「京津線」の61‰勾配
普通鉄道では35‰が相当な急勾配とされ、これを上回る勾配は特例とされています。「京阪電鉄京津線」には、その中で61‰という「日本」で4番目の急勾配区間があります。
「日本」の普通鉄道の勾配順位(※現役のみ)
1位:「大井川鉄道井川線」・90‰
2位:「箱根登山鉄道鉄道線」・80‰
3位:「都電荒川線」ほか・66.7‰(ほかの路面電車にもありそう)
4位:「京阪京津線」・61‰
「大谷駅」(30‰上り)

以前紹介した「大谷駅」を運転席からも見ました。こうしてみても、傾きがよくわかります。

「京津線」の最少曲線半径は40m(恐らく「浜大津」付近)、このカーブの半径はわかりませんが、相当急です。100mあるかないかでしょうか?
40‰上り→0‰

40‰分の勾配変化がわかります。水平でも下っているように見えます。
0‰→41.1‰下り

山越えをしてから、40~61‰クラスの下り勾配が「琵琶湖」方面へ連続しています。
41.1‰下り→61‰下り

隣接道路の下をくぐっていく手前に61‰勾配があります。

写真左下に61‰勾配標記があります。奥の道路が水平に近いであろうことを考えると、この線路がいかに急なのかがわかります。ちなみに、61‰は、高速道路やバイパスのインターチェンジランプの勾配に匹敵します。

急勾配を下った直後に急カーブがあるため、列車はかなり徐行しています。
「日本」の普通鉄道の勾配順位(※現役のみ)
1位:「大井川鉄道井川線」・90‰
2位:「箱根登山鉄道鉄道線」・80‰
3位:「都電荒川線」ほか・66.7‰(ほかの路面電車にもありそう)
4位:「京阪京津線」・61‰
「大谷駅」(30‰上り)

以前紹介した「大谷駅」を運転席からも見ました。こうしてみても、傾きがよくわかります。

「京津線」の最少曲線半径は40m(恐らく「浜大津」付近)、このカーブの半径はわかりませんが、相当急です。100mあるかないかでしょうか?
40‰上り→0‰

40‰分の勾配変化がわかります。水平でも下っているように見えます。
0‰→41.1‰下り

山越えをしてから、40~61‰クラスの下り勾配が「琵琶湖」方面へ連続しています。
41.1‰下り→61‰下り

隣接道路の下をくぐっていく手前に61‰勾配があります。

写真左下に61‰勾配標記があります。奥の道路が水平に近いであろうことを考えると、この線路がいかに急なのかがわかります。ちなみに、61‰は、高速道路やバイパスのインターチェンジランプの勾配に匹敵します。

急勾配を下った直後に急カーブがあるため、列車はかなり徐行しています。
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「蹴上インクライン」
「琵琶湖疎水」の名所の一つである「蹴上インクライン」を見てきたのでうpします。
「琵琶湖疎水」は海抜85mの「琵琶湖」と海抜40m台の「京都盆地」を、自然高低差を利用した水路で明治18~23年(1885~1890年)に建設されました。「琵琶湖疎水」は「京都盆地」への水供給のほかに舟による水運として利用されていることから、大部分が1/2000~1/3000という緩勾配で結ぶため、直線距離で9kmしか離れていない両地点の40m以上の高低差をこの勾配で結びきれませんでした(すべてこの勾配で結んだら全長は少なくとも80㎞になる)。水路自体はこの高低差でも問題はありませんが、舟を確実に輸送するためにはこの高低差をどこかで解消する必要があります。そこで造られたのが「蹴上インクライン」です。
「蹴上インクライン」は、言い換えれば船のケーブルカーで、全長582m、36m分の高低差を1/15(66.7‰)勾配で一気に結びます。ここでは斜面上に超広軌な線路が敷かれ、水運用の舟を専用台車に乗せてウインチで上下させます。

「琵琶湖疎水」の概要
「琵琶湖」(水面標高約85m)
↓
1/3000~1/2000勾配(0.33~0.5‰)で「京都」へ
↓
「蹴上インクライン」上部(標高約82m、地形図から推定)
↓
1/15勾配(66.7‰)のインクラインで36m降下
↓
「蹴上インクライン」下部(標高約46m、高低差を引き算して推定)
これから、上から下へ移動します。
インクライン上部

インクラインの上部です。写真奥は「琵琶湖方面」で、山を貫くトンネルがすぐ近くに見えます。

水路とインクラインの境です。インクライン用の線路は水路にある程度沈み、水中に潜り込んだ台車に直接舟が乗り上げ、インクライン輸送に移ります。

反対方向から見ます。展示用に当時の舟が展示されています。

横から見ると、一風変わった貨物列車みたいです。
インクライン上

これからインクラインを歩きます。少し離れたところから見ると、勾配が変わっているのがよくわかります。

インクライン上部から下を眺めます。かなりの急勾配で景色がいいです。高低差は、一般的なジェットコースター並みです。ここから列車を自由走行させたらどこまでスピードが出るのでしょうか?

インクラインは当時のまま保存されています。バラスト軌道で少々歩きづらいですが、一部に石畳が置かれています。

線路はかなりの年季が入り、奥までしっかりさびている感じです。

木性枕木は、下方向に大きく座屈しています。この勾配では重力の約1/15倍もの力が斜面下方にかかり続けます。それに加えてインクラインの役目上線路幅がかなり広くその分枕木が長く重いため、一般的な鉄道路線と比べて座屈が大きくなりやすいのでしょう。

インクラインの勾配を真横から撮影。かなりの傾きです。この1/15勾配は、鉄道でいう66.7‰勾配。この勾配は、かつての「信越本線」「横川~「軽井沢」間、そしてこのインクラインの隣にかつて走っていた「京津線」に採用されていました。


インクライン中腹から上と下を撮影。隣に見える道路には、かつて「京津線」が走っていました。

途中に台車と舟が展示されていました。
インクライン下部


インクラインの下部です。ここにてようやく「京都盆地」の標高になりました。現在ここは公園の池と噴水になっています。ここでジェットコースター兼ウォータースライダーをやったら面白そうです。

下部から上を見てみます。
横の道路より

インクラインは途中で周囲の土地より高くなるため、レンガ造りの高架橋が造られました。

レンガアーチの内部構造に注目。レンガが斜めに積み上げられ、レンガは内部でらせんを描いています。これは「ねじり間歩」と呼ばれる組み方で、大量の荷物を積んだ船の重量と、斜めに交差する線路がのしかかることで生じる歪な力に耐えるために採用されました。

最後に、インクラインの隣の道路を撮影。ここじはかつて「京阪京津線」が66.7‰勾配で通っていました。今は地下鉄「東山線」に乗り入れてこの地下を走っています。

反対の「大津」方面を撮影。かなりの勾配です。

断面から見てもすさまじいです。ここを数十t以上の列車が走っていたのが驚きです。
「琵琶湖疎水」は海抜85mの「琵琶湖」と海抜40m台の「京都盆地」を、自然高低差を利用した水路で明治18~23年(1885~1890年)に建設されました。「琵琶湖疎水」は「京都盆地」への水供給のほかに舟による水運として利用されていることから、大部分が1/2000~1/3000という緩勾配で結ぶため、直線距離で9kmしか離れていない両地点の40m以上の高低差をこの勾配で結びきれませんでした(すべてこの勾配で結んだら全長は少なくとも80㎞になる)。水路自体はこの高低差でも問題はありませんが、舟を確実に輸送するためにはこの高低差をどこかで解消する必要があります。そこで造られたのが「蹴上インクライン」です。
「蹴上インクライン」は、言い換えれば船のケーブルカーで、全長582m、36m分の高低差を1/15(66.7‰)勾配で一気に結びます。ここでは斜面上に超広軌な線路が敷かれ、水運用の舟を専用台車に乗せてウインチで上下させます。

「琵琶湖疎水」の概要
「琵琶湖」(水面標高約85m)
↓
1/3000~1/2000勾配(0.33~0.5‰)で「京都」へ
↓
「蹴上インクライン」上部(標高約82m、地形図から推定)
↓
1/15勾配(66.7‰)のインクラインで36m降下
↓
「蹴上インクライン」下部(標高約46m、高低差を引き算して推定)
これから、上から下へ移動します。
インクライン上部

インクラインの上部です。写真奥は「琵琶湖方面」で、山を貫くトンネルがすぐ近くに見えます。

水路とインクラインの境です。インクライン用の線路は水路にある程度沈み、水中に潜り込んだ台車に直接舟が乗り上げ、インクライン輸送に移ります。

反対方向から見ます。展示用に当時の舟が展示されています。

横から見ると、一風変わった貨物列車みたいです。
インクライン上

これからインクラインを歩きます。少し離れたところから見ると、勾配が変わっているのがよくわかります。

インクライン上部から下を眺めます。かなりの急勾配で景色がいいです。高低差は、一般的なジェットコースター並みです。ここから列車を自由走行させたらどこまでスピードが出るのでしょうか?

インクラインは当時のまま保存されています。バラスト軌道で少々歩きづらいですが、一部に石畳が置かれています。

線路はかなりの年季が入り、奥までしっかりさびている感じです。

木性枕木は、下方向に大きく座屈しています。この勾配では重力の約1/15倍もの力が斜面下方にかかり続けます。それに加えてインクラインの役目上線路幅がかなり広くその分枕木が長く重いため、一般的な鉄道路線と比べて座屈が大きくなりやすいのでしょう。

インクラインの勾配を真横から撮影。かなりの傾きです。この1/15勾配は、鉄道でいう66.7‰勾配。この勾配は、かつての「信越本線」「横川~「軽井沢」間、そしてこのインクラインの隣にかつて走っていた「京津線」に採用されていました。


インクライン中腹から上と下を撮影。隣に見える道路には、かつて「京津線」が走っていました。

途中に台車と舟が展示されていました。
インクライン下部


インクラインの下部です。ここにてようやく「京都盆地」の標高になりました。現在ここは公園の池と噴水になっています。ここでジェットコースター兼ウォータースライダーをやったら面白そうです。

下部から上を見てみます。
横の道路より

インクラインは途中で周囲の土地より高くなるため、レンガ造りの高架橋が造られました。

レンガアーチの内部構造に注目。レンガが斜めに積み上げられ、レンガは内部でらせんを描いています。これは「ねじり間歩」と呼ばれる組み方で、大量の荷物を積んだ船の重量と、斜めに交差する線路がのしかかることで生じる歪な力に耐えるために採用されました。

最後に、インクラインの隣の道路を撮影。ここじはかつて「京阪京津線」が66.7‰勾配で通っていました。今は地下鉄「東山線」に乗り入れてこの地下を走っています。

反対の「大津」方面を撮影。かなりの勾配です。

断面から見てもすさまじいです。ここを数十t以上の列車が走っていたのが驚きです。
40‰上の駅
「京都府」と「滋賀県」を結ぶ「京阪京津線」にある「大谷駅」は、30~40‰勾配区間にあり、普通鉄道としては「日本」で最急勾配な駅です。
「軌道建設規定」では、駅坑内の線路勾配は10‰以下にすることを義務づけています。このため、これらの駅は特別に認可されて造られました。
かつて「大谷駅」構内の勾配は30‰で国内で2番目の急勾配駅でしたが(当時1位は「明智鉄道明智線」の「飯沼駅」(33‰))、平成8年(1996年)のホーム移設でホームが40‰上(正確には30~40‰区間)に設置されたため「日本」一になりました。
「大谷駅」が開業したのは大正元年(1912年)と、かなりの昔です。もちろん当時の内務大臣の特別認可を受けています。

「大谷駅」の様子です。一見するとのどかなローカル駅で、景色にも突出した特徴はありません。

しかし、真横から見ると勾配が一目瞭然です。この写真は、本当に(自分の感で)水平にして撮りました。40‰は、道路でいう4%、角度でいう約2.3°と緩やかですが、鉄道にとっては驚異的な勾配です。

プラットホーム上の長いすも、水平にするために脚の長さを変えてあります。写真から脚と水平の長さ比を確認したところ、プラットホームの傾きは30‰だと確認できました。40‰区間はすこしずれているのでしょうか?
椅子は水平で、長さ100と仮定→脚の長さ比はちょうど3=ホームは30‰勾配。
下から上り方向

上から下り方向

勾配を意識して撮影すると、確かに坂道上の風景に見えてきます。


プラットホームの下に、33.3‰と40‰を示す勾配標記がありました。つまり、勾配の変化点上に駅があります。
「軌道建設規定」では、駅坑内の線路勾配は10‰以下にすることを義務づけています。このため、これらの駅は特別に認可されて造られました。
かつて「大谷駅」構内の勾配は30‰で国内で2番目の急勾配駅でしたが(当時1位は「明智鉄道明智線」の「飯沼駅」(33‰))、平成8年(1996年)のホーム移設でホームが40‰上(正確には30~40‰区間)に設置されたため「日本」一になりました。
「大谷駅」が開業したのは大正元年(1912年)と、かなりの昔です。もちろん当時の内務大臣の特別認可を受けています。

「大谷駅」の様子です。一見するとのどかなローカル駅で、景色にも突出した特徴はありません。

しかし、真横から見ると勾配が一目瞭然です。この写真は、本当に(自分の感で)水平にして撮りました。40‰は、道路でいう4%、角度でいう約2.3°と緩やかですが、鉄道にとっては驚異的な勾配です。

プラットホーム上の長いすも、水平にするために脚の長さを変えてあります。写真から脚と水平の長さ比を確認したところ、プラットホームの傾きは30‰だと確認できました。40‰区間はすこしずれているのでしょうか?
椅子は水平で、長さ100と仮定→脚の長さ比はちょうど3=ホームは30‰勾配。
下から上り方向

上から下り方向

勾配を意識して撮影すると、確かに坂道上の風景に見えてきます。


プラットホームの下に、33.3‰と40‰を示す勾配標記がありました。つまり、勾配の変化点上に駅があります。