お盆休み その2 暑さで心が折れかけたコミケ3日目

 カプセルホテルで一夜を過ごした次の日は、妹とコミケに行ってきました。この日はコミケ最終日で、来場者は20万人と史上最大規模になりました。「東北地方太平洋沖地震」の影響などで来場者は去年より若干減りましたが、それでも3日で52万人を記録したとのことです。そして、夏込みの海上(特に東館)は漫画やアニメで描写されているとおりの地獄でした。僕らはのんびりと11:00頃に会場入りする、無理のない(つもりの)行動をとりましたが、それでも打ちのめされました。

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 会場最寄り駅である「国際展示場」の隣の駅です。さすが「りんかい線」!駅名の付け方にもこだわりがありますねえ。

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 近くのコンビニの中にこんな張り紙が。この暑さで冷たいものを飲んだらガチでカイジのセリフを発します。コーナーもスポーツドリンクやCMで浜田が飲んでるゼリーなどが大多数を占める、「コミケシフト」になっていました。ちなみに、会場とその付近でゼリーやらリポピタンDやらアクエリアスやらを計5本飲みました。

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 11:00頃の入口の様子です。外のほうはこれでも空いています。この空き具合に騙されて中に入ると大変ですよ。

 とりあえず、中に入ってみましたが、部屋の気温に天窓から降り注ぐ太陽熱や来場者の体温により会場内、特に東館はとんでもない暑さになっていました。マジでムサいです。ときどきすれ違う男達の汗で湿った腕やびしょぬれの服にあたります。ヤバいです、こんなお触りは嫌です。暑さと混み具合で進むのが精いっぱいで、思考力が奪われます。目的意識を持って本能で行動しないと、「つかさ」のように流されるままです。

 そんなこんなで「ミク」のコスプレをしていた「あきら」のサークルをたずねました。今回はかなりあるレベルが高くなっておりましたwww。その後は鉄道走行風景のDVDを買いに行ったりコスプレ広場を見に行ったりしました。外国人が「セーラージュピター」のコスプレをしていましたが、とても似合っていました。

 16:00頃に会場を後にしましたが、シャツはほぼ全部が汗でぬれていました。ポリエステル製のTシャツ出なければどうなっていたか…想像もしたくないです。妹はとある事情でお盆に帰省できないので都内で別れて僕はそのまま実家へ帰りましたが、お盆休み2日目にあたってすでに心が折れかけています。それだけ太平洋側の暑さは過酷であるともいえます。
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お盆休み その1 「東京」は暑かった

 やっとのことでお盆休みが始まったので、いつも通り実家へ帰省しました。連休は普段の疲れを取るためにあるはずですが、ついつい夜更かしをして完全なる寝不足で1日目の朝に「新潟」を出発しました。そして、連休を満喫しようと希望に満ちた僕を待っていたのは、悪夢のような暑さでした。

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 「東京」へは、8:59「新潟」発10:39「東京」着の、ノンストップ最速の「とき」で行きました。最速の列車にあの200系が使われています。

 「東京」をはじめとする太平洋側はとんでもない暑さでした。気温だけではなく、湿度が高く無風状態という、非常にねっとりした暑さでした。予定よりも時間ができたことから、最初のころはコミケ2日目に行こうかとも思っていましたが、この暑さと寝不足では確実にぶっ倒れるだろうと判断して「陸上自衛隊広報センター」と「遊就館」へ行ってきました。

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 「陸上自衛隊広報センター」は、「朝霞基地」内にある一般人立ち入り自由の博物館です。レンホー主催の事業仕訳けで入場料が設定されそうになりましたが、今も無料で自由に入場できます。

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 攻撃型対戦車ヘリAH-ISコブラの実物です。黒ずくめの組織が「東都タワー」を銃撃したヘリとなにかにていますね(あれはAH-64)。

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 屋外にもさまざまな車両や武器が展示してありました。各名前は忘れてしまったので興味があればググってください。一番下の写真の車両は「74式戦車」と「74式自走105mmりゅう弾砲」です。触ったり乗ったりはできませんが、できたらめちゃくちゃ込み合いそうです。

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 近年、「日本」で主力の戦車である「90式戦車」です。最新型の「10式戦車」が登場し始めた今も現役で活躍しています。

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 戦闘服です。軽量化はされていると思いますが、それでも重そうです。夏に着たらすごそうです。

 その後は、「靖国神社」境内にある「遊就館」に行ってきました。ここは、学校では教えてもらえなかった「日本」の歴史を勉強するのに最もふさわしい歴史博物館でしょう。

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 館内は基本撮影禁止ですが、玄関の撮影可能域で零戦を撮れました。


 基本、涼しい室内にいましたが、あまりのねっとりした暑さに打ちのめされて、しばらくぶらついた後でカプセルホテルで一夜を過ごしました。明らかにコミケに連日通う人々も宿泊していました。

「とき325号」の脱線被害が小さかった原因を地震の震源地から見る

 平成16年(2004年)10月23日に発生した「新潟県中越地震」によって「上越新幹線」の「とき325号」が脱線事故を起こしましたが、乗客乗員の死傷者が0という最小の被害で済むことが出来ました。ここまで奇跡的に被害が小さくなった原因には、以下のものがあります。

「兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)」の教訓から、高架橋を補強していた → 高架橋が崩れずに済んだ・高架橋の揺れが軽減された
脱線現場とその前後の線路が直線だった → 転覆、高架橋からの転落を免れた

近くに対向列車がいなかった → 二次被害を防げた(「上越新幹線」が過疎ダイヤであることもある意味幸いした)

乗客の数が少なかった → 結果的に被害者が出る確率が下がった

脱線した車両が高架橋の中央側に大きく脱線した → 高架橋からの転落を免れた

雪対策のため、脱線地点の路盤が砂利(バラスト)ではなくコンクリート(スラブ)だった → 面が平らなため、脱線後、スムーズに滑走できた

線路間の雪を流す溝に、大きく脱線した最後尾の車両がハマった → 車両の転覆を防いだ

脱線した車両がボディマウント構造になっている「200系」だった → 脱輪しても車輪とギアケースがレールを挟み、平らな床下機器収納箱の面がレールの上をうまく滑走する形になった


 とまあ、当時のニュースなどでこんな理由が挙げられていましたが、専門家の話では、地震の震源地と「とき325号」の脱線地点の位置関係が脱線被害を最小限にとどめた原因のひとつではないか?とも言われています。

新潟県中越地震と上越新幹線
 地震が発生した瞬間の「とき325号」と震源地の位置関係です。当時、「とき325号」は「新潟」方面に向けて最後のトンネルを出る瞬間でした。震源はその南に位置します。注目すべきは地震波の伝搬方向と「とき325号」の進行方向がほぼ同じということです。これは、「とき325号」が車両の真後ろから地震の衝撃を受け始めたことを意味し、その影響で10両編成の車両のうち後ろの方が大きく脱線しました。これが被害を最小限にとどめた原因の一つです

 ムカデ競走のとちゅうでこけた時を想像してください。後ろの人が急に止まる場合と前の人が急に止まる場合では、後ろの人が急に止まる方が全体のこけ具合(乱れっぷり)が小さいです。それは、後ろの人が急に停まると前にいる人たちは足を後ろ向きに引っ張られて動きを停められるからです(こけることには変わりありませんが)。一方、前の人が急に止まると、後ろにいる人たちが急に止まれずにどんどん押し寄せてきて将棋倒しのようになり、こけ方(乱れ方)やダメージが大きくなります。

 「とき325号」の脱線でも同じことが言えます。地震波が車両の後ろから来て後ろの車両の方が大きく脱線して、しかも一番大きく脱線した最後尾の車両が線路間の雪を流す溝にうまくハマったことにより、後ろの車両がアンカーとなって前の車両をも後ろ向きに引っ張るようにして車両全体が減速していきました。車両全体が引っ張られる形になって乱れが少なく、大きく線路から外れたり転覆したりせずに済んだのです。連結器が外れる危険もありましたが、結果的には回避されました。

 もし地震の震源が「とき325号」よりも北側(「長岡」方面)で地震波が車両の前の方から来て前の車両の方が大きく脱線したら…前の車両が勢いづいた後ろの車両にどんどん押されてつんのめり、平成10年(1998年)6月に「ドイツ」で起きた「ICE」の脱線事故(死者101人)のように車両全体が大きく脱線・転覆し、車両同士が押しつぶされていたかもしれません。

 さすがに震源位置に関しては人間にとって対策のしようが無い条件ですが、普段から行っている安全対策(耐震工事や日々のメンテナンス)と今回挙げたいくつもの神がかり的な状況+震源位置が見事に相極まって「とき325号」の脱線事故が最小限の被害で済んだのでしょう、。

「とき325号」の歌

平成16年(2004年)10月23日に「新潟県」内を震源とする「新潟県中越地震」が発生し、「長岡」付近を走行していた「上越新幹線」の「とき325号」が脱線しました。列車は時速210km/hの状態で脱線し、そのまま1.6kmもの間滑走(飛行機で言う胴体着陸)をして停車し、車体や線路に大きな損傷が出ましたが、乗客乗員の死傷者0という奇跡的に最小限な被害で済みました。

 当時、インターネット上では脱線しながらも転覆や車両同士の押しつぶし、対向列車との衝突を免れけが人すら出なかったこの出来事に、「とき325号」を「ときタン(・O・)」としてその栄誉をたたえたフラッシュが造られていました。この「とき325号」を題材にした歌が「SHO(キセノンP)さん」によって造られています。この歌は、今まで造られた「とき325号」のフラッシュ(ニコニコ動画で「ときタン」のタグを検索すれば見られます)を集約したような作品で、歌やイントロがとてもきれいです。また、列車名の「とき」が歌詞の至る所で上手く表されています。そして動画によって、当時の地震や脱線事故の様子がよくわかります。

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