひかり」を停める前は、「東海道新幹線」のほとんどの列車は途中「名古屋」と「京都」の実に停車する「ひかり」と各駅停車の「こだま」の2種に区分されていました(「新横浜」」や「米原」に停車する例外もわずかにあった)。この停車パターンは、各駅の利用者数を計算に入れて設定していますが、停車パターンを統一させてダイヤを簡潔にする(←当時の信号システムにやさしく)、という目的もありました。年々「東海道新幹線」の運転本数が増大する中で、「停車パターンの異なる「ひかり」を入れてダイヤを複雑にしたくない!」という本音があったのです。

 このことから、「静岡」などの中規模都市の駅に停車する「ひかり」を設定した時から、ダイヤの複雑化を最小限に抑えるために、その「ひかり」の所要時間を統一させていったのです。

 所要時間を統一させる方法は、列車の速度調整です。現在、「熱海」や「三島」を通過する「ひかり」は「熱海」~「静岡」間で減速して、「熱海」や「三島」に停まる「ひかり」に所要時間を合わせています。(「浜松」、「豊橋」をも通過していた時代は、「静岡」~「豊橋」間でも減速運転をしていた)。停車駅の少ない「ひかり」で走っているときに「あれれぇ~?さっきと比べてなんだか遅いぞ~」と感じるのは、その区間で時間調整のための減速運転をしているからなのです。利用者からしたら「あっ!この「ひかり」は途中停車駅が少ないから少し速く移動できるんじゃなイカ!!」と思いますが、実際は変わらんのです。速くなっている気になっているのです。逆に、この事情を知った人の中には「どうせ所要時間が変わらないなら、「熱海」・「三島」・「豊橋」などにも毎本停めればいいじゃないか!」と言いそうですね。まあ、こういう停車パターンを撮っているのに、「各駅の利用者数に比例させる」、「利用者の振り分けをする」、「「熱海」・「三島」・「豊橋」の停車を限定することで、列車の加速減速の数が減り、その分節電になる」、などの理由が考えられますが。

 この時間統一運転は、運転本数の多い朝、日中、夕方に適用されます。一方、運転本数の少ない早朝や夜はダイヤの制約から解放されるため、各列車が思う存分に速度を挙げることが出来ます。ですので現在のダイヤでは

「東京」~「静岡」間
上り:最短で58分(日中は64分に統一)
下り:最短で55分(日中は63分に統一)

「静岡」~「名古屋」間
上り:最短で46分、52分(日中は58分に統一)
下り:最短で44分、53分(日中は58分に統一)


となっています。要は、「東海道新幹線」のダイヤにゆとりが出来るか、「ひかり」を優先するダイヤになれば今の車両性能(特に「N700系」)では、この最短時間で行き来できるということです。当分は難しいですね。

※「静岡」~「名古屋」間の最短所要時間「44分、46分」は「静岡」~「名古屋」間ノンストップの場合、「52分」は「浜松」に停車した場合、「53分」は「浜松」と「豊橋」に停車した場合の所要時間です。

かつては速度制限がとられていた その1 「東海道新幹線」の場合

 「東海道新幹線」は開通間もないころは最高速度が210km/h(普段は余裕を持って200km/h)で走行し、「ひかり」は「東京」~「新大阪」間を3時間10分、「こだま」は4時間で運行していました。しかし、開通してから最初の1年目は路盤がまだ安定していない箇所が多く、しょっちゅう減速運転をしていたため、「ひかり」では4時間、「こだま」では5時間かかりました。開通1年以降は200km/h運転の可能な区間は7割以上になりましたが、開通時は3割ほどでした。これは、当時の新幹線の路盤がコンクリートの高架橋よりも盛土で構成されている区間が多かったこと、「東海道新幹線」の大部分の区間がわずか5年半という短期間で造られ路盤が安定するための時間が足りなかったことが原因です。また、初めての200km/hでの営業運転のため、肩慣らしをする目的もありました。そして開通から1年がたって、路盤が安定したのを見届けて真の200km/h運転が実現されたのです。

 ちなみに、徐行運転を組み込んだあまりに余裕のあるダイヤであったために、「東海道新幹線」開通日の1番列車(上り列車)の運転手が思わず張り切ってスピードを出し、その分「東京」付近で徐行運転を余儀なくされて(定刻通りに「東京」に到着するため)、隣を走る通勤電車に新幹線車両が追い越されるということがありました。

静岡県と「のぞみ号」

 Wikipediaの「のぞみ」の記事(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%9E%E3%81%BF_(%E5%88%97%E8%BB%8A))に、「のぞみ」と静岡県の関係について記載されていました。その記事をここに載せます。

1992年の運行開始から現在まで、災害などの非常時を除いて「のぞみ」は静岡県内の駅には一切停車していない。

静岡県側はこれに不快感を示しており、同県知事の石川嘉延(当時)は2002年12月9日の同県議会・本会議で
「県内素通りの『のぞみ号』に対して通過料を取る」と発言した。

 この発言を受けて2002年12月27日に同県交通政策室の幹部が「臨時列車を除いた東海道新幹線の停車本数は静岡駅で101本、浜松駅で81本であり、東北新幹線は宇都宮駅で106本、郡山駅で94本、山陽新幹線は岡山駅で229本、広島駅で199本、姫路駅で127本であり、人口60万人(2002年当時)の浜松市なのに、34万人の郡山市より本数が少ない」と発言したのに対し、JR東海は「東海道・東北・山陽の各新幹線は列車1本の乗車人員が違うし、路線の性格も異なる。それらの事情をまったく無視した乱暴な議論だ」と反論した。

 2001年10月のダイヤ改正では、東京-新大阪間の「ひかり」を1時間に1本「のぞみ」へ格上げしたのに伴い、繁忙期に運転されていた東京-新大阪・博多間の臨時「ひかり」が静岡駅に停車し、当該「のぞみ」を退避することになった。2003年10月のダイヤ改正では、三島・浜松駅の「ひかり」の停車本数は増えたものの、静岡駅の定期列車の停車本数は現状維持のままで、繁忙期に運転されていた前述の臨時「ひかり」は「のぞみ」への格上げで再び静岡駅を通過することとなり、2001年9月以前の水準に戻った。

 また同改正では山陽新幹線に直通する「ひかり」を「のぞみ」へ格上げしたため、山陽新幹線沿線の姫路市(姫路駅)・福山市(福山駅)・周南市(徳山駅)・山口市(新山口駅)にも一部の「のぞみ」が停車するようになった。ただし、従来の東京 - 博多間「ひかり」全廃による救済措置であることや、東海道・山陽の各路線の性格上、状況が違う部分もあるので単純に比較できない。

 その後も静岡県は「ひかり」の増停車や早朝便の増発、初電の繰り上げ・終電の繰り下げを要望しているものの、JR東海は「現状では厳しい」と否定的な見解を示している。

 一方で2003年10月のダイヤ改正では、従来運転されていた東京発名古屋行き最終の「のぞみ73号」(途中ノンストップ、平日のみ運転)を品川・浜松・豊橋の各駅に停車する「ひかり293号(当時・現在の533号)」(毎日運転)に格下げすることで、浜松・豊橋駅への最終列車繰り下げも兼ねた措置を行った。さらに2008年3月のダイヤ改正では「ひかり433号(当時・現在の533号)」を新横浜駅・静岡駅にも停車させることとしたほか、朝6時台に静岡駅に停車し、N700系車両を使用することで東海道区間を日中の「のぞみ」と同等のスピードで走破する広島行きの早朝「ひかり」(393号)を新設、途中駅での「ひかり」・「こだま」と「のぞみ」の乗り継ぎ時間を短縮するなど、輸送改善の動きが見られる。

 なおJR東海社長の松本正之は2008年1月23日の共同通信社のインタビューに対し、『将来的には中央リニア新幹線開業後、現在の「のぞみ」に相当する列車をほぼ全てリニア列車に移行し、東海道新幹線は「ひかり」主体のダイヤにする』と答えている。

 静岡県は愛知県に次いでJR東海の管轄の主要地域ではありますが、関東~名古屋~関西を結ぶことでJR東海の収入の85%を占める東海道新幹線は、大都市圏の輸送を優先しています。その輸送に運転を集中させているため、静岡県内の駅に山陽新幹線のように地方の駅に「のぞみ」を停める余裕がないのです。一応少しでも改善するにはしているようです。思えば朝と夜に「ひかり」の停車が微増したきが。まあ、それ自体も車両の回送などの関係で限度がありますが。やはり、リニアの開通でやっと静岡県に主役が回ってくる状況ですね。

 実際、混雑期を除けば本数を倍増させなければいけないほど静岡県内の駅に停車する「ひかり」が混んでいるわけでもない印象があります。輸送量を補うには今より微増させるくらいがいいのでしょう。本当は静岡県内の駅に停車する「ひかり」は16両編成を1時間に1本にするより8両編成を1時間に2本にした方が静岡県にとっては都合がいいかもしれません。ただ、ダイヤが飽和状態で16両編成の車両のみを走らせることを絶対条件としている東海道新幹線では、これは実現しないでしょう。8両編成でも静岡では通用するかもしれませんが、大都市間の輸送には16両編成でないと通用しないのでしょう。やはりリニアの開通をはじめとする何らかのきっかけでダイヤ編成の方針が大きく変わる必要があるのです。

 ちなみに、「エアーマンが倒せない」の替え歌で静岡県内の駅に「のぞみ」が停まらない現状を静岡県人のエゴを主体として、作ってあります。こちらからどうぞ(→http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-834.html)。

何故長年「ひかり」が「新横浜」に停まらなかったのか?

 前の記事で紹介したとおり、「ひかり」は「東海道新幹線」が開通してから12年物間「新横浜」に停車しませんでした。当時の横浜市の人口は200万人くらいで、しかも人口が1/200ほどの米原町にある「米原」の方に先に「ひかり」が停車するようになったのです。当然、横浜市にとって面白いはずがありません。「東海道新幹線」開通前に「ひかり」が通過すると発表されてから横浜市は当時の国鉄にずっと抗議を続けてきました。それにも関わらず、なぜ12年もの間停まらなかったのか?主な理由が2つあります。

「新横浜」が市街地から離れている
 今こそ「横浜線」と横浜市営地下鉄「3号線」が乗り入れていますが、開業当時は地下鉄は無く、「横浜線」も今ほど高頻度で運転をしていませんでした。つまり、市街地から駅へ行くのにかなり不便だったのです。また、今の駅周辺はビル群が立っていますが、当時は田園や野原ばかりでした。しかも、市街地と駅は丘によって分断されていました(今でも駅の南側を見ると緑色の丘が目に入る)。そのため、横浜とその近辺の人たちは多くが「東京」へ行ってそこから「ひかり」を利用していたのです。実際「東京」を経由した方が当時は早くて便利だったそうです。

信号系統などの設定変更に手間がかかる
 当時は「こだま」は各駅停車、「ひかり」は途中「名古屋」と「京都」のみ停車という定理でした(法則ではない)。1時間を軸とする各列車の発車時間、所要時間、到着時間、対比・追い越しをする位置(駅)もほとんど同じようになっていました。これは、なるべくダイヤをパターン化することにより、列車運行をしやすくためです。何しろ初めての高速鉄道でありますのでわかりやすくしたい、さらに当時の信号や運転系統は誤作動を起こしやすく、このように運行が単純な形で統一されていた方がやりやすいのです。ここで「新横浜」に「ひかり」を停めるようになれば、これらの系統を改善、安定化させる必要があり、12年もの間「ひかり」が「新横浜」に停まらない理由の1つになりました。

「ひかり」は「新横浜」よりも先に「米原」に停車するようになった

 「東海道新幹線」の「新横浜」といえば、現在はすべての列車が停車する主要駅で、「米原」は片側1時間に1本「ひかり」が停車する中核駅です。これは両駅の沿線人口、地理状況からもわかりやすい停車頻度ですが、速達列車である「ひかり」が先に停車するようになったのは、「新横浜」ではなく「米原」です(当時は「のぞみ」が無かった)。「東海道新幹線」開業時、「ひかり」の途中停車駅は「名古屋」と「京都」のみで、その状況が8年続きました。そして、昭和47年(1972年)10月2日のダイヤ改正で「米原」に1日に下り2本上り3本の「ひかり」が停車するようになったのです。更に4年後の昭和51年(1976年)7月1日のダイヤ改正でやっと「新横浜」に「ひかり」が停車するようになりました。その時の停車本数は1日上下線1本でしたが、ダイヤ改正をするごとに停車本数が増えて今のようになりました。

 「米原」が位置する旧米原町は(彦根市に吸収合併されるまで)、人口は近年でも1万人ちょいの小さな町です。隣には人口が10万規模の彦根市があり、「東海道新幹線」建設時は彦根に駅を造ろうとしたくらいでした。しかし、「米原」は「東海道本線」と「北陸本線」の分岐地点であるので、広い視野で見ればそっちの方に新幹線駅を造ったほうが便利ということで設置されました。「ひかり」が停車するようになったのは、上述と同様北陸方面への接続を充実させるためです。

東海道新幹線内で300 km/h運転をする日

 最近JR東海が、東海道新幹線内を走る車両の最高速度を将来300 km/hに引き上げると発表しました。報道によると時期は未定ですが、東海道新幹線内を走る車両がすべてN700系に置き換わったときに行うそうです。300 km/h運転を行えば東京~新大阪間の所要時間が数分短縮するとか。

 現在、東海道新幹線内での列車の最高速度は270 km/hに統一されています。実際に東海道新幹線内を走る車両の、300系は285 km/hで、それ以外は300 km/h運転を行える性能を持っています。つまり、やろうと思えば今すぐにもできそうにも見えます。しかし、東海道新幹線のダイヤは非常に過密です。少しでも各車両の性能に差があるとたちまち列車同士の感覚が詰まり、思うように高速運転ができなくなります。また、東海道新幹線に多い半径2500mの曲線の通過速度も車体傾斜装置の付いているN700系が270 km/h(気合いを入れれば280 km/hでも可能らしい)、装置が付いていないそれ以外の車両は255 km/hと統一されておらず、これもまた各列車が思う存分に自分の能力を発揮したらダイヤが乱れます。ダイヤの間引きをすれば700系やN700系車両の300 km/運転が可能になりますが(信号とかの設備改造の手間もあるが)、間引きをしたらとんでもないことになるので、常識的に考えて。

 つまり、すべての車両の性能が統一されてから初めて速度を上げることが可能です。今現在は、全ての種の車両がきちんと能力を発揮して円滑に詰まることなく走れる最高の速度が270 km/hと言えます。300 km/hをするには走る車両性能のボーダーラインを押し上げる必要があるのです。

東海道新幹線の掟

 東海道新幹線には3つの厳しい掟があります。

① 東海道新幹線を走る列車は、16両編成でなければならない
② 東海道新幹線を走る列車の総座席数は、1編成につき1323席でなければならない。
③ 東海道新幹線を走る列車は、最高270 km/hで運転しなければならない。


 ①と②の掟は、東海道新幹線内を走るすべての車両が16両編成になった平成元年(1989年)より実施されています。座席数に至っては1両ごとの細かい配置までもが、更に各扉やトイレなどの位置と数も統一されています。③の最高速度は、平成15年(2003年)のダイヤ改正後に実施されています。これらの掟が造られた目的は、乗客の流通や予約、ダイヤの円滑化です。あまりにもダイヤが過密な東海道新幹線だからこそ、ここまでダイヤの妨げになる原因を徹底的にそぎ落とした統一が行われているのです。

 そして、これらの“掟破り”とJR東海に評されたのが500系です。16両編成であること、東海道新幹線内では270 km/h運転を実施することは掟に準じています。しかし、500系の総座席数は1324席と、東海道新幹線の掟に反しています(正しくは、JR東海に1323席にするよう求められて席を狭いスペースに詰めた結果、1324席になった。重要なのは、この場合座席配置のほうである)。更に座席配置がほかの車両と異なり、先頭車両には1つしか扉がありません(普通は先頭車両でも2つある。1つしかないと、乗客の乗降に支障が出やすくダイヤの乱れにもつながりやすい)。これが、JR東海が500系の乗り入れを嫌がっている原因です。500系が乗り入れた当時もJR東海は上述の掟に合わせた車両にするよう、JR西日本に求めました。しかし、空力学的にも感情的にもかっこよさを求めた500系の形では、座席数や配置に関しては完全に合わせることができませんでした。そのためJR東海には、本当は美しい白鳥でも掟破りのアヒルの子のような見られ方をされているのです。

 また、九州新幹線が東海道新幹線に乗り入れない理由の一つ(ほかにもダイヤ関係、航空機と比べて不利などの理由はある)に、九州新幹線の車両が8両編成であることが挙げられます。これは東海道新幹線の掟①に反しますが、16両編成の車両を九州新幹線内に走らせても“供給”が多すぎて効率が悪いので、8両がちょうどいいのです(現に、今の九州新幹線のプラットホームでは、16両だとはみ出します)。

追記
 以前も500系関連の記事(http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-801.html)で乗せた動画です。ここでもっかい載せましょう。
 

東海道新幹線は独立を好む

 ようするに、東海道新幹線は、ほかの新幹線路線との直通運転をしたがらないということです。たとえば、東京駅では東海道新幹線と東北新幹線ほかが出くわします。しかし、未だに直通運転は行われません。行う計画は立てられましたが、結局やらずじまいに終わっています。

 これは、東海道新幹線を管轄するJR東海が直通運転を拒否していることが大きいです。理由はいろいろありますが、特にダイヤが原因であります。東海道新幹線のダイヤはテラ過密(最大1時間に片道13~14本)で、直通運転を組む余裕などありません(少なくともJR東海にとっては)。ほかの新幹線の列車は最高速度や座席位置などが東海道新幹線を走る列車と異なります。これらの違いでも、東海道新幹線の過密ダイヤには大きな負担になります。実は、山陽新幹線との直通運転をも、心の中では嫌がっているそうです(500系を巡るいざこざがいい例)。これもまた、過密ダイヤには負担になるとか。ほかの新幹線路線は、東海道新幹線と直通運転を行えば需要が伸びる希望があるので直通を望んでいますが、東京~大阪間の輸送で十分潤っている?東海道新幹線にとっては面倒なものなのでしょう。

東海道新幹線と関ヶ原 その2 なかなか実現できない雪対策

 東海道新幹線の関ヶ原での雪害を受け、その後建設された東北・、特に上越新幹線では徹底した雪対策が行われました。線路脇にスプリンクラーを設置し、線路に積もった雪を洗い流しているのです。おかげで上越新幹線では豪雪地帯を通るのにもかかわらず、雪害による運休がほとんど起きていません。

 単純に考えれば、それくらい関ヶ原の区間にもすぐできるのでは?と思います。しかし、制約があります。東海道新幹線の区間は、線路の下の土台が盛土(要するに土手)である区間が多くあります。更に、線路を支えるのはバラスト(砂利)です。スプリンクラーで大量に水をまけば、バラストと盛土が崩れる恐れがあるので、雪を洗い流すほど大量に水をまくことができません。東北・上越新幹線では、水を大量にまけるようにコンクリート製の高架橋を造り、線路の路盤もスラブ(要するにコンクリート)となっています。東海道新幹線の路盤もスラブで造りたかったのですが、当時はその技術が発展途上で使用を断念しました。

 関ヶ原の区間をコンクリートの高架橋、スラブ製の路盤に改良し、スプリンクラーを設置すれば雪害は解決されます。しかし、改良するためには月~年単位でこの区間を休止して工事を行うか、別路線を新たに作る必要があります。そこまで大きな投資をして徐行運転を解消するか、やむを得ず現状維持かという大きな選択ですが、現在の所は後者を選んでいるのでしょう。ここ10年以内、もしくはリニア開通後に、東海道新幹線では1兆円規模の大規模改修工事がおこなわれる予定です。そのときに関ヶ原の区間はどう改修するのでしょうか?

東海道新幹線と関ヶ原 その1 予想外だった雪害

 毎年冬になると、ニュースで関ヶ原の雪で東海道新幹線の列車が徐行していると報道されます。この徐行がなぜ起こるのか?何故40年以上にわたり続いているのか(この問題が解決できないのか)?を2回にわたり述べていきます。

 徐行運転を強いる元凶は、降雪です。関ヶ原は有名な豪雪地帯で、冬はじゃんじゃか雪が降ります。この雪が、運転中の新幹線の床下の機材にこびりつくのです。雪の降る中、自転車やバイクを運転した人は想像がつくでしょう。あれと同じことが新幹線にも起きているのです。しかも、新幹線は時速200 km/h以上で運転するため、こびりつき具合が甚大です。床下の機材に蔵王の樹氷のごとくこびりついた雪(氷)の塊は、豪雪地帯を抜けると溶けて路盤の上に落下します。しかも、新幹線は時速200 km/h以上で運転するため、落下する勢いは甚大です。落下した雪(氷)の塊は線路の下に敷いてある石(バラスト)を弾き飛ばし、それが新幹線の床下の機材へ直撃したり線路外に飛び出したりします。この被害を防ぐためにやむを得ず徐行運転をしているのです。

 東海道新幹線建設中には、何度も試験走行が行われましたが、その場所は神奈川県内でほとんど雪が降りませんでした。そのため、この被害までは想定できなかったのです。この雪による被害と原因が発覚した直後、国鉄の担当者は「新幹線が雪に負けてたまるか」と、強気の姿勢で通常運転を続けましたが、あるとき線路外に飛び出したバラストが民家の窓ガラスを貫き、部屋の中の目覚まし時計を直撃する事件が起きて、徐行運転を定着させたそうです。

 この習慣は東海道新幹線が開通して40年以上もの間続いています。原因は分かっているので解決することはできないのか?何故完全に解決できないのか?は、次回述べます。

新幹線の列車名 その1 東海道新幹線(「こだま」、「ひかり」、「のぞみ」)

 東海道新幹線が開通する少し前のこと、新幹線の列車名の公募が行われました。夢の超特急が走るという希望や、抽選で賞金がもらえることから、18日で55万通もの応募が日本国内や、韓国、インドなどからも届きました。送られた候補名は、780種にも及びました。以下にそ投票順位を1~10位まで、および「のぞみ」登場時に挙げられたほかの列車名の候補を挙げます。()内は、同じ名前が列車(+その他)に使われた例を示します。

東海道新幹線開業時の列車名の候補
1位:ひかり・19845票 (かつては、朝鮮鉄道・南満州鉄道急行、九州急行・準急で活躍)
2位:はやぶさ (平成21年3月14日まで寝台特急として活躍)
3位:いなづま
 (鉄道ではないが、日本海軍の駆逐艦、海上自衛隊の護衛艦として活躍)
4位:はやて
 平成14年12月1日より、東北新幹線の列車として活躍
5位:富士 (平成21年3月14日まで寝台特急として活躍)
6位:流星
7位:あかつき (平成20年3月15日まで寝台特急として活躍。その後はときどき、復活運転をしている)
8位:さくら (平成17年までは寝台特急として活躍、その後、1度は復活運転をした。平成23年に開業する九州新幹線の列車名として再登場予定
9位:日本
10位:こだま・8215票 東海道新幹線開業前日(昭和39年9月30日)まで、東海道本線の特急列車として活躍


 このように、「ひかり」は1位で「こだま」は10位でした。1位の「ひかり」はわかりやすさと光の早さをアピールするのにふさわしい列車名として採用されました。「こだま」は当時活躍していた東海道本線の特急「こだま」から親しみがあること、光(「ひかり」)と音(「こだま」)の組み合わせ(←どちらも速い)がよいことから、速達列車は「ひかり」、各駅停車は「こだま」になりました。

 ほかにも、ユニークというかお遊び的な候補名として、「マッハ」(←なんか速そう)、「ケネディ」(東海道新幹線開業前年に暗殺されたアメリカの大統領から)、「十河」(東海道新幹線建設を推進した神的人物の苗字から)などの案も送られました。


 次に、平成4年に登場した「のぞみ」について触れます。「のぞみ」登場時も、「のぞみ」以外の候補が挙げられました。以下に載せます。

新型列車の列車名を決める際に挙げられた候補(「のぞみ」以外)
あすか (かつて近畿日本鉄道や国鉄で活躍。昭和62年以降はJR西日本のお座敷列車として活躍)
きぼう
きらら

すばる (かつては、国鉄の夜行列車として活躍)
たいよう
つばめ
 (
かつては、東京~九州の間の特急列車として活躍。近年は鹿児島線の特急列車として運用、平成16年3月13日の九州新幹線の開業にと伴い、九州新幹線の列車名にも使用
にっぽん
コスモ
ペガサス
 (鉄道ではないが、日本の高速バスにこういう名前の便がある)

エース (直接名ではないが、近鉄の特急型車両が「エースカー」と呼ばれている)

 こちらの方は、公募と若干異なり、好感度調査で候補を絞ってから有識者とJR東海が最終的に「のぞみ」と決めました。人の望みは光より速いという思いからも決定が推進されたそうです。

夢の超特急の1番列車(上り)は、山手線の列車に抜かされました

 夢の超特急である東海道新幹線が開業した初日の、しかも1番列車で起こった伝説です。

 当時の昭和39年(1964年)10月1日の午前6:00に、東京、新大阪の両駅から下り列車と上り列車が、記念すべき1番列車として出発しました。当時、新大阪駅を出発した上り列車(ひかり2号)の運転士は、張り切りすぎて速度制限のゆるい直線区間をフルスピード(210km/h)で運転しました。乗客が速度計を見に集まって、思わず張り切ってしまったそうです。しかし現在と違い、当時はダイヤに相当な余裕が設けられていました。スピードを出しすぎた結果、列車は新横浜駅を定刻より5分も早く通過しました。しかし、終点の東京駅には定刻につかなくてはなりません。やむをえず新横浜~東京の間で徐行運転を行い、並行する山手線の列車に抜かされたのです(品川~東京の間)。

 実際は新横浜~東京の間はきついカーブが連続するため、大半の区間は110km/hで運転されます。とはいっても、山手線の速度はそれより遅いです(現在でも90~95km/hが最高)。よほど徐行したのでしょう。

 また、当時は200km/h運転を満足に行えば東京~新大阪の間は3時間10分で結べましたが、開業後の1年間は路盤を安定させるために、4時間と設定されました。初めての高速列車営業運転のリスクも考えたのか、遅延した時に備えて余裕時間もたっぷり取ってあります。つまり、張り切った運転をし続けると早く着きすぎてしまいやすい環境でした。

東海道新幹線のダイヤの理想と現実について

 以前の記事でも書きましたが、東海道新幹線では1時間に15本(平均4分間隔)の頻度の運行までが可能です。それを実現するためにJR東海は品川駅を建設しました(詳しくは  を参照)。しかし、品川駅が開業して6年近くたつ現在も1時間に15本の運転を行っていません(現在最高で14本/時)。また、品川始発の列車は早朝の1本のみで、定期的に折り返していません(理論上は1時間当たり2~3本が品川始発になる予定だった)。これには、以下の理由が考えられています(参考文献:「超・新幹線が日本を変える」)。

① 各列車の性能の違い
 現在、東海道新幹線には300系、500系、700系、N700系の4種類の車両が走っています。最高速度はそれぞれ異なりますが、東海道新幹線内では全ての列車が最高速度270km/hに統一されています。これは、東海道新幹線の線形の制約(カーブの半径とか)と過密ダイヤを効率化するためであります。

 一方で、加速性能とカーブの通過速度が車両により異なります。この性能の差により、各車両の「東京」~「新大阪」の間の所要時間は最短で300系、500系、700系が2時間30分、N700系が2時間25分になっています。たった5分の違いですが、この5分が大きいのです。1時間に15本の列車を運転すると平均運転間隔が4分、頑張って間隔を空けてもたまに6~7分になるのが限度でしょう(これには理由があるけど、それを上手くまとめて語るのが面倒なので省きます)。そして、各列車は3分間隔での運転が限度なので、所要時間に5分の差が出来る状態だと、N700系が先行の他の列車(300系、500系、700系)に追いついて速度制限を受けてしまい、速く走れる列車が思う存分に走れなくなります。現に今そうなっています。
 
 1時間に15本の運転を実現するには、更に車両性能を統一する必要があるのです(統一をしないと、各性能をフルに発揮できないので、もったいない)。

② 品川駅の運用法の変更
 品川駅は、元々運転本数を増やすために造られた駅です。現状より運転本数を増やすには、品川で折り返し運転をする列車を設定する必要がありますが、品川駅は上下線各2本の線路で構成されています(ようするに名古屋、京都、上野駅などのような2面4線)。折り返し運転をするとそのうち1本の線路がふさがり、ふさがっている間は東京からやってくる列車を1本の線路でさばく必要があります。1本の線路でさばくと、ホームに先行列車が停まっている間に後続の列車が追いついてしまって(運転間隔が既に密だから)、先行列車にぶつからないように駅の手前で待ちぼうけを食らうため効率が悪くなります。このため、2本の線路に交互に列車を入れてさばく必要があり、品川で折り返す列車の設定が難しくなります。

品川駅
 こちらが品川駅構内の配線図です。このように、上下線ともに2本の線路が使用されます。ダイヤが過密な時は上下線とも2本の線路を交互に駆使して、短い間隔で走る列車をさばきます。この配線は、新横浜、名古屋、京都ととも同じものです。

 
 東京始発の列車を今より減らして、減らしたその分を品川始発に回す(要するに双方のバランスを良くする)、もしくは東京始発の列車は全て品川通過にすれば、1時間に15本へ本数を増やすことは出来るでしょう(それでも①で述べた問題を解決する必要がある)。しかし、実際はほとんどが東京始発で、全ての列車は品川に停まります。品川駅は、運転本数を増やすことによりもむしろ、乗客の流れの分散化や品川周辺のJR管轄の商業施設を増設する手助けに運用されているらしいです。

 開業当初は1時間に2本(30分間隔)の運転頻度であった東海道新幹線でした。ここまで需要が増えて過密ダイヤになると、当時誰が創造できたのでしょう?国柄の違いが大いにありますが、ヨーロッパの高速鉄道は1時間に多くても2~3本の運転です。日本の新幹線は世界の高速鉄道の中で、間違いなく世界一の過密ダイヤを実現しています。

現在の東海道新幹線のダイヤ

 今年の3月14日に東海道新幹線のダイヤ改正が行われました。広告では、「のぞみ」を1時間に9本運行する、とあります。また、N700系の運用幅を着実に広めています。しかし、それに加えて更に列車が増発されました(一般的には特に知らなくてもいい分野なので公表されておらず、普通は知らないことであるはず?)。

 今まで東海道新幹線は、1時間に最大で13本(平均で4分37秒間隔)の過密ダイヤでしたが、今回は1時間に最大14本(平均で4分17秒間隔)になりました。理論上は1時間に最大15本(平均で4分00秒間隔)の運転が可能ですが、車両基地を行き来する回送列車を重複させる関係で実現には至っていません(「品川」に東海道新幹線の新駅が造られた理由を参照)。実現させるためには、品川駅で折り返す列車を設定すればいいのですが、どうやら今の所はその設定を行う可能性は低いようです。

以下の時刻は、3月14日以降のダイヤの一部(最もダイヤの過密な18時台)を抜粋したものです。全てが東京駅始発です。全てが16両編成、全長400m、総座席数1323席(500系は1324席)の列車です。そして全てが東海道新幹線の区間を最高速度270km/hで疾走します。

18:00発 のぞみ 新大阪行き
18:03発 ひかり 岡山行き
18:10発 のぞみ 博多行き
18:13発 のぞみ 新大阪、もしくは博多行き(臨時列車)
18:20発 のぞみ 新大阪行き
18:23発 のぞみ 新大阪行き(臨時列車)

18:26発 こだま 名古屋行き
18:30発 のぞみ 広島行き
18:33発 ひかり 新大阪行き
18:37発 こだま 三島行き
18:40発 のぞみ 新大阪行き
18:47発 のぞみ 新大阪行き(臨時列車)
18:50発 のぞみ 博多行き

18:56発 こだま 名古屋行き


 3本の臨時列車がありますが、3月14日~6月30日の合計109日うち、38日は全ての臨時列車が運行されます(時刻表の臨時列車の欄を参考に、Excel 2003を使って確認したら、この数値になりました)。すなわちこの38日の18時台は、1時間に14本(平均4分17秒間隔)の運転が実現されます。

「品川」に東海道新幹線の新駅が造られた理由

 平成15年(2003年)10月、東海道新幹線の「品川駅」が開業しました。現在では(当分この先も)東海道新幹線で一番新しい駅ですが、何故わざわざ造られたのでしょうか?造った理由ですが、品川地域の住民の請願によるものではありません。JR東海が自ら進んで造ったのです。費用は全てJR東海負担です。造った主な理由は、列車のダイヤを組みやすくするためです。

品川駅
 上図が「東京駅」と「品川駅」の位置関係です。2駅の間にはこのように車両基地と連絡する路線が合流しています。そして車両基地と「東京駅」の間を回送列車が走ります。つまり、車両基地への連絡線との合流地点~「東京駅」の間には、営業列車と回送列車の両方が走ります。合流点より「新大阪」側は、より多くの列車を走らせられますが、両者が合流する区間は回送列車を走らせる分、これ以上(12、13本以上)営業列車の本数を増やすことが出来ません。合流地点より新大阪側は回送列車が走らない分まだ運転本数を増やす余裕があります。ようするに、何かもったいないという感じです。
 ちなみに、車両基地は大井競馬場の近くにあります。

 そこで回送列車が走らない場所、すなわち「品川」に新たに駅を作ることにしました。「品川駅」で一部折り返させることにより、東海道新幹線内における列車の運転本数を、回送列車の数の分だけ加えることが可能になったのです。しかも、ホームを増やしたことによりダイヤがより柔軟に組めるようになり、品川方面からの利用にも便利になりました。東海道新幹線が開業したときには品川に駅を作る計画はなかったでしょうが、予想以上にダイヤが過密になった影響でこうなちゃったのです。

 ちなみに、新幹線の駅を作るのにかかる費用は約50~100数十億円(地方の場合)ですが、「品川駅」は営業運転している路線のすぐそば(もしくは線路内)で建設工事を行ったため、6年の歳月と950億円もの費用がかかりました(JR東海全額負担)。

東海道新幹線は開業当初、列車を30分に1本しか運行していなかった

 東海道新幹線はいまや、片道1時間に最大13本の列車を運転をする過密ダイヤであります。そして1日に運転される列車は上下線あわせて約290本(約145往復)、最高記録は平成19(2007年)年8月10日の372本(約186往復)でした。新幹線の営業時間は6:00~0:00の18時間なので、その間に186往復することは、片道で平均6分未満の間隔で18時間の間、列車が走るいうことです。

 しかし、東海道新幹線が開通した昭和39年(1964年)当時の列車運行間隔は、片道で30分に1本(1時間に2本)の運転でした。1日の往復数は28往復前後で、「ひかり」と「こだま」が交互に発着していました。現在、「こだま」が「東京」~「新大阪」まで走ると、その間に10本以上の「ひかり」や「のぞみ」に停車駅で追い越されますが、開業当初は、1本の「ひかり」にしか追い越されませんでした。

 また、東海道新幹線を走る列車は現在は全て16両編成でしたが、開業当初は12両編成でした。プラットホームの長さは、将来を見越して16両分の長さがあらかじめ作られていました。16両になったのは大阪万博のころです。開業当初は、まさか今ほどこんな過密ダイヤになるとは、ほとんど予想できなかったそうです。

東海道新幹線はどれくらい儲かっているのか

 東海道新幹線は日本で一番儲かっている鉄道路線で、世界でも有数のドル箱路線であります。では、どれくらい儲かっているのか説明しましょう。

東海道新幹線の収入はJR東海全体の収入の約85%を占める
 「東海道新幹線が風邪を引けば、(JR東海管轄の)在来線は肺炎になる」といわれているように、もはや東海道新幹線はJR東海の屋台骨と化しています。

年間収益は約1兆円
 これは、JR東日本管轄の首都圏の鉄道(山手線や中央線など)の合計年間収益(約8500億円)を上回ります。最高記録は平成18年(2006年)度の1兆430億円で、近年は1兆円をちょっと越える収益を維持しています。

営業係数(昭和60年度)は約40
 「営業係数」とは、100円設けるのに投資する値(円)で考えた、経営状態を表す数値です。例えば、営業係数が90の場合は90円投資すれば100円儲かるので黒字です。逆に、100を越えると赤字ということです。
 営業係数は国鉄の解体でJRが発足してから、JRから公表されていないため古い記録しか残っていませんが、約40です。比較として挙げれば、富山の黒部峡谷鉄道が92(時期不明)、立山黒部アルペンルートのトロリーバス(黒部ダム~扇沢)が82(時期不明)だそうです。どれくらい凄い経営なのか、何となく想像付くでしょう。

 東海道新幹線がこれだけ儲かる理由で真っ先に考え付くのは利用者の多さです。1日に約40万人(富山市の人口に匹敵)が利用しています。その他の理由に、乗車するために特急料金も課せられること(その分高い)、駅間距離が長く利用すると必然的に長距離移動になり、1人1人の払う料金が高くなる(長距離移動をする人ばかりが利用する)事なども挙げられます。利用者と乗車条件が実に意気投合した経営になっています。
 JR東海は国鉄解体(JR発足)の際に東海道新幹線全線を国鉄から買い取るために膨大な借金をしましたが、それも順調に返済できているようです。更に1兆円以上をかけて東海道新幹線の大規模改修工事を(将来)計画したり、5兆円かけて中央新幹線を作ろうとしたりしています。今の日本の状況下で凄いです。

開通前の新幹線の線路を別の路線の列車が走ったことがある その2 阪急京都線

 昨日に引き続き、もう一例を紹介します。今回は、京都~新大阪の間です。ちょうど高槻市付近に東海道新幹線と阪急京都線が4kmほど近接して並走していますが、東海道新幹線が開通する直前の一時期に、阪急の列車が東海道新幹線の線路を走ったのです。

阪急1
 こちらがその周辺地域を含めた全体図です。両者が並走するのは高槻よりも少し京都よりです。

阪急2
 こちらが拡大図で、上図の赤色の枠で囲った場所です。青色の線で示していますが、4kmほど東海道新幹線と阪急京都線の線路がぴったりと並んでいます。

 阪急京都線の列車が東海道新幹線の線路を走ったのは昭和38年(1964年)の4~12月の8ヶ月間です。場所は拡大図で示した両路線が並走している場所、上牧付近~大山崎駅の3.3kmの区間です。阪急は当時、高架化の工事をしていましたが、地盤などが原因で阪急の高架橋よりも東海道新幹線の高架橋が先に完成しました。そこで阪急の高架橋敷設工事の間だけ、まだ開業していない東海道新幹線の線路を阪急が間借りすることになったのです。線路の幅は新幹線も阪急も1435mmと、同じです。そのため東海道本線(前回の記事)と違い、新幹線の線路にそのまま阪急の電車を乗り入れさせることが出来ました。架線の電圧は両者で互いに異なるので、それは阪急の変電所から引きましたが、あまり手間は掛からなかったそうです。

開通前の新幹線の線路を別の路線の列車が走ったことがある その1 東海道本線

 本来新幹線は他の在来線とは全く別な路線のため、他の路線の車両が新幹線の線路に乗り入れることはまずありません。しかし、開通する前の新幹線の路盤(もしくは線路)を他の路線の列車が一時的に使用した例が2つあります。

 その1つは静岡~掛川の間にある日本坂トンネルの区間です。

日本坂トンネル
 赤色の枠で囲った場所が日本坂トンネルの位置です。テラ地元の近くだ。

コピー (2) ~ 日本坂トンネル2
 こちらが赤色の枠の地域です。海側から旧国道150号線、東海道本線、東海道新幹線、新150号線、東名高速道路です。幅1kmの区域に5本の路線と8本の2km以上のトンネルが並行しています。まるで神戸の鉄道網みたいだ。

コピー ~ 日本坂トンネル2
 新幹線が開通する昭和39年(1964年)より前は東海道本線は青色の線のルート、すなわち現在より海側を通っていました。
 これより先、青色の線は東海道本線赤色の線は東海道新幹線を示します。

コピー ~ コピー ~ 日本坂トンネル2
 赤色の点線が東海道新幹線のルートです。実は新幹線の日本坂トンネルは難工事が予想されることから、東海道新幹線が開通する23年前の昭和16年(1941年)に着工されました。今から67年も前のことです。着工から3年後にトンネルは完成しましたが、戦争と戦後の混乱で新幹線計画(当時は弾丸列車計画と呼ばれていた)は休止となりこのトンネルを走る列車がなくなりました。

日本坂トンネル2
 そこへ東海道本線の列車を走らせることになりました。東海道本線を電化させる際に上に架線を設置する必要がありますが、当時の路線のトンネルでは天井が低くそれが出来なかったため、在来線よりも断面の大きい新幹線トンネルを暫定的に使用することになったのです。結果的に、新幹線のトンネルは昭和19年(1944年)~昭和37年(1962年)の18年にわたり東海道本線が使用していました。

コピー (3) ~ 日本坂トンネル2
 その後昭和37年(1962年)に東海道専用の新しいトンネルが完成し、東海道線の列車は新幹線の路線から撤退しました。その2年後に東海道新幹線が開通し、現在の形(上図)になりました。

かつて静岡空港の直下に新幹線新駅が計画されていた

 前回の記事の最後で指摘したように、静岡空港の直下には東海道新幹線の線路が走っています。そして静岡県は空港直下に新幹線の新駅を作ることを計画、そしてJR東海に要望しました。出来れば出来たで非常に便利になるのは間違いありませんが、間違いなく静岡のエゴを日本全国に広めるでしょう。

コピー ~ 静岡空港2
 こちらが駅の候補地です。1つ目は空港直下のトンネル内に駅を作るということです。技術上、そして列車の待避が行えるように、新たに停車線用のトンネルを掘り、そのトンネル内に駅を作るという、非常に大掛かりなものです。勿論これが理想ですが、あまりにも莫大な費用と手間がかかる上に、需要がどれだけいけるか不明な地方空港です。そこまでJR東海が乗るはずも無く、さらにそんな余裕も静岡県にはありません。さらに、停車駅が増えるということは列車の全体的な平均速度(評定速度)がおそくなり、さらに列車の待避と追越が増えてダイヤが乱雑になりやすくなります。今の東海道新幹線はダイヤが非常に過密で新たに駅を作って「こだま」「ひかり」「のぞみ」の所要時間の格差を大きくする余裕がありません。JR東海は「南びわ駅(建設凍結)を東海道新幹線の最後の新駅とする」と宣言し、静岡県側にもそれを明示しました。

 また、トンネルよりも東側の地上部も候補に挙がりました。特に沿線の島田市が強く要望しました。候補2意外にもさらに1箇所(候補1と2の間)も挙げられました。しかしこれもまた山の上の滑走路やターミナルまで移動する手間がかかり、状況は東海道線の駅から車やバスを使うのとあまり変わりません。島田市はかなりむきになって地上に駅を作ることを要望したそうですが。

 そんなこんなで空港専用の新幹線駅が作られる可能性は今後も非常に低いものとなっています。強いて作るとすれば、静岡空港が本当に目論みどうりに黒字経営となり、中央新幹線が全線開業して東海道新幹線にダイヤの余裕が出来た後でしょう。

かつて、名古屋と京都を素通りするのぞみ号が走ったことがある

停車駅が増えていくの記事で東海道新幹線の列車の停車駅について多少紹介しましたが、かつては名古屋と京都を素通りし、途中は新横浜しか止まらない「のぞみ」が走っていました。これは「のぞみ」が登場した平成4年(1992年)~平成9年(1997年)まで運転されていた「のぞみ301号」です。

普通の「のぞみ」(当時)の停車駅は

東京→名古屋→京都→新大阪

ですが、301号は

東京(6:00発)→新横浜(6:16発)→新大阪(8:30着)

と、新横浜~新大阪の間、約480kmをノンストップで走っていました。ただし、安全のために名古屋駅と京都駅は時速30kmほどで通過していました。

 名古屋と京都を通過させた理由は、東京~新大阪の間をきりよく2時間30分で運転するためです。新横浜からの利用も見込んで新横浜駅にも「のぞみ」を停車させましたが、それではどうしても2時間30分を上回ってしまいました。新横浜に停車すると、通過をした場合(通過速度は255km/h)よりも所要時間が4分15秒延びます。つまり、名古屋と京都にも停まると東京~新大阪間の所要時間が2時間30分+4分15秒=2時間34分15秒になり、なんかすっきりしません。余裕時間を切り詰めて速度を上げる手もありますが、安全とダイヤ上無理があります。当時、「東京~新大阪2時間半」をうたい文句にしていたJR東海は、名古屋と京都を通過させるという苦肉の策をとりました。通過速度が30km/hとはいえ、それを2駅で行えば、停まる場合よりも2分15秒×2駅=4分30秒短縮し、ちょうどいいです。

 このような運転をしたとたんに名古屋市は猛反発をしました。地元の経済界や政治家までもがこれについて言及し、「名古屋飛ばし」として非難を浴びました。一方京都では抗議の声はほとんどありませんでした。そののぞみ号が通過する時間にはまだ観光客の需要がないと判断したためです。
 こののぞみ号は平成9年(1997年)に廃止されました。路線の保線が終わり、新横浜、名古屋、京都の3駅に停まっても東京~新大阪の間を2時間30分で運転できるようになったためです。

かつて計画されていた新幹線ルート その5 横浜付近

 一時期横浜の市街地に東海道新幹線の線路を通す計画がありました。そして実際は市街地から離れた現在の位置に線路が通り、「新横浜駅」が設置されました。

横浜付近
 緑色の線が現在の路線、赤色の線が計画時の路線を指します。

 東海道新幹線が開通したのは昭和39年(1964年)ですが、高速列車の計画自体は戦前から存在しました。そのときの横浜付近は、現在とほぼ同じルートが設定されました。しかし、これでは横浜への行き来が不便ということで昭和33年(1958年)頃は赤色の線のルートが設定され、現在の横浜駅よりもちょっと北側に駅を作ろうとしていました。その後、遠回りになる、用地買収が困難、などの理由で現在のルートに再修正され、横浜市も承諾しました。当時、新横浜駅周辺は何もありませんでした。うーん、何か大阪とは逆の現象です。
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