「東北地方太平洋沖地震」 その3 「前震」と「余震」と別の地震の誘発について

 今回の超巨大地震では、2日前に「前震」と思われる地震が起こり、「余震」や誘発されて起きたと思われる地震も非常に多くなりました。この「余震」の影響で、被災地には数えきれないくらいの追い打ちが掛けられました。「新潟」の方でもたびたび揺れを感じ、地震速報が毎日のように飛び交いました。今回は、「前震」と「余震」を主に解説します。


 ニコニコ動画に、3月1日~4月16日までの、「日本」で起きたM4.0以上の地震をまとめた動画がありました。3月11日のあの時点(動画の2:24あたり)からの地震の数が凄まじいです。3月9日の地震が「前震」と言われていますが、この回数が従来の大地震だとおもうと、今回の地震の多さに唖然とします。

「前震」:「本震」の前に起こる地震。
 今回の地震の2日前の3月9日に、「三陸」沖でM7.3の地震が起きました。後から分かったことですが、この地震が一連の地震の前触れである「前震」の可能性が高いです。「前震」は、巨大地震の前兆現象の一つで、これを利用した地震予知が期待されますが、おこる確率が低く(大体1割)、「前震である!」と断言しにくいものです(「本震」が起きた後で「あの地震は前震でした」と分かることが多い)。

「本震」:一連の地震で最も大きい中枢の地震(今回でいう、M9.0の地震)

「余震」:「本震」のあとに、「本震」の「震源域」で起こる、「本震」の“起き残り地震”
 地震(「本震」)は、プレートに溜まったひずみが解放されて起きるものですが、これは一気に100%解放されません。どうしてもひずみの残りができるのです。その“残り部分”にエネルギーが集中し、「余震」となってひずみを解放するのです。そして「本震」が大きいほど、「余震」が起きる数とその規模が上がります。 今回の地震は、「震源域」が450km×200kmと、非常に広範囲に及んだため(Mが大きいほど「震源域」は広い傾向)、それだけ「余震」が起きる“機会”や“確立”が高まるのです。

誘発される地震:「震源域」以外の地域でも、「本震」に刺激されて起こる地震
 
 特に、地震(「本震」)の規模が巨大なほど別の場所誘発される地震の数が多くなり、それ自身も大規模になります。これは、広義の「余震」ともいえる地震です。
 「本震」の起きた翌日の3月12日には「長野」北部で、3月15日には「静岡県」でMと震度が6クラスという、単独で起きても確実に全国ニュースになる地震が起きました。これは、「東北地方太平洋沖地震」の衝撃に誘発されて起きたといわれています。確実な証拠(物的証拠)はありませんが、この近日で頻発している“状況証拠に近い”傾向から誘発が想像できるのです。「日本列島」自体が4枚のプレートの押しあいで力関係が常に不安定(特に断層部分)で、そこにM9.0というとてつもない地震が起きたので、それに刺激されて、不安定な場所がひずみを解放するために地震を起こしたのでしょう。

 3月11日以降、4月27日までの47日間に発生した「日本」国内で発生したM7.0以上、または最大震度5弱以上の余震、その他の地震は、以下の通りです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87#cite_note-20110313sankei-100

発生日時   震央地名    震源の深さ  マグニチュード  最大震度
3月09日
11時45分頃 三陸沖     約8km     M7.3        震度5弱 ← 前震の可能性

3月11日
14時46分頃 三陸沖     約24km    M9.0        震度7  ← 本震
15時09分頃 岩手県沖    約32km    M7.4        震度5弱
15時16分頃 茨城県沖    約43km    M7.7        震度6弱
15時26分頃 三陸沖     約34km    M7.5        震度4
16時29分頃 岩手県沖    約36km    M6.5        震度5強
17時41分頃 福島県沖    約27km    M6.1        震度5強
20時37分頃 岩手県沖    約24km    M6.7        震度5弱

3月12日
03時59分頃 長野県北部   約08km    M6.7        震度6強
04時32分頃 長野県北部   約01km    M5.9        震度6弱
05時42分頃 長野県北部   約04km    M5.3        震度6弱
22時16分頃 福島県沖    約40km    M6.2        震度5弱
23時35分頃 長野県北部   約05km    M3.7        震度5弱

3月13日
08時25分頃 宮城県沖    約15km    M6.2        震度5弱

3月14日
10時03分頃 茨城県沖    約32km    M6.2        震度5弱

3月15日
22時32分頃 静岡県東部   約14km    M6.4        震度6強

3月16日
12時52分頃 千葉県東方沖  約10km    M6.1        震度5弱

3月19日
18時57分頃 茨城県北部   約05km    M6.1        震度5強

3月23日
07時12分頃 福島県浜通り  ごく浅い    M6.0        震度5強
07時36分頃 福島県浜通り  約10km    M5.8        震度5強
18時55分頃 福島県浜通り  約10km    M4.7        震度5強

3月24日
08時56分頃 茨城県南部   約50km    M4.9        震度5弱
17時21分頃 岩手県沖    約20km    M6.1        震度5弱

3月28日
07時24分頃 宮城県沖    ごく浅い    M6.5        震度5弱

3月31日
16時15分頃 宮城県沖    約40km    M6.0        震度5弱

4月1日
19時49分頃 秋田県内陸北部 約12km    M5.0        震度5強

4月2日
16時56分頃 茨城県南部   約54km    M5.0        震度5弱

4月07日
23時32分頃 宮城県沖    約66km    M7.1        震度6強

4月09日
18時42分頃 宮城県沖    約50km    M5.4        震度5弱

4月11日
17時16分頃 福島県浜通り  約6km     M7.0        震度6弱
17時17分頃 福島県浜通り  約10km    M6.0        震度5弱
17時26分頃 福島県浜通り  ごく浅い   M5.6        震度5弱
20時42分頃 茨城県北部   約10km    M5.9        震度5弱

4月12日
07時26分頃 長野県北部   約20km    M5.5        震度5弱
08時08分頃 千葉県東方沖  約30km    M6.3        震度5弱
14時07分頃 福島県浜通り  約10km    M6.3        震度6弱

4月13日
10時08分頃 福島県浜通り  約10km    M5.8        震度5弱

4月16日
11時19分頃 茨城県南部   約79km    M5.9        震度5強

4月17日
00時56分頃 新潟県中越地方 約8km     M4.9        震度5弱

4月19日
04時14分頃 秋田県内陸南部 約6km     M4.9        震度5弱

4月21日
22時37分頃 千葉県東方沖  約70km    M6.0        震度5弱

4月23日
00時25分頃 福島県沖    約20km    M5.6        震度5弱



Histogram.png
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2011_03_11_tohoku/aftershock/より
 上図は、これまでの余震の回数と規模をグラフ化したものです(誘発されたと思われる「静岡」、「長野」、「秋田」の地震が含まれているかは…不明)。4月27日までの47日間に、M5.0以上の地震(震源が浅ければ震度5や6になりえる規模)が435回、M6.0以上の地震(震源が浅ければ「新潟県中越地震のように震度6や7になりえる規模」)が75回、M7.0以上の地震(もはや1つの大地震クラス)が5回も起こっています。なお、このグラフは気象庁(上のURL)で毎日更新されています。


無題
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2011_03_11_tohoku/yoshinhikaku.pdfより

 上図は、「東北地方太平洋沖地震」と、「北海道東方沖地震」をはじめとする過去に観測された「プレート境界型地震」の「余震」の回数を比較したものです。4月18日までの37日間におきたM5以上の余震、誘発された地震は約410回にのぼっています。これは、「日本で」1年間に発生するM5以上の地震(過去10年間)の平均120回を僅か1ヶ月ちょいで3.5倍上回っているということです。また、これまでM5以上の「余震」が最も多く観測された「北海道東方沖地震」(平成6年)の4倍近くに達しました。

 「余震」は、マグニチュードが「本震」より1低いらしいです。つまり、M8クラスの「余震」が起きることも考えられます。また、「本震」が大規模なほど回数だけでなく起こる時期も長期間にわたります。

 次回は、他の地域での地震の誘発についてもう少し踏み込みます。
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かつては速度制限がされていた その2  「山陽新幹線」の場合

 「東海道新幹線」と同じく、「山陽新幹線」も開業直後は路盤安定のために一部の区間で減速運転を行っていました。「山陽新幹線」が開通したのは昭和50年(1975年)3月10日で、当時は「新大阪」~「博多」間を3時間44分で走破していました。当時は盛土の路盤が安定していなかったため、「三原」~「博多」間で減速運転がされていたのです。また、「福岡県」内のトンネル付近には「筑豊炭田」(社会の授業でやりましたね)の廃坑が縦横無尽に巡っているといわれました。その廃坑が新幹線の高速運転による振動で落盤事故が起きて地盤、山を不安定にさせないか?を確認するために、その付近を110~160 km/hに落としたこともあるそうです。

 そして、5年後の昭和55年(1980年)10月1日に減速運転が解除されて所要時間が3時間28分に短縮(16分短縮)されました。

 「東海道新幹線」では減速運転解除後は50分短縮していたのに対して「山陽新幹線」は短縮値が小さいですね。「東海道新幹線」と比べて不安定区間が少なかったのでしょうか?ただ、路盤の安定を確認するのに5年かかったのは何故でしょう?

 以後の新幹線では、開業直後の極端な減速運転はしていないようです。恐らく、「東海道・山陽新幹線」で得た?路盤の安定のノウハウを掴んだのか、コンクリートの高架橋区間が増えたからでしょう。

かつては速度制限がとられていた その1 「東海道新幹線」の場合

 「東海道新幹線」は開通間もないころは最高速度が210km/h(普段は余裕を持って200km/h)で走行し、「ひかり」は「東京」~「新大阪」間を3時間10分、「こだま」は4時間で運行していました。しかし、開通してから最初の1年目は路盤がまだ安定していない箇所が多く、しょっちゅう減速運転をしていたため、「ひかり」では4時間、「こだま」では5時間かかりました。開通1年以降は200km/h運転の可能な区間は7割以上になりましたが、開通時は3割ほどでした。これは、当時の新幹線の路盤がコンクリートの高架橋よりも盛土で構成されている区間が多かったこと、「東海道新幹線」の大部分の区間がわずか5年半という短期間で造られ路盤が安定するための時間が足りなかったことが原因です。また、初めての200km/hでの営業運転のため、肩慣らしをする目的もありました。そして開通から1年がたって、路盤が安定したのを見届けて真の200km/h運転が実現されたのです。

 ちなみに、徐行運転を組み込んだあまりに余裕のあるダイヤであったために、「東海道新幹線」開通日の1番列車(上り列車)の運転手が思わず張り切ってスピードを出し、その分「東京」付近で徐行運転を余儀なくされて(定刻通りに「東京」に到着するため)、隣を走る通勤電車に新幹線車両が追い越されるということがありました。

「東北地方太平洋沖地震」 その2 揺れについて

 先日、M7.1という、1つの大地震に匹敵する余震が発生しました。「新潟」の方も震度4くらいの揺れが1分~1分半近く続きました。あの日から1カ月近くたつのに被害者数は増え続け、未だに強い余震が続き、津波で浸水した場所の水が引かず、原発も毎日報道されています。

 数百年以上前の過去の災害は、「当時こんなことがあった」という物語でまだ語れますが、今回の地震は現在進行形で災害が続いています。まだ安易に地震のうんちくを語れる時期ではないかもしれません。ただ、直接被災しなかった立場からこの地震の実態を知る、広める思いで自分の知る範囲のことを記事にしていこうと思います。被災地以外に住む人が出来ることは、自分の日常生活を続けながら募金と節電を行い、地震について知り、被災地へ祈りを込めることだと思います。


 「東北地方太平洋沖地震」はあまりにも大規模な地震だけあって、その揺れと揺れた範囲もすさまじいものでした。
 震源(断層の破壊活動が“最初におこった”場所)は三陸の130km沖合で、深さ約24km(暫定値)、震源域(断層の破壊が行われた範囲)は岩手県沖から茨城県沖まで南北約450km、東西約200kmの広範囲に及び、断層のずれは最大23mにも及んだそうです。

震度
Shindomap_2011-03-11_Tohoku_earthquake.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/Shindomap_2011-03-11_Tohoku_earthquake.pngに加筆。)各地域の震度分布です。赤色の×は「震源」で、今回の地震(断層破壊、ずれ)が一番初めに起きた地点です。オレンジ色の範囲は「震源域」で、この地震全体の源となった断層破壊、ずれが及んだ場所です。この地震での「震源域」は、幅約200km、長さ約450kmにもおよびました。
 
 有感地震の範囲は、「北海道」の北端~「九州」の南端にまで及びました。体に感じない揺れも含めたら、地震の波は12時間かけて地球を5周もしたそうです。特に、「東北」~「関東」の「太平洋」側の震度が5~7と非常に大きく、揺れは2~3分、地域全体では合計で6分も間続きました(ちなみに、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」の揺れは16秒です)。(参照→http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/25a/201103251030.html)。揺れがこれだけ長く続いたのは、4つの地震想定地域(専門用語で「アスペリティ(固着域)」で3つのずれ(地震)が短い時間差で連続して起きたためです。

 震度5~7の範囲は南北方向に長く伸びていますが、これは「震源域」(断層が破壊された、ずれた範囲)に関係しています。テレビや新聞の図ではバツ印の震源だけが表示されるので地震の源は一点だけのようにも思えますが、実際は「震源域」全体(上図でいうオレンジ色の範囲)が地震の源といえます。ですので、各震度の分布も「震源」から同心円上に変化するのでなく、「震源域」の輪郭からオフセットをとるような分布を示すことが多いです。以上のことから、南北に長く揺れたのです。ほかにも、特に「関東」の地盤が弱く揺れのエネルギーが減衰しなかったこと、プレートの破壊の方向が南北方向におよんだことなどが挙げられます。

 また、この地震は、層面の傾きが10度と非常に浅く、「震源域」の面全体が地表に近い状態でした。つまりそれだけ広い範囲で地震の揺れが威力を保ったまま伝わり、これだけ震度の高い地域が出たともいえるでしょう。

 その割には、揺れによる被害は震度の割には比較的少なかったそうです(津波や原発が大きく報じられている影響もありますが)。これは、建物に大きな被害を与える周期が1~2秒の揺れ(「キラーパルス」)が少なく、より小刻みな0.5秒周期の揺れが卓越していたためらしいです。


ガル(Gal)
 地震の揺れの強さの表現数値に「ガル」というものがあります。簡単にいえば揺れの激しさを表し、値が大きいほど揺れが激しく、値が小さいほど揺れがゆったりしているということです。

 今回の地震では、「宮城県栗原市」で水平方向に2933ガルの揺れが2分間続いたそうです。東京大学地震研究所の解析によると、本震の揺れは東日本全体で約6分間続きました。参考として、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」では最大で848ガルが、「新潟県中越地震」では最大約2515ガルが観測・分析されました。このことから、今回の地震が津波だけでなく揺れのほうでもすさまじかったと想像つきます。

 物理的にいえば、「ガル」は揺れの加速度(往復運動で起こる加速→減速・逆方向への加速→減速→…における“加速度”)です。1ガルは、1秒(s)に1センチメートル毎秒(cm/s)の加速度の大きさと定義され、981ガルで地球上での重力加速度に匹敵します(←ようするに、981ガルの垂直方向の揺れが起こると無重力状態(0G)と体重の倍増(2G)が交互に体感できる)。

981[ガル]=981[cm/s]=9.81[m/s]≒地球上での重力加速度、ということ。

 なお、「ガル」の値には揺れの幅(振幅)は関係しません。なので携帯のバイブのように小刻みな揺れでも、ブランコのゆったりとした大きな揺れと比べたら「ガル」の値は圧倒的に大きいです。簡単にいえば、地震の「震度」は「ガル」と「振幅(揺れ幅)」の積であらわされるようなものです。 「ガル」の値と「震度」は揺れの周期によってもことなるため一概には言えませんが、震度7では少なくとも500ガルに値します(周期が0.1秒だと2600ガル以上、10秒だと2000ガル以上で震度7)。 「ガル」の値と「震度」は揺れの周期によってもことなるため一概には言えませんが、震度7では少なくとも500ガルに値します(周期が0.1秒だと2600ガル以上、10秒だと2000ガル以上で震度7)。今回観測された2933ガルは、重力の3倍の力に匹敵します(体には左右に3Gの力がかかる)。今回卓越した0.5秒周期の揺れでは880ガルで震度7に到達します。

「ほくほく線」にはもう一つの計画(されていた)ルートがある

 「ほくほく線」と言えば、第三セクター「北越急行」が運営する「犀潟」~「六日町」をほぼ一直線に結ぶ鉄道路線で、特急「はくたか」が最高160km/h運転を行うことで有名です。また、懐かしの「電車でGO!2」でも登場し、対向列車のいない信号所を通過するだけなのにわざわざ分岐器の曲がる方(制限60km/h)を通過するという実際にはあり得ない設定のなされていた路線です。実は「ほくほく線」にはもう一つのルートがあるのです。


 
ほくほく線 
 上図の青色線が現在の「ほくほく線」(かつての名称は「北越北線」)、赤色線が計画されていたもうひとつのルートです。もう一つのルートは「北越南線」と呼ばれていました。この路線は「松代」からほぼ直線に「越後湯沢」へ向かうものです。ちなみに、現在の「ほくほく線」という名は、かつて設定されていた「北越北線」が由来です。

 「直江津」と「越後湯沢」を短絡する路線は、昭和の一桁あたりから構想されていました。そして昭和15年(1940年)には上図のような、「北越北線」と「北越南線」という、2つの立候補ルートができました。そしてどちらの路線を優先して作るかで各地元の団体が激しい誘致合戦を20年近く続けました。これは、「南北戦争」ともよばれるほど激しかったそうです。そして、「東海道新幹線」が開通した同年(昭和39年(1964年))に現在のルートが採用されました。採用された理由は、主に

「北越南線」ルートと比べて沿線人口が多い、
地滑り地帯が少ない、
建設距離が短い


です。そして昭和43年(1968年)に着工されましたが、国鉄の経営悪化(このころは国鉄が運営する予定だった)や難工事によりなかなか建設、が進まず、凍結を挟んで経営が第三セクターに移行され、着工から29年目の平成9年(平997年)にようやく開通しました。

 今の時代では、「北越南線」が作られる可能性はほとんどなさそうですが、もしこのルートが建設されていたら、今の特急「はくたか」は「六日町」などを経由せずに一直線に「直江津」~「越後湯沢」間を行き来でき、今より10分は所与時間が短縮されていたでしょう。「直江津」側も「犀潟」を経由せずに「直江津」まで一直線にしてもよさそうですが、こちらのほうは人口が多くて土地の買収が大変だったから断念したのでしょうか?
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