「むさしの号」のダイヤからくり

「むさしの号」といえば、「大宮」~「八王子」間を、乗り換えなし=「東北本線」-「武蔵野貨物線」-「武蔵野線」-「武蔵野貨物線」-「中央本線」を乗り継いで結ぶ特別列車です。
 各路線は通常乗り換えて行きわたりますが(特に「東北本線」~「武蔵野線」を乗り継ぐのが面倒)、この列車では一気に乗り継ぐことができます。つまり、「大宮」~「武蔵野線」沿線の駅間を利用するためには非常に便利な車両です。しかしこの1日3往復走る「むさしの号」は、便によって「東北本線」~「武蔵野線」を結ぶ時間がかなり違います。

「むさしの号」の「大宮」~「北朝霞」間のダイヤ(()内は所要時間)
 大宮     北朝霞
 8:54 →  9:09(15分)
18:47 → 19:06(19分)
20:31 → 20:42(11分)


 北朝霞     大宮
 8:52 →  9:03(11分)
17:31 → 17:45(14分)
19:37 → 19:49(12分)

 「大宮」~「北朝霞」間は、通常「東北本線」と「武蔵野線」の間に「埼京線」か「京浜東北線」を介して、最速16分で結びます(「埼京線」の特別快速経由)。
 対して最速の「むさしの号」は、11分と、特急レベルの優越感に浸れるものです。しかし、一番遅い便は19分と、倍近くかかります。

 その原因には、「むさしの号」がいくつもの路線を乗り継ぐため、アウェイな存在もあります。「大宮」~「北朝霞」間では「武蔵野貨物線」を乗り継ぐことから、この駅間の3路線を走る本来の列車のダイヤに合わせるため、「むさしの号」は「武蔵野貨物線」内で徐行運転、一時停止してこれだけの時間が便によってはかかるということです。

ちなみに、「武蔵野線」と「中央本線」を乗り換える際の「新小平」~「国立」間の所要時間も6~9分の開きがあります。「むさしの号」はとても便利な列車ですが、よりお得な気分に浸りたければ、各便の詳しいダイヤを確認するといいでしょう。
スポンサーサイト

「新快速」(関西圏)の歴史

 乗車券だけで乗ることのできる日本で最も速い列車である、関西圏の「新快速」の歴史が、以下の記事で紹介されていました。

JR西日本「新快速」40年 “鉄ちゃん”も驚く誕生秘話
2010.11.7 07:00

 京阪神地区を結ぶJR西日本の新快速が走り始めてから10月1日で40年が経過した。今では朝のラッシュ時から深夜まで走り、京阪神の通勤通学には欠かせない存在だが、登場当初は鉄ちゃん(鉄道マニア)も驚くようなエピソードが隠されていた。

 新快速は、昭和45年10月1日、旧日本国有鉄道(国鉄)が近郊電車のイメージアップを目的に運行を開始した。当時の区間は京都-西明石間で、昼間に6往復のみ。しかも、車両は113系という近郊形の3扉車。平成10年ごろまで横須賀線(東京-久里浜間)で走っていたのとほぼ同じものだ。

 実は、この新快速にはお手本があったという。東京都内を走るJR中央線で昭和42年に特別快速が登場した。並行して走る京王電鉄が特急を走らせたことへの対抗策だった。

 東海道新幹線が開業した39年以降、国鉄は毎年赤字を計上するようになる。一方、並行して走る阪急電鉄や阪神電気鉄道、京阪電気鉄道は新型車両を次々と投入し、京都-大阪間、大阪-神戸間でノンストップの特急列車を走らせ、人気を集めていた。

 「中央線の特別快速のような列車を京阪神でもできないか」。これが新快速誕生のきっかけだ。

 47年3月、山陽新幹線(新大阪-岡山間)の開通で、急行形車両が大量に余った。国鉄はこれを2代目の新快速車両「ブルーライナー」として活用し、新快速を大増発。草津-姫路間で、昼間を中心に30往復に増やし、大阪駅発の時刻を毎時0、15、30、45分とした。このとき、昼間のダイヤの原型が完成する。

白の車体に青線で親しまれた2代目車両には欠点があった。車両片側の扉が2つだけで、デッキもあったため、乗り降りに時間がかかったのだ。このため、55年にデッキを外した3代目車両「シティーライナー」を投入。この車両は新快速のために設計されたもので、赤字の国鉄では大英断だった。

 また当時、新快速は新大阪を通過していた。新幹線利用客と、大阪-京都間の乗客とを分けるためだったが、乗客の要望もあって60年3月には新大阪にも停車するようにした。

 平成元年に4代目となる221系投入にあわせ、朝ラッシュ時にも新快速が登場。通勤・通学輸送を担うことになる。221系は最高速度が時速120キロと従来に比べ10キロ速い。これを生かし、2年には高槻、芦屋にも新快速が停車するようになり、4年には12両編成の列車も登場する。

 7年1月の阪神・淡路大震災。阪神間の鉄道はまひ状態に陥ったが、最初に全面復旧を果たしたのはJRだった。

 4月に5代目となる223系を大量投入し、朝ラッシュ時の新快速の本数を1時間8本に倍増。阪急、阪神からの通勤・通学客を奪い、これによってJRの新快速が一気に市民権を得たといえる。

 今年10月23日、6代目となる225系が一般公開された。17年4月の福知山線列車事故の教訓を生かし、車体前面での衝撃を上方ににがすように設計されている。また、つり革の数が2倍になり、座席の手すりも丸みを帯びた形に改め、急停車時のけがを少しでも回避させる工夫が施されている。

 現在、京都-大阪間は28分と40年前に比べ4分、大阪-三ノ宮間は22分で同1分、それぞれ所要時間が短縮した。運転区間も東は敦賀、西は播州赤穂と大きく拡大している。

 今後の課題について、JR西日本輸送計画課の清水康一担当課長は「京阪間で普通列車と新快速列車との接続が十分に取れていないことだ」という。

 また「京都-大阪間は比較的距離が長く、快速がどうしても途中で新快速に追い抜かれる」(清水氏)ことも新快速の混雑の原因と分析している。(松村信仁)

http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n2.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n3.htm

 現在スピードでは圧倒的に頂点にある「新快速」を運用することで関西圏では「JR西日本」が私鉄を圧倒していますが、昔は逆の立場だったのですね。あと、停車駅も「京都」⇔「大阪」⇔「神戸」と、完全に新幹線の停車パターンです。しかも、「新大阪」に停まらなかった時代もあるとは意外でした。

「加賀温泉」の真実

 北陸本線には、「しらさぎ」、「雷鳥」、「サンダーバード」などが特急列車の停車する、「加賀温泉」という駅があります。将来は、北陸新幹線の新駅ができる可能性があるかもしれない予定です。「加賀温泉」は、北陸地方や北陸本線の利用者にとって有名な駅ですが、過去にはこの周辺で壮絶な停車駅争奪戦が行われ、それにもろ巻き込まれました。

加賀温泉
 こちらは、「加賀温泉」とその周辺の地図です。赤円で囲っているのが温泉です。よくみたら、「加賀温泉」自体は温泉街からも市街地からも離れています。

 かつての「加賀温泉」は「大聖寺」と「動橋」の中間に位置する駅で、「作見」という名前でした。開業後の最初の1年は信号所として機能し、当時は普通列車しか停まらないローカル駅でした。当時は、この駅の両側の「大聖寺」と「動橋」のどちらに特急列車を停めるかで、地元の温泉街や観光団体が揉めました。当時は特急列車の停車駅を極力絞るご時世で、両駅間のような短い区間のを隔てた両駅ともに停める考えがなかったのです。当初は特急列車を半分ずつ両駅に振り分けて停車させていました。しかし、特急の増発のたびに揉め事が繰り返されたため、当時の国鉄はちょうど中間にある「作見」を「加賀温泉」に改名して、特急列車を集約しました。昭和45年(1970年)10月1日の出来事でした。そうして「加賀温泉」は、周辺の温泉地域への玄関口になり、駅と温泉地域はバスで結ばれるようになりました。

 ちなみに、駅名を見る感じでは最寄りに“加賀温泉”があると考えそうですが、実際に“加賀温泉”は存在しません。温泉街は、上の地図で示している場所にあります。

 ところで、「加賀温泉」(旧:「作見」)に特急が集約して新たな黒歴史ができました。「大聖寺」と「動橋」を特急が素通りするようになり、両駅の利用者が激減しました。そして、当時「大聖寺」と「動橋」に接続をし、加賀市内や温泉街を結んでいた「北越鉄道加南線」が大打撃を被り、「加賀温泉」に特急列車が集約した翌年に全線廃止となりました。加賀市は廃止に猛反対をしていましたが、当時の情勢と重なり廃止が強行されました。

 地域の活性化のために特急列車の停車駅争奪戦が繰り広げられたこの地域ですが、その結果地元の鉄道が廃止になるという皮肉な状況になってしまったのです。

来年のダイヤ改正について

 来年3月のダイヤ改正で「能登」ち「北陸」が定期運転を取りやめるという衝撃的な出来事を聞いてから1か月、その内容が見つかりました。以下のURLに記述されています。

http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/20091218_kaisei.pdf

6.寝台特急「北陸」、急行「能登」の運転を取りやめます
ご利用の減少と車両老朽化に伴い、東京と北陸方面を結ぶ寝台特急「北陸」(上野~金沢間)、急行「能登」(上野~金沢間)の運転を取りやめます。また、同区間においては、週末や夏休みなどお客さまの多い時期を中心に臨時急行列車を運転します。

 他の噂によれば、利用者の多い時期に運転される臨時急行列車は、485系の車両だそうです。つまり、「北陸」のブルートレインと「能登」の489系(ボンネット車両)の運転はあと3か月だけです。

 ほかには「東京」~「博多」間直通ののぞみから500系が完全撤退してすべてN700系に統一される、山陰本線(嵯峨野線)の「京都」~「園部」間が全て複線化される、などの変化があります。

山手線にもホーム柵が

 平成29年度(2017年度)までに、山手線全駅に可動ホーム柵が設置されるそうです。手始めに来年度には「恵比寿駅」と「目黒駅」に設置されます。柵設置に伴い、すべての山手線車両が4扉に統一されます。

 ホーム柵と言えば、近年かなり使用度が増えています。山手線の駅にはあれだけ人がひしめいているので安全のために必要なものですが、設置すると車両撮影し辛くなるので、特に撮り鉄にはある程度の制約にもなってしまいます。安全と趣味のジレンマですね。

JR東日本は列車の最高速度で見栄を張る傾向にある?…ようです

①スーパーひたち(常磐線、公式の最高速度130km)
 スーパーひたちは常磐線の上野~いわき(一部は仙台)をむすぶ特急列車です。公式場の最高速度は130kmとされていますが、実際に130kmをだすのは極限られた区間(あまり大部分の区間ではない)で、しかも遅延して遅れを取り戻すときだけに出すそうです。ちなみにJR西日本管轄のサンダーバードや近畿圏で活躍する新快速は、出せる所でどんどん130km運転をしていきます。まあ、それをやりすぎたことが福知山線脱線事故の原因にもなりましたが。JR東日本は結構余裕を持たせているのだろうか?

②下り列車のあさひ(上越新幹線、公式の最高速度275km)
 上越新幹線はほとんどの区間(上り列車は全ての区間)で最高速度は240kmとなっています。下り列車だけが特別に大清水トンネル内~浦佐の間の40kmの区間で275km運転をしています。この区間は長い下り坂がずっと続くため、ここまで速度を上げられます。運転当時は「日本最速の運転」として宣伝されていましたが、それでも僅かの区間ですから劇的に所要時間が短縮したわけではないです。ちなみに今ではこの運転は行われず最高速度は240kmに戻りました。

③はやて(東北新幹線、公式の最高速度275km)
 この275kmというのは“これより速度を上げたら自動ブレーキがかかる速度”(頭打ち速度という)で、実際はそれよりも余裕を持たせた270km運転です。東海道新幹線内ののぞみ号と同じなわけです。東海道新幹線は実際に運転する速度をきちんと公表して“270km”としています。逆にJR東日本方式で最高速度を表現すれば、のぞみ号は270km→275km、更には500系やN700系(山陽新幹線内)は300km→305kmと表示されることになります。

 まあこのようにいくつかの事例を挙げてみましたが、あくまで聞きかじったことをそのまま載せただけなので、色々探せば反例は出てくるでしょう。そのため題名もこのようにちょっと曖昧なものにしておきました。まあ、こういうこともあるんだということを理解していただければ幸いです。

大垣~関ヶ原間の迂回路線の歴史

 折角なので、前回の遠回りの道についてその歴史を紹介します。
 最初はこのような迂回路線はなく、後になって新たに加えられました。

 コピー ~ しらさぎ遠回り
 まず、東海道本線のこの区間は明治35年(1902年)に複線化されました。しかし当時の主力であった蒸気機関車にとっては25‰の勾配は大変きついもので、この下り線の区間では補助機関車を連結したり、一度の輸送量を減らしたりという手間がかかりました。

コピー (2) ~ しらさぎ遠回り
 その後、大東亜戦争が始まり輸送力の増強が求められたことから、昭和19年(1944年)に最大勾配が10‰の迂回路線を建設しました。これが現在も下り列車のしらさぎが使用している“遠回りの道”です。このとき垂井を通っていた下り線の線路は撤去され、下り列車は垂井駅に停まらないことになってしまいました。
 
コピー (3) ~ しらさぎ遠回り
 しかしそれでは下り列車で垂井駅を利用する人にはあまりにも不便なため、昭和21年(1946年)に、もとの下り線を復活させました。正式名称は「垂井支線」で、遠回りの道の迂回路線が東海道本線という定義になっています。うーん何か不思議です。開通当初は垂井支線と迂回路線の両方に均等に普通列車を走らせていましたが、遠回りのほう、すなわち新垂井駅を利用する人は非常に少なく、しだいに遠回りの道をわざわざ通る普通列車は減っていきました。

しらさぎ遠回り
 そして昭和61年(1986年)に新垂井駅は廃止されました。地元では廃止反対運動すら起きなかったようです。普通列車は垂井支線に全て割り振られ、現在の列車は25‰の急坂でも普通に登れることからこの迂回路線の意義はほとんどないものになってしまいましたが、前回の記事で述べたようにこの直線ルートの速度が85kmに制限されていること、分岐器が迂回路線の方向にまっすぐになっていることから、この遠回りの道は生き残っています。今の経緯は違いますが、造られた経緯は敦賀のループ線(日本のループ線 その3 敦賀付近)と同じですね。

特急しらさぎは、大垣~関ヶ原ではわざわざ遠回りをします

 特急列車のように早い列車は、普通時間短縮のために近道と遠回り道の2つがある場合は近道を走りますが、名古屋~富山をむすぶ特急しらさぎの下り列車は遠回りをします。
 
 この場所ですが、岐阜県の大垣と関ヶ原の間にあります。

しらさぎの迂回路
 こちらがその場所の地図です。このように東海道本線が一直線の道(赤線沿い)と遠回りの道(青線沿い)に分かれています。一直線の道は複線で、上下線両方の列車が走向し、遠回りの道は単線で下り列車のみが走る一方通行です。しらさぎの下り列車はわざわざ遠回りの道を選んで走っています。

しらさぎ遠回り
 こちらは大垣~関ヶ原の間のかなり大まかな配線図です。遠回りの道は下り列車のしらさぎやしなのなどの特急や貨物列車など、一直線の道の途中にある垂井駅を素通りしても大丈夫な列車が通ります。一方各駅停車の普通列車は一直線の道を通ります。上り線は全ての列車が一直線の道を通ります。この地域は、関ヶ原に向けて100m以上も一気に駆け上がる難所になっています。駅や信号所に記してある海抜はあくまでも地形図からの推定です。

荒尾信号所
 こちらは、大垣よりの分岐点の配線図です(Wikipediaより)。このように、特急列車が速度を落とすことなく通過できるように、わざわざ遠回りの道のほうの分岐がまっすぐになっています。これは、関ヶ原のほうも同じです。

 ぶっちゃけ特急列車は一直線の道のほうを通ろうと思えば通れます。乱暴に言えば無意味に遠回りをしているといっても過言ではありません。
 この理由ですが、先ほど述べたようにこの区間は高低差が激しいため、一直線に上ろうとすると勾配が25‰(1000m進むと25m上るということ)と、開通当時の鉄道(当時は蒸気機関車)にとっては非常に厳しいものでした。そこであらたにこの遠回りの道(迂回路線)が建設され、最大の勾配が10‰に抑えられました。現在では25‰の勾配でもあまり支障なく登れますが、一直線の道のほうは列車が頻繁に通らないことから高速運転に対応していない線路が使われ、最高速度が85kmに制限されています。また、分岐点の分岐器も遠回りの道優先の設定になっています。これらを改良して特急列車を一直線の道に走らせるのは十分可能ですが、それをするためにそんな手間をかけるほどのものでもない(めんどい)と判断され、現在でもしらさぎなどが遠回りをしています。まあ、敦賀あたりのループ線では逆に上り列車が遠回りをする羽目になっているのだから、大垣~関ヶ原の件をあわせたらおあいこということでしょうね。このループ線については日本のループ線 その3 敦賀付近を参照にしてください。

日本最強の秘境駅

 秘境駅にも色々とあるらしいですが、北海道の室蘭本線にある小幌駅は、史上最強の秘境駅といわれています。

小幌駅2


小幌駅

 駅の周囲には何も無く、降りる人はほとんどいません。降りる人はごくたま~に釣りに行く人と、鉄道マニアくらいです。駅は両側がトンネルに挟まれ、何も無い海に下りるしかありません。
 そして最強の秘境駅といわれる理由ですが、プラットホームの幅が狭く(狭い所で2mくらい?)、目の前を列車が猛スピードで通過します。しかもトンネルから突然出てくるので、迫力があるというより怖いそうです。そしてトンネル通過の風圧で三脚が倒れるくらいの突風が吹くことも。特にスーパー北斗は130kmくらい?で通過するようです。

 映像で見るとこうなります。

日本一のモグラ駅(土合駅下り線地下ホーム)

P5180149.jpg


今回は、土合駅について語ります。

コピー (4) ~ 国境の長いトンネルたち
 土合駅は、上越本線の水上~越後湯沢(正確には湯檜曽駅と土樽駅の間)の間に位置します。上り線のホームは清水トンネルの出口付近にありますが、下り線のホームはそれより約80m地下の新清水トンネル内にあります。元々地上駅でしたが、複線化(下り線を増設した)際に、土合駅の部分が新清水トンネル内になってしまうため、新清水トンネル内に下り線ホームを設置したのです。日本で一番深い場所(生還トンネル内の竜飛海底駅、吉岡海底駅を除く)にあるトンネルとして、一部の方々にとっては有名な駅です。
 下り線のホームと駅舎は、合計で482段の階段で結ばれ、高低差は約70mもあります。エスカレーターやエレベーターはありません。特に斜坑の462段の階段はすごいです。

コピー ~ コピー ~ 湯檜曽ループ
 土合駅と湯檜曽駅と湯檜曽ループの位置関係を示した地形図です。それぞれの駅の正確な海抜も示しています。上り線と下り線で高低差が82mもある駅なんて、ここ以外には無いでしょう。

土合駅
 即効で描いた、土合駅の見取り図です。灰色の区域が、地下部(トンネルや地下通路)、黄緑色がプラットホームを示します。番号は、下記の写真の撮影地点です。

P5180159.jpg
 ① 土合駅の駅舎です。正面には「ようこそ、日本一のモグラ駅へ」、という見出しの看板が掲げてあります。無人駅です。ちなみに、駅の駐車場の砂利は、深成岩ばかりでした。もちろん、石英閃緑岩も確認されました。このあたりは有色鉱物の割合が若干多いです。

P5180115.jpg
 ② 上り線のホームの北端からの撮影です。赤い屋根が、①の駅舎です。

P5180118.jpg
 ③ 下り線地下ホームへの通路です。渡り廊下が180mほど続き、24段の階段を下りた後、地下通路に入ります。

P5180121.jpg
 ④ 地下通路に入る手前は、道の幅が広がります。ちょうど川の上に位置します。

P5180157.jpg
 ⑤ ④の通路を外から見た様子です。通路が山の中に突入しています。ここから先は、462段の階段が続き、下り線のホームまで70mも下ります。

P5180125.jpg
 ⑥ ここから462段下ります。はっきり言って、下がよく見えません。平均傾斜は約15度です。

P5180127.jpg
 ⑦ 端には階段ではなく、斜面となっています。かつてはここにエスカレーターを設置する計画がありました。荷物運びのレールが設置されています。

P5180132.jpg
 ⑧ 下り線のホームまで、あと270段です。やっと下が見えてきました。

P5180134.jpg
 ⑨ 階段を折りきって25m(歩測)進めば、下り線のホームです。

P5180155.jpg
 ⑨ 下から上の出口を見上げた様子です。地上までめっちゃ遠いです。落差は約70mで、「富士急ハイランド」の「FUJIYAMA」に匹敵します。徹夜明けで家を出て、電車に乗りながら3時間しか寝ていないにも関わらず、“記念”としてこの462段の階段を駆け上がってみたら、200段辺りでばてて、歩かざるおえない状態に。登りきるまで2分55秒かかりました。そして気持ちの悪い汗をかきました。体調万全なときに限りますわ、こういう運動は。2分30秒以内で登りきりたいです。

P5180136.jpg
 ⑨ こんな看板が。

P5180150.jpg
 ⑩ 階段をホームから見たらこんな感じです。まだ、あの長さがわかりません。みたらびっくりしますよ。

P5180137.jpg
 ⑪ 下り線地下ホームです。なんと、単線でトンネル内にもかかわらず、停車線と追い越し線が区別され、複線になっています。トンネル自体がかなり広いです。よくこんなものを作ったと感心するしかありません。右側の小屋みたいなのは、待合室とトイレと物置です。

P5180152.jpg
 ⑫ 土樽、越後湯沢方面を見ています。出口まで10kmもあります。

湯檜曽駅地下ホーム

P5180172.jpg
 今回は、トンネル地下駅の1つである湯檜曽駅について語ります。湯檜曽駅は、前回紹介した湯檜曽ループのすぐ麓に位置します。そのうち、下り線(越後湯沢方面)のホームは全長134900mの新清水トンネルに入ったすぐの所に位置します。

コピー (3) ~ 国境の長いトンネルたち
 赤い矢印で記した所に湯檜曽駅があります。

湯檜曽駅構内
 即効で描いた、駅の見取り図です。灰色はトンネル、もしくは地下通路、黄緑はプラットホーム、番号は下記の写真の撮影地点を示します。
 湯檜曽駅はローカル駅ですが、プラットホームの長さが300~310m(歩測による)あります。これは、普通列車なら15両分、即ち「湘南新宿ライン」の車両の長さに匹敵します。新幹線なら12両分までOKです。上越新幹線が開通する前の繁栄を想像させます。
 

P5180182.jpg
① 湯檜曽駅の正面玄関です。無人駅です。上り線のホームに向かうと中に下り線へ向かうトンネルが分岐しています。

P5180166.jpg
 ② 上り線ホームの南端からの撮影です。新清水トンネルの入り口が見えます。このトンネルに入って数十mの所に下り線地下ホームがあります。

P5180168.jpg
 ③ 下り線地下ホームへの連絡通路です。ホームから出口のほうを撮影しました。通路の長さは約75m(歩測による)です。


P5180176.jpg
 ④ 下り線地下ホームです。全体的に曲線を描いています。すごく…長いです。日本には他にも山間部のトンネル内の地下駅はありますが、曲線を描いているのは湯檜曽駅だけです。

P5180181.jpg
 ④ 出口のほうを撮影しました。ちょうど、地点②で撮影したトンネルの口です。トンネルの中から外の景色をのんびり見るなんて、珍しいです。

P5180171.jpg
 トンネルの壁にこんな看板が。トンネルの出口までの距離を示しています。

P5180184.jpg
 ⑤ 中々美しい風景ですね。この曲がり具合がいいです。

P5180174.jpg
 ⑥ ホームの北端から土合、越後湯沢方向を見ています。出口までは約13km、大人の足でも3時間はかかるで。次の駅もまた、新清水トンネル内にある地下駅、土合駅です。土合駅については次回語ります。

日本のループ線 その5 湯檜曽ループ

 今回は、群馬県側のループ線、湯檜曽ループについて紹介します。 

コピー (2) ~ 国境の長いトンネルたち
 このループは、清水トンネルよりも南側の群馬県側に位置します。赤い円で囲った地点です。

湯檜曽ループ
 このループも、上り線(最初に作られた線)にあります。湯檜曽駅からは、下り線が新清水トンネル(全長13490m)、上り線がループ線へ分岐しています。このループの勾配も、松川ループと同じ20‰(tanθ=20/1000)で、高低差は約40mもあります。また、ループの一部が実際に見渡せるのも、大きな特徴です。

コピー ~ コピー ~ 湯檜曽ループ

コピー ~ 湯檜曽ループ
 この地域はGoogle Earthの解像度が高いため、記事に載せました。上の図が線路に色づけをしたもので、点線がトンネルを示します。下の図は手をつけていない、そのまんまの図です。

P5180165.jpg
 地図上の①から撮影した写真です。湯檜曽駅のプラットホームです。このように、トンネルの上にループの最上部の線路が確認できます。時間の都合上、電車の写真が取れなかったのが残念です(1日5~8本くらいしか通らんし)。

P5180162.jpg
 地図上の②から撮影した写真です。ループの最上部がら、湯檜曽駅のほうを見ています。このあと、ループを下って下の線路を通るのです。

 この地域、ループ線だけではありません。地図上にさり気無く伏線をはりましたが、湯檜曽駅の下り線のホームは新清水トンネル内にあります。更に、湯檜曽の次の土合駅(下り線)は、日本一のトンネル地下駅です。次回からそのトンネル地下駅を紹介します。

日本のループ線 その4 松川ループ

前回の記事で紹介したこの地域には、2つのループ線が存在します。今回はそのうち北側(新潟側)の松川ループについて紹介します。

コピー ~ 国境の長いトンネルたち
 赤い円で囲んだ場所に、松川ループは位置します。

コピー ~ 松川ループ
 こちらがその拡大図です。ループとなっているのは上り線(青い線)で、下り線(赤い線)はΩ状のループとなっています。ちなみにループとなっている上り線のほうが先に作られました。図の左上のほうは、列車の進行方向が同一となっています。上越新幹線が開通する前は、列車の運行本数が多く、この地点で上り線と下り線の列車が並走する様子が見られたそうです。地図上では上り線から下り線の線路を眺められそうですが、実際は樹木に遮られて見れませんでした。

松川ループ
 上り線と下り線の推定標高も挙げてみました。上下線とも勾配はおよそ20‰(tanθ=20/1000)で、高低差が大きいのが特徴です。これだけ標高を加勢でも、山越えのトンネルは長さが10~13kmと長大で、越後山脈の険しさが伺えます。このループ線の下(大体80~130mくらい)には上越新幹線の大清水トンネルが走り、山の地下で立体交差を形成しちゃってくれています。この地点には、合計5つの立体交差が見られます。山間部でこんなに立体交差が見られる場所もかなり少ないでしょう。正しくプラレーるや鉄道模型ではないですか。

 次回は、群馬側のループについて紹介します。

日本のループ線 その3 敦賀付近

 実は、北陸本線の敦賀付近(正確には敦賀~新疋田の間)にもループ線は存在します。ただ、トンネルと樹木で全体を見渡せません。注意していれば景色の変化やカーブの長さなどに気付くはず。

敦賀

 地図上の赤丸のあたりにあります。ループ線があるのは、上り線のみです。

コピー ~ 敦賀ループ
 赤色の線が下り線、青色の線が上り線を示します。下り線は勾配が急(tanθ=25/1000くらい)で、上り線が緩やか(tanθ=10/1000くらい)と、差があるため、上り線が距離を稼ぐためにループになっておるのです。南のほうでは、上下線がトンネルで立体交差していますよ、すごいですねぇ。

敦賀ループ
 地形図から推定した、おおよその標高を記しました。赤色が下り線、青色が上り線です。ループが終わって鶴賀に向かうまで(地図で言う一番上の位置)は、上り線がまだ高い位置にある(土手の上)にあるため、線路が平行していても、線路の高さが違います。

コピー ~ 敦賀のループ線
敦賀のループ線
 Google Earthの解像度が良かったため、これも載せておきます。点線はトンネルを示します。下のほうの写真は、手を加えていないそのままの状態です。


コピー ~ 敦賀の交差部
敦賀の交差部
 おまけとして上下線の交差部も。大都市の地下鉄では当たり前ですが、こういう山の中で立体交差をするのは浪漫があります。ちなみに、北陸自動車道の敦賀IC~今庄ICの間にも上下線分離、トンネルの交差がありますよ。

 敦賀~新疋田の間は、このように上下線が分かれていますが、最初は単線で、後に複線化されました。上り線、即ちループ線のほうが後に作られたのです。時代が進むにつれトンネル技術が発達し、急勾配対策も採られるため、ループ線は昔の路線ばかりにありますが、これは珍しい例です。敦賀まで下り坂(tanθ=25/1000)は下るからまだいいですが、上り坂は貨物列車などのことも考慮して緩やか(tanθ=10/1000)にしておくという目的があったのです。

日本のループ線 その1 大畑駅

 特に山越えをする鉄道には、「ループ線」という線形が時折見られます。ループ線は、高低差のある2つの地点に線路を敷くとき、線路の勾配を緩やかにすることを目的に作られます。まっすぐではなく、螺旋状にして距離を稼ぎ、その分勾配を緩やかにします(高低差が変わらないが、移動距離が長くなるから)。

無題
 ようするに、こ~んな感じに線路がグルグルするんです。“プラレーる”をやった人なら分かるでしょう。高速道路などのインターチェンジに見られるグルグルも、ループ線の定義に入りますよ。

 では、今回の本題。
 大畑駅は九州の鉄道、肥後線に位置(熊本県人吉市)します。海岸沿いの路線が(現在の九州新幹線)開通するまでは、福岡と九州を結ぶ鹿児島本線として機能していました。明治42年(1909年)に開通し、日本で一番古いループ線でもあります。このあたりは地形が険しく、このループ線のほかにもスイッチバックがいくつも見られます。

人よし
 ちょうど熊本県と宮崎県の県境付近にあります。そのあとは、すぐ鹿児島県に突入です。

48301650.png
 こちらが、現地の地形図です。本当にぐるりと回っています。地図上の数字は、標高です(一番したのは縮尺距離)。駅は正確ですが、それ以外はあくまで推定ですので。

754px-E5A4A7E79591E9A785E4BB98E8BF91E888AAE7A9BAE58699E79C9F1976-001.jpg
 こちらが空中写真(Wikipediaより)です。大畑駅のループ線は、ループとスイッチバックを組み合わせた、非常に珍しい線形であります。




 

北陸本線を走る普通列車の車両は、かつて寝台特急の車両であった

 北陸本線の普通列車の車両といえば、白色に青い線がちょこっとはいった結構地味な印象の車両ですが、じつは旧国鉄時代に活躍していた寝台特急の列車の車両を改造したものです。もとは、寝台特急が大活躍していた頃に大量に生産された583系寝台特急電車ですが、新幹線の相次ぐ開通によって寝台特急が削減され、余剰となった車両を普通電車に改造してそれが北陸本線にも回ってきたわけなのです。

583hibari-revival.jpg
 583系です。かつて寝台特急として日本各地を走っていました。(Wikipediaより)

P2240452.jpg
 富山駅にて。これがかつて583系として活躍していた元寝台列車です。現在は普通列車の419系として活躍しています。

P2240453.jpg
 この扉、寝台特急を見たことがある人はピンとくるでしょう。形が同じですね。

P2240454.jpg
 こちらは583系寝台列車の中間車両(先頭車両と先頭車両の間に挟まれている車両のこと)を、普通列車の先頭車両に改造したものです。中間車両の断面をそのまま先頭車両の頭にしたため断面がどこか変わり者です。風貌から「食パン列車」と呼ばれています。

富山にある専用路線 速星駅

 「速星駅」は、高山本線の「西富山駅」と「千里駅」の間にある駅で、旧婦中町の中心地に位置します。「速星駅」には日産化学工業富山工場が隣接し、駅構内から工場内にかけて専用の線路が延び、「タンク車」や「ホッパー車」によって化学薬品などの輸送に使用します。

mk_map.gif

図の中心が「速星駅」です。

a.jpg
 こちらが上空からの写真です(Google Earthより)。速星駅の部分は解像度の悪さでよく見えないです。じっくり見れば、高山本線の左側の工場内に線路が延びているのが見えます。

55370100.png
 こちらが写真のスケッチです。赤線が専用線、番号は写真を撮った地点を示します。三次元で見づらいものは、二次元にするとわかりやすいですね。逆の場合もそうです。

P2080416.jpg
 地点①の写真です。工場内に「タンク車」が停まっています。Wikipediaによると、写真左の銀色の車両は、濃硝酸(HNO)を運ぶ車両だそうです。

P2080418.jpg
 奇跡的に特急「ひだ」にめぐり合えました。今は1日6往復+下り1本の運転のため、単純計算で1~1.5時間に1本見られる確率です。

P2080425.jpg
 地点②の写真です。左に「速星駅」のホームが見えます。ここにも専用の線路と専用の貨車が結構あります。

P2080431.jpg
 地点③の写真です。ちゃんと踏み切りから撮っていますよ。線路に侵入してませんよ。「速星駅」に入る直前に専用線が左側に分岐します。ちょうど地点②で撮った貨車が写っています。

 行き当たりばったりで行ってきたので、詳しい配線などは帰った後で地図やGoogle Earthを見て知りました。これを見ていたらこの地図の左を流れる井田川の土手に行って撮影を試みていたので、それが心残りです。

新快速の走る区間について 何故岡山まで走らないのか

 せっかくなので、京阪神地域の東海道、山陽本線を走る「新快速」についても考えてみます。

「新快速は何故岡山まで走らないんだ?おかげで青春18切符を使って四国とかへ行くのに不便ではないか!」という声が聞かれますが(実際に自分も同感です…)、こういう事情が考えられます。

 前の記事でも解説したとおり、快速を走らせるのにいい地域は、沿線人口が多いかつライバルの交通機関のある地域です。京阪神地域は見事にその条件に当てはまりますが、姫路~岡山は沿線人口が少なく、ライバルの交通機関もあまりありません。更に、新快速の走るこの路線には山陽新幹線が並行して走っています。山陽新幹線も、新快速の走る路線もすべてJR西日本の管轄です。もしも岡山まで新快速を走らせれば、京阪神地域から岡山方面へ行くのに山陽新幹線を利用する人が減り、新幹線特急料金の分、JR西日本全体の収入が減る可能性があるので敢えて走らせていないのでしょう。京阪神地域から姫路、ちょこっと延長して相生や播州赤穂までなら地理的にもいいのですが、岡山まで走らせるとかえって都合が悪いのでしょう。

 「だけど東海道新幹線が平行する米原まで走らせているじゃないか!」と言いたいところですが、東海道新幹線はJR東海の管轄です。そして新快速の走る東海道本線は、米原までがJR西日本の管轄です。つまり、東海道新幹線と新快速はライバル関係にあるので、その区間はガンガン新快速を走らせていいのです。米原より名古屋側はJR東海の管轄ですので走らないのですが。前の記事に書いたとおり、新快速は、敦賀までは走っていますが、それより先は特急列車の仕事を奪わないために自重しています。

 JR側と利用者側の思惑を合わせるのにも限度があるということですね。

何故北陸本線は快速列車が走らないのか

 JR西日本が管理をしている北陸本線は、ほとんど特急か各駅停車の列車しか走らないので、青春18切符を使う立場の人にとっては不便この上ありません。何故なら、青春18切符だけで乗車できる快速列車がほとんど走らないからです。京阪神地域の新快速が北陸線全般に走って欲しいのは言うまでもありませんが、それについて少し考えてみました。

 地図や時刻表などを見た範囲では、快速列車を走らせる地域には次のような特徴が考えられます。

① ライバルの交通機関がある。
② 沿線人口が多く、尚且つ鉄道利用者が多い。


 ①のライバルの交通機関とは、特に私鉄や高速バスなどです。利用者は少しでも速く目的地へ行けるほうを選ぶので、そのために快速が設定されます。例えば、新快速を走らせる京阪神地域は、私鉄だけでも阪急、阪神、京阪、山陽などのライバル鉄道が沢山あるので、ガンガン速い列車を走らせてもいいのです。
 ②の沿線人口、鉄道利用人口ですが、これは利用者が多い地域は様々な種類の車両(例えば快速とか各駅とか)を走らせたほうが利用者にとっては便利で、需要も増えるということです。

 北陸本線ですが、沿線人口も少なくライバルの交通機関もほとんどありません。車や高速バスなどがありますが、それらは「しらさぎ」、「サンダーバード」「はくたか」などの特急列車で十分に対応しています。そして鉄道利用者も大都市と比べて少ないため、万が一快速を走らせれば特急の利用者が減り、特急料金の分、JR西日本全体の収入が減るので敢えて走らせていないのでしょう。沿線人口の多い地域で快速を走らせれば収入が増えるのですが、少ない地域で走らせたら減るんでしょうね、多分。

 最後にもう1つ。新快速の走っている敦賀から南の京阪神地域は、流れている電気が直流ですが、北陸本線の敦賀より北方はほとんどが交流です。新快速の車両は直流のみに対応しているので、北陸線内を走らせることができません。走らせるには、北陸本線を全線直流にするか、直流と交流の両方に対応した車両(どっちかに対応した車両よりは値段が高い)を走らせる必要があります。

 せっかくなので、次回は京阪神を走る新快速についても少し語ります。
プロフィール

太郎の部屋

Author:太郎の部屋
太郎の部屋にようこそ!

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
部屋に来た人
地域別訪問者数

ジオターゲティング
月別アーカイブ
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
バロメーター
ブログ内検索
リンク
RSSフィード
ブロとも申請フォーム