加速力の貢献 その2 「上越新幹線」のE2系

 「上越新幹線」の速達列車は、最高速度が下がったのに所要時間が短縮しました。これも新型車両の加速力によるものです。「上越新幹線」の「越後湯沢」を素通りする下り列車は下り坂を利用して「大清水トンネル内」~「塩沢トンネル出口」間約40 kmの大部分を275 km/h運転行い、当時は「東京」~「新潟」間を1時間40分で結んでいました。
参照↓
「上越新幹線」の車両が275 km/h運転をしていたことがある

 その後275 km/h運転は廃止され、「上越新幹線」内を走る車両は新型旧型問わずに最高速度が240 km/hに統一されました。しかし、最速列車は「東京」~「新潟」間を1時間37分と、275 km/h運転をしていたころより3分所要時間が短縮されています。

 これも加速力の向上が大きく関わっています。両者の現在の起動加速度(発進時の加速度値)が1.6km/sとほぼ互角ですが、どうして差がつくのでしょうか?

 乗り物は共通して速度が上がるにつれ、加速度値が下がっていきます。これは、速度が上がれば上がるほど空気抵抗が増大するのが大きな原因の一つです。ピンと来なければ、空気抵抗や摩擦が無くて一定の力を加えたら無限に速度が上がるという物理法則を思い出しましょう。そして、自転車を力いっぱこいでも速度が上がるほど空気抵抗が大きくなってそれ以上加速し辛くなるのを思い出しましょう。

 新型のE2系の方が、速度が上がっても相対的に高い加速度値を維持できるため、両者がトップスピードになった時にかなりの差がつきます。E2系自体、30‰の勾配を持つ「北陸新幹線」を爆走できるように、加速能力を維持することを大切にしていますからね。

 ただし、「E2系」が「上越新幹線」全線で運転されていたのは平成10年(1998年)12月~平成16年(2004年)3月の間で、現在は「高崎」より北側の線区では運転されていません(「北陸新幹線」の「あさま」が「E2系」で運転されているため、「東京」~「高崎」間では今でも見られる)。これは、「北陸新幹線」の列車と重複しない「高崎」~「新潟」の区間を走る列車の種類を減らし、ダイヤや信号システムを簡略化するために行われました。ですので、所要時間は最短で1時間40分台になっています。将来「東北新幹線」の「E5系」等の新型車両が大量生産されて「E2系」が余剰になったら、再び「上越新幹線」全線で「E2系」が走る日が戻ってくるかもしれません。

参照↓
「加速力の貢献 その1 「東海道・山陽新幹線」の「N700系」」

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 参考菜までに、左が「200系」、右が「E2系(1000番台)」です。「200系」は今も「上越新幹線」で現役です。「E2系」は「東北新幹線」(1000番台の方)や「北陸新幹線」で現在も活躍しています。
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國鐵廣島(国鉄広島) の歌

 「広島」とその周辺のJR路線の鉄道車両は、大都会の中古車両の集約場となっているそうです。これは、「北陸地方」の状況とよく似ていて、国鉄時代の中古車両がどんどん回されるためになかなか新しい車両にありつけないのです(「北陸地方」の場合は新型特急車両や新型の「521系」普通列車が投入されているのでまだましなのかもしれませんね)。逆に考えれば古い車両を最後まで大切にし、国鉄時代の列車に乗りたい人や写真を撮りたい人にとってはある意味貴重な場所とも言えそうです。

 「広島」の鉄道事情については、ニコニコ動画に多くのネタ動画で紹介されています。また、ニコニコ大百科の「國鐵廣島(国鉄広島)」に記載されていますので、真に受けすぎず、豆知識として閲覧してみるといいでしょう。

ニコニコ大百科「國鐵廣島」


 んで、そのうち替え歌で「広島」の鉄道事情についてユーモアに歌った作品がうpされているので、その2つ紹介しちゃいます。


 この作品の元祖動画はこちらです。↓
それ行け!廣島

 1つ目は「広島東洋カープ」の応援歌である「それ行けカープ」の替え歌です。「広島」の鉄道車両は損傷部をガムテープで補強されていることがしょっちゅうらしく、それについて歌っています。歌っているのは「hotaru」さんで、僕自身もこういう音色で歌いたいと思える美声で歌ってくれています。




 この作品の元祖動画はこちらです。↓
國鐵廣島流星群

 2つ目は、「ニコニコ動画流星群」のアレンジです。「広島」の鉄道について詳しく勉強したい方向きですね。歌っているのはこちらも「hotaru」さんです。マジでこういう声出したいですね。

コンクリートの枕木はかなり長持ちするらしい

 ここ数十年で普及したコンクリートの枕木は、かなり長持ちするらしいです。僕が小学生のころ(10数年前だから、平成一桁(1990年代)のころ)テレビで見聞きしたことですが、「東海道新幹線」の枕木は、「東海道新幹線」開通以来1度も取り換えられていないそうです。「東海道新幹線」が開通したのは昭和39年(1964年)なので、前述のテレビ放送時期から計算すると30年近くは取り換えられていないことになります。あんな巨大な車両が時速200 km/h以上で1時間に10回前後疾走する環境にありながら、ここまで使用されるのがすごいですね。

「新快速」(関西圏)の歴史

 乗車券だけで乗ることのできる日本で最も速い列車である、関西圏の「新快速」の歴史が、以下の記事で紹介されていました。

JR西日本「新快速」40年 “鉄ちゃん”も驚く誕生秘話
2010.11.7 07:00

 京阪神地区を結ぶJR西日本の新快速が走り始めてから10月1日で40年が経過した。今では朝のラッシュ時から深夜まで走り、京阪神の通勤通学には欠かせない存在だが、登場当初は鉄ちゃん(鉄道マニア)も驚くようなエピソードが隠されていた。

 新快速は、昭和45年10月1日、旧日本国有鉄道(国鉄)が近郊電車のイメージアップを目的に運行を開始した。当時の区間は京都-西明石間で、昼間に6往復のみ。しかも、車両は113系という近郊形の3扉車。平成10年ごろまで横須賀線(東京-久里浜間)で走っていたのとほぼ同じものだ。

 実は、この新快速にはお手本があったという。東京都内を走るJR中央線で昭和42年に特別快速が登場した。並行して走る京王電鉄が特急を走らせたことへの対抗策だった。

 東海道新幹線が開業した39年以降、国鉄は毎年赤字を計上するようになる。一方、並行して走る阪急電鉄や阪神電気鉄道、京阪電気鉄道は新型車両を次々と投入し、京都-大阪間、大阪-神戸間でノンストップの特急列車を走らせ、人気を集めていた。

 「中央線の特別快速のような列車を京阪神でもできないか」。これが新快速誕生のきっかけだ。

 47年3月、山陽新幹線(新大阪-岡山間)の開通で、急行形車両が大量に余った。国鉄はこれを2代目の新快速車両「ブルーライナー」として活用し、新快速を大増発。草津-姫路間で、昼間を中心に30往復に増やし、大阪駅発の時刻を毎時0、15、30、45分とした。このとき、昼間のダイヤの原型が完成する。

白の車体に青線で親しまれた2代目車両には欠点があった。車両片側の扉が2つだけで、デッキもあったため、乗り降りに時間がかかったのだ。このため、55年にデッキを外した3代目車両「シティーライナー」を投入。この車両は新快速のために設計されたもので、赤字の国鉄では大英断だった。

 また当時、新快速は新大阪を通過していた。新幹線利用客と、大阪-京都間の乗客とを分けるためだったが、乗客の要望もあって60年3月には新大阪にも停車するようにした。

 平成元年に4代目となる221系投入にあわせ、朝ラッシュ時にも新快速が登場。通勤・通学輸送を担うことになる。221系は最高速度が時速120キロと従来に比べ10キロ速い。これを生かし、2年には高槻、芦屋にも新快速が停車するようになり、4年には12両編成の列車も登場する。

 7年1月の阪神・淡路大震災。阪神間の鉄道はまひ状態に陥ったが、最初に全面復旧を果たしたのはJRだった。

 4月に5代目となる223系を大量投入し、朝ラッシュ時の新快速の本数を1時間8本に倍増。阪急、阪神からの通勤・通学客を奪い、これによってJRの新快速が一気に市民権を得たといえる。

 今年10月23日、6代目となる225系が一般公開された。17年4月の福知山線列車事故の教訓を生かし、車体前面での衝撃を上方ににがすように設計されている。また、つり革の数が2倍になり、座席の手すりも丸みを帯びた形に改め、急停車時のけがを少しでも回避させる工夫が施されている。

 現在、京都-大阪間は28分と40年前に比べ4分、大阪-三ノ宮間は22分で同1分、それぞれ所要時間が短縮した。運転区間も東は敦賀、西は播州赤穂と大きく拡大している。

 今後の課題について、JR西日本輸送計画課の清水康一担当課長は「京阪間で普通列車と新快速列車との接続が十分に取れていないことだ」という。

 また「京都-大阪間は比較的距離が長く、快速がどうしても途中で新快速に追い抜かれる」(清水氏)ことも新快速の混雑の原因と分析している。(松村信仁)

http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n2.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/101107/bsd1011070701000-n3.htm

 現在スピードでは圧倒的に頂点にある「新快速」を運用することで関西圏では「JR西日本」が私鉄を圧倒していますが、昔は逆の立場だったのですね。あと、停車駅も「京都」⇔「大阪」⇔「神戸」と、完全に新幹線の停車パターンです。しかも、「新大阪」に停まらなかった時代もあるとは意外でした。

帰省 その6 国境の長いトンネルを抜けると…

 連休は長いようで短いですね。行動の多かった年末とお昼寝の多かった年始ですが、まだまだねみいです。このまま数日眠れたらどんなにいいでしょう、という心境のまま「大宮」から「MAXとき」に乗って帰りました。最初のうちは「八つ墓村」のクライマックスを読んでいて元気でしたが、国境の長いトンネルを抜けているころには爆睡していました。「越後湯沢」とかは爆睡していてわかりませんでしたが、「新潟」はそれほど雪は降っていませんでした。ただし、冬の「北陸地方」らしく風が強かったので「休みが終わって戻ってきちゃったんだなあ~」という「サザエさん効果」が十分に発動されました。

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 「新潟駅」です。右から「E2系」(11番線)、「200系」(12番線)、「E4系」(13,14番線)がズラリと並んでいます。現在「高崎」~「新潟」間の「“純”上越新幹線」を走る車種がすべてそろっています(写真の合体は車両優先ということで)。「E2系」が運転されている時代は、合わせて4種類の列車が「新潟」まで来ていたことになりますが、そのとき4種すべてがこの写真のように並ぶ瞬間はあったでしょうか?

帰省 その5 「鷲宮神社」で初詣

 3日の午前中に「静岡」を発ちました。休みはあっという間です、早速サザエさん効果に浸っております。次の連休に会う日まで、皆さんお元気で!です。乗り継ぎがよければ最短3時間で「新潟」まで行けますが、そのまま帰るのはもったいないので3年ぶりに「鷲宮神社」に初詣に行きました。ただ、正月の癖でついつい遅く起きてしまい、今日は神社によるだけで、町内をゆっくりする時間がありませんでした。

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 今日は雲が多く、新幹線の車窓から「富士山」が見えませんでした。これで天気が悪いといえる太平洋側の冬がすごいです。

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 「鷲宮神社」へは、「東北本線」の「久喜」から「東武線」に乗って1駅先の「鷲宮」で降ります。「久喜」は「東北新幹線」の駅が無いものの、すぐ隣を線路が素通りする状態で、駅設置要望も出ているらしいですが、未だにその様子は見られません。

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 「鷲宮駅」は、見た目は普通ですが、プラットホームには「らき☆すた」の一場面のモデルがあるし、駅前の店には「らき☆ほし」色になっているお店もあります。「らき☆ほし」がアニメ化されてそれをきっかけに「鷲宮町」が町おこしをしてから4年目になりますが、この町おこしを一過性のブームで終わらせない商工会の意気込みは健全ですね。

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 「鷲宮駅」~「鷲宮神社」間約1kmにかけて、このような垂れ幕が掲げてあります。他にも様々な展示品がありますよ。

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 そして、あの有名な「鷲宮神社」入り口です。僕以外にもこのアングルで撮影をしていた人が何人もいました。今日はめちゃくちゃ混んでいました。ので、この場で「かがみ」の真似をする人は見ませんでした。

 正月三日で「鷲宮神社」を参拝する人は、

平成18年(2006年):9万人
平成19年(2007年):13万人
この年半ばに「らき☆すた」が放映されて「鷲宮町」への聖地巡礼が始まる
平成20年(2008年):30万人
平成21年(2009年):42万人
平成22年(2010年):45万人
平成23年(2011年):47万人


と、ようもこれだけ続くなあと思える混みっぷりです。境内の広さの関係で、40万人を超えた時点で混雑が限界にきているそうです。正直、参拝待ちが長かったです(1時間は超えた)。冬コミ3日目の後に直接初詣に行く人も多いそうです。

 今回は撮影写真が少なかったですが、3年前の「鷲宮町」の景色は、以下の記事に挙げています ↓
5日目 その2 行っちゃいました、鷲宮神社へ

 また、「鷲宮町」の「らき☆すた」を用いた町おこしについて詳しく論文が書かれています。読んでみると、ここまで発展した経緯や商工会の行動力がよくわかります。↓
アニメ聖地の成立とその展開に関する研究 : アニメ作品

帰省 その4 昼寝の多い正月

 何やら年末ギリギリまでアタフタしていましたが、元旦と2日は真逆になりました。普段の普通寝早起き生活から一転、予想通り堕落しました。夜はついつい夜更かしをしてしまい、それでも朝は9:00頃と、案外早起きは出来ましたが、昼寝の欲求がひどいです。

 1日は初めてお年玉を渡す行為を行いました。そして初詣と親戚あいさつを行いまわりました。皆さんお元気で何よりです。昼過ぎには親戚の家で宴会が行われ、久しぶりに族談議で盛り上がりました。そして、僕はビールを缶3分の1ほど飲んだだけで居眠りしちゃいました(普段の3倍以上の弱さです)。生活習慣がガラリと変わったのか?実家に帰って何かが緩んだのか?溜まっていたブツが一気にはじけたのか?とにかく寝ちゃいました。

 次の日2日はお墓参りで外出しました。僕が車の運転を能動的に行いましたが、人を乗せると慎重になりますね。帰った後は、気絶するように夕飯まで爆睡しました。自分でも非常に珍しいぶっ倒れ具合で、目が覚めても1時間弱体が使い物になっていませんでした。夕飯は両親に焼き肉をごちそうになり、当然ながら調子に乗って食べましたが、腹が膨れて体重計に乗ったら半月前より3kg増えておりました。

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 「静岡」の護国神社です。

帰省 その3 コミケに行ってきた

29日夜にいったん実家に帰って、「新潟」と比べてあまりに暖かかったものでうとうと過ごしていたましたが、31日は「東京ビックサイト」で開かれているコミケ(3日目)に行ってきました。 目的は大学時代の友人の「あきら」に会うことと、鉄道関連のサークルを見に行くことです。

 当日は、一番始発の新幹線に乗って8:00頃「東京」入りし、10:00の開場時間まで列に着いていましたが、すでに膨大な人が並んでいました。

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 会場へはやはり「りんかい線」ですね。「ゆりかもめ」で優雅にいくのも乙ですが、「ゆりかもめ」は6両編成で、1両辺りの乗車定員が少なく、乗るための順番待ちが長いと予想されるので、「りんかい線」を選びました。8:00台は案外すいていましたが、乗客はほとんどがコミケへ行く人でした。

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 臨時時刻表です。5:00台の列車は通常5:40発の1本だけですが、この日は2本増発の計3本になっていました。6~10:00台は通常通りで、11~17:00台は1時間当たり1~3本の増発です。コミケとはほとんど関係のない深夜も、イベントや初日の出のためか?増発がされています。

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無題
 開場(10:00)の、1~2時間前の様子写真、および推定図です。5:00台から並んでいる人が膨大で、すでにこんなになっていました。「静岡」を出発する一番早い新幹線に乗ってもこれだけ順番的にあとです。本格的に人気サークルに行くのであれば、「東京」の、しかもお台場に近い場所に泊まらなければいけませんね(会場での徹夜は禁止)。一番下の推定図は、青線で塗りつぶしてある部分が、人が並んでいる場所を示します。行列の先端部の位置や形は見られなかったので、てきとーに書きました。10~20人横並びの行列の長さは、合計で1kmを軽く超えていたでしょう。

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 朝は意外にスムーズに入場できて、早速今回の目的である「烏丸あきら」との再会を果たしてきました。予告されていた「鏡音リン」のコスプレ、とっても似合ってましたぞ。隣ではT先輩が「あきら」とともに販売をしていて、相変わらずお元気そうでした。そしてeins作品はGET DA☆ZE

 その後は、一昨日、コミケのカタログを見て“初めて知った”鉄道関係の作品を見てきました(「あきら」に会いに行く日と鉄道関係の作品の出展が同日なのは、マジで奇跡の偶然です)。コミケでは、アニメやマンガ関連だけでなく、鉄道や道路、メカなどに関する専門同人本、製品が発売されているのです。鉄道関係の戦利品は鉄道擬人化本や富山の路面電車研究本、新幹線や「黒部峡谷鉄道」の車窓動画とGPS動画(位置や列車の速度がリアルタイムで分かる!)のDVDです。特に、車窓動画とGPSの動画を納めたDVDの作者「かぶりつき屋さん」は、ニコニコ動画にも関連動画をうpしている人でした。彼のマイリストは以下の通りです。
【GPSと車窓シリーズ】等速前面展望
【地下でもGPS】500系のぞみ6A 博多→東京 両窓展望
【GPSと車窓シリーズ】路線系統別 1番目リンク



 昼過ぎにはボカロGETのために会場に来た妹と再会してぶらぶらと会場内を見て回り、おやつの時間に退散して2人で「静岡」へ帰りましたとさ

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 企業ブースが集まる西館4階の屋上からは、「ゆりかもめ」の車両基地や建設中の「東京ゲートブリッジ」(「大森」~「新木場」を結ぶ道路の一部)が見えます。

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 帰りは「京葉線」を経由して「東京」から新幹線に乗って帰りました。最初は元来た道、すなわち「大崎」を周って「品川」から乗るつもりでしたが、混雑を予想していた妹のアドバイスで「東京」経由にしました。そしてその行動は当たりました。大晦日は新幹線が非常に込んでいて、出発30分前に並んで何とかすわれるありさまでした。

 初めてのコミケでしたが、漫画やアニメしかり、ボカロしかり、鉄道しかり、色々なものがあって、あらゆるものを見てみたい欲求に駆られる不思議な場所でした。わりかし行き当たりばったりで回った感もあるけど、それなりに見て回って面白さを感じ取れたので、次の機会にも訪れてみようと模索中です。今度訪れるときは、もちっと色々な情報を把握して行った方が面白いかもです。

帰省 その2 「東京スカイツリー」の状況

 「東京」を経由する途中、あまりの天気がよかったため、思わず「東京スカイツリー」の様子を見に行きました。4月に訪れたときは338mでしたが、現在はそれより201m高い539mまでになっていました。この日も「スカイツリー」の様子を撮影しに、たくさんの人が来ていました。周辺には、撮影ポイントを地図で示した案内板や、「スカイツリー」に関する観光情報を記載した看板がいたるところにありました。

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 JR線で「東京スカイツリー」に最も最寄りの「錦糸町」です。450m展望台の上に塔が建っているのがわかります。

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 「錦糸町」には留置線が何本かありますが、流石、大都会の電車はステンレス色のが多いですね。

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 この日(12月29日)は、まだ工事が続けられていました。あんな高いところを巨大な資材が宙ぶらりんとは凄いですね。350m展望台は、外観がかなりわかってきました。

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 高さが300m台前半のときは袂でもかろうじて写真1枚に全体を納めることが出来ましたが、現在ではこれくらい離れたいときっちりおさまらないです。

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 あの有名な、逆さスカイツリーが川面に映るアングルです。もうちょい橋の真ん中で撮影した方が美しく映りましたね…。

 その後はてきとーにぶらぶらして、夕方に「静岡」へ帰りました。地元でもみなさんお元気でしたね。そして「静岡」に帰りはしたものの、2日後の大晦日に再び「東京」へ戻ります。

帰省 その1 国境の長いトンネルを抜けると青空だった

 年末年始は実家の「静岡」に帰りました。うーん、大学4年あたりから感じ始めましたが、年々年末年始の帰省と休みを楽しみにし始めるのが早まってきている気がします。青空も懐かしいですしね。

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 午前中の「越後平野」は、風が強いもののまだ晴れていました。1か月前に上った「弥彦山」(写真左側の白っぽい山)も、すっかり雪に覆われています。山側の方は雲に覆われているので、きっと雪でしょう。

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 そして、「浦佐」や「越後湯沢」は完全なる雪の世界でした。吹雪いてました。

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 「上毛高原」付近の様子です。「越後湯沢」を発ち、国境の長いトンネル(「大清水トンネル」(22221m)+「第二湯原トンネル」(703m)+「第一湯原トンネル」(783m)+「月夜野トンネル」(7295m)+α=31002m+α(α=各トンネル間のスノーシェッドの合計の長さ))を抜けたら、一面青空となりました。流石、太平洋側です。

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 今回乗った初代2階建て新幹線車両の「E1系」も、太陽のもとで光り輝いております。

JRの急行・特急列車が「富山地方鉄道」の路線に乗り入れたことがある

 「JR」と「富山地方鉄道」はそれぞれ別の鉄道会社で、現在は互いに直通運転をすることはありません。しかし、昭和45年(1970年)7月~平成11年(1999年)11月にかけてJR(時代によっては国鉄)の急行列車や特急列車が「富山地方鉄道 本線・立山線」に乗り入れ、「宇奈月」や「立山」まで直通運転を行っていました。当時は「富山駅」においてJR路線(「北陸本線」と「高山本線」)と「富山地方鉄道」の線路を繋ぐ亘り線(よーするに両路線の架け橋的線路)があり、それを介して乗りいれがなされていました。

JR特急と富山地方鉄道2
 上図が直通運転の経路図です。線でなぞった経路を当時の急行や特急が通っていました。青色線がJR「北陸本線」と「高山本線」を、赤色線が「富山地方鉄道 本線」と「立山線」を示します。いずれも「富山駅」で路線切り替えを行っています。

 直通列車は主に、「大阪」から「北陸本線」を、「名古屋」方面から「高山本線」と通って「宇奈月」や「立山」へ向かいました。特に急行(特急)「北アルプス」は名鉄の「名鉄神宮前」から乗り入れていました。また、現在も現役の「サンダーバード」が乗り入れていた時期もありました。「サンダーバード」は「魚津」の連絡線で「富山地方鉄道 本線」に乗り入れることも考えられましたが、「上市」などの利便性から「富山地方鉄道」が「富山駅」より乗り入れることを要望してそれが通ったという過去もあります。そんなこんなで29年間の間相互直通運転を行っていましたが、バブル崩壊後の不況による需要の低下と大雨被害による運休の影響でその歴史を閉じました。現在「富山駅」は「北陸新幹線」の建設と、それに伴う「北陸本線」と「富山地方鉄道」の高架化を進めています。その際「北陸本線」と「富山地方鉄道」の線路「北陸新幹線」を介して分離される形になります。互いを繋ぐような措置は今後取られるでしょうか(やるとしたら「魚津」から乗り入れるしかないかも?)。
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