「東海道新幹線」では「こだま」が1時間に5~6本走っていたことがある

 現在、「東海道新幹線」には1時間当たり「こだま」は2本走っています(「ひかり」は2本、「のぞみ」は9~10本)。しかし、昭和時代には1時間あたり5~6本走っていたことがありました。

 昭和39年(1964年)に「東海道新幹線」が開業した時は1時間あたり「ひかり」と「こだま」が1本ずつの運転でしたが、順調に本数を伸ばし、昭和51~60年(1976~1985年)には「ひかり」と「こだま」がそれぞれ最大5本ずつ運転されました。さらに、「東京」~「三島」間に限定すれば、昭和44~47年(1969~1972年)には「こだま」が1時間当たり6本運転されていました(「ひかり」は3本で、唯一「こだま」の本数が「ひかり」の本数を上回っていた時期でもある)。

 昭和60年(1985年)を境に「こだま」の本数は減らされていきました。大都市間の輸送において安くなってきた飛行機に対抗するために「ひかり」や「のぞみ」などの速達列車を増発したこと、高速道路の発達と車の利用者増大により「こだま」の利用者が減ったことが主な原因です。


とばっちりを受けた地方都市の中間駅
 「こだま」削減のとばっちりを受けたのが、「ひかり」や「のぞみ」があまり(もしくは全く)停まらない「静岡駅」のような地方都市の中間駅です。「こだま」全盛期の30年前には「静岡駅」のは1時間当たり最大5本の「こだま」が停まり(朝夕ラッシュは数えない)、「ひかり」はほとんど停まりませんでした。現在では1時間当たり「ひかり」1本、「こだま」が2本停まります。要するに、「静岡駅」に速達列車が停まるようになった反面、停まる列車全体の本数は半減したのです。さらに、「静岡駅」に停まる列車の割合は、「こだま」全盛期が約50%、現在が約21~23%と、こちらも半減しました(←パターンダイヤで示されている「静岡駅」に停まる1時間あたりの列車数を「東海道新幹線」内で運転される1時間当たりの全列車数から割った)。「JR東海」がいかに、大都市輸送ばっかに情熱を注いでいるかが窺い知れます。

 ちなみに、「こだま」は「ひかり」とかに比べて速さでは劣りますが、利用すれば快適な面はあります。例えば

① みんなが「ひかり」に乗りたがる分、空いているから座りやすい、座席を後ろに倒しやすい、ひじ掛けを占有しやすい。
② 所要時間が長いから、のんびり行きたい人向け
③ 「新富士」に停まるから、じっくりと「富士山」を眺めることができる


などです。
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富山大橋架け替え工事 その7 平成24年3月4日

 これと同日に挙げた記事から写真の時系列で2年弱経ちましたが、橋の上部分、特に路面電車の設備が大幅に付加・改造されていました。このシリーズのカテゴリは「道路」としていますが、今回は思わず「路面電車」に変えました。

無題
 今回は撮影範囲を「大学前」まで広げました。

配線の変化
 単線時代と、撮影時(平成24年3月4日)と、複線化完了後の配線を描いてみました。完了後の配線は考えうる予想なので、予想が外れて書き直しをする手間が出ないことを祈ります。撮影時の配線は、赤色が新設する複線区間、黒色が単線時代の配線です。破線部はまだ線路が無く(もしくは撤去され)、車両は黒色の実線部を通っています。珍しかった「鵯島信号場」は撤去され、「安野屋」と「新富山」は移設されて新しいプラットホームが造られます。それに合わせて、「大学前」もリフォームされます。
 このあたりの配線は、今の工事に合わせて既存の線路が撤去されたり、単線化されたり、渡り線が付加されていたりと、ちょっと複雑になっています。「大学前」付近では、すでに新設された路盤の上を車両が走っています。


① 
 「諏訪河原」~「安野屋」間です。路面電車の路盤が新設されつつあり、この区間の既存の線路は一時的に単線に縮小されています。なにやら分岐器がみられますが、おそらく線路を使う工事用車両を通すために一時的に配線を変えていると思われます。



②

② 

②  

② (2)
 「安野屋」付近は、既設の線路と新設の線路が完全に分離して複ケ線と化しています。「安野屋」のプラットホームは移設するようです。新しいのが造られています。



③

③ 
 橋の左岸側に渡り線を発見。渡り線は「諏訪河原」付近にもありますが、こちらはどのように運用されるのでしょうか?路面電車用の架線もちゃんと設置されています。



④
 いつの間にやら、歩道と下の道を繋ぐ階段が設置されていました。



⑤
 足場材も撤去され、ほぼ完成状態の姿を拝めました。



⑥
 数年前は何もなかったのに、変化が凄いです。



⑦
 右岸(「呉羽」側)からの姿です。



⑧
 養生に使っていた鉄骨も撤去されました。



⑨
 既設のものと比べて、線路の曲線と傾斜もかなり緩やか(変化が少なく一定)になりました。


⑨ 




⑩

⑩  

⑩ 
 「新富山」も移設して新しくプラットホームを造りなおしています。新しいホームは、「鵯島信号所」よりも「大学前」側です。つまり、「安野屋」~「新富山」間の距離がかなり長くなります(←「安野屋」も「新富山」と反対方向に移設するので)。なお、既設の線路は工事に合わせて若干移設されています。今までは無かったカーブがありました(一番下の写真)。ちなみに、こういう写真を撮るときはなるべく路面電車の車両を映すようにしています。まあ、タイミングやら時間やらでうまくいくとも限りませんが。




⑪
 「大学前」付近では、既に新設された線路の一部を使っています。




⑫

⑫ 
 「大学前」の歩道橋より撮影。この記事のために撮影したわけではありませんが、奇跡的に2年前の写真を保管していたので、比較してうpしました。正式に開業した後で改めてここから撮影したいです。
 今回の撮影で僕が一番感嘆したのは、線路が「大学前」までしっかり複線化されていたことです。架線柱が中央に建てられたので、線路同士の間隔が広めに開けられ、その分路面電車の占有面積が大きくなっています。そこで、写真で向かって右側の歩道を少し縮小して道路を広げ、複線のスペースを生み出しています。「大学前」は「南富山駅前」(←「市内線」のもうひとつの終着駅)と同く、ホーム部分が単線になっているのです。路面電車は折り返し運転が「京急」と同じく素早いので、数分間隔の運転をするのにこれで足りるのです。欲を言えば昔のように「富山大学」の正門まで線路を延ばしてほしいのだが、さすがに交通事情で無理そうです(←「ちょっと延ばす割に、手間がかかり過ぎる」、「若者が多いから歩かせればいいじゃん」と考えてるのかな?)。
 現在は、向かって右側の線路だけを使っています。あと、プラットホームが若干長くなっています。


参照↓
富山大橋架け替え工事 その1 平成20年7月2日
富山大橋架け替え工事 その2 平成20年12月29日
富山大橋架け替え工事 その3 平成21年4月8日
富山大橋架け替え工事 その4 平成21年7月11日
富山大橋架け替え工事 その5 平成21年11月27、29日
富山大橋架け替え工事 その6 平成22年5月2、3日

富山大橋架け替え工事 その6 平成22年5月2、3日

 よく考えたら、このシリーズを2年以上サボっていたので、せめて今からでも撮れたときに撮った写真をうpしときます。とりあえず、橋がだいぶ形になってきたこの時期をご覧ください。「新富山大橋」は、今週の3月24日(土)に開通しますよ。

無題
 毎度の通り、写真の撮影地点を番号で表記しときます。


①
 歩道橋の上からの撮影です。この歩道橋は、橋の左岸側、特に線路の配線の変化などを眺めるのに最適でしたが、最近撤去されてしまいました。



②
 「松川」を渡る小橋もきれいになっています。



③
 路床も真っ平らになってきました。あとは、舗装するだけでしょうか?



④

④ 
 上に何もないのでとても広々しています。



⑤

⑤ 
 橋の上の部分が様になってきました。 



⑥

⑥ 

⑥  
 橋の中身を見られる数少ない機会です。



⑦
 使っている足場材の数がパないです。



⑧
 どうやら、歩道部分を少しずつ延ばしているようです。



⑨
 橋の真ん中にある鉄骨らしきものは何に使うのでしょうか?



⑩
 この部分は、まだ鉄骨で養生しています。



⑪
 右岸(「呉羽」側)から見るとこんな感じです。



⑫
 こちらのほうも、表面が真っ平らになっています。



⑬
 端部も、歩道や側溝などの整備が行われ、順調に拡張の準備が進められています。


参照↓
富山大橋架け替え工事 その1 平成20年7月2日
富山大橋架け替え工事 その2 平成20年12月29日
富山大橋架け替え工事 その3 平成21年4月8日
富山大橋架け替え工事 その4 平成21年7月11日
富山大橋架け替え工事 その5 平成21年11月27、29日

引退する列車たち

<新幹線>引退の300系と100系車両 岡山駅で並ぶ
毎日新聞 3月16日(金)11時59分配信

 JR東海道・山陽新幹線で、初代「のぞみ」として高速運転を実用化した300系新幹線と、初の2階建て車両が人気を集めた100系新幹線がそれぞれ引退することになり16日、最終運行された。各駅で引退セレモニーがあり、鉄道ファンらが名残を惜しんだ。

 300系は92年に東海道区間に導入され翌年、山陽区間に乗り入れ。東海道区間の最速時速を220キロから270キロにアップさせた。100系は国鉄時代の85年に営業運転開始。2階建て車両で快適さを向上させた。東海道区間で03年に定期運転を終了後は山陽区間で主に「こだま」として運用された。

 この日、山陽新幹線の最終運行は、300系が午前10時52分新大阪発博多行き「のぞみ」(16両)。100系は同11時43分、岡山発博多行き「ひかり」(6両)。新大阪駅では、のぞみが警笛を鳴らして出発し、大勢のファンらが写真を撮影するなどしていた。

 最終運行の切符を4時間並んで手に入れたという千葉市中央区の無職、田中光太郎さん(34)は「300系は以前、大阪に就職する時に乗った思い出の列車。引退は一つの時代が終わるようでさみしい」と話していた。

 岡山駅では保育園児らの合図で、ひかりが出発。横断幕を持ったJR西日本社員らが見送った。出発前、新大阪駅から到着した300系が100系の隣のホームに止まり、鉄道ファンを喜ばせた。100系の最終運行を担当したJR西の岡島勝美運転士(51)は「運転台が高く、視界がよかった」と魅力を語った。最後の100系に乗車するために前日から駆けつけた、さいたま市の会社員、小柳健太さん(25)は「父親と旅した思い出をかみしめて乗りたい。お疲れさまと声を掛けます」と感慨深そうに話した。【亀田早苗、石井尚】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000036-mai-soci

きたぐに、日本海、最後の勇姿に人波 鉄道ファン、カメラ片手に別れ惜しむ 福井福井新聞ONLINE
3月17日(土)17時4分配信

定期便としてのラストランでJR福井駅1番ホームに停車した寝台急行「きたぐに」。鉄道ファンが一斉にカメラを向けた=17日午前2時22分(米村安弘撮影)
 国鉄時代から県民に親しまれてきたJRの寝台急行「きたぐに」と寝台特急「日本海」が17日、最後の定期便運行を終えた。JR福井駅には同日未明から早朝にかけて大勢の鉄道ファンが訪れ、名物列車のラストランを見届けた。

 大阪発新潟行き「きたぐに」の最終便は、定刻から4分遅れの午前2時21分に1番ホームに到着。約60人の鉄道ファンが一斉にカメラを向けた。1分後、列車がゆっくりと発車すると、ホームから手を振る人もいた。

 福井市の浜野紀恵さん(42)は「青春時代に大阪でライブを見た帰りによく利用した。バブル期の思い出が詰まっている」と別れを惜しんだ。同市の松田憲夫さん(54)は「『きたぐに』といえば、1972年の北陸トンネル事故を思い出す。車両火災で多くの犠牲者が出た衝撃的な出来事だった」と振り返った。

 大阪―新潟間の急行「きたぐに」は63年に運行開始。下りは関西から県内に戻る「終電」だった。特急「日本海」は大阪―青森間で68年から運行していた。定期便廃止に伴い関西発着のブルートレインが姿を消した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120317-00000305-fukui-l18

 ダイヤ改正では様々な車両や便が引退しますが、今回は、個人的になじみの深い車両の引退が多かったです。

「北陸鉄道」の理想

 現在「金沢」には、「野町」~「鶴来」間に「北陸鉄道石川線」が、「北鉄金沢」~「内灘」間に「北陸轍鉄道浅野川線」と、2本の私鉄が通っています。両路線は「金沢」の中心街を介してかけ離れています。かつては両路線
のターミナルの「北鉄金沢」と「野町」の間にも路面電車が通っていましたが、今では廃止になり鉄道が分断されている状況です。結構前から、両路線を何らかの形で繋ごうという話は出ています。

北陸鉄道接続

北陸鉄道接続(拡大)
 上の2つの図(上が全体図、下が拡大図)が、両路線の位置関係です。赤い点線部が、両路線を繋ぐ仮ルートです。「野町」から「犀川」を越え、「金沢」の中心街である「香林坊」を通り、「金沢駅」に至るものです。路線の形は、モノレール、新交通システムを新たに作る方法や、路面電車や普通の鉄道路線(おそらく地下鉄)で両社を直通させる方法などが考えられています。ただし、その区間のは人口密度が高く道路が混雑しているため、地下鉄で繋ぐのが有効です。現に、「浅野川線」の「北鉄金沢駅」は地下駅ですからね。そんなこんなで計画はたてられていますが、建設費や線路の所有の問題などが山積みで今も計画段階にあります。

名言集 その50

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい

(吉田茂:元首相)
 防衛大学校1期生の卒業式での演説です。戦後の自衛隊への風向きをこの当時から察知した上での発言でしょう。そしてこの発言は、最近の例では「東北地方太平洋沖地震」で立証されました。

男はな、1だけ覚えておけば生きていけるんだよ
(松平片栗粉:銀魂)
 具体的な意味はよくわからないけど、なんかカッコイイです。

日々私たちがすごしている日常というのは、実は奇跡の連続なのかもしれん
(笹原幸治郎)
 その奇跡を彼は彼なりに実現しているのですね。「日常」をうまく表しています。

人間というものはな、真実のことをいわれるのが一番痛いのだ
(屋代寅太:夜歩く)
 痛え…

変態の変は変われるの変やぞいね
(加藤あんな:変ゼミ)
 このゼミ、変わり過ぎだろう。彼女の変はまっとうなほうなのだが。
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