「福井」探訪 その2 「えちぜん鉄道三国芦原線」

 路面電車で「田原町」へ行ったあとは、そのまま「えちぜん鉄道三国芦原線」に乗り換えて「三国」へ向かいました。「福井」とその周辺には「えちぜん鉄道」の「三国芦原線」と「勝山永平寺線」の2路線が「福井」の町と「勝山」や「三国港」を結んでいます。「えちぜん鉄道」はもともと「京福電気鉄道」という名でしたが、今から9年前に事故を起こして1年半休止路線となり、その後「えちぜん鉄道」として復活した経歴があります。

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 「三国」より撮影。「えちぜん鉄道」の車両は大体こんな感じです。

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 「福井鉄道」との乗り換え駅である「田原町」は、昔の雰囲気満々です。数年後、「福井鉄道」と「えちぜん鉄道三国芦原線」は直通運転を開始し、「福井鉄道」が平成25年度(2013年度)にも「新田塚」までの区間(約2.8km)に、その次の段階として、区間を「西長田」までの約9.6kmに延ばし、「えちぜん鉄道」からも乗り入れさせます(ただし、事業費の問題も残る)。

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 はい、景色はこんな感じです。

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 沿線の数駅には、無料で自転車の貸し出しが行われています。こういうサービスは鉄道利用者としてはとてもうれしいです。

 そして、「福井」の鉄道について短時間で勉強したい方にお勧めの動画です。この作品は「高志の民」(別名「福井の鉄道の人」(http://www.nicovideo.jp/mylist/1841374))さんが制作し、別の方が初音ミクに歌わせたものです。ちなみに、「高志の民」さんは、「北陸新幹線が認可されない」(http://www.nicovideo.jp/watch/sm852707)も制作しており、こちらも面白いですよ。

 
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「福井」探訪 その1 「福井」の路面電車

 「福井」滞在中の週末に「福井」の路面電車に乗ってきました。路線の正式名称は「福井鉄道福武線」で、大正13年(1924年)に開通しました。「越前武生」~「田原町」間20.9km「市役所前」~「福井駅前」間0.5kmで構成されます。線路は専用軌道(要するに普通の鉄道)と併用軌道(要するに路面電車)からなり、全路線中3.3kmが併用軌道です。法律により併用軌道く案は最高速度が40km/h、専用軌道区間は65km/hとなっています。なんだか「富山ライトレール」と似通っている雰囲気もあります。列車は1両、もしくは2両編成でおおよそ20分間隔で運転され、朝夕は急行列車も運転されています。

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 「ベル前駅」より撮影。車両は大体こんな型(800型)です。

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 専用軌道はこんな感じです。これまた「富山ライトレール」のようです。

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 こちらは併用軌道です。併用軌道は大部分が複線になっています。周りの道路は片側3車線です。

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 「市役所前駅」です。この駅は「福井駅前駅」に向かう延長0.5Kmの路線(いわゆる「ヒゲ線」)が分岐している、もっとも発展している駅の一つです。

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 「田原町」~「越前武生」間の区間を行き来する途中で大半の列車は「ヒゲ線」を通って「福井駅前駅」に立ち寄ります。いわゆるスイッチバックをします。

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 2両編成の車両にも出会いました。

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 「福井駅前」です。「市役所前」~「福井駅前」間は単線で僅か0.5kmしかありませんが、「福井駅」を介してJR線や「えちぜん鉄道」と接続を助長する重要な区間です。

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 「田原町駅」です。ここでは「えちぜん鉄道三国芦原線」と乗り換えができます。数年後には「福井鉄道」と「えちぜん鉄道」が相互直通運転を行う予定です。

名言集 その43

新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。
(イビチャ・オシム:元日本代表監督)
 被侵略を始めることもできますね。

俺は本職が石原慎太郎なんだよ
(石原慎太郎:東京都知事)
 深いですね。

PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持ったものだけだ
(ロベルト・バッジョ:元サッカー選手)
 かっけえ‥

誇りは人に見せるものではなく自分に見せるもの
(不明)
 これから自分に言い聞かせるべきことでしょう。

きっとレッドさんはゴロゴロするのに忙しいんですよ
(ヴァンプ将軍:天体戦士サンレッド)
 なんという天然!ズキンときますね。

「富山市内軌道線」に新しい車両が導入され始めました

 今年の4月に「富山市内軌道線」に新型車両が導入されました。これは「富山駅前」~「南富山駅前」間を走る車両で、T100型です。これは2年前に「豊橋鉄道」に導入された「T1000型」と同型の車両で「サントラム」という愛称をつけられています。特徴は全面低床車両式で、3両の車体に2台の台車を組み合わせた連節車です。この車両は、「富山市内軌道線」の主役を担っている「7000型」の代替車両として登場しました。現在は「富山駅前」~「南富山駅前」(いわゆる1系統)間のみでの運航ですが、後に「南富山駅前」~「大学前」(いわゆる2系統)間でも運行される予定です。一方で「富山都心線(セントラム)」や「ライトレール」への乗り入れ予定はありません。

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 こちらが「T100型」です(「南富山駅前」似て撮影)。3両の連節車は「富山」の路面電車では初めてです。

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 ついでに「南富山駅前」の車両基地の様子も撮影しました。1年前と比べて顔ぶれが増えましたね。

「富山」へとんぼ返り

 「福井」に滞在している間の週末に会社の講習で「富山」へ行きました。これで今年度4回目の「富山」訪問です。講習終了後は久しぶりにポッターさんと出会って色々と語り合いました。話した内容はいつも通りのあれやらこれやらです。
 今は同年代の人が周りに少なくなっている時期なので、こういう場では思いっきり楽しめますね。先に就職した同期とたまに会うと彼らが妙にテンションを挙げている理由が今となってはわかってきています。

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 かつての「富山駅」駅舎です。つい1カ月弱前までは、壁の向こうはみどりの窓口でした。

「福井」

 5月の中~下旬にかけて研修で「福井」の方へ行ってきました。

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 研修先はこんなところです。河川堤防の改良工事ですね。

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 現場は広いので、車で移動することが多いです。作業員さんに進められて5年半ぶりにマニュアル車を運転しましたが、10分で20回エンストさせ、ようやくブレーキペダルとクラッチペダルの位置、および半クラッチを思い出しましたとさ。 

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 1日だけ福井より少し山の中の現場へ連れて行っていただきました。

駅名を巡る争い その3 小郡駅(現在の新山口駅) 、の補足。「山口市」の野望

 以前、「山陽新幹線」の「小郡駅」が「新山口駅」に変換された推移を紹介しました(→『駅名を巡る争い その3 小郡駅(現在の新山口駅)』)。この駅名を巡って「山口市」と「(旧)小郡町」が対立をしたのであります。

 実は、この対立は新幹線が開通する前、今から50年以上前から2つの町で続けられていたのでした。今回はそれについて語りましょう。

 中国地方を横断する幹線鉄道である「山陽本線」が建設される際、最初は現在の「山口市」の都心部を通る予定でした。ところが、当時は鉄道が敬遠されていた時代で、「山口市」は「山陽本線」を通すことを拒否しました(このことについては、『鉄道が敬遠されていた時代』を掲載した際に頂いたコメントから情報を得ました)。

山口と新山口
 「山口駅」と「新山口駅(かつての小郡駅)」の位置関係。

 「山陽本線」を市内に通すのを「山口市」が拒否したため、「(旧)小郡町」に「山陽本線」が通されて「小郡駅」が開業しました。「小郡駅」「山陽本線」の主要駅として、特急列車の停車駅として発展しました。鉄道を拒絶したことの間違いに気付いた「山口市」は大正2年(1913年)に「山口線」の誘致に成功しましたが、中国地方の幹線鉄道である「山陽本線」から外れていたのが原因か?町はあまり発展しませんでした。このころから「山口市」は「小郡町」と合併してでも「小郡駅」に「山口」の文字を入れようと考えました。「山陽新幹線」が「小郡町」に停まるようになってからはその情熱がますます強まりました。その後の経緯は前の記事で述べたとおりです。「山陽新幹線」が全通した昭和50年(1975年)から、国鉄などからも「新山口駅」や「山口小郡駅」という案が出ていましたが、「小郡町」は駅名が改変される平成15年(2003年)までの28年間自らの町の名を守り通してきたのです。

3回目の「富山訪問」

 5月2日より、完全なる私用で「富山」へ遊びに行きました。「富山」に明確な意志を持って積極的頻繁に行けるのも、あと2年くらいですからね。今回は、部活の面子が3人そろって居残り組のみんなと「満天の湯」へ行ったり体を動かしたり(筋肉痛になってしまった…)、ダラダラ飲み明かしました。連休と言えば旅行に行くのも貴重なものですが、今となってはこういう学生時代のグダグダ飲み明かしもまた貴重な存在ですね。

 それはよかったのだが、僕はあろうことか夏バテぎみになってしまいました。ここんとこ暑い日は続き、先日の日帰り「佐渡金山」の旅で体を酷使したからでしょうか?酔うのも早いしみんなが元気な中居眠りをすることが頻繁でしたwww。4月の半ばと24日にそれぞれ仕事と恩師の退官式で「富山」によっているため、あまり懐かしい感じがしなかったです(学生時代はテラ懐かしいが)。まるで実家にしばらく帰っていて「富山」に戻ったかのような感じです。みんなはそれぞれ元気にやっていました。社会人になると、学生時代の友達の大切さがすごくよくわかりますね。

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 笑顔で原付に乗っている彼なのだが、その真相は僕らだけが把握しておりまする。



 5月の「富山」の街並みがなかなか興味深かったので、お見せしましょう。

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 今、「富山」の中心街にはこのようなレンタル自転車の基地が十数か所造られています。会員になれば、k30分間は無料で走れるそうです。

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 4月の終わりに、「北陸新幹線」建設と「北陸本線」の高架事業により「富山駅」の駅舎が100mほど西側に移動されました。これは、仮駅舎です。

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 現在、「富山駅」すべての発着番線が仮位置に移設され、線路下の砂利(バラスト)もきれいになっています。「高山本線」専用ホームはかつては3番線で下が、位置関係により1番線(一番南側)となりました。

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 「富山駅」の前で一度に5本の路面電車を見ることができました。「富山」の市電は賑やかですね。

富山の路面電車は割と儲かっているらしい

 経営の指標に「営業係数」という数値があります。これは、100の収入を得るのに投資する数値で表します。つまり、その数値(営業係数)が100未満なら黒字、101以上なら赤字ということです。

 5月辺りに発売された国際情報誌SAPIOに、平成19年(2007年)度の各鉄道会社の営業係数が載っていました。それによると、
富山の路面電車(「富山市内軌道線」)の営業係数は66.5と、東京の地下鉄の71.9を上回っています(当時は「富山都心線」(セントラム)は開通していない。また、「ライトレール」はこの営業係数の対象に含まれない)。営業係数は施設や車両への投資額、鉄道会社自体の規模なども絡むので、単純な各数値の相対的格差で比較し辛い面もありそうですが(たとえば東京の地下鉄は施設に莫大な投資が必要で、結果、施設の比較的手軽な路面電車より営業係数の値は不利かもしれない)、数値を見ればずいぶんな黒字路線です。富山市内の路面電車の1日の乗下車数は、約1万人だそうです。

 富山には、かつて多くの路面電車が通っていましたが、かなりの区間が廃止になりました(参照→富山市の路面電車の歴史)。残念ですが、ある意味儲かる区間だけ残した方針が当たったともいえるでしょう。また、路面電車の運転間隔は「富山駅前」~「南富山駅前」間が5分、「富山駅前」~「大学前」が10分と、結構高頻度な運転を実現しています。この利用のしやすさが乗客を繋ぎとめる、もしくは誘っているのでしょう。学生の立場から見れば、「大学前」から街中へ飲みに行くのに重宝しますしね(お開きが遅いと帰りは歩きやタクシーになることもよくあるが)。「ライトレール」や「富山都心線」(セントラム)を合わせたら、富山の路面電車はどのような経営になるか気になります。「富山大橋」の架け替えが終わり、「富山駅前」~「大学前」でも今より高頻度な運転ができたとき(できるかなあ?)、「ライトレール」と直通運転をしたときはどうなるだろうか?

直線ルートが有効らしい

 1週間以上前のお話ですが、「佐渡金山」関連の記事が続いていたためまあやむを得ずニュースということで。

リニア、直線ルート有力に…迂回案の長野おりる?6月7日12時41分配信 読売新聞

 JR東海が建設を目指している「リニア中央新幹線」計画を審議している国土交通省の交通政策審議会中央新幹線小委員会は4日、神奈川、山梨、長野、岐阜の沿線4県の各知事から意見を聞いた。

 焦点となっていた東京―名古屋間のルート選定について、山梨県の横内正明知事が南アルプス直下を貫通する「直線ルート」が望ましいと初めて表明した。南アルプスを迂回(うかい)するルートを求めてきた長野県の村井仁知事は、特定ルートの要望をしなかった。長野県が直線ルートに明確に反対しなかったことで、JR東海が希望している直線ルートで決着する公算が大きくなった。

 神奈川県の松沢成文知事は、リニア開業で東海道新幹線の運行に余裕ができることを受けて、県中央部の寒川町倉見地区に東海道新幹線の新駅設置を要望した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100607-00000306-yom-bus_all

 今後どうなるかまだまだわからないこともありますが、いくつかのニュースを見る限りでは直線ルートに空気が傾いているようです(まさか「静岡県」は通過料を請求しないよなあwww」)。少なくとも「飯田」に駅が造られればそれでいいかもしれません。「神奈川県」も開通後の新駅設置を模索しています(10年くらい前に予定地近辺に新駅設置要望の看板が出ていましたね)。まさか「静岡県」は「富士山静岡空港駅」の設置を要望しないよなあwww、そのころ「富士山静岡空港」が思いっきり黒字であれば可能性ありそうですけどね。

日帰り「佐渡金山」の旅 その8 「ジェットフォイル」

 帰りは「ジェットフォイル」で帰りました。「ジェットフォイル」は日本語で言う水中翼船で、船と飛行機を合体させたような乗り物です。船体の大部分を海面上に出し、その分水抵抗を軽減して高速運転を可能にしています。「佐渡汽船」の「ジェットフォイル」の運行速度はなんと80 km/h(最大87 km/h)で、「佐渡島」~「新潟」間約67kmをわずか1時間5分で結びます(フェリーは2時間30分かかる)。速い分値段も高いですが、今後「佐渡島」へ行く機会がいつになるか分からないので、記念に乗りました。

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 こちらが「ジェットフォイル」です。見るからに速そうな感じです。てきとーなたとえをしたら、少し反っているビート版を滑らすようなのに近い航行をします。

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 船内は座席がきちんとしていて、特急列車や飛行機の中のようです。

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 この日は最高で80 km/hでました。

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 途中で「ジェットフォイル」より30分早く出航したフェリーを追い越しました。「ジェットフォイル」は、このフェリーより約1時間早く新潟へ到着します。

 そんなわけで、新潟には16時30分に戻りました。次の日は「富山」へ行くのでちょうどいい戻り具合です。それにしても、6月に載せているこの日記は5月1日のものなんですね…まだまだ追い付くのにかかりそうです。

日帰り「佐渡金山」の旅 その7 金山をあとに

 正午に「佐渡金山」をあとにして本数の少ないバスに会わせるためぶらぶらゆっくりと移動をしました。途中、他の名所を少し見ました。

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 こちらは「佐渡金山」の象徴である「道遊の割戸」の裏(上流側)です。穴だらけです。

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 帰り道で神社を見ましたが、そこの石垣には鉱石をつぶすための石臼が大量に使われていました。

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 「南沢疎水坑」の出口です。出来てから300年以上たつ「佐渡金山」の坑道にわき出る水の排水路ですが、今でも現役バリバリで使用されています。残念ながら出口近辺は立ち入り禁止のため、遠目で撮影。出口についてはこちらに写真が掲載されています(http://www.city.sado.niigata.jp/sadobunka/kingin/gold&silver/technology/water/sosui_4.htm)。「南沢疎水坑」は、当時の技術としては途方もない膨大な労力精密さで構成され、坑道の断面をきれいな将棋型にわざわざする(←そうする理由が不明だそうです)謎のこだわりが見られる、「道遊の割戸」と並んだ素晴らしい遺産ですが、安全上の理由から公開が難しいそうです、残念。

 まだバスまで時間があったため、途中にある「佐渡奉行所」に立ち寄りました。

 実は再建されている奉行所は非常に珍しいそうです。それは、奉行所のある場所は江戸時代の街中=現在でいう人口密集地帯にあるものなので、再建が非常に困難だからだそうです。「佐渡奉行所」は、裁判だけでなく金鉱石の管理や生産も担っていたそうです。

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 この建物は、平成13年(2001年)に再建されました。

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 お白州もきちんとあります。

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 昔の位置より少し離れて再建したらしく、昔の建物の後もありました。

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 金の抽出をするための工場もありました。金の抽出方法も非常に興味深い(凄い!)と思うものが目白押しです(その辺については興味のある人はググってください)。

日帰り「佐渡金山」の旅 その6 様々な展示物

 主に「道遊坑」の出入り口付近に、鉱山で使用された機械の展示室がありました。

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 展示室の建物外には、かつて使われていたトロッコ列車が停まっていました。貨車には、鉱石らしき石が積んであり、よく見たら金色の物質がときどき見られました。

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 「トトロ」の電話がありました。僕の世代ではダイヤル式黒電話がギリギリ知っています。

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 特殊な転車台がずらっと並んでいました。1つの転車台に2組の線路が十字に交差しているのは、貨車の方向転換を円滑にするためでしょうか?

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 機関車もたくさんあります。

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 こちらは、恐らく近代に掘られた坑道の平面図と断面図です。すげ…、よくここまで掘っては地図に表しますね。

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 金鉱石です。金色の部分が金です(黄銅鉱や黄鉄鉱じゃないよなあ)。

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 こちらは方解石です。こんなに密集しているのは始めてみます。

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 別の鉱山の試料ですが、輝安鉱です。もはや、物質特性よりも見た目を重視ですね。

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 土産やのところに手回し式水ポンプが展示してありました。これを手動で動かすにはすごい力が必要でしょう。

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 鉱石をすり潰すための石臼が池の石に使われていました。

日帰り「佐渡金山」の旅 その5 「道遊の割戸」

 「道遊坑」を堪能した後は、すぐ近くの地上部分にある「道遊の割戸」を見に行きました。「道遊の割戸」は、江戸時代に鉱脈を追い求めて人力で掘られた、山を真っ二つにする溝です。割戸の幅は約30m、深さは約74mで、これだけ大規模な直立した溝を人力で掘り下げた例は世界でここだけだそうです。

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 「道遊の割戸」の説明文です。

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 「道遊の割戸」を至近距離から撮影した様子です。すげえでかいです。これだけの谷(写真上部分のみ溝)を人力で掘り下げたとはとても信じられません。下の部分(洞穴にっている部分)は、明治以降に機械を取り入れて掘り進め、その坑道は子の地面よりも下まで続いています。そこらかしこ穴だらけです。

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 前の記事でも紹介した写真ですが、割戸の直下はこうなっています。明かりは確認できませんでしたが、上に登ればすぐに地上です。

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 割戸はかなり山奥になっています。

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 所定の場所でも撮影しました。

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 1つ上の写真の撮影地点には、鉱石を細分する工場の跡がありました。

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 線路がいっぱいです。専用列車で坑道からこの工場まで鉱石を直接運搬します。

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 線路沿いに進んでいくと、別の坑道がありました。この坑道は、観光ルートの出口と「道遊坑」の出入り口付近につながっています。

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 「立ち入り禁止」となっている坑道を塞いでいる扉の隙間から、中の様子を撮影しました。結構廃墟度が高いですね。この坑道は、前の記事で紹介した、酒を保存している場所に繋がっています。

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 こちらが今通ってきた坑道の出入り口です。「高任坑」です。

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 「高任坑」の出入り口のすぐ近くに「高任立坑」がありました。厳重に封鎖されていたので、金網の隙間から下を撮影しました。説明文によると、この立坑の深さは460m、最深部までの合計の深さが659mと、登校タワー2基分の規模です。今では大部分が水没しているみたいです。これ公開されたら、えらいことになりそうですね。よくもまあ、こんな深い穴を、しかも海に近い場所で海面下約500m掘るものです。あまりのスケールの大きさにただただ唖然とします。

日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」

 「宗太夫坑」を見た後は、「道遊坑」へ行きました。「道遊坑」は、明治以後の近代に鉱脈を求めてさらに採掘されていった坑道の一つで、平成元年(1989年)に閉山するまで、わずか21年前まで現役で稼働していました。

 江戸時代後半には、当時の技術では獲れる金の量と利益のバランスが崩れ一時期「佐渡金山」での採掘量が減りました。明治に入り、品位の低い鉱石から金を取り出す技術が発達し、さらに地中深く(海面下)まで掘削して新たな鉱脈を採掘できるようになったため、再び「佐渡金山」は活気を取り戻しました。名物の「道遊の割戸」は江戸時代に地上から露天掘りの形で掘られましたが、明治以降はその直下でも採掘がおこなわれるようになりました。

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 こちらが「道遊坑」です。効率的な輸送とトロッコ列車の行き来を可能にするため、坑道は比較的まっすぐで大きいです。

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 坑道の露頭(嫌な言葉…)は玄武岩質安山岩やら凝灰岩やらが露出しやがっていますが、途中で断層破砕帯らしきもの(写真右上~左下、矢印で示す)が見られたので、学科病を引きずり撮影しました。これはここだけの話にしておいた方が無難ですねwww。

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 坑道内は気温の変化が小さいため、酒の貯蔵に使われてもいます。

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 線路が残っているのはいいことですね♪

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 こちらが鉱石運搬用の電気機関車と貨車です。蓄電池で動いていました。

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 単線のため、途中で行き違いが出来るようにされています。赤く光っているのは信号です。

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 坑道の途中には、このような小部屋らしき穴がちらほら空いています。鉱脈を追ったものでしょうか?説明によると、地上が近くて現役時は外の明かりがここから見えたそうです。

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 奥へ進むと、3次元的に広がっている広場に出ます。ここは、「道遊の割戸」直下にあたります。江戸時代に掘った方向に、さらに下へ向かって掘ったのでしょう。

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 1つ上の写真と同じ場所から方向を変えて撮影。ズリが大量に残っています。ここも21年前までは採掘が盛んでした。

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 このように、コンクリートで整備された部分もあります。

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 「道遊坑」の出入り口です。

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 出入り口の先には、トロッコ列車がたくさん停まっていました。

日帰り「佐渡金山」の旅 その3 「宗太夫坑」

 8:30、ついに「佐渡金山」の観光用坑道の1つである「宗太夫坑」に辿り着きました。

 「佐渡金山」は慶長6年(1601年)に発見されて以来、平成元年(1989年)までの388年にわたり採掘されてきた日本有数の金山です。坑道の総延長は約400 kmにもおよび、そのうちの710mが観光用として公開されています。坑道は3次元にわたり網のように張り巡らされ、最深部は海面下約500mに及んでいるそうです(現在は多くが水没している?)。「佐渡金山」とその周辺の大部分がは非常に硬い玄武岩質安山岩で構成され、一部に凝灰岩や断層破砕帯が認められます(そんなのどーでもいいしー)。金はその中の石英脈中に含まれ、その帯(要するに鉱床)北向きに急角度で傾斜し、それに沿うように坑道が張り巡らされています。

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 江戸時代(慶長8年(1695年))に描かれた坑道の立体地図です。300年も前にこれだけの坑道が地下に張り巡らされていたのです(この地図は横幅で少なくとも3km分はある模様)。

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 断面図もあります。当時はすでにこれだけの立体図や断面図を海抜や土かぶりなどを交えて正確に3次元座標として表現する測量技術が応用されていたそうです。写真左下を通るまっすぐした赤い太線は、「南沢疎水坑道」という全長922mの排水路です。地中の硬い玄武岩質安山岩などをくり抜いた高さと幅が3m台の巨大な坑道で、現代と比べて非常に簡易で原始的な測量器具を用いて数か所から同時に掘削されましたが、貫通時の誤差は横方向にが3m、縦方向にわずか1mだったそうです。

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 観光用坑道のまわりにもこのような坑道の入り口がばかすか開いています。

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 観光用坑道の一つの「宗太夫坑」です。坑道は江戸時代に掘られたものです。坑道名は、発見者や採掘代表者の人名からとることが多いそうです。

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 坑道内には、江戸時代の採掘風景を再現する人形や道具が展示されていました。これらが電動式で動いてときどき音声も発せられます。わかりやすいけど不気味ですね、夢に出そうです。写真左側にある円柱の道具は、水をくみ出す回転式人力ポンプです。これ、休むことなく人力で動かしているんですって。

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 鉱床・鉱脈が発見されると(もしくは定期的に)、洞内でこのような儀式が行われていたそうです。写真中央部にある白と黒の縞模様(縦方向)になっている露頭部分が金鉱床・鉱脈です。

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 正面から向き合って目が会うと、「こっちみんな」と言いたくなりますね。

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 これが、金鉱石です。よーく見ると金の破片が散らばっているのがわかります。写真ではよく見えないと思うので、よく見たい方は「佐渡島」へ行ってください(宣伝)。昔の人は、よくあんな山の中にある石ころから金を発見、採掘しましたね、凄いです。

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 そしてこれらの鉱石から金を抽出していくとこうなります。

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 重さが約14kgもある金の延べ棒です。展示ケースには片腕しか入れられないため、持ち上げるのが大変です。

 「佐渡金山」は、何気に学生時代や今の自分の担当分野と被ることの多い非常に興味深い場所なので、ブログでは細かく取り上げたくこんなにオタ解説が加わってしまいました。母校のおじ様達がすぐ隣にいらっしゃったら、きっと以下のような音声が観測されることでしょう。

その1:「うわー、坑道すげー」と、タモリ倶楽部の会員のようなテンションになる
その2:「これ何て石?何でそう思うの?破砕帯どんな姿勢だった?ほんとに合ってるのかぁ?」と面倒な笑顔で突っ込む(坑道内は恐らく速足で通過する)
その3:「ほわぁ~!見事な鉱床ですねぇ~」と切り出して、ためになるうんちくを語り続ける(←「もやしもん」の「樹教授」のように)。

 次回は近代化の名残が見られる「道遊坑道」を紹介します。
 
坑道のルートマップはこちら(http://www.sado-kinzan.com/course/douyuu/より)です。「宗太夫坑」は朱色、「道遊坑」は緑色です。

日帰り「佐渡金山」の旅 その2 とりあえず歩いた

 バスで1時間ほど移動し、7:30に金山最寄りのバス停に着きました。ここから2.5kmほどで金山です。本来ならタクシーなどを使うのが効率いいですが、タクシー代をけちるために歩きました。休日の方が体力使っていそうです。

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 金山の近くは、結構のどかな場所です。ただし、上り坂が多い…。

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 金山へ行く途中に関連建物跡が色々残っています。

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 所々にこういうトンネルも。坑道の跡でしょうか?

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 「佐渡金山」の象徴である、「道遊の割戸」です。もとは普通の山でしたが、江戸時代に金鉱床に沿って地上から山を掘削し、山が真っ二つになりました。深さはなんと約70mです。

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 「佐渡金山」が閉山したのは平成元年(1989年)と、結構最近です。関連の建物がまだまだたくさん残っています。これは、鉱石を選別する施設らしいです。

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 金山に近づくにつれ、「道遊の割戸」が鮮明になってきました。

日帰り「佐渡金山」の旅 その1 丑三つ時の出発

 ゴールデンウィーク(5月1日)に1日だけ日帰りで「佐渡島」へ行ってきました。目的は「佐渡金山」であります。で、日帰りで行ってきました。しかし、新潟の港から「佐渡島」はフェリーで2時間20分、さらに「佐渡金山」までバスで1時間と、時間がかかります。てなわけで少しでも早く到着するために、3時30分発のフェリーに乗りました。そのために2時30分に住みかを出て約10kmの道のりをチャリンコダッシュで32~33分ほどで駆け抜け、無事乗船しました(ちなみに最寄りのバス停から「佐渡金山」までタクシー代をケチるために3km弱歩きました。どうして休日にそんな運動するのやら…)。

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 3:30の「新潟港」。当然暗いです。

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 フェリーのデッキにはあまり人はいませんでした。元気が余っていたら甲板ではしゃいで御来光を拝みたかったのですが、「新潟港」までのチャリンコダッシュで空元気いっぱいになったので大半は寝て過ごしました。

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 朝の5:30です。光の道ができています。

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 「佐渡島」には標高1000m台の山が連なり、山頂付近には雪が残っていました。

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 両津~!!

やっと10000km

 「コロニーな生活」に誘われて約10カ月、実質観測を初めて8カ月目でようやく移動距離が10000kmを越えました。しかも、今年の4月の月間移動距離が2616km、5月が3000kmと、新年度を迎えてから地味に動き回っております。ちなみに、4,5月の合計移動距離のうち約4870kmは北陸“4”県(新潟、富山、石川、福井)内での移動でした。これ、大学時代よりも北陸地方を周っているではありませんか。このゲームをやり始めたのが5年半やっていたら、とっくに地球を周回して2周目を終わりかけていたかもしれません。まあ、これから頑張りましょう。

鉄道にかかわる時計が、未だにアナログ式が多いのは何故か?

 鉄道駅に設置されている時計や運転手・駅員・車掌などが携帯している時計は、ほぼアナログ式です。今や数字が正確にわかるデジタル時計が出回っているのに昔ながらのアナログ式を使っているのはなぜでしょうか?

 それは、アナログ式の時計は見やすいからです。長針と短針の相対的な位置関係で時計を見た瞬間におおよその時間が理解できます。それに、デジタル式の数字よりも長針や短針自体が大きいので、駅構内では離れた場所からでもすぐに時間を読み取ることができます。

 デジタル式は数値が正確に現れますが、頭の中で「後何分で列車が出発(もしくは到着)するか?」を暗算する手間がかかります。一方で、東京の地下鉄駅の時計は多くがデジタル式です。これは、頭で時間を計算することは手間がかかるけどアナログ時計を目で見て判断するよりは判断が正確だからだそうです。東京の地下鉄の利用者は効率を重視する乗客が多いせいか、デジタル式の時計で時間を頭で計算するのに慣れているのかもしれません。状況や利用者の生体的特徴でアナログとデジタルを使い分けていると言えるのでしょう。

新潟探訪 その2 新潟みなとトンネル

 「信濃川」河口の下に「新潟みなとトンネル」があるので見に行きました。「新潟みなとトンネル」は、「信濃川」の水面下約20mを通る全長1423mの水底トンネルです。陸地であらかじめ作ったトンネルのコンクリートを現地へ輸送しそのまま沈めた後水底の下に埋める(予めトンネル本体を入れるための水を掘ってある)、埋沈工法により造られました。平成14年(2002年)5月19日に1本目のトンネルが暫定2車線で、平成17年(2005年)7月24日にもう1本が開通して4車線化されました。

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 トンネル西側入り口です。ちゃんと歩道もあります。先に見える建物は、トンネルの換気塔です(「山の下みなとタワー」)。

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 歩道用の通路です。最下部へ向かう勾配は40‰(4%)です。

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 少し進んだ先にもう一つの出入り口があります。景色は、北陸地方によくある地下道みたいです。

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 もうひとつの出入り口です。

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 換気塔には展望台が付いていて、上に昇ることができます。

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 展望台から東側の対岸を撮影。対岸にも換気塔(「入船みなとタワー」)があります。撮影地点と対岸の換気塔の間の下をトンネルが通ります。

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 換気用の煙突本体です。煙突の付属設備がずいぶん多い場所でした。

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 換気塔内部にも下の歩道に繋がる階段があります。

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 トンネルは地下3階に位置します。歩道を階段から見るとこんな感じです。

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 階段と歩道の合流地点です。エレベーターも備わっています。

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 トンネル内部です。内部は通行者だけでなく、歩いたり走ったりする人も利用しています。半分以上がトレーニング者でした。

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 所々、道路との連絡扉があります。おそらく非常用でしょう。

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 はい、トンネル中心部です。とはいっても案内が無いと実感がわかないです。

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 しばらく進むと、陸への上り坂になります。

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 前半は自転車が素晴らしい動きを魅せましたが、最後は面倒です…。

新潟探訪 その1 てきとーにぶらついてみた

 今年度から生活が大きく変わり、日記ネタがたまりにたまっています。1ヵ月半分遅れているので、今までどおりに追いつくのはいつなの矢ら?とりあえずこれから4月中旬からすみ始めた新潟の町並みから紹介していきましょう。

 「新潟市」は、今年度の人口が81万70人という政令都市であります。「静岡市」より多いですね。「上越新幹線」で1時間40分~2時間ほどで「東京」へ一直線でいける、案外立地条件のいい町でもあります

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 「新潟」の中心街にある「朱鷺メッセ」です。無料で上の展望台に登れます。近くには「佐渡汽船」の乗り場があります。

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 「上越新幹線」が見渡せます。ちょうどMAXのE1系が通っています。

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 「信濃川」です。「新潟平野」は泥の多い地質らしく、「信濃川」や「日本海」沿岸は濁っています。

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 「佐渡汽船」名物の「ジェットフォイル」です。「新潟」と「佐渡島」を時速80km/hで結びます。

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 「新潟平野」の海岸は砂浜海岸で風も強いため、防砂林がずっと続いています。砂が多いおかげで梨などがよく生産されています。

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 海岸から陸域を見ても木ばっかです。砂浜の砂は泥で少し黒ずんでいます。

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 沿岸は泥水の割合が大きいため、海水浴には向きません。行くとしたら結構遠出をする必要があります。

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 「信濃川」用の放水路河口です。「日本海」の荒波が結構押し寄せています。
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