かつては速度制限がされていた その2  「山陽新幹線」の場合

 「東海道新幹線」と同じく、「山陽新幹線」も開業直後は路盤安定のために一部の区間で減速運転を行っていました。「山陽新幹線」が開通したのは昭和50年(1975年)3月10日で、当時は「新大阪」~「博多」間を3時間44分で走破していました。当時は盛土の路盤が安定していなかったため、「三原」~「博多」間で減速運転がされていたのです。また、「福岡県」内のトンネル付近には「筑豊炭田」(社会の授業でやりましたね)の廃坑が縦横無尽に巡っているといわれました。その廃坑が新幹線の高速運転による振動で落盤事故が起きて地盤、山を不安定にさせないか?を確認するために、その付近を110~160 km/hに落としたこともあるそうです。

 そして、5年後の昭和55年(1980年)10月1日に減速運転が解除されて所要時間が3時間28分に短縮(16分短縮)されました。

 「東海道新幹線」では減速運転解除後は50分短縮していたのに対して「山陽新幹線」は短縮値が小さいですね。「東海道新幹線」と比べて不安定区間が少なかったのでしょうか?ただ、路盤の安定を確認するのに5年かかったのは何故でしょう?

 以後の新幹線では、開業直後の極端な減速運転はしていないようです。恐らく、「東海道・山陽新幹線」で得た?路盤の安定のノウハウを掴んだのか、コンクリートの高架橋区間が増えたからでしょう。
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