「明延鉱山」 その3 外の展示物

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 外には、かつて活躍していた鉱山鉄道車両が展示されていました。「明延鉱山」で採掘された鉱石は山をひとつ隔てた「神子畑選鉱所」へ運ばれます。当初はロープウェイや荷馬車で輸送されていましたが、昭和4年(1929年)に山を貫く長大トンネル(3997m)が開通して鉄道主体の輸送にかわりました。この鉱山鉄道は一時期一般人にも乗車料金1円で開放されました。しかも、それは貨幣価値が上がっても1円のままでした。地域の重要な足となった「1円電車」でしたが、その話が全国に広まり観光客や鉄道マニアが集まりすぎて本来の作業員や鉱石の輸送にも支障が出てきたため、後に一般人乗車禁止に戻ってしまいました。

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 外の様子です。まだ雪です。当たり前ですが、太古から地表より掘り進められた鉱山は、岩盤が地表まで露出していて岩だらけですね。

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 山の上に、「大寿立坑」の巻き揚げ施設があります。つまり、あの建物から直下420m以上立坑が続いています。

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 江戸時代の採掘跡です。これは、直下の体験坑道に続いています。

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 このへんの岩石は、圧力・熱変性したっぽい、一定の方向に劈開をもった泥岩?でした。石の印象については、ここだけの話で。

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 坑道の平面図です。すごい量です。全長550km…よくこれだけの坑道を掘り進めてそれを地図に正確に残したものです。しかも、かつての「日本」ではこういう鉱山がいたるところで創業していました。

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 立体地図です。針金を使って平面図を忠実に立体化しています。当時の従業員によって作られたものでしょうが、有名な博物館に展示してもらいたいくらい見ごたえのある立体地図でした。

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 鉱脈は写真右の黄色矢印のように、高角度で一定の方向に、ある程度の間隔で傾斜して分布します。そのため、坑道が鉱脈のある部分に集中して掘られているのがわかります。

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 体験坑道あたりの断面図です。この辺は、30m間隔で18層の坑道が水平に延び、地下約520mまで掘り進められていました。

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 展示室には、当時の機械、道具、線路の部品など、様々なものが展示してありました。手作り感いっぱいの展示室ですが、これが逆に、普通の博物館よりもマニアックな展示をできる原因になっているでしょう。

明延鉱山の地質
 「明延鉱山」の地質は、非常にバラエティに富み、多種類の鉱物が見つかったことで世界的にも有名です。この地域では40種もの鉱物が発見され、これだけの種類が一つの山で見つかる場所は世界的にも非常に珍しいです。閉山直前には、世界中の地質学者が鉄道のさよなら運転に集まる鉄道マニアのごとく集まったとか。
 このへんの地質は、チャートが所々点在する変性した泥岩、砂岩(時代はペルム紀)が主体で、そこに花崗岩や安山岩や流紋岩が割り込んでいるという、地質図が退屈しない多種類の岩石が分布しています。鉱脈自体も更に深部にずっと続いていると言われ、太古から銅が主体でしたが明治に錫や亜鉛の鉱脈が発見され、噂では金鉱脈がでたとか言われているように、調査しだいではまだまだ色んなものが出てきそうです。

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 某大学とかで展示されている鉱物や岩石が目白押しです。これが全部一つの鉱山、山から採取されたのだから驚きです(普通の博物館展示では、他の県や国から寄付してもらったものが多い)。

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 錫の鉱石です。白い帯(石英?)の中心にある銀色の細い帯が錫です。

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 蛇紋岩までありました。このへんの山はチャートといい、蛇紋岩といい、海底やプレートの沈み込み帯で出来たと言われる石も分布していますね。
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「明延鉱山」 その2 当時のままの設備・機械

 続いて、当時のままの設備や機械などを紹介します。「明延鉱山」では、20数年前の閉山直前まで使われた機械類がそのまま展示してあります。さらに、観光地化された「生野銀山」にも展示用として機械や鉱石を寄付したそうです。

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 小型のボーリングマシーンです。掘削長は短いですが、小回りが効きちょっとした鉱脈探査に手軽に使用できます。

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 こちらは、鉱脈の掘削やダイナマイトを装填する孔をあけるための削岩機です。人間が手で持って操作します。

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 こちらの削岩機は、上に鉱脈を掘り進むためのものです。鉱脈は下から掘り進めて砕いた鉱石を床に落とし、一段下のトロッコ軌道に止めてあるトロッコに井戸を通して積み込みます。削岩機の重さは40kgもあり、振動や楽版と戦いながら毎日掘削をします。

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 掘削機につけるロッドです。鉱脈の採掘は人が直接機会を操作することも多いです。削岩機の振動などで節理に沿って落盤事故が頻繁に起こり、当時の作業員曰く、「鉱山業は世間で最も危険で過酷な仕事のひとつ」だそうです。ある意味、警察や軍隊や消防よりも毎日危険な現場に身を晒しているのかもしれません。

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 上2枚の写真の列車は、鉱石輸送車です。下の写真の井戸(この上で鉱脈採掘をして、採取した鉱石を井戸伝いに落としている)から直接鉱石輸送車に鉱石を積みます。

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 線路のあちらこちらにトロッコ列車やらボーリングマシーンやらがそのまま鎮座しています。

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 人力機械だけでなく、工事現場で使いそうな重機類もあります。これらの重機は昭和後期に使われ始め、鉱石採掘に大きな貢献を成し遂げました。閉山されて20数年たっていますが、今にも動き出しそうな雰囲気です。

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 鉱山現場には、このようなパトロール用列車もあります。当時の作業員はどんな心境でしたでしょうか?

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 出口近くに何らかの機械設備がありました。果たしてなんでしょうか?袂に鉱石を排出するっぽい口がありました。奥の方で採掘収集をしていたのでしょうか?

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 当時は鉱山事務所だったところを「山陽盃酒造株式会社」と提携して酒造に改造していました。「佐渡金山」や「生野銀山」でも酒造が見られたように、気温が一定に保たれる坑道は酒の保存・熟成に非常に向いているそうです。「明壽蔵」と呼ばれる蔵に保存されているこの酒を造っている田んぼは1箇所しかなく、大変貴重な酒であります。


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 「大寿立坑」とそこに設置されたエレベーターです。深さは420mもあり、いつもながら「東京タワー」より落差の激しい立坑の一つです。ガイドさんの話によると、立坑の下は水没保存させてあり、石を投げ入れたらポチャン音がするそうです。エレベーターは2段式で分速は150m(時速9km)ですが、「ラピュタ」で「パズー」が運転した物のような手動式で速度調整が容易なため、分速300m(時速18km)までスピードアップさせていたそうです。たまに「パズー」みたいな暴走運転急ブレーキをやらかすこともあったとか。

「明延鉱山」 その1 当時のままの坑道

 「兵庫県」に滞在している間に、「明延鉱山」へ行ってきました。

歴史
 「明延鉱山」は、古くから創業していた非鉄金属の鉱山で、開山は平安時代とされていますが、それより前の奈良時代に「奈良の大仏」の鋳造に使った銅を算出していたとも言われています。長らく銅の生産が主流でしたが、明治になり掘削技術が進歩してから新たに錫や亜鉛、タングステンなどの鉱脈が発見され、そちらに主流が移りました。鉱脈が非常に豊富で昭和になっても粗鉱の月生産量が35000tに達する快挙を見せていましたが、昭和62年(1987年)3月に未採掘の鉱脈を残しつつやむを得ず閉山に至りました(閉山については後日説明します)。閉山後は鉱山の偉業を伝えるために当時の技術者や「養父市」により保存・整備され、見学が可能になっています。

概要
 「明延鉱山」は坑道が非常に大規模な鉱山の一つで、坑道の分布域は平面距離で5km、垂直距離で1km(海抜-138m~7、800mほど)、坑道の総延長は550kmにも及びます。現在ではガイド(かつて鉱山で働いていた従業員や「養父市」の職員)による案内で見学することができます。 
 「明延鉱山」で特筆すべきは、見学用の坑道が稼働時のまま保管されているということです。全国にある観光用の鉱山跡地は地面の舗装や整備など、後から人工的な操作を受けています。天守閣に例えれば、「明延鉱山」が古来より現存する天守閣、ほかの観光用鉱山が鉄筋コンクリートで再建された天守閣です。

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 概要はこんな感じです。

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 体験坑道の入口です。ほかの鉱山見学と違って、ヘルメットを被らなければいけません。

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 観光ルートです。観光できる坑道はおよそ600mと長めですが、これでも鉱山全体の坑道の900分の1に過ぎません。スケールがでかいです。

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 当時のままの坑道です。見学用に補強はされているかもしれませんが、現役時代と変わらぬ佇まいです。地面の線路は当時のまま撤去されずに残っています。

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 分岐器、階段、鉄配管など、色々残っています。

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 所々、木の柱もあります。

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 階段もそのまんまです。地下水による錆止めのためか?金属物は全部赤くなっています。

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 木の柱は、逆さ柱(生えていた姿勢と上下逆に立てている)です。丸太が下が細く、上が太くなっています。逆さ柱にしているのは、柱を長持ちさせるためです。木は根っこから上に水を吸い上げますが、この機能が伐採してからもある程度活きている(死んだ蜂でも針が刺さるのと同じ?)ため、地下水の多い坑道にそのままの姿勢で柱を立てると地面の地下水を吸収して腐りやすくなります。逆さ柱にすると地下水吸収が軽減されて、40~50年持ちます(そのままの姿勢だと20~30年)。
 昔からずっと逆さ柱は縁起が悪い、生えていた姿勢通りに柱を立てたほうが耐久性があると言われていた中、敢えて逆さ柱にすることを考えついた人には感服します。

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 線路が直角に交差しています。今の「日本」では珍しい、真のダイヤモンドクロスです。

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 坑道がまっすぐずっと続いています。右端にある鉄パイプはコンプレッサーで起こした圧縮空気を作業場の、空気の圧力で動く機会に送るためのものです。

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 あちらこちらで線路が分岐し、トロッコが顔を覗かせています。

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 坑道も左右上下構わずどこまでも枝分かれしています。

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 天井に緑銅がありました(写真真ん中のエメラルド色の粒)。緑銅は、昔の協会の屋根とかによく見られる、銅が参加してできたものです。

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 石英脈が網目のように走っています。これは、岩盤の割れ目に石英が熱水とかとともに染み込んででき、この中に鉱物が含まれています=鉱脈。

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 鉱脈が一定の方向に走っていますこれにそってしっかり坑道が掘られています。

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 地山は一定の方向に劈開が発達し、それに沿って剥落しやすくなっています。そのため、「ルーフボルト」と呼ばれる杭を打ち込んで崩壊を食い止めています。

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 「江戸時代」の採掘跡です。この孔は鉱脈に沿って地表から掘られています。現在も地表につながっています。

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 探検坑道最大の見せ場であるシュリンケージです。これは、50年ほど前に掘られた鉱脈採掘跡で、高さは20mもあります。こういったシュリンケージは落盤事故の起こりやすい危険な場所のため、通常の観光用坑道ではここのように下から見上げることはできません。「明延鉱山」では、崩落の危険が少なく、専門のガイドがついているということで、特別に下から見上げることのできる、数少ない場所です。

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 坑道の出入り口付近は、重機を通すために広くなっています。

10万km突破

 今月の2日に、「コロニーな生活」の移動距離が10万kmを突破しました。始めてから1255日目となりました。生活の都合上移動距離が多く、1日平均で79.82kmの有様です。

平成21年
9月:5km(26日より開始)
10月:57km
11月:1674km
12月:598km

平成22年
1月:623km
2月:72km
3月:1171km
4月:2616km
5月:3000km
6月:2181km
7月:1463km
8月:1760km
9月:2105km
10月:1388km
11月:1846km
12月:4020km

平成23年
1月:2153km
2月:2129km
3月:2589km
4月:1366km
5月:6411km
6月:2917km
7月:3058km
8月:4750km
9月:3827km
10月:3464km
11月:3368km
12月:3041km


平成24年
1月:2499km
2月:3135km
3月:3038km
4月:2791km
5月:4540km
6月:2660km
7月:2501km
8月:3252km
9月:960km
10月:554km
11月:1606km
12月:2627km

平成25年
1月:1232km
2月:1873km
3月:2756km
4月:1879km(4月7日時点)


んで、肝心のコロニーの方は…第3コロニー人口100人程度で停滞しています。最近は移動距離稼ぎとスタンプ押しだけに専念しているようで。コロニーを発展させるにはオーバークロック6を使えば手っ取り早いですが、どうも隕石でコロニーが全滅したトラウマがあり、手をつけておりませんでした。第4コロニーまで行く道は長いです。

埒があかないので、一昨日、第1、第3コロニーにオーバークロック6を置いてみました。

「倉敷」探訪

 「有馬温泉」へ行った次の日は、「倉敷」市内を練り歩きました。「倉敷市」は、「美観地区」をはじめとする江戸時代などの古き町並みが残る一方で、瀬戸内海側は「水嶋コンビナート」などの工業地帯と化している、古代と近代が混ざった街です。また、アニメの「名探偵コナン」で毎年恒例のミステリーツアー版の舞台にもなりました。

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 特急「やくも」です。「北海道」の「八雲」とは別物で、「岡山」~「出雲市」間を結んでいます。

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 山の上に神社があったので、登ってみましたが、けっこう高さがありました。

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 「星野仙一」記念館です。「倉敷市」は、「星野仙一」の生まれ故郷でもあります。

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 「倉敷美観地区」です。条例により美観が保存され、江戸時代の代官や住宅、明治以後の近代的な建物が連なっています。「名探偵コナン」の作中「8枚のスケッチ記憶の旅(倉敷編)」で登場しました。

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 「名探偵コナン」の作中では、この通りで犯人が襲われていました。

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 写真左側の西洋っぽい建物は、「旧倉敷町役場」です。そして、「名探偵コナン」で犯人(「太郎」の立ち位置)が「綺麗なお月様…」と呟いていた橋です。てきとーに撮ったのでアングルは微妙に違いますが、作中では、後ろの建物がもちっとはっきり見えました。

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 鯉が水浴びをしていました。ここの鯉はなぜか、人が近づいても餌と勘違いして寄ってくることはありませんでした。

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 帰りに「こだま」化した「500系」に遭遇しました。
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