「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その2 変えられた「東京駅」の配線

 今回は、このシーンのために変更された「東京駅」の配線についてのお話です。

 「シン・ゴジラ」では、「東京駅」とその周辺は極力忠実に再現されています(未着工のビルはあるが)。ただし、「東海道新幹線」の分岐器が2か所変更されていました。



「無人新幹線爆弾」は、16,18番線に突撃した
 これは、劇中の描写を見ればすぐにわかります。両列車とも、推定速度240㎞の高速で分岐器の直線部を通り16,18番線に突入していますが、ここに実際と違う部分があります。

実際の「東京駅」の配線では、高速突撃は、16,17番線でないとできない

「シン・ゴジラ」では18番線突撃ができるように配線変更をした


シンゴジラと東京駅
 この図は、現在の「東京駅」の配線(上)と、「シン・ゴジラ」の「東京駅」の配線(下)を比較したものです。
赤色線は「無人新幹線爆弾」が通った部分です。16番線突入は、実際に分岐器のまっすぐな部分を通るため高速突入ができますが(※ここでは構内の急カーブは無視します)、実際に18番線へ突入するためには、制限速度60~70km/hとなっている分岐器の曲線部を2度通らなくてはいけません。とてもじゃないですが、200km/hを超える高速通過は不可能です。
 そこで図の下のように、18番線へ入る線路の分岐器は2か所ともまっすぐ方向を向くように変えられています。
 実際の配線よりも少し歪なものになりました。

何故17番線ではなく18番線突入にしたのか?
 以下の2つの理由が考えられます。


① 爆発の威力を「ゴジラ」に伝えやすいため?
シンゴジラと東京駅2
 上図は、劇中で18番線に突入した場合(左)と、実際の配線に従い17番線に突入した場合(右)の比較です。
 2つの列車の距離を、ホームを介しているとはいえ、隣の線路よりもさらに1本分(4.2m)離した方が、爆発の威力を「ゴジラ」の広い範囲に与えられるかもしれません。それなら19番線に突入させてもいいかもしれませんが、これでは逆に離れすぎてダメージを与えにくくなるのか?あるいは、②で話す演出の問題か?どちらでしょうか?


② 演出の問題(こっちが本命?)
シンゴジラと東京駅3

 こちらも、劇中の18番線突入(左)と、実際の配線で想定される17番線突入を比較した図です。この図では、水色部が新幹線車両、それぞれの突入シーンの視野を黄色扇枠で示します。

 図を見れば、一目瞭然です。18番線突入の方が、劇中で車両の横から眺めた景色の見栄えがいいです。

 18番線からは、隣の線路が見えて目の前の視界が広がり、左のホームを介して隣の車両を遠目で眺めることができ、走行シーンの迫力が増します。

 逆に17番線突入では、カメラのすぐ鼻先にほーむドアが迫り、景色の下半分以上が遮られます。カメラを少し上にやればよくはなりますが、すぐ下にプラットホームばかりが見えて隣の車両とも距離が近く、高速走行をしている迫力が減ってしまいます。

 「ヤシオリ作戦」でのビル爆破シーンを充実させるために、まだ建っていない超高層ビル(390m)を造るくらいですから、「無人新幹線爆弾」突撃シーンをよくするために分岐器の方向を2つ変えることくらい造作もないということでしょう。こんなことを気にする人はそんなにいないはずですからね。

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「シン・ゴジラ」に登場した「無人新幹線爆弾」を検証してみた その1 突撃速度について

 現在、どうにか動画化しようと画策中のネタをあげます。

 「無人新幹線爆弾」は、「東京駅」にたたずむ「ゴジラ」を起こすために投入された爆薬満載の「N700系」2編成です。

 劇中では「品川」・「大井車両基地」方面から「N700系」(無人)2編成が「東京駅」に高速で突入しました。
そしてこの作戦が実際出来るのかどうか、どうにかこうにか考えていきます。

「ゴジラ」への突撃速度は約240km/h
 この速度は、以下のデータから計算して得ました。

① 「東京駅」前の分岐器~プラットホーム間の距離:172m
(空中写真と「東京駅」ホーム長より計算)

② 2地点間の走行時間:2.6秒

より172m÷2.6秒×60秒×60分÷1000≒238.15km/h


「N700系」の推定速度変化(※あの車両のみで自走している場合)
 「N700系」の加速能力から、高校物理で習った計算式から、大雑把に速度変化を試算してみました。

速度変化グラフ(推定)・薄赤色はカーブ
新幹線爆弾
 水色線は、普段の新幹線車両の速度変化(http://www.nicovideo.jp/watch/sm9086831よりグラフ化)。
 赤い路線は、推定される「新幹線爆弾」の速度変化です。「新幹線爆弾」は、「大井車両基地」を発進して、「品川」~「田町」間で本線に合流するものと仮定しました。「新幹線爆弾」が240km/hで「東京駅」の「ゴジラ」へ突撃するためには、6.8㎞以上手前から発進、130~140km/hで本線に合流、190km/hで「浜松町」、215km/hで「新橋」を通過します。


実際にこうやって走ったら、途中で脱線する
各地点での速度(地図バージョン)

新幹線爆弾ルート
 緑色に、現実的な注釈を入れています。

本線への合流
「大井車両基地」方面から本線に合流するには、70km/h?制限の分岐器があります。計算上「新幹線」爆弾はそこを130~140km/hで通過するため、安全率を考慮してもここで脱線します。(恐らく大丈夫な)80km/hで通過すれば、「ゴジラ」へは220km/hで突っ込みます。まあ、これは多少の誤差範囲内です。

途中の急カーブ
 本線に合流した後は加速あるのみです。しかし本線は、最少半径400mの急カーブが多発し、実際の車両は100~110km/hほどで走行します。カーブのカントを新幹線最大の200mmにしたとしても、150km/hほどで遠心力により脱線するでしょう。また、実際のカントはそんなに速度を出さないこの区間では200mm未満になっているでしょう。

突撃させるとしたら、130km/h前後がいいとこ?
 現実的にはこの速度でしょう。ただし、長さが400mもの16両編成「新幹線爆弾」は本当なら高速で突撃させたほうが後方の爆薬を「ゴジラ」にぶつけられます。先頭車両から時間差をつけて順番に爆発させて(爆発の勢いを「ゴジラ」側に集中する方向で)、後ろの勢いを減らさないようにでもすればいいのでしょうか?
 ちなみに、「東京駅」のカーブはカントがかなり低いため、100km/hで通れるかもわからないです。

240km/hで突撃させるには

・カントを上げる(※作中ではその描写はない)
・遠心力に耐えられるよう線路と路盤を強化する
・緩和曲線を長くする
・(無茶だが)カーブの半径を緩くする


などの方法が考えられます。一言でいえば、非常にめんどくさいです。

新幹線車両が全力を出した時の最高速度

 乗り物には、「設計最高速度」という、全力運転をした時に出せる理論上の最高速度があります。単純に言えば(厳密に言えば微妙に違うが)、鉄道の場合は、水平なところでの全力最高速度(均衡速度ともいう)です。そして、実際の営業運転では、そこまでのスピードを出した運転をしません。これは。最高180km/hとかで走れる車が本当に一般道を180km/hで走ると色々な意味でやばいのと同じです。
 新幹線では各路線、各車両で最高速度が定められていますが、これらが全力を出したらどうなるのか、比較してみます。

 ここでいう全力とは、水平時の均衡速度だったり、設計最高速度だったりと、車両によって定義は違います。あくまで適当に調べたので。

0系 「東海道・山陽新幹線」
実際:220km/h 全力:235km/h

100系 「東海道・山陽新幹線」
実際:230km/h 全力:276~289km/h

200系 「東北・上越・北陸新幹線」
実際:240km/h 全力:250km/h、下り坂利用で275km/h

300系 「東海道・山陽新幹線」
実際:270km/h 全力:296~325km/h

500系 「東海道・山陽新幹線」
実際:300km/h 水平全力:365km/h

700系 「東海道・山陽新幹線」
実際:285km/h 全力:340km/h

N700系 「東海道・山陽新幹線」
実際:300km/h 全力:少なくとも330m/hは可能

E2系 「東北・上越・北陸新幹線」
実際:260~275km/h 全力:315km/h

E5系 「東北・上越新幹線」
実際:320km/h 3‰上り全力:360km/h


 こうしてみると、「100系」は全力を出せば、今の「東海道新幹線」の「のぞみ」並みに出せるようです。

 「200系」は、歴代車両の中で、もっともスペック以上の運転をできた列車でしょう。

 逆に「500系」は、「E5系」が320㎞/h運転をする15年近くも前に320km/h営業運転を目指し、かなり現実的になりましたが、「兵庫県南部地震」後の安全基準変化や騒音問題で実現しませんでした。

 現在最速の「E5系」は、やろうと思えば夢の360km/h運転をできるようです。ただし、その運転ができる区間は、どこまであるのでしょうか?

 各車両が全力運転をしたらどこまで時間を短縮できるのか、考えるのも楽しそうです。

2階建て新幹線が引退する日

 最近都知事に就任した「小池百合子」が都内の通勤電車に座れるよう、列車を2階建てにする構想を出しました。
一方、「東北(※かつて)・上越新幹線」では通勤新幹線として全車2階建てで座席数が4割増しになった新幹線のMaxが運転されています。

新幹線は、
・スピード運転による時間短縮
のほかに
・乗客の大量輸送(在来線の補完)
を目的としてるため、2階建て車両の使用は新幹線の目的とも一致します。

 しかし、今年度を最後に2階建て新幹線車両はすべて引退します。今後どの路線でも2階建て車両を走らせる予定はないため、実質のお別れとなります。

「東北新幹線」
平成24年(2012年)7月7日に全面撤退

「上越新幹線」
平成28年度(2016年度)中に全廃


 2階建て車両が製造されたのは「E1・E4系」が平成6年(1994年)~平成15年(2003年)でそろそろ耐用年数の13年に近づいています。「200系」のように延命改修をする手もありますが、ほかの車両との統一性、運用や整備の面で合わなくなったのでしょうか。そこでその理由を挙げていきます。

廃止+今後造られない理由

・車両のスピード化

「東北新幹線」では「新青森」延伸と「E5系」の登場により路線内の車両の運転最高速度が320km/hにスピードアップしました。対する2階建て車両の最高速度は240km/hと大きな幅があり、どうしてもダイヤに影響がでます。「東北新幹線」では2階建て車両による大量輸送よりもスピードアップを優先していきます。これは、路線距離の長大化により短距離(「東京」~「那須塩原」など)の通勤よりも長距離の高速輸送の需要が高まってきているともいえます。

・車両の統一化
 これは、特に「東海道新幹線」に言えることです。現在の「東海道新幹線」は1時間当たり最大15本の列車が走る超過密ダイヤを実現するために、車両の形式・座席数や配置・速度などがとことん統一されています(『「東海道新幹線」の掟』参照)。ほかの形式や運用方法、速度が大きく異なる2階建て車両を取り入れる余裕はまずありません。導入するには、2階建て車両に現在の「N700A」や開発中の「N700S」と同等の速度性能をもたせ(330km/h運転が可能で、2階建て車両には相当高いハードル)、なおかつそれを短期間に既存の車両と一括して置き換える必要があるでしょう。性能面でも置き換え段取りの面でもかなり非現実的です。
 2階建て車両には「東海道新幹線」の膨大な利用者を裁くメリットよりも、運用方法のデメリットの方が大きいのです。

・急勾配
 最近の新幹線には30~35‰の急勾配が採用されています。これは、急勾配をある程度の速度で走れる車両が開発されたこと、建設費用の削減やトンネル内の地形や地下水の対策によるものです。
 一時期「E4系」が30‰勾配が多発する「高崎」~「軽井沢」間を運転していたことがありました。ただ、乗客を乗せた運転は30‰勾配を下る上り列車のみです。これは、乗客の重みで「E4系」がまともに走れなかったためだそうです。ようは、図体の大きく重い2階建て車両は坂道に弱いのです。最近造られている急勾配が多く需要がそれほどない新規の路線を2階建て車両が走る動機も少ないです。

 新幹線の乗客大量輸送という目的をきっちり果たしながらも、スピード運転というもう一つの目的と、同じ目的である大量輸送のための過密ダイヤから引退していく2階建て新幹線を見られるのもあと数ヶ月です。

新幹線(弾丸列車)のために造られたトンネル

 「東海道新幹線」のトンネルのうち「丹那トンネル」、「日本坂トンネル」、「新東山トンネル」は、新幹線の元祖である弾丸列車計画の一冠で戦前に建設されました。「日本坂トンネル」は昭和19年(1944年)に完成してその後18年間は「東海道本線」が間借りしました。
 「丹那トンネル」も途中まで掘られて戦後の「東海道新幹線」建設の建設に貢献しました。

 そして「東山トンネル」もそんな戦前建設トンネルの一つです。そしてこのトンネルは、「東海道本線」の線路としてのちに利用されました。

東山トンネル
 「東山トンネル」は地図の赤線で示す場所にあり、「京都駅」の東側に位置します。現在は「東海道本線」のトンネルで、「東海道新幹線」は南側に「新東山トンネル」として掘削されています。

 「東海道本線」の「東山トンネル」は現在複々線で、単線断面のトンネルが4本掘られていますが、「弾丸列車」計画時は複線でした。この区間に並行して「弾丸列車」を走らせる計画が挙がり、「新東山トンネル」は昭和16年(1941年)8月に着工。トンネル自体は単線ですが、新幹線に転用できるように設計変更をしたらしく、当分は「東海道本線」の増設扱いで、現在の下り線内側にあたります。目的は戦時中の列車本数増加で増えた補助機関車の回送を円滑にすることで、昭和19年(1944年)12月1日に完成し上り2線、下り1線の3線となりました(「膳所」~「京都」間)。ちょうど「日本坂トンネル」での間借りが始まった時期でもあります。

 この区間は昭和31年(1956年)11月19日に電化に伴い機関車の回送がほぼなくなったことから複線に戻されましたが(どのトンネルを放棄したかは不明)、14年後の昭和45年(1970年)2月23日に、複々線化されました。増設された線路は一番南側で、ちょうど「東海道新幹線」と接します。

「東山トンネル」西側坑口を俯瞰
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 「東山トンネル」西側坑口はすぐ近くの跨線橋からよく見ることができます。このように、4本のトンネル(右端は洞門になっている)が並んでいます。かつては左側2本の複線でしたが、右側が1本ずつ建設されて複々線となりました。
 そして、新幹線(弾丸列車)として掘られたといわれているトンネルが右から2番目の黄色○で囲ってあるものです。他のトンネルと比べて若干大きく広く見えます。

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 このトンネルを拡大してみます。通常の馬蹄形型トンネルと比べて下側が幅広になっています。普通の鉄道車両よりも大きめの弾丸列車を通すために断面を大きくしているのでは?と言われています。

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 現在の列車と比較しても下側がかなり幅広です。一方で、高さは普通のようです。

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 ほかのトンネルは馬蹄形やU字型で、明らかに形が違います。従来の在来線トンネルは写真のように通過列車と下側の壁がもうちょい迫っています。

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 左側(北側)の2本のトンネルを拡大します。この2本は大正10年(1921年)と、蒸気機関車時代に掘られているため、坑口横には排煙用の横穴が空いています。

「東山トンネル」東側
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 一方、このトンネルの東側坑口は、通常の在来線の断面です。ちゃんと下側が狭まっています。

「東山トンネル」西側出口
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 再び西側坑口を中から見てみました。ちゃんとした側が広がっています。トンネル内のどこかで断面が変わったのでしょうが、運転席後ろから1回見ただけではよくわかりませんでした。この断面変化は、弾丸列車計画の中止や、「東海道本線」への転用などの方針変更から変わったのでしょうか?(詳しい資料がないのでよくわかりません)


 西側跨線橋について
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 この跨線橋は歩行者専用のいわゆる歩道橋のようなもので手すりが低く簡易なため渡るとかなりの迫力があり、思う存分「東海道本線」の複々線を堪能できます。

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 そしてこの跨線橋の柱には古いレールが使われています。

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 周囲の柵にもレールが使われています。後で知りましたが、近くには双頭レールもあります。このことはレイルエンヂニアリングにも記載されています(http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-266.html)。

かつて計画されていた新幹線ルート その4 長野~富山 追記:妄想平面図と断面図

現在建設されている北陸新幹線の長野~金沢の間ですが、あと6年で開通予定です。ルートは長野から飯山と上越南部をとおり日本海側に抜けてから北陸本線と若干離れて並行しつつ、富山へ向かいます。地図で見ればかなり大回りをしていますが、かつては長野から真西に向かい、白馬を横切り立山連峰を貫いて直接富山平野に出るルートが考案されていました。

北陸新幹線
 こちらが長野~富山の間のルート図です。緑色の線が実際に建設されているルート、赤色の線がかつて候補に上がっていた理想のルートです。詳しい試料が無かったため、適当にひきました。こんな感じだと思っておいてください。

 こんな計画もあったのですが、お察しの通り、立山連峰は3000m級の山々がそびえる大山脈で、断層破砕帯、火山帯でもあり地質が非常に悪いです。←日本ってこういう場所ばっか、だから工事が予定より遅れるんです
 そこを貫くにはあまりにも手間がかかり且難工事が予想されること、飯山、上越地域の自治体の誘致運動も合い極まり、現在のルートになりました。もし、立山連峰を貫くルートで建設されれば、路線距離が現在のルートより約60kmも短縮され、勾配も緩やか?になり高速運転が可能なため東京~富山の間を2時間以内で(1時間40~50分くらい?)走破できたかもしれません(現在のルートでは2時間10分)。

追記:妄想平面図と断面図

 製作中の動画のために、この「立山トンネル」の平面図と断面図(完全に推定妄想)を造りました。

「立山トンネル」の推定スペック
全長:約70㎞
現在世界一の「青函トンネル」は53.85㎞、
世界一になる「ゴッタルドベーストンネル」は57.09㎞

土被り:約2000m
現在日本一の「大清水トンネル」は約1300m、
世界一になる「ゴッタルドベーストンネル」は約2300m

「高熱隧道」の場所を通る可能性(岩盤温度が最高166℃になった地熱地帯)



平面図

立山トンネル平面図
 外側線が黄色になっている部分が「立山トンネル」です。線路標高は、当時(今から30~40年前)10km以上連続するなら望ましいとされた最急勾配の12‰として考え、100mごとに色分けしています。「長野」~「富山」間の距離から、推定最高標高は650mです(ずっと12‰勾配を連続させてた場合)。

断面図
立山トンネル断面図12‰のみ - コピー
 こちらは断面図です。ウォッちずから「立山トンネル」沿線の地形をめちゃくちゃ大まかに再現しました。「立山トンネル」が構想されていた頃提唱された12‰ルートと、現在の新幹線なら可能である30‰ルートで造ってみました。
 12‰ルートでは、谷地形である「白馬」(標高700m以上)ですらギリギリ地上に出られず、「長野盆地」~「富山平野」の間、約70㎞が全てトンネルになります。
 30‰ルートでは、「白馬」や「黒部峡谷」などで地上に出るため、トンネルの長さは長くても20km台となります。まるで「リニア中央新幹線」の「赤石山脈」越えのような展開です。ただし、雪や落石対策でトンネル間はシェルターで覆われて実質ほとんどがトンネルになるでしょう。

「奥津軽いまべつ駅」の線路に降り立てた時期があった

 まもなく開業する「北海道新幹線」ですが、建設時にその線路に降りたてる場所がありました。それは、「奥津軽いまべつ駅」構内です。僕が行ったのは去年の5月で、高架橋はほぼ完成、線路も敷かれている状態でした。

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 「北海道新幹線」と「海峡線」の供用区間に突入する合流部です。「青函トンネル」とともに「海峡線」が開通した、今から28年前より新幹線と合流のできるこの構造になっていました。

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 「奥津軽いまべつ駅」です。開業後は「いわて沼宮内駅」を上回る利用者数の少ない駅になるのでは?ともいわれています。

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 「海峡線」と並行する昔からある「津軽線」です。「海峡線」の「津軽今別(奥津軽いまべつ)駅」と隣接して「津軽二股駅」があります。

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 建設中の「北海道新幹線」の「奥津軽いまべつ駅」構内です。「北海道新幹線」と「津軽線」の供用区間で貨物列車の待避設備を兼ねているため、かなり広々しています。「津軽線」の「津軽今別駅」仮ホームへ行くために建設中の「北海道新幹線」の線路を横切る必要があるため、新幹線の線路に降り立つという貴重な体験ができます。

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 左側が建設中の「奥津軽いまべつ駅」のホーム、中央の線路が仮に造られた「津軽線」と「津軽今別駅」ホームです。

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 構内の通路から見た「北海道新幹線」の線路です。「青森側」を見ています。線路が3本並んでいますが、中央と左側が通過線、右側が待避線という、片方に待避線がついている節金型待避設備の駅です。

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 「青森側」の奥を撮影。トンネルが見えます。

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 上の写真と同じ位置で「北海道側」を撮影。在来線の待避設備が両側に見えます。

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 線路設備などはほぼ完成していますが、仕上げの工事作業が続いています。作業員方は撮影者には慣れているのでしょうか?

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 とりあえず、幅1435mmの新幹線線路に乗っかってみました。

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 「北海道」側~「青森」側へ通過する貨物列車を撮影。貨物列車は新幹線ホームの両側を回り込んで進んでいきます。

新幹線車両の海側の窓から富士山が見られる唯一の場所 追記:証拠写真追加

 東海道新幹線は、東京~新大阪間をほぼ東西に結びます。途中富士山の近くを通りますが、相対的に北側、すなわち内陸側に位置します。当然内陸側(おおよそ北側)の窓からは富士山を大いに一望できますが、反対の海側(おおよそ南側)の窓からはほとんど見られないと想像できます。しかし、東海道新幹線内でただ1か所で、海側の窓から富士山を見ることができます。

逆さ富士
 青色の線が東海道新幹線です。海側から富士山の見られる場所は、「静岡」より3kmほど西側の区間です。赤色の□で囲ってあるところです。

逆さ富士 角大
 上図の拡大図です。この場所では新幹線の線路がほぼ南北を向きます(青色棒の区間)。そして富士山は北北東~北東の間(正確にはN35°E)の方向に見えます。つまりこの区間では東側を向いている“海側”の窓から富士山を眺めることができます。方角から見て理論的に富士山を見られる区間は約2.5km、線路がほぼ南北を向き確実に見られる(写真を撮れる)区間は約1kmです。「静岡」を通過する列車は、この区間を時速230km/hで通過します。計算すると、理論的に見られる時間は約40秒、確実に見られる(写真を撮れる)時間は約16秒です。「静岡」に停まる列車でも、理論的に1~1分30秒ほど、確実には20~30秒ほどしかチャンスが無いでしょう。それだけ貴重な瞬間なのです。

 何故東海道新幹線ではこの場所だけなのか?東海道新幹線は基本、東西方向に路線が走ります。その分南北を向く機会は少ないです。これは、在来線と比べて高速で通過する必要性からカーブが緩やかなこと、一度のカーブで90°以上方向転換することがほとんどないことに起因します。路線がほぼ南北を向いているいくつかのか所のうち、距離や地形から富士山を眺められるのがここだけなのです。

追記
証拠となる写真を撮ってきました。

海側富士
 撮影場所は、地図で示した「用宗駅」の近くの小高いところです。ちょうど新幹線のトンネルの真上になります。図の赤色と黄色の二重線で示している範囲は、新幹線車両からばっちり「富士山」が見られなおかつ写真を一番取りやすい範囲です。それ以外の赤色や黄色線は一部が見えたり、かろうじて見えたりする範囲です。

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 こちらが写真です。写真右側が海側で、写真奥(「東名高速道路」と「国道150号線」の高架橋よりも奥)では車両の海側の窓に「富士山」が見えるのが一目瞭然です。

「九州新幹線」の35‰勾配をみてきた

「九州新幹線」は、35‰、道路でいう3.5%勾配(1000m水平に進むと35m上り下りする勾配)という、「日本」で最も急こう配な新幹線線路を保有する路線です。

 本来新幹線の一番急な勾配は基本的に15‰、全長が1.8㎞以下なら18‰、1km以下なら20‰までが認められ、特例で「上野」地下駅付近に25‰が採用されていました。
 勾配を克服する技術の進歩と建設費低減、地下水脈回避のためなどで「北陸新幹線」で初めて30‰勾配が使用され、「九州新幹線」に至っては、普通鉄道の基本限度である35‰が採用されました。

 「タモリ」と比べて坂への執着は小さすぎるものの、これだけの勾配は見るべきだろうということで見に行きました。場所は、「博多南駅」から4㎞弱南くらいまでの範囲です。この区間は、「福岡」圏の水がめである「筑紫山地」の地下水脈を新幹線のトンネルがなるべく避けるために高度を上げる必要があります。そのため、35‰勾配を採用して高度を極力稼ぐことにしました。

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 「博多駅」にて「800系」を撮影。

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 「博多」車両基地を撮影。カモノハシだらけです。「山陽新幹線」も、「東海道新幹線」並みの車両統一に近くなっています。

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 入選する「500系」を撮影。次の目標はエヴァ新幹線ですね。

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 洗車シーンに出くわしました。

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 上の2枚の写真は、「山陽新幹線」と「九州新幹線」の境界です。写真左側が「山陽新幹線」、右側が「九州新幹線」です。「山陽新幹線」は昭和50年(1975年)、「九州新幹線」は平成23年(2011年)に完成したため、この高架橋の境目には36年分もの時代差があります。地質学でいう、「平行不整合」です。これほどの時間差を持つ新幹線の境目はほかになく、「日本」一の新幹線境界と言えます。

35‰勾配

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 いよいよ35‰勾配に差し掛かります。これは、真横から見たものです。あまりにも露骨に傾いているのがわかります。

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 35‰勾配は、「博多南駅」をでて数百mですぐに表れます。少しでも高度を稼ぐために最大限駅に近いところから登り始めるようになっています。こうしてアングルを変えたりすると、めちゃくちゃ傾いているのがわかります。

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 山へ向けて高架橋がめちゃくちゃ高くなっています。このあたりの海抜は30m。新幹線の高架橋は高さ70~80mでトンネルに突入します。高架橋の高さ自体が30m近くもあります。

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 下から見上げるとこの高さです。

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 少しアングルと位置を変えて、坂の上側から下側(「博多」方面)を撮影。ジェットコースターのように下っています。坂のふもとまでは、ここから約1kmほどしかありません。

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 道路から少し丘に登る場所があったので、登って撮影。これだけ登っても新幹線の線路より低い位置です。

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 山を突っ切っている35‰勾配を遠方から撮影。この写真の範囲内だけでも20mくらいの高低差はあります。

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 前の写真の拡大。写真内に見える、「福岡空港」から離陸した飛行機の角度に近くも見えます。

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 海抜170m付近。坂が始まって4㎞ほど登ったところです。「福岡」市街地がはるか下ですが、右側に見える「九州新幹線」の線路は、そこまで下っていくので恐ろしいです。

「上越新幹線」の車両が275 km/h運転をしていたことがある 追記:標高100mごとに色分けしてみた

 今は最高240 km/hで運転をしている「上越新幹線」の列車ですが、平成2年(1990年)3月10日~平成11年(1999年)12月4日は275 km/h運転をしていました。当時の車両は200系で性能的に240 km/hが最高速度でしたが(設計最高速度は250 km/hで対応するために運転台や信号の改良をした)、越後山脈越えをした後の下り坂で勢いをつけて275 km/hまで加速することでこれを実現しています(ただし、「越後湯沢」を通過する下り列車に限る)。正確な区間は下り線の「大清水トンネル」内部の海抜最高地点(「上毛高原」~「越後湯沢」間)~「塩沢トンネル」新潟口(「越後湯沢」~「浦佐」)間の41.4 km/hです。「大清水トンネル」内部の最高地点の海抜は583.6 m、「塩沢トンネル」新潟口は181.7 mで、両地点の標高差は401.9 mあり、平均勾配は9.7 ‰(tanθ=9.7/1000)です。この下り坂の力(要するに位置エネルギーとか)で性能よりも35 km/h速度を上げられます。275 km/h運転をしている区間は「東京」~「新潟」間300.2 km/hのうちの41.4 km/hと13.7 %ですが、所要時間は3分短縮されました(275 km/h運転時は「東京」~「新潟」間で最速1時間40分)。速度向上により騒音問題が指摘されますが、この区間はほとんどがトンネルです。それ以外のわずかな区間も人口が少ないためこれくらい出しても問題にならないと判断されたのでしょう。

stati c
 各地点の標高と各速度区間を示します。整数で示す標高値は、全て地形図からの推定です。

 上り列車にも東京側の下り坂を利用して275 km/h運転出来なかったのだろうか?と考えてしまいますが、その区間の途中の「中山トンネル」(「上毛高原」~「高崎」間)の中には急カーブがあり速度が160 km/hに制限されます。このため、連続して高速運転ができず、275 km/h運転をしても効果が小さいから上り列車には適用しなかったと思います。
(参照→『上越新幹線には、異常出水により減速運転を強いられている区間がある』)

 ちなみに、常に275 km/h出すことは少く、大体は270 km/h運転でした(しかも「越後湯沢」付近で1回240 km/hに減速する(騒音問題を引きずっているから?と推定)。275 km/hを出し続けるのは回復運転をするときのみだそうです。それでも「のぞみ」を抜いて日本一速いこれ鉄道として当時はアピールしていました(一時期は、TGVより速かったことがある)が、これはJR東日本の性格なのかもしれません。
(参照→『JR東日本は列車の最高速度で見栄を張る傾向にある?…ようです』)

 それにしても、標高差400 mのこの区間で速度が35 km/h余計に上がるのですから、「北陸新幹線」の「軽井沢」~「高崎」の800 mの標高差を一気に下ったらどこまで速度が上がるかが気になります(「軽井沢」では普段は70 km/h制限なのだが)。
(参照→『碓氷峠を越える新幹線』)


追記:平成27年9月7日
100mごとの色分け


 登山学シリーズの動画のために、造った図があるので、先走ってうpしておきます。駅の標高は、上図と微妙に違う点もありますが、ウォッちずで検索した地表海抜に、新幹線高架橋の、おおよその高さを足し算して、より正確に?求めたからです。
 この図は、今月中にうpする予定の『鉄道登山学 その7 新幹線と勾配-「上越新幹線」 【前編】-』で、結構使います。

高崎~長岡 縦方向

上越新幹線と新宿駅 追記:断面図を作ってみた

 結構前に、「上越新幹線」の本当の起点は新宿であることをさらっと紹介しました。今回は、さらに今の「池袋」や「新宿」にその準備がなされていることを地下空間状況から説明します。

無題
 図にするとこんな感じです。「大宮」~「東京」は「東北新幹線」が、「大宮」~「新宿」は「上越新幹線」が走ります。「大宮」の南の方では両路線が並走(ようするに複々線)し、東京都に入ったあたりで「上越新幹線」は「東北新幹線」と別れて地下に入り、山手線と並行に新宿へ向かいます。「池袋」は造るか造らないかまだ分かっていないです(できたら「東北新幹線」の「上野」みたいになりそう)。さらに、かつては「新宿」より先に路線を延長して大崎あたりで「東海道新幹線」と接続する計画もありました。「東京」でも「東北新幹線」と「東海道新幹線」がつながる予定でした。まあ、接続についてはまた別の話で。

無題 3
 「池袋」の様子です。周囲の地下鉄の駅の深さでこの図を表現します。深さは、「日本鉄道旅行地図長 5号 東京」の情報を引用しました。数値は、各駅の地面からの深さを示します。ようするに、各駅間に地面の起伏があれば路線の相対的な落差が変わるということです。まあそれはおいといて、ここで注目すべきは「丸ノ内線」・「有楽町線」と「副都心線」の深さが大きく異なるということです。「有楽町線」と「副都心線」の落差は12.8mもあります。実は、「有楽町線」と「副都心線」の中間位置に「上越新幹線」のトンネルが造られる予定です。そのために「副都心線」は周囲の地下鉄路線よりも圧倒的に深く掘られています。(タモリ倶楽部の会話より引用→)さらに、「池袋」から渋谷よりは下り勾配になっているのがわかります。さらに深く下がり、「上越新幹線」の下をくぐりぬけるためらしいです。

無題
 「新宿」の様子です。こちらも、「上越新幹線」と交差する「丸ノ内線」と「新宿線」の落差が10m以上あります。ここでは「上越新幹線」のトンネルが「丸ノ内線」と「新宿線」の間をすり抜けます。「新宿線」はそのために深く造られています。「上越新幹線」の「新宿駅」は、在来線のホームより少し南側の、高島屋の真下にできます。現在でも作ろうと思えば造れるようにトンネルや駅施設を造るための地下空間が確保されています。

※この記事の図は「イラストレーター」というソフトで加工しましたが、すごく…使いやすいです。今までのペイントではめちゃくちゃ時間を使いそうです、てうかここまで造る気にならないです。

追記:平成27年8月1日、断面図作成
 今後の動画用に、「池袋駅」と「新宿駅」の断面図付、線路海抜図を作成しました。
 書いてある数字は、各線路(プラットホーム)の海抜で、国土地理院電子地図から駅地表の海抜を求め、書籍に書いてある、駅の深さをそこから引き算しておおよそに得ました。というわけで、駅の海抜や線路勾配は、実際よりおおざっぱですが、大体このような関係にあります。注目すべきは、「上越新幹線」の線路が、「池袋駅」では「副都心線」の、「新宿駅」では「新宿線」の上を通り、これらの地下鉄は、「上越新幹線」をよけるために、これだけ深いところを通り、勾配を設けています。
池袋駅断面
 「池袋駅」のおおよその断面図。

新宿駅断面

 「新宿駅」のおおよその断面図。

赤黄色2色で表しているのが「上越新幹線」の計画ルート(推定)です。大体こんな関係にあります。

もしも「東海道新幹線」の開業が数年早かったり遅かったりしたら?

ついに本日をもって、新幹線が誕生して50年目を向かえました。開業したのは今から50年前の昭和39年(1964年)10月1日ですが、新幹線自体、これしかないという、実に絶妙な時期に誕生しました。

『新幹線不在仮定』という、「もしも新幹線がなかったら「日本」はどうなっていたのか?」という思考実験がありますが、「もしも計画・開業時期が数年ずれていたら、どうなっていたのか」という想定を「山之内秀一郎」元「JR東日本」会長が、自署の「新幹線がなかったら」で簡素に語っていたことを紹介します。

新幹線の計画・建設が数年早かったら?
①速度制限が厳しく、国内外に与えるインパクトが小さかった
 「東海道新幹線」は、世界が「日本」に注目をしていた『東京オリンピック」の年に、開催直前というに開業しました。つまり、一番注目されやすいタイミングで世に出たのです。無論、「東京オリンピック」に合わせるための準備をしてきました。
しかし、もし戦前に計画された新幹線の元祖である『弾丸列車」計画のように、昭和29年(1954年)近辺に開業していたら、ここまで注目を浴びなかったでしょう。その頃は「日本」国内では200km/hはおろか、160km/h運転さえもしていませんでした。200km/h試験走行をしたのは「東海道新幹線」開業のわずか2年前です。160km/hでの営業運転や200km/hでの試験走行を行っていた「ヨーロッパ」と違い、まだ高速化の技術と経験が未発達でした。つまり、いきなり200km/hで運転できず、130km/hや160km/h運転で営業を始め、インパクトは小さくなっていました。

②技術未確立が多く、初期故障、下手したら事故が実際よりもかなりひどくなっていた
 「東海道新幹線」は、決して妥協を許さない徹底した試験や吟味で高速運転の技術と安全性を確立させて開業しましたが、それでも実戦で見落とした、想定外の故障や、あわや大惨事という事故が起きました(「オスプレイ」=危険と思われているのは、全ての機会に共通する、初期故障ばかり注目されているため)。つまり、今より早く開業していたら、さらに危うい初期故障や事故が多発し、大事故につながる確率もずっと高かったでしょう。

新幹線の計画・建設が数年遅かったら?
新幹線の建設が凍結・中止された
 当時は「20世紀末には鉄道はほとんどが赤字線か廃止になり、交通は車と飛行機に取って代わられる」といわれ、新幹線不要論がかなりはびこっていました。そんなご時世、莫大な費用のかかる新幹線建設を国会で認可してもらうために、可能な限り建設費用を節減し、実際の半分の予算を捏造してやっと認可された状況です。もし、新幹線の全体的な計画が数年遅れていたら、その間にモータリゼーションの強大化や航空機の運賃値下げなどで、新幹線の建設が認可されず、凍結・中止になっていたといわれています。それは、「新幹線不在仮定」に書いてある未来に直結します。まあ、後で新幹線計画が再評価されて建設される事態もあり得ますが、その遅れだけでも「日本」の交通事情に甚大な影響(大規模な渋滞、輸送力の不足など)を及ぼしていたでしょう。

参照↓
『新幹線が無かったらどうなっていたのか?という想像(新幹線不在仮定)』

何故、「鳥栖市」と「久留米市」の両町に新幹線の駅が作られたのか?

 今年全線開業した「九州新幹線鹿児島ルート」(以下「鹿児島ルート」)には「新鳥栖駅」と「久留米駅」があり、両駅間隔はわずか5.7kmです。今や最高時速240km/h~300km/hで列車が走る新幹線の駅間距離は30~40kmが望ましいとされ、短くても15~20kmの場合が多いです。確かに、「東海道新幹線」の「東京駅」~「品川駅」間の6.8kmや、「東北新幹線」の「東京駅」~「上野駅」間の3.6kmのように、駅間距離が極端に短い例はこの限りではありません。しかし、この2例は大都市内で列車の運行速度が遅く(急カーブが多い・騒音対策など)、利用者の利便向上や利用者の流れ分散、ダイヤ調整をするためにこれだけ駅間距離が短くてもいいのです。一方で「新鳥栖駅」~「久留米駅」間は普通に列車がフルスピード(260km/h)で走る区間です。

 この区間に2つの駅が隣り合っている成り行きには、「九州新幹線西九州ルート(長崎ルート)」(以下「西九州ルート」)がからんでいます。「久留米駅」は普通の新幹線駅、「新鳥栖」は「西九州新幹線」との分岐駅を目的に作られました。鉄道路線は、路線が分岐する場所に駅を造った方が何かと合理的なのです。ただし、「西九州ルート」はまだ建設中のため、「新鳥栖駅」が普通の駅に見えるのです。分岐駅として作る以上は「新鳥栖駅」はまだ作らなくてもいいように見えますが(沿線住民はそうは思わないでしょうが)、「西九州ルート」建設のめどがついてきたので「鹿児島ルート」建設と同時期に作ったのです。

新鳥栖と久留米 
 図にするとこんな感じです。ちょうど「新鳥栖駅」が「長崎」へ向かう「長崎本線」と交差する場所に位置します。「西九州ルート」は「新鳥栖」~「武雄温泉」間、「諫早」~「長崎」間は糖分が在来線の線路を利用する形での開業です(本当の新設路線は「武雄温泉」~「諫早」間のみ)。将来は全線を新幹線形式の新設路線で作り、「新鳥栖駅」にもそれなりの分岐路線が整備されます。しかし、現段階では「新鳥栖駅」で双方の線路をフリーケージトレインの変換機で結ぶか、「博多」~「長崎」間全線を在来線の列車が利用するかになります。ちなみに、後者の可能性が高いですが、それですと「新鳥栖駅」は分岐駅の役割を担いません。

かつて計画された大ジャンクション構想

 そうすると、「わざわざ「久留米駅」まで造らなくてもいいじゃないか?」という疑問がわいてきます。実は、「西九州ルート」と「鹿児島ルート」は完全な立体交差による三角線(デルタ線)で繋ぐ予定で、「久留米駅」もその分岐のための基地として計画されました。接続に関係する線路を全て立体交差にすることで交差支障を解消し、三角線にすることでどの方向からもスイッチバックをせずにスムーズに行き来できるのです。三角線のイメージは、高速道路のジャンクション(上空から見て道路がTの字を描くタイプ)や、線路でいえば「瀬戸大橋」の「四国」側の三角線を想像するとわかります。

新鳥栖と久留米2
 図にするとこんな感じです(※「西九州ルート(青線)」のルートはてきとーです)。「新鳥栖駅」と「久留米駅」がそれぞれの分岐点に位置します。ちょうど分岐点が2都市にまたぐため、分岐設備に駅が付加されて感じです(よーするに丸く収まる)。「東北新幹線」と「上越新幹線」が分岐する「大宮駅」や「上越新幹線」と「北陸新幹線」が分岐する「高崎駅」みたいなものが集まった形ですね。この異様に間隔のせまい2駅は、この大ジャンクション構想の名残なのです。

 ほかにも、「山陽新幹線」の「小倉駅」~「博多駅」の間にも、「東九州新幹線」との分岐点が、「岡山駅」付近には「中国・四国横断新幹線」との十字交差によるジャンクションがかつては計画されていました。

今の雰囲気で、一昔前の新幹線駅を決めるとどうなるか?妄想してみた

 「北海道新幹線」の3つの駅名が決まりました。「奥津軽」(仮)→「奥津軽いまべつ」、「木古内」は変わらず、「新函館」(仮)→「新函館北斗」と、何やら長くて奥や新を入れなくてもいいんじゃね?とい言えるくらいです。最近の新幹線駅の駅名は、複数の地名を入れたものが多くなっていますが、それだけ地元の要望を良くも悪くも入れていく時代になったのでしょう。

 では、一昔前に造られた新幹線駅の駅名を今の雰囲気で決めたらどうなるのか?自分の独断と偏見で勝手に妄想してみました。真面目に受け取るも、風刺と受け取るも、それは各々にまかせます。ここでは、国鉄時代に造られた区間を対象にしています(駅の年代はJR化後も含む)。

「東海道新幹線」

「新横浜」→「新横浜川崎」 ←100万都市のメンツ介入
「小田原」→「小田原箱根温泉」 ←まさかの「箱根」介入?
「新富士」→「新富士田子の浦」 ←「田子の浦」が、百人一首に出てくる名所のため
「三河安城」→同じ?
「岐阜羽島」→同じ?
「米原」→「米原彦根」 ←「彦根」という由緒正しき街を無視できずに
「新大阪」→同じ?


「山陽新幹線」

「新神戸」→「神戸有馬温泉」 ←まさかの「有馬温泉」介入?
「西明石」→同じ?
「新倉敷」→「新倉敷玉島」 ←元々「玉島」を残して欲しいという要望があった
「新尾道」→同じ?
「東広島」→「東広島西条」 ←「西条」という場所にあるので
「新岩国」→変わらない ←地元の要望がこれ以外には、ほぼないため
「小郡(現在の「新山口」)」→「新山口小郡」 ←旧「小郡町」と「山口市」の妥協、「山口市」がちゃっかり先頭に名前を入れる
「新下関」→変わらない ←地元の要望がこれ以外には、ほぼないため



「東北新幹線」

「那須塩原」→「黒磯那須塩原」 ←「黒磯市」の夢が叶う
「新白河」→「新白河西郷」 ←「西郷村」から元々「西郷」を入れる要望があった
「白石蔵王」→同じ?
「くりこま高原」→「栗原くりこま高原」 ←「栗原市」をとりあえず入れる
「水沢江差」→「奥州水沢江刺」 ←「奥州市」をとりあえず入れる
「新花巻」→同じ?



「上越新幹線」

「本庄早稲田」→同じ?
「高崎」→「高崎前橋」 ←まさかの県庁所在地介入
「上毛高原」→「上毛月夜野」 ←「月夜野町」にあるため
「浦佐」→「魚沼浦佐」、「魚沼大和」 ←「魚沼」という地名が有名なため。「大和」は、「浦佐駅」の旧街名。
「燕三条」→「新弥彦燕三条」 ←「燕」や「三条」よりも「弥彦」の知名度が高いので。

2階建て新幹線車両は「軽井沢」まで走っていたことがある

 「東北・上越新幹線」内を走る2階建て新幹線車両が、実は「北陸新幹線」の「軽井沢」まで運行されていたことがあります。「北陸新幹線」の「安中榛名」~「軽井沢」間には30‰もの勾配が○○㎞続き、そこは2階建て新幹線車両のような図体がでかくて重い車両にとっては非常に難所区間となります。その難所具合は、今なき「0系」のような昔の車両、初代2階建て新幹線車両の「E1系」自体は、30‰の坂を登るのことができないことからわかります。

 現在2階建て新幹線車両の主軸を担う「E4系」(別名、「カモノハシ」、「猪木新幹線」等々)は、先代の「E1系」よりもパワーアップがなされ、30‰の坂を上って「軽井沢」まで走破するのが可能となりました。ただし、乗客を乗せるとその分の重さで登ることができないので、坂を下る登り列車のみが旅客営業されていました。

待避線が異様に長い新幹線駅 その2 「掛川駅」の場合

 待避線の長い新幹線駅はカーブ上にあり、線路が傾いている場所を避けて分岐器を置くため、その分待避線が長くなります。つまり、上下線とも同じ場所から待避線が始まり、互の長さはほぼ等しいです。しかし、「掛川駅」の待避線は、下図のように、奇妙な形をしています。何故こうなったか?理由は2つあります。


①一部のカーブ上に分岐器を置けるようになった

掛川駅のたいひせん
 図で表すとこんな感じです。「掛川駅」のプラットホームも他の駅と同様、長さが400mちょいです。しかし、待避線が入線する側のほうへ上り線で約1200m、下り線で約700mも余計に延びています。

 「掛川駅」の待避線がこんなに長くなっているのも、他の駅と同様、カーブ上に分岐器を置くのを避けるためです。しかし、「掛川駅」の場合は、出発側の方は普通の長さです。これは、カーブの向きが深く関わっています。

 「掛川駅」周辺の線形を見ると、入線側の分岐器をカーブ上に置くと、待避線に分岐する線路のカーブが本線の線路と逆になります。これを「外方分岐器」といいますが、互が逆方向を向くと、線路の傾きも逆になり、列車のバランスが崩れやすく、速度制限が厳しくなります。歪やバランスにシビアな新幹線では、「外方分岐器」を置けないため、「掛川駅」では「外方分岐器」になるのを避けるために、入線側の待避線を、直線区間から始めたのです。

 逆に出発側は本線も待避線に分岐する線路も、カーブ方向が同じです。これを「内方分岐器」といい、線路の傾き方向が同じなため、「外方分岐器」よりは、列車への制約が緩いです。「掛川駅」が開通した時代は、緩和曲線状に置ける「内方分岐器」が開発されおり、早速当駅に採用され、待避線の長大化を半減させたのです。


②列車の待避、追い越しを円滑にするためについでにあえて長くした。


普通駅と掛川駅 - コピー
 普通の新幹線駅と「掛川駅」での、停車列車と通過列車の位置関係を上の図に示します。
 走行中の新幹線車両は、互いの間隔が詰まると自動的に減速されます。つまり、お互いが高速運転を保つには一定の距離・時間差を設けて走らなければいけません(新幹線車両がお互いに高速(270km/h)で走れる最小の時間間隔は約3分、距離にして約13.5km)。しかし、前の列車が駅に停まるために減速し、後ろの車両が通過列車の場合は互いの間隔がどんどん詰まっていきます。特に、後ろの車両がその駅で停車列車を追い越す場合は深刻です。下手すれば通過列車は間隔が詰まり過ぎて、速度を落とす羽目になります。それが嫌なら予め、前の停車列車との間隔を十分にあけるしかありませんが、そうするとダイヤ設定の自由度が減ります。そこで、「掛川駅」では試験的にこの配線が採用されました。上図のように待避線の入り口側を長くすれば、その分停車する列車が早めに待避線に入れます。つまり、通過列車側からすれば早い段階で互いの間隔の詰まりを回避でき、その分互いの列車間隔をより詰めたダイヤを造れます。

 この原理を道路でたとえれば、普通の駅は直進用車線と左折用車線が重複するT字路、「掛川駅」は専用の減速車線がついているバイパスや高速道路のICです。直進と左折のレーンが重複している場所では、左折する車(新幹線でいう待避線にはいる列車)が速度を落とすため、後ろにいる直進する車(新幹線でいう通過列車)が車間をあまり詰められません。速度もかなり落とす必要があり道路がつっかえます。一方、減速車線があれば、早い段階でICを降りる車が走行車線を離れるため、降りない車に支障がでません。

 「掛川駅」が開業したのは昭和63年(1988年)、ちょうど「東海道新幹線」のダイヤが過密になり、駅での追い越し・待避がネックになっていた時です。当時の国鉄か「JR東海」が、「せっかく新駅を造るのだから、上のような配線を試験的にやってみよう!」とでも考えたのでしょう。


 で、その効果は…あまりなかったようです。停車列車と通過列車の間隔は15秒ほど詰められましたが、今のダイヤを考えればまだ足りないようです。また、ATC(自動列車制御装置)技術の進歩により各列車を効率的に停車、車間隔の調整ができるようになったため、この配線の効果はさらに薄れました。入線側の分岐器を緩やかなものにして進入速度を上げれば効果はちょいあがりますが、そこまでの手間をかけてちょいの効果を狙うのも手間でしょう。
 この配線の効果を絶大にするには、待避線の長さを新幹線の制動距離とほぼ同じ10km近くまで伸ばし(もちろん入線側のほうのみ)、待避線への分岐器は、曲がるほうの通過速度を最高速度、つまり270㎞/h(平成27年から285km/h)にできるものにしなければいけません。当然莫大な手間と金がかかります。実現すれば、列車間隔を互いが同じ速度で走っている約3分まで縮められますが。

 ところで、ここでこの待避線の建設費がどこから出されたのか気になります。「掛川駅」は「東海道新幹線」が開通した後に作られた新駅で、駅の建設費は地元の「掛川市」が全額負担しました。長い待避線を造る分建設費が割り増しになりましたが、その分は「JR東海」が負担したのか?それとも「掛川市」についでに負担させたのか?どちらでしょう?「品川駅」のようにダイヤ上必要として造られた駅は「JR」が負担するので前者のような気もしますが、真実はどっち?

新幹線の大事故未遂 その1 「大井川」河口付近の地震

 新幹線といえば、開業から50年を経た現在でも、車内の乗客の、脱線や衝突による事故で死亡者数が0という、とてつもない安全記録を持っています(ただし、線路に転落した乗客の死亡事故(「三島駅転落事故」)や、保線作業員が回送車両に惹かれて死亡する事故は発生しているため、完璧な0ではない)。

 しかし、この安全神話が目白押しな新幹線も、一歩間違えていたら大事故にいたり、数百~千数百人の死傷者を出す大惨事になっていたという、大事故未遂事件がいくつか起きていました。このシリーズでは、その事例を紹介していきます。

昭和40年(1965年)4月20日 「東海道新幹線」 「大井川」河口付近の地震

 「東海道新幹線」が開通してまだ半年のこの日に、「静岡県」の「大井川」河口付近を震源とするM6.1の中規模地震が発生しました。この地震発生直後、全ての列車が緊急停止し、脱線などの大きな被害を被ることなく終わりました。しかし、震源付近の、線路を支える盛土が一部陥没し、そこの線路が歪みました。先日の雨で、開業後間もない、まだ十分に締固められていないであろう盛土が、地震の振動で崩落したそうです(実際、「東海道新幹線」開業後は、路盤(盛土)の耐久に不安があったため、徐行運転が多かった。当時の列車の運行本数は30分に1本と、現在の6~7分の1の運行密度で、確率的にも運良くそこを通過する便はありませんでした。しかし、万が一この陥没部分を列車が高速で通過していたら、間違いなく脱線していたそうです。「東海道新幹線」は盛土区間が多く、高架橋で建設されている他の路線と比べて雨や地震による崩落などで線路が歪みやすいです。実は、現在も盛土の歪みによる脱線事故が専門家に懸念されています。

待避線が異様に長い新幹線駅 その1 カーブ上に駅がある場合

 新幹線の中間駅にある待避線は、そこに入線する車両の長さ分の延長をとっています。かといって、無駄に長すぎても設置面積が増えるため、入線する車両より極端に長くはなりません(通常の新幹線の待避線は、大体400数十~500mくらい)。それでも、待避線が極端に長くなっている駅もあります。その1例が「東海道新幹線」の「浜松駅」です。

浜松駅の待避線 - コピー
 上図は「浜松駅」の地図です。地図をよく見ると、プラットホームの長さは新幹線車両16両編成分の400mちょいあるのに対し、待避線は約1200mもあります。そして、その待避線の設置位置はカーブ区間と重なっています。

普通駅と浜松駅など
 普通の新幹線の中間駅と、待避線の異様に長い「浜松駅」などの配線図を比べるとこうなります。

「浜松駅」の待避線がこんなに長くなっているわけは、駅自体がカーブのど真ん中にあるからです。
 鉄道の線路の路盤は、カーブの部分では走行中の列車と乗客にかかる遠心力を抑えるためにカーブの内側に傾いています。そのため、カーブの外側の線路と内側の線路には落差ができます(この落差を「カント」という)。「東海道新幹線」や300km/h以上の運転を目標に作られた最近の新幹線路線のカーブでの傾きは約8°で、2本の線路の落差は20cmになります。「浜松駅」の通過線もまた、列車が高速で走行するため、線路が大きく傾いています。このような場所では分岐器を設けることができません。分岐器を設置してもそこを通過する列車のバランスが崩れる恐れがあるからです。さらに、待避線の方は列車が低速で走るため、線路はほとんど傾いていません。通過線と待避線に傾きの差が生まれているため、無理矢理分岐器をつくっても、その傾きの差で線路が大きくねじれてしまいます。つまり、カーブの区間で待避線の、本線への分岐・合流を避けるために、「浜松駅」の待避線がこれほど長くなったのです。

 「浜松駅」の待避線は、通過列車の待避だけでなく線路の傾きによるねじれの待避もしていたのですね。

 他にも、「山陽新幹線」の「徳山駅」も半径1600mの急カーブ上に駅があるため(そのおかげで160km/hに制限される)、待避線の長さが約1000mになっています。
 「岡山駅」も半径1000mの急カーブが近くにあるため、「博多」方面に待避線が延長され、全体の長さが約900mになっています。

 しかし、カーブに関係なく待避線が異様に長い駅があります。それは「東海道新幹線」の「掛川駅」です。「掛川駅」の異様に長い待避線はそれに加えて別の目的でも造られましたが、それはまた次回説明します。

「上越新幹線」のトンネルについて

 「上越新幹線」は「越後山脈」を超えるため、「高崎」~「長岡」間の実に8割をトンネルが占め、開通当初は「トンネル新幹線」ともいわれました。ちなみに、路線内全てのトンネルが「高崎」~「長岡」間にあります(「上野駅」付近の「第1・第2上野トンネル」は「東北新幹線」の管轄なので対象外です)。しかも、これらのトンネルはトンネル同士の間隔が狭い場所は雪覆い(スノーシェッド)が施されているため、この区間の各駅周辺の開けている場所以外は、1本の長大トンネルと化し、全て闇に覆われています。

 以下に各区間の、トンネル間を雪覆いで繋いだ総延長を挙げます。

「上毛高原」~「越後湯沢」間
約31.0km(「月夜野トンネル」7295m+「第1湯原トンネル」786m+「第2湯原トンネル」703m+「大清水トンネル」22221m+各トンネル間の雪覆い)

「越後湯沢」~「浦佐」間
約23.8km(「第1湯元トンネル」135m+「湯沢トンネル」4480m+500m+115m+237m+3109m+643m+152m+2469m+「塩沢トンネル」11217m+各トンネル間の雪覆い)

「浦佐」~「長岡」間
約9.8km(「浦佐トンネル」6087m+「堀之内トンネル」3300m+トンネル間の雪覆い)
約13.3km(「魚沼トンネル」8624m+「妙見トンネル」1459m+「滝谷トンネル」2673m+各トンネル間の雪覆い)


 ちなみに、注意していれば、トンネル内と雪覆い内の区別はできます。雪覆いを通る時は若干音が変わり、明るい時間帯は雪覆いの窓から光がさしているのがわかりますよ。

少し遅くなった「のぞみ」 その2 「山陽新幹線の場合」

 「のぞみ」は、「東海道新幹線」内だけでなく「山陽新幹線」内でも全盛期より遅くなっています。こちらはダイヤ上の制約でなく、停車駅の増加とダイヤのゆとり化による要素が強いです。


「新大阪」~「博多」間における所要時間の推移

平成5年(1993年)3月18日:「300系」「のぞみ」が「山陽新幹線」でも運転開始
2時間32分(最高速度:270km/h)

平成9年(1997年)3月22日:「500系」「のぞみ」運転開始。
2時間17分(最高速度:300km/h)
この便の「新大阪」~「博多」間の所要時間、平均速度、表定速度は15年経った今でも破られていない

平成11年(1999年):3月13日「700系」「のぞみ」運転開始。「500系」「のぞみ」が最速状態を維持
2時間25分(現在は2時間28分、最高速度:285km/h)

平成15年(2003年):10月1日 500系「のぞみ」を含めた全列車が新神戸駅に停車することになり所要時間が4分延びた
2時間21分(最高速度:300km/h)

平成18年(2006年)3月18日:JR福知山線脱線事故が発生。
この影響で「山陽新幹線」でもダイヤにゆとりを持たせ、所要時間が2分延びた。
2時間23分(最高速度:300km/h)

平成19年(2007年)7月1日:「N700系」が運転を開始。最高速度は、「500系」と同じ300km/h
2時間23分


 また、「山陽新幹線」を走る「のぞみ」の多くは、減便した「ひかり」の代わりとして停車駅が増やされました。従って、停車駅数が昔と同じ最速タイプの「のぞみ」の数は少ないです。

 ちなみに、「500系」「のぞみ」で320km/h運転を行い「新大阪」~「博多」間の所要時間を2時間10分ほどにする構想もありましたが、色々な問題で実現しませんでした。「500系」が全盛期だったころこそ、「山陽新幹線」が最もスピードに乗っていたときでもあったのです。

少し遅くなった「のぞみ」 その1 「東海道新幹線」の場合

 「東海道新幹線」の開業以来、ダイヤ改正のたびに速達列車の、「東京」~「新大阪」間の所要時間は短縮されてきました。最近?の事例では平成4年(1992年)に「のぞみ」の270km/h運転により2時間30分、15年後の平成19年(2007年)には「N700系」の登場により2時間25分になっています。しかし、時刻表を見ると多くの「のぞみ」の「東京」~「新大阪」間(←以下、この区間の所要時間について語ります)の所要時間は2時間33分とか36分と、ちょい遅めです。


「東京」~「新大阪」間における最速列車の所要時間の推移
これまでの最速「ひかり」:2時間49分(最高220km/h)

「のぞみ」登場
平成4年(1992年)3月14日:2時間30分(最高270km/h、半径2500mの曲線部では255km/h)

平成19年(2007年)7月1日:2時間25分(最高270km/h、半径2500mの曲線部でも270km/h)


 「のぞみ」の最速列車は上の通り、時代を追うごとに早くはなっています。ただし、最速列車が運転されるのは早朝か夜遅くで、日中の大半の「のぞみ」の所要時間は2時間33~36分です。「のぞみ」が登場した時代は大半の所要時間が2時間30分、「新横浜」に停車する場合でも2時間34分でした。つまり、ちょい遅くなったのです。

過密ダイヤによる抑制運転
 「のぞみ」がちょい遅くなったのは、遅い車両で走っているからではありません。「東海道新幹線」のダイヤがあまりに過密なため、フルスピードで走り続けられないのです。

 これは高速道路でいえば、渋滞はしていないけど周りに車が多くて80~90km/hで走るのが精いっぱい、1台でもスピードが落ちれば渋滞発生という状態なのです。

 もし各列車がフルスピードで走ると、各車両の性能に若干の差があるため、互いの距離が詰まって後ろの速い列車が自動ブレーキで減速してしまいます。特に、停車駅で追い越される列車は駅到着前に速度を落とす分後ろの通過列車との距離が縮まりるため、通過列車が速度を落とされる危険は高まります。

 これも高速道路に例えれば、100+αkm/hで快調に飛ばしていたときに目の前に遅い車がいて(←特にトラックの追い越し車線への進入とか)、しぶしぶ速度を落とすようなものです。

 最速列車の所要時間は確実に短縮していきましたが、「のぞみ」全体の所要時間は延びています。ただし、列車編成自体が「ひかり」から「のぞみ」へ移って行ったので「東海道新幹線」内の速達列車全体の所要時間は短縮されていると言えます。

 今年のダイヤ改正では、「のぞみ」の半分ほどの所要時間を2時間33分に縮めるそうです。
 ちなみに、「ひかり」の所要時間もかつては2時間49分が最速でしたが、今は3時間越えになっています。これは、停車駅の少ない列車を「ひかり」から「のぞみ」に置き換え、「ひかり」は地方都市の中間駅にも停まるようになったためです。

参照↓
『「ひかり号」と「のぞみ号」の定義について』

「北海道新幹線」があまり速くない可能性

 『「北海道新幹線」を「札幌」まで開業させて「東京」~「札幌」間を最高速度360km/h、3時間57分で結ぶ』
 、というフレーズが、ニュースや鉄道図鑑、専門書によく書かれています。しかし、現実にはそこまで速度を上げられない可能性が以下の記事に書かれていました。この記事は、「北海道新幹線」の問題点を様々な角度から見ていますが、本記事では速度に関するところを赤文字で強調しておきました。

毎日新聞 8月26日(日)10時34分配信

 北海道新幹線の新函館-札幌(211・5キロ)の起工式が25日、長万部町で行われた。道や経済界にとって長年の悲願だった札幌延伸は実現に向けて踏み出したが、工期は24年にも及び、道には巨額の事業費負担も重くのしかかる。JR北海道から経営分離される並行在来線(函館-小樽、252・5キロ)のあり方も鉄路存続を望む沿線自治体には懸念材料だ。【岸川弘明、吉井理記】(社会面参照)

 ■工期短縮と財政負担
 国が示す札幌延伸の総事業費は1兆6700億円。このうち、国の交付税措置を除いた道内自治体の実質負担は2900億円と試算されている。新駅が設置される市町にも一部負担を求めるが、大半は道が負担する。道は400億円を一般財源、残りの2500億円を道債発行で賄う予定だ。
 これまで札幌延伸の推進派は延伸に伴う経済波及効果で、建設費は回収できると主張。北海道経済連合会(道経連)が着工認可前の06年にまとめた試算でも、北海道新幹線(新青森-新函館含む)の建設で道内の経済波及効果は約2兆5000億円に上り、約18万3000人の雇用を生むと予測していた。
 ただ、試算で想定していた工期は15年間。24年間では「将来は人口も減るだろうし、経済効果は薄れるのではないか」(道経連幹部)と懸念の声もあり、経済団体は国に工期短縮を求める意向だ。
 一方、事業費を負担する道はジレンマを抱える。工期を短縮すれば単年度ごとの負担額は増えるため、財政難の道財政をさらに圧迫しかねない。高橋はるみ知事も「工期は短い方が経済効果が出ることはよく分かっているが、道費負担増は道民の理解を絶対得られない」(7月20日の記者会見)と述べるなど、道は対応に苦慮。7月に国に出した来年度予算要望でも、道は札幌延伸の「工期短縮」ではなく、「整備促進」との表現にとどめた。

 ■青函トンネルで減速
 工期に加え、経済効果を生む上でネックになるのが速度の問題だ。道経連の試算は最高時速360キロ、札幌-東京の所要時間を3時間57分と想定していた。だが、開業時の最高時速は260キロとされ、東京まで4時間43分かかる。しかも、青函トンネル(54キロ)を含む在来線との共用走行区間(82キロ)では貨物列車とすれ違う際の安全確保のため時速140キロに減速せざるを得ず、所要時間は5時間1分になる。道幹部は「140キロといえば特急並みの速度。18分間の差かもしれないが、新幹線の魅力が落ちてしまう」と案じる。
 改善策を検討するため、国土交通省は7月、有識者らの「青函共用走行区間技術検討ワーキンググループ」を設置した。新幹線と在来線の運行時間帯を区分▽すれ違い時に新幹線が自動減速▽トレイン・オン・トレインなど貨物専用新幹線の導入▽第2の青函トンネルの建設▽上下線間に障壁設置--の案を提示。年度内に結論を出す考えだが、一筋縄ではいきそうにない。
 第2の青函トンネルは4000億~5000億円、上下線の障壁は約1600億円の建設費がかかる見込み。自動減速や貨物専用新幹線も技術開発に多額の費用が必要となる。費用面から運行時間帯の区分が最も現実的と言えるが、青函トンネルを日に最大51本走らせるJR貨物は「運行本数が減れば営業に影響する」とダイヤ調整に難色を示している。


 ■三セクかバス転換か
 JR北海道から経営分離される並行在来線の函館-小樽は鉄路存続かバス転換か、今後始まる沿線15市町間の議論が注目される。分離区間のうち物流を担う室蘭線に接続する函館-長万部と地元住民の利用が主な長万部-小樽とでは路線の性格が異なる上、新幹線駅が設置される自治体と他の“通過自治体”の間でも温度差がある。
 函館-長万部はJR貨物から線路使用料収入が見込まれ、鉄路存続でも採算が取れる可能性がある。一方、長万部-小樽の輸送密度(1キロあたりの1日平均乗客数)は500~2000人程度で、採算ライン(8000人)を大きく下回る。第三セクターによる鉄路維持では採算割れし、沿線自治体は赤字の穴埋めに財政負担を覚悟しなければならない。
 新幹線駅が置かれる小樽市と倶知安、長万部、八雲3町は「本州客を誘引する」(倶知安町)と延伸効果に比重を置く。新幹線駅周辺も「在来線にスキー客向けの臨時列車もあるが、新幹線開通後は(新駅を起点に)バスでも代替可能ではないか」(ニセコリゾート観光協会)と鉄路維持に執着は強くない。
 一方、新幹線が停車しない余市町は「(在来線は)通勤通学利用者も多い生活路線。鉄路存続が(経営分離に同意した)前提だ」と危機感をにじませる。同町の住民団体「JR函館線の存続を求める住民の会」も鉄路存続の署名活動を続ける。
 道は9月上旬に代替交通を検討する沿線15市町との協議会を設置する方針。市町間の足並みがそろうかが焦点となるが、道幹部は「三セク化が決まった江差線より沿線自治体が多く、地域事情も異なる」と難航を予想する。

8月26日朝刊
.http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120826-00000008-mailo-hok

 整備新幹線の最高速度260km/hの法則が「北海道新幹線」でも発動されるかもしれないということです。
 そして、「青函トンネル」は新幹線と在来線の共同利用で造られているので、実はすれ違いの時の風圧が問題視されています。普通の新幹線は新幹線車両しか走らないためすれ違い時の風圧対策も万全です。しかし、「青函トンネル」の区間は在来線の車両や貨物列車など、新幹線と異なる仕組み構造の車両も走り、新幹線もそれに配慮して減速しなければいけなくなりそうです。本やニュースでは最高速度の理想が結構強調されますが、実はこういう問題も出ているのでした。

 ちなみに、「瀬戸大橋」に新幹線を走らせた場合(走らせる構想はある)、こちらも騒音が問題で橋の上では最高速度が160km/hに押さえられるらしいです。

新幹線の運転士が手動でブレーキを操作するのは、時速30km/h以下のときのみ

 言い換えれば、時速30km/h以上のときは、すべて自動ブレーキです。新幹線は30km/h以上で運転する際、ATC(自動列車制御装置)と呼ばれる信号で運行速度を制御しています。この装置は一定の間隔で(大体1.5km間隔)運行区間が設定され、その区間ごとに線路上に電気信号が流れています(区間の境は絶縁されている)。そして、その真上を通過する列車に必要な信号を送る仕組みです。列車が停車駅に近付いた時や列車同士の間隔が詰まったときにATCから発せられる信号により自動ブレーキが作動し、指定された速度まで落とされるのです。実はこの技術、「東海道新幹線」が開業した今から48年も前(昭和39年(1964年)10月1日)から使われているのです(「日本」で初めて使われたのは営団地下鉄(現・東京メトロ)「日比谷線」(昭和36年(1961年))です)。

 新幹線にこのような自動ブレーキが採用されているのは、高速運転です。200km/h以上の運転では在来線でよく見る普通の信号では確実に目視できないからです。

参照↓
『多くの在来線の特急列車の最高速度が130kmk/hになっている理由』
『新幹線が200km/h以上の速度で走れる理由』


 また、「東北新幹線」の「福島駅」では「やまびこ」と「つばさ」が、「盛岡駅」では「はやて」と「こまち」が車両の分割・併合を行いますが、その際は時速30km/h以下なので、運転手の手動操作と誘導員による誘導が行われます。言い換えれば、30km/h以下での運転は緻密さの意味から手動でやったほうがいいのかもしれません。

「東海道新幹線」では「こだま」が1時間に5~6本走っていたことがある

 現在、「東海道新幹線」には1時間当たり「こだま」は2本走っています(「ひかり」は2本、「のぞみ」は9~10本)。しかし、昭和時代には1時間あたり5~6本走っていたことがありました。

 昭和39年(1964年)に「東海道新幹線」が開業した時は1時間あたり「ひかり」と「こだま」が1本ずつの運転でしたが、順調に本数を伸ばし、昭和51~60年(1976~1985年)には「ひかり」と「こだま」がそれぞれ最大5本ずつ運転されました。さらに、「東京」~「三島」間に限定すれば、昭和44~47年(1969~1972年)には「こだま」が1時間当たり6本運転されていました(「ひかり」は3本で、唯一「こだま」の本数が「ひかり」の本数を上回っていた時期でもある)。

 昭和60年(1985年)を境に「こだま」の本数は減らされていきました。大都市間の輸送において安くなってきた飛行機に対抗するために「ひかり」や「のぞみ」などの速達列車を増発したこと、高速道路の発達と車の利用者増大により「こだま」の利用者が減ったことが主な原因です。


とばっちりを受けた地方都市の中間駅
 「こだま」削減のとばっちりを受けたのが、「ひかり」や「のぞみ」があまり(もしくは全く)停まらない「静岡駅」のような地方都市の中間駅です。「こだま」全盛期の30年前には「静岡駅」のは1時間当たり最大5本の「こだま」が停まり(朝夕ラッシュは数えない)、「ひかり」はほとんど停まりませんでした。現在では1時間当たり「ひかり」1本、「こだま」が2本停まります。要するに、「静岡駅」に速達列車が停まるようになった反面、停まる列車全体の本数は半減したのです。さらに、「静岡駅」に停まる列車の割合は、「こだま」全盛期が約50%、現在が約21~23%と、こちらも半減しました(←パターンダイヤで示されている「静岡駅」に停まる1時間あたりの列車数を「東海道新幹線」内で運転される1時間当たりの全列車数から割った)。「JR東海」がいかに、大都市輸送ばっかに情熱を注いでいるかが窺い知れます。

 ちなみに、「こだま」は「ひかり」とかに比べて速さでは劣りますが、利用すれば快適な面はあります。例えば

① みんなが「ひかり」に乗りたがる分、空いているから座りやすい、座席を後ろに倒しやすい、ひじ掛けを占有しやすい。
② 所要時間が長いから、のんびり行きたい人向け
③ 「新富士」に停まるから、じっくりと「富士山」を眺めることができる


などです。

新幹線駅の待避線は、全てが1日1回は使われる

 新幹線の駅では線路が何本にも枝別れをして、多種多様な列車をさばいています。ただし、非常時用に予備として設けられた線路もあり、分岐器の操作しだいでは日常のダイヤで列車が通らなくても済む線路がでてきます。しかし、新幹線では、非常時以外で使わなくて済む線路(第2副本線とか)も毎日わざわざ使っています。その目的は、線路のサビを防ぐためです。線路は金属性のため、放置すると表面がさびますが、列車が通ると列車の車輪との擦れによってサビが落ちるのです。

 そういえば、地元の「静岡鉄道静岡清水線」(静鉄)でも、急行が無かった時代は使わなくても済む「県総合運動場」の待避線や「新静岡」の3番線を1日に数回わざわざ使っていました。

停車駅が多くても少なくても所要時間が変わらない「東海道新幹線」の「ひかり」

 鉄道は基本、停車駅が少ないほど走る区間の所要時間が短くなります(多ければその逆)。しかし、停車駅数が変わっても所要時間が変わらないことがあります。ここでは、「静岡」に停車する「東海道新幹線」の「ひかり」を例に挙げます。

 現在、「静岡」に停車する「ひかり」は、早朝と夜を除いた日中は上下線ともぴったり1時間の周期で運転されています。「東京」~「静岡」間では

「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ →  レ  → レ → レ →「静岡」
「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ →「熱海」→ レ → レ →「静岡」
「東京」→「品川」→「新横浜」→ レ → レ →「三島」→ レ →「静岡」
(上り列車は矢印の向きが逆)


と、「新横浜」~「静岡」間の駅には全く停車しない場合、もしくは「三島」か「熱海」のいずれか1駅に停まる場合があります。新幹線の場合、1駅停車すると停車しない場合と比べて全体の所要時間が4~5分延びます(停車時間が1分の場合)。しかし、現在のダイヤでは上述の場合、いずれも「東京」~「静岡」間の所要時間は、上り列車が64分、下り列車が63分に統一されています。

 この「ひかり」は、「静岡」~「新大阪」間では現在は停車駅の数が統一されているため、所要時間も全ての便で同じです。しかし、かつては「静岡」~「名古屋」間でも

「静岡」 → レ →  レ  → レ → レ →「名古屋」
「静岡」 → レ →「浜松」→ レ → レ →「名古屋」
「静岡」 → レ → レ →「豊橋」→ レ →「名古屋」
(上り列車は矢印の向きが逆)


と、3種類の停車パターンがあり、そこでも「静岡」~「名古屋」間の所要時間は統一されていました。

 この所要時間統一の試みは、「静岡」に1時間ごとに「ひかり」を停めるようになった平成元年(1989年)ごろから始まり?、「のぞみ」が登場して「静岡」停車の「ひかり」が「静岡」で「のぞみ」を待避するようになった平成5年(1993年)に定着して、現在に至っています。停車駅が少ない列車に関してはその分所要時間を短くすればいいように見えますが、それをしなかったのは、ダイヤを完全に統一するためなのです

 「静岡」などの中規模都市の駅に「ひかり」を停める前は、「東海道新幹線」のほとんどの列車は途中「名古屋」と「京都」の実に停車する「ひかり」と各駅停車の「こだま」の2種に区分されていました(「新横浜」」や「米原」に停車する例外もわずかにあった)。この停車パターンは、各駅の利用者数を計算に入れて設定していますが、停車パターンを統一させてダイヤを簡潔にする(←当時の信号システムにやさしく)、という目的もありました。年々「東海道新幹線」の運転本数が増大する中で、「停車パターンの異なる「ひかり」を入れてダイヤを複雑にしたくない!」という本音があったのです。

 このことから、「静岡」などの中規模都市の駅に停車する「ひかり」を設定した時から、ダイヤの複雑化を最小限に抑えるために、その「ひかり」の所要時間を統一させていったのです。

 所要時間を統一させる方法は、列車の速度調整です。現在、「熱海」や「三島」を通過する「ひかり」は「熱海」~「静岡」間で減速して、「熱海」や「三島」に停まる「ひかり」に所要時間を合わせています。(「浜松」、「豊橋」をも通過していた時代は、「静岡」~「豊橋」間でも減速運転をしていた)。停車駅の少ない「ひかり」で走っているときに「あれれぇ~?さっきと比べてなんだか遅いぞ~」と感じるのは、その区間で時間調整のための減速運転をしているからなのです。利用者からしたら「あっ!この「ひかり」は途中停車駅が少ないから少し速く移動できるんじゃなイカ!!」と思いますが、実際は変わらんのです。速くなっている気になっているのです。逆に、この事情を知った人の中には「どうせ所要時間が変わらないなら、「熱海」・「三島」・「豊橋」などにも毎本停めればいいじゃないか!」と言いそうですね。まあ、こういう停車パターンを撮っているのに、「各駅の利用者数に比例させる」、「利用者の振り分けをする」、「「熱海」・「三島」・「豊橋」の停車を限定することで、列車の加速減速の数が減り、その分節電になる」、などの理由が考えられますが。

 この時間統一運転は、運転本数の多い朝、日中、夕方に適用されます。一方、運転本数の少ない早朝や夜はダイヤの制約から解放されるため、各列車が思う存分に速度を挙げることが出来ます。ですので現在のダイヤでは

「東京」~「静岡」間
上り:最短で58分(日中は64分に統一)
下り:最短で55分(日中は63分に統一)

「静岡」~「名古屋」間
上り:最短で46分、52分(日中は58分に統一)
下り:最短で44分、53分(日中は58分に統一)


となっています。要は、「東海道新幹線」のダイヤにゆとりが出来るか、「ひかり」を優先するダイヤになれば今の車両性能(特に「N700系」)では、この最短時間で行き来できるということです。当分は難しいですね。

※「静岡」~「名古屋」間の最短所要時間「44分、46分」は「静岡」~「名古屋」間ノンストップの場合、「52分」は「浜松」に停車した場合、「53分」は「浜松」と「豊橋」に停車した場合の所要時間です。

「とき325号」の脱線被害が小さかった原因を地震の震源地から見る

 平成16年(2004年)10月23日に発生した「新潟県中越地震」によって「上越新幹線」の「とき325号」が脱線事故を起こしましたが、乗客乗員の死傷者が0という最小の被害で済むことが出来ました。ここまで奇跡的に被害が小さくなった原因には、以下のものがあります。

「兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)」の教訓から、高架橋を補強していた → 高架橋が崩れずに済んだ・高架橋の揺れが軽減された
脱線現場とその前後の線路が直線だった → 転覆、高架橋からの転落を免れた

近くに対向列車がいなかった → 二次被害を防げた(「上越新幹線」が過疎ダイヤであることもある意味幸いした)

乗客の数が少なかった → 結果的に被害者が出る確率が下がった

脱線した車両が高架橋の中央側に大きく脱線した → 高架橋からの転落を免れた

雪対策のため、脱線地点の路盤が砂利(バラスト)ではなくコンクリート(スラブ)だった → 面が平らなため、脱線後、スムーズに滑走できた

線路間の雪を流す溝に、大きく脱線した最後尾の車両がハマった → 車両の転覆を防いだ

脱線した車両がボディマウント構造になっている「200系」だった → 脱輪しても車輪とギアケースがレールを挟み、平らな床下機器収納箱の面がレールの上をうまく滑走する形になった


 とまあ、当時のニュースなどでこんな理由が挙げられていましたが、専門家の話では、地震の震源地と「とき325号」の脱線地点の位置関係が脱線被害を最小限にとどめた原因のひとつではないか?とも言われています。

新潟県中越地震と上越新幹線
 地震が発生した瞬間の「とき325号」と震源地の位置関係です。当時、「とき325号」は「新潟」方面に向けて最後のトンネルを出る瞬間でした。震源はその南に位置します。注目すべきは地震波の伝搬方向と「とき325号」の進行方向がほぼ同じということです。これは、「とき325号」が車両の真後ろから地震の衝撃を受け始めたことを意味し、その影響で10両編成の車両のうち後ろの方が大きく脱線しました。これが被害を最小限にとどめた原因の一つです

 ムカデ競走のとちゅうでこけた時を想像してください。後ろの人が急に止まる場合と前の人が急に止まる場合では、後ろの人が急に止まる方が全体のこけ具合(乱れっぷり)が小さいです。それは、後ろの人が急に停まると前にいる人たちは足を後ろ向きに引っ張られて動きを停められるからです(こけることには変わりありませんが)。一方、前の人が急に止まると、後ろにいる人たちが急に止まれずにどんどん押し寄せてきて将棋倒しのようになり、こけ方(乱れ方)やダメージが大きくなります。

 「とき325号」の脱線でも同じことが言えます。地震波が車両の後ろから来て後ろの車両の方が大きく脱線して、しかも一番大きく脱線した最後尾の車両が線路間の雪を流す溝にうまくハマったことにより、後ろの車両がアンカーとなって前の車両をも後ろ向きに引っ張るようにして車両全体が減速していきました。車両全体が引っ張られる形になって乱れが少なく、大きく線路から外れたり転覆したりせずに済んだのです。連結器が外れる危険もありましたが、結果的には回避されました。

 もし地震の震源が「とき325号」よりも北側(「長岡」方面)で地震波が車両の前の方から来て前の車両の方が大きく脱線したら…前の車両が勢いづいた後ろの車両にどんどん押されてつんのめり、平成10年(1998年)6月に「ドイツ」で起きた「ICE」の脱線事故(死者101人)のように車両全体が大きく脱線・転覆し、車両同士が押しつぶされていたかもしれません。

 さすがに震源位置に関しては人間にとって対策のしようが無い条件ですが、普段から行っている安全対策(耐震工事や日々のメンテナンス)と今回挙げたいくつもの神がかり的な状況+震源位置が見事に相極まって「とき325号」の脱線事故が最小限の被害で済んだのでしょう、。

かつては速度制限がされていた その2  「山陽新幹線」の場合

 「東海道新幹線」と同じく、「山陽新幹線」も開業直後は路盤安定のために一部の区間で減速運転を行っていました。「山陽新幹線」が開通したのは昭和50年(1975年)3月10日で、当時は「新大阪」~「博多」間を3時間44分で走破していました。当時は盛土の路盤が安定していなかったため、「三原」~「博多」間で減速運転がされていたのです。また、「福岡県」内のトンネル付近には「筑豊炭田」(社会の授業でやりましたね)の廃坑が縦横無尽に巡っているといわれました。その廃坑が新幹線の高速運転による振動で落盤事故が起きて地盤、山を不安定にさせないか?を確認するために、その付近を110~160 km/hに落としたこともあるそうです。

 そして、5年後の昭和55年(1980年)10月1日に減速運転が解除されて所要時間が3時間28分に短縮(16分短縮)されました。

 「東海道新幹線」では減速運転解除後は50分短縮していたのに対して「山陽新幹線」は短縮値が小さいですね。「東海道新幹線」と比べて不安定区間が少なかったのでしょうか?ただ、路盤の安定を確認するのに5年かかったのは何故でしょう?

 以後の新幹線では、開業直後の極端な減速運転はしていないようです。恐らく、「東海道・山陽新幹線」で得た?路盤の安定のノウハウを掴んだのか、コンクリートの高架橋区間が増えたからでしょう。

かつては速度制限がとられていた その1 「東海道新幹線」の場合

 「東海道新幹線」は開通間もないころは最高速度が210km/h(普段は余裕を持って200km/h)で走行し、「ひかり」は「東京」~「新大阪」間を3時間10分、「こだま」は4時間で運行していました。しかし、開通してから最初の1年目は路盤がまだ安定していない箇所が多く、しょっちゅう減速運転をしていたため、「ひかり」では4時間、「こだま」では5時間かかりました。開通1年以降は200km/h運転の可能な区間は7割以上になりましたが、開通時は3割ほどでした。これは、当時の新幹線の路盤がコンクリートの高架橋よりも盛土で構成されている区間が多かったこと、「東海道新幹線」の大部分の区間がわずか5年半という短期間で造られ路盤が安定するための時間が足りなかったことが原因です。また、初めての200km/hでの営業運転のため、肩慣らしをする目的もありました。そして開通から1年がたって、路盤が安定したのを見届けて真の200km/h運転が実現されたのです。

 ちなみに、徐行運転を組み込んだあまりに余裕のあるダイヤであったために、「東海道新幹線」開通日の1番列車(上り列車)の運転手が思わず張り切ってスピードを出し、その分「東京」付近で徐行運転を余儀なくされて(定刻通りに「東京」に到着するため)、隣を走る通勤電車に新幹線車両が追い越されるということがありました。

加速力の貢献 その2 「上越新幹線」のE2系

 「上越新幹線」の速達列車は、最高速度が下がったのに所要時間が短縮しました。これも新型車両の加速力によるものです。「上越新幹線」の「越後湯沢」を素通りする下り列車は下り坂を利用して「大清水トンネル内」~「塩沢トンネル出口」間約40 kmの大部分を275 km/h運転行い、当時は「東京」~「新潟」間を1時間40分で結んでいました。
参照↓
「上越新幹線」の車両が275 km/h運転をしていたことがある

 その後275 km/h運転は廃止され、「上越新幹線」内を走る車両は新型旧型問わずに最高速度が240 km/hに統一されました。しかし、最速列車は「東京」~「新潟」間を1時間37分と、275 km/h運転をしていたころより3分所要時間が短縮されています。

 これも加速力の向上が大きく関わっています。両者の現在の起動加速度(発進時の加速度値)が1.6km/sとほぼ互角ですが、どうして差がつくのでしょうか?

 乗り物は共通して速度が上がるにつれ、加速度値が下がっていきます。これは、速度が上がれば上がるほど空気抵抗が増大するのが大きな原因の一つです。ピンと来なければ、空気抵抗や摩擦が無くて一定の力を加えたら無限に速度が上がるという物理法則を思い出しましょう。そして、自転車を力いっぱこいでも速度が上がるほど空気抵抗が大きくなってそれ以上加速し辛くなるのを思い出しましょう。

 新型のE2系の方が、速度が上がっても相対的に高い加速度値を維持できるため、両者がトップスピードになった時にかなりの差がつきます。E2系自体、30‰の勾配を持つ「北陸新幹線」を爆走できるように、加速能力を維持することを大切にしていますからね。

 ただし、「E2系」が「上越新幹線」全線で運転されていたのは平成10年(1998年)12月~平成16年(2004年)3月の間で、現在は「高崎」より北側の線区では運転されていません(「北陸新幹線」の「あさま」が「E2系」で運転されているため、「東京」~「高崎」間では今でも見られる)。これは、「北陸新幹線」の列車と重複しない「高崎」~「新潟」の区間を走る列車の種類を減らし、ダイヤや信号システムを簡略化するために行われました。ですので、所要時間は最短で1時間40分台になっています。将来「東北新幹線」の「E5系」等の新型車両が大量生産されて「E2系」が余剰になったら、再び「上越新幹線」全線で「E2系」が走る日が戻ってくるかもしれません。

参照↓
「加速力の貢献 その1 「東海道・山陽新幹線」の「N700系」」

s-P9287854.jpg
 参考菜までに、左が「200系」、右が「E2系(1000番台)」です。「200系」は今も「上越新幹線」で現役です。「E2系」は「東北新幹線」(1000番台の方)や「北陸新幹線」で現在も活躍しています。
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