「信越本線」廃線跡を歩く その4 「熊ノ平信号場」

 遊歩道終点の「熊ノ平信号場」は、「碓氷第三橋梁」と並ぶ、この区間の名所中の名所です。むしろ、鉄道マニアにとっては「熊ノ平信号場」こそがいちばん興味深い場所かもしれません。

碓氷峠(碓氷第三橋梁・熊ノ平)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/43/%E7%A2%93%E6%B0%B7%E5%B3%A0%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7.pngに加筆
 「熊ノ平信号場」は、「横川」~「軽井沢」間の中間に位置するこの区間中で唯一線路が平らになる休憩所とも言える場所です。昔は駅として機能し、いまでもプラットホームが残っています。特に興味深いのが、「熊ノ平信号場」は7本のトンネルに挟まれているということです。しかも、「横川」側が3本、「軽井沢」側が4本になっています。どうしてこうなったか?それには以下の図で示す複雑な経緯があるのです。

熊ノ平信号所

 上図は、「熊ノ平信号場」の配線の変化です。配線は、めんどいわかりやすくするために簡略化し、分岐器などの姿勢はてきとーにした上、細かい点では実際の時系列と異なっているかもしれませんが、そこはご了承を。以下、3つの時代ごとに説明します。赤色線が当時使われていた線路、青い路線が廃止された線路を示します。

旧線開通時(明治26年)
 旧線開通時は、旧線全体が単線で「熊ノ平“駅”」(後に信号場に降格)で上下列車の行き違いが行われました。しかし、駅の両端にはトンネルが迫り十分な行き違いのための長さを確保できません。そこで、長大編成列車が行き違えるように、上図のように、両行き違い線の前後計4本の引き込み線を造りました。詳しくは、列車の頭側に位置する引き込み線が突っ込み線、尻側が押し下げ線と言います。突っ込み線と押し下げ線も、地形の関係からそれぞれトンネルを伴います。結果、「熊ノ平駅」の両端にはトンネルが6本掘られました。
 「熊ノ平駅」に入線した長大編成列車は、突っ込み線に入り、列車全体が完全に行き違い線に入ってから逆走して後ろの押し下げ線に入ります。そして対抗列車と無事行き違います。行き違いを終え、列車の先頭が本線へ戻る分岐器手前まで後退した後で、再び列車を前進させて本線にもどります。つまり、スイッチバックを2回していたのです。
 普通ならば、もしくは今のご時世ならば両端のトンネルの一部を複線仕様に掘り、行き違い線の距離を稼ぐでしょう。そうすれば掘るトンネルの本数も2本で済む上に面倒なスイッチバックが必要ないので。おそらく、地形上本線を長距離にわたって水平に出来なかったのか(両端はどちらもすぐに66.7‰の勾配が迫っている)、複線トンネルを掘るのが難しかったから、このような配線になったのでしょう。

新線開通時(昭和38年)
 その後、北側に新線が造られました。新線は「横川」から3kmほど「軽井沢」側の地点から「熊ノ平駅」間では旧線と完全に離れていました。「熊ノ平駅」で旧線と合流する形です。そこで、「熊ノ平駅」より「横川」側には新たにトンネルが掘られました。こうして現在のトンネル7本体制になったのです。新たに掘られたトンネルは、行き違いを行うためトンネルの中まで複線になっていることから、トンネルの断面が大きくなっています。「軽井沢」側のトンネルは旧線の上り押し下げ線用のトンネルを改修して再利用しています。

複線化時(昭和41年)
 その後、「横川」~「軽井沢」間が複線化され、「熊ノ平駅」は信号場へ降格しました。既存の新線より南側に新線がもう一本造られ、「横川」側では旧線の上り突っ込み線が、「軽井沢」側では旧線の本線が再利用されました。こうして、両端のトンネル群が今のような外観になったのです。なお、上図の番号は、以下の写真の撮影地点です。



P4019241.jpg
 「熊ノ平信号場」もまた、15年前まで現役で使われていました。まだ配線になって間もないと言えます。


P4019242.jpg
 この建物は、変電所として使われていました。

P4019244.jpg
 「軽井沢」方面を撮影。個人的には、立ち入り可能な場所がかな~り制限されていたのが残念でした。人目も多く自由に歩いたり撮影し辛いのが難です。


P4019249.jpg

P4019247.jpg
 「横川」側の坑口郡です。上写真はスナップ写真、下写真は至近距離で撮影したのを繋ぎ合わせました。右側から順に、
旧線下り押し下げ線
旧線の本線(現在遊歩道化)
新線下り線(旧線上り突っ込み線)
新線上り線
です。旧線の本線トンネルだけが少し低い位置にあるのは、旧線の本線自体がすでに傾斜して「横川」方面に下っているためです。突っ込み線や押し下げ線は水平なため、両者の間で高低差ができているのです。
 新線として使用されたトンネルは、旧線のトンネルを再利用していますが、断面を広げるためにレンガ積みを撤去してコンクリートに置き換えています。これを、時代の流れに沿った有効活用と思うか、景観破壊と思うかはその人次第。


P4019240.jpg
「軽井沢」側の坑口郡です。右側から順に、
新線上り線(旧線上り押し下げ線)
新線下り線(旧線の本線)
旧線下り突っ込み線(保線路として利用)
です。
 新線は、トンネルに入る直前で線路が66.7‰に傾斜しています。


P4019255.jpg
 旧線下り突っ込み線を反対側から撮影。僕としては、こういう突っ込み線等のトンネルも立ち入りおkにしてほしかったです。マニアの欲張りと言うべきか。


P4019237.jpg
 プラットホームには石碑が立っていました。この路線の建設には、「緋村剣心」の戦友である「山縣有朋」も関わっていたそうです。


P4019248.jpg
 「横川」側には慰霊碑が立っています。かつて、「熊ノ平信号場」では逆走事故と土砂崩れにより多くの犠牲者が出たのです。

P4019254.jpg
 下の国道18号線からも階段で線路へあがることができます。
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