「鹿児島」の路面電車

 「鹿児島」市内には、2系統の路面電車が市内を南北に、かつ東西に分かれながら縦断しています。この「鹿児島市電」は、いくつもある「日本」の路面電車の中でも以下の特徴があります。

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写真は平成13年(2001年)~登場した「1000形電車」です。前世代の車両と比べて客車が長くなっているため定員数が多くなっています。

① ダイヤがかなり過密
1系統・2系統の重複区間は1時間に片道最大23本(2分36秒に1本)


 「鹿児島市電」は1系統、2系統両方とも日中でも1時間あたり片道10本(6分毎)前後もの便が運航されます。そのため、自分の乗る車両のすぐ前後に別の車両が近づくことなどザラです。しかも、「鹿児島市電」自体が市街地のそこそこ中心周囲をカバーする配置になっているため、気軽に待たずにシンプルに乗れるのが特徴です。

1系統・2系統重複区間(「天文館通」~「鹿児島駅前」)
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 すぐ後ろに別の便が迫っています。

「鹿児島駅前」

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左真ん中は「9500形」、右は「2100形」です。
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 「鹿児島駅前」は2面3線構造の楔形ホームターミナル駅ですが、3線すべてに車両が停まることはしょっちゅうです。

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 ホーム全てが埋まっているため、後から来る車両が順番待ちをすることもあります。手前の車両は平成14~17年(2002~2005年)に登場した「7000形」です。「鹿児島」は、「富山」よりいち早く連結型列車がデビューしています。

「谷山停留所」
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 「鹿児島市電」南端のターミナル駅です。市電は南側半分が専用軌道となっています。結構静かな雰囲気ですが、ラッシュ時は利用者が多くここも5~6分毎に運行されています。

「郡元」の三角線
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 「鹿児島市電」は市街中心で系統が2つに分かれて南北両端で合流するため、各合流地点に三角線が設けられています。そのうち、南側の「郡元」の三角線は歩道橋の上からよく眺められます。

② とことん緑化

 「鹿児島市電」では、平成16年(2004年)より軌道に芝生が設けられました。これは景観向上、ヒートアイランド対策、「桜島」の火山灰対策などで事業されましたが、特筆すべきは緑化をとことんやっているということです。
 ほかの都市でも見られる路面電車の芝生は、一部だけの場合が多いですが、「鹿児島市電」は全区間の半数以上の7km(13.1㎞中)。芝生区間は市街中心区間に集中するため、都心部ではほとんどが緑化されています。

 その効果は抜群で、騒音が数デシベル減少したり、中央分離帯の気温が最大24℃も減ったそうです。

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 併用軌道である都心部は、とことん緑化されています。車が通る場所以外はほとんどが芝生です。

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 「鹿児島駅前」付近のシーサスポイントも、ポイントの細かい区画のなかにまで芝生が造成されています。
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5月旅行 4日目 その3 現在の「富山市内線」 「新富山大橋」~「大学前」

 「富山駅」のほかに、近年4車線化+複線化された「新富山大橋」~「大学前」の、路面電車の進化を見に行きました。
 「富山市内線」は大部分では複線ですが、1方通行運転をしている「富山都心線」の「丸の内」~「西町」間の単線区間以外に、かつては「安野屋」~「大学前」間の約1kmは両方通行の単線でした。「富山市内線」は密度の高い区間は5分間隔で、この区間は道路と同様ネックであったため、「富山大橋」を丸ごと架け替えて、平成24年(2012年)3月24日に4車線+複線化が実現しました。これが以下の進化過程です。


⑭
 この写真は、単線時代と複線化時代の「大学前駅」の比較です。


「新富山大橋」東側
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 「新富山大橋」の東側をから橋を撮影。橋の手前に見える停留場は、新しい「安野屋」です。以前と比べてめちゃくちゃ広々すっきりしています。かつてはこの交差点には歩道橋がありましたが、撤去されました。歩道橋の上から橋を撮影出来たら結構よかったのですが。

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 少し「新富山大橋」と「安野屋」を拡大。かつての「安野屋」は、もっと橋のほう、写真でいう奥の渡り線。坂の途中にありました。

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 さらに「新富山大橋」へ接近。見事に複線化の4車線化が実現しています。かつては、写真の渡り線の場所より奥は単線、道路も対面通行でした。坂の線形も、緩やかになりました。

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 「新富山大橋」の右岸(東側)から、東方面を撮影。


「新富山大橋」橋上
「新富山大橋」東側から西側を撮影(「富山大橋」跡)
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「新富山大橋」西側から東側を撮影(「富山大橋」跡)
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 上の2枚の写真は、あえて「新富山大橋」ではなく、先代の「富山大橋」が通っていた場所を撮ったものです。黄色線で描いているのが、かつて70年以上活躍した「富山大橋」の輪郭です。

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 そしてこちらが「新富山大橋」本体です。

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 保存請願も地元から出ていましたが、老朽化により解体された「富山大橋」跡をモニュメントとした公園が、西側の土手に造られています。「富山大橋」の欄干や架線柱、「富山市内線」の線路が一部現地保存されます。


「新富山大橋」西側
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 「新富山大橋」左岸(西側)から西側を撮影。こちらも非常に開けています。左側が「富山大橋」につながっていた旧道の跡です。新道と旧道合わせて50m近くの幅があります。でも、先の建物はまだ見覚えのあるものがちらほら。

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 西側の坂をもう少し拡大。かつては「新富山」という名の停留所であった「富山トヨペット本社前(五福末広町)」もまた、以前は写真中央の坂道の途中にありました。今では奥のほうへ移動しています。

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 もうちょい奥を拡大撮影。4車線化された区間は、奥の交差点まで続いています。

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 カメラを水平にして坂の断面を撮影。結構傾いています。果たして何‰あるのでしょうか?

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 西側の坂、かつての「富山大橋」へ通じていた旧道跡にアングルを合わせています。土手への側道に代わっています。

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 そしてこちらが新道です。東側と同じく、広いの一言に尽きます。

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 さらに「大学前」よりから遠目で撮影。あの「富山トヨペット本社前(五福末広町)」(旧「新富山」)もまた見違えた複線駅となっています。


「大学前」
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 そして終点の「大学前」です。「南富山」と同じ配線構造で単線となっています。路面電車のような小回りの利く路線では、ターミナルが単線でも折り返しが素早くできるため、これでも高頻度運転(3~5分間隔とか)が可能です。そして、歩道橋は無くなっていました。

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 昔と比べて、ホームが長くなりました。これなら2両の縦列停車も余裕でできます。

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 ホームから「富山」方面を撮影。線路が非常にきれいです。

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 ホームから西側(「富山大学」側)を撮影。現在構想されている「富山大学工学部」方面への延伸は、いつ実現するのでしょうか?

5月旅行 4日目 その2 現在の「富山市内線」 「富山駅」 81年ぶりの「富山駅」への突入

近年、ますます進化している「富山」の路面電車ですが、「北陸新幹線」の延伸開業時にまた一つ大きな変化がありました。それは、実に81年ぶりとなる「富山市内線」の「富山駅」直下への乗り入れです。「富山市」に路面電車が誕生した大正2年(1913年)9月1日~昭和9年(1934年)あたり?まで、路面電車は「北陸本線」の「富山駅」のすぐ近くまで線路が延びていましたが、その後駅から100m近く離れた不便な場所に最寄り駅が離れました。「富山駅」の完全高架化が完了する平成30年(2018年)あたりには、「富山市内線」と「富山ライトレールが」接続されますが、その前半段階で今回の乗り入れが実現しました。

最近の「富山」の路面電車
平成18年(2006年)4月29日:「富山ライトレール」開業(「富山港線」の再利用)
平成21年(2009年)12月23日:「富山市内線」の環状運転復活
平成24年(2012年)3月24日:「富山市内線」の全線複線化実現。(「新富山大橋」完成による)

平成27年(2015年)3月14日:「富山市内線」の「富山駅」への乗り入れ再開 ←今ここ

今後の予定
平成30年度(2018年度):「富山市内線」と「富山ライトレール」の接続
他にも
「富山市内線」と「富山地方鉄道上滝線」の直通化
「富山市内線」の「大学前」~「工学部」間の延伸計画など


参照:『「富山市」の路面電車の歴史』
『「富山市」の路面電車の歴史:現代編』



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 更新された「富山市内線」の路線図です。「富山駅」へ向けて、路線がちょびっと飛び出ています。「富山ライトレール」と接続しようとする意図がわかる地図です。

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 ちょびっと延びた配線図です。「富山」ではとっても久しぶりで、路面電車の目玉でもある三角線ができています。

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 「富山駅」真南の車内から「富山駅」を撮影。写真奥の線路が、新たに出来た(言い換えれば復活した)、「富山駅」突入+「富山ライトレール」へ向かう線路、、右側が従来の線路です。

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 新たな「富山駅」です。ホーム自体は「北陸新幹線」高架橋の真下にあり、雨でも濡れることなく路面電車に直接乗り換えられます。写真奥へ向かって「ライトレール」への延伸線路が建設される予定で、現在は壁で仮封鎖されています。

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 「富山駅」ホームより南側を撮影。ホームは楔形で、2列車が並行に停まっても、乗降客が混ざらないようになっています。現在のダイヤでは、環状線列車も含める全列車が「富山駅」に乗り入れるため、三角線をスイッチバックの形で行き来しています。


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 ホームから北側のシーサスポイントを撮影。歴史上、「富山市内線」にシーサスポイントがあったかはわかりませんが、少なくとも11年以上ぶりのものになります。新旧様々な車両がこのポイントを行き来し、車両を見かけない時間のほうが短いくらい飽きない場所となりました。

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 シーサスポイントのさらに奥、三角線の袂を撮影。何やら、三角線へ向けて結構手前から分岐が始まり線路が3線並んでいます。恐らく、乗り心地を悪くしないための措置でしょうか?分岐する場所をさらに奥にすることもできますが、そうすると線路がカーブした後さらに分岐器を通ってなおかつ線路が並行になるように逆カーブとなり3連続で乗客に遠心力がかかって乗り心地に影響するのを防ぐ目的があると、僕は推理しときます。

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 三角線を、可能な限り(立ち入り禁止に入らず、あまり怪しまれず、邪魔にならず)の位置から撮影。車がなかなか途切れないのが残念です。どこか高いところがあればいいのですが。

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 今度は、歩道から「富山駅」へ突入する路面電車と線路を撮りました。本当に「富山駅」が見違えています。

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 三角線を行き来する車両たちです。列車がスイッチバック運転をするので、さまざまな車両が4方向への運転をしています。線路がちょっと延びただけで、車両の動きが非常に変わりました。

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 従来の「富山市内線」の線路です。かつては写真奥の駅が「富山駅前」で、「富山駅」の最寄り駅でした。今では「電鉄富山駅・エスタ前」に改称されています。

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 「富山ライトレール」の「富山駅北」です。3~4年後には、下写真奥へ向けて「富山市内線」と繋がります。

「都電荒川線」の66.7‰勾配

 普通の線路と車輪を用い、その摩擦だけを頼りに走る、粘着式鉄道、いわゆる普通の鉄道で、「日本」で2番目に急な勾配といえば、かつて「碓氷峠」をとおる「信越線」に採用され、今でも路面電車の最急勾配とされている66.7‰(tanθ=1/15)です。その勾配の1つが、「都電荒川線」の「飛鳥山」~「王子駅前」の間にあります。ここは、「東京都」内の普通鉄道で、最も急勾配な場所です。


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 66.7‰区間は、地図中央上側の、「音無橋交差点」~「JR線」の真下までの約200mにわたって続き、その高低差は約9mあります。ちょうどこのあたりは地形が変わる場所で、「荒川線」は「JR」の真下をくぐるために、路面電車の基準限界の、66.7‰勾配を採用しました。

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 「音無橋交差点」から、「王子駅前」側を見ます。ちょうど、坂の頂点からです。明らかに坂になっています。

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 少し進みます。「JR線」の高架橋(新幹線以外)とほぼ同じ高さからの撮影です。これだけの距離で、高架橋の真下まで潜っていきます。

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 カメラをほぼ水平にして、坂の断面を撮影。露骨に傾いているのがわかります。66.7‰は、tan値で1/15、角度で約3.7どもあります。写真に写っている「8800形」の全長が13mあるため、車両の前後では、約87cmもあります。

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 坂の中間付近から、上を見上げます。

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 車両に乗ると、このように見えます。

 この場所は、全国の急勾配区間の中で、最も行きやすく、見やすいところでしょう。ただし、人通りが多いので写真を撮るのがある意味面倒です。

「北陸新幹線」乗り入れに伴う、「富山市内線」の新駅開業

3月14日に、 「北陸新幹線」の「長野」~「金沢」間が延伸開通するとともに、「富山」にも新幹線がやってきます。

そして、この開業と同時に「富山地方鉄道富山市内線」が、「富山駅」の新幹線高架橋直下に乗り入れます。

富山遠心
(Yahoo地図に加筆)
 赤線が新たにできる線路です。将来「北陸本線」が高架化された時には「富山ライトレール」と繋げる予定で(平成30年度を予定)、今回の開通はその前段階になります。

3月14日に変わるもの
①「富山駅」開業
 線路を北側に分岐、約160m延伸して、「北陸新幹線」の高架橋下に、「富山駅」を新設し、乗り換えが非常に便利になります。駅は2面3線の構造で、「高知」の路面電車のように、シーサスポイントも設置されます。時刻表を見た感じでは、大半の列車は「富山駅」にスイッチバックする形で乗り入れるようです。

②「富山駅前」→「電鉄富山駅前・エスタ前」へ変更
 新たにできる「富山駅」との混同を避けるためです。

③「新富山」→「富山トヨペット本社前(五福末広町)」へ変更
 様々な物語があった「新富山駅」も、この際変更されます。恐らく、「富山駅」との混同を避けるためでしょう。

参照:「新富山駅」の壮大な物語↓


④サントラムの3編成目の車両投入
 新たな車両導入も、逐一行われているようです。

こうしてみれば、「富山市内線」も徐々にいい方向へ変化しているのが伺えます。

「東京」の路面電車は、わずか5年でほとんどが廃止された

 かつては「東京」都内にも縦横無尽に路面電車が走っていましたが、今では「荒川線」と「世田谷線」のみとなっています。「東京都」が経営する路線では、最盛期にはなんと41系統が運行され、総延長は213kmに及びました。しかし、昭和30年代より車の増加と交通局の経営悪化、地下鉄や路線バスへの交通転換によって昭和42年(1967年)~昭和47年(1972年)のわずか5年の間で計181kmの区間が廃止されました。この廃止は5ヵ年計画のごとく本当に計画的に段階的に粛々と実行されたものらしいです。

Tokyo_toden_map.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6e/Tokyo_toden_map.pngより

 昭和36年(1961年)の「都電」路線図です。背景にうっすら載っている地下鉄路線は、現在のものです。こうしてみると、路面電車のルートと地下鉄のルートがわりかし重複していますね。現在、「日本」で一番多系統な「広島」の路面電車網をはるかに凌駕していました。

 実際、「荒川線」や「世田谷線」も廃止の対象に挙げられていました(=「東京」都内の路面電車の絶滅を意味する)。しかし、存続希望運動と運行条件の良さでなんとか生き残り、現在に至っています。

100万都市の「広島」で路面電車が発展した理由

 かつて「日本」の各都市には多くの路面電車がありましたが、昭和30~40年代のモータリゼーションを機にほとんどが廃止されました。ただし、100万都市のように車だけでは都市内の交通需要をカバーできない都市には路面電車に変わって地下鉄が台頭しました。つまり、多くの都市、特に100万都市では路面電車を廃止する、それに加えて地下鉄へ置き換えることが当時の常識だったのです。

 その100万都市で唯一の例外が「広島市」でした。現在路面電車網がこれだけ発達しているのには、以下の理由があります。

路面電車の意義を見失わなかった
 モータリゼーションが進展しているころ、「広島市」中心でも車増加による渋滞で路面電車の存続が問題視されていました。それに対して、路面電車を所有する「広島電鉄」の関係者が「広島市」や「広島県警」などに路面電車を存続させてくれるよう説得を続けました。同時に「広島県警」も独自に調査団を当時路面電車が多数残っていた「ヨーロッパ」へ視察を行いました。「ヨーロッパ」の都市では路面電車は進化を続け、中心地の渋滞緩和のための方法としての新たな役割を任されていました。

 視察や検討の結果、代替交通機関が決まらないまま路面電車を廃止したら、中心街に大量の車が集約してさらなる交通環境の悪化を引き起こすという結論に至り、辛うじて存続が叶いました。

 「日本」の多くの路面電車所有都市では、車の通行を円滑にするために悪く言えば場当たり的に路面電車が廃止され、結果中心街の交通渋滞が激しくなり、最近になって路面電車の価値が見直されてきました(路面電車復活を考えている都市はいくつかあるが、様々な問題で実現しない都市が多く、それに成功しているのは今のところ「富山市」くらい)。

 最近の「富山市」の路面電車復活・発展の運動を、それより前に「広島市」が考えて実現させていたのです。
 さらに新線・新駅の建設計画やら車両の更新やらで、「広島」の路面電車は今でも進化をつづけています。


市街地が三角州にあるため、地下鉄が造りにくかった
 他の多くの100万都市と同じく、路面電車を廃止してその代わりに地下鉄を走らせる方法もありました。しかし、「広島市」ではこれも行いませんでした。それは、「広島市」中心部は「太田川」河口部の三角州に位置し、地下水脈や地質などの問題から当時の技術では大規模な地下鉄建設が難しかったからです(地下鉄の建設自体には莫大な費用を要するので、100万都市といえども建設の決断はかなり重いものがあります)。ちなみに、現在では一部地下路線として市の中心部を南北に走っている「アストラムライン」が、唯一の地下鉄として活躍しています。

「富山市」の路面電車の歴史:現代編

「富山ライトレール線」と「富山都心線(セントラム)」の開業
 「富山県富山市」では、平成18年(2006年)4月29日に「富山ライトレール線」が、平成21年(2009年)12月23日「富山都心線(セントラム)」と、2路線の路面電車線が開業しました。前者は旧「富山港線」を改良・多少のルート変換で、後者はわずか910mの新路線の建設(歴史から見たら復活ともいえる)による環状化の実現と、傍から見たら地味な建設に見えなくもないです。しかし、短いながらもこの2路線の開業は、路面電車界にとって非常に意義のあるものと言えます。

 モータリゼーション等の影響でガンガン廃止が進められ、昔と比べて路線が減少した路面電車ですが、近年「富山市」に「富山ライトレール富山港線」(平成18年(2006年)4月29日)がJR「富山港線」を路面電車か(LRT化)する形で開業し、「富山地方鉄道富山市内線」の「富山都心線(セントラム)」が開業(細かく言えば復活と表現した方がいい)で市内線が環状運転を行いました。

 結果、両路線とも前と比べて非常に利用しやすくなり、乗客が格段に増えました。乗客の流れで「富山市」の中心地も再び活性を取り戻し始めています。「富山ライトレール線」の駅にはバス路線も設定し、沿線周辺に交通網を広げています。

 なにより、今まで廃止され減り続けていた路面電車を逆に増やした行為が、路面電車を復活させたがっている、路面電車の便利さを見直し始めている各都市にとってよい起爆剤になっています。


早かった開業までの流れ

 近年は「日本」国内でも路面電車の良さが見直され、市内に路面電車を走らせる(もしくは復活させる)構想は全国のいくつかの都市にあります。しかし、車との共存、採算性、建設・維持費、反対意見諸々などでなかなか実現しないのが現状です(例えば「金沢市」や「宇都宮市」)。
 「富山市」では「富山ライトレール」と「富山都心線」の、2路線の開業に、かなりの早さでこぎつけることが出来ました。両路線の開業までの経歴を以下に記述します。

「富山ライトレール富山港線」

当初
「富山港線」の利用客減少で存続が危ぶまれる

平成15年(2003年)
JR西日本が「富山港線」と「吉備線」のLRT(路面電車)化を検討中と発表。
「富山市」:「富山港線」の扱いについて判断を迫られる。
案1 既存線の高架化
案2 新規路面電車化
案3 バス代替による既存線廃止

平成15年(2003年)5月
富山市長が「富山港線」の路面電車化を発表

平成16年(2004年)3月
市議会で路面電車化の予算案が承認される。

平成16(2004年)年4月
第三セクターの設立

平成16年(2004年)10月18日
名称を「富山ライトレール線」とすることを決定。

平成16年(2004年)11月~平成17年(2005年)2月
工事施工認可の申請~取得

平成17年(2005年)2月~
工事開始

平成18年(2006年)4月29日 開業。

参照↓
富山港線路面電車化の概要(http://www.city.toyama.toyama.jp/division/toshiseibi/romen/office.html
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E6%B8%AF%E7%B7%9A



「富山都心線(セントラム)」

平成17年(2005年)3月
路面電車環状化を「富山市総合的都市交通体系マスタープラン」の主要事業に位置づける。

平成17年(2005年)11月~平成18(2006年)年5月
富山市内電車・環状線化計画検討委員会の開催

平成18年(2006年)6月
ルートの決定、および単線での敷設を行うことを決定。

平成19年(2007年)11月15日
同年10月に施行された地域公共交通活性化法(LRTなどで上下分離方式を認めたもの)を初めて適用し、環状線化の新線建設を国土交通省に申請。

平成20年(2008年)3月~
埋設物の移設などの工事開始。将来の乗客数増加もにらんで複線化が可能なように工事を行う。その後、本線工事開始。

平成21年(2009年)12月23日
開業


参照↓
環状線が出来るまで(http://www.city.toyama.toyama.jp/division/toshiseibi/romen/news.html
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9%E9%89%84%E9%81%93%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%86%85%E8%BB%8C%E9%81%93%E7%B7%9A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 このように、両路線は計画が公式にたてられてからわずか3~4年の間で開業に至りました。交通事情や予算の関係でなかなか思うように進まないこともありそうな事業ですが、何故これだけ早く進められたのでしょうか?それは、「富山市」市長の「森雅志」をはじめとする「富山市」の行動力にありました。


「富山市」の尽力
 「富山市」はほかのいくつかの町と同様、郊外に人や物が流れて中心地が空洞化する、いわゆるドーナツ化現象を何とか食い止めたいと考えていました。そのために中心地を活性化させて人や物を集約させる必要があります。また、車が無くても人々が気軽に往来できるようにする処置も欠かせません。
 その手段の1つとして「富山港線」のLRT化(路面電車化)(いわゆる「富山ライトレール富山港線」)と「富山市内線」環状化復活(いわゆる「富山都心線(セントラム)」)が造られました。当時から「富山市」の市長である「森雅志」はこの事業を積極的に推し進めました。彼自身、「全国路面電車サミット」にガンガン参加をしたり、「富山ライトレール(株)」の初代社長(現在は会長)を務めたほど、路面電車分野に深くかかわっています。また、路面電車などの手軽に乗れる公共交通という手段で、人の流れをドーナツ化している中心街へ誘導することも考えてこの計画を進めていきました。無論、懸念や反対意見(交通事情や経済事情などの)もでましたが、それらを説得して開業にこぎつけました。彼は平成17年(2005年)から富山市長を務めていますが、彼が市長になってから急激に路面電車事業が進んでいったようです。そして、「富山」市内の企業体も路面電車建設に協力的で他の町と比べて造ろうとするノリがよかったのもあります。

今後の予定
 さらに、平成20年(2008年)には「富山地方鉄道上滝線」を「富山ライトレール富山港線」と同じくLRT化(路面電車化)して「富山市内線」との直通運転をする構想を発表しました。その時には、「上滝線」の運賃を200円に均一化することも視野に入れているそうです。「上滝線」の線形の問題もありますが、これが実現したら、6年後?に実施される予定の「富山市内線」と「富山ライトレール富山港線」の直通運転と相極まって「岩瀬浜」~「上滝」・「岩峅寺」(もしかしたら「立山」まで?)間が1本につながることになります。


参照↓
『「富山市」の路面電車の歴史』

富山大橋架け替え工事 その7 平成24年3月4日

 これと同日に挙げた記事から写真の時系列で2年弱経ちましたが、橋の上部分、特に路面電車の設備が大幅に付加・改造されていました。このシリーズのカテゴリは「道路」としていますが、今回は思わず「路面電車」に変えました。

無題
 今回は撮影範囲を「大学前」まで広げました。

配線の変化
 単線時代と、撮影時(平成24年3月4日)と、複線化完了後の配線を描いてみました。完了後の配線は考えうる予想なので、予想が外れて書き直しをする手間が出ないことを祈ります。撮影時の配線は、赤色が新設する複線区間、黒色が単線時代の配線です。破線部はまだ線路が無く(もしくは撤去され)、車両は黒色の実線部を通っています。珍しかった「鵯島信号場」は撤去され、「安野屋」と「新富山」は移設されて新しいプラットホームが造られます。それに合わせて、「大学前」もリフォームされます。
 このあたりの配線は、今の工事に合わせて既存の線路が撤去されたり、単線化されたり、渡り線が付加されていたりと、ちょっと複雑になっています。「大学前」付近では、すでに新設された路盤の上を車両が走っています。


① 
 「諏訪河原」~「安野屋」間です。路面電車の路盤が新設されつつあり、この区間の既存の線路は一時的に単線に縮小されています。なにやら分岐器がみられますが、おそらく線路を使う工事用車両を通すために一時的に配線を変えていると思われます。



②

② 

②  

② (2)
 「安野屋」付近は、既設の線路と新設の線路が完全に分離して複ケ線と化しています。「安野屋」のプラットホームは移設するようです。新しいのが造られています。



③

③ 
 橋の左岸側に渡り線を発見。渡り線は「諏訪河原」付近にもありますが、こちらはどのように運用されるのでしょうか?路面電車用の架線もちゃんと設置されています。



④
 いつの間にやら、歩道と下の道を繋ぐ階段が設置されていました。



⑤
 足場材も撤去され、ほぼ完成状態の姿を拝めました。



⑥
 数年前は何もなかったのに、変化が凄いです。



⑦
 右岸(「呉羽」側)からの姿です。



⑧
 養生に使っていた鉄骨も撤去されました。



⑨
 既設のものと比べて、線路の曲線と傾斜もかなり緩やか(変化が少なく一定)になりました。


⑨ 




⑩

⑩  

⑩ 
 「新富山」も移設して新しくプラットホームを造りなおしています。新しいホームは、「鵯島信号所」よりも「大学前」側です。つまり、「安野屋」~「新富山」間の距離がかなり長くなります(←「安野屋」も「新富山」と反対方向に移設するので)。なお、既設の線路は工事に合わせて若干移設されています。今までは無かったカーブがありました(一番下の写真)。ちなみに、こういう写真を撮るときはなるべく路面電車の車両を映すようにしています。まあ、タイミングやら時間やらでうまくいくとも限りませんが。




⑪
 「大学前」付近では、既に新設された線路の一部を使っています。




⑫

⑫ 
 「大学前」の歩道橋より撮影。この記事のために撮影したわけではありませんが、奇跡的に2年前の写真を保管していたので、比較してうpしました。正式に開業した後で改めてここから撮影したいです。
 今回の撮影で僕が一番感嘆したのは、線路が「大学前」までしっかり複線化されていたことです。架線柱が中央に建てられたので、線路同士の間隔が広めに開けられ、その分路面電車の占有面積が大きくなっています。そこで、写真で向かって右側の歩道を少し縮小して道路を広げ、複線のスペースを生み出しています。「大学前」は「南富山駅前」(←「市内線」のもうひとつの終着駅)と同く、ホーム部分が単線になっているのです。路面電車は折り返し運転が「京急」と同じく素早いので、数分間隔の運転をするのにこれで足りるのです。欲を言えば昔のように「富山大学」の正門まで線路を延ばしてほしいのだが、さすがに交通事情で無理そうです(←「ちょっと延ばす割に、手間がかかり過ぎる」、「若者が多いから歩かせればいいじゃん」と考えてるのかな?)。
 現在は、向かって右側の線路だけを使っています。あと、プラットホームが若干長くなっています。


参照↓
富山大橋架け替え工事 その1 平成20年7月2日
富山大橋架け替え工事 その2 平成20年12月29日
富山大橋架け替え工事 その3 平成21年4月8日
富山大橋架け替え工事 その4 平成21年7月11日
富山大橋架け替え工事 その5 平成21年11月27、29日
富山大橋架け替え工事 その6 平成22年5月2、3日

「熊本」の路面電車が線路の一部を路肩に寄せたそうです

 日本の路面電車の路面区間は、ほとんどが道路の真ん中を通っています。それについてはこちらの記事を参考にしてください→『路面電車の線路は何故道路の真ん中を通っているのか?』。

 今年の4月26日に、「熊本」の路面電車の一部の「田崎線」が線路を路肩に寄せました(「サイドリザベーション化」という)。道路上で路肩に線路を寄らせている路面電車は今の日本では「富山ライトレール」の「富山駅北」~「インテック前」間くらいです。「熊本」の方はさらにその区間に停留所も設けました(「富山ライトレール」にはない)。これにより、利用者が停留所へ行きやすくなりました。

 「熊本」の路面電車(「熊本市電」)の説明や写真は、こちらのサイトに詳しく載っているのでどうぞ(→http://tram.2-d.jp/kt/http://www.geocities.jp/history_of_rail/kumamoto/01.html)。

「富山市内軌道線」に新しい車両が導入され始めました

 今年の4月に「富山市内軌道線」に新型車両が導入されました。これは「富山駅前」~「南富山駅前」間を走る車両で、T100型です。これは2年前に「豊橋鉄道」に導入された「T1000型」と同型の車両で「サントラム」という愛称をつけられています。特徴は全面低床車両式で、3両の車体に2台の台車を組み合わせた連節車です。この車両は、「富山市内軌道線」の主役を担っている「7000型」の代替車両として登場しました。現在は「富山駅前」~「南富山駅前」(いわゆる1系統)間のみでの運航ですが、後に「南富山駅前」~「大学前」(いわゆる2系統)間でも運行される予定です。一方で「富山都心線(セントラム)」や「ライトレール」への乗り入れ予定はありません。

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 こちらが「T100型」です(「南富山駅前」似て撮影)。3両の連節車は「富山」の路面電車では初めてです。

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 ついでに「南富山駅前」の車両基地の様子も撮影しました。1年前と比べて顔ぶれが増えましたね。

富山の路面電車は割と儲かっているらしい

 経営の指標に「営業係数」という数値があります。これは、100の収入を得るのに投資する数値で表します。つまり、その数値(営業係数)が100未満なら黒字、101以上なら赤字ということです。

 5月辺りに発売された国際情報誌SAPIOに、平成19年(2007年)度の各鉄道会社の営業係数が載っていました。それによると、
富山の路面電車(「富山市内軌道線」)の営業係数は66.5と、東京の地下鉄の71.9を上回っています(当時は「富山都心線」(セントラム)は開通していない。また、「ライトレール」はこの営業係数の対象に含まれない)。営業係数は施設や車両への投資額、鉄道会社自体の規模なども絡むので、単純な各数値の相対的格差で比較し辛い面もありそうですが(たとえば東京の地下鉄は施設に莫大な投資が必要で、結果、施設の比較的手軽な路面電車より営業係数の値は不利かもしれない)、数値を見ればずいぶんな黒字路線です。富山市内の路面電車の1日の乗下車数は、約1万人だそうです。

 富山には、かつて多くの路面電車が通っていましたが、かなりの区間が廃止になりました(参照→富山市の路面電車の歴史)。残念ですが、ある意味儲かる区間だけ残した方針が当たったともいえるでしょう。また、路面電車の運転間隔は「富山駅前」~「南富山駅前」間が5分、「富山駅前」~「大学前」が10分と、結構高頻度な運転を実現しています。この利用のしやすさが乗客を繋ぎとめる、もしくは誘っているのでしょう。学生の立場から見れば、「大学前」から街中へ飲みに行くのに重宝しますしね(お開きが遅いと帰りは歩きやタクシーになることもよくあるが)。「ライトレール」や「富山都心線」(セントラム)を合わせたら、富山の路面電車はどのような経営になるか気になります。「富山大橋」の架け替えが終わり、「富山駅前」~「大学前」でも今より高頻度な運転ができたとき(できるかなあ?)、「ライトレール」と直通運転をしたときはどうなるだろうか?

「富山市内軌道線」の「鵯島信号所」

 富山市内を通る「富山市内軌道線」のうち「安野屋」~「大学前」(厳密には「呉羽線」)の1.2 kmはほとんどが単線で、その区間の中間には「鵯島信号所」と呼ばれる行き違いの施設があります。そのすぐ近くにはこれとは別に「新富山駅」(以下「新富山」と表記)があります。この配置関係、よく考えてみるとなかなか興味深いものですよ。

新富山
新富山の配線
 「鵯島信号所」と「新富山」の位置(黒色矢印)、およびその周辺の配線図です。注目すべきは、駅(「新富山」)と信号所(「鵯島信号所」)が近接していることです。普通、列車同士が行き違いをする施設は近くに駅があるならその駅構内に作られます(その方が敷地面積が小さくて済む)。しかし、この場合両者が近接しているのに行き違い(複線)と駅のプラットホームの位置がずれています。つまり、別物扱いです。

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 「大学前」側からの様子です(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hiyodorijimashingousyo.jpg)。

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 「安野屋」側からの様子です。この「鵯島信号所」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%AF%E5%B3%B6%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%89%80)もWikipediaに載っています。

 信号所と駅が別々に作られたのはなぜでしょうか?同じ場所に造ると施設の敷地幅が広くなり、車の交通に支障が出るから分けたと推定します。まあ、新富山大橋が竣工して「安野屋」~「新富山」が複線化されたらこの珍しい配線も無くなるでしょう。

「富山市」の路面電車の歴史

はじめに
 本記事は、平成20年初め?、11月ごろ、平成22年2月の計3回にわたりくどくど掲載したものですが、図の間違いや加筆したい点を発見したため再ヶ々掲載をしました。前回、これでもう直すところがないと踏みましたが、「ライトレール」と深いかかわりのある「富山港線」の変遷を入れていませんでした。そして入れたくなりました。これで4回目の公開になりますが、一番思い入れのある記事なのでご了承ください。

 以下、富山市内を走る路面電車(正式名は「富山地方鉄道富山市内軌道線」、以下「市内線」と表記)の歴史について、路線図(国土地理院の地形図を加工)を交えて紹介します。他にも「射水線」や「笹津線」との相互乗り入れも描写しました。なお、この路線図は「全国鉄道事情大研究 北陸編②」、「日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越」という本、およびWikipediaの記事を参考にして作成しました。図中においての駅名や路線名は、なるべく新しい(もしくは現在使われる)名称を用いています。「市内線」と関わる富山地方鉄道路線についても路面電車との直通運転を交えて語っておきます。唯一わからなかったのが、配線の細かい変換、特に西町交差点の十字交差における配線です。


 以下の図では、黒色線を当時の運行路線(「市内線」、「射水線」、「笹津線」、「上滝線」(一部「不二越線」))赤色線を新たに開通した区間、水色線を廃止した区間、桃色線を市内線と直通運転を行っている「射水線」と「笹津線」(「射水線」と「笹津線」の列各車が乗り入れた「市内線」の区間は赤みがかった茶色)、青色線を射水線と笹津線の直通運転中止(列車が乗り入れた「市内線」の区間は濃い青色)として示します。

大正2年(1913年)9月1日
 大正2年(1913年)9月1日 「富山駅前」~「堀川小泉」、「富山駅前」~「丸の内」~「西町」間開業 。当時は「桜橋」~「富山駅前」~「丸の内」は今と違ってくねくねしたコースをたどっていた。また、「富山駅前」は今より駅の入口に近い場所(ロータリーの中)にあった。

大正3年(1914年)12月6日 (2)
 大正3年(1914年)12月6日 「富山地方鉄道笹津線」(「電鉄富山」~「南富山」~「地鉄笹津」)開業。現在は「南富山」~「笹津」間は廃止されたが、「電鉄富山」~「南富山」は名称を変えて不二越線として残っている。ちなみに現在、不二越線と直接繋がっている「南富山」~「岩峅寺」の区間は、正式には「上滝線」となっている。

大正4年(1915年)3月13日 (2)
 大正4年(1915年)3月13日 「堀川小泉」~「南富山駅前」(当時は「堀川新」)開業 。


大正5年(1916年)11月22日 (2)
 大正5年(1916年)11月22日 「越前町」~「大学前」(現在の「大学前」より西側)~「呉羽公園」間開業 。富山大学へ行くルートは現在と異なり大回りであった。ちなみに現在の富山大橋ができるのはこの16年後なので、昔の橋を渡っていたことになる。


 大正9年(1920年)7月1日 富山市に譲渡される 。
 

大正10年(1921年)4月25日
 大正10年(1921年)4月25日 「富山地方鉄道上滝線」(当時は」富山県営鉄道」)の「南富山」~「上滝」間開業。同年8月10日に「上滝」~「岩峅寺」間開業。


大正13年(1924年)7月23日
大正13年(1924年)7月23日 「富山港線」(当時は「富岩鉄道」)の「富山口」~「岩瀬浜」(当時は岩瀬港)間開業。

大正13年(1924年)10月12日 (2)
 大正13年(1924年)10月12日 「射水線」(当時は「越中電気鉄道」)の「富山北口」~「四方」間開業。ちなみに「富山駅」は明治32年(1899年)~41年(1908年)の間は、「富山北口」の位置にあった。

昭和2年(1927年)7月11日 (2)
 昭和2年(1926年)7月11日 「射水線」の「新富山」~「富山北口」・「四方」~「打出浜」間開通。射水線は、現在の水墨美術館の裏と神通川の土手の間の道を走っていた。「富山北口」が昔の「富山駅」だったから、次駅が“新富山”になったのか?路面電車に乗っているときは脈絡がわかりませんが、歴史を振り返るとそう名付けられた理由が伺えます。

昭和2年(1927年)12月15日
 昭和2年(1927年)12月25日 「富山港線」(当時は「富岩鉄道」)の「富山」~「富山口」間開業。

昭和3年(1928年)10月21日 (2)
 昭和3年(1928年)10月21日 「西町」~「東田地方」(旧東田地方駅前)間開業 。

昭和9年(1934年)あたり (2)
 昭和9年(1934年)あたり? 「桜橋」~「富山駅前」~「丸の内」~「郵便局前」間のルート変換。「桜橋」~「丸の内」間は、現在のルートになる。「富山駅前」は現在の場所に移動し、相対的に不便になりましたとさ。

昭和11年(1936年)4月15日 (2)
 昭和11年(1936年)4月15日 「電気ビル前」~「東田地方」(新しい位置)間開業 。

 昭和18年(1943年)1月1日 富山地方鉄道に譲渡される 。

昭和19年(1944年)5月17日 (2)
 昭和19年(1944年)5月17日 「陸軍病院前」~「呉羽公園」間、「(旧)東田地方」~「(新)東田地方」間廃止 。

昭和20年(1945年)8月2日 (2)
 昭和20年(1945年)8月2日 空襲により「市内線」全線が休止。この日を最後に「陸軍病院前」~「大学前(昔の位置)」の区間が結果的に廃止された。

昭和25年(1950年)10月1日、12月31日 (2)
 昭和25年(1950年)10月1日 「笹津線」の車両が「市内線」の「南富山駅前」~「西町」間への乗り入れを開始。
 同年12月31日 「射水線」が「市内線」の車両が「新富山駅前」~「旅籠町」~「西町」間への乗り入れを開始 。

昭和27年(1952年)8月5日 (2)
 昭和27年(1952年)8月5日 「旅籠町」~「護国神社前」~「安野屋」間廃止、「丸の内」~「安野屋」間開業 。「大学前」へ行く現在のルートになる。

昭和29年(1954年)4月1日 (2)
 昭和29年(1954年)4月1日 「笹津線」の車両の「市内線」への乗り入れ区間を「富山駅前」まで延長 。

昭和34年(1959年)9月11日 (2)
 昭和34年(1959年)9月11日 「中教院前」の設立に伴い路線を変更。

昭和36年(1961年)7月18日 (2)
 昭和36年(1961年)7月18日 「中教院前」~「不二越駅前」間開業、「射水線」の車両の「市内線」乗り入れ中止 。

昭和39年(1964年)11月8日 (2)
 昭和39年(1964年)11月8日 「東田地方」~「地鉄ビル前」間の路線変更。

昭和42年(1967年)10月10日 (2)
 昭和42年(1967年)10月10日 「笹津線」の車両の「市内線」乗り入れ中止。

昭和44年(1969年)5月17日 (2)
 昭和44年(1969年)10月1日 「球場前」~「大学前」間廃止、「球場前」を現在の「大学前」と改称 。これにより「大学前」という駅名でありながら、大学まで300m余計に歩く羽目になる。富山大学と五福球場の最寄駅として昔の方がそれぞれ正しい駅名と位置取りをしていたのだ。

昭和47年(1972年)9月21日 (2)
 昭和47年(1972年)9月21日 「中教院前」~「地鉄ビル前」間廃止 。


昭和48年(1973年)3月31日 (2)
 昭和48年(1973年)3月31日 「西町」~「丸の内」間廃止 。これにより環状区間が消滅。36年後に「富山都心線(セントラム)」が開業するまで環状区間の無い時代が続く。

昭和50年(1975年)4月1日 (2)
 昭和50年(1975年)3月31日 「笹津線」廃止。

昭和52年(1977年)8月31日 (2)
 昭和52年(1977年)8月31日 「射水線」の車両が「市内線」の「新富山駅前」~「富山駅前」間への乗り入れ再開 。

昭和55年(1980年)4月1日 (2)
 昭和55年(1980年)4月1日 「射水線」廃止。同時に「射水線」の車両の「市内線」への乗り入れ中止。以後、「市内線」は独立時代に入る。

昭和59年(1984年)4月1日 (2)
 昭和59年(1984年)4月1日 「西町」~「中教院前」~「不二越駅前」間廃止。今もこれが残っていたら市電で直接「満天の湯」へいけましたね(特にそこと居酒屋のある西町の行き来とか)。


平成18年(2006年)3月1日、4月29日 (2)
 平成18年(2006年)3月1日 「JR富山港線」廃止。この時期の前後に路面電車化(LRT化)の工事が行われる。
 同年4月29日 「富山ライトレール」の「富山駅北口」~「岩瀬浜」間開業。

平成21年(2009年)12月23日 (2)
 平成21年(2009年)12月23日 「丸の内」~「西町」間開業。「富山都心線(セントラム)」として、36年ぶりに環状区間が復活。現在は単線で反時計回りの一方通行運転だが、需要が上がれば複線化することもあり得る。ちなみに、富山都心線(セントラム)の車両は「グランドプラザ前」を出た後は「西町」を通過して「荒町」まで停まりません。駅間距離の関係だと思います。

 と、こんな経緯で現在に至っています。その後の計画などが挙げられているので、次にそれを紹介します。

平成23年(2011年)? (2)
 平成23年(2011年) 富山大橋の架け替えに伴い、「安野屋」~「新富山」~「大学前」?間の単線区間が複線化される予定。

平成26年(2014年)? (2)
 平成26年(2014年)以降? 北陸新幹線の開業に伴う?富山駅の高架化事業に伴い、「市内線」と「ライトレール」が接続される予定。

いつの日か (2) - コピー
 「富山都心線(セントラム)」の需要が大きければ、平成21年(2009年)12月23日にできた単線区間を複線化する。

 いつの日か (2)
「富山地方鉄道上滝線」と直通運転する構想がある。どこまで乗り入れるかは不明。市長は意欲的だが、旧型車両は上滝線を走るのが難しい(勾配が原因で)ため、いつ実現するかも不明。

集約した図
 最後に、市内線とそれに関わる富山地方鉄道をすべて集約してみました。赤色が今後作られる(と思われる)区間、紫色が今は亡き区間を示します。この97年の歴史でこれだけの場所に線路が通ったのですね。

路面電車の線路は何故道路の真ん中を通っているのか?

 日本の路面電車の線路の大半は、道路の中央を走ります。これは、開通当時の交通事情と深くかかわっています。路面電車が開通した時代(大正や昭和初期とか)は、車がほとんどなく、道路にいたものは人、自転車、馬車でした。つまり、開通当時は路面電車が道路上で一番速い乗り物だったのです。道路交通の世界では、速い乗り物を中央に寄せる方が何かと都合がいいのです。これは、高速道路の追い越し車線が内側(路線の中央より)、走行車線や登坂車線が外側(路線の端より)にあるのと同じです。この法則にのっとり、路面電車の線路が中央に造られる例が圧倒的でした。

 時代は現在に移り、道路には車が多数を占めるようになりました。道路を走る車は、路面電車より圧倒的に速いものになりました(路面電車の道路上での最高速度は40 km/hと法律で決められているので)。また、交差点で右折する車と交錯することが多く、双方の渋滞の原因になっています。利用者も車をくぐりぬけて道路の中央に移動する手間がかかります(昔は車が無かったのでそんな手間がなかった)。今では道路の端に線路を通したほうがダイヤ的にも利用者にとっても都合がいいそうです。その時はバス停と重なる部分をどうにかする問題も浮上しそうですが。

富山の路面電車の理想

 富山経済同友会(平成13年)が、富山の交通の将来について記述していました。題名は、「21世紀、北陸新幹線と地域交通ネットワークの展望-」 新日本海時代の魅力ある拠点を目指して -(こちら→http://www.doyukai.org/02teigen/pdf/003.pdf#search='路面電車 延伸 呉羽 富山')です。

 以下の黒文字がその記述の一部です。

③ 路面電車の交通ネットワーク
・官民連携のもと、富山市内路面電車の延伸・拡充に取り組む。具体的には、西は現在終点の富山大学前から呉羽まで延伸し、東は丸の内-荒町-新庄まで線路を新設、南は現在終点の南富山から富山空港まで延伸する。さらに、北は富山駅北に延伸してJR在来線と乗り入れる。これらの延伸により、新幹線や航空路と有機的に連携した交通ネットワークとしての利用価値を大幅に高めることができる。
・万葉線を年間約70万人の利用者がある海王丸パークへ延伸させることにより、観光路線としての活用も図る。
・路線バスを降りると、すぐ横の路面電車に乗り換えることができるとか、路面電車と路線バスとの共通乗車券を発行するなど、公共交通の利便性を高める工夫を官民一体となって取り組む。



富山の路面電車の理想
 上図は、上述の記述を図化したものです。延伸部分を青色で示しています。富山の中心から東西南北へ均等に延びていますね。富山空港への路線は一部、旧笹津線の配線跡にそっています。他にも国道359号線を通ってから空港へ南下するルートも考えられます(ただし、359号線に線路を通せるのかどうか?)。現在の道路交通事情からは厳しいルートもありますが、JRや空港などのほかの交通機関の拠点を結べるようにするのが今の理想です。富山駅の北に線路を延ばしてJR在来線に乗り入れる構想は、富山駅の高架化によりライトレール(当時はJR富山港線)と接続することで実現されます。

富山市内線環状化工事 その6 11月22日

 11月の中頃に西町交差点の部分の、市内線と環状線の接続が完了しました。これにより、すべての区間に路盤が敷かれ、停留所や架線の整備も進んできました。開通まであと1カ月ほどです。

路面電車の環状化 - コピー - コピー - コピー (2) 
 今までの路盤の造られ具合です。ここにて完成です。

①
丸の内交差点の接続部です。右方向に延びるのが環状線です。分岐手前の「丸の内駅」が、環状運転のために改良されています。

②
富山城手前の「国際会議場前駅」です。架線が設置され、ホームがかなり完成しています。

③
総曲輪通り手前の「大手モール南駅」です。こちらもかなりできてきています。

④

④ (2)

写真上:富山城側を撮影。もう列車が走りそうな感じです。線路は風雨で錆びついているので、試験走行で綺麗にするのかな?
写真下:西町側を撮影。こちらも上に架線が張り巡らされています。

⑤
大和(フェリオ)の正面にある「グランドプラザ前駅」です。道路との起伏により路盤が高くなっています。プラットホームもちょい高めです。

⑥
「西町駅」より環状線との合流地点を撮影。しっかり分岐器ができています。右方向に延びるのが環状線です。手前の掘り起こされた部分は開通前に綺麗にするのかな?

⑦
写真⑥を反対側から見ると、こうなります。左側が環状線です。

富山市内線環状化工事 その5 10月31日、11月1日

 10月中に、建設区間の路盤がほぼ完成しました。丸の内交差点の市内線との接続地点も、10月24~25日に市内線の一部区間を運休させて接続用の分岐器の設置工事が行われました。残るは、西町交差点の市内線との接続部分だけです。今回は、10月31日と11月1日に撮影した写真を交えて報告します。

路面電車の環状化 - コピー - コピー - コピー (2)
 今までの3か月にわたる路盤の拡張具合です。①は全日空ホテル18階から、⑥は大和(フェリオ)の駐車場屋上から撮影しました。


①(11月1日)

①-2(11月1日)
 (11月1日撮影)
上の写真:全日空ホテル18階より富山城側を撮影(一番上の図でいう、茶色の扇の方向)。8月から1ヵ月毎に連続撮影したのを比較します。一番右に今月の様子の拡大を載せましたが、分岐部分がトラックの屋根に隠れたのを気にしたら、負けかなと思ってる…。
下の写真:全日空ホテル18階より南側を撮影(一番上の図でいう、緑色の扇の方向)。路線を矢印で示してあります。停留所も見えます。一番左側の建物は、大和(フェリオ)です。

②(10月30日)

②-3(10月30日)

②-2(10月30日)
 (10月31日撮影)丸の内交差点です。従来の市内線と環状線が分岐器で接続します。上2枚の写真でいう、分岐の右側が従来の市内線、左側が環状線です。従来の市内線の方も、交差点の部分の路盤が新しくなりました。写真では片側(大学方面)の路盤だけ新しいですが、11月4~5日の工事で、もう片側(南富山方面)の路盤も新しくなりました。現在は交差点より富山駅側の部分にも改良工事がなされ、そこでは車両が徐行します。

③(11月1日)
 (11月1日撮影、以下の写真は同日)②の交差点から離れた場所も、このとおり。

④(11月1日)

④-2(11月1日)
 全日空ホテル~総曲輪通りの間は着々と整備が進んでいます。上の写真が富山城側、下の写真が総曲輪通り側です。停留所や架線が設置されつつあります。

⑤(11月1日)
 総曲輪通りへ入る部分も10月中に造られました。

⑥(11月1日)
 大和(フェリオ)の立体駐車場屋上から撮影。西町交差点以外はほぼ路盤ができています。停留所のプラットホームも見えてきました(写真右側)。

⑦(11月1日)
 総曲輪通りと国道41号線の交差点も、10月中にこうなりました。

⑧(11月1日)
 大和(フェリオ)前です。路盤の右側が停留所です。

⑨(11月1日)
 残るはここだけです。

富山市内線環状化工事 その4 平成21年10月3日

 富山地鉄の市内線の環状化工事は1ヶ月弱に1回記事として扱っていますが、順調に路盤が拡大しています。今回は10月3日に撮影した写真を、一部9月23日の写真を含めて紹介します。

路面電車の環状化 - コピー - コピー - コピー (2)
 ここ2か月の、路盤の進捗状況をまとめました。現在、全路線の8割ほどに路盤が敷かれています。10月3日の図には、以下の写真の撮影地点番号を載せています。①、③、⑤は建物の上から撮影しているため、上図の範囲を映してあります。


10月3日①
全日空ホテル18階からの様子です。「丸の内」側の路盤は先月と比べて10mほどしか延びていませんが、丸の内交差点付近まで基礎工事がおこなわれているので、すぐに延長されるでしょう。

②
現存の市内線との合流地点である、丸の内交差点です。市内線に合流する線路にそってアスファルトが新たに(仮に)付け足してあります。

3階より9月23日
③
富山城前と総曲輪通りを結ぶ道です。近くの建物の階段(3階)から撮影しました。ついでに9月23日の景色と比較しました。こちらも少しずつ延び、線路周辺の石畳の設置も行われています。

④ (2)
総曲輪通りに入るT字路です。こちらも路線沿いにアスファルトが仮に敷かれ、もうすぐ路盤も設置されるでしょう。

フェリオ屋上 9月23日
⑤
フェリオの立体駐車場屋上からの様子です。こちらも9月23日の様子と並べました。写真③もそうですが、多少の歪みやずれは見逃してね。2か月前は、路盤が見られませんでしたが、今ではこの通りです。

⑥
フェリオ前では、線路の位置が道路面よりも30cm以上高くなっています。この辺は道路が少し起伏に富み、線路の起伏を小さくするために相対的に線路の位置が高くなったのです。

⑦
西町交差点の様子です。撮影地点は市内線の「西町」です。現在の市内線に合流する手前まで路盤(右側に延びる白い部分)が延びています。市内線の方でも線路の掘り起こしが行われ、合流準備がなされています。

富山市内線環状化工事 その3 平成21年9月11日

文字色 三重の山にしぶしぶひきこもって1か月、富山に帰った次の日に早速環状化工事の様子を見に行きました。前回(8月10日)よりも、路盤の敷かれた区間が延びていました。

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 こちらが、計画路線の地図です。路盤の敷かれているところを水色で示しています。先月と比べて路盤のできた割合が増えてきました。

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 全日空ホテル18階からの様子です。先月の写真と比較してみたら、路盤が少し延びているのがわかります。

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 丸の内の交差点です。既存の線路との接続部は最後の方にやるのでしょうか。

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 写真①に映る路盤の一番上のほうです。

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 全日空ホテル前の曲線部です。

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 現在、この地点まで路盤が敷かれています。上の写真は富山城側、下の写真は反対側を映しています。

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 このフェリオ前の通りでも、何らかの工事が増えてきました。

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 フェリオの前でも路盤を敷くための準備が始まっています。

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 西町交差点の近くにも、路盤が50mほど敷かれていました。

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 いずれ、西町交差点にも延びてくるでしょう。

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 既存の線路が掘り起こされていました。新路線と接続するための準備なのでしょうか?

富山市内線環状化工事 その2 平成21年8月9、10日

ふと見てみたら、施工区間に路盤が建設されていたので、急きょ報告します。以下の写真は、8月9、10日に撮影したものです。

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 環状化計画でつくられる路線のルートです。○は停留所、番号は以下の写真の撮影地点を示します。

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 全日空ホテル18階からの様子です。道路の真ん中の白い部分が、路面電車の路盤です。

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 環状区間が従来の路線から分岐する場所です。このあたりはまだ路盤はありませんが、その準備は進められているようです。

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 掘り起こしを進めています、近いうちにこの辺にも路盤は設置されるでしょう。

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 路盤です。写真①に移っている路盤のいちばん上側(写真の真ん中付近)から撮影しました。まだ線路までは設置されていません。

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 写真①の曲線の場所です。車の通る部分は、線路を設置する溝が木で埋められています。

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 写真①の一番左下の位置から撮影した路盤です。路盤のブロックが搬送され、プラレールのようにつながれていっています。

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 全日空ホテルの交差点より西町側は、まだ路盤を設置する準備段階です。

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 大和のあたりは、掘り起こしの工事がまだ始まっていません。いずれ富山城付近の設置が終わったら行われるでしょう。

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 西町交差点です。ここで環状線の線路が再び従来の路線と接続します。

富山市内線環状化工事 その1 平成21年6月14日

 只今富山の市街地では、路面電車の環状化工事がおこなわれています。今年度に「丸の内」~「西町」の区間が開通する予定です。現在の工事状況を撮影してきたので載せます。撮影日は平成21年6月14日です。

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 赤色の線で示しているのが、今年度中に建設される予定の区間です。丸の部分は停留所です。番号は今回の撮影地点です。開通当初は単線の予定ですが、需要の状況により複線化できるように相応の範囲の基礎の工事を行っています。

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 環状区間は、丸の内交差点より写真奥側へ分岐します。かつては、右側にも線路が伸びていました。

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 現在は、基礎工事や道路下の埋設物の移動工事などを中心に行っているみたいです。まだ線路の気配はみじんにもありません。

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 環状区間は、旧8号線から90度右側へ方向転換し、写真真ん中の通りへ抜けていきます。こちらも埋設物移動工事がおこなわれているようです。もうかなり完了したのかな?

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 ③の位置、富山城を撮影。

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 総曲輪通りの交差点です。写真左の建物は、フェリオです。こちらも線路を敷く気配がまだ感じられませんが、線路の設置はそんなに時間がかからなさそうなので、あっという間にできちゃうかもしれません。

路面電車の車両制限について

 少し前に路面区間を走る鉄道車両の最高速度は40km/hとされていることについて述べましたが、車両自体にもある程度の制約があります。法律では、路面区間(併用軌道)を走れる車両の長さは30m以下とされています。富山ライトレールや万葉線には2両編成の車両が走りますが、全長が30m以下になるように造ってあります。
 法律による制限はありますが、特認を受ければ30mを越える車両を路面区間(併用軌道)には走らせることは可能です。広島電鉄の5000型(ドイツ製で全長30.25m)や京阪京津線の車両(4両編成で全長約66m)が特認された例です。

路面電車の速度について

 日本の法律では道路の上を走る鉄道車両(要するに路面電車)の最高速度は40km/hとされています。富山市内を走る市内電車もこれに当てはまり、富山大橋でも40km/hが最高です。なので、気合と運があれば自転車と対等な勝負が出来るでしょう。ちなみに富山の市内電車の新型車両は50km/h以上出せるので、専用軌道(いわゆる道路の上を走らない普通の鉄道)に走れば大いに爆走できるでしょう。
 富山ライトレールですが、あれは新設区間(富山北口~奥田中学校前)は道路の上を走るので40km/h以上は出しませんが、元JR富山港線の区間(奥田中学校前~岩瀬浜)は専用軌道なので、60km/h(車両性能的に)運転をします。

高知の路面電車(土佐電気鉄道)

 富山と同じく、高知にも路面電車が走っています。会社名は土佐電気鉄道で、総延長は25.3kmと、広島の路面電車(広島電鉄)についで日本で2番目に総延長の長い路面電車です。東西に伸びる路線(全長22.1km)と南北に伸びる路線(全長3.2km)が町の中心部で十字に交差しているのが特徴です。

高知
 高知とその周辺。赤線が路面電車を示します。

富山
 富山とその周辺。赤線が市内線と(地図の下側)ライトレール(地図の上側)を示します。高知の路面電車と比較するために、同縮尺で載せました。

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 そして、こちらが路線図です。駅の総数は78で、異様に多いです。平均駅間距離(総延長÷(総駅数-1))は328mで、富山地鉄の市内線(337m)とほぼ変わりませんが、富山と違って駅間距離が500mを越えることもあれば50mも無い所もあります。

はりま橋
 2つの路線が十字に交差する、はりまや橋の線路の配線図です。図のように枡形をしています。この交差点に、①後免方面~伊野方面、②高知駅~桟橋方面、③高知駅~伊野方面、という3系統の電車が、即ちこの路線のすべての車両が収束するため、電車の通過頻度が非常に高いです。交差点をぐるりと見渡していれば必ず電車が目に付きます(電車が見られない瞬間がほとんどない)。

 この鉄道の取材結果については、後ほど載せます。
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