日帰り「佐渡金山」の旅 その4 「道遊坑」

 「宗太夫坑」を見た後は、「道遊坑」へ行きました。「道遊坑」は、明治以後の近代に鉱脈を求めてさらに採掘されていった坑道の一つで、平成元年(1989年)に閉山するまで、わずか21年前まで現役で稼働していました。

 江戸時代後半には、当時の技術では獲れる金の量と利益のバランスが崩れ一時期「佐渡金山」での採掘量が減りました。明治に入り、品位の低い鉱石から金を取り出す技術が発達し、さらに地中深く(海面下)まで掘削して新たな鉱脈を採掘できるようになったため、再び「佐渡金山」は活気を取り戻しました。名物の「道遊の割戸」は江戸時代に地上から露天掘りの形で掘られましたが、明治以降はその直下でも採掘がおこなわれるようになりました。

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 こちらが「道遊坑」です。効率的な輸送とトロッコ列車の行き来を可能にするため、坑道は比較的まっすぐで大きいです。

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 坑道の露頭(嫌な言葉…)は玄武岩質安山岩やら凝灰岩やらが露出しやがっていますが、途中で断層破砕帯らしきもの(写真右上~左下、矢印で示す)が見られたので、学科病を引きずり撮影しました。これはここだけの話にしておいた方が無難ですねwww。

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 坑道内は気温の変化が小さいため、酒の貯蔵に使われてもいます。

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 線路が残っているのはいいことですね♪

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 こちらが鉱石運搬用の電気機関車と貨車です。蓄電池で動いていました。

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 単線のため、途中で行き違いが出来るようにされています。赤く光っているのは信号です。

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 坑道の途中には、このような小部屋らしき穴がちらほら空いています。鉱脈を追ったものでしょうか?説明によると、地上が近くて現役時は外の明かりがここから見えたそうです。

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 奥へ進むと、3次元的に広がっている広場に出ます。ここは、「道遊の割戸」直下にあたります。江戸時代に掘った方向に、さらに下へ向かって掘ったのでしょう。

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 1つ上の写真と同じ場所から方向を変えて撮影。ズリが大量に残っています。ここも21年前までは採掘が盛んでした。

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 このように、コンクリートで整備された部分もあります。

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 「道遊坑」の出入り口です。

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 出入り口の先には、トロッコ列車がたくさん停まっていました。
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この記事へのコメント

- ヒバリ - 2010年06月18日 07:24:57

こういうトロッコの基線のある坑道ってわくわくするな。

富山で黒薙温泉から使われていないトロッコの基線を通って移動したのが思い出されます。

- 太郎 - 2010年06月20日 21:55:44

>ヒバリさん
 線路があるだけで充実感がだいぶ違うよね。ほかにも神岡鉱山やらラピュタやらインディ・ジョーンズなどが連想されてゆく。

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