「明延鉱山」が復活する日は来るのか?

 3回にわたり紹介した「明延鉱山」ですが、閉山されたものの未だに採掘可能な鉱脈は地下に多く眠っています。今回は、これらの再採掘が行われるかを解説します。

「明延鉱山」の閉山
 「明延鉱山」の鉱脈は今まで掘られた地点よりも更に深部にわたり分布し、しかも鉱脈の幅は深部ほど幅が広くなっています。閉山当時の試算によれば、後最低5年は採掘が可能でした(閉山時の月生産量25500t×5年分)。もしそれより先に鉱脈が続いていれば、更に多くの採掘が出来ていたかもしれません(ひょっとして現在も?)。
 ところが、昭和60年(1985年)のプラザ合意後の急激な円高の影響で銅、亜鉛、スズの価格が暴落し、「明延鉱山」は大幅な赤字を計上するようになり、それが閉山への決定打となりました。まだ多くの鉱脈を残し、一度閉山した鉱山を再稼働させるのには莫大な手間がかかるということで多くの、特に現場の人々は閉山を惜しみました。しかし、経営悪化に太刀打ちするすべもなく昭和62年(1987年)3月に閉山されました。

復活の可能性は?
 多くの人に惜しまれつつ閉山された「明延鉱山」ですが、再稼働という僅かな希望は残しています。将来再稼働させられるよう、坑道内は水没させて崩落・荒廃を軽減させています。いざ再稼働するときは水抜きをすればいつでも復活はさせられるそうです(もちろん、設備の補修は相当面倒だが)。更に、鉱物種が非常に多い鉱山で、現地の噂では金が採掘されるかもしれないそうです。
 ただし、当時現役で採掘に従事していたガイドの話によると、今世紀中には再稼働されないらしいです。

 近年では「日本」近海に眠るレアメタル(希少金属)やレアアースなどの海洋開発や、廃棄物から金属を再生する都市鉱山技術が発達し、資源開発の目がそっちの方を向いています。

 さらに、山の奥深くに深い坑道を掘って採掘をするコストの高い「日本」の鉱山が、露天掘りによる大量採掘をするコストの低い外国鉱山に太刀打ちできないという、ほかの産業にもよくある事情にもさらされています。「日本」で現役バリバリの鉱山経営をしているのは、品位が普通の10倍以上もある「菱刈金山」だけということを考えても、よほど効率よく大量生産できる鉱山でないと今の「日本」国内ではこのての鉱山は採掘ができないのかもしれません。

 残念な話ですが、「明延鉱山」が再稼働するのは、これらの手段が尽きて゛非鉄金属を生産するには「明延鉱山」で採掘するしかない゛という自体になる時でしょう。それでもいつか復活する日を夢見て「明延鉱山」の歴史は坑道公開によってこれからも語り継がれるでしょう。
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鉄道の駅名と高速道路のインターチェンジ名の法則

 鉄道の駅名や高速道路のインターチェンジ名は大体が地名や名所、建物などから決められ、その地域の地名に当たる場所から少しずれた場所では方角が名前に付加されます(例えば「東室蘭駅」とか「金沢西IC」)。これらの一覧を見てみると、どうやら

鉄道の駅名:地名など→方角
高速道路のインターチェンジ名:方角→地名など
の順で表記されていることが多いようです。

駅名とインターチェンジ名
 上図はその一例です。場所は「金沢」です。このように、鉄道の駅名や高速道路のインターチェンジ名に含まれる方角が鉄道では頭、高速道路では尾についています。これらの法則は、一体どういう仕組みで成り立っているのでしょうか?

 一方、ごく一部ではこの法則と逆の表記も見られます。見た感じ、鉄道駅に関しては狭い範囲に適用される地名(特に建物や駅とか)を表記する駅では、この組み合わせがちらほらあるようです(例えば「センター北」、「新宿西口」とか)。

 ちなみに、「埼玉県さいたま市」には、「浦和駅」を基として?「東浦和駅」、「西浦和駅」、「南浦和駅」、「北浦和駅」が存在します。

地震予知の難しさをお皿や天気予報で説明してみる

 『「何日の何時何分にどこどこでどれくらいの地震が起きるか?各地域の震度、予想される津波の高さはどれくらいか?」を正確に予測出来たらどんなによいか』、と日本人のだれもが思っているでしょう。地球上で起きる地震の1割を担わされている、地震超大国の「日本」では昔から地震予知実現を目指した研究がおこなわれてきていますが、未だに成功していません。そこで、この地震の予知がどれだけ難しいのかを、グダグダつづっていきます。

地震を予知するのは、高いところから落としたお皿がどのように割れるのかを予想するくらい難しいのです
 地震の源であるプレートの運動がお皿を落とした時の衝撃と考えます。お皿を高いところから落とせば(プレートが動けば)当然割れます(地震が起きる)。これは誰の目にも明らかですが、どのように割れるか(いつどこでどれくらいの大きさの地震が起きるか)は、完璧に予想できません。

お皿の落とし方(プレートの運動の特性)による割れ方のパターンはある程度研究されています(この地域では○年周期で大地震がおきる説)。しかし、どのように割れるかまでは正しく導き出せません。

昔落として割ったお皿(過去の地震)には、修復をしても当然ひび割れの痕は残ります(活断層)。再びお皿を落とせば(地震が起きれば)、ひび割れの痕(活断層)に沿って衝撃がモロに伝わり(そこで地震が起きやすい・震度が大きくなりやすい)それに沿って割れる可能性は高いです(活断層のある場所=地震が起きやすい説の根拠)。しかし、常にひび割れの痕(活断層)に沿ってお皿が割れるとは限りません。

昔落として割ったお皿(過去の地震)は、全てのひび割れを直したつもり(観測網で活断層を探したつもり)でも、気がつかない細かいひび割れや、衝撃で目に見えない弱くなっている部分(未知の活断層)があり、そこに沿って割れる可能性もあります。




天気予報に例えると
 今の地震の研究、予知力は、例えば「30年以内に「東海地方」で大地震が起きる確率は85%で規模はM8.0~8.5である」と表現されます。これを天気予報に例えると、
「3日以内に「東京」で雨が降り、その降水確率は70%である」となります。ようするに、「おおよその期間内におおよそこれくらいの規模の地震がこれくらいの確率で起きると予想される」と言っているのです。そしてそれは外れることがあります。「東北」の太平洋側では狭い地域で数十年~百数十年に1回M7~8級の地震が○%の確率で起きると言われていましたが、広大な地域でM9.0の超巨大地震が起きました。天気予報で普段の雨の確率を予想しておいたら超大型で猛烈な台風が不意打ちで襲ってきたようなものです。
 
 完全な地震予知は天気予報に例えると、「3日後の9:35に「東京駅」で1時間辺りの降水量が9mmの雨が降る」、となります。ここまで正確に予想することは至難の業でしょう。ましてや人の目で直接見ることのできない地下は探査機械や限定的な地質調査で大まかな情報しか入りません。断片的な情報で地震の起きやすい断層の特定したり、プレートにかかる圧力からどこの部分で地震が起きるか(プレートがずれたり断層が出来たりすること)を予想することはとんでもなく難しいのです。
 
長年の地震経歴の研究や緻密な観測網を敷いても、今のところは「東海地方では30年以内にマグニチュード8クラスの地震が起きる確率が○○%」などと表現するのがやっとです。地震の前兆現象を上手く見つけられて数日以内に起きるんじゃね?と予想出来たらいい方です。地震の起こる時間と場所、規模までを細かく特定するのはまだまだずっと先の話でしょう。

地震予知のあり方
 現に、「地震予知は不可能だから、地震対策に研究主観を移すべき」という意見もあります。また、今以上に予知技術が発達しても世間がそれをすぐに受け入れるでしょうか?「数日以内に○%の確率で起こる」と予想して、何も起きなかったら地震への備えで生じた経済的打撃や日常生活の乱れを「仕方ないね」で済ますでしょうか?まして、逆に起きる確率が低い(10%とか)と予想して大地震が起きて甚大な被害が出たら…実際にイタリアの地震学者が予想を外して有罪判決を受けましたからね。天気予報みたいに日常で頻繁に起こる気象災害と違って大地震は一生に何回も経験しないものなので、いざ予想がされるとどちらに転んでも人々の衝撃は大きいでしょう。

 地震予知は実用可能かもしれないという希望もありつつ、それをどこまで求め、どう扱うかが非常に難しいものなのです。

「東北地方太平洋沖地震」 その11 過去の巨大地震がM9級だった可能性

「宝永地震」はM9規模の超巨大地震だった可能性が
 なんか、以前の記事(「東北地方(中略)その6」の記事)でさりげなく「一般にマグニチュードは値が大きいほど正確に算出しづらいので、もし現在よく使われているモーメントマグニチュードなどで計算ができたら、ひょっとしたら過去の連動型巨大地震もM9級になっているのでは?と勝手に推察」などとつぶやきましたが、そういう説が専門家の間で提唱されていました。

宝永地震はM9!? 静岡大教授が発表 2011.10.12 20:35
 東海・東南海・南海地震の震源地になるとされる南海トラフ(海溝帯)で江戸時代に起こった「宝永地震」(1707年)はマグニチュード(M)9クラスだった可能性が静岡大学防災総合センターの石川有三客員教授の研究で判明し、12日、静岡市で始まった日本地震学会で発表された。宝永地震はこれまで、M8・6で西日本最大の地震とされてきただけに、今回の研究成果は東海・東南海・南海地震対策に影響を与えそうだ。

 石川客員教授は「東日本大震災の発生により、M9地震の震度分布や、その後の余震の震度分布が明らかになったことから、宝永地震との比較が可能になった」としている。

 石川客員教授は宝永地震による震度分布と発生から1カ月間に余震が起きた地域の面積を東日本大震災と比べた。その結果、震度6だったエリアは宝永地震が590キロで東日本大震災の450キロを上回った。余震域の面積は東日本大震災の1・4倍だった。

 こうしたことから、石川客員教授は「宝永地震の規模はM9・1~9・3の大きさだった可能性が高い」としている。


 東海・東南海・南海地震をめぐっては東日本大震災後、宝永地震の震源域が日向灘沖まで広がっていた可能性が指摘されたり、大きな津波被害を起こしたとされる慶長地震(1605年)タイプと宝永地震タイプが連動した地震が発生する可能性なども新たに検討されたりしており、M9クラスの地震モデルの構築が進められている。

 しかし、石川客員教授は「従来の宝永地震だけでも東日本大震災より大きな地震だった可能性がある。新しい地震モデルを求めることより、宝永地震がどのような被害をもたらしたのか、実態を改めて調査検討し直す必要がある」としている。

 この日、石川客員教授の発表に先立ち、地震予知総合研究振興会・地震調査研究センター解析部の松浦律子部長も「東海・東南海・南海地震が3つ連動したと考えられてきたが、宝永地震に関する過去の研究や文献を精査した結果、全く別物の巨大地震だった可能性がある」とし、宝永地震を再調査する必要性を訴えた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111012/dst11101220350017-n1.htm
 


 産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の石川有三研究員は、国内で過去最大とされる江戸時代の宝永地震(1707年)が、東日本大震災のM9を上回る規模だった可能性があるとする研究成果を発表した。

 宝永地震は東海・東南海・南海の3地震が連動して同時に発生したとみられる大地震で、これまでM8・6と推定されてきた。古文書などの記録から、九州、四国沿岸から大阪湾まで津波が押し寄せ、死者は2万人を超えたとされる。

 石川研究員は、近年国内で起きた複数の大地震について、震度6弱以上を記録した領域の最大長とMとの関係を分析、算出データを基に宝永地震の規模の再評価を試みた。

 それによると、2003年の北海道十勝沖地震は震度6弱以上の領域の長さが185キロでM8、東日本大震災は領域の長さが445キロでM9。中央防災会議の資料から宝永地震は領域の長さを590キロとしてM9・3と求めた。
 また震災後1カ月間にあった余震を見ると、震度6弱以上の領域の長さが、本震の1・4倍だったことから、宝永地震の余震の領域の長さを826キロと推定。余震域の面積から地震の規模を求める計算式に当てはめて、宝永地震をM9・1と評価した。
 Mの値が0・1大きくなると地震のエネルギーは約1・4倍となる。M9・3ならエネルギーはM9の約2・7倍となる計算。

 石川研究員は「宝永地震の規模がきちんと評価されていなかったことが、M9を想定できなかった理由の一つ」と指摘した

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20111013/CK2011101302000150.htmlより

 M9.1~9.3と言えば、2004年に発生し、「インド洋」に巨大津波を発生させた「スマトラ島沖地震」と同じ規模です。また、「宝永地震」での死者数は2万人と言われていますが、当時の人口が約3000万人であることを考えれば、現在(1億3000万人)では8万7千人近くの死者がでる地震とも言えます。
 過去の巨大地震は近代的な機械で観測することはできません。そのため、過去の文献に書かれる被害記録から震度の分布を推定し、そこからマグニチュードを推算するのです。「東北地方太平洋沖地震」で初めて「日本」国内でM9級の超巨大地震が機械的に観測され、「宝永地震」の規模を見直すきっかけになりました。





「貞観地震」も「東北地方太平洋沖地震」に匹敵する可能性が

気仙沼、6000年に6回大津波 「貞観」石巻以北も到達か
小石など津波によって運ばれた堆積物を示しながら、津波の年代を推察する平川氏=気仙沼市本吉町の大谷海岸
 宮城県気仙沼市本吉町の大谷海岸が過去約6000年間で6回の大津波に襲われたことを示す地層を、北海道大の平川一臣特任教授(自然地理学)らが21日までに発見した。地層の年代測定は終わっていないが、このうち1回は貞観地震津波(869年)の可能性もあるという。貞観の痕跡は過去の研究で石巻平野が北限。年代測定で特定されれば、貞観地震は津波が三陸沿岸にも到達するほど大規模だったことになる。
 平川氏は4月、津波の痕跡高調査で大谷海岸を訪れた際、切り立った崖に津波で運ばれた海岸の石などの堆積物の層を発見した。
 湿った黒土層や泥炭層が重なる幅約7メートル、高さ約2.5メートルの範囲に、6層の津波堆積物を確認。上から5層目の下に5400年前ごろの十和田火山噴火による火山灰の層があり、火山灰の下の6層目の痕跡を約6000年前と推定した。
 見つかった土器の年代から、3層目は約2000年前の津波による堆積物と特定。津波堆積物の間の黒土層の厚さを基に、平川氏は最も上の層は1611年の慶長三陸津波、2層目は貞観地震津波と推測する。
 十和田火山は915年にも噴火しており、2層目より上にこの火山灰が確認されれば、2層目は貞観地震津波の可能性が高くなる。目視では火山灰と思われる物質があったという。
 岩手県宮古市田老の標高約17メートルの谷底でも、過去の津波堆積物を調査。まだ年代の決め手はないが、津波堆積物の一つは貞観地震津波の可能性もあるという。
 東北大などの研究では、貞観地震津波の堆積物は福島県から宮城県の石巻平野にかけて分布。石巻以北の陸上からは見つかっていない。
 この結果から研究者の間では、地震の規模が最低でもマグニチュード(M)8.3以上、震源域は宮城県沖から福島県沖の範囲とされている。仮に三陸沿岸にも津波があったとすれば震源域はより大きくなり、地震の規模も大きくなる。
 平川氏は「三陸沿岸まで貞観地震津波が届いていれば、地震の規模は東日本大震災と同じくM9程度だった可能性がある」と指摘。M9級の地震が過去にも発生した可能性があるとして、地層調査による津波の検証の必要性を訴えている。
2011年08月22日月曜日

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110822_06.htm


【科学】堆積物で探る古代の巨大津波 各地で痕跡発見の報告
産経新聞 11月3日(木)7時55分配信

 ■将来予測へ精度が課題

 海岸付近の地層の堆積物から、古代の津波を探る研究が本格化している。「想定外」だった東日本大震災の教訓を生かすため、めったに起きない巨大津波の痕跡を各地で見つけ出し、将来予測につなげるのが狙いだ。防災上の期待は大きいが、予測精度の向上など多くの課題がある。(原田成樹、小野晋史)  

 大津波が押し寄せると海底の砂や石などが陸に運ばれ、海岸付近に堆積する。静岡市で先月開かれた日本地震学会では、この津波堆積物に関する最新の研究報告が相次いだ。

 東京大地震研究所の石辺岳男特任研究員らは神奈川県の三浦半島を掘削調査し、過去約1500年の地層から津波によるとみられる堆積物を5つ発見。首都直下型の一例である関東地震との関係を探った。

 関東地震の発生間隔は、関東大震災(1923年)と元禄地震(1703年)の記録から約200年とされてきた。しかし、堆積物の分析から、元禄地震の1回前は鎌倉地震(1293年)とみられることが判明、従来説の倍の約400年間隔の可能性を示した。

 大阪市立大の岡橋久世氏(現・香港大)は三重県尾鷲市の池の底を調べ、過去約2400年で16回の津波の痕跡を発見。南海トラフ沿いで起きる巨大地震の発生間隔は100~150年とされてきたが、年代によって変動し、最長で200年間隔の時期があったことを明らかにした。

 日本は約1600年前の古墳時代から地震の記録が残っているが、時代や地域によって空白期も少なくない。有史以前の情報も得られる津波堆積物は、数百年という長い間隔で繰り返す巨大地震を知る上で、貴重な手掛かりになる。

 津波の痕跡が残りやすいのは海岸付近の穏やかな池や湿地だ。普段は泥や、草木が枯れてできる泥炭が少しずつたまり、津波のときだけ砂が運ばれるため、砂の層がサンドイッチ状に堆積する。これを抜き取り、貝の化石などを調べて砂の原因が津波か洪水かを見極める。

 堆積物の年代は、木片などに含まれる炭素の放射性同位体(炭素14)や、火山灰の分析で決める。浸水域を推定し、津波を起こした地震の断層やメカニズムをモデル化して計算することで、当時を再現していく。

 こうした手法で産業技術総合研究所は、仙台平野で過去3千年に少なくとも3回の巨大津波が来たことを数年前に報告。東日本大震災との類似性が指摘される貞観地震(869年)の“再来”に警鐘を鳴らしていたが、国の想定や防災対策には生かされなかった。

 この反省を踏まえ、中央防災会議の専門調査会は今年9月、今後の地震・津波想定で津波堆積物の研究成果を重視する方針を打ち出した。ただ、現在の手法は精度に限界がある。このため大震災の津波堆積物を調べ、精度向上に役立てる取り組みが広がっている。

 産総研の宍倉(ししくら)正展・海溝型地震履歴研究チーム長によると、大震災の津波は仙台平野の海岸から4~5キロの距離に及んだが、砂が運ばれたのは3~4キロにとどまった。宍倉氏は貞観地震の規模をマグニチュード(M)8・4と推定していたが、「明らかに過小評価だった」と話す。

 千葉工業大の後藤和久上席研究員の調べでも、砂が運ばれた距離は海岸から3キロ程度が限界で、津波の到達距離の62~76%にすぎないことが分かった。


 過去の堆積物から津波の高さを推定するのは、さらに難しい。そこで宍倉氏は、砂が運ばれた先端地点の浸水の深さを調べようとしているが、「砂を確認しやすい田んぼには、水位の痕跡が残る建物が少ない」ため容易ではない。

 高知大の岡村真教授は津波が駆け上がった遡上(そじょう)高と、砂の厚さの関係を調べている。「大震災のデータを過去の津波の遡上高推定に反映させ、南海トラフで起きる巨大地震の防災につなげたい。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111103-00000117-san-sociより



 「東北地方太平洋沖地震」は、1300年前に起きた「貞観地震」(M8.3~8.6)と巨大津波を生んだ「明治三陸地震」(M8.5)が合わさった地震と言われています。「貞観地震」(M8.3~8.6)は、津波堆積物の研究から、「東北地方太平洋沖地震」よりは規模が小さいと言われてきましたが、実は同規模かもしれません。
 記事によれば、津波の内陸への最大到達距離は、津波堆積物のそれの1.3~1.6倍だそうです。今までは津波堆積物の内陸への到達距離のみで津波の規模とマグニチュードを求めていましたが、「東北地方太平洋沖地震」の津波堆積物と津波の到達距離関係から、その事実がわかってきたのです。さらには、今まで関係ないとされていた「三陸」にも「貞観地震」の津波が届いていたらしいです(つまり、津波の範囲が広がった)。これらの情報から、「貞観地震」もまた、「東北地方太平洋沖地震」と同規模と考えられてきました。

 「東北地方太平洋沖地震」は、「宝永地震」と「貞観地震」のような歴代の巨大地震の推定規模を塗り替えるきっかけにもなっているのです。


参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて
「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震
「東北地方太平洋沖地震」 その7 M9級の超巨大地震が想定され“にくかった”理由
「東北地方太平洋沖地震」 その8 超巨大地震と巨大津波についての、最近の研究
「東北地方太平洋沖地震」 その9 地殻変動
「東北地方太平洋沖地震」 その10 超巨大地震の長周期(スーパーサイクル)説

「東北地方太平洋沖地震」 その10 超巨大地震の長周期(スーパーサイクル)説

 今までの「日本」の地震学では、大地震(M7級)や巨大地震(M8級)の周期(主にプレート境界型)は、数十年~百数十年と考えられてきました。例えば「東海地震」(M8級)は100~150年、「宮城県沖地震」(M7.5前後)は25~40年周期で発生するとされています。これは、歴史書に詳細に残っている(言い換えれば“注目されている”)地震の記録などから得られた周期です。

東日本大震災6カ月 巨大地震の謎は解明できたのか
投稿者 taked4700 日時 2011 年 9 月 11 日 18:31:54: 9XFNe/BiX575U
 世界最大級のマグニチュード(M)9.0が襲った東日本大震災。日本ではあり得ないとされた巨大地震1 件は、なぜ起きたのか。この謎を説明する「スーパーサイクル説」を東大地震研究所の佐竹健治教授が提唱、大震災に至る長期的なシナリオが浮かび上がった。東北地方では700年以上の周期で巨大地震が繰り返されていた可能性が高まっている。

 大震災の巨大地震は、東北地方が乗っている北米プレート(岩板)の下に太平洋プレートが沈み込み、両プレートの境界面が大きく滑って発生した。震源域は岩手県沖から茨城県沖の広い範囲に及び巨大なエネルギーが放出された。プレート境界は、普段はがっちりと固着してエネルギーをため込み、地盤のひずみが限界に達すると一気に滑って巨大地震を起こす。逆に言えば、地震1 件がよく起きる場所はエネルギーを小出しにして蓄積しないため、一般に巨大地震は起きないとされていた。

 今回の震源地に近い宮城県沖は、M7・5程度の海溝型地震である宮城県沖地震が頻繁に起きる場所だ。にもかかわらず、はるかに巨大なM9ものエネルギーを、どのようにため込んでいたのか。

 佐竹教授は「滑り残し」現象に着目した。宮城県沖地震では、プレート境界は完全に滑り切るのではなく、滑らずに残る部分がある。同地震は平均37年間隔で繰り返され、そのたびに滑り残しが「貯金」のように少しずつたまっていく。長い年数をかけて「満期」に達すると、全額が払い戻されるようにプレート境界全体が一気に滑り巨大地震が起きてリセットされる、というシナリオだ。

 巨大地震が繰り返されるこの長い周期を「スーパーサイクル」(超周期)と呼ぶ。つまり宮城県沖では、通常の海溝型地震と巨大地震の2つのサイクルが存在するという考え方だ。

 過去の宮城県沖地震1 件における滑り量と太平洋プレートの沈み込み速度から、貯金に相当する滑り残し量を年間2.6センチと算出。東日本大震災で実際に滑った量(17メートル)をこの数値で割ると660年で満期を迎えたとの結果が出た。

 同様の手法で、より日本海溝に近い2つの場所でも計算したところ、周期はほぼ同じ660~720年。仙台平野の巨大津波は約450~800年間隔で起きるとする地質調査の結果とも、おおむね一致した。


 今回の約700年周期は滑り残った部分がすべて固着した場合の数字で、仮に半分だけ固着した場合は1400年周期になる。自然現象の誤差も考えると、千年前後で繰り返されているようだ。

 スーパーサイクルの発想は2004年のスマトラ沖地震(M9.0)で米国研究者が最初に提案したが、日本で議論は進んでいなかった。一方、宮城県沖の滑り残し現象はこれまでも知られていたが、地震1 件を起こさずにズルズルと解消されるとみなされていた。

 佐竹教授は「巨大地震1 件は起きないと漠然と考えていたが、可能性をきちんと検討することが大事だ。宮城県沖ではM7.5の繰り返しではなく、M9を基本とする発想の転換が必要。スーパーサイクルがあれば発生確率の計算も可能になる」と話している。

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/542.html

これまで考えられてきた数十~百数十年のサイクル
地震のサイクル
 近年の地震の記録から、地域ごとに地震の発生する間隔が指定されてきました。イメージで表すと上図のように数十~数百年かけて地震の源の歪が蓄積され、地震により一気に解消されるとされてきました。つまり、いったん地震が起きればそれ以上の地震は当分起きそうにない、とも解釈されます。


最近提唱されているスーパーサイクル
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110911/dst11091109050001-p1.htmより
 近年、提唱されているスーパーサイクル説の図です。上図のように、数十~百数十年という、長い歴史からみたら短い周期の地震で蓄積された歪が全て解放されつくされずに、残り物が長年溜まり続け、その限界を超えて超巨大地震が数百年周期で発生する仕組みです。「日本」国内でも過去の津波堆積物などから超巨大地震の存在が一部の専門家によって指摘されてきました。2004年に発生した「スマトラ島沖地震」を機に世界レベルでも注目されてきた説です。ただし、「東北地方太平洋沖地震」が起きるまではそれはパラダイムでした。
 「東北太平洋沖地震」を機に「日本」国内でもこのサイクルが専門家の間で広まりました。ここ10年前後で研究されてきた津波堆積物や古文書の記録などから、「東北地方」では平均して600年前後(大体450年~800年)の間隔で超巨大地震が発生しているとされました。


地球レベルでの超巨大地震
 M9級の超巨大地震は、全世界を見ても過去100年に5~6回前後しか起こらない非常に珍しい地震と言えます。しかし、以下のとおり、発生年代に次のような傾向があります。

1952年 カムチャッカ地震(M9.0)
1957年 アリューシャン地震(M9.1)
1960年 チリ地震(M9.5)
1964年 アラスカ地震(M9.2)

2004年 スマトラ島沖地震(M9.1~9.3)
2011年 東北地方太平洋沖地震(M9.0)


 よくみると、超巨大地震の頻発期間が2つにわかれています。何か訳ありっぽいですね。

地震のサイクル - コピー
 全世界で発生した地震を全てエネルギーに変換してその蓄積の様子をグラフ化すると、大体こんな感じになるそうです(てきとーに描いたイメージ図なので、正確性は低いです)。M8級以下の地震達の描写はめんどいので、斜めで表現しました(カッコつけて言えば積分方を利用)。マグニチュードは指数関数を基準に示されるため、M9級の地震は8以下と比べてとてつもなく巨大です。そのため、こういうグラフを造るとM9級の地震が起きたとこが大きな階段状になります。つまり、M9級の超巨大地震が集中して起きる時代を広い視野でみると、ある一定の周期(40~50年周期?)でグラフが急劇に変化します。何故M9級の超巨大地震が発生しない時期と短い間隔で発生する時期があるのかは科学的にはわかっていませんが、この傾向には何かがあるのでは?と勘繰りたくなりますね。


参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて
「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震
「東北地方太平洋沖地震」 その7 M9級の超巨大地震が想定され“にくかった”理由
「東北地方太平洋沖地震」 その8 超巨大地震と巨大津波についての、最近の研究
「東北地方太平洋沖地震」 その9 地殻変動

「立山連峰」の雪渓が氷河かもしれない件について

 「日本」の秘境のひとつである「立山連峰」には、年間溶けきらずに残る、雪渓と呼ばれる雪だまりがあります。よーするに万年雪がちらほらあるのです。これらの雪渓が実は氷河である可能性がでてきました。現在の「日本」には氷河は無いとされ、極東における氷河の最南端は「ロシア」の「カムチャッカ半島」です。

富山・立山連峰に「氷河」 国内初か、1カ月30センチ移動 雪の下にある氷の塊が、日本初の氷河である可能性が高いと判明した富山県の立山連峰・雄山の御前沢雪渓=09年9月(立山カルデラ砂防博物館提供)
 富山県の北アルプス立山8 件連峰・雄山(3003メートル)の雪渓8 件で見つかった氷の塊「氷体」は、日本初の氷河である可能性が高いと、立山カルデラ砂防博物館(同県立山8 件町)の福井幸太郎学芸員が30日、都内で開かれたシンポジウムで発表した。

 8月下旬からの約1カ月間に最大で30センチ移動したという。福井学芸員は「氷河として確定するには長期間の観測が必要。今後、観測を数年間続けたい」と話した。

 福井学芸員は昨年9月、雄山の東側斜面にある御前沢雪渓を調査し、雪の下に長さ700~800メートル、幅最大200メートル、厚さ最大30メートルの氷体を発見。今年8月下旬、下の氷に達するまで雪渓の表面11カ所に穴を開けて衛星利用測位システム(GPS)の機器を設置し、氷体が移動するかを調べたところ、10月上旬までに水平距離で下流方向に6~30センチ動いた。

 さらに、10月上旬に露出していた氷体の中央部に別の機器を設置して高精度に調べたところ、5日間で3・2センチの移動を観測した。

http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010113001000577.html

 参考のために、氷河と万年雪と雪渓の定義を挙げます。

氷河
陸上に堆積した積雪とフィルンおよび氷からなる巨大な雪氷の集隗で,重力のもとで数年以上にわたり流動しているのもの


万年雪(専門用語で多年性雪渓)
雪渓が1年中、しかも数年以上にわたって溶けないもの


雪渓
高山など標高の高い場所の谷や沢の積雪が溶けずに残った地帯


 単純に考えれば、温暖←雪渓―万年雪―氷河→寒冷といえます。

 「日本」にもかつては氷河がありました。「立山連峰」をはじめとする高山に氷河地形が残っているのが証拠です。そして近年の「日本」には存在せず、雪渓や万年雪(多年性雪渓)が確認される状況でした。「立山連峰」の雪渓はかなりの年月溶けず、その1つの「内蔵助谷」の雪渓の中からは、300年ほど前の落ち葉が発見され、数百年間も積もった雪が溶けきらないとされています。ちなみに、一時期「立山連邦」にある雪渓が氷河か否か?論争になったこともあります。本当にここ最近で上述の定義のとおりに氷の塊があり、それが短期間動いていることがわかったのです。現在観測している「立山連峰」の「御前沢雪渓」が氷河であると完全に認定するには、これから数年間氷の塊が流動し続けていることを確認する必要があるそうです。

「東北地方太平洋沖地震」 その9 地殻変動

 「東北地方太平洋沖地震」は、地震の規模を示すマグニチュード値が9.0と、莫大な規模でした。マグニチュードが大きい地震ほど「震源域が広い」∩「プレートのすべり量が大きい(地殻変動がすさまじい)」ものです。今回は、地殻変動について解説します。

 地震の規模が甚大なだけあって、プレートのすべり量とそれによる地殻変動も史上最大級のものとなりました。

 国土地理院の分析によると、最大で「宮城県石巻市」の基準点が南東へ5.3mも動きました。東北の日本海側は約1m南東へ地殻変動しているため、差し引きで東日本一帯が約4m広がったことになります。震源域の真っただ中である「太平洋」沖は変動がさらに甚大で、正式に記録された水平変移量は24m~31mにおよびます。また、探査船「かいれい」による速報値では、陸側のプレートが最大で50~60m滑り、隆起量も7mあったそうです。隆起量に関しては津波の規模から10mあったのでは?という見方もあります(ちなみに、今まで想定されていたM8級の巨大地震でさえ、すべり量は5~10m、隆起量は1~3mです)。

 「東北地方太平洋沖地震」では、陸側のプレートが地震の規模以上に滑り過ぎ(「ダイナミックオーバーシュート」といいます)、変動量が理論値を超えて大きくなったとも言われています。それは、規模が一回り大きい「スマトラ島沖地震」(M9.1~9.3)よりも大きく、津波を巨大化させた一因だったそうです。

 この莫大な地殻変動は陸地にも影響を与えました。地震発生時に、「東北」の沿岸では「牡鹿半島」の1.2mを最大に、1m前後の地盤沈下が発生し、後に押し寄せる巨大津波の被害を一層拡大させました。地盤沈下の著しい場所は今でも大潮のときには浸水し、地形図を書き換えなければいけない惨状です(被災地に配慮して、地形図の書き換えは当分行わないそうです)。

 今回の地震の型であるプレート境界型地震は、震源域はほとんどが海底になります。現にこの地震はすべての震源域が海底でした。本来この様な地震では、地殻変動の影響は陸地までには影響が及ばないはずです。現に「東北」で起きた過去の大地震・巨大地震ではここまでの地盤への影響の記録は残っていません。今回の地震は、地殻変動がの範囲と規模が大きすぎたが故にそのしわ寄せが陸地にまでおよんだのです。



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http://www.gsi.go.jp/cais/topic110313-index.htmlより1
 プレート境界型地震で起きる地殻変動を断面で示したものです。海洋プレートの沈み込みに反発して跳ね上がった大陸プレートの先端部(すなわちプレート境界、海溝付近)は、跳ね上がりの影響で隆起し、その反動でプレート境界(海溝)から離れた場所は沈降します。それが今回は「東北」沿岸になったのです。

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http://www.gsi.go.jp/cais/topic110313-index.htmlより
 2つの図のうち上側の図は平面上の地殻変動、下側の図は上下方向の地殻変動を示します。震源域、さらにいえばプレート境界(海溝)に近い場所ほどその変動が大きくなっています。


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http://www.gsi.go.jp/cais/topic110314.2-index.htmlより
 プレート境界(海溝)に近い海底部では、地殻変動の量がさらに大きくなっています。20mを超える変動の範囲が少なくとも100km四方におよんでいます。

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http://www.gsi.go.jp/cais/topic110314.2-index.htmlより
 隆起と沈下の規模と範囲を示した図です。沈下範囲の一部が「東北」の沿岸にかぶり、陸地にも影響が出ました。

複雑怪奇な地震
 一般に海溝型地震といえば、「引きずり込まれたプレートがびょーん!と跳ね上がる」、「跳ね上がる場所は地震1つにつき1か所」、というイメージがあります。
 しかし、この地震は、1つの断層が破壊された単純なものでなく、少なくとも3つの断層が今まで想定されていた6つの震源域をまたいで動きました。はじめは「岩手県」~「宮城県」沖合、次にそのさらに沖合、最後に「茨城県」沖合の順に揺れの範囲が南下してきました。これらの3つの揺れがわずかな時間差でほぼ連続的に発生したため、全体で6分間も揺れが続きました。
 また、断面からみてもプレートの破壊(跳ね上がり)は、

① 発生から3秒間は浅い(約25km)海溝側で緩やかな初期破壊。
② 40秒かけて深部(約40kmまで)に破壊が伝播し、短周期の地震波により陸上の激しい揺れをもたらす。
③ 続いて発生60-75秒後にかけて浅い海溝付近でダイナミックオーバーシュート(dynamic overshoot、動的過剰滑り)により長周期の地震波と大規模な津波を発生。
④ その後、再び深部へ破壊が伝播し、発生90秒後にかけて短周期の地震波により再度陸上の激しい揺れをもたらす。大きな破壊は100秒後までに止む。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E5.9C.B0.E9.9C.87.E3.81.AE.E7.89.B9.E5.BE.B4.E3.81.A8.E7.99.BA.E7.94.9F.E3.83.A1.E3.82.AB.E3.83.8B.E3.82.BA.E3.83.A0より

 深部と浅部を往復して起きていました。専門家によると、このような複雑な起こり方は極めてまれで、気象庁では初めての観測だったそうです。つまり、「東北地方太平洋沖地震」の仕組みはまだ分からないことが多いようです、まあ、過去数百年~千数百年の範囲で見ればこのような連動型巨大・超巨大地震は起きていたでしょうが、機械的観測がおこなわれた近代日本では初めての例となり、地震がさらに複雑怪奇なものであるのかが解明されそうです。


参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて
「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震
「東北地方太平洋沖地震」 その7 M9級の超巨大地震が想定され“にくかった”理由
「東北地方太平洋沖地震」 その8 超巨大地震と巨大津波についての、最近の研究

「東北地方太平洋沖地震」 その8 超巨大地震と巨大津波についての、最近の研究

 前回と前々回の記事で、「東北地方」と「東海~南海地域」で過去に起こった連動型の超巨大地震・巨大津波を発生させる地震について述べました。これらの地震は、最近の研究で「東北地方」などでも起こりえることがわかってきました。今回は、「東北地方」で過去に起こった、そして今後起こりえる連動型の超巨大地震・巨大津波を発生させる地震の、ここ数年の研究状況を、以下のサイトの記事から引用します。これらの研究は「東北地方太平洋沖地震」が起こる10年近く前にすでに進められていました。
参照サイト↓
「いま読む 震災前の警告」のニュース一覧



【いま読む震災前の警告】2009年07月27日 産経新聞 東京朝刊

■1000年間隔で襲う津波  被害軽減へ対策急務

 東北地方の太平洋沖で起こる海溝型地震は、しばしば甚大な津波被害を及ぼしてきた。近年の津波被害の多くは岩手県を中心とした三陸海岸で起きているが、平安時代の歴史書「三代実録」には、宮城県・仙台平野を襲った大津波の記述がある。869(貞観11)年の貞観津波だ。東北大学や産業技術総合研究所(産総研)の調査研究で、仙台平野の内陸部に達する巨大津波は、約1000年ごとに起きていることが分かった。貞観津波からはすでに1100年以上が経過しており、巨大津波を想定した地震対策が求められる。(中本哲也)

 ≪浪分神社≫

 『陸奥国地大震動 流光如昼隠映 頃之 人民叫呼 伏不能起…』 

 三代実録には、貞観津波による被害の様子が詳しく記されている。

 大きな揺れと発光現象。人々は立つこともできずに叫び、城郭や倉庫の崩落、倒壊は数知れず。城下を襲った津波で原野と道路が海のようになり、溺死者は約1000人に達した-と被害のすさまじさを物語る。

 仙台市若林区の陸上自衛隊霞目駐屯地のすぐ近くには「浪分神社」という小さな神社がある。東北大学理学研究科博士研究員の菅原大助さんによると、貞観津波の直後に建てられた神社で、現在の海岸線から約5キロ離れたこの付近(当時は海岸線が今より1km内陸寄りだったため、実際は約4km)まで、津波が到達したと伝えられる。
 菅原さんらは、浪分神社から海岸寄りの水田地帯で地質調査を行い、津波堆積(たいせき)物の分布を調べた。その結果、915年の十和田湖噴火で積もった火山灰の直下に、貞観津波で海から運ばれた砂の層が確認された。津波堆積物の到達ラインは現在の海岸線から約3キロ。津波は、当時の海岸線から少なくとも2・5キロは内陸に遡上したと推定される。

 ≪波高10メートル≫

 地質調査などに基づき、東北大災害制御研究センターの今村文彦教授らはコンピューターによるシミュレーションで貞観津波を再現した。

 海岸線での津波の高さは高い所で10メートルを超える。菅原さんは「三陸のように複雑に入り組んだ海岸線でなくても、大規模な津波は起きる」と警鐘を鳴らす。
 産総研でも、仙台平野と石巻平野で東北大と同様の津波堆積物調査を行った。貞観津波の実態解明と、それ以前の津波履歴を探るためだ。東北大の調査では、貞観より古い(深い)地層に2層の津波堆積物があった。産総研でも3~4層の津波の痕跡を見つけており、いずれも「およそ1000年間隔で、貞観タイプの巨大津波が発生した」と結論づけた。
発生周期からは、貞観以来となる仙台平野の巨大津波は「いつ起きてもおかしくない状況」にあると考えられる。


 ≪減災に貢献≫

 宮城県沖では、平均37年ほどの短い間隔でマグニチュード(M)7・4前後の海溝型地震が発生する。30年以内の発生確率が99%とされる宮城県沖地震だ。

 貞観タイプの震源断層は、一般的な宮城県沖地震よりも日本海溝に近い深海底に潜んでいると考えられる。「水深が深いほど、持ち上げられる海水の量が増えるので、海岸に押し寄せる津波は巨大化する」と、菅原さんは説明する。

 深海底の断層は直接調査が難しい。震源断層の規模や位置の推定精度には限界もあるが、菅原さんは「陸上での調査研究を進めることで、被害軽減につなげたい」と話す。産総研は、今後の防災対策に役立てるため、調査結果に基づく津波浸水履歴図を公表する方針だ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/507840/より。




【いま読む震災前の警告】2005年07月25日 産経新聞 東京朝刊

■東北・「明治三陸地震」型 北海道・500年間隔地震

■宮城県沖→連動型なら10メートル超も


 北海道、東北の太平洋沿岸を、インド洋大津波に匹敵する高さ20メートル前後の大津波が襲う可能性がある。中央防災会議(会長・小泉純一郎首相)の専門調査会は先月、千島海溝・日本海溝周辺で起こる海溝型地震による震度と津波の高さの検討結果を公表した。特に大きな津波を起こす恐れがあるのは、東北沖の「明治三陸地震」型と北海道沖の「500年間隔地震」だ。(中本哲也)

 北海道・東北地方の太平洋沖では、千島海溝・日本海溝を境に、海側の太平洋プレート(岩板)が陸側の北米プレートの下に沈み込んでいる。沈み込みの速さは1年間に8-9センチ、地球上のプレート境界の中でも最も速く、マグニチュード(M)8級の巨大地震と津波が繰り返し発生することが知られている。

                   ◇ 

 1896(明治29)年の明治三陸地震は、この海域で起こる海溝型地震の中でも特異なタイプのものだった。地震による揺れは震度3程度だったが、日本の災害史上でも最大級の津波を起こしたのだ。三陸沿岸は津波の多発地帯だが、揺れが小さかったために住民が警戒心を解いたところに、大津波が襲ってきた。

 岩手、宮城、青森、北海道で津波による死者は計2万2000人にものぼり、家屋の流出、全半壊は1万棟を超えた。岩手県綾里(りょうり)村(現大船渡市三陸町綾里)では、リアス式海岸の湾奥から駆け上がった津波が、高さ38・2メートルの小高い場所まで達した。

 揺れは大きくないのに、大きな津波を起こす地震は「津波地震」と呼ばれる。震源の断層がゆっくりと大きく動いたと考えられる。インド洋大津波を起こしたスマトラ島沖の地震にも、同じような特徴がみられた。

 「地震があったら津波に用心」。綾里湾の防波堤には、当時の教訓を伝える標識が設置されている。

 中央防災会議の専門調査会は、明治三陸地震と同タイプ
の地震が起きると、三陸海岸のほぼ全域で海岸線での津波の高さが5メートルを超え、岩手県宮古市や大船渡市では20メートル以上になると推計している。
津波の到達までには25分程度はかかる見込みなので、揺れの大小にかかわらず「すぐに避難する」という意識が重要だ。

                   ◇ 

 北海道の太平洋側も地震多発地帯として知られるが、「500年間隔地震」が注目されるようになったのは最近のことだ。このタイプの地震が最後に起きたのは17世紀初めごろと推定されているが、人による記録は残っていない。

 北海道沿岸地域の地層調査で、津波による堆積物が何層もあることが、近年の調査でわかった。過去6500年の地層の中に10数回の津波の痕跡があり、平均すると約500年に1回、大津波が襲来していることを示しているという。

 「500年に1度」というと、現実的な危機感を持ち難いかもしれないが、前回の発生からすでに約400年が経過している。発生間隔には幅があることを考慮すれば、次の発生を警戒すべき時期を迎えているといえる。

 予想される津波の高さは、えりも町や広尾町、釧路町などで15メートル以上。津波堆積物は海岸線から数キロ離れた内陸でも確認されている。

                   ◇

 30年以内の発生確率が99%とされる宮城県沖地震でも、津波に対する警戒が必要だ。前回、1978(昭和53)年の宮城県沖地震(M7・4)では、ブロック塀の倒壊などで28人が死亡したが、津波被害はなかった。しかし、1793年には牡鹿半島東方沖の震源域と、さらに沖に位置する別の震源域が連動し、M8・2の大地震が発生している。

 専門調査会は、連動型の場合は、大船渡市で10メートル以上、岩手、宮城両県の沿岸で5メートル以上の津波が押し寄せると推計している。「震源は宮城県沖」と聞いて、「前回は津波がなかったから今回も大丈夫」と、経験だけで判断するのは危険だ。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/507841/より。

 もはや、「東北地方太平洋沖地震」の預言書ともいえる内容です。これらの研究も、5~10年前にかなり認識されつつはあります。しかし、連動型超巨大地震や巨大津波を発生させる地震(特に「東北地方」)は、歴史的資料が少なく(連動型なのか?複数の地震がそれぞれ別個に起こったのか?を証明しづらい)、それらの周期や特性を研究する途上にありました。そして、連動型超巨大地震や巨大津波を発生させる地震は、専門家の間で認識はされつつあってもその分野全体に、そして一般人や行政にその感覚が広く浸透するまでにはまだ時間がかかったのです。他にもこのサイトでは、「東海~南海」における連動型超巨大地震についても触れています。

参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて
「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震
「東北地方太平洋沖地震」 その7 M9級の超巨大地震が想定され“にくかった”理由

「東北地方太平洋沖地震」 その7 M9級の超巨大地震が想定され“にくかった”理由

 「東北地方太平洋沖地震」は、M9.0の超巨大な地震になりましたが、この規模の地震は「日本」ではあまり想定されず、一般人にはほとんど実感がわいてきませんでした。「日本」国内で起こり得る巨大地震と言えばM8.0級で最大でも8.5と、「東北地方太平洋沖地震」の1/5~1/30のものとされていました。何故「日本」ではM9級の超巨大地震があまり想定されていなかったのか?その理由を挙げます。


「日本国内」においては正式記録が非常に少ない
 地震は巨大なもの(Mが大きいもの)ほど起こる回数が少ないものです。したがって、M9級の超巨大地震は、全世界をみても過去100年間で5回ほどしか確認されていません。以下に記すのが、過去に起きたM9級の地震です。

カスケード地震(M8.7~9.2、1700年)
アリカ地震(M9.0~9.1、1868年)
カムチャツカ地震(Mw9.0、1952年)
チリ地震(Mw9.5、1960年)
アラスカ地震(Mw9.2、1964年)
スマトラ島沖地震(Mw9.1~9.3、2004年)
東北地方太平洋沖地震(Mw9.0、2011年)


 ここで注目すべきは、「日本」では今までM9.0級の超巨大地震が正式に観測されたことがなかった点です。以下に、「日本」で過去に起きた、もしくは想定されている巨大地震を挙げます。

三陸沖地震(多くの場合M8以上、869年の貞観地震はM8.3~8.6、1896年の地震はMw8.5、1933年の地震はMw8.4・Mj8.1、1968年の三陸沖北部地震はMw8.3・Mj7.9)
南海地震(多くの場合M8以上、1361年の地震はM8.4、1946年の昭和南海地震はMw8.1・Mj8.0)
関東地震(M8前後を想定、1703年の元禄大地震はM8.1、1923年の地震〈関東大震災〉はMw7.9)
東海・南海・東南海連動型地震(1707年の宝永地震はM8.4~8.7)
東海地震(M8前後を想定、1854年の安政東海地震はM8.4)
濃尾地震(Mw8.0、1891年)
喜界島地震(Mj8.0、1911年)
東南海地震(多くの場合M8以上、1944年の昭和東南海地震はMw8.1・Mj7.9)
十勝沖地震(M8前後、1952年の地震はMj8.2、2003年の地震はMw8.3・Mj8.0)

※Mwは「モーメントマグニチュード」、Mjは「気象庁マグニチュード」です

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87より


 これによると、M8.5級の巨大地震は、数十年~100年に一度起きるまれな地震で、それを超えるものと言えば平安時代に起きたM8.3~8.6の「貞観地震」(貞観11年5月26日(869年7月13日)発生)やM8.4~8.7の「宝永地震」(宝永4年10月4日(1707年10月28日)発生)など、数えるほどのようです。(ただし、当時の地震を今の技術で生で解析できていたら、9.0になることもあるかも(「貞観地震」や「宝永地震」は震源域がとてつもなく広いので))。要は、数百年に一度・今まで確認されなかった超巨大地震よりも、数十年~百数十年周期で起こるM8級の巨大地震の方が今を生きる我らには現実的で注目しやすかったともいえます。

M9級の超巨大地震は起こりにくい環境と考えられていた
 上で述べた歴史的傾向もそうですが、「日本」とその近海で超巨大地震が起こりにくい理由も科学的に考えられてきました。それには、海洋プレートの、大陸プレートへの沈み込みの角度が関係しています。海洋プレートの沈み込みの傾斜(角度)が急なものが「マリアナ型」、浅いものが「チリ型」と言われます(←モデルになっている「マリアナ海溝」は、海洋プレートの沈み込みの傾斜が急だから水深が深い)。


「マリアナ型」(←「日本」近海)
海洋プレートの沈み込み角度が大きい

海洋プレートが比較的なめらかに大陸プレートの下に沈み込む

地震の源となるひずみが溜まりにくい

比較的小さめ(とはいってもM7~8級だが)の地震が小出しで起きやすい



「チリ型」(←「チリ」近海)
海洋プレートの沈み込み角度が小さい

「マリアナ型」と比べて、海洋プレートがに大陸プレートにひっかかりながら沈み込む

地震の源となるひずみがたくさん溜まりやすい

超巨大地震(M9級)が起きやすい


 海洋プレートは大陸プレートと衝突し、擦れつつ下に沈み込みます。沈み込みの傾斜が急だとその摩擦が小さくなめらかに沈み込みます。そのためひずみが溜まりにくく地震のエネルギーが溜まりにくいのです。傾斜が浅いとその逆になります。「日本」近海の海洋プレートは多少急傾斜で沈み込むらしいです。そのため、より傾斜が浅い「チリ」近海のように超巨大地震が起こりにくい環境ではないか?と言われていました。
 しかし、よく考えてみれば、「日本列島」は過去も今も「付加体」とよばれるプレート同士の衝突で剥ぎ取られる地質体が、プレート境界で造られています。「付加体」は、海洋プレートの沈み込みの傾斜がある程度浅い=摩擦がある程度ある場所で造られるらしいです。つまり、「日本列島」でも「チリ型」の性格をはらんだプレート境界がうじゃうじゃあると言えるネタはあるのです。

 以下の新聞記事(以下の、黒色・赤色文字)には、地震のエネルギー放出とプレートのすべりの関係について記述されています。

数百年分のエネルギー放出 国土地理院がGPSデータ解析
産経新聞 6月16日(木)2時4分配信

 東日本大震災の巨大地震では、過去数百年にわたってプレート(岩板)境界に蓄積されたひずみエネルギーが放出されたことを、国土地理院の研究チームがGPS(衛星利用測位システム)による地殻変動データの解析で示し、16日付の英科学誌「ネイチャー」に発表した。

 研究チームは、マグニチュード(M)9.0の本震とその後の余震による地面の変動を、GPSの観測データをもとに解析。その結果、本震でプレート境界が大きくすべった範囲(震源域)は、日本海溝寄りの領域を中心に南北400キロに及び、すべり量は最大で27メートルだった。

 東北地方の太平洋沖では、太平洋プレートが北米プレートの下に年間7.3~7.8センチの割合で沈み込んでいる。この領域では数十年から100年程度の周期でM7~8クラスの地震が発生するが、これらを足し合わせても沈み込みで蓄積されるエネルギーの10~20%しか放出されないことが知られていた。
 研究チームの今給黎(いまきいれ)哲郎・地理地殻活動総括研究官は「残りの80~90%は、プレート境界が常時すべることで解放されているという考えが、大震災前は主流だった。実際には日本海溝寄りにエネルギーをため込む領域が存在し、今回の大震災では数百年分が一気に解放された」と説明。また、海底のGPS観測網を充実させれば、他の海溝系でも巨大地震の発生可能性などの評価に役立つとしている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110616-00000503-san-sociより

 今までの情報と絡めて要約すると、地震エネルギーの大半は「マリアナ型」の特性で滑らかに穏やかに消費されていると考えられていたけど、数百年~1000年周期で密かに蓄積したエネルギーが一気に開放されることがあるらしいです。それが、「東北地方太平洋沖地震」となって「貞観地震」や室町時代に起きたといわれる超巨大地震以来の規模になったのだそうです。

参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて
「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震

「東北地方太平洋沖地震」 その6 過去に起きた連動型超巨大地震

 今回の「東北地方太平洋沖地震」は4つ以上の想定震源域が同時に動いた超巨大連動型地震となり、1300年前に起きた「貞観地震」の再来ともいわれました。しかし、過去の「日本」では「東北地方太平洋沖地震」に匹敵する、それに準ずる規模の連動型超巨大地震が何回か起きていました。今回は、「関東」より西側の地域に目を向けてみます。

東海・東南海・南海地震
 「東海・東南海・南海地震」の想定震源域を、「東北地方太平洋沖地震」と「貞観地震」の震源域とともに載せてみました。「日本」で最も注目されている地震の一つが、「太平洋ベルト」沿いで100~150年周期で起こるこの3つの地震です。Mは8.0~8.5の巨大地震で、規模は「東北地方太平洋沖地震」の1/10~1/30です(とはいっても相当巨大な地震ではあります)。これらの地震が、この数十年間の研究で想定されていた規模の、「日本」で起こりえる最大級の巨大地震です。最後の地震が起きてから「東海地震」の震源域ではすでに157年がたち、相当なひずみが溜まっていると言われています。「東南海地震」は最後に起きてから66年、「南海地震」は64年しかたっていませんが、地震の規模が比較的小さかった(とはいっても被害は甚大です)ため、解放されなかったひずみが残っている=近いうちにまた巨大地震が起こるのでは?と言われています。
 というのが、ここ数十年で「日本」で最も一般に広まっている“これから起こりえる想定された巨大地震”です。

宝永地震
 しかし、上で挙げた3つの想定震源域が連動して動いた超巨大地震が過去に起きています。その1つが300年前の元禄時代に起きた「宝永地震」です。Mは8.4~8.7で、動いた震源域は500kmとも700kmともいわれています。「東北地方太平洋沖地震」が起こるまでは、公式で考えられる「日本」史上最大の地震でもありました。この地震の49日後に「富士山」が大爆発を起こしました(宝永の大噴火)。この噴火は、「宝永地震」に刺激されて起こったと言われています。ちなみに、この噴火で「富士山」の山腹に「宝永火口」(「東海道新幹線」の車窓から「富士山」をみると、山腹の右側に見えるすり鉢状の大穴ですよ)ができました。

安政東海・南海地震
 さらに、幕末の黒船が来航した翌年の安政元年(1854年)12月23日に、「東海」と「東南海」の2震源域を連動型巨大地震が、その32時間後に「南海」を震源域とした巨大地震が起こりました。この2つの地震は短時間で連続して起きたため、連動型の超巨大地震ともいえます。


東海・東南海・南海地震の歴史
 地震関連の本や雑誌「Newton」などによくでている、「東海・東南海・南海地域」で過去に起こった巨大地震の年表です。これをみると、100~150年周期で巨大地震が、中には想定震源域を複数巻き込んだ連動型の地震もよく起きていることがわかります。近代的な観測機器のなかった昔の地震のマグニチュードは、過去の断層のトレンチ調査、古文書に書かれた家の倒壊範囲などから推定した揺れの範囲、津波の高さと被害状況などから導き出します。これらの地震のマグニチュードは8.0~8.5が大半で「東北地方太平洋沖地震」より規模は小さいですが、震源の範囲は非常に広く、揺れによる被害や津波の巨大化を促進します(一般にマグニチュードは値が大きいほど正確に算出しづらいので、もし現在よく使われているモーメントマグニチュードなどで計算ができたら、ひょっとしたらこれらの地震もM9級になっているのでは?と勝手に推察)。


 また、最近の研究で「四国沖」を震源とする?M9級の超巨大地震が2000年前に起きていたのでは?と言われています。それについて以下の記事に書かれています。↓

M9級・超巨大地震!2000年前、巨大津波か
   高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、  
  厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。  
   
   高さ10メートル超となった東日本大震災の津波でも、堆積物の厚さは5~7センチ程度。  
  専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると  
  指摘している。  
   
   駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、  
  東日本大震災のような巨大地震が300~350年周期で起き、大きな津波も発生している。  
   
   今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある  
  蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日本大震災以前では、最大級とされる  
  宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの  
  寺を襲った津波は高さ25メートルだったことが分かっている。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00737.htmより

 また、近年の津波堆積物の研究で、「東北地方」のほうでも「貞観地震」を含め内陸3~4kmまで巨大津波が押し寄せるような地震が2050年前と3000年前にも起きていたそうです。今までのハザードマップでは津波の想定新水域は内陸1km前後までと想定されていましたが、少なくとも1000年に1度は「東北地方太平洋沖地震」のような巨大地震と津波が起きていたのです。


最悪の連動型
 最後に起こりえる最悪規模の連動型超巨大地震の図を載せます。これは「駿河湾」から「南西諸島」にかけて一気に連動して動いた場合の、想定震源域です(雑誌「Newton」に掲載されていた図を参照)。震源域の全長は1000数百kmで、M9.1~9.3の「スマトラ島沖地震」(震源域の全長が1000~1600km)や史上最大のM9.5を記録した「チリ地震」(震源域の全長が800km以上?)に匹敵します。地球上で起こると考えられる最大の地震が「日本」で起きるとこれだけの範囲がずれるということです。


参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて

「東北地方太平洋沖地震」 その5 「貞観地震」との関連ついて

 「東北地方太平洋沖地震」は、非常に広範囲でプレートのひずみが解放されたために超巨大地震となりました。今回の規模は、想定されていた規模をはるかに上回った、複数の震源域の連動による地震ですが、過去にも稀にこのタイプの超巨大地震は起きていました。その代表的存在が貞観11年5月26日(869年7月9日)に「東北地方」で発生した「貞観地震」(M=8.3~8.6)です。この史実から、「東北地方太平洋沖地震」は『「貞観地震」の再来』とか『1000年に一度の地震』と報じられました。今回は、「貞観地震」に話を置いてみます。

「貞観地震」と「東北地方太平洋沖地震」について
untitled.png
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_soc_jishin-higashinihon20110313j-03-w380
 今までの研究、地震の歴史的傾向から想定され、区分分けされた震源域が以下の番号で表わされています。「太平洋側」、特に「東北地方」沿岸では数十年に1度(中には30年に一度)の間隔でM7~8の地震が起こるといわれています。今までの想定では、それらの地震は上図の各震源域で別個に起こるとされてきました。今回の「東北地方太平洋沖地震」は、これらの震源域をまたいでほぼ同時に発生したのです。少なくとも4つの震源域(③~⑥、もしかしたら②も含まれるかもしれない)が3段階に分けて動きました。動いた範囲が著しく広いため、M9.0という超巨大な規模になったのです。


貞観地震
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110327k0000m040036000c.html
 上図は、「貞観地震」の推定震源域です。推定されるマグニチュードは8.3~8.6で、震源域は長さ約200Km、幅約100㎞といわれています。これは、上図に載っている「明治宮城県沖地震」や33年前に発生した「宮城県沖地震」のような、各個別の震源域で起こる地震をはるかに上回る規模です。ようするに、想定された震源域を越えて複数の震源域が連動した地震です。震源域が広大だったため、津波の被害が甚大だったそうです。今の「仙台」付近では、当時は海岸線より3~4㎞内陸までが津波で水没したそうです。

158.png
http://mainichi.jp/select/science/news/20110419k0000e040066000c.htmlより
 津波を引き起こす原因と思われる、各地震の地殻変動域です。1つ上の震源域の図と範囲が異なりますが、恐らくこれは、津波に影響を起こす地殻変動の場所のみ(震源域全体ではない)を示しているからでしょう。「貞観地震」の、津波を起こす原因となった地殻変動の範囲は、最大溯上高38.2m(「東北地方太平洋沖地震」が起こるまでは、観測された中で「日本」で最も高い津波)を記録した津波を引き起こした「明治三陸地震」とほぼ同じです。「東北地方太平洋沖地震」の地殻変動の範囲は、これをはるかに上回っているようです。

「貞観地震」の研究成果を防災に生かす途上で

 最近の10年で、複数のプレートが連動したといわれる「貞観地震」の研究がおこなわれています。この研究を「東北地方」で起きる超巨大地震(「東海」~「南海」にかけて連動する「宝永地震」のような)の防災対策に生かそうとした出来事が以下の記事(以下の赤・黒文字)に綴られています。


「研究成果を生かせなかった…」貞観地震の研究者

 2011.3.28 19:28
 「貞観地震の再来だ」。東日本大震災が起きた今月11日、超巨大地震のデータを目の当たりにした産業技術総合研究所の宍倉正展さんは「背筋が凍りつくような恐ろしさを感じた」と振り返る。
産業技術総合研究所の宍倉正展さんらは宮城、福島両県のボーリング調査などから、869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波の実態を解明し、「いつ、再来してもおかしくない」と警鐘を鳴らしていた。だが、日本の災害史上最大規模の地震・津波は、研究成果を防災に生かそうとする途上で襲ってきた。

「なぜ今、起きてしまったのか。1千年単位の長い周期のうち、たった数年待ってくれれば、防災対策を立てられたのに…」

 産総研で海溝型地震歴研究チームを率いる宍倉さんは、声をつまらせる。

 貞観地震の研究に着手したのは平成16年。宮城、福島県の沿岸の地層をボーリング調査で解析し、貞観地震の津波が運んだ砂の層の分布から津波の到達域を特定。太平洋沖を震源とする巨大海溝型地震が、大規模な津波を起こしたことを突き止めた。

 岩手県や茨城県ではボーリング調査による津波堆積物の特定が難しく、海水は砂層よりも内陸まで到達していたはずだ。「それを考慮すると、貞観地震の規模はマグニチュード(M)8・3より大きい」と推定。ボーリング調査では、東北地方は500~1千年の間隔で、繰り返し巨大津波に襲われていることも判明した。

直近の巨大津波は、貞観か室町時代(14~16世紀ごろ)で、「いずれにしても、(500年~1000年周期の(超)巨大地震は)いつ起きてもおかしくない状態にある」と結論づけていた。

 「防災に生かさなくてはいけない」


 政府の地震調査研究推進本部に報告した成果は「海溝型地震の長期評価」に盛り込まれ、4月にも公表されるはずだった。推進本部は今年に入ってから大きな被害が予想される自治体に赴き、貞観地震再来の危険性を説明。しかし、自治体の防災担当者は「そんな長い間隔の地震は、対策を練っても仕方がない」と、鈍い反応だったという。

 「研究者自身が説明しなくてはだめだ」。宍倉さんは今月23日に、福島県の防災担当者に直接説明する予定だった。「絶対に、対策の必要性を理解してもらわなければ」と意気込んでいた矢先の3・11-。

 研究成果を防災に生かせなかったことが無念でならない。「1千年スケールの災害が起こり得ることを、行政の人たちも分かったと思う。同じ思いはもうしたくない」と、宍倉さんは声を振り絞った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032819290055-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032819290055-n2.htmhttp://より。

 「東海」~「四国」沖は過去に「宝永地震」をはじめとして広範囲でプレートが連動して起こる超巨大地震の記録がありますが、「東北」の方ではそれが乏しかったのです。上述のように、津波の痕跡から津波の規模を測り、それから超巨大地震の起きた年と規模を僅かな記録から導いたのです。

 今までは「数十年~100数十年に一度M7~8級の大(巨大)地震が指定された区域で周期的に起こる」という声が大きく、それに対応した準備が進められてきました。「500~1000年に一度の周期で大津波を伴う(超)巨大地震が(今の)指定区域を越えて広範囲で起こる」という考えが表に出てきたのはつい最近です。
 しかし、「東北地方太平洋沖地震」が起こるまでは前者の方が“パラダイム(模範的な考え方、こだわり)”で、後者の方は少数派でした。世間では前者に対する認識や備えが強く、後者の長期的な周期で起こる超巨大地震が定着するのには残念ながら人間の性なのでしょうか、時間がかかったのです。

 専門家による研究や、「スマトラ島沖地震」の実例のように、M9.0の超巨大地震の可能性を考える余地もありましたが、「日本」で前例が無いこと、そこまで想定してない(したくない)、一言でまとめればパラダイムに遮られた結果です(「太郎」もM8.5が最大だろう、これだけ地震が多発してガス抜きが頻繁っぽい「日本」では…と思ってた次第で…)。

 数百年~1000年に一度の超巨大地震が一般に定着して(←認識ではない)それ相応の対策がとられたら、どれだけ減災出来たのだろうか、と今更ながら考えてしまうのでした。

参照↓
「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて
「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて
「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について
「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について

「東北地方太平洋沖地震」 その4 他の地震の誘発について

 起きた地震が巨大なほど、別の場所(震源域)で誘発されて起きたと思われる大地震がおきるらしいです。「東北地方太平洋沖地震」では、発生後に「長野」、「千葉」、「静岡」、「秋田」などの地域でもM5以上、震度5弱以上の、普段ならトップニュースで数日間報じられそうな大地震が起きました。これらの地震も「東北太平洋沖地震」の莫大な威力で誘発されて起きたといわれています。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011040902000020.htmlに加筆。
 上図は、「東北地方太平洋沖地震」(赤色線で表記)「関東地震(関東大震災)」(青い路線で表記)「東南海・南海地震」(緑色線)で表記と、それらに誘発されて起きたのでは?と言われる地震をある程度載せたものです。これらの巨大地震の前後数日~数年の間にそれらの震源域に近い地域で大きめの地震が頻発しているようです。

 4つものプレートが押しあいへしあい、沈み込み・引きずり込みあいをしている「日本」では、沈み込む海洋プレートに反発して大陸プレートがひずみを解放することによって起こる「プレート境界型地震」(「東北地方太平洋地震」など)とプレート同士の押しあいへしあいによってプレート境界から少し離れた場所がひび割れて(断層が出来て)起こる「プレート内型地震」(「兵庫県南部地震」、「新潟県中越地震」など)等の地震が起きます。プレート同士は年中無休で昼夜関係なく動き、押しあいへしあいなどを続け、常にどこかでひずみがたまってそれを解放する(プレートの跳ね上がりやひび割れる(断層形成)のこと)機会をうかがっています。そんな場所に巨大・超巨大地震が一度起こると、その衝撃でひずみがたまっている場所、ひずみに弱い場所にひび割れが生じ、地震が起きます。

 上図のとおり、「東北地方太平洋沖地震」は規模が大きく震源域があまりにも広いです。それだけ他の場所にも衝撃が広まり、震源域内の「余震」をはじめ、他地域でも大地震が誘発されたようです。「関東地震」(関東大震災)や「東南海・南海地震」のときも、これだけの地震が数年のうちに起きました。とくに、昭和19年に「東南海地震」が起きた2年後に「南海地震」が起きているのは、「南海地震」が誘発されて起きたとも想像できます。

幕末(安政)の地震多発例
 幕末の安政時代は日本で多くの大地震が発生した時代です。

安政元年(1854年)
7月9日 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7.6、死者約1,800人。

12月23日 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,0003,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。

12月24日 安政南海地震 - M 8.4、死者1,0003,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。

安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く。

12月26日 豊予海峡で地震 - M7.4。東海・南海と併せ、4日間で3つの巨大地震が発生。


安政2年(1855年)
3月18日 飛騨地震 - M 6.5、死者少なくとも203人。金沢などでも被害。

11月11日 安政江戸地震 - M 6.9、死者4,7001万1,000人。

安政4年(1857年)
10月12日 伊予、安芸、今治で地震。城内破損。死者5人。

安政5年(1858年)
4月9日 飛越地震 - M 7.0 - 7.1。地震による直接の死者数百人、常願寺川がせき止められ後日決壊、それによる死者140人。 ←「鳶山」などが崩壊して「立山カルデラ」が形成される。カルデラ内には、決壊したら「富山市街地」を1~2m埋め尽くす量の土砂が今も溜まっている。

7月8日 東北地方太平洋側で地震。M 7.0 - 7.5。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8より

 特に、「東海・東南海地震」が発生した32時間後に「南海地震」が起こり、さらに2日後に「四国・九州」でも地震が起きています。黒船が来航した当時の情勢と相極まり、これらの地震は、「日本」社会を混乱に陥れた一因となりました。

 他にも、M9.3の「スマトラ島沖地震」(平成16年(2004年)に発生)が起きた翌年以降にほぼ毎年同じプレート境界でM7~8級の地震が起きていますが、これも2004年の地震に誘発されて起きたのではないか?と言われています。超巨大地震・巨大地震の起きた後に、それに次ぐ大地震が同じ地域で頻発する例は、探せばほかにもたくさんありそうです。

地震が誘発されやすい状況
 また、気になるニュースが掲載されていました(以下、URLまではコピペ文)

首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研
 東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、東京大地震研究所のグループが22日、発表した。

 解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、注意を呼びかけている。

 同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、大震災でどのような影響を受けたかを解析。地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。震源が30キロよりも浅い地震は静岡県東部から神奈川県西部で、30キロよりも深い地震は茨城県南西部、東京湾北部で起きやすくなっていることが判明した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000974-yom-sci
 「関東」地域に絞っても、「東北地方太平洋沖地震」の刺激を受けているようです。「日本」を取り巻くプレートの関係や動きはとてつもなく複雑で今後どうなるかわかりませんが、この記事を読む限りでは地震が誘発される可能性が高くなったようです。

 なお、これまで取り上げた誘発された地震ですが、本当に超巨大・巨大地震に誘発されて起きたという物的証拠はありません。あるのは「実際に起きた場所と時間が集中する傾向にある」という“状況証拠”です。4枚ものプレートが押しあいへしあいをし、地下でとてつもなく多数の断層、地質構造が地下にある「日本」の地下は、どのような力がどのようにかかり、どう影響するのか?を予知するのは今のところほぼ不可能なのです。ましてや、地下を直接見られず探知機で間接的に見るしかないのでなおさらです。そのため、ニュースのコメントでも「誘発された地震だ!」とは断言せず、「誘発された可能性が考えられる」と語られるのです。いずれにせよ、これだけの短期間に地震が頻発するので、素人目でもヤバいと感じるのはなにもおかしいことではありません。地球では地域によって地震の頻発する傾向の時代としない傾向の時代が交互に起きている話があります。もしかしたら「日本」もその真っただ中にいるのでしょうか。

 ちなみに「関東・甲信越」より西側で地震がほとんど起きていないのは、「東北地方太平洋沖地震」の震源域とプレート境界を介しているからだそうです(「東北地方太平洋沖地震」の震源が「関東」沖で止まったのも「フィリピン海プレート」に阻まれたためと言われている)。まあ、「静岡県東部」でも地震が起きたので100%とは言えませんがね。

「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について

 今回の超巨大地震では、2日前に「前震」と思われる地震が起こり、「余震」や誘発されて起きたと思われる地震も非常に多くなりました。この「余震」の影響で、被災地には数えきれないくらいの追い打ちが掛けられました。「新潟」の方でもたびたび揺れを感じ、地震速報が毎日のように飛び交いました。今回は、「前震」と「余震」を主に解説します。


 ニコニコ動画に、3月1日~4月16日までの、「日本」で起きたM4.0以上の地震をまとめた動画がありました。3月11日のあの時点(動画の2:24あたり)からの地震の数が凄まじいです。3月9日の地震が「前震」と言われていますが、この回数が従来の大地震だとおもうと、今回の地震の多さに唖然とします。

「前震」:「本震」の前に起こる地震。
 今回の地震の2日前の3月9日に、「三陸」沖でM7.3の地震が起きました。後から分かったことですが、この地震が一連の地震の前触れである「前震」の可能性が高いです。「前震」は、巨大地震の前兆現象の一つで、これを利用した地震予知が期待されますが、おこる確率が低く(大体1割)、「前震である!」と断言しにくいものです(「本震」が起きた後で「あの地震は前震でした」と分かることが多い)。

「本震」:一連の地震で最も大きい中枢の地震(今回でいう、M9.0の地震)

「余震」:「本震」のあとに、「本震」の「震源域」で起こる、「本震」の“起き残り地震”
 地震(「本震」)は、プレートに溜まったひずみが解放されて起きるものですが、これは一気に100%解放されません。どうしてもひずみの残りができるのです。その“残り部分”にエネルギーが集中し、「余震」となってひずみを解放するのです。そして「本震」が大きいほど、「余震」が起きる数とその規模が上がります。 今回の地震は、「震源域」が450km×200kmと、非常に広範囲に及んだため(Mが大きいほど「震源域」は広い傾向)、それだけ「余震」が起きる“機会”や“確立”が高まるのです。

誘発される地震:「震源域」以外の地域でも、「本震」に刺激されて起こる地震
 
 特に、地震(「本震」)の規模が巨大なほど別の場所誘発される地震の数が多くなり、それ自身も大規模になります。これは、広義の「余震」ともいえる地震です。
 「本震」の起きた翌日の3月12日には「長野」北部で、3月15日には「静岡県」でMと震度が6クラスという、単独で起きても確実に全国ニュースになる地震が起きました。これは、「東北地方太平洋沖地震」の衝撃に誘発されて起きたといわれています。確実な証拠(物的証拠)はありませんが、この近日で頻発している“状況証拠に近い”傾向から誘発が想像できるのです。「日本列島」自体が4枚のプレートの押しあいで力関係が常に不安定(特に断層部分)で、そこにM9.0というとてつもない地震が起きたので、それに刺激されて、不安定な場所がひずみを解放するために地震を起こしたのでしょう。

 3月11日以降、4月27日までの47日間に発生した「日本」国内で発生したM7.0以上、または最大震度5弱以上の余震、その他の地震は、以下の通りです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87#cite_note-20110313sankei-100

発生日時   震央地名    震源の深さ  マグニチュード  最大震度
3月09日
11時45分頃 三陸沖     約8km     M7.3        震度5弱 ← 前震の可能性

3月11日
14時46分頃 三陸沖     約24km    M9.0        震度7  ← 本震
15時09分頃 岩手県沖    約32km    M7.4        震度5弱
15時16分頃 茨城県沖    約43km    M7.7        震度6弱
15時26分頃 三陸沖     約34km    M7.5        震度4
16時29分頃 岩手県沖    約36km    M6.5        震度5強
17時41分頃 福島県沖    約27km    M6.1        震度5強
20時37分頃 岩手県沖    約24km    M6.7        震度5弱

3月12日
03時59分頃 長野県北部   約08km    M6.7        震度6強
04時32分頃 長野県北部   約01km    M5.9        震度6弱
05時42分頃 長野県北部   約04km    M5.3        震度6弱
22時16分頃 福島県沖    約40km    M6.2        震度5弱
23時35分頃 長野県北部   約05km    M3.7        震度5弱

3月13日
08時25分頃 宮城県沖    約15km    M6.2        震度5弱

3月14日
10時03分頃 茨城県沖    約32km    M6.2        震度5弱

3月15日
22時32分頃 静岡県東部   約14km    M6.4        震度6強

3月16日
12時52分頃 千葉県東方沖  約10km    M6.1        震度5弱

3月19日
18時57分頃 茨城県北部   約05km    M6.1        震度5強

3月23日
07時12分頃 福島県浜通り  ごく浅い    M6.0        震度5強
07時36分頃 福島県浜通り  約10km    M5.8        震度5強
18時55分頃 福島県浜通り  約10km    M4.7        震度5強

3月24日
08時56分頃 茨城県南部   約50km    M4.9        震度5弱
17時21分頃 岩手県沖    約20km    M6.1        震度5弱

3月28日
07時24分頃 宮城県沖    ごく浅い    M6.5        震度5弱

3月31日
16時15分頃 宮城県沖    約40km    M6.0        震度5弱

4月1日
19時49分頃 秋田県内陸北部 約12km    M5.0        震度5強

4月2日
16時56分頃 茨城県南部   約54km    M5.0        震度5弱

4月07日
23時32分頃 宮城県沖    約66km    M7.1        震度6強

4月09日
18時42分頃 宮城県沖    約50km    M5.4        震度5弱

4月11日
17時16分頃 福島県浜通り  約6km     M7.0        震度6弱
17時17分頃 福島県浜通り  約10km    M6.0        震度5弱
17時26分頃 福島県浜通り  ごく浅い   M5.6        震度5弱
20時42分頃 茨城県北部   約10km    M5.9        震度5弱

4月12日
07時26分頃 長野県北部   約20km    M5.5        震度5弱
08時08分頃 千葉県東方沖  約30km    M6.3        震度5弱
14時07分頃 福島県浜通り  約10km    M6.3        震度6弱

4月13日
10時08分頃 福島県浜通り  約10km    M5.8        震度5弱

4月16日
11時19分頃 茨城県南部   約79km    M5.9        震度5強

4月17日
00時56分頃 新潟県中越地方 約8km     M4.9        震度5弱

4月19日
04時14分頃 秋田県内陸南部 約6km     M4.9        震度5弱

4月21日
22時37分頃 千葉県東方沖  約70km    M6.0        震度5弱

4月23日
00時25分頃 福島県沖    約20km    M5.6        震度5弱



Histogram.png
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2011_03_11_tohoku/aftershock/より
 上図は、これまでの余震の回数と規模をグラフ化したものです(誘発されたと思われる「静岡」、「長野」、「秋田」の地震が含まれているかは…不明)。4月27日までの47日間に、M5.0以上の地震(震源が浅ければ震度5や6になりえる規模)が435回、M6.0以上の地震(震源が浅ければ「新潟県中越地震のように震度6や7になりえる規模」)が75回、M7.0以上の地震(もはや1つの大地震クラス)が5回も起こっています。なお、このグラフは気象庁(上のURL)で毎日更新されています。


無題
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2011_03_11_tohoku/yoshinhikaku.pdfより

 上図は、「東北地方太平洋沖地震」と、「北海道東方沖地震」をはじめとする過去に観測された「プレート境界型地震」の「余震」の回数を比較したものです。4月18日までの37日間におきたM5以上の余震、誘発された地震は約410回にのぼっています。これは、「日本で」1年間に発生するM5以上の地震(過去10年間)の平均120回を僅か1ヶ月ちょいで3.5倍上回っているということです。また、これまでM5以上の「余震」が最も多く観測された「北海道東方沖地震」(平成6年)の4倍近くに達しました。

 「余震」は、マグニチュードが「本震」より1低いらしいです。つまり、M8クラスの「余震」が起きることも考えられます。また、「本震」が大規模なほど回数だけでなく起こる時期も長期間にわたります。

 次回は、他の地域での地震の誘発についてもう少し踏み込みます。

「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて

 先日、M7.1という、1つの大地震に匹敵する余震が発生しました。「新潟」の方も震度4くらいの揺れが1分~1分半近く続きました。あの日から1カ月近くたつのに被害者数は増え続け、未だに強い余震が続き、津波で浸水した場所の水が引かず、原発も毎日報道されています。

 数百年以上前の過去の災害は、「当時こんなことがあった」という物語でまだ語れますが、今回の地震は現在進行形で災害が続いています。まだ安易に地震のうんちくを語れる時期ではないかもしれません。ただ、直接被災しなかった立場からこの地震の実態を知る、広める思いで自分の知る範囲のことを記事にしていこうと思います。被災地以外に住む人が出来ることは、自分の日常生活を続けながら募金と節電を行い、地震について知り、被災地へ祈りを込めることだと思います。


 「東北地方太平洋沖地震」はあまりにも大規模な地震だけあって、その揺れと揺れた範囲もすさまじいものでした。
 震源(断層の破壊活動が“最初におこった”場所)は三陸の130km沖合で、深さ約24km(暫定値)、震源域(断層の破壊が行われた範囲)は岩手県沖から茨城県沖まで南北約450km、東西約200kmの広範囲に及び、断層のずれは最大23mにも及んだそうです。

震度
Shindomap_2011-03-11_Tohoku_earthquake.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/Shindomap_2011-03-11_Tohoku_earthquake.pngに加筆。)各地域の震度分布です。赤色の×は「震源」で、今回の地震(断層破壊、ずれ)が一番初めに起きた地点です。オレンジ色の範囲は「震源域」で、この地震全体の源となった断層破壊、ずれが及んだ場所です。この地震での「震源域」は、幅約200km、長さ約450kmにもおよびました。
 
 有感地震の範囲は、「北海道」の北端~「九州」の南端にまで及びました。体に感じない揺れも含めたら、地震の波は12時間かけて地球を5周もしたそうです。特に、「東北」~「関東」の「太平洋」側の震度が5~7と非常に大きく、揺れは2~3分、地域全体では合計で6分も間続きました(ちなみに、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」の揺れは16秒です)。(参照→http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/25a/201103251030.html)。揺れがこれだけ長く続いたのは、4つの地震想定地域(専門用語で「アスペリティ(固着域)」で3つのずれ(地震)が短い時間差で連続して起きたためです。

 震度5~7の範囲は南北方向に長く伸びていますが、これは「震源域」(断層が破壊された、ずれた範囲)に関係しています。テレビや新聞の図ではバツ印の震源だけが表示されるので地震の源は一点だけのようにも思えますが、実際は「震源域」全体(上図でいうオレンジ色の範囲)が地震の源といえます。ですので、各震度の分布も「震源」から同心円上に変化するのでなく、「震源域」の輪郭からオフセットをとるような分布を示すことが多いです。以上のことから、南北に長く揺れたのです。ほかにも、特に「関東」の地盤が弱く揺れのエネルギーが減衰しなかったこと、プレートの破壊の方向が南北方向におよんだことなどが挙げられます。

 また、この地震は、層面の傾きが10度と非常に浅く、「震源域」の面全体が地表に近い状態でした。つまりそれだけ広い範囲で地震の揺れが威力を保ったまま伝わり、これだけ震度の高い地域が出たともいえるでしょう。

 その割には、揺れによる被害は震度の割には比較的少なかったそうです(津波や原発が大きく報じられている影響もありますが)。これは、建物に大きな被害を与える周期が1~2秒の揺れ(「キラーパルス」)が少なく、より小刻みな0.5秒周期の揺れが卓越していたためらしいです。


ガル(Gal)
 地震の揺れの強さの表現数値に「ガル」というものがあります。簡単にいえば揺れの激しさを表し、値が大きいほど揺れが激しく、値が小さいほど揺れがゆったりしているということです。

 今回の地震では、「宮城県栗原市」で水平方向に2933ガルの揺れが2分間続いたそうです。東京大学地震研究所の解析によると、本震の揺れは東日本全体で約6分間続きました。参考として、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」では最大で848ガルが、「新潟県中越地震」では最大約2515ガルが観測・分析されました。このことから、今回の地震が津波だけでなく揺れのほうでもすさまじかったと想像つきます。

 物理的にいえば、「ガル」は揺れの加速度(往復運動で起こる加速→減速・逆方向への加速→減速→…における“加速度”)です。1ガルは、1秒(s)に1センチメートル毎秒(cm/s)の加速度の大きさと定義され、981ガルで地球上での重力加速度に匹敵します(←ようするに、981ガルの垂直方向の揺れが起こると無重力状態(0G)と体重の倍増(2G)が交互に体感できる)。

981[ガル]=981[cm/s]=9.81[m/s]≒地球上での重力加速度、ということ。

 なお、「ガル」の値には揺れの幅(振幅)は関係しません。なので携帯のバイブのように小刻みな揺れでも、ブランコのゆったりとした大きな揺れと比べたら「ガル」の値は圧倒的に大きいです。簡単にいえば、地震の「震度」は「ガル」と「振幅(揺れ幅)」の積であらわされるようなものです。 「ガル」の値と「震度」は揺れの周期によってもことなるため一概には言えませんが、震度7では少なくとも500ガルに値します(周期が0.1秒だと2600ガル以上、10秒だと2000ガル以上で震度7)。 「ガル」の値と「震度」は揺れの周期によってもことなるため一概には言えませんが、震度7では少なくとも500ガルに値します(周期が0.1秒だと2600ガル以上、10秒だと2000ガル以上で震度7)。今回観測された2933ガルは、重力の3倍の力に匹敵します(体には左右に3Gの力がかかる)。今回卓越した0.5秒周期の揺れでは880ガルで震度7に到達します。

「東北地方太平洋沖地震」 その1 マグニチュードについて

 3月11日14:46に発生した「東北地方太平洋沖地震」はマグニチュード9.0という日本の地震史上で最大の超巨大地震となり、「日本」各地に壊滅的な打撃を与えました。日に日に死者行方不明者が増え、福島第一原発の動向も予断を許さない状況です。

 未だに津波の中継映像が脳裏に焼き付けられています。動画がネットで見られる時代ですから、津波に関する色々な動画も投稿されています。それらを見ても、当たり前だった日常や街並みが無残に破壊されていく様を見て災害の恐ろしさと自然に対する人の無力さを思い知りました。ここで改めて被災した方々の冥福を祈ります。


 今回の地震は、「マグニチュード」からみえるとおり、「日本」史上で最も大規模な地震となりました。7年前の「新潟県中越地震」以来発生した震度7の揺れよりも、「津波」と「マグニチュード」(以下数値と併記するときは「M」と表記)が広く報じられました。このうち、「マグニチュード」の視点から、今回の地震がいかにすさまじかったのか解説します。

 「マグニチュード」とは地震のエネルギーそのもので、震度が地震による地面の揺れ、人的被害などを示すのに対して、地震の規模そのものを表す数値です。よくたとえられるのが、『「マグニチュード」=「電球」、「震度」=「明るさ」で、「電球」(「マグニチュード)が強いほど「明るさ」(震度)は大きく、離れるにつれ弱まっていく』という原理です。

 地震のエネルギー値は指数関数で計算され、「マグニチュード」の数値が2上がるとちょうど1000倍のエネルギーになります。細かく言えば、0.1上がるとエネルギーは約√2倍、0.2上がると約2倍上がる計算です。

 簡単に計算すると今回M9.0の「東北地方太平洋沖地震」のエネルギーは、

近年「京阪神」に壊滅的な被害を与えた
「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」(M7.3)の約√2の17乗倍≒360倍

震度6以上の揺れが4回も続いた
「新潟県中越地震」(M6.8)の約√2の22乗倍≒2000倍

「日本」史上最大の被害をもたらしたといわれる
「関東地震(関東大震災)」(M7.9)の約√2の11乗倍≒45倍

「日本」史上最大規模であったといわれる
「貞観地震」(貞観11年5月26日(869年7月13日)発生)(M8.3~8.6)や
「宝永地震」(宝永4年10月4日(1707年10月28日)発生)(M8.4~8.7)の約3~11倍

に相当します。

 今回の地震は、専門家の間では、上述の「貞観地震」以来、約1000年に一度に起こる超巨大地震ではないか?と言われています。太平洋沿岸はプレート境界に近接し、100年弱~150年に1回の割合でM8.0~8.5くらいの巨大地震が起きています。そして過去の地震の発生傾向や地殻変動から数十年以内にM8.0~8.5規模の巨大地震が○○%の確率で起こると発表されていますが、今回の地震はそれをはるかに上回ったとてつもないものだったのです。

以下に、マグニチュードの数値とそのエネルギーを、過去の地震と踏まえて数値順に並べてみます。参考資料はWikipedia(「マグニチュード」)の記事(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89http://)と、その他諸々の資料と、僕のあやふやな記憶です。

 なお、マグニチュードは細かく分けると「モーメントマグニチュード」、「気象庁マグニチュード」、「表面波マグニチュード」などの色々な種類がありそれぞれに活用の仕方がありますが、話を簡単にするために、1種の“マグニチュード”として一括します。ちなみに近年は、「モーメントマグニチュード」(断層の大きさと、ずれた大きさと、地殻の“硬さ”で計算されるマグニチュード値)が主流です。


M1.0:TNT火薬480 g分
M2.0:TNT火薬15 kg分
M2.3:「同時多発テロ」で「世界貿易センタービル」が崩壊した時の衝撃
M6.0:「広島」に落とされた原爆の爆発エネルギー 、直径10~数十mの隕石の落下衝撃

M6.8:「新潟県中越地震」(2004年)
M7.3:「兵庫県南部地震」(阪神・淡路大震災)
M7.9:「関東地震」(関東大震災)
M8.0:「濃尾地震」(「日本」史上最大の内陸型地震)、直径100m台の隕石の落下衝撃、TNT火薬1500万t分
M8.0~8.5:想定される「東海地震」「東南海地震」「南海地震」など
M8.5:「明治三陸地震」 (1896年)
M8.4~8.7:「宝永地震」(1707年)
M8.3~9.6:「貞観地震」 (869年)
M9.0:「東北地方太平洋沖地震」、「アポフィス」(直径約400m)の小惑星が地球に衝突した時の衝撃地震

M9.2:「アラスカ地震」(1964年)
M9.1~9.3:「スマトラ島沖地震」 (2004年)
M9.5:「チリ地震」 (1960年)(世界史上最大と言われる地震)

M10.0:地球上で起こりうる最大の地震
M11~12:直径10kmの隕石の落下の衝撃と地震(←恐竜が絶滅するレベル、専門用語で「大量絶滅」)
M12.0:地球を丸一周する長さの逆・正断層が動く(地殻が完全に断裂する)
M14.5:後期重爆撃期にあったとされる、直径400km級の小惑星が地球に衝突した際に、解放されるエネルギー?←NHKの地球大進化でやってた、40億年前に地球に衝突したといわれる隕石
M18.0:ジャイアントインパクト
M19?:地球が破壊される
M27.5:超新星爆発


 現在、世界史上で起きた最大の地震は、M9.5の「チリ地震」と言われています。この地震では1000km四方で有感の揺れが生じ(関東地方が震源だったら、「北海道」の北端(「稚内」)~「九州」南端(「鹿児島」)の範囲内で体に感じる揺れが起きる)、発生した津波が太平洋を横断して20000km近く離れた日本にも6mの高さとなって押し寄せました。今のところ、観測記録や地質調査などでこれを超える地震は確認されていません。

 理論上おこりえる最大の地震はM10.0と言われています。これは、プレート運動で溜められる最大のひずみから計算していると思われます(僕の勝手な解釈)。プレートにひずみがたまればたまるほど、それが一気に放出された時の地震エネルギー(「マグニチュード」)は大きくなります。その一方で、プレートの物理的性質や摩擦の関係で、ためられるひずみにも限度があります。それがM10.0あたりらしいです。

 それを超えるエネルギーは、人類滅亡のレベルになります。今回の地震は、「日本」国内で想定されていた地震の規模(M8~8.5)をはるかに上回ったのです。世界史上でも4番目の大きさで、なおかつ人口密集国で起きた最も巨大な地震と言えるでしょう。なお、「マグニチュード」は値が大きいほど正確な数値を求めにくいため、何度も修正されたのです。

「野口英世」の表の顔と裏の顔

 「野口英世」と言えば、ここで語る必要のないほどの有名な業績を残した人で、現在の千円札の表舞台に立っています。で、千円札での「野口英世」の顔ですが、(僕らから見て)右半分を隠すと“表の顔”が現れ、左半分を隠すと“裏の顔”が現れます。


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 半分で区切るだけでこんなに表情が違います。

 そういえば、今や懐かしの「トリビアの泉」で、かつて「野口英世」の裏の顔に着いて紹介されていましたね。確か、

貧困と手の火傷のハンデを背負いながらも懸命に勉学に励んでいた
一方、それを利用して周りから同情をかい、文房具やノートなどをせびりとっていた

彼が「アメリカ」に留学する際に周りの人々が資金を出してくれた
その金を全て夜遊びに使ってしまった

「アメリカ」では黄熱病などの研究に励んでいた
一方、禁煙場所で煙草をすったり白衣を何日も洗わなかったりで同僚から嫌がられていた


という裏行動もしていたそうです。彼の伝記では業績だけを取り上げているそうですが、それを見た本人は「自分の表の面ばかり取り上げていて、これでは作り話じゃないか、そこまで完璧な人はいないよwww。」と述べていたそうです。このお札の表情もまた、彼、彼に限らず人間には表裏があるんだよ!ということを示しているのかもしれませんね。

「はやぶさ」の偉業を伝える動画

 「はやぶさ」の帰還は今年で最も明るいニュースの一つとなり、11月半ばには「イトカワ」の微粒子が産出されました。この7年間における事業がどれだけすごいのかを知ることのできる動画を3つ紹介します。



 「初音ミク」によるオリジナル曲「はやぶさ」です。とても壮大で「はやぶさ」の物語に感動できる歌です。作者本人が歌っているバージョンもありますが、歌唱力がすごいです(→http://www.nicovideo.jp/watch/sm10436753)。



 「はやぶさ」に降りかかる困難を切り抜けていく様を「宇宙戦艦ヤマト」風に解説している動画です。「はやぶさ」を造り上げた科学者と技術者の凄さがわかります。



 「はやぶさ」の結末を、「その時歴史が動いた」のEDと合わせて解説している動画です。「はやぶさ」を大気圏に突入させざるおえない切なさが伝わってきます。松平さんの声が見事に脳内再生されます。

 「はやぶさ」に関する素晴らしい動画はほかもたくさんありますよ。

「富山県」に存在する「日本」の秘境

 明治時代までには測量事業によって「日本」国内のほとんどの山が、そして現在までには地質調査の分野で日本国内のほとんどの地域が調査され、地形図や地質図が造られて行きました。しかし、「富山県」内の「立山連邦」や「黒部峡谷」周辺はあまりの地形の険しさと過酷な自然環境により、ここ近年まで、もしくは未だにほとんどの人々が踏み入れられない場所がいくつかあります。それは、「剱岳」、「剱沢大滝」、「地質図の空白地域」です。

富山の秘境 全体図
 黒色枠で囲んでいる地域がそうです。よーするに、「立山連邦」と「黒部川」に沿う場所です。

富山の秘境 拡大図
 拡大図です。それぞれの秘境はこのような位置にあります。おおざっぱにいえば、「立山・黒部アルペンルート」と「黒部峡谷鉄道」(「宇奈月」~「黒薙」~「欅平」)の間にあります。

剱岳 (最後まで測量隊が入れなかった山)
 「剱岳」といえば、去年上映された「剱岳・点の記」の舞台になった山です。「剱岳」は現在でも、一般登山者が登る山では最も危険度が高い山、とされる、非常に急峻な山です。「剱岳」は、周囲の「立山連邦」の山々と比べて明らかに地形が違うことが遠目からでもはっきりわかります。明治時代に日本全国の山が地形図作成のために踏査(測量と三角点設置)された中、「剱岳」が最期まで踏み入れられませんでした(つまり、地形図の空白地帯になっていた)。そして、明治40年(1907年)7月13日に公式では初めての登頂が実現しました。
 この登頂時に昔の行者が落とした?鉄剣と銅製の錫杖、焚火の跡が発見されました。このことから、はるか昔(奈良時代や平安時代とも言われている)に、すでに「剱岳」への登頂が果たされていたことが分かりました。


剱沢大滝 (昭和になってやっと踏査された幻の大滝)
 この大滝がある剱沢は、「立山連邦」の峰(「剱御前」)~「黒部川」の「十字峡」の間、落差約2000mを流れる沢です。明治時代に全国の測量事業によりこの沢の地形図も造られましたが、「剱沢」の最上流と「十字峡」の両側から等高線を引いていっても、途中で標高地がどうも矛盾する、つまり「剱沢」のどこかで大きな地形の変化がある疑いが出てきました。この要因の一つが大きな滝ではないかと言われ、まだそれを誰もが目視していないことから「幻の大滝」が囁かれました。
 実は、昔から地元の漁師によりこの「幻の大滝」の存在が囁かれていましたが、実際公的に発見されたのは大正14年(1924年)だったそうです。そして昭和37年(1962年)に記録的に人類史上初めて滝の完全踏査が達成されました。
 この「剱沢大滝」は大小9段の滝からなる落差140mの滝です。周りを300m級のほぼ垂直な断崖絶壁で囲まれ、相当に訓練や経験を積んだ大登山家でさえも突破するのが困難な場所です。普通の滝は周りが比較的緩やかな斜面で、足場に都合のいい凹凸があるためなんとか突破できますが、「剱沢大滝」の場合は岩壁を登るしかありません。
 実際にこの滝の写真が以下のサイトに載せられていますが、す・ご・いですよ。
   ↓
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/4753/hsk4m.htm
http://www2.famille.ne.jp/~toshito/iriver/rv1/fc0129fl.html


地質図の空白地域 (未だに何があるのか確定していない)
 今や「日本」国内ほとんどの地域、山岳部は地質調査がなされ、地質図が造られています。しかし、「黒部川」流域における「黒薙」~「欅平」間の「黒部川」より西側の地域、東北東-西南西方向4km弱、北北西-南南東方向約10kmの地域は、長大で険悪な谷や斜面に阻まれて未だに本格的な地質調査が行われていません。従って、その地域には何の岩石があるのか確定がなされず、地質図においても空白状態になっています。谷に転がっている石とかから、ジュラ紀の花崗岩ではないか?と言われています(参照:日本地質学会117年学術大会見学旅行案内書)。

この動画を心の底から笑える日は来るか?

 「スイス」の財務省が「尖閣諸島」沖での漁船衝突事件での「日本」政府の言動について述べていた動画がありました。これは嘘字幕作品で、元は議会で読みあげている原稿の内容が面白おかしくてついつい笑ってしまったという場面を映した動画です。しかし、あまりにもリアルで実際に字幕通りのことを言っているのでは?と思ってしまいます。「日本」以外のどこの国の政治家も、今回の事件に関してはこの動画のような反応をすることでしょう。
 なお、この動画がうpされたのは、衝突映像の一部が海上保安官の内部告発により公表される約1カ月前で、ちょうど衝突犯人の釈放騒動や動画隠ぺい工作が行われていた真っ最中であります。


石破茂の、「本当の尖閣」の解説

 一昨日からニュースになっている、「尖閣諸島沖、中国漁船衝突事件」のビデオ流出についてですが、自民党の「石破茂」がニコニコ動画で解説していましたが、とても興味深いので載せます。

今回の出来事について、僕の考えとしては、感情的には投稿者に感謝する気持ちでいっぱいな一方、情報管理の甘さを悪い意味で内外に露呈させてこと、ビデオを保管している海上保安庁や検察の方々が流出源探しによって心身的な負担を科せられることに懸念も置いています。でも、こうでもしなければあの政府のことですからビデオの一般公開は無かったでしょう。国民目線からポジティブに考えればいいきっかけになったと解釈しましょう。まあ、どうも政府やマスコミは流出の犯人探しばかり強調して、ビデオの内容(明らかに中国に非があること)やそれに対する各方面の正論意見を伏せがちの態度をとっているようですが。

 石波茂の解説は、国会の政治家という立場であって、この流出について、そこから政治家のあり方について実にわかりやすく解説しています。動画の関係上、解説は10分あたりから始まります。

静岡県と富山県のそれぞれの落差を検証してみた

 日本の中で、静岡県と富山県のみに共通するものがあります。それは、海抜3000m以上の山と水深1000m以上の湾の両方を所有している点です。この条件により、両県は最高地点(山)と最低地点(海底)の落差が日本で最も大きい都道府県に属します。ここで、両県のそれぞれの落差を考えてみます。

静岡県の落差
 上図が、両県の最高地点と最低地点です。最低地点は各県の海岸線と、海岸線が湾において最も沖合に位置する2点を結んだ直線(黒色線)で囲まれる海域で、最も水深が大きいところと定義しています。計算すると、静岡県の落差が6276m、富山県の落差が4075mです。

 更に、2地点の間の距離は静岡県が84.1km、富山県が57.2kmです。計算すると、2地点間の平均勾配は静岡県が74.6‰、富山県が71.3‰と、ほぼ同じです。これは、碓氷峠越えをした信越線の横川~軽井沢間の勾配(66.7‰)より急です。

 しかし、視野を広げると両県の落差をはるかに上回る都道府県があります。それは東京都です。東京都は、日本最東端に相当する南鳥島を所有しています。本州における東京都の輪郭線と南鳥島を結ぶ直線上には深さが6000~8000m以上の日本海溝、もしくは伊豆・小笠原海溝があります。東京都の最高地点は海抜が2017mの雲取山であり、今までの定義から考えると、東京都の最高地点と最低地点の落差は少なくとも8000m以上あることになります。東京都は広域な海で大規模な地形を賄っていると言えます。一方で、静岡県と富山県は狭い地域にこれだけの高い山と深い海が集約している県であります。世界でも海岸線から30kmほどの所に3000m以上の山がそびえている場所は非常に珍しいです。また、沿岸からこれほど水深が増す湾も非常に珍しいです。

社民党公式ホームページのの声明・談話が最近激減している件について

 社民党の公式ホームページでは、断続的に社民党の生命・談話を更新しています。内容さえ問わなければここでははっきりと社民党としての意見を述べている場でもあるのです。ところで、最近その声明の更新頻度が激減しています。しかも、鳩山政権が発足した直後からです。麻生政権までのころは、それはまあ色々なこと、特に与党の批判に関する声明・談話を発表していたのですが、今では2か月に3件ほどになりました。考えられる理由は、①主張すべき事象が減った、②主張すべき事象があるのにしなくなった。さあ、どちらだろうか?鳩山政権が発足しても、米軍基地やら赤字国債やら献金問題やら秘書逮捕やら…社民党としても主張できるネタにまみれているのだが。もし鳩山政権が自民党だったら、社民党がいまだに野党だったら、声明・談話のネタにつきないことは容易に考えられます。

 以下に声明・談話の題名とその時期を挙げておきます。それぞれの内容は一番下のURLからどうぞ。

1-2月の記事
□名護市長選挙の結果について(2010/1/24)
□「成人の日」アピール(2010/1/11)

11-12月の記事
□ 2010年 新年のメッセージ(2010/1/1)

□ 田英夫前参議院議員の逝去を悼む(談話)(2009/11/17)

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9-10月の記事
□ 鳩山新政権の成立にあたって(声明)(2009/9/16)
□ 連立政権樹立の合意にあたって(声明)(2009/9/9)


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7-8月の記事
□ 衆議院議員総選挙の結果について(声明)(2009/8/31)
□ 衆議院議員総選挙の投票日にあたって(声明)(2009/8/30)
□ 金大中元韓国大統領のご逝去を悼む(談話)(2009/8/18)
□ 衆議院議員総選挙の公示にあたって(声明)(2009/8/18)
□ 誓いの言葉(2009/8/15)
□ 敗戦64年にあたって(談話)(2009/8/15)
□ 通信・放送の「総合的法体系」の駆け込み「答申」に反対する(談話)(2009/8/14)
□ 2009年人事院勧告について(談話)(2009/8/11)
□ 新しい局面を迎え「核兵器廃絶へのヒロシマ8・6提言」(2009/8/6)
□ 集団的自衛権の解釈の見直しに反対する(談話)(2009/8/4)
□ 死刑執行に強く抗議する(談話)(2009/7/28)
□ 衆議院の解散にあたって(声明)(2009/7/21)
□ 内閣不信任案と首相問責決議案の採決にあたって(談話)(2009/7/14)
□ 東京都議会議員選挙の結果について(2009/7/12)
□ 新たな水俣病救済法案の成立にあたって(2009/7/8)
□ 静岡県知事選挙の結果について(2009/7/5)


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5-6月の記事
□ 「基本方針2009」の決定に当たって(談話)(2009/6/23)
□ 農地法等の一部改正案の成立にあたって(談話)(2009/6/17)
□ 鳩山邦夫総務大臣の辞任について(談話)(2009/6/12)
□ 憲法審査会規程の制定に反対する(談話)(2009/6/11)
□ 「荒瀬ダム撤去」に関わる国の支援を求める申し入れ(2009/6/5)
□ 2009年度補正予算の成立に当たって(談話)(2009/5/29)
□ 北朝鮮による核実験に抗議する(談話)(2009/5/25)
□ 裁判員制度の開始に当たって(談話)(2009/5/21)
□ 民主党新代表決定について(記者会見要旨)(2009/5/16)
□ 2009年度補正予算案の衆議院通過に当たって(談話)(2009/5/13)
□ 「在沖縄米海兵隊のグアム移転に係る協定」の承認について(談話)(2009/5/13)
□ 小沢一郎氏の民主党代表の辞任について(談話)(2009/5/11)
□ 核兵器廃絶に向けた取り組みに関する申し入れ(2009/5/8)
□ 憲法記念日にあたって(2009/5/3)
□ 人事院勧告について(談話)(2009/5/1)


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3-4月の記事
□ 第80回メーデー・アピール(2009/4/29)
□ 海賊対処法案の衆議院通過に反対する(談話)(2009/4/23)
□ 消費者庁設置関連法案の衆議院通過について(談話)(2009/4/17)
□ 北朝鮮によるロケット発射に抗議する(談話)(2009/4/5)
□ 国家公務員法等一部改正案の閣議決定に当たって(談話)(2009/3/31)
□ 千葉県知事選挙の結果について(談話)(2009/3/29)
□ 2009年度予算の成立にあたって(談話)(2009/3/27)
□ 小沢民主党代表の秘書の起訴にあたって(談話)(2009/3/24)
□ 海上自衛隊のソマリア沖派遣の閣議決定に反対する(談話)(2009/3/13)
□ 労働者派遣法改正に関する民主党との確認書(2009/3/11)
□ 郵政民営化見直しに関する国民新党との合意書(2009/3/6)

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1-2月の記事
□ 2009年度予算案の衆議院通過にあたって(談話)(2009/2/27)
□ 消費者庁設置に関する申し入れ(2009/2/26)
□ 「在沖米海兵隊のグアム移転に係る協定」の署名強行に対する抗議(2009/2/19)
□ 中川昭一大臣の辞任について(談話)(2009/2/17)
□ 死刑執行に強く抗議する(談話)(2009/1/29)
□ 海上自衛隊のソマリア沖派遣の決定に反対する(談話)(2009/1/28)
□ 日本経団連への要請書(2009/1/27)
□ 2008年度第二次補正予算案の成立に当たって(談話)(2009/1/27)
□ 「成人の日」アピール(2009/1/12)
□ イスラエル軍のガザ地区への侵攻について(談話)(2009/1/5)


http://www5.sdp.or.jp/comment/2009/2009comment.htm
http://www5.sdp.or.jp/comment/2010/2010comment.htm

卒論や修論でありがちなことをまとめてみた

 以前も同じような記事を投稿していましたが、あれから思いつくたびにちょくちょくメモっていったらさらに数が増えたので、一気に載せます。ただし、野外調査の項目は、完全に野外で調査研究(特に地質の分野)をする人対象です。まあ、それでもほかの実験などに置き換えることもできるかもしれません。


 自分や周りの感性や生活の様子?などからちょくちょく思いついてその都度書き込んでいったものをまとめたが、当てはまらない奴はここへ来い、そして俺に説明しろ。いや、されても自分が惨めになりそうだ。


始まり
・計画性のない人間の末路が露呈する。

・卒論を始める際、3年間学んできたことをかなり忘れている。今まで学んできたことの重要性を思い知る時でもある。

・目的から手法、調査(実験)の仕方がさっぱりわからん。対して先生たちは「3年も教えたからこれくらいわかるだろう」的な感性である。そのギャップが悲しい。

・他人の論文ってわけがわからない。内容をわかりだすのは卒論や修論をまとめているころである。



野外調査
(ここで頻繁にでる「露頭」という単語は地層が露出している崖などを指します。理科の教科書の写真にでてくるサンドイッチみたいな崖とでも考えてください。)

出発
・準備はゆっくりじっくりやるべきなのだが、直前まで研究や作業をやるので結局いつもギリギリになる。

・出発の前日になると出発日を1~2日ほど先延ばしにして、その間に遊びたくなる。

・3年時の予行練習(専攻セミナー)をもっと有効活用していれば…と思う。

調査活動
・はじめて現地へ行く時は、そこにある岩石の特徴がさっぱりわからない。砂岩を火山岩だと思いかけたことがある。

・調査は自分の予定通りに進まない。ほとんど全てで予定よりも時間がかかる。計画通り、もしくは計画より早く調査が進んだら奇跡である。

・計画段階で肉体的・精神的疲労を踏まえたペース配分を考えないので、自然に日程が遅れていく。

・理想は日の出とともに調査を初めておやつの時間に引き上げることだが、そんなの1週間に1回できればいいほうである。

・日ごろの生活と比べて喜怒哀楽が激しくなる。

・野外調査で一番楽なのは露頭を見ずにただ歩き続けることである。特に露頭のほとんどない尾根をスイスイ歩いているときが一番気持ちいい。

・沢から尾根上にかけて歩く場合、その目的が露頭を見つけて観察することからいつの間にやら沢を登りきることへすり替わる。

・急斜面を登っているときに露頭がホイホイでてくると腹が立つ。

・日がたつにつれて野帳の記載内容が雑になってくる。

・現地の方々に顔を知られるようになる。

・先生が現地に来てうれしい場合と困る場合がある。

・何故か、ニキビができなくなる。

・雨具を着ると雨が止み、雨具を脱ぐと雨が降る。

・晴れるのは素晴らしいことだが、川の水位が下がって川沿いの岩が多く露出し、調査の手間が増えることもある。

・蛭に噛まれると蚊に刺されるより萎える。

・道を作った人を尊敬するようになる。

・調査がうまくいかないと、今後の人生に不安を感じるようになる。

・いつも見ている地層と全く違う岩石、もしくは地層境界が見つかり、なおかつ自分でもきちんと観察できると、ものすごく元気になる。

・必要があろうが無かろうが多くの岩石試料を持ち帰らないと気がすまない。後になって「何故こんなに持ち帰ったんだ…」と思う。

・歩く道の選択や露頭観察における判断は大事だけど、それ以上に思いきる決断が大事。

・1日のうちのある時間帯(自分の場合14~15時)は肉体と精神に疲労がたまる。2~3日に1回はそれが原因で30分~1時間ほど昼寝をするか、不貞腐れる(歩くのを嫌がる小学生といえよう)。

・同じ経路でも、気分によって1日に5km進めることもあれば1kmも進めないこともある。

・1人で調査するのは色々大変だけどポジティブに考えれば気楽である。ある程度はマイペースで思うがままにできるので。

・流石にねつ造はしないが、先生レベルから見て手抜きをしちゃうことはある。

・調査を終えて宿に戻るときのテンションが異常に高い。

・宿に戻ってからのまとめ作業が一番だるい、眠い、ムカつく。

・調査をした後、割り切りをよくすればもっと早く進めたんじゃないか?と思うことが多い。

露頭観察
・露頭とは見つけたいときに容易に見つからず、これ以上見つけたくないときに沢山見つかるもの。

・重要な露頭ほど、土や植生や風化で汚れている。

・露頭を見る「うわ~すげ~、でもわかんね~」

・地層境界は大体が埋まっている。露頭面上にある境界も同じである。でもその多くが埋まっているおかげで調査の手間が省ける!

・マムシやスズメバチがでるともはや観察どころではない。万が一観察しなかった理由を聞かれたとしても、理由をはっきり言った方がいい。

・じっくり観察すればろくに進行せず、スイスイ進行すればろくに観察が出来ない。即ち、僕らは完璧な観察を諦めて開き直るほうがよろしい。

・1つの露頭の観察にのめりこむと何日あっても足りない。時間をかけすぎる割には観察が進まない。

・先生が現地に来た時は、いつもより圧倒的に露頭観察を精密にじっくりやる(たとえ時間をかける必要のない露頭でも関係なしに)。

・重要ではない露頭だと思って普通に受け流したものが、実は重要な露頭だったのだ。

・とくに特徴のない露頭(岩石が1種類しかなくて特徴もない)は、ハンマーで石をたたき割ってそれを見て岩石名と位置を地図に書き込んで3分ほどで観察終了楽勝♪

休養日
・調査を始めて1週間がたつとだれる。

・最初の1週間は比較的真面目に頑張るが、一度休暇をとると一気に堕ちていく。

・休む日の前日の夜は無性にウキウキするが、休日の夕方には次の日の作業を考えざる負えなくなる…サザエさん効果だ…。

・休養日にどこかへ遊びに行きたいが、溜まったまとめ作業や試料の整理で半日はつぶれる。

帰る
・調査終了の2~3日前になると家へ帰るのが無性に楽しみになる。しかし学校へ帰る楽しみは無い。

・戻る日を正直に言うと(特に木曜日の夜の場合)次の日に報告に来るように言われる可能性があるので、数日(特に週末)は実家に行ってそれから戻ると言っておく。

・報告し辛い疾しいことがいくつかある。とはいっても重要で深刻なものでもないので、聞かれない限りは黙秘しとこう。

・全日程のうち、一番楽しいのは恐らく乗り物で移動している時、特に帰る時である。

・家へ帰った直後に現実に引き戻されて次の日に結果報告をすることを考えて憂鬱になるが、その日の夜はニコニコ動画鑑賞などで現実逃避する。 またその次の日は飲み会とかで同じく(以下略)。

・野外調査から帰ると気が抜ける。そして遊びに行く。

・調査時は規則正しすぎる生活をしていたが、学校に戻るとそれが「ヤンガードライアス事件」のごとく一気に崩壊する。



原稿執筆
・何を書いているんだか自分でもわからなくなる。

・頭では何を書くべきか大よそ分かるのに、いざ書くとなるとなかなか文章にできない。

・執筆中にパソコンが重くなるとすんごいイライラする。

・見直しをしたら突っ込みどころがどんどん出てくるので萎える。

・原稿の文字数やページ数、引用文献の数を増やすだけで、その数相応の研究をした気になる。

・原稿を先生に見せに行くのが非常に億劫になる。

・原稿を先生に見せに行くタイミングをよく誤る。

・原稿を先生に見せに行く途中でその中身を見直してはイケナイ。

・原稿を、胸を張って見せにいける状態にはならない、てなわけで出来てないまま見せにいくしかねぇ…。

・考察やまとめの執筆速度は、提出直前が一番速い。

・先生が気にしていない、もしくは許容範囲内のことであっても、指摘されるのでは?と疑心暗鬼になってその修正や構築にかなりの時間を費やす
→ 報告後に「これに時間をかけなくてもよかったのに…」

・「○日の△時までに見せに来れる?」→「無理です」とは言い辛いので、「はい」と答える→間に合わなかったので、終わらないまま見せに行く→「何で全部終わってないのに見せに来たの?」と言われる→萎える



作業の進み具合
・予定時間内に作業を満足に終えた試しがほとんどない、予定(妄想)した時間の2倍はかかると見積もったほうがいい。

・分からない箇所は、ギリギリまで悩んで結局最後の短時間でこじつける。

・実験などのための下準備(この場合、薄片や粉末作りなど)や図表作りのような単純作業は、まだ積極的にやれる。

・1つの作業が時間通りに終わらず、ほかの作業もそのしわ寄せで連鎖的に遅れて、最終的には全て中途半端になる。

・1つの作業にこだわり過ぎるあまり、他の作業を疎かにしてしまう。

・テキパキ集中しているときと、だらけているときのギャップが大きい。

・進行速度がいくら遅くても、息抜きをする時間は変わらない。

・先生「これは○○だということをちゃんと理解して、考えてやっているんだよね?」→「はい、ちゃんとやっています(やべえ…何も考えてなかった…)」

・時間をx軸、進み具合をy軸とする。実際にはy=xでもその時の気分はy=x2である。大半の場合は実際の進行がy=x2でもあるが。



ゼミについて
・時がたつにすれ、発表の準備を極力短くしようとする(良く言えば効率改善、悪く言えば手抜き)。

・発表を重ねるごとに、過去に使ったスライドや文章をコピペするようになる。

・前の発表のスライドや文章をコピペしたが、当時間違っていた部分を改善し忘れて発表した。

・同じ発表内容やスライドでも、発表者の話し方で聞く気と理解のしやすさのパラメーターがかなり変わる。

・教員同士での考え方に違いがみられ、ときたま衝突することがある。そのため、どちらの案を取り入れて発表しても物言いがつく、ああもう面倒くさい。

・各先生の質問内容はそれぞれ何かしらの傾向をもつ。たとえば、
-日本語や専門用語を正す
-スライドのコントラストばかり指摘する
-ふと気になった、興味がわいたから聞いてみた、というニュアンスの質問をする
-実に論理的で正論で、内容によっては「そこは聞かないで!」と叫びたくなるような質問と指摘をする
-後で個人的に聞けばいいようなどうでもいい質問や談話をする(特に発表者の空気を和ませることもある)
など。

・質問者がいない場合に、「なら自分が」という意気込みで質問をする役の先生は大体決まっている。

・質問・ご指摘を受ける → 「調べておきます」 → 後日「…」

・ゼミで自分自身が1回でも質問をしたら、今日やるべきことをすべて終えた気になる。

・発表内容に自信があるか無いかは声色となって現れる(たとえで言うなら野党時代の鳩山と首相時代の鳩山の違いみたいなもの)。

・機嫌の悪い先生が質問をすると、ゼミの結末は予想がつく。

・和やかに終わる場合と殺気立って終わる場合がある。発表前にどちらに転びそうか予想できる事象でもある。

・発表の後の質問が長引くと聞き手達の、「早く終わってよ!」という空気が充満する。特にやっと終わると思った矢先に新たな、特にどうでもいい質問がでるとみんなの体がピクン!と反応する。

・発表内容と関係のない、どうでもいい質問はやめてくれい。

・切羽詰まっている時期に時間の長いゼミが開かれるとマジでムカつくこの野郎。

・基礎的な質問をされると逆に答えづらい。

・普段のゼミよりも卒論(修論)発表会や学会発表のほうが気楽かも。



生活について
・9時~17時の時間帯に学校にいる人を見ることはほとんどない。

・何気にみんなうまく休んで(サボって)いる。

・多少サボろうが、サボらずに月曜~日曜まで毎日朝から晩まで学校にいようが、成果は変わらない。

・十分に寝て寝起きが良い朝を迎えても、学生部屋に着くと眠くなる。

・僕らがやっているのは休暇ではなく、脱走である。

・今までと比べて、悪口を言う回数が増える。

・昼ごろに先生とすれ違うときに、「こんにちわ」ではなく「おはようございます」と言ってしまう。

・疲れていても、休日はどこかへ積極的に遊びに行くようになる。

・学生部屋の扉が開くとドキッ!!!とする。

・学生部屋にいると、例え遊んでいても傍目から見れば真面目にやっているように見える。

・学校をサボって遊びに行きたいという意欲がどんどん湧き出してくる。3年までは想像が付かなかった。

・研究をする体力と、遊びに行く体力はある意味別腹。

・ときどき「新世紀エヴァンゲリオン」の「シンジ」や「アスカ」のようになりかける。

・家に帰ったり遊びに行ったりするのは、
やることを全部終えたから≪≪越えられない壁≪≪かったるいから

・学校に泊まる目的は、
ほぼ完成した卒論もしくはゼミ用のレジュメとパワポを少しでも磨くため≪≪越えられない壁≪≪少なくとも学校にはいたという自己満足に浸るため≪≪越えられない壁≪≪次の日の提出や発表に間に合わないから

・確かにやった方がいいんだけれど、この時期になって言わないで…。

・提出期限の2週間前だとまだ危機感が少ない。恐らく1週間を切ったら…。

・提出期限の1週間前になると、自分のペースを乱されるのを露骨に嫌がるようになる。

・提出期限の3日前になると、1日の半分は学校にいたくなる(成果は変わらずとも)。

・提出期限の前日になると、焦りとあきらめが交錯して、期日に無理やり出す。
「完璧にできた、もう見直すところはない!」≪「やべえ、時間がないからとっとと出そう」

・熱い歌を聴いてテンションだけでも挙げようとする。今のところは。



全体
・今この時点の経験値で研究をやり直したくなる。

・判断以上に決断が重要かも。

・机と心は比例する。

・1年生で習った事でも忘れていることがしょっちゅうある。

・やって当たり前のことを当たり前にやることですな。

・文献を調べてから現地調査をする < 現地調査をしてから文献を調べる 本当は逆なのだが…

・軽い気持ちでも余計な一言を言えば、ためにはなるけど余計な作業を食うことになる。

・「もっと早くし(っ)ていれば…」と思うことを挙げたらキリがない。計画性、作業の開始、決断、思いつき、効率の良いやり方(調査、室内作業など)、パソコンとそのソフトの有効な使い方など。

・「あの時もっとやっていれば…」と思うのだが、その当時はそれなりに必死だったのだ(多分)。

・「今何やってるの?」、「何だろう?自分でもわからない」

・卒論で成し遂げることは、先生が「4年生のうちにここまでできるだろう(やらせたい)」と妄想していたことよりはるかに少ない。

・修論で成し遂げることは、先生が「4年生のうちにここまでできるだろう(やらせたい)」と妄想していた範囲くらいまでいけば上出来である。

・低学年のころはこう思っていた「小中高校と比べて受ける授業の数、1人の先生が担当する授業の数が少ないから大学の先生って結構暇な職業なんだなあ」。サーセン!!!!

・不正をする人の気持ちが分かりかけてしまうことも。自分が試される。

・先生の何げない気軽な一言が発端で行う作業が半端なくめんどい。

・先生の考え方と学生の考え方がいつの間にやら食い違い、もしくはペースに差が出て、それを修正するのがめんどい。

・先生の言っている内容が数カ月の間に変わることがある。

・「言われたとおりにやってよ」、「言われたらからといってすぐにハイと言わない」、どっちだ…。

・先生の機嫌が良い時と悪い時の差が激しい。悪い時には行くべきではない。余談だが、夕飯に食べたラーメンが不味くてその夜は露骨に機嫌を損ねていた例がある。

・先生の(特に思いつきからくる)方針や予定の変更はやめてほしい。「忍玉乱太郎」の忍術学園の学園長の行動がいかに面倒くさいかがわかる。まあ学生も人のことは言えないのだが。

・先生に聞けない(聞きづらい)質問がある時に先輩にそれを聞けるとすごく助かる。

・指導教員以外の先生のほうが話しかけやすい。

・先生の研究における期待、意図、目標、私的な妄想を裏切っていることが多い。

・先生たちの質問や指摘、要求が一番五月蠅いのは中間報告(10~11月)のころ。最終報告(1~2月)では相対的に静かになる。
理由:出来が良くなってきたから≪諦めたから



最後に
自分に言い聞かせるべき言葉:「未来における自分の責任は現在の自分が負うべき」
(「涼宮ハルヒの陰謀」の「長門有希」より)

自分に言い聞かせてはいけない言葉:「明日から頑張ろう」
(「天体戦士サンレッド」の「ドガ」より)

研究の出来に言い聞かせる言葉:「だが、それがいい」
(「花の慶次~雲の彼方に~」の「前田慶次」より)

卒論や修論を一言でまとめると、
「虹は離れた所で見るから美しい、だけどその中に入ってみるのも悪くはない」

ブーメラン演説  菅直人の場合

 以前、野党時代の鳩山が首相時代の鳩山を追及している動画(http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-833.html)を紹介しましたが、菅直人の動画もありました。趣向は鳩山動画と同じで野党時代の菅直人が与党時代の菅直人を追及している様子です。こちらもまた応答が自然すぎて国の外から見ればコントだが、国内では目をそむけたくなる現実であるのです。

 いつも思うんだが、なぜ民主党の連中は野党の時のほうが生き生きとしているんだ?他にも菅直人の明かされるべきネタはありますが、彼は薬害エイズを追及していた時が今や他の事象と比べてよっぽど日本のために頑張っていたし、動いていたようですね。

 そういえば、「鳩山由紀夫vs.鳩山由紀夫」の動画が産経新聞で紹介されていました(→http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091211/plc0912111928013-n1.htm)。産経新聞は、アメリカに寄りすぎているという欠点のある新聞ですが、こういった記事を含めて民主党批判を一番積極的に、あるいは的確に行っているかもしれません。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm9462394


http://www.nicovideo.jp/watch/sm9492348

プリンセス・ジュリアナ国際空港

 世界にはこんな光景のみられる空港があります。



 これは、カリブ海のセント・マーティン島にあるプリンセス・ジュリアナ国際空港です。ここは、海岸の20~30m上を旅客機が離着陸で通過する名所です。この空港は地理条件から海岸のすぐ近くに設置され、同じ理由から滑走路の長さが2349mしかありません(ジャンボ旅客機の離着陸には2500mが必要)。そのため、特に大型旅客機ほど滑走路の端すれすれで離着陸する必要があり、結果低空飛行がなされるのです。大型なものほど低空飛行するため、より迫力が感じられるでしょう。動画を見た感じでは、旅客機が真上を通過してから5秒ほどで滑走路に降り立っているようです。航空機の着陸時の速度は約250km/hなので、撮影地点と着陸地点の距離は約350mしかないようです。

 富山空港がこんなんだったら、確実に送電線や北陸自動車道にぶつかりますね。ちなみに、富山空港の滑走路の北端と北陸自動車道の橋の距離は、約750mです。それでもずいぶん低いところを飛んでいるように見えるので、プリンセス・ジュリアナ国際空港はとんでもないですね。

アマゾン川が世界一長い川になる可能性

 世界で一番長い川は「ナイル川」(6695km)、2番はアマゾン川(6516km)という順番は小学校の社会の授業で教わった、とても有名なことです。しかし、最近の研究では「アマゾン川」が「ナイル川」より長い可能性がでてきました。今から2~3年前の研究から、「アマゾン川」の総延長が6800~6992kmになるとの主張が出ています。「アマゾン川」は世界一の流域面積を誇り、流路が非常に曲がりくねって複雑です。未知の源流が発見されたり複雑な流路の計測が進歩するにしたがい、このような可能性が生まれてきています。

 せっかくなので、「アマゾン川」の大きさを挙げます。「アマゾン川」の流域面積は705万平方キロメートルと、オーストラリア大陸の面積に匹敵します(日本は38万平方キロメートル)。「アマゾン川」全体の平均流量(1秒に流れる水の体積)は日本の「利根川先生」の850倍に上り、世界最大の面積を誇り日本の領土面積に匹敵するカスピ海にその水が流れ込んだら、1年で水位が20m上がります。川の勾配も非常に緩やかで、河口から1600km遡っても海抜は32m、3800km遡っても80mにしかなりません。世界が違います。これだけ緩やかな川だから、源流~河口の実距離と直線距離の比は、限りなくπ:1に近いのだろうか?

川の長さと円周率

 川の源流~河口までの実際の距離は、その2点を結ぶ直線距離の3.14倍に近いそうです。ケンブリッジ大学教授で地球科学者のハンス・ヘンリック・ステルムという人がそれを提唱しましたが、あらゆる川の計測を行ったところ大体の川は実際の距離/直線距離の値が3より少し大きく、平均化すると3.14に近づくとか。これは、曲線区間における浸食で川がどんどん蛇行する現象と蛇行した川が再び直線に戻る現象(三日月湖の形成)がバランスよく起きているからだとか。特に、ブラジルやシベリアなどのなだらかな地形を流れる非常に蛇行した川は3.14に近い傾向だそうです。

富士山の山頂付近には県境が無い

 富士山は静岡県と山梨県の2県にまたがってそびえ立ち、両県が富士山を半々に管轄している状態です。しかし、富士山の山頂付近には両県の県境がありません。

富士山の県境
 こちらは、富士山を含めた地図です。県境を黒色、市町村境を青色で示しています。山頂~その東側のおおよそ5kmにわたり、県境がありません。よく見たら、東側の篭坂峠でも県境が消えいています。しかし、市町村境はくっきり分けられています。これはどういうことだ?山頂付近には両県合わせて6つの市町村がひしめき合い、日本最高地点の剣ヶ峰(3776m)(赤円の部分)は静岡県富士宮市に入っているように見えます。しかし、県境が不確定なので最高地点がどちらのものかは結局のところ不確定です。山頂付近は、富士山信仰の代表的存在である、富士山本宮浅間神社の土地(境内)になっています。しかし、両県境が引かれていないため、正式な土地登記は現在も行われていません。

 まあ、境を引こうとすれば色々もめ事になりそうなのは明白なので、今に至っても不確定が続いているのでしょう。それに比べれば、富山県内にある立山連峰は実に丸く収まっているといえるでしょう。

 また、山梨県の方々も同じ趣旨を持っていたかもしれませんが、静岡県の人の多くが子供のころは、「富士山は静岡県のものだ」と無意識に思っていたようです。自分も小学校低学年までそう思っていました。両県が半々に管轄していることを知るのは、おおよそが社会の授業を受けてからでしょう。

ブーメラン演説

 野党時代の 鳩山由紀夫(赤色ネクタイ)と総理時代の 鳩山由紀夫(黄色ネクタイ)が対峙している動画がありました。確かに誰かがやりそうなネタと今では考えられるけど、ようやりますね。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm8824199


http://www.nicovideo.jp/watch/sm8867605

 笑えない話なのだが、安倍晋三や麻生太郎も総理になる前となってからで公式に発している内容が変わっているのですよ(特に歴史、外交など)。少なくとも、鳩山もそれを繰り返しているということでしょう。

人間の行動について

 人間の行動について面白いことを論じていたので、ここに挙げます。

人はなぜ、「衝動買い」をしてしまうのか
プレジデント11月17日(火) 10時 0分配信 / 経済 - 経済総合

所得が増えても幸せになるとは限らない「不合理」
■ハサミの値段はルーレットで決まる

 なぜ、人間は衝動買いをしてしまうのだろうか。
 NHKの「ためしてガッテン」で「脳に待った! 衝動買いドキドキ心理学」という特集を監修し、次のような実験を行った。
 被験者に「よくあるハサミ」を見せ「このハサミは何円するでしょう」との質問をする。ただし質問に答える前に、200から2000まで、200の数字ごとに刻みをつけたルーレットを回してもらった。
 ルーレットが止まった数字を確認した後、先ほどのハサミを見せ、値段を尋ねる。すると面白いことに、本来は何の関連性もないはずのルーレットの数字に被験者は引きずられ、ルーレットで出た数字に近い金額をハサミの値段として答えた。
 実験の被験者60人のデータによると、ルーレットの数字が小さい(200~1000)人と、大きい(1200~2000)人の間で、ハサミの値段の見積もりに700円以上の差が出た。400の数値が出れば「100円ショップに売ってそう」、反対に、高い数値が出ると「質が高そう」「よく切れそう」として高い値段を答えたのだ。ルーレットとハサミの値段が全く関係ないとわかっていても、その通りに行動できないのだ。

 ハサミという、身の回りにある日常品についてもこうなのだから、よく知らない商品を選ぶときは、口コミ、コマーシャル、あるいは「限定品」「希望小売価格から50%割引」という魅力的に思える情報によってコロッと行動が変わってしまう。
 人間は不確実な事象について予測をするとき、初めにある値(アンカー)を設定、その後で調整をして予測を行う。しかし、最終的な予測値が最初に設定する値に引きずられてしまい、十分な調整ができないことがある。この場合、ルーレットの値がアンカーで、ハサミの値段についての最終的な予測が、アンカーに引きずられていることになる。こうしたバイアスのかかる結果を「アンカリング効果」という。

 2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは元来心理学者だった。
 カーネマンは、新古典派経済学が前提としてきた「(合理的)経済人」というテーゼを問い直した。
「経済人」とは、わかりやすく説明すると、将来のことも含めて何から何まで期待値の計算が完全にできる人。たとえば、なにか行動を起こす際も、その結果どうなるか、どれが一番満足を得る行動なのかが判断できる。加えて、一度決めたことは絶対に実行できる。たとえば禁煙、ダイエットも決心したら絶対にできることを前提にしている。
 しかし「経済人」というモデルは普通に考えても成立しない。
 計算が完璧にでき、ものを買うときには、自分の予算の中でなにをどれだけ買ったら満足が一番いくかが完璧にわかる。将来も常に確率的に予測できる。というような人が現実的にいるのだろうか。
 先ほどの例で言えば、本当の「経済人」だったら、禁煙、ダイエットが必要な状況にはそもそも陥らないはずだ。禁煙、ダイエットをしなければならない「経済人」など論理的にもありえないのだ。
 感情、気分的なものにも振り回されるし、頭をフルに動かして考えるということはエネルギーがいるので、極力節約しようとするのが人間、というのがカーネマンの前提だ。
 消費者がCMに振り回されやすいのも同じこと。「経済人」だったら複数ある中からどの商品を購入すれば一番得かということが、瞬時に判断できる。しかし実際は商品の詳細な情報などはなかなかわからないし、適正価格を知っている人間はごく一部だ。

■人類がアフリカにいた頃の習慣

 昨年のリーマン・ショック以来の世界不況の原因の一端もここにあると考えられる。サブプライムローンの証券化商品について、買う側は品質評価、つまりリスクの高低などを自分では判断しえなかった。そこで格付け会社に全幅の信頼を置いていたのだが、その格付けを信頼した多くの人が破産してしまった。
 買い手が「ちょっとおかしい」とでも合理的に判断できれば回避できた事態のはず。安易なヒューリスティクスに頼ったことがマイナスに大きく作用した好例といえる。
 反対にリスクを恐れて行動できないということも起こりうるだろう。転職を勧めるヘッドハンターが提示した給与、環境、役職・地位などの条件が、明らかに現在の職場よりも良かったとしても、今の仕事を続けるという選択をする人は多い。言葉ではうまく説明できない非合理的な行動を人間はとるのだ。

 では、なぜ人間は合理的な「経済人」にはなれないのか、些細な情報や感情に振り回される存在なのか。カーネマン自身が研究の中で言及しているわけではないが、行動経済学の枠組みから辿っていくことができる。
 話は原始人類まで遡る。彼らはアフリカのサバンナで何万年にもわたって狩猟採集生活を行ってきた。人類はこの環境に適応した期間が莫大な長さになるのに、ここ数百年の環境があまりにも急激に変わりすぎて、人間の脳や頭が適応しきれない状況ができているようだ。ストレスやその他、精神疾患などの病気も、こんなところに、そもそもの原因があるといわれている。現代人の多くは甘い物や脂っぽい食べ物を嗜好するが、決して現代生活に適しているとはいえない。だからこそ多くの人がダイエットに迫られ、しかも大抵うまくいかない。

 しかし、アフリカのサバンナでは「甘く、脂肪を好む」種が生き抜いて代々子孫を残してきた。甘い物、脂っこい食べ物はカロリーも高いのだから、当然といえば当然。そうした嗜好を持たない者は数万年にわたって淘汰されてきた。
 些細な情報に左右される衝動買いや限定品買いといった行動も、目の前にあるものをすぐに食べるのが生存競争では必須であり、なおかつ合理的であったことに由来する。そうした思考ないし行動の持ち主が代々子孫を残した。そうでなければ淘汰にさらされる。
 些細な情報に振り回されるというのも、考えてみれば原始人類は100~150人程度の限定した集団で生活していた。その内部の情報を疑う必要もなかったので、情報が入ってくればすぐに行動するのが当時としては合理的であった。そうした反応が現在にいたるまで身についている。そういった集団内の常識に縛られ、合理的な行動を起こすことをためらうのだ。

 行動経済学の研究は今、「幸福」を研究するところまで広がっている(上図)。所得が小さいときは、所得という尺度は幸福度に大きく貢献するという。しかし、所得がある程度になると尺度の比重として下がり、人間関係、仕事の満足度、といったものが上位にランクしてくるという。
 合理性の追求が幸福の絶対的要素ではない。衝動買いやリスクを取らないという生き方も、幸福の要素になりうる。

 以上のような議論をすると、消費者にどうやって衝動買いをさせるのか教えてほしい、というご依頼を企業側からいただく。
 小売りや量販店の値札のつけ方を見ても、人間が「経済人」として合理的に行動するのでなく、「感情」で動くことを企業は経験的に知っているようだ。私を招いて論理的に学びなおし、企業の販売戦略に活かしたいのであろう。有り難い申し出ではあるのだが、私は消費者の側に立ち、そんな企業に騙されることのない、より賢い生き方を啓発していきたい。

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明治大学情報コミュニケーション学部教授
友野典男
松山幸二=構成

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091117-00000001-president-bus_all

 不思議ですね、人間のやることって。どんなに文明が発達しても、自然の真っただ中に生きていたころの本能が残っていて、今の人間は現代社会の急激な変化と不協和状態にもなっているようです。
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