立山日帰り旅行 その7 黒部ダム

 富山を出発して4時間16分後に目的地の黒部ダムに到着しました。黒部ダムは昭和38年(1963年)に竣工し、堰堤の高さが186mと日本で一番高く、貯水量は2億トンに達します。ダムの放水孔(高さ110m)からは毎秒10トン以上の水が噴き出します。近年の土砂堆積率は14%(平成18年)で、ダムの耐久を考えたら寿命はあと250年らしいとか。映画「黒部の太陽」やプロジェクトXでも工事の一部は紹介されていますが、この恐ろしく秘境に造られたダムは莫大な難工事を経て造られ、171人もの殉職者を出しました。壮絶な苦労により造られた、功績であります。

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 上の展望台から見たダムです。「るるぶ」おなじみのアングルです。「関電トロリーバス」の「黒部ダム駅」より220段の地中階段か岸壁に張り付く階段をのぼります。空気も薄いためかかなり疲れますが、黒部ダム建設の動画を記念館で見たらこんなのへでもないことに気付くでしょう。実際に記念館の動画は、本当にすごかったです。無条件で50年も前にこの工事に携わった人を尊敬するようになります。

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 堰堤から見た下流側の様子です。ちょうど放水口の上にいます。滝のようにそのまま流したら河床が削られてダムに影響を及ぼすため、霧状にして放水するようにしています。3次元アーチの都合から壁の傾斜が90°を超えているため、我々は空中に張り出している状態です。とっても冷えます。僕は体感温度の変化を生で体験するという建前で半そでを着ていますが、この場所での半そで率は1~2%ほどです。

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 本日の水面は、河床より154mの位置にあります。この景色を見て2年前にネット上ではやりだしたネタをすぐに思い浮かべる人は…

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 立山連峰を向いています。黒円の部分が「大観峰駅」、黄色円の部分が「黒部平駅」です。建物っぽいのが見えます。右上の高い部分が雄山や大汝山です。

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 虹と副虹が見えました。ダム周辺には露頭(←理科の教科書でいう「地層」のこと。特定の人の頭のことではありません)がたくさんあります。こういうところにある人たちがつきそったら、「あれは何に見える?」「本当に花崗岩なの?」「なんでそう思うの?」「面構造は見えた?」「どういう方向に応力が働いていると思う?」…などの、遊びに来てまで聞きたくもねえ台詞が飛び出しそうです。

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 「関電トロリーバス」の関電トンネル(全長6.4km)は、映画「黒部の太陽」の舞台でもあります。破砕帯から膨大な出水が起こり、大変な難工事となりました。現在でも破砕帯から水が湧き出し、飲み放題です。1年で40億ℓも湧き出しています。

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 地中階段ですトロリーバスの駅と展望台の間を220段で結びます。

 時間は速いですが、何しろ起きた時間も早いのでここで昼食をとりました。メニューには「黒部」とか「ダム」とかの名前が付いていました。ここでは2時間以上のんびり?過ごし、その後はのんびり元来た道を戻りました。
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立山日帰り旅行 その6 黒部ケーブルカー

 ついに黒部ダムの目前の「黒部平」まで来ました。あとは、「黒部ケーブルカー(立山黒部貫光鋼索線)」に乗るだけです。黒部ケーブルカーは昭和44年(1969年)に開通し、「黒部平」(1828m)~黒部湖(1455m)の間を5分で結び、高低差は373mです。最大勾配は587‰(約30.4°)で、一般客が利用できるケーブルカーでは日本最急勾配のある高尾山ケーブルカー(608‰、31°18分)とほぼ同じです。このケーブルカーの特徴は、ほぼ全線が地下区間であることです(「黒部平駅」は若干地上にでているが、案内では“全線地下”と主張している)。雪から路線を守ること、自然への影響を最小限にすることが目的でこうなりました。30°もの勾配のトンネルをどうやって掘るのだろうか?一般人にはとんでもない世界でありました。

 「黒部平」でも間髪入れずに乗り換えました。あまり待たずに乗れました。一応「立山駅」での乗り換え以外は順調です。一時期は昼までにつけるのか2人で不安になっていましたが、意外と大丈夫でした。しかしまあ、ヒバリと違って帰りの込み具合まで僕はあまり考えていませんでした。そして後に少し思い知ることに。行きは行くことばかりに集中していたので、3枚中2枚は帰りに撮影した写真を載せます。

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 「黒部湖駅」です。こちらは完全なる地下空間にあります。そしてこの込み具合。定員は130人なので、往復線合わせて260人がこの構内にいるのです。

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 これが傾斜25~30°の勾配のトンネルです。すげえ…。運行されるときに明かりがつきます。

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 行き違い区間です。前方に対向列車が見えます。

 目的地の黒部ダムまで、富山地方鉄道(本線、立山線) → 立山ケーブルカー → 立山高原バス → 立山トンネルトロリーバス → 立山ロープウェイ → 黒部ケーブルカー、と、6つの交通機関を利用しました。「電鉄富山」を出発したのが5:44で「黒部湖」に着いたのが10:00。移動距離は約66km、4時間16分かかりました。料金は片道券で7730円往復券で11570円です。そういえば、「大観峰」で駅員が演説中に料金が高いことを話の内容にネタとして入れていました。

立山日帰り旅行 その5 立山ロープウェイ

 またまた駅の展望台からの景色を見る暇もなく、階段を上ってすぐに「立山ロープウェイ」に乗り換えました。「立山ロープウェイ」は、昭和45年(1970年)に開通し、「大観峰」(2316m)~「黒部平」(1828m)の間1710mを7分で結び、高低差は488mです(計算すると、平均勾配は約16°)。駅間の1710mにわたり支柱は1本もなく、ずっとロープのみで支えられています。凄い張力が働いていそうです。運行速度は27km/h(50mを6.6秒)で、互いのゴンドラがすれ違う相対速度は54km/hとかなり速いです。ちなみに、ロープウェイは定義的に鉄道よりもむしろ索道に属します。そのため鉄道と定義されることはほとんどなく、一部の図鑑に鉄道として紹介されるくらいだそうです。

 「大観峰」ではロープウェイ待ちの際、職員が観光案内を面白おかしく演説していたので有意義に過ごせました。ロープウェイの定員は80人と、輸送力はアルペンルートで一番低い方でしょう。帰り道にそれが響きました。もちろんピストン輸送で満員でした。

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 「大観峰」から眺めた黒部湖です。写真中央より少し左より(黒部湖より左)の丘にある建物が、「黒部平」です。このあたりは冬季は雪崩が多発するため、ロープウェイの支柱を立てないようにしました。完全なる空中散歩です。ロープウェイから見た下の斜面(タンボ平)は低い植生に見えますが、実際は高さ2~3mの木です。

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 東斜面にも、若干雪渓が残っています。

立山トンネルトロリーバス、幻の「雷殿駅」

 微妙に話が「立山日帰り旅行」から逸れますが、ここで立山トンネルトロリーバスにある幻の駅を紹介します。現在立山トンネルトロリーバスは、「室堂」~「大観峰」の間をノンストップで結び、途中駅がありません。しかし、かつては途中駅がありました。「雷殿」という駅です。

立山トンネル
 上図は、立山トンネルトロリーバスの路線を示す地形図です。「大観峰」より「室堂」側に500mほど進んだ場所に分岐点(赤円内)とそのさきの坑口があります。坑内か屋外かは不明ですが、この付近に「雷殿駅」がかつて存在しました。この路線のトンネルは異様にクネクネしている印象がありますが、この駅の設置が原因の一つらしいですね。かつてはこの付近に登山道が存在し、「雷殿駅」は登山客の利用駅として機能していました。しかし登山道の崩壊により駅が休止となり現在に至りました。「大観峰」付近に出口へ向かう分岐点が見られますが、それが「雷殿駅」への通路(もしくは降り口)です。

 最後に、カテゴリーは「鉄道」に分類しています。過去は普通の路線バスで下が、平成8年(1996年)からトロリーバスになり、バス停も鉄道駅になったためです。

立山日帰り旅行 その4 立山トンネルトロリーバス

 「室堂」についてからは景色を見ず湧水も汲まず、間髪入れずに「立山トンネルトロリーバス」に乗り換えました。立山トンネルトロリーバスは、正式名称が立山黒部貫光無軌条電車線で、「室堂」(2450m)~「大観峰駅」(2316m)の3.7kmを10分で結びます。高低差は134mで、緩やかな下り坂が多いです。全線は地下トンネルで、途中に破砕帯があり、底から湧き出た水が室堂に輸送されています。昭和46年(1971年)に開業した時はディーゼルバスでの運行でしたが、平成8年(1996年)からは車両の置き換えに伴いトロリーバスとして運行されるようになりました。現在の日本でトロリーバスが存在するのは、この路線、および「黒部ダム」~「扇沢」を結ぶ関電トンネルトロリーバスの2路線のみです。

 ちなみに、トロリーバスは鉄道です。正式には無軌条電車線と呼ばれ、架線のある場所のみで運行されることから(線路の上しか走れない普通の鉄道と状況が同じ)、日本の法律上では鉄道になります。ゴムタイヤで走る札幌の地下鉄や全国各地の新交通システムと同じようなものですね。

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 「大観峰駅」です。この路線の駅も地下にあり、トンネルがロータリー状に環状になっています。

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 中間地点にはすれ違い箇所があり、断面積が広くなっています。ちょうど対向車が前方から来ています。トロリーバスは数台1組で運転するため、意外に輸送力は大きいです。

立山日帰り旅行 その3 立山高原バス

 間髪入れずに今度は立山高原バスに乗り換えて、室堂へ向かいました。立山高原バスは、美女平(980m)~室堂(2450m)の23kmを約50分で結びます。高低差は1470mです。自転車で下ってみたくなる道ですが、意外に勾配が急でカーブもきついため、ブレーキをかけてはらはらしながら慎重に降りる羽目になるでしょう。この一帯はマイカー規制がなされ、近年ではハイブリッドバスへの置き換えも進んでいます。バスは、何らかのイベントにありがちな完全なるピストン輸送でした。朝早くに起きてしまったため正直寝たいところですが、何度も立山に行っているのにもかかわらず景色を見たいという未練で1分意識を失った以外は、僕は起きてしまいました。ヒバリはしっかり休息を取っていました。それが正しいのだが、起きていたいというジレンマが…。

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 途中の滝見平からみた、称名滝です。美女平からの台地は溶結凝灰岩とかなんやらでできたらしいです。近くに悪城の壁という、落差が200m以上もある崖があります。よくこんなところに道路を造ったものです。

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 おおよそ西側を撮影。あの雲の中に富山平野が!正面の山には、戦国大名の佐々成正が財宝を埋めたという伝説があります。右下のくぼ地っぽいのは称名滝が形成されている谷です。

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 左側に剣岳が見えます。

立山日帰り旅行 その2 立山ケーブルカー

 「立山駅」から立山ケーブルカー(本名:立山黒部貫光鋼索線)に乗って「美女平」まで行きました。これでもまだまだ序の口です。立山ケーブルカーは、昭和29年(1954年)に開通して建設中の黒部ダムの資材を運搬にも使用されました。「立山」(490m)~「美女平」(977m)を全長1.3kmを7分で結び、高低差は487m、最急勾配は27°(560‰)です。

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 このケーブルカーは、日本で唯一貨車を連結しています。アルペンルートの補修用資材やスキー板をはじめとする利用者の重い荷物を積むのに使います。

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 すれ違い地点です。分岐器は、ケーブルが通るためにレールに切れ目を入れてあります。この左側に天然記念物である柱状節理があります。車内放送で案内されましたが、僕は目を逸らしましたとさ♪

 「美女平」からは高原バスで「室堂」まで直通しますが、こちらの方はピストン輸送がされているため、あまり待たずに乗れました。

立山日帰り旅行 その1 富山県最過密地帯

 連休2日目は、ヒバリと予定通り黒部ダムを見に行きました。彼のご指摘通り富山地鉄の始発列車に乗りました。始発は5:44「電鉄富山」発なので、3:50に僕は起床して予定通り乗ることに。しかし、駅には既に長蛇の列が…ある程度は予感していたとはいえ、ヤバそう…。往復券の発売所はまだ開いていません。昨日はのんびりしていたのにもかかわらず、往復券をあらかじめ買わなかったことにここで後悔。列車は予想通り座れませんでした。てなわけで、前の景色もある程度見れてなおかつ「立山駅」の改札に一番近い扉を陣取りました。それが後に幸いしました。

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 5:40撮影。右側は「立山」行、左側は「宇奈月温泉」行です。「立山」行混んでる…。

 富山地鉄立山線(「電鉄富山」~「寺田」は本線)を走る列車は、「電鉄富山」~「立山」の間34kmを49~60数分で結びます。海抜は「電鉄富山」が8m、「寺田」が14m、「岩峅寺」が185m、「立山」が475mです。単純計算で路線の平均勾配は、「電鉄富山」~「立山」は13.8‰「寺田」~「立山」は19‰、「岩峅寺」~「立山」は20.7‰と、常願寺川沿いにおいてはかなり勾配のきつい路線になっています。

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 「立山駅」です。7:40に撮影しました。1時間前からずっとこんな感じです。ケーブルカーは臨時便も運行し10分間隔、さらに「室堂」直通バスも臨時運転。それでも続々と人が湧いてくるわ湧いてくるわ。アルペンルート自体が富山県内でもっとも人口密度が高い場所ともいえます。乗り物は、全てがディズニーランドのアトラクション化しています。乗り換えに1時間17分かかり、7:50発のケーブルカーに乗りました。

来富

 今月の5連休0日目の夜に、就職した友達が富山にやってきました。発掘調査のバイトによる電撃訪問もあり、1カ月ぶりの再開でしたが、相変わらず元気そうでなによりです。僕はと言えば、三重から帰ってきた自分へのご褒美として先週の自主3連休で廃人生活+徹夜飲み会で堕落した習慣を叱咤激励するために、彼が来るぎりぎりまでしぶしぶ作業をしておりました。

 彼の滞在期間は5連休の3日目までで、そのどこかで黒部ダムへ行く予定です。僕は夜、すぐに爆睡しましたが、サンダーバードで寝ていた彼は元気で結構起きてたらしい。

 次の日は、次の日の立山日帰り旅行の体力を温存するためにゆるく動きました。10:00起床という、テラ学生の生活です。彼が希望していたカリカットと満天の湯でゆるりと過ごしました。他にも行きたいところは考えればわんさか出てきますが、明日のために自重自重。夕方はGB’sカフェで少し飲んで22:00には寝ました。何故かって?明日は始発に乗ることが絶対条件だからです。

地下鉄のトンネル内の起伏

 地下鉄もトンネル内でしばしば起伏があります。それは、土被り(地面からどれくらいの深さを通るか?の距離)、埋設物、地盤、地上権などの様々な要因が絡みます。そのため一概には法則をつけづらくもありますが、強いて単純化すれば、以下のような法則があります。その法則は、昔と最近で変わっています。

無題
 上図は、地下鉄路線の断面図です。昔の地下鉄は、駅(プラットホーム)の位置が、駅間のトンネルよりも深く造られています。これは、建設費を安くするための工夫です。昔は現在よりもトンネル掘削の技術がまだ発展途上で、埋設物も少なかったです。また、当時は露天掘りのような感じで地面を掘り起こしてトンネルを作っていました。そのため、浅く造るほうが建設費が安くなります(1m深く掘ると費用が1割増だったとか)。駅は地下1階が改札のため、プラットホームは地下2階に造られるのが普通です。しかし、駅間のトンネルは地下2階よりも浅くつくれます。そのため、上図のような状態になることが多かったのです。

最近の地下鉄
 こちらは、最近の地下鉄路線の断面図です。このように、駅間のトンネルはプラットホームより深くなっています。こうしたほうが、路線と列車には合理的なのです。駅間が深いと、万が一豪雨などで浸水したときに駅への被害が軽減されます。さらに、駅を出発した後は下り坂で、駅に到着する前は上り坂になるため、車両の加速と減速にも貢献します。他にも、駅間にある埋設物や川の下を潜り込んでよけることも原因になります。最近の地下鉄は、前に造られた地下鉄路線やビルの基礎部を避けるために、深いところに造られます。技術も進歩し、深い場所をシールドマシンでモグラのように掘り進むことが一般になったため、このような起伏になっていったともいえます。

ジャイアンシチュー

 ジャイアンシチューと言えば、味見をしたら本人も倒れるのにみんなにわざわざそれを作ってごちそうする、ジャイアン料理の代表です。実際にそれを造った動画がありました。



ちなみに、ジャイアントスネ夫のやりとりはこうです。

ジャイアン:今日はたっぷり食べてもらうから楽しみにな
スネ夫:ちょっぴりでいいのに

ジャイアン:悪いけどもうちょっと待て
スネ夫:おそいほどありがたい

ジャイアン:どう?うまいか、おいしいか、どっちだ?
スネ夫:…すごい!

 今思えば、原作のドラえもんはギャグや言葉のやり取りがかなり面白いと感じます。

おっちゃん…!

<神谷明>「名探偵コナン」毛利小五郎役を降板 「信・義・仁の問題」9月18日11時6分配信 毎日新聞

 声優の神谷明さんが18日、アニメ「名探偵コナン」(読売テレビ・日本テレビ系)の毛利小五郎役を降板することを自身のブログで明らかにした。 

 ブログでは、「私神谷明は、昨日をもって名探偵コナンの毛利小五郎役を解かれました。理由などは、詳しくお伝えすることは出来ませんが、契約上の問題と、信・義・仁の問題とだけ申し述べたいと存じます。ここでも以前申し上げましたとおり、今回の事に関しては、ひとえに私の不徳の致すところであります。ファンの皆様にはそのご期待を裏切る結果となり、申し訳なさで一杯です」とコメントした。

 「名探偵コナン」は、青山剛昌さんが「週刊少年サンデー」に連載しているマンガが原作。高校生探偵・工藤新一が、謎の組織の手で子供の体にされてしまい、小学生探偵江戸川コナンとして、難事件を解決するという推理アニメ。毛利小五郎は、探偵で新一のガールフレンド・毛利蘭の父。コナンに睡眠薬で眠らされ、コナンが小五郎になりすまして事件を解決するため、「眠りの小五郎」と異名を取る名探偵と思われているという主要キャラクター。

 神谷さんは96年のアニメ放送開始時から小五郎役で出演していた。ブログでは「最後に、今後は名探偵コナンの応援団として、支えることが出来ればと思っております。さらに、毛利小五郎役を引き継ぐ方には、是非頑張っていただきたいと、エールを送ります。名探偵コナンの末永い未来を祈っております」と記している。

 読売テレビは「神谷さんの降板などについては発表していません」とコメント。19日の放送予定分には神谷さんは出演しているという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090918-00000003-maiall-ent

神谷明のブログ(http://ameblo.jp/kamiya-akira/entry-10344988502.html

 衝撃です…。自分も10年以上この声に慣れ親しんでいたので。もはや、昔のドラえもんや、ニニンがシノブ伝の音速丸並みに、この声優しかいない、と思えるはまり役でした。

  

名言集 その34

誰も行かんかったら道はできんちゃ、わしらが登りゃあ道はできます
(宇治長次郎:劒岳 点の記)
 この人は、山の案内人として測量隊に加わりましたが、案内人としてだけでなく仲間としてずっと彼らと共に任務を遂行しました。こんな特の高い人もそうはいないでしょう。本作品のもう1人の主役です。

家まで行ったんだろ!? それって海外なんかより凄げえ事だよ! エルメスさん家行きのチケットは、JTBじゃ売ってくれねぇんだよ!
(映画・電車男)
 電車男を励ました、ネット住人の1人の台詞です。いいことをいいますね。JTBというたとえがまた庶民的でいいです。

僕は僕たち自身の日常のために悪を行う、それを逃れることはできない
(ネギ・スプリングフィールド:魔法先生ネギま)
 自分が日常を生きていれば、無意識であっても他人を否定したり迷惑をかけたり利益にならないことをしますね。気づかないふりをしていたいけど、それを受け入れるしかない苦悩があります。

やりたい事に優先順位をつけて、努力しなくてもいいから覚悟を決めるの。それだけで大抵の事は出来るわ。
(カレン・ルシオラ:無限のリヴァイアス )
 結構、心の準備ができてなくてもとりあえずやっちゃえばなんとかなりますよな。いつも、とりあえずやる勇気が大切です。しかも常にそれを考える必要があるから、ゴールが無さそうです。

どう? うまいか、おいしいか、どっちだ?
…すごい。
ジャイアンスネ夫:ドラえもん)
 ジャイアニズムの一択質問です。ジャイアンシチューの試食会での会話です。そういえば、どこかのツンデレ子が、これに似た台詞、「私の質問にはハイかイエスで答えなさい」と言ってた気がするが、どちらにせよ不自由ですな。

鉄道の俗称 その2 「ひだま」

 「ひだま」とは、東海道新幹線を走る「ひかり」と「こだま」の中間的存在の列車に対して一部の人たちが名づけた俗称です(山陽新幹線においてはちょっと事情が違うので割愛)。

 「ひかり」 → 「ひだま」 ← 「こだま」

 東海道新幹線が開通して以来、そこには速達型の「ひかり」と各駅停車の「こだま」の2種類の列車が設定されてきました。現在は事情が異なりますが、当時は「ひかり」の「東京」~「新大阪」における途中停車駅は、基本的に「名古屋」と「京都」のみでした。昭和47年(1972年)から次第に「新横浜」、「静岡」、「米原」などに停車する「ひかり」も設定されましたが、1日数本程度でした。

 昭和60年(1985年)3月のダイヤ改正で、「熱海」~「豊橋」の区間でどれか2駅に停車する「ひかり」が1時間に2本設定されました(その後1時間に1本は「静岡」停車に)。今まで大半の「ひかり」が「東京」~「名古屋」の間を完全に素通りしていた状況から、大きく変化しました。こうして、「ひかり」と「こだま」と比べて停車駅数が中間的な列車が設定されました。これが一部の人から「ひだま」(もしくは「H(ひかり)K(こだま)ひかり」)と呼ばれることになりました。

 平成15年(2003年)に「のぞみ」が大増発されてからは、「のぞみ」と「ひかり」を分ける主な要素が停車駅数になり、「ひかり」の停車駅数が“「ひだま」”と化しました。ようするに、現在の「ひかり」=24~6年前の「ひだま」と言えるでしょう。

飛騨トンネルは、路線計画の見直しで造られた

 去年の7月に飛騨トンネルの区間が開通し、東海北陸自動車道は全線開通を果たしました。飛騨トンネルは地元付近の人はご存じのように、総延長は10710mと、日本の道路トンネルは関越トンネルに次いで2番目の長さです。実は、飛騨トンネルは最初の計画段階では造られる予定ではありませんでした。

飛騨トンネル
 地図中の赤線が、最初の計画で練られたルートです。現在の荘川IC~白川郷IC間を高山付近へ迂回せずに国道156号線沿いに直線で結ぶ予定でした。

 しかし、地理的な位置が問題として挙げられました。東海北陸自動車道とほぼ直角の方向に、松本~福井を結ぶ中部縦貫自動車道(地図中の茶線)も計画され、東海北陸自動車道と交差することになりました。最初の計画におけるルートでは、名古屋方面から高山・松本へ向かうのは便利な形ですが、富山方面からは荘川まで1度南下する大回りなルートになってしまいます。そこでどちらの方向から利用しても便利なように、現在のルートに変更されました。また、最初の計画ルートには断層が多数存在したことも、ルート変更のきっかけになりました。こうして東海北陸自動車道の荘川IC~白川郷IC間は現在のルートになり、飛騨トンネルが建設されたのです。ちなみに、このような計画変更はそうそう行われるものではないそうです。

「飛騨トンネル」は、本来は「天生トンネル」と呼ばれるはずだった

 「飛騨トンネル」と言えば、日本国内の道路トンネルで「関越トンネル」に次いで2番目に長いトンネルです。名前も知名度の高い飛騨地方からとってあり、あたかも最初からこの名前で呼ばれていたように見えます。しかし、トンネル建設の計画を立て工事を発注した段階では「天生(あもう)トンネル」と呼ばれていました。これは、トンネルの近くにある、天生峠から由来します。トンネル掘削を行う2つの機械(TBM)も、それぞれ「天生太郎」、「夢天生2000」よ呼ばれたくらいです。発注した後にトンネルの名前を変えることは普通ありません(ていうか前代未聞)。

 これは些細な会話がきっかけでした。工事の開始式に参列したうちの2人の議員が、会話の中で「天生(あもう)トンネル」を間違えて「安房(あぼう)トンネル」と言いました。「安房トンネル」は、高山と松本を結ぶ国道沿いにある長大トンネルで、「天生トンネル」と比較的近い場所にあります。また、こちらのトンネルも知名度は高いです。2人の会話を近くでたまたま聞いた当時の岐阜県知事(同じく参列)が、「「天生」と「安房」は発音が似ているうえに両トンネルが互いに近くに位置するから、混乱する恐れがある」と考え、日本道路公団に名称変更を申し入れました。公団側も「天生」という名前の意義を主張しましたが、結局「飛騨トンネル」に名称変更をしました。

あれれ?

 昨日、友達の家にあるヘルスメーターで自分の測定をしたら、体重73~74kg、体脂肪率17~18%とでておりました。就活で実家に帰った際に諮った数値よりも、両者とも5つ分上回っておりました(師匠より20kg重いんすか!?)。なぁぜぇ~(まさかのミステリー風)。このところの生活は、理想に近いものと自負してました。三重での野外調査で22時就寝6時起床、日中は野外で肉体頭脳労働、食事もおそらく富山にいた時より意外と少なかったかも。まあ、木曜に帰って以来、規則正しい生活ははかなくも崩壊しましたがね。この自主3連休は家で英気を養って廃人予備軍になり、徹夜飲み会で生活が不規則でしたからね。

 野外の肉体労働で筋肉が新たに付いたとしたらまだわかりますが、体脂肪率の増加は何故だろう?食事量が富山にいた時より減っていたら、その反発で脂肪をためやすくなったのか?それとも作業の都合上夕食が寝る2~2.5時間前だったからなのか?まあ、ヘルスメーターの性能やそのときの生活習慣による誤差はありますが、最近にしちゃあずいぶんな変化でございました。

 で、約40日ぶりに走ってみたら、立ち止まらなかったものの、長い距離をペースを落とさず走れないこと走れないこと。結構走り切るのに時間を食いました。この原因が、体重と脂肪率の増加ではなく、しばらく走っていなかったブランクによるものであるといいです。これから、いつもの生活に戻していこうではありませんか。

地下鉄の定義

 地下鉄にも定義はあります。2つに分けると

広義の地下鉄:地面の下を通る鉄道
 ようするに、地面の下を通るトンネル区間はすべて地下鉄ということです。

狭義の地下鉄:大半の区間が大都市の地面の下を通る路線
 こちらは、言葉で説明し辛いですが、なんとなーく想像つくでしょう(ていうか、してください)。

 広義の地下鉄は、すんなり地下鉄じゃないものと区分できますが、狭義の地下鉄はややこしいものです。

 その路線の大半の区間が100万都市の地面の下をトンネルとして走る路線は○○地下鉄○○線として、一般にも地下鉄と認識されています。しかし、地下鉄と呼ばれている路線も全てが地下を走るわけではありません。たとえば、漫画「浦安鉄筋家族」でよく登場する東京メトロ東西線は、路線全体で30.8kmのうち13.8kmが地上区間です。世界には地下区間が全体の3分の1でも、地下鉄と認識されている路線もあるらしいです。そして地上区間は、広義の地下鉄の定義から外れます。

 反対に、路線の一部(大半ではないけど)都心部の地下を通っているのに地下鉄と呼ばれない路線も多くあります。例として、東京の総武・横須賀線、京葉線、大阪の京阪や阪神、長野の長野電鉄、広島のアストラムラインなどなどです。少なくとも日本では地下鉄である条件が大半の区間が地下を通ることであるため、まあ狭義の地下鉄から外れてもまあ、お咎めは無いでしょう(個人個人が勝手に「これは地下鉄だよ/いや、地下鉄じゃないよ」という程度)。

 一応地下鉄にも定義はなされていますが、以上のようにあやふやというか、人によっては違う見方をするような点はあります。

 ちなみに、日本の地下鉄の地下区間=トンネル区間には、○○トンネルと、トンネルの名前が付けられません。たとえば、日本一路線距離の長い(総延長40.7km)都営大江戸線は全区間が地下で、単純に考えれば全長40kmの長大トンネルで、現在の日本では全長が2番目に長いトンネルです(1位は青函トンネル)。しかし、図鑑とかにある日本のトンネルの長さランキングでは地下鉄のトンネルは対象外になっています。また、狭義の地下鉄とは認識されていない東京の総武・横須賀線の地下区間(全長9532m)は、「東京トンネル」という名前が付けられています。

富山市内線環状化工事 その3 平成21年9月11日

文字色 三重の山にしぶしぶひきこもって1か月、富山に帰った次の日に早速環状化工事の様子を見に行きました。前回(8月10日)よりも、路盤の敷かれた区間が延びていました。

路面電車の環状化 - コピー - コピー - コピー (2) - コピー
 こちらが、計画路線の地図です。路盤の敷かれているところを水色で示しています。先月と比べて路盤のできた割合が増えてきました。

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 全日空ホテル18階からの様子です。先月の写真と比較してみたら、路盤が少し延びているのがわかります。

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 丸の内の交差点です。既存の線路との接続部は最後の方にやるのでしょうか。

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 写真①に映る路盤の一番上のほうです。

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 全日空ホテル前の曲線部です。

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 現在、この地点まで路盤が敷かれています。上の写真は富山城側、下の写真は反対側を映しています。

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 このフェリオ前の通りでも、何らかの工事が増えてきました。

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 フェリオの前でも路盤を敷くための準備が始まっています。

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 西町交差点の近くにも、路盤が50mほど敷かれていました。

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 いずれ、西町交差点にも延びてくるでしょう。

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 既存の線路が掘り起こされていました。新路線と接続するための準備なのでしょうか?

三重からの帰還

 お盆のころから研究の野外調査で、三重県のある山間部にひきこもっていたのだけれど、昨日の夜中にやっと富山に生還しましたぜ。本来は3週間で終えて9月1日に帰るのを理想ですが、そういう“妄想”がうまくいく試しなどほとんどなく、台風による出発の遅れや、現地でのグダグダ調査により期間は4週間に膨れ、昨日やっと調査を終えて、というよりも諦めて帰ってきましたとさ。こんなもんですよ、調査というのは。出来具合については今は振り向いてはイケナイ…。

 幸い今年は、3日しか雨が降らなかったという気候に恵まれて雨の脅威をほとんど感じず(ただし、その分川の水位が下がって観察対象の岩が余計に露出しやがったが ←要するに手間が増えるということで)、さらに宿の人が自転車を貸してくれて、去年よりかなりよい条件になりました。

 とはいっても毎回のお約束事で、観察すべき岩石(露頭や地層という)はいくら見ても訳がわからんし、これ以上見つけたくない時に大量の露頭が出たり、珍しい=詳しく観察するべき岩石が出たりでマイペース配分がすぐに崩されるし、身の破滅を防ぐために無線LANを持ちこまなかったためネット環境から遠ざけられるしと、山に行くのは遊ぶときにするのが一番いいですね。

 さらに、今回は自分から2m以内の所(特に足下)に合計6回マムシが出没(そのうち1回は2匹同時)したり、2,3匹のスズメバチに1時間近くまとわりつかれるという、今思えば結構ヤバいこともありました。特に、マムシより怖いといわれるスズメバチは、岩場や木の穴に巣をつくることが多いうえに音に敏感なので、自分みたいに岩石をガンガンたたいていく調査は、やっちゃまずいんですな。この調査自体が、学校で配布された安全マニュアルにある意味反するではありませんか。

 そして妙に元気になるのは、調査すべき露頭があまり無い尾根を、時々落ちている石ころの種類を確認しながらスイスイ縦走することと、その日の調査を終え(言いかえれば、「もう知らん、どうにでもなれだ」的な感じで)宿へ向けて自転車を走らせることでありました。そんなこんなでも基本、自然の中で体を動かすのはいいものですからな。

 1人で行ったということである程度はマイペースで作業を進められたけど、現地に滞在していた27日のうち休んだのは2日(現地入り → 次の日から7日連続調査 → 1日休む → 6日連続調査 → 1日休む → 12日連続調査 → 次の日に富山に帰る)という、勤務日数だけをみたらブラック企業の基準ぽくなりました。後から冷静になると、もう少し休みを増やしたほうが調査に出かける日はより元気で濃密に動けそうですが、いい天気が続くため、いざなわれました。おかげでHPとMPが著しく低下したから、今週末は自主3連休で主に片づけをしつつ家で英気を養います。今週が5連休だったら一番割に合うんですけどね。
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