「富山市」の路面電車の歴史

はじめに
 本記事は、平成20年初め?、11月ごろ、平成22年2月の計3回にわたりくどくど掲載したものですが、図の間違いや加筆したい点を発見したため再ヶ々掲載をしました。前回、これでもう直すところがないと踏みましたが、「ライトレール」と深いかかわりのある「富山港線」の変遷を入れていませんでした。そして入れたくなりました。これで4回目の公開になりますが、一番思い入れのある記事なのでご了承ください。

 以下、富山市内を走る路面電車(正式名は「富山地方鉄道富山市内軌道線」、以下「市内線」と表記)の歴史について、路線図(国土地理院の地形図を加工)を交えて紹介します。他にも「射水線」や「笹津線」との相互乗り入れも描写しました。なお、この路線図は「全国鉄道事情大研究 北陸編②」、「日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越」という本、およびWikipediaの記事を参考にして作成しました。図中においての駅名や路線名は、なるべく新しい(もしくは現在使われる)名称を用いています。「市内線」と関わる富山地方鉄道路線についても路面電車との直通運転を交えて語っておきます。唯一わからなかったのが、配線の細かい変換、特に西町交差点の十字交差における配線です。


 以下の図では、黒色線を当時の運行路線(「市内線」、「射水線」、「笹津線」、「上滝線」(一部「不二越線」))赤色線を新たに開通した区間、水色線を廃止した区間、桃色線を市内線と直通運転を行っている「射水線」と「笹津線」(「射水線」と「笹津線」の列各車が乗り入れた「市内線」の区間は赤みがかった茶色)、青色線を射水線と笹津線の直通運転中止(列車が乗り入れた「市内線」の区間は濃い青色)として示します。

大正2年(1913年)9月1日
 大正2年(1913年)9月1日 「富山駅前」~「堀川小泉」、「富山駅前」~「丸の内」~「西町」間開業 。当時は「桜橋」~「富山駅前」~「丸の内」は今と違ってくねくねしたコースをたどっていた。また、「富山駅前」は今より駅の入口に近い場所(ロータリーの中)にあった。

大正3年(1914年)12月6日 (2)
 大正3年(1914年)12月6日 「富山地方鉄道笹津線」(「電鉄富山」~「南富山」~「地鉄笹津」)開業。現在は「南富山」~「笹津」間は廃止されたが、「電鉄富山」~「南富山」は名称を変えて不二越線として残っている。ちなみに現在、不二越線と直接繋がっている「南富山」~「岩峅寺」の区間は、正式には「上滝線」となっている。

大正4年(1915年)3月13日 (2)
 大正4年(1915年)3月13日 「堀川小泉」~「南富山駅前」(当時は「堀川新」)開業 。


大正5年(1916年)11月22日 (2)
 大正5年(1916年)11月22日 「越前町」~「大学前」(現在の「大学前」より西側)~「呉羽公園」間開業 。富山大学へ行くルートは現在と異なり大回りであった。ちなみに現在の富山大橋ができるのはこの16年後なので、昔の橋を渡っていたことになる。


 大正9年(1920年)7月1日 富山市に譲渡される 。
 

大正10年(1921年)4月25日
 大正10年(1921年)4月25日 「富山地方鉄道上滝線」(当時は」富山県営鉄道」)の「南富山」~「上滝」間開業。同年8月10日に「上滝」~「岩峅寺」間開業。


大正13年(1924年)7月23日
大正13年(1924年)7月23日 「富山港線」(当時は「富岩鉄道」)の「富山口」~「岩瀬浜」(当時は岩瀬港)間開業。

大正13年(1924年)10月12日 (2)
 大正13年(1924年)10月12日 「射水線」(当時は「越中電気鉄道」)の「富山北口」~「四方」間開業。ちなみに「富山駅」は明治32年(1899年)~41年(1908年)の間は、「富山北口」の位置にあった。

昭和2年(1927年)7月11日 (2)
 昭和2年(1926年)7月11日 「射水線」の「新富山」~「富山北口」・「四方」~「打出浜」間開通。射水線は、現在の水墨美術館の裏と神通川の土手の間の道を走っていた。「富山北口」が昔の「富山駅」だったから、次駅が“新富山”になったのか?路面電車に乗っているときは脈絡がわかりませんが、歴史を振り返るとそう名付けられた理由が伺えます。

昭和2年(1927年)12月15日
 昭和2年(1927年)12月25日 「富山港線」(当時は「富岩鉄道」)の「富山」~「富山口」間開業。

昭和3年(1928年)10月21日 (2)
 昭和3年(1928年)10月21日 「西町」~「東田地方」(旧東田地方駅前)間開業 。

昭和9年(1934年)あたり (2)
 昭和9年(1934年)あたり? 「桜橋」~「富山駅前」~「丸の内」~「郵便局前」間のルート変換。「桜橋」~「丸の内」間は、現在のルートになる。「富山駅前」は現在の場所に移動し、相対的に不便になりましたとさ。

昭和11年(1936年)4月15日 (2)
 昭和11年(1936年)4月15日 「電気ビル前」~「東田地方」(新しい位置)間開業 。

 昭和18年(1943年)1月1日 富山地方鉄道に譲渡される 。

昭和19年(1944年)5月17日 (2)
 昭和19年(1944年)5月17日 「陸軍病院前」~「呉羽公園」間、「(旧)東田地方」~「(新)東田地方」間廃止 。

昭和20年(1945年)8月2日 (2)
 昭和20年(1945年)8月2日 空襲により「市内線」全線が休止。この日を最後に「陸軍病院前」~「大学前(昔の位置)」の区間が結果的に廃止された。

昭和25年(1950年)10月1日、12月31日 (2)
 昭和25年(1950年)10月1日 「笹津線」の車両が「市内線」の「南富山駅前」~「西町」間への乗り入れを開始。
 同年12月31日 「射水線」が「市内線」の車両が「新富山駅前」~「旅籠町」~「西町」間への乗り入れを開始 。

昭和27年(1952年)8月5日 (2)
 昭和27年(1952年)8月5日 「旅籠町」~「護国神社前」~「安野屋」間廃止、「丸の内」~「安野屋」間開業 。「大学前」へ行く現在のルートになる。

昭和29年(1954年)4月1日 (2)
 昭和29年(1954年)4月1日 「笹津線」の車両の「市内線」への乗り入れ区間を「富山駅前」まで延長 。

昭和34年(1959年)9月11日 (2)
 昭和34年(1959年)9月11日 「中教院前」の設立に伴い路線を変更。

昭和36年(1961年)7月18日 (2)
 昭和36年(1961年)7月18日 「中教院前」~「不二越駅前」間開業、「射水線」の車両の「市内線」乗り入れ中止 。

昭和39年(1964年)11月8日 (2)
 昭和39年(1964年)11月8日 「東田地方」~「地鉄ビル前」間の路線変更。

昭和42年(1967年)10月10日 (2)
 昭和42年(1967年)10月10日 「笹津線」の車両の「市内線」乗り入れ中止。

昭和44年(1969年)5月17日 (2)
 昭和44年(1969年)10月1日 「球場前」~「大学前」間廃止、「球場前」を現在の「大学前」と改称 。これにより「大学前」という駅名でありながら、大学まで300m余計に歩く羽目になる。富山大学と五福球場の最寄駅として昔の方がそれぞれ正しい駅名と位置取りをしていたのだ。

昭和47年(1972年)9月21日 (2)
 昭和47年(1972年)9月21日 「中教院前」~「地鉄ビル前」間廃止 。


昭和48年(1973年)3月31日 (2)
 昭和48年(1973年)3月31日 「西町」~「丸の内」間廃止 。これにより環状区間が消滅。36年後に「富山都心線(セントラム)」が開業するまで環状区間の無い時代が続く。

昭和50年(1975年)4月1日 (2)
 昭和50年(1975年)3月31日 「笹津線」廃止。

昭和52年(1977年)8月31日 (2)
 昭和52年(1977年)8月31日 「射水線」の車両が「市内線」の「新富山駅前」~「富山駅前」間への乗り入れ再開 。

昭和55年(1980年)4月1日 (2)
 昭和55年(1980年)4月1日 「射水線」廃止。同時に「射水線」の車両の「市内線」への乗り入れ中止。以後、「市内線」は独立時代に入る。

昭和59年(1984年)4月1日 (2)
 昭和59年(1984年)4月1日 「西町」~「中教院前」~「不二越駅前」間廃止。今もこれが残っていたら市電で直接「満天の湯」へいけましたね(特にそこと居酒屋のある西町の行き来とか)。


平成18年(2006年)3月1日、4月29日 (2)
 平成18年(2006年)3月1日 「JR富山港線」廃止。この時期の前後に路面電車化(LRT化)の工事が行われる。
 同年4月29日 「富山ライトレール」の「富山駅北口」~「岩瀬浜」間開業。

平成21年(2009年)12月23日 (2)
 平成21年(2009年)12月23日 「丸の内」~「西町」間開業。「富山都心線(セントラム)」として、36年ぶりに環状区間が復活。現在は単線で反時計回りの一方通行運転だが、需要が上がれば複線化することもあり得る。ちなみに、富山都心線(セントラム)の車両は「グランドプラザ前」を出た後は「西町」を通過して「荒町」まで停まりません。駅間距離の関係だと思います。

 と、こんな経緯で現在に至っています。その後の計画などが挙げられているので、次にそれを紹介します。

平成23年(2011年)? (2)
 平成23年(2011年) 富山大橋の架け替えに伴い、「安野屋」~「新富山」~「大学前」?間の単線区間が複線化される予定。

平成26年(2014年)? (2)
 平成26年(2014年)以降? 北陸新幹線の開業に伴う?富山駅の高架化事業に伴い、「市内線」と「ライトレール」が接続される予定。

いつの日か (2) - コピー
 「富山都心線(セントラム)」の需要が大きければ、平成21年(2009年)12月23日にできた単線区間を複線化する。

 いつの日か (2)
「富山地方鉄道上滝線」と直通運転する構想がある。どこまで乗り入れるかは不明。市長は意欲的だが、旧型車両は上滝線を走るのが難しい(勾配が原因で)ため、いつ実現するかも不明。

集約した図
 最後に、市内線とそれに関わる富山地方鉄道をすべて集約してみました。赤色が今後作られる(と思われる)区間、紫色が今は亡き区間を示します。この97年の歴史でこれだけの場所に線路が通ったのですね。
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この記事へのコメント

- ヒバリ - 2010年02月02日 10:41:41

昭和44年(1969年)10月1日 「球場前」~「大学前」間廃止前の図の路線図が在学中にあったら交通の便がよかったのに。
満天の湯とか。

- 太郎の部屋 - 2010年02月03日 22:49:20

>ヒバリさん
 これは、ちょうど全盛期のころだね。確かこのころは満天の湯(不二越)あたりにかけて夜店市らしきものがよくあったから、路面電車の利用者が多かったと聞くよ。廃止になった一番の理由は車の普及と需要の減少だなあ。このころは今よりも路面電車が敬遠されていたともいえるからね。

- ユウ - 2014年09月12日 12:46:09

はじめまして
1990年に富山市で生まれ育って今は名古屋で生活しているものです。
幼少期から父親に、過去の市内の市電網のことは自体は聞いており、今回はじめてこのページを閲覧させていただき、実際にどこに走っていたのか理解することができました。父親は夜市のことを話していたのも思い出しました。(父親は現在55歳前後です)

ですが、いくつか疑問があります。
父親は、「道路が中途半端に広いところは市電が通ってた跡だから」なんだと言っており、それを信じておりました。それで、自分は勝手にここは市電の跡だから、中途半端に広いんだなと考えていた場所があります。

一つは過去に西町から不二越まで電車が通っていた道の、一本北側の通り。延命地蔵の湧水、アイスの山川いも屋の、あの通りです。片側1車線にしては広く、2車線にしては狭いのは、ずっと市電の跡だからだと考えておりました。

もう一つは稲荷元町から奥田中学校の横を通って北へ延びてゆく通り。ここも中途半端な道幅で。市電の通りだったのかな??と考えていました。

ですがこの記事で、この両方の道には市電は通っていなかったということがわかり、ではあの中途半端な道幅はなんなんだ??と思いました。
何か知っておりましたら、コメントいただけますでしょうか。

- 太郎 - 2014年09月19日 22:29:16

>ユウさん
 ご質問ありがとうございます。実は私もそこの歴史までは把握していないので、残念ながらお答えできないです。ひょっとしたら、この記事に乗せていなかった貨物線や引き込み線の跡の可能性もあるかもしれません。こればっかりは、「富山」の軽便鉄道などを専門に扱った文献を見ないとなんとも言えないです(私もそこまで読んでないので)。

- - 2015年05月17日 15:52:31

はじめまして

平和通り、旅籠町周辺で排水工事が行われております。
旅籠町交差点、護国神社側のシールド推進工発進縦穴工事中に枕木が出てきました。
1952年廃止区間だから63年前のものですね。

- 太郎 - 2015年05月29日 20:35:21

>  さん
 ご報告ありがとうございます。昔の路面電車のものが出てくるのは、感慨深いですね。どのようになっていたのか見てみたいです(工事関係者にとっては、少々面倒かもしれませんが)。

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