今後のブログ運営のお知らせ

 明日、すなわち来年度から「太郎」は社会人として歩み始めます。いったいどうなる事やら?全く想像つかないです。この記事が掲載されているときは、研修が始まっているでしょう。

 このように学生から社会人へ生活環境が大きく変貌します。今までは1日平均1記事のペースをいつの間にやら守るようになって修士研究をやっている傍らどうにかそれを続けてきましたが、これから先はこのブログがどうなっていくのかが分からなくなります。こう見えても気まぐれでやっているブログですので、更新頻度が物理的時間、それ以上に“書く気”に左右されます。特に新人の時代は先輩や友達の証言で仕事と生活がめまぐるしいそうなので、ブログの更新頻度にも多大な影響が出るでしょう(現に研修期間は行進する暇は無いですし)。来年度に「太郎の部屋」が発展していくのか?凍結するのか?、更新頻度は1日1記事を維持するのか?3~4日に1記事に落とすのか?気まぐれで月1ぐらいで更新するのか?、マジでわからないです。ネット環境を確保するのがいつになるのかもわからないです。

 今のところ、4月以降に1日1記事のペースで更新する確率が一番低いとしています。とはいえ、完成したけどまだ公開していない記事がいくつかあり、それを3日おきに小出ししていきますので、少なくとも5月13日までは記事の更新をご期待ください。この期間中3日に1記事の更新が乱れなかった場合、その後記事の更新が無い場合は、社会人になってから記事を新たに書いていない(書けない)状態であるとご解釈ください。

「太郎の部屋」を訪問されるみなさん、いつもご閲覧本当にありがとうございます。ではお元気で!
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名言集 その41

若者の特権は未熟なことである
(大学教授)
 この言葉はとある山地でのバイトで、ある先輩から聞きました。これから数年はこの特権を思う存分使える、使わざるをえないでしょう。

体の贅肉が付くくらいなら、どうにかなるんですよ。でも、心に贅肉が付くと、そうは取れない。そういう選手を何人も見てきた。
(イチロー:メジャーリーガー)
 彼自身はNHKの「プロフェッショナル-仕事の流儀-」で「腹が出たら野球をやめる」と公言しているほど自分への思い入れが強く、体調管理を徹底しています(カズと共通しますね)。それくらい彼にとって重要な“体の贅肉問題”よりもさらに“心の贅肉”が深刻だと考えているのでしょう。

あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神様だ
(不明)
 僕は全盛期のマイケル・ジョーダンの姿を知らない(というより子供のころあまりみてなかった)けど、この言葉は上手い表現だと思います。最近のスポーツ選手だったら、野球のイチローやフィギュアスケートのヤグディンがそうでしょう。

未来は一瞬、一瞬変わっていくさ。だから先のことを悩むより今を一生懸命生きた方がきっといいことがあるさ。
(出来杉英才:ドラえもん)
 今思えば、凄い小学生ですね。小学5年時にこんなこと僕らは考えていたのだろうか?

油断?これは「余裕」というもんだ
(志々雄真実:るろうに剣心)
 この台詞、読んだ時に凄く印象に残りました。そして凄く言ってみたいです。

なんということでしょう

 外見は普通でも部屋の中が小汚い「太郎」さんちの一室。そこに引越しのメスが入りました。

3月11日
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 卒業旅行も終わり、学校の片付けと同時に荒らし始めた部屋。重たい家具やら小物やらで散乱しています。

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 家具類を分解し始めましたが、一向に終わる気配がありません。修論が終わったという開放感や気の緩み、みんなと別れる前に少しでも遊んでおきたいという欲求が見事に調和している今日この頃です。

3月19日
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 次の日のリサイクルショップへの家具売り出しに本当に間に合うのでしょうか?

3月22日
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 クロネコヤマト引っ越し便で大型のものを運び出したと油断している時期です。この後、これらの小物の処理に心が打ちのめされました。

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 あとはこれらを整理して段ボールに詰め込むだけ…と思っていたのですが、これマジできついです。

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 一見荷物が減ってきたと錯覚しますが、コップ一杯の少なく見える水もこぼしたら厄介になるのと同じ原理ですね。

3月26日
 卒業式を終えて一気に部屋のものを片付けていきました。もはや火事場のなんとやらです。そして全ての荷物を整理し、捨てたりリサイクルすべきものを処分した「太郎」さんの部屋は…
なんということでしょう
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 6年間絨毯の下に眠っていた畳が見事に復活しています。上に渡していた物干しざおと衣類、編み傘やハルヒの掛け軸も見事に消失しています。「事が済んだら全て焼き払ってやる」と叫んでいたムスカのような心境になる一因となった小物類も全て片付いています。

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 押し入れ側もほら、布団を持ち込めばドラえもんがやってきそうなくらいすっきりしています。5~6人は普通に泊まれる機能を取り戻しました。

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 入口の方もほとんど何もありません。奥の部屋に入るのに苦労し、それを解消した住人の心づかいが表れています。荷物の運び出しの救援に来てくれた彼のまなざしがいたるところに放たれています。

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 一番汚れがひどくて必死になって出来うる限り掃除をした流しもガス屋さん2人が運び去って今は跡かたもありません。今後は畳や床面を全て取り換え新しい流しも購入される予定です。来年度にここに入居される学生さんは、どんな気持ちで新生活を始めるのでしょうか?

 大家さん、この6年間本当にありがとうございました。色々な支援を頂いて御迷惑もおかけしてお世話になったことは数えきれないです。

卒業

 追いコンから1日挟んだ24日、ついに卒業式が開かれました。前の日は早めに寝て9:00にみんなで集まって会場へ。天気予報では今日は悪いとされていましたが、式の最中はもってくれました。形式は学部卒業式の時と同じです。今回は本当に富山を離れるため、以前よりも卒業するという実感が強いです。式典終了後は、部活の後輩たちに花束と色紙と個性のある贈り物をもらい胴上げされました。感動しました。式典時の話が長かったのか?次の学位授与式までの間が短く、ここの場は手短に終わりましたが、やられたいことがやられてよかったです。

 次の学位授与式は十年以上ぶりに復活したそうで、厳粛な雰囲気の中行われました。その後は楽しい楽しい謝恩会が開かれました。卒業生と多くの先生方が一堂に集まり、お互いに言いたい放題語りました。研究が絡んでいない、もしくは思い出話になると虹を遠くから見て美しいと感じるのと同じ原理で口調が軽くなります。低学年だったころの飲み会と雰囲気は変わりませんね。そして、今年度で退官される大変お世話になった先生も、先生独自のしゃべりは健在であります。卒業後も出会いに行きたいです。そして記念に先生や同期と写真を撮りまくり、笑顔で別れました。卒業式の後はほとんどの卒業生が1~3?日中に富山を去るため、高い確率でここでしばしのお別れになると言えるでしょう。それを考えると切なくなります。

 謝恩会が終わった後も講座の先生方と飲みに行きました。時間は18:00~20:00というとても健全な飲みです。途中で一瞬眠くなりましたが、先生たちのためになる話を聞いて過ごしました。最期に先生方やみんなと別れました。僕もみんなもそれぞれの場所で元気でやっていくことを祈ります。さて、僕は最期の部屋掃除に取り掛かりましょう、それが激しすぎるラストスパートになるとあまり想像しないでおきながら。

 みんなとまだまだ楽しく過ごしたいという思いも山々で、1週間後に社会人になります。ベタな言葉で希望と不安を相まみえながら進んでいきましょう。

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 当日はこんな天気でした。卒業式の日は晴れていることが多かった気がしたので、珍しい方ですが卒業式が終わった直後まで持ってくれたのが幸いでした。

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 はい、撮影。白いハンカチが無かったので花粉症用のマスクで急きょ飾りをしました。

真の追いコン

 同窓会2日目があった次の日の夜は、部活の追いコンがありました。この大学の部活では大学院生はOBの扱いのため学部卒業時にも追いコンが開かれましたが、今度ばかりは僕が富山と別れるため個人的には真の追いコンという気分です。

 一次会は先生方も来られて、これからの人生を歩んでいく僕らに色々な教えをあそびをまみえて語られました。凄く勉強になるし、社会人としてあるべき人物像と自分とのシンクロ率が極めて低いなあと思いもします。こういうのは聞くだけではなく実際に体験して培っていくものでしょうね(それに耐えれるかが自分次第…)。こういう先生方の意見はどれもこれもが正しくてあるべき姿だけど実現するには多くの努力が必要でしょう。これからの自身にかかっています。

 二次会では学生だけとなり、羽目を外し始めました。追いコンから学生の集まりの飲みですね。みなさんノリのいいことで、恐らく学生(学生時代のみんなでやる)の飲み会が一番はっちゃけやすいかもです。そして三次会のカラオケまで勢い任せてやっちゃいました。はっきり言って明日も家の掃除と学校の部屋の整理などをやろうと考え、帰ってもいい状態でした。しかし、どうも最近限界まで遊びを延ばして後で何とかするという考えがはびこっているようです。5年前の自分だったら90%の確率で途中退散していたので、いい意味で進歩し悪い意味で後先をないがしろにしつつあるかも知れぬ。ともあれ、この面子では今後なかなかできそうにないのでとことん歌いました。最後の方で「巫女巫女ナース愛のテーマ」を歌っちゃいました(「夏はマシンガン」を歌った1年生もいるので無礼講です)。こんなのはこういう集まりだからこそやれるんで(同期で集まってノリがよければまたやっちゃおう)。そんなこんなで解散したのは4時でした。これから掃除をやるべきなのだが…ここ数日は3日連続飲み会でそのうち2日は徹夜という、卒論や修論のような不規則生活です。次の日の卒業式、遅刻は避けねば。

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 みなさん、絶対に疲れていますが、その場の勢いに任せて次の午前中は撃沈しました。僕なんか掃除が残っているのに…。

やっちまってます

2010年3月19日

初音ミクカラーのE5系新幹線を「はつね」に!

2011年春、東北新幹線に新型高速新幹線車両「E5系」がデビューする。現在、JR東日本では、新しい東北新幹線の列車愛称を募集中だ。最高速度300km/hでかっ飛ばすE5系新幹線のボディーカラーは、緑にピンクのストライプ。そう、初音ミクと同じ配色なのだ。現在、mixi上の「初音ミク」コミュニティを中心に、投票を呼びかける活動が始まっている。

またTwitterでは、ハッシュタグ「#E5_mikumiku」で、投票のサポート活動が行われている。投票締め切りは、3月31日(水)24:00。愛称「はつね」に賛同できる方は、JR東日本の投票ページへGO。応募1件につき愛称1件だが、複数件の応募は可能になっている。

また、応募した人の中から抽選で100名にE5系新幹線オリジナル記念プレート&オリジナルSuicaカード、500名にE5系新幹線オリジナルSuicaカードが当たる。ニコニコ動画には活動を応援する楽曲もアップされている。応援ソングを聴きながら、バンバン投票しよう!

http://www.su-gomori.com/2010/03/e5.html

ミク 新幹線
参考比較画像です(http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/4/b/4b59f2a7.jpg


替え歌がうpされています(http://www.nicovideo.jp/watch/sm10082291)。

 案の定、痛いニュースに載っていました(http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1442852.html)。

 公募の際によくある、“ユニーク”だけど常識と一線を画して採用される確率が低い一例でしょう。「東海道新幹線」の列車名の公募でも(結果的に「ひかり」と「こだま」になった)「マッハ」、「ケネディ」(暗殺されて話題に上がったから)、「十河」(当時の国鉄総裁で新幹線建設に大きく貢献した一人)、「なるちゃん」(当時はやった言葉らしい)などの案がでましたので。

 新名称が採用されれば「はやて」が廃止になる話もあり、「はやて」を残してほしいという要望も出ています。僕は今の考えでは「はやて」がかっこいいと思うので残ってほしいです。もっとしっくりくる名前は公募で出てくるでしょうか?

学科の同窓会

 一昨日と昨日は、学科の同窓会があり、20人弱の同期が集まりました。そのうち僕を含めて3人が富山の大学院居残り組です。どの同窓会もそうですが、みなさん相変わらずですね。それぞれの道をしっかり歩んでいるようです。特に女子達は入籍したり母親になっている人もいました。大学院に進学した人を除けば大半は社会人2年目を終えて3年目に突入するんですなあ、もはや社会の先輩ですね。僕自身があと10日でその世界に踏み入れることになるとは…。

 一次会と二次会では飲んで飲んで食べて食べてを繰り返し、色々な話で盛り上がりました。三次会はカラオケに行ってあの替え歌2曲を披露しました。学科ネタでここでしか歌えないからうたうしかないので、途中で解散した人の前でも機会があったら歌いたくなりました。そして次の日の5時に解散しました。1年に1回はみんなでこういう騒ぎをしたいですね。今度こそ富山の大学院に残っている僕らもそれぞれの新天地へ向かいます。会うのが貴重になってしまいますね。僕もみんなも来年度からもお元気で。

 次の日は引越しの作業をやってでっかくて重いものを部屋から取り去りました。あとはこまごまとしたものを最終的に仕分けして移住日までに何とかするのだが…なんと鬱な作業だろうか。まだまだ「なんということでしょう」には程遠いです。

 その夜は「ししまる」や学科の先輩方と食事兼飲みを行いました。色々語りました。僕だけはまだ完全な卒業はしていないのですが、一応卒業確定なので学科の白い面も腹黒い面もこの面子では言いたい放題でした。先輩方とは、夏の発掘作業の時に再開できたらいいです(仕事を休めたらのお話)。最後に「ししまる」と数少ないブルートレインの一つである「日本海」の撮影に行ってきました。そして別れました。彼ともまた逢う日までお互いにしっかりやっていきましょう(1年目早々人格変わりませんように)。とにかくみなさんどの場面でも元気が最強ですね。

何故長年「ひかり」が「新横浜」に停まらなかったのか?

 前の記事で紹介したとおり、「ひかり」は「東海道新幹線」が開通してから12年物間「新横浜」に停車しませんでした。当時の横浜市の人口は200万人くらいで、しかも人口が1/200ほどの米原町にある「米原」の方に先に「ひかり」が停車するようになったのです。当然、横浜市にとって面白いはずがありません。「東海道新幹線」開通前に「ひかり」が通過すると発表されてから横浜市は当時の国鉄にずっと抗議を続けてきました。それにも関わらず、なぜ12年もの間停まらなかったのか?主な理由が2つあります。

「新横浜」が市街地から離れている
 今こそ「横浜線」と横浜市営地下鉄「3号線」が乗り入れていますが、開業当時は地下鉄は無く、「横浜線」も今ほど高頻度で運転をしていませんでした。つまり、市街地から駅へ行くのにかなり不便だったのです。また、今の駅周辺はビル群が立っていますが、当時は田園や野原ばかりでした。しかも、市街地と駅は丘によって分断されていました(今でも駅の南側を見ると緑色の丘が目に入る)。そのため、横浜とその近辺の人たちは多くが「東京」へ行ってそこから「ひかり」を利用していたのです。実際「東京」を経由した方が当時は早くて便利だったそうです。

信号系統などの設定変更に手間がかかる
 当時は「こだま」は各駅停車、「ひかり」は途中「名古屋」と「京都」のみ停車という定理でした(法則ではない)。1時間を軸とする各列車の発車時間、所要時間、到着時間、対比・追い越しをする位置(駅)もほとんど同じようになっていました。これは、なるべくダイヤをパターン化することにより、列車運行をしやすくためです。何しろ初めての高速鉄道でありますのでわかりやすくしたい、さらに当時の信号や運転系統は誤作動を起こしやすく、このように運行が単純な形で統一されていた方がやりやすいのです。ここで「新横浜」に「ひかり」を停めるようになれば、これらの系統を改善、安定化させる必要があり、12年もの間「ひかり」が「新横浜」に停まらない理由の1つになりました。

「ひかり」は「新横浜」よりも先に「米原」に停車するようになった

 「東海道新幹線」の「新横浜」といえば、現在はすべての列車が停車する主要駅で、「米原」は片側1時間に1本「ひかり」が停車する中核駅です。これは両駅の沿線人口、地理状況からもわかりやすい停車頻度ですが、速達列車である「ひかり」が先に停車するようになったのは、「新横浜」ではなく「米原」です(当時は「のぞみ」が無かった)。「東海道新幹線」開業時、「ひかり」の途中停車駅は「名古屋」と「京都」のみで、その状況が8年続きました。そして、昭和47年(1972年)10月2日のダイヤ改正で「米原」に1日に下り2本上り3本の「ひかり」が停車するようになったのです。更に4年後の昭和51年(1976年)7月1日のダイヤ改正でやっと「新横浜」に「ひかり」が停車するようになりました。その時の停車本数は1日上下線1本でしたが、ダイヤ改正をするごとに停車本数が増えて今のようになりました。

 「米原」が位置する旧米原町は(彦根市に吸収合併されるまで)、人口は近年でも1万人ちょいの小さな町です。隣には人口が10万規模の彦根市があり、「東海道新幹線」建設時は彦根に駅を造ろうとしたくらいでした。しかし、「米原」は「東海道本線」と「北陸本線」の分岐地点であるので、広い視野で見ればそっちの方に新幹線駅を造ったほうが便利ということで設置されました。「ひかり」が停車するようになったのは、上述と同様北陸方面への接続を充実させるためです。

新幹線がかなり否定されていた時代

世に四馬鹿あり、万里の長城・ピラミッド・戦艦大和に新幹線

 日本に初めて新幹線が建設されていた、今から50年ほど前に言われた新幹線否定派の合言葉です。膨大な手間と投資をしたのに実際にはそれに見合う成果が出なかった、何のために作ったのかわからないという比喩表現で他の建造物と並べて表現されたのです。

 この合言葉がでたように、当時は新幹線の建設には反対・否定派が多かったです。その理由は様々ですが、鉄道はもはや時代遅れという認識が強かったというのもその1つです。当時は、「これからは自動車と航空機が主要な交通となり、それに伴い20世紀後半に鉄道は都心部の通勤電車を除いて衰退する」といわれていました。これは、日本に限らず世界でもかなり共通していた認識で、この“空気”の中で前代未聞の、どの在来線とも直接に線路を接続しないまったく新しい高速鉄道を作ろうとしたので「失敗するだろう」という意見もかなり多かったです。当時は国の予算を使って鉄道建設をしていましたが、膨大な金がかかることから国会ではしばしば絞られ融資関係者となった世界銀行からもかなり疑いの目で見られました。

 今となっては、当時の認識が想像できないくらい価値観が変化しています。当時の関係者もここまで利用されるとは考えていなかったかもしれません。

※参考にこちらもどうぞ → http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-448.html

“長野新幹線”の歴史

 「北陸新幹線」の「高崎」~「長野」間と言えば、今から13年前に長野オリンピックに間に合うように造られた新幹線で、現在は「長野新幹線」と呼ばれています。この路線の正式名称は「北陸新幹線」です。それは、全線開通すれば大部分が北陸地方を走ることになるからです(東海道、山陽、東北新幹線などと同じ)。では、なぜ“長野新幹線”が定着したのかを述べていきましょう。

 この区間を作り始めた近年は、新幹線を作る予算が昔と比べて激減したため、一気に開業する区間が短くなりました。「北陸新幹線」の「高崎」~「長野」間の開通もその例です。さて、「北陸新幹線」という路線名にもかかわらず、先行開業した区間は上信越の南半分にあたる地域です。この状態で「北陸新幹線」と正直に名乗ってしまっては乗客に混乱をきたします。そこで、路線が北陸に延びるまでの間は「長野新幹線」と呼ぶことにしました。一方で、“北陸まで延びる新幹線”という印象が薄れ、北陸地方への延伸が停まってしまうことを連想させるということで、北陸地方の人たちはかなり嫌がっていました。そこで、“北陸新幹線長野行”という意味で「長野行新幹線」という名が一時期使われました。しかし、この名前では東京方面に向かう上り列車には適用できないため、上り列車はただ単に「新幹線」と呼ばれました。ちなみに、JR東海は最初から「長野新幹線」と呼んでいました。

 結局、「長野行新幹線」という仮称は扱いづらくあまり定着しなかったため、いつの間にやら「長野新幹線」と呼ばれるようになりました。このままこの路線が北陸地方へ延びるときに本来の名前である「北陸新幹線」に直される可能性が高いですが、長野県が長野の名前を残すように要求しJR東日本その意見を聞き入れる用意があるらしいので、果たして今後どうなるのやら?

東京の地下駅 その1 赤坂見附・永田町駅

 大都市には大体地下鉄路線が敷かれ、地下に複雑に入り組んでいます。特に東京は地下鉄をはじめとする鉄道路線がすさまじく複雑に密に入り組んでいます。ここでは、特に複雑な東京の地下駅を紹介していきます。第一弾は「赤坂見附」と「永田町」です。

 「赤坂見附」と「永田町」は国会議事堂付近に位置する駅で、元々は別の駅でした。しかし、「半蔵門線」の「永田町」開業後に両者が一つながりとなり、さらに「南北線」の「永田町」も開業して実質5つの路線が地下で入り組む複雑な駅と化しました。5つの地下鉄路線の駅が1か所に集約するのは日本ではここと「大手町」のみです。

赤坂見附駅 (2)
http://www.tokyometro.jp/rosen/rosenzu/pdf/network2.pdf
 「赤坂見附」「永田町」は、上図の中央左よりにあります。ちょうど四谷や国会議事堂の間です。路線同士の絡みが複雑ですね。

赤坂見附
 こちらは平面図になります。東京の地下鉄路線網は交差の角度が斜め(90度じゃない)になっていることが多いのが、日本のほかの都市の地下鉄網と異なるところです。ここでも見事に入り組んでいます。

赤坂見附駅
 
http://www.tokyometro.jp/rosen/eki/akasaka-mitsuke/map_rittai_1.html
 こちらが立体図です。

 「銀座線」「丸ノ内線」は、上下2段式となり同一ホームで別路線に乗り換えられる構造になっています。両路線と「半蔵門線」を結ぶ通路の階段がダンジョンみたいに複雑になっているのは、「銀座線」「丸ノ内線」の線路を避けるためです。「半蔵門線」はあまりに深い場所に位置するため、一番新しい「南北線」がその上を通っています(普通は新しい路線ほど深い位置に作られる)。「有楽町線」の「永田町」は国会議事堂に一番近い場所に位置するため、秘密の通路でここと国会議事堂などが繋がっているのではないか?との噂があります。実際、関係者以外立ち入り禁止の通路があるとかで雑誌に載っていました(僕が小学生のころ)。

 最後に、駅の歴史を簡潔に載せます。

昭和3年(1928年)11月28日 「銀座線」の「赤坂見附」開業
昭和34年(1954年)3月15日 「丸ノ内線」の「赤坂見附」開業
昭和49年(1974年)10月30日 「有楽町線」の「永田町」開業
昭和54年(1979年)9月21日 「半蔵門線」の「永田町」開業
 「赤坂見附」と「永田町」が地下通路で繋がり、事実上1つの駅になる。
平成9年(1997年)9月30日 「南北線」の「永田町」開業

 「銀座線」の「赤坂見附」「丸ノ内線」の「赤坂見附」がここに開業する26年も前に作られましたが、現在の同一ホームでの互いの乗り換えの実現を見こして当初から2段式の構造として開業しました。

卒業旅行 4日目 その4 打ち上げ

 春日山城からは、一路富山へ戻りました。戻りたくなかった場所でもありますww。4日間があっという間に過ぎました。そして着いた後は打ち上げと称してまたまた飲み会をやりました。これで4日連続飲んでいます。しかも、今夜はみんなが僕の誕生日を祝ってくれました。この日がその日なのは流石に知っていましたが、疲れて帰ってきたのにみんなが覚えていてくれてマジでびっくりしました、感謝!!ここでケーキをみんなでごちそうになってそれぞれとった写真を交換したりして過ごしました。しかし、流石に4日連続で色々な場所へ行っていたので、みんな疲れていました。そして日付が変わったころに流れ解散となっていきました。流石に今日は仕方ありませんね。

 これで今月僕らの多くが卒業して来月から新しい場所で社会人生活が始まるのが全く想像できません。ただはっきりしているのはみんなと別れる日がどんどん迫っているということです。引越しの準備やら学校に保管しているデータのまとめや後片付けやらで忙しいですが、この日々を大切に過ごしていきたいです。

卒業旅行 4日目 その3 春日山城跡

 春日神社をお参りした後は、上杉謙信の居城として有名な春日山城跡へ向かいました。本旅行で3度目の城訪問です。春日山城は、最大高度180 mほどの山全体に城郭が形成されています。

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 登り口は春日神社以上の長い石段でした。確か138段ほどありました。走って登ってみたけど、かなり息が荒くなりました、そして花粉を多量に吸い込み別の意味でしんどくなりました。マスクを買っておけばよかった…。

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 春日山全体が城になっています。

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 神社近くに上杉謙信の像があります。

 山にはまだ雪が残っていましたが、僕は「ともや」とともに山の上まで行ってみることにしました。他の3人は待機していました。

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 上への道はマジでやばかったです。この写真の様子のように、未知が雪で埋もれていて滑らないように、踏み外さないように緊張しながら登りました(写真ではロープの左側が道)。野外調査と同じようでした。彼は僕よりも身軽にひょいひょいと登ったため、僕が追いかける立場になりました。

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 こんな風に山腹には城郭の跡がしっかりのこっています。直江氏の屋敷跡もありました。

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 山頂付近にある毘沙門堂です。ここまで登るのに、予想の3倍は疲れました。神社で待機している3人の判断が正しかったのでは?とも考えてしまいました。靴下も雪でぬれました。

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 毘沙門堂からの風景です。標高は165 mくらいです(呉羽山より高い)。雪が残っていなかったらかなり快適な登山でした。

卒業旅行 4日目 その2 春日神社

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 スノボーを正午に終えて宿に戻りました。宿のおばちゃんのいさな計らいで少しくつろいで風呂にも入ってその後宿を後にしました。


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 この辺はまだまだ雪がすごいです。世界でも有数の豪雪地帯らしいです。

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 まずは春日神社によりました。実は、春日山城跡と混同してしまってたまたま来ましたが、お参りはしてきました。

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 年季のありそうな巨木がひしめいています。これって杉ですよね、さっきから花粉の症状がひどいのですが。

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 お参りをするために一直線の石段を登って行きました。走って登るのは結構疲れます。

卒業旅行 4日目 その1 妙高高原でスノボー

 4日目の午前中は、赤倉温泉スキー場でスノボーをやりました。雲が多かったですが、幸い晴れてくれました。今回滑ったコースは、最低地が標高760 m、最高地が940 mと、高低差が180 m、直線距離が1 kmありました。平日だったのでかなり空いていて滑りやすかったです。

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 スキーウェアーは実家においてきているので最初は普通の上着と雨具(下半身の)を着て滑ろうかと思いましたが流石にアレなのでスキーウェアーもレンタルしました。

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 リフトも順番待ちなしですぐに乗れました。いつもこれくらい滑らかだといいですね。

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 「ともや」が森に入っていますね。僕も森の中(スノーモービル用の道)を滑りましたが、雪が軟らかすぎてかえって滑りにくかったです。

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 写真の中の彼はスキーもスノボーも未経験で今回が初めてでしたが、果敢にも情熱をこめてスノボーを滑れるように頑張りました。2~3日いたらかなり上達していたでしょう。

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 こういう景色を見ながら滑ると何もかも忘れますね。妙高のスキー場は規模が凄まじいので、2~3日滞在して思う存分滑りたいです。

卒業旅行 3日目 その5 赤倉温泉到着

 暗くなった後に妙高高原の赤倉温泉に到着しました。宿は「きよし」で、宿のおばちゃんがかなりきっぷよかったです。

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 雪がすごいです。1~2 mほど積もっています。これでも雪解けで雪が減りつつあるのですごいですね。そういえば、3年前の1月に来た時は2 m以上積もっていた記憶が。

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 夕飯はスキー場らしく?(自分勝手な解釈)カレーを食べました。美味いです、3杯くらいいけそうでした。

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 何をやっているんでしょうね?この人は。

 妙高山は火山で、このあたりも有名な温泉地帯です。この宿も温泉がわき、露天風呂がありました。完全なる雪の中の露天風呂です。気温は恐らく0度ほどなので、凄い冷えます。素っ裸で雪の上に座ってみましたが、10秒ほどで痛く感じ始め、30数秒座りましたが感覚がありませんでした。風呂に入ると生き返りますが熱いです。m君は僕らの中で最長の46秒を記録しました。

「能登」と「北陸」の引退

<運転終了>特急「北陸」と急行「能登」 「ありがとう」ファン惜別
3月12日23時28分配信 毎日新聞

 上野と金沢を結ぶ、数少なくなった寝台特急(ブルートレイン)「北陸」号と、ボンネット形電車の急行「能登」号が、12日出発列車で運転を終了し半世紀以上の歴史を閉じる。廃止の理由は、両列車とも利用率の低下という。

 運転終了となる12日夜、両列車が発着するJR上野駅には、約3000人の鉄道ファンが詰めかけ、列車が発車する13番線は最後の雄姿をカメラに収めようとするファンでいっぱいになった。両列車とも、指定券・寝台券はすでに完売、列車が動き出すとホームのファンは「ありがとう」などと声を上げて別れを惜しんだ。

 列車を運行するJR東日本とJR西日本では、撮影時のトラブルなどを防止するため、警備にあたる人員を増やし、ホームにはロープを張るなどして事故防止に努めた。【松田嘉徳】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100312-00000007-maiall-soci

 引退してしまいました。「能登」は日本国内で現役で活躍した最期のボンネット型車両で、僕もよく利用しました。「北陸」も首都圏と北陸を行き来するのに非常に重宝された寝台列車であります。せめて、「北陸新幹線」が開通するまでは残っていると考えていたのですが、早すぎる引退です。報道ではあまり取り上げられませんが、廃止になった理由は利用者の減少だけでなく、車両の老朽化や維持費用の負担が大きいこともあるようです。それでも廃止をするには非常に惜しい車両であります。

 最近、鉄道ファンの問題行動が増えている<<話題に取り上げられている  ため、警備も気合が入っていたようです。元々「上野」の発着では「能登」が16番線、「北陸」が13番線を利用していました。「能登」と「北陸」はそれぞれ短い間隔で「上野」(「金沢」も)に発着するため、一度に両方を撮影するファンが多く、片方を撮り終わってもう片方の発着するホームへ殺到することが問題になっていました。これを防ぐために、両列車の発着番線を最近では13番線に統一していました。

卒業旅行 3日目 その4 野尻湖

 fさんと別れてから、我々は今日の宿泊地である妙高高原の赤倉温泉へ向かいました。僕にとっては3年ぶりの妙高であります。途中で野尻湖を見てきました。野尻湖と言えば、ナウマン象の化石が発掘される場所として有名な湖です。ナウマン象博物館はすでに閉館の時間になって行けなかったため、湖だけ見てきました。ナウマン象の発掘を項目から外せば、見た目は普通の湖ですね。また、野尻湖は長野県内の湖では諏訪湖についで2番目に面積が広いです。最大水深は38.5 mと諏訪湖(7.2 m)を大幅に上回るため、貯水量は野尻湖のほうが大きいです。

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 野尻湖へ行く途中に長野盆地が見降ろせました。長野盆地は晴れでそれより北(峠を越えた後)は曇りです。ここで天気がガラリと変わりました。

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 公衆便所の壁に「野尻湖」と表記があったので行った証拠として記念撮影。

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 こんな感じの湖です。発掘現場はどこだろうか?なんだかアメリカ版ゴジラのシーンのような雰囲気です。

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 ナウマン象のつもり…。

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 「ともや」がジャンプして雪の上に飛び込みました。しかも雪解けの季節で雪自体が湿っているのに、お主なかなかやりますね。

卒業旅行 3日目 その3 長野駅でぶらり

 善光寺をあとにして長野駅へ向かいました。今回の旅行の提案者であるfさんと別れるためです。

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 3時のおやつ。昼飯をしっかり食べたのにここでも1食分しっかり食べました。旅行に行ってから食べすぎです、体重が増えそうです。明日のスノボーで少しは消費したいです。

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 長野駅です。北陸新幹線の開通や長野オリンピックの開催で結構きれいになっています。

 fさんは、この旅行の提案者であり、彼女のそれでこのはっちゃけが造られて行きました。急きょ旅行日程の後半に外せない試験が入って3日目に分かれることになりましたが、ギリギリまで旅行に行き続けました。この神経は僕もマジで見習いたいです。次の日に茨城の方へで受験しますがこのテンションとノリでいい結果がでてほしいです。

卒業旅行 3日目 その2 善光寺

 食後はほぼ全員1時間眠りました。寝ないとマジで体がマズイからです。3時間以上寝たい気がしましたが、チェックアウトの時間が迫ったため退出。そのまま善光寺へ向かいました。

 善光寺は、長野の有名な観光地で周辺もかなり整備が行き届いていました。

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 境内とその周辺の図です。仲見世があるため、なんだか浅草の浅草寺みたいな構造です。

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 小さいお寺?が仲見世の隣に多く建っています。

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 きれいに整備されてすっきりしていますね。ここを歩くと、京都の清水寺の土産店街みたく勧誘されます。

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 本堂です。懐かしの卍があります。本殿の中には床下(瑠璃壇床下)に真っ暗な通路があり、そこを手探りで歩くことができます。途中に「極楽の錠前」というものがあり、触れるといいことがあるらしい。僕の場合、何かに触れた気がしたが、はたしてそれだったのだろうか?真っ暗だったので、まるで避難訓練みたいでした。

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 この日は強風でした。花粉が飛んでいる気配もしました。

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 池に亀が休憩するための?島がありました。


最期に
 ここ数日卒業旅行関連の記事を連載しだしたら訪問者数が順調に下がりましたねwww。訪問してくださる方々の閲覧目的がこれではっきり想像つきます。このままのペースでいけば、卒業旅行関連の記事は16日辺りで終わり、そこからいつも通りの鉄道ネタを再開…できたらいいなあ。今月で卒業する身なのでそれ関連の日記ばかりが続きそうですが、鉄道ネタの記事はある程度は作成が完了しているので、いずれ出していきましょう。しばしの御辛抱を。

卒業旅行 3日目 その1 寝起き悪っ!

 昨日の飲み会は半分以上転寝をしてしまいました。やっぱり旅行前日に“人間らしい”生活習慣をとって元気万全に行きたかったものです。僕は4時に完全熟睡に入りました。残るテンションの高い4人?は6時ころまでやっていたそうです。こんな状態で7時半起床ですから、最初に眠った「じゃい」を除いて寝起きが言いわけがありません。彼に起こされたときにはここはどこ?私は誰?状態でした。ましてや朝風呂にいく気力が皆無でした、残念!

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 僕が寝た直後の画像です。今回は撮られたことに気付きましたが、どうにでもなれですね。とにかく寝たかったので反応しないでおきましたzzz。

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 旅館ということで朝ごはんも豪華です。頭はパー状態でしたが、胃は元気で全部平らげました。旅行前の論文執筆が頭を主として負担をかけていたのがわかります。

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 早いうちに寝た「じゃい」を除いて大体はこんな感じでした。朝っぱらに何故だか騒いで朝食の記憶が無いという猛者も。

卒業旅行 2日目 その4 温泉旅館に泊りました

 2日目の夜は、本旅行で一番豪華な温泉宿に泊りました。長野裾花峡温泉です。ここの湯はナトリウムと鉄を大量に含む温泉で、白みがかった茶色を呈していました。

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 宿は、長野市街地からかなり近いところにあります。日帰りで入湯のためだけに来る人も多いようです。

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 旅館もまた久しぶりです。

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 食事も僕らの基準では豪華すぎて萎縮しました。食べている最中はみんな黙っていました。

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 食事や温泉入浴後には飲み会をやりました。今日はかなり夜更けまでやり、「ともや」の言う本当の飲み会となりました。僕はまだ疲れが残っていたのか?途中でかなり寝てしまいましたが。

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 途中で寝てしまった人もちらほら。次の日は彼が一番元気でした。

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 これはまあ、いつもの光景ですね。

卒業旅行 2日目 その3 上田城跡

 松本を出た後は本日の宿泊地である長野へ向かいました。その途中、上田城跡を見ました。この旅行はなんだか城めぐりでもありますなあ。

 上田城と言えば真田家の居城でみためはどこにでもありそうな平凡な平城です。しかし、かつては2度にわたり徳川軍を撃退させたことから見た目以上に防御力などが実証された城であります。お城ファンの間では姫路城や大阪城をしのいで最も人気の高い白だそうです。今では一部の建物と堀や石垣が残っている程度で、まるで静岡の駿府公園みたいな感じであります。敷地内には博物館もありました。来年の大河ドラマは真田幸村が主役なので上田城跡地をロケ地にする署名活動が行われています。

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 門構えはしっかり残っています。駿府城でいう東御門的な残り方かな?

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 真田十勇士の記念撮影用穴あき看板がありました。

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 なんか、東京ディズニーランドのアドベンチャーランドにありそうな小屋が。実はこれ、茶室です。付近に3棟ありました。

卒業旅行 2日目 その2 蕎麦作り

 松本城を見学してホテルを出た後は、市内の蕎麦作り体験教室へ向かいました。場所は、「南松本」の近くにある日殻製粉会社松本工場です。

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 比較的新しい建物で、中には展示室もありました。

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 はい、生地です。タケノコにしすぎました。

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 蕎麦の太さは個性があり、僕はきし麺っぽくなりました。

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 「じゃい」の作品です。朝っぱらからテンションが高いですね。

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 蕎麦は1人当たりざる2~3杯分ありました。これで体験代が1000円なので、格安であります。

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 駐車場に線路の痕跡がありました。見た感じ幅は狭軌(1067 mm)で、これは日本の大半の在来線の規格です。地図を見たらこの工場の隣にJR「篠ノ井線」の「南松本」が位置しています。昔は貨物線が工場の敷地内に伸びていたのでしょう。線路が敷かれていたと思われる位置に、今回の体験教室の建物がどっかり建っていました。

卒業旅行 2日目 その1 松本城

 5日ぶりの7時間睡眠を堪能しましたが、それでもまだ3時間ほど寝たい状況でした。寝ぼけてはいましたが食欲は健全でパンを6つスープ2杯そのたもろもろを平らげて近くの松本城を見学しました。3時ごろ早起きした約2名?がすでにこの辺を散歩していたようですが、当然僕は爆睡中でありました。

 松本城は日本に現存する最古の天守閣を持ち、天守閣自体は複合連結式層塔型5重6階という、極めて珍しい形をしています(複合連結式とは、一番大きい天守閣に数個の建物(小天守)が合体している構造です)。この城も明治維新後の廃城運動で一時は解体されそうになりましたが、地元の人たちの尽力により修復・保存されました。

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 でかいですね。現存する天守閣では姫路城に次ぐ大きさでしょうか?

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 本丸御殿跡より。一番大きな大天守の見かけ右側に1つ、左側に2つの計3つの小天守が接続しています。

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 石垣は割かし緩やかでした。まるで熊本城の石垣みたいです(天守閣が黒いという特徴もそう)。その気になればあるていどは登れそうですが、翌日の痛いニュースなどに乗りそうなので自重自重www。

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 中にはこんな急な階段もあります。登るのが大変ですね。

61°の階段
 最も急な階段の角度は61°だそうです。スプラッシュマウンテンより急ですね。

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 最上階より松本市内を展望。旧開智学校が見えます。

 天守閣を降りた後は、中国人らしき修学旅行生達となぜだか乗りと勢いで記念撮影をしました。みなさんテンション高いですなあ。

卒業旅行 1日目 その4 松本市内ぶらり

 夕方に松本市内へのホテルへ着きました。着いた後は市内をぶらりしたりくつろいだり、用事で遅れた面子を駅前に迎えに行ったりしました。

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 一昨晩は床で寝て、昨晩は貫徹だったため、正式な寝床は3日ぶりです。このままでいたら確実に本日がゴールするので叱咤激励され、起き続けました。

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 松本市内探索です。公園にこんな置物が。

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 なぜか蛙の像が。NARUTOみたいです。松本市街地はかなりきれいに整備されている印象があります。

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 市街地の道路の路肩は、自転車専用であることが矢印で強調されています。地元民はしっかり道路上を自転車で通行しています。

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 夕飯は田楽を食べました。僕にとっては今日2回目の食事のため、食いまくりました。そして眠気がzzz。

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 遅れてきた友達がやってきました(左側)。遠くからとった際、通行人によけられましたが、本人たちは自分たちが通るからみんながよけたと思ったらしい。

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 松本市は、自転車に力を入れているのか?ホテルでも貸し出してくれました。非常に便利です。ただ、僕らが自転車で駅へ向かう時だけ雨が強まったのはなぜでしょう?

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 友達を迎えに行ったあとはきょう3回目の食事としてラーメンを食いました(2回目の食事から2時間後)。旅行に行き始めてから急に食いだしております。その後はホテルで飲みましたが、寝不足による眠気が増したのでテレビを見ながら1:00に寝ました。朝は無事起きられるか?

卒業旅行 1日目 その3 平湯で休憩

 高山を後にして宿泊地の松本を目指して安房峠(トンネル)を超えました。その際、平湯温泉でちょっと休憩しました。平湯温泉はかなりの観光地らしく、温泉宿がかなりありました。最初は足湯へ行く予定でしたが、残念ながらやっているところが無いので断念しました。安房峠付近はまだまだ残雪がすごく、駐車場には高さ10mくらいの雪山ができていました。しかも山の真ん中が雪の大谷のように切りとおしと化していました。

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 山中に入ればこんな景色です。富山はほとんど雪解けしたのですが。

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 雪山があるからにはそこに登りました。靴下が少し濡れましたが、気にしない気にしない。

卒業旅行 1日目 その2 高山

 僕が寝不足で寝たり起きたりを繰り返している間に高山市内に着きました。ここで短い時間を使って古き街並みを歩いたり昼ご飯を食べたりしました。

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 高山の街を散策。この時は眠くて空元気でした。

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 街中には高山祭のための屋台を収納する倉がちらほらあります。

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 昼食は高山ラーメンにしました。前日の夕食にすき屋の目がチーズカレーを食べて以来ずっと飢えていたので温まりました。

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 龍の髭というお菓子です。原料を何回も伸ばして最終的には16000本を超える糸状にします。とてもぱさぱさしているので、その感触を好むかはひとそれぞれです。

卒業旅行 1日目 その1 貫徹直後の出発

 3日連続の夜更かしによる4~5時間睡眠に加えて旅行前日は論文の追い込みによる徹夜とたたみかけました。前日に同窓会を途中で切り上げて睡眠をとれば作業効率を上げられて徹夜をする確率は大きく下がったでしょうが、同窓会による夜更かしには反省も後悔ありません。でもねみぃ…体が気持よく動きません。結局朝の6時(集合2時間半前)に作業を全て終え(たつもりで)、とっとと帰って準備をしようとしたら1つうっかり見逃したところが見つかってしまいました。脳内にプロジェクトXの曲と実況が流れました。幸い仕上げ忘れた図はあらかじめ下書きの要領で作ってあったため全体の作業は20~30分で終わりました(下書きが無かったら1~2時間かかっていた)。途中で起きたかどうかの電話がかかってきましたが、「まだ学校にいる」と答えてめっちゃ驚かれました(そりゃあそうですな)。そして急いで家に帰って準備をして合流しました。それでも遅刻したのでマジで危なかったです、本当にごめんなさいです。

 度重なる寝不足と終わったという安ど感で行きの車ではちょくちょく眠ってしまいました。

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 はい、激写されました、当然気づいていません。今回の旅行関連の記事に掲載する写真は、自分以外にも同伴者のカメラで撮影したものも含まれます。
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